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【47】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

環八 (2014年08月05日 00時17分)

>こちらも一週間近くこんなで、まだまだ続きそうです。

そうですか。

11号が抜けるのに、あと1週間以上かかりそうですね。


この状態が続くと、山林地帯の保水力が限界に達して、平野部のどこかで、記録的大洪水になるんじゃないか、という気がします。


僕が住んでるところは、割と高台なので、洪水に巻き込まれることはないと思うのですが、がけ崩れなどで、交通が遮断される可能性はあります。


いずれにせよ、この降雨量は、厳しいですね。
【46】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

ネコまんま (2014年08月04日 10時31分)

環八さんの所も梅雨時みたいなんですね。
こちらも一週間近くこんなで、まだまだ続きそうです。

おまけに12号!!

直撃の可能ありですよ、(T^T)


>バイクの自由さ、機動力、俊敏性、視界の広さ、

高校の頃、バイク通学で、バイクと体は一心同体と言うくらい乗り回してて、あの頃の爽快感、また味わいたいですね。
【45】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

環八 (2014年08月04日 09時16分)

台風12号、11号が消え去るのは、一体、いつなんでしょう。


梅雨時に戻ったみたいに、雨ばっか。


雨だと、バイクに乗れないので、ストレスが。


僕は、車があまり好きじゃなくて、雨さえ降らなければ、暑かろうが、寒かろうが、バイク。


バイクの自由さ、機動力、俊敏性、視界の広さ、そういうものが身に染みてると、車がうっとうしくてしょうがいないのです。

バイクと言ってもカブなんだけど。

でも、カッパ着るのは面倒なので、雨の日は、仕方なく、車。


早く、台風、どっか行け。
【44】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

環八 (2014年08月03日 10時18分)

『アナと雪の女王』について思ってることを、もう少し書いてみます。ウィキを見たら、ストーリーが全部書いてあったんで、この映画をまだ見てない人を気にする必要もないかな、と思って。

僕が一番気になるのは、やはり、ラストでぶっ飛ばされたハンス王子。

彼は、悪役なわけですけど、アナに求婚した理由は、自分の王国では、王位継承の可能性がほとんど無いため、他国の王女と結婚して、そこの王になるしかないからだ、と言っています。

では、そういう風に思い込むようになったのは、なぜか。これは、もう、当然に、親のせいです。親に、王になるしか道がないような育てられ方をした、ということです。

で、ハンスは、自力では王になれないから、ならば、他国の王女と結婚するしかない、と思うようになったという言うわけです。

実は、こういう状況に追い込まれている人というのは、現代でも、少なくないのです。

だいぶ前に、テレビのドキュメンタリー番組で、ある女性の婚活ぶりを紹介してました。彼女は、父親が医者なのですが、一人娘であり、かつ、医学部に合格するほどの学力がなかったため、OLをしているのですが、どうしても、父親のクリニックを継がなくてはならない。となると、自分は医者になれないのだから、医者の卵と結婚するしかない。

で、医者の卵が集まる合コンにせっせと通うわけです。

どうです?。ハンス王子と同じでしょ。二人とも、親の犠牲になっているのです。幼いころから、親に、『お前は○○にならねばならぬ』と叩き込まれ続けた結果、本来、自分の五感で感じ取ってきた様々な経験から、自分の好きなことを見つけていくという経緯をたどっていないのです。

他にも、こういう人いませんか。例えば、親の家業を継がされる、とか、有名進学校に進んで、有名大学を出て、有名企業や官庁に就職する、とか。

親のエゴに振り回され、自分を見失い、心理的に自立ができなくなってしまう。自分の人生の主役が、親になってしまっている。自分は、自分の人生の脇役。

もう少し、身近な例でいうと、以前、『ホンマでっかTV』で、母親が子供にご飯を食べさせるとき『おいしいと言ってくれたら、お母さんは、嬉しいな』と言ってしまうと、子供は、親の期待通りの返事しかできなくなり、主体性を失う、というようなことを言ってました。

おいしいかどうかは、本人が決めることであって、親に決定権はないのです。子供にとって、あるべき家庭とは、まずいものはまずい、と言える家庭です。つまり、本音が言える家庭です。

親の期待に応えることを要求される日々を送っていると、自分の本来の欲求を抑え込まなければなりませんから、いわゆる、本音と建前の使い分けを強いられます。

そうすると、自分の本音がどこにあるのかわからなくなってきます。ついには、自分が分からなくなってしまいます。すると、他人の本音も分からなくなり、結局、人の気持ちが分からない人間になってしまう、ということになります。

こういう人のことを、ある精神医学者は『シゾフレ人間』と言ってますが、心の中に自分がないので、周囲の人が『いい』というものを『いい』と思い込みます。自分の好みというものがなく、価値判断を他人任せにします。

すると、彼らは、世間で評判になっているモノに皆で飛びつき、メガヒットを生むという現象を引き起こします。


他にも色々特徴はありますが、こういう人にとって必要なのは、本来の自分を取り戻すことです。どうやって取り戻すのか。

『あなたは、存在するだけで価値がある』と言ってくれる人、即ち、ありのままの自分を受け入れてくれる人と出会うことです。これが『真実の愛』です。

『アナと雪の女王』が、そこまで掘り下げてれば(ハンスをブッ飛ばすなんてのは、筋違いです)、見ごたえがあったでしょうけど、子供にそこまでの理解を要求するわけにもいきませんわね。
【43】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

環八 (2014年08月02日 10時40分)

>教師間でのイジメ的なものがあるとも言ってましたね。

ええ、そこです、問題は。

教室内でのイジメは、実は、大人社会で起きている『イジメ』の縮図です。

大人社会でのイジメというのは、一番わかりやすいのが、企業や官公庁で起きる、組織犯罪です。

首謀者がいて、その首謀者に従う取り巻き連。これ、子供社会で起きているイジメの構造と同じです。

つまり、イジメというのは、集団悪であり、組織犯罪なのです。

イジメについての研究が盛んになってから、イジメる者を『加害者』、イジメられる者を『被害者』と呼ぶようになったのは、研究者の間で、イジメを犯罪ととらえるようになってきたからだ、と思います。

取り巻き連、即ち、「観客(いじめをはやし立てる者、言わば、犯罪の助長者)」と「傍観者(いじめを見て見ぬふりをする者、言わば、犯罪の存在を知り、犯罪の場に居ながら、自分は関係ないと思い込もうとしている者)」は、『共犯者』です。


ところが、現場の教師や親たちは、なぜか、イジメを犯罪ととらえようとしないんですよね。だから、教師が、いつの間にかイジメに加担していることに気が付くわけがない。なぜ、そんなことになっているのか。

子供というのは、教育やしつけだけではなく、映画、ドラマ、小説、大人同士の何気ない会話や所作、などを通して、大人社会というものを知っていきます。

また、特に、中学校からは、部活動が始まりますから、そこでは、先輩後輩、という人間関係を体験させられます。会社や官公庁でいえば、上司と部下の関係です。

先輩の命令は、理不尽であっても、服従しなければなりません。つまり、個人の良心の抹殺です。

もちろん、子供たちは、個人の良心の抹殺というものを、部活動の場だけで知るわけではありません。日本の大人の、こういった、病的メンタリティを、子供たちは、様々なメディアや場面を通して、いわば、失望という体験を通して、身に着けていくわけです。

そして、個人の力は無力だ、と思い知らされていくのです。

イジメが毎世代発生するのは、毎世代、良心の抹殺が行われるからです。

それは、教師同士の間でも同じことです。既に良心を抹殺された者が教師になっているだけのことです。既に良心を失った者が、イジメの構造を理解し、いつの間にか、自分がいじめに加担していることに気づくわけがないのです。

日本社会全体を覆う「良心の抹殺」が様々な組織犯罪を生み、同じように、イジメを生んでいるのですから、イジメの根絶は、ほぼ絶望的と言えます。

では、完全に絶望的か、というと、そんなことはありません。


集団悪を破壊しつくせるのは、ただ一つ、『個人の良心』だけです。

もう、10年以上前の話ですが、雪印牛肉偽装事件というのがありました。組織犯罪の典型でした。この組織犯罪を壊滅させたのが、ある一人の人物の内部告発でした。個人の良心が、集団悪に勝利した事件でした。


注目すべき点は、この内部告発者が、もともとは、『取り巻き連』の一人だった、ということです。告発するにあたって、どれほど勇気がいったことでしょう。自分の心の奥底にある良心を奮い立たせたのです。


この「内部告発者」が、イジメでいうところの『仲裁者』に当たります。『良心の抹殺』に屈しない人物です。そういう人物がいてくれれば、とりあえず、その場のイジメは終結します。



今の日本の教師に、そんな人物を育てられるか。

>あと2年したら帰国するので、そしたら訊いてみますね。

多分、聞いても、無駄でしょう。
【42】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

rosa♪ (2014年08月02日 00時07分)

こんばんは


環八さん、遅くなってごめんねー


>えっと、火を止めて、卵をお湯から取り出して、水で冷やしたりとかせずに、他の場所(例えば、皿の上、とか)に、置いておく、という意味ですか。

>それとも、火を止めて、卵は、お湯につけたままで、という意味ですか。


>ややこしくなってきた・・・。


ごめんごめん

お湯につけたまま、です^^


レトルトとかもそれで十分温まりますよ



教師の教育の件。


流石に現場は私には分からないなぁー

教師になった友達、居るんだけど、
今海外の日本人学校に行ってて留守なの。

あと2年したら帰国するので、そしたら訊いてみますね。

って待てるかい?!


って言われそうですけどww



まあ教師の世界も大変なようです。

教師間でのイジメ的なものがあるとも言ってましたね。


そんなんアカンやろ、って話ですけどね。
【41】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

環八 (2014年08月01日 22時54分)

>そこを勧善懲悪のまま捨ててしまっているから ストーリーとして薄いままでナンの感動も得られない。


そうそう、そのとおり。





ホントは、もっと書きたいことあるんだけど、この映画を見てない人に悪いから、これ以上は書けない。
【40】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

Piro3 (2014年08月01日 21時34分)

>おそらく、人は、ありのままの自分を受け入れてくれる人の前でしか、ありのままではいられない、ということになるんじゃないのかな。



      そうだね。 そしてそれはまだ過程として。。


      その本に従うなら 健全な精神を持たない人のありのままは自分の欲が主体となる。

       だから ありのままの自分を隠し、
         他人から愛される、または迷惑をかけない行動(モラル)を持つべきである。


      詰まり健全ではない人は ありのままの自分より 道徳を重んじて生きるべきって事かな。。


       映画の中でその葛藤に苦しんだのが 雪の女王なんだけども。

        あの展開であの歌を歌わせたのは大きなミスだった。

         あの歌の持つ意味を ただの開き直りにしてしまった。。。


         違う見方をすれば観る者の意表を突いたとも言えるが
           価値を下げてしまったのだから 間違いなくあれは大きな失敗であり

        歌と映像は素晴らしかったが、作品として高い評価を与えるべきではない。というのが俺の見解だね。



>この映画の登場人物のうち、本当に「真実の愛」を必要としている人物が、ラストでぶっ飛ばされました。



       そう。 良い事を言うね。  そこに気付いた人は残念ながら あまり居ないだろう。。


     彼もまた [ありのままの自分]を貫こうとしていたのだから

        雪の女王だけでなく彼をも諭さねば  [ありのまま]を主張してはダメなんだ。。  

         そこを勧善懲悪のまま捨ててしまっているから ストーリーとして薄いままでナンの感動も得られない。
【39】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

環八 (2014年08月01日 20時21分)

「アナと雪の女王」を見ました。


「真実の愛」か・・・。


「真実の愛」=「姉妹愛」と言いたいんだろうけど。


ある本にこんなことが書いてあります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

健全な大人であれば、自分が真実であってほしいと望んでいるものではなく、真実であるものを信じる。

自分の愛する者が必要としているものが、自分自身の満足よりも重要だと考える。

要するに、精神的に健全な人は、程度の差こそあれ、自分自身の良心の要求するものに従うものである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


この映画の登場人物のうち、本当に「真実の愛」を必要としている人物が、ラストでぶっ飛ばされました。


それと、「ありのままの自分」とは、いったい何者なのか。

先ほどの本には、こうも書いてあります。

&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&

幼児に対する母親の愛情の真髄は、『受け入れる』ことである。正常な、健全な母親であれば、ただ子供がそこにいるというだけの理由で子供を愛する。幼児は、母親の愛を得るために何もしないし、何もする必要はない。そこには、紐付きの条件など何もない。その愛は、無条件の愛である。

母親は幼児を、幼児であるがゆえに、幼児そのものとして愛する。この愛は、幼児を幼児としてそのまま受け入れる愛であり、こう語る愛である。

『あなたはね、存在するだけで大きな価値を持っているのよ』

しかし、子供が生後2年目から3年目に入ると、次第に母親は子供に何かを期待するようになる。例えば、排便のしつけなどがそれである。この時点になると、母親の愛は、必然的に、また、少なくともある程度までは、条件付きのものとなる。

母親は子供にこう言うようになる。

『あなたが好きよ、だけど・・・』
『でも、ご本は破いちゃいけないのよ』
『でも、テーブルの上のランプを落としちゃいけないのよ』
『もう、おむつのお洗濯をしなくてすむように、トイレでウンチをしてちょうだい』

子供は、『いいこと』と『悪いこと』という言葉を覚えるようになる。いい子でいれば、また、いい子でいるときだけ、いつでも完全に受け入れてもらえる、ということを学ぶようになる。

こうなると子供は、母親からの愛や受け入れを自分の力で獲得しなければならなくなる。そして、その後はずっとそうなるのである。無条件の受け入れが得られる期間は、せいぜい幼児期の間だけである。

心理的に成人している我々は、みな、程度の差こそあれ、愛されるためには、自分の責任において、愛されるような人間にならなければならない、ということを学んでいる。

&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&


おそらく、人は、ありのままの自分を受け入れてくれる人の前でしか、ありのままではいられない、ということになるんじゃないのかな。
【38】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

環八 (2014年08月01日 00時23分)

夜、車を運転しながらFM聞いてたら、ケツメイシが、


『孤独死したら、どうしよう


 孤独死したら、どうしよう』


と歌ってた。というより、叫んでた。



ぼんやり聞いてたんだけど、聞き終わって、しばらくして、


「なんか、おかしくね〜か」と。


『孤独死したら、どうしよう』と悩んでどうすんだ?。


孤独死だろうとナニ死だろうと、死んだら、死んだ本人には、どうしようもないよな〜。


そうじゃなくって、



『孤独死しそうになったら、どうしよう』

じゃね?。
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