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【378】

RE:カンパチ・ベルガーX

環八 (2014年10月19日 00時23分)
きっと、始まりは、些細なことだったんだろう。

些細な一言が、ある人の胸に突き刺さった、ということなのだろう。

例えば、



「そうかな」

「違うんじゃない」



というような。



ただ、言った方は、覚えてない、けど、言われた方は、一生の傷になった。

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【381】

RE:カンパチ・ベルガーX  評価

さんさんはなはな (2014年10月19日 00時45分)

「無為を為し無事を事とし無味を味わう

    小を大とし少なきを多しとす

    怨みに報ゆるに徳をもってす」




「無為を為し、無事を事とし」

特に何もしないという事をして

なんでも無い事を仕事として

味気の無い生活を味わう

小さなものを大きく捉え

少ないものを多く感じて

人から受けた怨みには

徳をもって報いる

難しい事はそれがまだ簡単なうちに

よく考え大きな問題は

それがまだ小さいうちに処理する

この世の難しい事は

必ず簡単な事から始まり

大きな問題は

必ず小さな事から始まる

だから「道」を知った聖人はわざわざ大

事を成そうとはしない

小さな事を積み重ねて

大事を成す

安請け合いをしていては

信頼など得られないし

安易に考えていると

必ず困難な目に合う

しかし聖人は些細な事でも

難しい問題として対処するので

結果的に特に難しい事もなく

問題を解決できる…


「無味」

無為とか無とかを

象徴的に表現した

「無為」も「無」も

最高の徳である「道」の

状態や属性を表現した言葉で

「道」とは同義語だと思います

「道」や「無」は無限の味わいを

持っているはずだ

でなければ「道」とは言えず

「無」だとは言えないであろう



「小を大とし少きを多しとす」

老子一流の逆説的な表現

「他を多しとし自己を少なしとして

    他を窺い他から奪おうとする心をすてよ」

元来老子流に言うならば

大とか小とかいう判断は

相対的立場に立つものにはありえないことで

人間の判断は相対的なものであって

物には小も大もない

というのが老子の考え

だから他を多しとする考えは

愚かな考えということになる…





資料を参照




【380】

私もそう思う  評価

ネコまんま (2014年10月19日 00時39分)

環八さん、こんばんは。

まだ起きてましたか。


>ただ、言った方は、覚えてない、けど、言われた方は、一生の傷になった。


実生活でもそうですよね。

しゃべった人は何の気なしに言ったのかも知れないけど、言われた方は、衝撃受ける程胸に刺さる。

刺さった方はずっと覚えてるんですよね。(-_-;)



しかし、あの状態・・・
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