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【666】

RE:カンパチ・ベルガーX

ネコまんま (2015年01月31日 22時28分)
大変でしたねー

PCの環境変わるのって、慣れるのに私は一苦労と言うか、投げ出してしまいそう(((^_^;)

アドレスって、すごく快適そう (*^_^*) 

スロットルの反応が素早いって、メーカーの技術、んにゃ、日本の技術が凄いのね♪



金沢ですか~~~まだ未開の地ですねー

気温も勘弁して~~~を突き抜けてそ。まだ、経験無し( ̄▽ ̄;)



んで、上から目線


当時はだったかもですぅ


まんまも多少?修行積みまして、気長に待つ&出来る事を優先


切り替えも必要ですね ^^



ハンネのカンパチ、新鮮だにゃ♪

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RE:カンパチ・ベルガーX  評価

カンバチ (2015年02月01日 16時59分)

まんまさん、こんにちは。


『片付け』の話を、もう少し考えてみました。


>まず、何も言わないことです。そして、静かに、「なぜ、あの人は片付けられなかったのだろう」と冷静、かつ、客観的に考えてみることです。


と言いましたが、

もう少し先に進むと、

片付けるか片付けないかの違いは、結局は、その人の生い立ちにかかわってくるんじゃないか、と思うのです。

「きれい好きな人」から見て、「片付けない人」というのは、単純に許しがたい存在に見えるかもしれませんが、

片付けないことをも含めて、その人を受け入れられるかどうか、がキーになりはしませんか。
それが愛するということなんじゃなかろうか、と。


たとえば、ワープロというものがなかった時代、小説家は、たいてい、原稿用紙を、書いては捨て、書いては捨て、とやってましたから、机の周りは紙くずだらけ(テレビドラマなどで、たまに見かけるシーンですが)。


その小説家の配偶者は、その様子を見て、腹を立てるかというと、そんなことはないと思うのです。

ということは、『片付けないから腹が立つ』のではなくて、その人の人格全体を受け入れられないから、腹が立つ、すなわち、その人を愛してない、ということなのかな、と。

さらには、『片付けてと言ったのに片付けてない』という事実は、
自分は愛されていない、というサインということになりはしませんか。

つまり、『片付けてない』=『私の言うとおりにしない』=『私を愛していない』と受け取ってしまいますから、
『片付けてっ!』=『私を愛してっ!』=『私を放っとかないでっ!』となり、
愛を求めて相手を攻撃してしまう、ということなのかな、と。


自己愛というのは愛されたいという欲求であり、誰もが持っているものです。

だから、人間にとっては、愛し合うということが何よりも大切であり、愛が不足すると、攻撃に転じてしまうものらしい、と思います。

自分は愛されていない、という実感は、苦しいものです。
その苦しみから逃れるために愛されることを求めます。

愛されるためには、まず相手を愛さなければならないのに、そこに気づかない。

愛されようとして失敗すると攻撃する。


では、人間は、どの時点で十分に愛されなければならないのか、というと、
最近の精神医学や心理学の学者さんたちが盛んに言っているのは、

『とにかく、3歳までは、徹底して甘えさせなさい』ということです。

『少なくとも満1歳までは』と言っている学者もいます。

どっちにしろ、幼いころ、十分に愛されていると、
『自分は、他者から、すべて受け入れられる存在なのだ』という、「基本的安心感」が身につくんだそうです。

しかし、誰もが、幼いころ十分に愛されて育ったか、というと、なかなかそうは行きません。

それで、たいていの人が、心の中に、『自分は愛されないのではないか』という、言わば、自己愛の不全感(不安感)を抱えて生きることになります。

その不全感がどの程度なのかが、その人の人生をかなり決定付けてしまうのかも。

自己愛の不全感を埋めるために攻撃的になる、と言えるんじゃないのかな。

その攻撃がどこに向かうのか。

まずは、親に愛されたいという衝動から始まるでしょうから、親の期待にこたえようと必死になる、けど、なかなか親が愛してくれない。

親が十分に愛してくれないから、自己愛の不全感を抱え、
親は親で、愛するということができない人だから、
愛することができない人に愛されようとするのは、実にむなしい努力です。

それでも、親に愛されたいから、親の視線を自分に向けようと、努力する、
という、どうしようもないスパイラルに落ち込んでいくのです。

『お受験競争』なんて、そのスパイラルの見本みたいなものです。


ここまで考えてきたら、なんだか、頭が充血してきました。

長くなって、すみません。
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