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【90】

チキンさんゑ  評価

たいちょ。 (2006年12月05日 19時47分)

>え〜たびたびのご来訪ありがとうごじゃります。

 ( ^ω^) 大相撲かっ!!1!
  ⊂彡☆))Д´)

(白鵬か露鵬とカン違いしたらすぃ)




>今回はちと相談にまいりますた。


 ( ^ω^) バスケかっ!!1!
  ⊂彡☆))Д´)

(マイコージョーダンと間違えたらすぃ)



>今回も危うくWCをトイ○ネタとして使用してしまいうところでした。


 ( ^ω^) でぶや♪かっ!!1!
  ⊂彡☆))Д´)

(まいう〜♪)


>(あぶない・あぶない(刑事))


 ( ^ω^) Kかっ!!1!
  ⊂彡☆))Д´)

(結局はダジャレかry)



>もはや 人 格 崩 壊 寸前 です。
>(あっ、チキン?やから鳥格崩壊やな)


あっ、オマイ何最後の最後でンマイ事言ってんの?
も〜そうやって自分のプレイに走りすぎるから
いいツッコミャー(ツッコミ+er)が育たないんだぉ♪


んで?何?

>【銀玉さん】は玉子が孵化するとチキン?になるのでしょうか…?

>【アストロボーイさん】はウルトラセブンの変身がとけてワンちゃんになってしまわれたのでしょうか…?

>気になって夜も眠れません
>o(__)o......zzzzzzzz(昼間に寝てますが…)


寝れてるなら大丈夫だぉ♪
心配ない心配ない


んじゃ、寝るぉ♪     ノシノシ

.
【89】

道場の思ひ出(1)  評価

たいちょ。 (2006年12月05日 19時22分)

(*´∀`*)ノシ おい〜っちゅ♪


こむばんは♪
ニポーンの冬はサムーイですね〜
レミー・ボンヤスキーでつ。
まだちょっと股間が…あいててて


はいっ!…
っという訳でございましてね(どういう訳だ?)

今回はK−1のネタフリもばっちり決まったところで
道場のおはなしです。

昨今の少年少女のイヂメの問題にも
通ずるトコロもあると思います。

もう一度、みなさん達がこの問題に関して
考えていただくきっかけとなるならば幸いです。



それでは、そろそろお時間が来たようでございます。
     「道場の思い出」です。

【↓↓文章が苦手で相手の言ってることもよく理解できないので読まね〜よ↓↓】

http://www.p-world.co.jp/community/keiziban2disp.cgi?mode=kiji&kiji_grp=1338&dbname=etc



【↓↓↓そこまで言うなら読んでみる↓↓↓】   


小学生の中学年の頃、俺はクラスでいじめられていた。
理由は、多分、おとなしいから。無口だから。弱いから。だったと思う。
学校には友達がいない。毎日、イジメられて泣きながら家に帰る。

怖かったのは、学校にいる時間よりも下校の時。
朝は高学年と列を作って登校したから、ナニもされない。
学校でも、先生がいたので泣けば先生が助けてくれた。
でも、帰りはダレも助けてくれる人はいない。
ジャマものがいないから、イジメっこ達は、執拗に俺をいじめた。

家まで帰る時は、危険をさけるために、知らない人の家の庭を
横断して帰ったり、田んぼを渡ったりいろんなことをした。
それでも、見つかってイジメられる。足蹴にされて、罵倒されて
結局、ボロボロになって、泣いて帰るのが、日課だった。

母親は、パートにでていて5時まで帰ってこない。
大きな声を出して泣くと、同じ団地にすんでいる同級生にばれて、
翌日バカにされる。だから、俺は、いつも年中置きっぱなしのコタツに
頭だけを突っ込んで泣いていた。
でも、涙が止まった頃に、かーちゃんは帰ってきてしまう。
それで、優しくするもんだから、また泣いてしまう。



【↓↓↓(2)を読んでみよっかな↓↓↓】
【88】

道場の思ひ出(2)  評価

たいちょ。 (2006年12月05日 19時08分)

母は、俺がどんな目に合っても、学校やイジメッ子の家には
行かなかった。というより、いけなかった。
オヤジが厳しいからだ。オヤジは、大正生まれで戦争を経験していて
侍みたいな人で、柔道の有段者だった。

オヤジはバツイチで、俺が生まれたときには、50を過ぎていた。
世間では、年取ってからの子は可愛いというそうだが、この上なく、
厳しく、俺にとってはイジメっ子よりも怖い存在だった。

オヤジは、子供のケンカには絶対に大人が入らないように母に言っていた。
ある日、いつものようにイジメられて、泣いて帰ってきたら、オヤジがいた。

会社の創立記念日らしく、半日勤務で、午後から帰ってきてたのだ。
オヤジは、泣いていた俺をみたら、何度も殴り、家の外に放り出した。
ドア越しに「泣かした相手を泣かしてこい。さもなくば、帰ってくるな!」
途方に暮れて、外にいると、いじめっ子がまたやってきて、いじめられた。
たまたま、通りかかったかーちゃんが、助けてくれたのだが、
俺は、その日10時まで家に入れなかった。

そんな、あまりにも情けない俺を見かねて、母が空手教室を俺に勧めた。
当時の俺は、空手はコワイという先入観があって、断固として拒否していた。
しばらくして、今度はピアノ教室に行こうと言われた。
面白そうだし、友達もできそうなので、喜んでくっついて行くと、そこは、
集会所の空手教室だった。

母は、そこの先生に何度も頭を下げて、俺のことをよろしくよろしく言っていた。
臆病な俺は、ヒゲをはやした筋肉質の先生が怖くてしょうがなかった。
先生は、母から俺のことを色々ときいていたらしく、「お前イジメられたのか?」
と聞いてきた。・・・うなづくと、「俺もだ!ガッハッハ!」。とか言って笑っていた。

それで、「空手をやれば強くなれるから、イジメられないぞ」と言ったのが
今でも特に印象に残ってる。それから、ソコに強くなるべく通い始めたワケだが、
先生は、とってもやさしかった。怒ったところなんて見たことなかった。
練習も面白くて、予想以上に楽しかった。


その空手教室には、同じくらいの子供が結構いたが、イジメなんてなかった。
当時は、学校に友達がいないが、空手教室には友達がいたので、
結構救われていた。

空手を始めて何ヶ月かたったら、だんだんイジメっこが怖くなくなった。
いじめられても、走って逃げず、無視して歩いて帰れるようになっていた。
(たまには、泣かされたが…)
ある日、最近リアクションの少ない俺が面白くないらしく、朝から近所の
同級生10人くらいに囲まれた。最初は、囲んで罵倒されてたが、
なんか、気持ちが少し強くなっているので、そんなに応えなかった。

やがて、イジメてる方が、精神的に厳しくなったらしく、体の大きい奴が
俺の足を思いっきり蹴ってきた。
この瞬間、なぜか恐怖を超えることができて、コイツらを痛めつけてやろうと
決心した。というより、キレた。

俺は、片っ端から、突きと蹴りを入れていった、まだ、子供なので、向かってくる
奴はいなくて、みんな、散り散りに逃げていった。それでも、俺の1年間の思いは
晴れず、逃げる奴を追いかけて捕まえて殴って、足の速い奴には石をぶつけて。
大変な状態になった。団地内の出来事だったので、すぐに、近所の大人がきて
俺を取り押さえた。それでも、泣きながら暴れていたのを覚えている。


【↓↓↓つづきを読む↓↓↓】
【87】

道場の思ひ出(3)  評価

たいちょ。 (2006年12月05日 19時05分)

その日の夜、俺の家には、20人くらいの客が来た。全員、怪我した同級生の
親だった。ヒドイ人は2針縫ったとか、縫わないとか騒いでいた。

ひたすら、母親は謝っていたが、オヤジは、同級生の親の前で俺を誉めた。
どの親も、ヒステリックに騒いでいた。オヤジは、自分の半分くらいの年の
親達を国の恥だとか、過保護なバカ親とか、色々説教していた。
その騒動は階段から団地中に響いていた。

結局、オヤジの変に説得力のある理解不能な説教に同級生の親達も同意し
お互いに悪かった。ということで、落ち着いた。

それから、学校ではイジメはなくなり、少しは友達もできて平和な生活が訪れたが、
あの10人(クラスの半分)とは、立場が逆転していた。気分が良かったので
また殴るぞなどと脅したりもした。軽い冗談でも異常に怖がる奴らを見ると気分爽快だった。


騒動のあと道場に行ったら、先生に「イジメっ子をやっつけたんだな」といわれた。
先生は、「空手でそいつらやっつけて気持ちよかったか?」と聞いた。
俺がうなづくと先生は、「でもな、もうケンカはするなよ」と言った。

「お前はいじめられて、辛かっただろ?痛かっただろ?」
「でも、ここでは、友達ができて楽しかっただろ?」
「どっちがいい?」
俺は、友達がいて楽しい方と答えた。

「だったら、もうケンカも復讐もするなよ」
「お前なら分かるだろ?イジメられるとどんなに悲しいか、どんなに憎まれるか」
「自分と同じ思いを他人にさせたくないだろ?友達に憎まれたくないだろ?」
なんか、子供心に響くものがあって、素直にうなずいたら。
先生は、笑いながら、硬くてゴツゴツした手で優しく頭をでなでてくれた。

それから、俺はイジメをスグに辞めて、イジメっ子と友達になった。
そのうちの一人とは、今でも良い友達だ。

小学校の記憶なんて、ほとんど残ってないが、
小3のこの頃のことは、何故か よく覚えている。

集会所で空手教室を開いていたあの先生も、俺が5年の
時に引っ越して、違う先生になっちゃって、それっきりだけど、

あのヒゲ先生が俺に 友達を与えてくれたような気がして、感謝している。

.
【86】

お〜じゃま・じゃま〜♪ おじゃまん●♪  評価

チキン? (2006年12月05日 18時28分)

え〜たびたびのご来訪ありがとうごじゃります。
(とりあえず自分で言っときます)


今回はちと相談にまいりますた。


え〜ワタクス、トピの空気がまったく読めないレスを多々してしまうのですが
ど〜すたらいいのでしょ〜か?


今回も危うくWCをトイ○ネタとして使用してしまうところでした。(あぶない・あぶない(刑事))

もはや 人 格 崩 壊 寸前 です。
(あっ、チキン?やから鳥格崩壊やな)


こんな、わてを救ってください。

T○T)//†ア〜〜メン〜(泣)



んで、

【銀玉さん】は玉子が孵化するとチキン?になるのでしょうか…?


【アストロボーイさん】はウルトラセブンの変身がとけてワンちゃんになってしまわれたのでしょうか…?



気になって夜も眠れません

o(__)o......zzzzzzzz(昼間に寝てますが…)
【85】

アストロボーイII さんゑ  評価

たいちょ。 (2006年12月03日 12時59分)

脳〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ




ボイさんこんぬつは♪
久しぶりぢゃないですかぁ。。。


むふふ、みましたょぉハカイダくんトコ(にやり



ああいうのが出来るのは、ボイさんが立派な
「妄想est(もーそにすと)」だからですねぃ。

文章読んで妄想する
好きなものから妄想する
一つの単語から妄想する
過去あったいい事を思い出して妄想する。


う〜ん、もーそにすと おぶ もーそにすつの
あたしには溜まりませんねぇ。

あたしも以前ハイビスカスランプ付きのAT機
もーそーしてて気絶しそうになりましたから
ボイさんの気持ちはよく分かりますよ〜。
(ハカイダくん ちねっ)


>下敷きになったKさんを見つけた長男は「最後までやり切るのがおやじの信条」と父の工具を使い整備を終わらせた。


かぁ〜〜っ、ココきますねぇ
さっすが職人のDNAを受け継いだ息子さん
いい九州男児っぷりじゃないすかぁ。

読んでて、ジワッってなりました。



※相変わらずの投稿時間ですね(w
単に夜更かしならイイんですけど…

.
【84】

あるネット記事より  評価

アストロボーイII (2006年12月03日 04時28分)

[自動車整備士]「ポルシェの神様」工場に死す

ポルシェの卓越したメカニックとして知られた自動車整備士Kさんが11月22日亡くなった。
市内の自社工場でポルシェを整備中、何らかの原因でジャッキが下りて車体の下敷きになり、帰らぬ人となった。

超一流の技術力から客やレーススタッフはKさんを「ポルシェの神様」と呼び信頼した。
ポルシェを愛し、生涯をささげた男の突然の、そして壮絶な最期だった。

Kさんは、中学の時から自動車整備を始めた。「世界一の車に携わりたい」と卒業後に上京し、ポルシェの販売会社に入社。
73年に独立してポルシェ専門の整備会社を設立し、ル・マンや日本グランプリなどのレースで走るポルシェを支え続けた。

妻T子さんによると、目立つことが嫌いで、会社の宣伝もせず、取材の要請もめったに受けなかった。
整備工場も外観は廃材置き場のようで、看板もない。電話帳にも載っていない。そして口癖のように言う。


「乗り手を理解しないで整備すると、その人を殺してしまう」


職人かたぎは客には頑固さとしても映った。
32年のつき合いというGさんは苦笑する。
「『ちょっとみてください』と言って初めて来る人にちらりと車を見て『みました』とやる。
私も話しかけてもらうのに3年かかりました」

エピソードがある。十数年前の鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)でのレース中だった。
ポルシェの現地メカニックから電話が入った。予選で成績が振るわないという。

「2周してみて」。Kさんはドライバーに指示すると受話器に集中した。
走行音を聴きアドバイスした。「左前の車高を4ミリ上げ、右後ろの車高を2ミリ下げて。0.4秒縮まるよ」。
しばらくし「0.5秒縮まった」と連絡があった。

突然の事故は、翌日のレースに出場するポルシェの整備中に起きた。

下敷きになったKさんを見つけた長男は「最後までやり切るのがおやじの信条」と父の工具を使い整備を終わらせた。
「もういいよ」と客は泣いた。Kさんが整備した1台は翌日、茨城県内のレースで総合優勝した。

11月28日の通夜では参列者で会場周辺の道が渋滞した。工場はいまもお悔やみの電話が鳴る。

「男の人たちが主人のそばで号泣するんです。男に泣かれる男って私には計り知れません」。

T子さんは少し誇らしげに言った。

.
【83】

:WCちょっとイイおはなし(12)  評価

たいちょ。 (2006年12月03日 14時49分)

そこでトマソンは『あの少年』を見つけた。
例によってトマソンは少年に対し『紙』で語りかけた。

 記者   ∧_∧   彡彡'ミ        ∧_∧
(;´Д`)( ´∀`)( ´、ゝ`) ∧∧  ミ  彡
(  筆)(っ通訳) (つ と) (`*  )(   )

       「( ´、ゝ`) せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね。」

       「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです。
        それに約束どおり点を獲ってくれたからボクは
        嬉しかったです。 (´∀`*) 」

       「( ´、ゝ`) ありがとう。」


そして、この少年にトマソンは言った

       「( ´、ゝ`) ボクから君に言える言葉はこれが最後です。
        よく聞いてください。」

       「はい。 (´∀`*)」

       「( ´、ゝ`) 君には前にも言ったとおり、試練が与えられている。
        それは神様が決めたことであり、今からは変えられない。
        ボクが言いたいことわかりますか?」

       「はい。 (´∀`*)」

       「( ´、ゝ`) 神様は君に試練を与えたけど、
        君にも必ずゴールを決めるチャンスをくれるはずです・・・。
        そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください。」

少年はこの言葉に喜色満面の笑みを浮かべて

       ゛  ∧∧  "
      -  (´∀`*)  - 「はい。」
と答えた。


そして2人は・・・
          「( ´、ゝ`)   「 (´∀`*)
           さようなら」   頑張って」
という言葉を
それぞれ残し別れを告げた。

最後に2人は仲良く写真におさまった。
 ┌――――――――――――――┐
 |┌――――――――――――┐|
 ||  彡彡'ミ.      ||
 ||( ´、ゝ` ).∧ ∧゛゛||飛びっきりの笑顔を浮かべ
 ||(    )( ´∀` )゛||ファインダーにおさまる2人。
 || | | |.(     ).||
 || (__I__)し''` J.||
 |└――――――――――――┘|
 └――――――――――――――┘
この写真は少年の宝物になることだろう。

トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・。


小さな少年、心優しきトマソンに
これからも栄光あれ。。。



おしまい。

.
【82】

WCちょっとイイおはなし(11)  評価

たいちょ。 (2006年12月02日 18時49分)


そして、決勝トーナメント1回戦。
場所は新潟スタジアム・ビッグスワン、
対戦相手はあのベッカム率いるイングランドであった。

スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた。


ここでも和歌山県民はデンマークを応援し続けた。

♪♪ダニッシュダイナマイト ♪♪ベカ‐ム何する者ぞ ♪♪俄かEnglandファンを黙らせろ
    記者               記者             記者
    (;´Д`)ノ⌒ ))  *3
   ┌( 筆へ) ))      *4    *5
 *6       ((  く


♪♪頼むぞデンマーク    ・・・アア・・・         ・・・もうだめぽ(前半で0-3)。
      記者           記者
(( ⌒ヾ(´Д`;)          (´Д`;)ゞ           記者
  *7      /( 筆 )          ヾ(´Д`;)、
        > ))      (  ハ              ノ Z乙

・・・和歌山県民の想いは通じなかった。
デンマークはイングランドに0−3という予想外のスコアで敗れてしまった。
その日、和歌山県にも雨が降ったという。

涙雨だったのかもしれない・・・。


負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた。

「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」と
『デンマークお疲れさま!会』なるものが宿泊先のホテルで行われた。
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた。

その催しにオルセン監督以下選手たちも全員出席した。
あのトマソンもその場にいた。


.
【81】

WCちょっとイイおはなし(10)  評価

たいちょ。 (2006年12月02日 18時38分)


母親は目に涙を浮かべ、取材する記者に向かって

     ∧_∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 記者  ミ;´∀∩彡 < あんなことされたらデンマークを応援しないわけ
(;´Д`)(    ) | にはいかないですよ。日本と試合することになっても、
(φ筆) |||     ! 私らはデンマークを応援しますよ。

涙を流し、笑いながら言った・・・。



そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、
試合での得点を決めた。

1点どころか、彼は4得点という大活躍だった。






1次リーグ、フランスという前回覇者と同じA組だったデンマーク。
その試合会場が韓国であろうとも
彼ら和歌山県民は
応援に駆けつけた。

\ ガンガレー デンマーク!! ヾ ダニッシュダイナマイト!! ガンガレー !
                 ∧_∧  ∧_∧
  ∧_∧ ∧_∧ ∧ ∧Xノ ハヘ X //(ハヽ ∂ ∧∧   ∧∧ ,、__,、
ヾ (・∀・ ヾ(´∀` ヾ(゜Д゜,,)(^∀^ヾ |!(`∀´ ハ|ヾ(゜Д゜,,)ヾ(゜ー゜*)(´∀` )
  (    )(     |  | (    )(∧_∧ ∧_∧ ● ●  (   )
  ∧,,∧  ∧_∧ ∧_∧ ∧∧X ノ ハヘ X //(ハヽ∂(^_^;)> γ⌒ヾ.
 ミ゜Д゜,,彡'(・∀・ )(´∀` )(゜Д゜,,)(^∀^ヾ |!(`∀´ ハ| (M ) (`∀.´ )




       ∧_∧   / 試合会場が韓国であっても、和歌山の応援
      (、´、ゝ`)<  はわかった。あれが我々の力になった。
      (     )  \____________________

結局デンマークは2勝1分け(勝ち点7)。
見事A組1位通過を決めたのである。


.
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