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【346】 | RE:働かない人々へ rarara (2007年09月05日 07時00分) |
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三大義務様 おはようございます。 とてもまっすぐに、率直なご意見をありがとうございます。お忙しい中、大変ありがとうございます。 >今思うとここでいう権利は僕の中では義務を果たした対価ではなく >一般社会で生活する中で認められた権利と潜在意識の中で解釈していました。 ほとんどの方はこういう認識があるんだろうなと思います。日本の中で、今まで、この「義務」「権利」という言葉は非常に曖昧でしたよね。 私はいつも思います。これまでずっとそんな「義務」「権利」という社会共同思想さえも、「法の下の平等」の名のもと、国もしくは自分たち自体が自由にし、許していたから、このような不可解な不平等が出来たのではないかと。 私はいつも思います。 全国民の義務とあるにしても、払わなくても日本で戸籍が認められ、日本人として認められ、選挙権も認められる、ある意味これはそういう権利を認められているということ。義務を全うしないでも生きられる社会を作ったからこそ、起こった社会現象が、ニートであり、ホームレスであり、パチ・スロ生活者であること。 汚い言葉で言えば、金だけで生きられる社会を作ったからよくないんですよね。社会道徳的な権利というものを今まで軽視していた、国と公的機関の放任主義的なやり方に、私は時々憤りを感じます。でも、結局自分たちが選挙で選んだ人たちだから仕方ないと思いつつ、これが国民の総意であるならば、それはそれで受け止めないと、そして社会の歯車にうまく乗らないと生きていけないと思いました。 いざ自分が一般社会から離れ、自由な社会人としてスロ生活をしている時、私の中では「義務」は「個人の自由」と取ることになり、「年金」「国民保険」「住民税」その他税金云々は払えば誰にも文句言われないものと化していました。それは今現在、会社で就労している今もそうとらえております。 ようやく最近になって、小泉総理の時代から、税収圧迫の危機をまっすぐに受け、それに対して対処をなされたように見え始めました。それ以前もしていたのだろうと思うのですが、曖昧なことばっかりやっていたから、国民は政治に関心がなかったと思います。私もありませんでしたし。 でも、あくまでも、この自由主義的な義務を絶対の義務とするならば、どんな生活をする人でも一般的な人と認識される日が来るのではないかな、と思います。 長文、失礼しました。本当いつも長文ですみません(TT) |
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【347】 |
rarara (2007年09月05日 07時02分) |
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これは 【346】 に対する返信です。 | |||
> 私はいつも思います。これまでずっとそんな「義務」「権利」という社会共同思想さえも、「法の下の平等」の名のもと、国もしくは自分たち自体が自由にし、許していたから 訂正です。この部分の最後の「許していたから」の前に「それを」を入れます。失礼しました。 |
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