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【1369】 |
ドウコク! (2010年01月06日 22時05分) |
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これは 【1367】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 >情緒不安定な私の事ですから 何と。 書き込みを拝見する限り、とても落ち着いた方だとお見受けするのですが。 さて、私の考える漱石の魅力。 これは作品の解説や、他に新聞などで時折見かける論評などで誰も触れないので、 もしかしたら、私だけの意見でピント外れなのかもしれませんが……。 それは、ズバリ「面白さ」、「次を読ませようとする筆運びの絶妙さ」にあると思います。 漱石の作品のほとんどは、朝日新聞に連載されていました。 そこで、少量の文章が体裁上、「明日に続く」となるため、ほとんど毎回の終わりには、 明日(つまり次回)に含みを持たせる展開で終了します。 従って、少し読んでは「お、次はどうなる。」となってどんどんと読んでしまえる、という感じです。 この感想は、本作で顕著です。 クライマックスである「先生」からの長文の手紙に至るまでは、ごく些細な日常生活の描写の 積み重ねで、取り立てて劇的な部分はないのですが、それでもやはり気になって読んでしまいます。(この辺は「明暗」も同じ。) ただ、これを毎回あざとくやられると読んでいる方も辟易するのですが、その辺のさじ加減も上手いと思います。 これは週刊誌に連載しているのが主である、宮部みゆき作品の読後感とも共通します。 書き下ろしではなく、新聞と週刊誌連載だけなら、他の作家の他の作品もありますが、 その発表形態を上手に利用しているのは、(個別の作品は別として)作家ということで言えば、(自分が読んだ中では) 私は、夏目漱石と宮部みゆきだけだと思うのです。 漱石と言えば、「吾輩は猫である」のように採り上げる題材にばかり目を向けられがちですが、こんなところに 真の価値があるのだと、私は常々感じています。 つまり、読み物として、読んでいる最中の感想が素直に「面白い」であると。 と、今日はベタボメになってしまいましたが、明日は少し難点を。 と言っても、別に致命的なものではなく、ごくありきたりのものですが。 |
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【1368】 |
ドウコク! (2010年01月05日 23時52分) |
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これは 【1367】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、再びです。 >きっかけさえあれば誰しも自分を死に追いやることは、それ程難しくはないという これはですね、正確には「きっかけさえあれば、自分を死に追いやるかもしれない“何か”を抱えている人は多いのではないか?」 だと思います。 これが全ての人に当てはまるとは思いません。 そして、それを抱える人も「大部分」ではなくて、50%強程度ほど にとどまるのではないか、と私見では感じます。(ですから、そんなに深刻にお考えにならなくても、と思います) 明日は、本作から感じられる漱石の魅力について、考えたいと思います。 では、おやすみなさい。 |
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【1367】 |
メルカトル (2010年01月05日 23時05分) |
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これは 【1364】 に対する返信です。 | |||
ドウコク!さん、こんばんは。 >今年の年末年始、大阪と緯度が同じくらいの広島、それより南の九州でかなり雪が積もっていたのに、 >こちらでは(寒かったですが)、全く降っていなかったので、少し驚きました。 いやー、雪は厄介ですよ。 スタッドレスタイヤを履いていたとしても、朝晩の冷え込む時間帯は道路凍結のため、滑りやすく本当に危険がいっぱいです。 その点大阪はそういった危惧はほとんど不要ですから、それだけでも恵まれた土地柄といえるのではないでしょうか。 >もっと普遍的で、根源的なものなのです。 >つまり、友人の言動など無くても、誰でもその状態に陥る可能性があるという意味で、良く考えれば、とても恐ろしいものです。 つまり、きっかけさえあれば誰しも自分を死に追いやることは、それ程難しくはないという事でしょうか。 もしそうだとすれば、考えただけで恐ろしい事ですね。 しかし、人間誰でも少なからず悩みは持っているものだと思いますし、一つ歯車が狂えば最悪の道を選んでしまう可能性を秘めているとも言えるかも知れませんね。 (この書き込みがもし私の思い違いであったなら、あらかじめ謝っておきます) >当然です。 もし、完全に納得して理解していたら、こちらもついつい自死しそうですから。 それは危険な兆候ですね。 情緒不安定な私の事ですから、感化されて・・・なんて事にはまさかならないと思いますが、この書き込みを拝見して、本作を読むことに不安を覚えています。 それほど、人間の心の奥底にまで踏み込んだ作品だということなのでしょうが、小説というものの怖さと読者に与える影響力というものに、空恐ろしさを感じますね。 >漱石の提示した“理由”についても、反論の言葉を真剣に探してしまうことでしょう。 >そして、すぐにではないにしろ、きっと再読してしまうと思います。 どちらにしても、深く考えさせる小説なのだと思います。 だから反響が大きく、名作との誉れが高いのでしょうね。 この書き込みを拝見して、本作の奥の深さと小説が人に与える影響力を改めて実感しました。 ではまた ^^ |
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【1366】 |
メルカトル (2010年01月05日 23時04分) |
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これは 【1363】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、こんばんは。 新年明けましておめでとうございます。 本年も昨年同様よろしくお願いします。 >現金や、あまり大きな付け届けは問題になるためできませんが、 >ナースステーションなどに菓子折りや粗品としてのパンストなど。 なるほど、そんな裏側があるんですね。 それにしてもパンスト、不謹慎ですが思わず笑ってしまいました。 いや、女性にとっては必需品ですからね、特に看護士ともなれば勤務上必ず必要になるでしょうから。 >このときに看護士さん達に日頃の「ご挨拶」があることで、まっ先に連絡をもらえるわけです。 そうでしょうね。 しかし、病院には様々な葬儀屋さんが出入りしているのでしょうが、その中からどうやって優先順位をつけているのでしょうかねえ。 その辺りに日頃の努力の差が現れるのですかね。 >葬儀社側が何をどうすれば良いのかの指示等もしてくれるため何もわからないような遺族の場合 >大変に助かることも多いようです。 遺族も不幸があってすぐの事ですから、気が動転しているところ、そういった指示を出してくれるのは大いに助かることでしょうね。 >もちろん、いくつもの葬儀社が同じ病院に「定例挨拶」を行なっているのですから、 >いかに、病院側のより高い信頼を得られるかが、日常の戦いにもなっているそうです。 また一つ勉強になりました、ありがとうございました。 ではまた ^^ |
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【1365】 |
ドウコク! (2010年01月05日 22時47分) |
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これは 【1363】 に対する返信です。 | |||
ころころさん、新年、明けましていかすみー。(どんな挨拶やねん!) しかし、それにしても、お互いに目出たい筈の新年早々、「葬儀社」とか「自殺」とか、 縁起の良くない題材で語っていますね。 我ながら、苦笑します。 まぁ、でも、「正月は 冥土の旅の 一里塚」(「美味しんぼ」より)とも言うらしいので、 ここは許してもらいましょう。 看護婦さん(今は看護士さんというのですね)と葬儀社の関係、私もマンガで読んだことがあります。 (確か、「人間交差点」と「ギャラリー・フェイク」という作品だったはず) そちらでは、マンガらしく、もっとドギツく「葬儀屋は、看護士さんの男の世話までする。」 なんてことまで書いてありました。 それはさすがに極端だと思うし、もしそんなことがあったとしても、本当に特殊な例だとは思いますが、 ころころさんの記述されている範囲までは、実際にあることとして、充分に納得して理解できます。 ただ、別に悪いことだとは思いませんし、むしろ当然の行為だとは思いますが、それでも何だか腑に落ちない営業ではありますね……。 |
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【1364】 |
ドウコク! (2010年01月05日 22時27分) |
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これは 【1361】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 >大阪という恵まれた土地にお住まいですから 恵まれているかどうかは分かりませんが、こと雪だけに関して言えば、恵まれているでしょうね。 今年の年末年始、大阪と緯度が同じくらいの広島、それより南の九州でかなり雪が積もっていたのに、 こちらでは(寒かったですが)、全く降っていなかったので、少し驚きました。 >ただ、今現在の私はミステリ志向に戻っていますので おぉ、これは本トピにとって、とても喜ばしいことですね。 ミステリの鬼、メルカトルさんの“本業”の書評、楽しみです。 さて、「こころ」の深奥。 親友が自殺した理由、それは自分の言動に直接の責任があると考える「先生」ですが、 時が経つにつれて、「そうではないのでは?」と思い始めます。 そして、たどり着いた結論が、「自分の言動は“きっかけ”であって、真の理由は他にある。」でした。 これは「先生」の責任逃れではありません。 友人の言動によって傷つき死ぬことよりも、 もっと普遍的で、根源的なものなのです。 つまり、友人の言動など無くても、誰でもその状態に陥る可能性があるという意味で、良く考えれば、とても恐ろしいものです。 その辺りの「先生」の説明(=漱石の説明)は、理路整然としていて、思わず納得してしまいそうですが、 でも、やはり、釈然としないものが残りました。 当然です。 もし、完全に納得して理解していたら、こちらもついつい自死しそうですから。 (後、明治から大正にかけての特殊な時代背景も絡みますので、それはさすがに理解不能ですが) とは言え、本作を読了後は、「先生」の親友が死を選んだ理由については、読者は自分なりに深く考えさせられるだろうし、 漱石の提示した“理由”についても、反論の言葉を真剣に探してしまうことでしょう。 そして、すぐにではないにしろ、きっと再読してしまうと思います。 ここが「こころ」の最大の魅力だと思うのです。 |
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【1363】 |
ころころ (2010年01月05日 12時48分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、ドウコク!さんはじめお部屋の皆様。 あらためまして、新年おめでとうございます。 本日は昨年度からの持ち越しネタである「山村美沙/赤い霊柩車シリーズ」からのプチトリビアを。 葬儀社のネタが新年に相応しくないので、ちょっと躊躇われましたが…(苦笑) 話の種としてお読み流してくださればさいわいです。 まず、第一弾として病院と葬儀屋さんの関係。 葬儀屋さんは病院に根回しの積み立てを常にしているそうです。 現金や、あまり大きな付け届けは問題になるためできませんが、 ナースステーションなどに菓子折りや粗品としてのパンストなど。 これを定期的にしておくことで、何がいいのが? つまり、入院患者を抱えるような大きな病院ですと、どうしても入院中に 病院側の力及ばずにご不幸にあわれる場合がありますよね? このときに看護士さん達に日頃の「ご挨拶」があることで、まっ先に連絡をもらえるわけです。 で、駆け付けた遺族の元へ、言葉は悪いのですが「営業」へと行くのです。 もちろん当日は遺族の様子をうかがい名刺を渡して来るだけの場合もあります。 遺族は、いろいろと動転していたりするので、段取りをつけてくれる葬儀社が むこうから来てくれる事で、面倒が少なく早急に手続きができるということもあり 高確率で、葬儀を頼まれるのだとか。 葬儀社側が何をどうすれば良いのかの指示等もしてくれるため何もわからないような遺族の場合 大変に助かることも多いようです。 もちろん、いくつもの葬儀社が同じ病院に「定例挨拶」を行なっているのですから、 いかに、病院側のより高い信頼を得られるかが、日常の戦いにもなっているそうです。 次回。第二弾はお花屋さんについて。 ではまた(^^)ノ |
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【1362】 |
ドウコク! (2010年01月04日 23時12分) |
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これは 【1361】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、再びです。 >その辺りの「先生」の心理状態は手紙により克明に描写されているのでしょうか。 はい。 ここは漱石が豪語するだけあって、とても興味深い記述です。 ただ、それこそ、思想など絡んで「高尚過ぎる」のが難ですが。 では、おやすみなさい。 |
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【1361】 |
メルカトル (2010年01月04日 22時52分) |
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これは 【1360】 に対する返信です。 | |||
ドウコク!さん、こんばんは。 >これなら、メルカトルさんが「冬は苦手」と言われるのにも納得です。 いかにも厳しい冬、元気に乗り越えて下さい。 ありがとうございます。 私も大阪で生活していた頃は、こんなにも雪が降らない土地柄なのだと、妙に感心した覚えがあります。 一説によると、一年を通して寒暖の差の大きい土地のほうが平均寿命が短いそうで、そういった意味では私は長寿を全うする事が難しいかもしれません。 もし我が儘が叶うなら、今度はもっと年間を通して温暖な土地に生まれ住みたいと思います。 沖縄とまでとは言わないまでも、南の地方がいいですね。 ドウコク!さんは大阪という恵まれた土地にお住まいですから、そんな事はおっしゃらないでしょうけど。 >ズバリ、「先生」は、自分の“よこしまな言動”により、親友を自殺に追い込んでいたのです。 よこしまな言動、ですか。 なにやら意味ありげな言葉ですね。 まあここでは明かされないほうが無難かもしれませんが、どのような言動だったのか非常に気になります。 親友を自殺に追いやったほどの事ですから、余程の理由や事情があったのだという想像はつきますが、その辺りの「先生」の心理状態は手紙により克明に描写されているのでしょうか。 >「先生」の長文の手紙には、そこに至るまでの過程が丁寧に記されています。 >何故、「先生」は“よこしまな言動”をしてしまったのか? どうして、そんなこと(親友の自殺)になってしまったのか? ということはやはり、その辺りが本作の読みどころになってくるわけなのでしょうね。 >白眉は、何と言っても、親友の死を目の当たりにする場面ですね。 更なるクライマックスが待っているというわけですか。 なかなか読み応えがありそうですね。 時間があれば是非私も挑戦してみたいと思います。 ただ、今現在の私はミステリ志向に戻っていますので、当分着手する事はないかもしれませんが、読んだ暁には書評を書き込みたいと思います。 ではまた ^^ |
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【1360】 |
ドウコク! (2010年01月04日 22時05分) |
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これは 【1358】 に対する返信です。 | |||
メルカトルさん、こんばんは。 >といっても、積雪が20cmほどあり、1日,2日は家で過ごしましたが。 こ、これは凄い。 今に至るまで、ほとんどを大阪で過ごしている私には、想像もつきません。 5〜10cmが最高かな? (別の年月も、積雪とはあまり縁のない土地で過ごしています。) これなら、メルカトルさんが「冬は苦手」と言われるのにも納得です。 いかにも厳しい冬、元気に乗り越えて下さい。 さて、夏目漱石「こころ」。 本作のクライマックスは、「先生」の明かした、自分の過去なのですが……。 ズバリ、「先生」は、自分の“よこしまな言動”により、親友を自殺に追い込んでいたのです。 (と、本人は思っている。) だから、他人に対し、その自責の念からどうしても控え目な態度をとってしまう、という。 前半で、「先生」は無職であることが語られます。 遺産により、生活に不自由が無いのも理由の一つですが、 主人公の「私」の、「先生」の高い能力を世のために活かすべきではないか?(例えば、著述をするとか、大学で教鞭をとるとか) の問いに対する「先生」の返事、「私には、その資格が無い。」の理由がこれだったのです。 「先生」の長文の手紙には、そこに至るまでの過程が丁寧に記されています。 何故、「先生」は“よこしまな言動”をしてしまったのか? どうして、そんなこと(親友の自殺)になってしまったのか? ここに到達するまでの記述は、まさに圧巻の一言(今風に言えば、リーダビリティが高いでしょうか)ですが、 白眉は、何と言っても、親友の死を目の当たりにする場面ですね。 これほど、写実的にも関わらず、その奥に更に込められた意味のある文章を、私は他に知りません。 この場面に、漱石の作家としての本当の凄味があると、私は今でも思っています。 長くなりました。 明日は、更にこの作品の深奥について報告したいと思います。 (ただ、こちらはあまりバラしませんので。) |
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