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【22】 | 松山物語〜その3 元パチブロK (2013年04月04日 00時20分) |
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昔、旅打ちは非常に楽しかった。 今は全国どこに行っても設置機種にほとんど違いは無い。 しかし、昔は地方に行くと、その土地ならではの特殊な機種、その地方でしか打てない機種があったのである。 たとえば松山市駅のすぐ前のパチ屋には「バンザイキング」という訳の分からない権利モノがあった。 これは全国でも貴重な珍品で、大当たり時にはドットで表現された人がバンザイをしまくるという奇妙奇天烈な演出だった。 そのバンザイを見たくて何度かバンザイキングを打ったが結局大当たりをすることが無かったのは残念至極である。 さて、松山でそれより驚いたのは、東京ではまったく見たことが無くて松山ではどの店でも設置している台があったことである。 それは、ドットを使った奥村遊戯のノーマル機。 おそらく松山では奥村の営業力が強かったの違いない。 今で言う「海物語」の感覚であろうか。 まったく連チャン機能のない、リーチアクションも極めて単純なノーマル機がどの店にも1シマはあったのである。 この台のいい所はよく回るところ。 大当たり確率205分の1(だったかな)で確変も時短もない、しかもラッキーナンバー制だから当然なのだが、よく打った。 そして良く負けた。 回りの良さに騙されたんだね。 次回〜松山のスロットは? |
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【27】 |
元パチブロK (2013年04月11日 00時47分) |
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これは 【22】 に対する返信です。 | |||
松山での予備校での仕事は生徒集め。 生徒が集まろうが興味も情熱もなかったので仕事はひたすら退屈だった。 その頃は社会人としてまったくダメになっていたのだと思う。 早く仕事が終わってパチンコ行くことばかり考えていた。 とはいえ、勤務は午後1時〜午後10時。 それでも午前中と仕事帰りには必ずパチ屋に足を運んだのはたいしてもんだ。 時間がないのでパチンコは確変や時短機は打てなかった。しかし、スロットなら。 当時のスロットは2号機時代で、連チャンしないノーマル機ばかりだった。 少しの時間打つには良かったが、あまり面白くは無かった。 パチスロの設置も少なく大街道のKYOEI(だったかな)でたまに打つ程度だった。 覚えているのは、パルサー、エニィセブン、ブルーマリーンなど、ほとんど勝った記憶が無い。 パチスロに関しては、その当時、技術も知識も無かったのだから当然と言えば当然だった。 唯一パチスロで勝ったのは「イヴX」と言う台。 新台入れ替えの日に何も分からず打ったのだが、モーニングらしき当りから一挙に1500枚くらい出て、その後ハマってほとんどノマレ、その後に連チャンして1500枚ほど出て、またハマリ・・・ 以下、その繰り返しで、結局2000枚ぐらい交換した。 その当時の2000枚というのは、記憶に残るぐらいの大勝だった。 とうていノーマル機とは思えない挙動だったが、裏モノだったのか、あるいは特別な基盤だっのか、今となっては謎である。 次回予告 天国で昇天? |
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