| トップページ | P-WORLDとは | ご利用案内 | 会社案内 |
■ 390件の投稿があります。
<  39  38  37  36  35  34  33  32  31  30  29  28  27  26  25  24  23  22  21  20  19  18  17  16  15  14  13  12  11  10  9  8  7  6  5  【4】  3  2  1  >
【40】

愛すべきおじぃちゃん達(2)  評価

たいちょ。 (2006年11月26日 10時56分)


里帰り出産をして、出産後もしばらく実家にいた。
4月なのに初夏を思わせるような天気だった日のこと。


母方の祖父が、娘(祖父にとっては曾孫)の顔を見に来た。
春にしては少しまぶしい日差しの中、祖父は縁側にあぐらをかいて座り、
娘を抱っこしてくれた。
娘はすやすやと眠っていた。
せっかく祖父が来てくれたので、娘が起きた顔も見て欲しくて、
私は眠る娘の頬をつついて「起きて〜」と言ってみるが、娘は起きない。
「せっかく来てくれたのに、寝ててごめんね。」と祖父に言った。
もともと無口な祖父は、何も言わずに、
娘を抱っこしがら、娘の顔を覗き込むように眺め、満足そうに微笑んでいた。


…と、そこで私は目が覚めた。隣では娘が眠っていた。
祖父が遊びに来たのは夢だったのだ。
寝ぼけた頭で良く考えて、祖父は6年前に亡くなっていたのだと気付いた。
亡くなっていた事を忘れるくらい鮮明な夢だった。

夢だったけど、祖父は本当に嬉しそうだった。
夢だったけど、祖父に喜んでもらえて嬉しかった。
夢を通じて、娘を見に来てくれたのだと思いたい。

里帰り出産を終え旦那の元へ帰る日の前日、母の実家の祖父の仏壇へお参りにいった。
「また遊びに来るからね。そしたらまた娘を見に来てね。」と願いながら手を合わせた。



【↓↓↓次の作品を読む↓↓↓】
【39】

愛すべきおじぃちゃん達(3)  評価

たいちょ。 (2006年11月26日 10時54分)


私は二十歳の時出来ちゃった婚で結婚、出産。
周りの反対の中じいちゃんだけはかばってくれました。
小さい時からじいちゃん大好きで、母に叱られる度、
泣きながらじいちゃんの布団に潜り込んでたっけなー。

子供が産まれたときも暑い中、自転車で片道40分もかかるのに一人で病院来て
赤ちゃんを見に来てくれたり。。
私の結婚生活は苦しいもので、旦那の暴力、浮気など積み重なって、子供が3ヶ月の時、
「旦那が仕事で県外に行くことになったので帰ってくるまで実家にいさせて。」
と嘘をついて実家に子供を連れて帰りました。

反対を押し切って結婚したため、意地になってしまって
家族にも本当の事が言えないままでした。

でもじいちゃんは何か感づいてたらしくて、
「おまえは何か、この家に戻ってきそうだなー。」なんて言ってきて、
私が意地になって、
「そんなんあるわけない。」なんて言って背を向けると、

「じいちゃん死ぬまではこの子(私の娘)面倒みたるよ。
おまえは仕事でも行って、この子に不自由させないようにがんばり。
最後に頼れるのはやっぱり家族しかおらんやろーが、ばか娘が。」

80すぎたじいちゃんが、私が意地張って隠してたことなんてお見通しで、
なんだか力が抜けて泣いてしまいました。

それから離婚を決意。
そんなじいちゃんが倒れたのが、娘が8ヶ月の時。末期の胃ガンでした。

暇を見つけては娘を連れてお見舞いにいきました。
でも最後の方はガリガリに…
痩せて見ているのが辛くて、私は病室に1分もいれない状態でした。
死ぬ直前まで私と私の娘の心配をしていたじいちゃん。

病室で私が、
「もし私が次結婚するとしたらじいちゃんみたいな人がいいなー。
じいちゃん若いときかっこよかったんだってね、ばあちゃんから聞いたよ。」
と言ったら、

「わしはやめとき。酒飲みで、ろくな事せんよ。
おまえはこれからもっといい男みつけて幸せになるんやぞ。
ほんとに心配してるんじゃから。」
と言って、泣いていました。初めて見たじいちゃんの涙。

「色男がだいなしやなー。」と言ってタオルで顔を覆っていました。

それから4日後、じいちゃんは息を引きとりました。
じいちゃんが死んで、私はうまれて初めて息が出来なくなるくらい泣きました。
じいちゃんが死んで遺品の整理をしていると、昔の写真を見つけました。
戦時中、軍服を着てビシッと立っているじいちゃん。
ほんまに色男だったんだね。。

じいちゃん、娘に近所の洋品店で買ってくれた服、ださいから。なんて言って
一度も着せてあげなくてごめんね。次もし結婚して子供ができたら着せるからね。

いつでも味方でいてくれてありがとうね。

娘も1歳5ヶ月になったよ。

お盆には一緒にお墓参り行くからね。

.
【38】

RE:愛すべきおばぁちゃん達  評価

ケンタロウ (2006年11月26日 06時20分)

K様、はずめまして。

折角の機会ですので絡んでください(懇願)

「ふぃばーちゃん」といえば、プレミアム予告が思い切りはずれた機種と記憶していますが・・・

違っていたすいま千円。

「う○ち」とか出てきて、ものすごく「下品」な機種だったような・・・



【37】

RE:愛すべきおばぁちゃん達  評価

ケンタロウ (2006年11月26日 06時16分)

ばあちゃんは大好きです。

墓参りも欠かしま千円。

お盆だからとか関係なくね。

何かに「迷ったとき」とか「無性に腹が立ったとき」など、必ず墓参りします。

墓前でばあちゃんと話をします。

なんだか「あったかい」気持ちになって帰ることが出来ます。



【36】

ばあちゃんネタ(ちこっと涙)  評価

ケンタロウ (2006年11月26日 06時11分)

ばあちゃんは「彼」が小学生のときに半身不随になった。

半身不随でも片足を引きずりながら、毎日散歩に「彼」の家まで来て、30分ほど世間話をして帰るのが楽しみだったようだ。

「彼」も家にいるときはばあちゃんの他愛のない話に付き合っていた。
そう「彼」は、ばあちゃん子だった。
ばあちゃんが大好きだった。

彼が高校生のとき、いつものようにばあちゃんが遊びに来た。
しかし、彼はこのとき予定があった。
当時付き合っていた彼女とのデートだ。
ばあちゃんと話をしながらも、「早く帰らないかなあ」と心の中で思っていた。

ば「もうお昼だね。」
彼「そうだね。そろそろ帰る?」
ば「そうだね。また午後に遊びに来るよ」
彼「またあ〜・・・・」
ば「・・・・・・」

ばあちゃんは今まで見せたことも無いような戸惑いの表情をみせた。
彼も言ってしまった後、ものすごく後悔した。

その後、ばあちゃんは来なくなった。

ばあちゃんにとって彼は初孫だった。
ばあちゃんは彼が小さい頃、毎日おんぶして散歩してくれたらしい。
ばあちゃんは彼が小さい頃遊びに行くと必ずお菓子をくれた。
ばあちゃんはお年玉を毎年一番多くくれた。
ばあちゃんも彼のことが一番かわいかった。

なのに、なのに・・・

取り返しのつかない「一言」を彼は言ってしまった。

彼も大学受験を考える歳になった、高校3年の夏。
じいちゃんが死んだ。

当然、ばあちゃんは悲しんだ。
ちっちゃいばあちゃんが、さらにちっちゃくみえた。

半身不随で体の弱かったばあちゃんは、精神的にがっくりきたらしい。
寝込んでしまった。

しかし、彼の「大学受験」を常に心配していた。

じいちゃんが死んだことで、大学受験に失敗したらと・・・(関係ないのに)

病院のベットでも彼のことをいつも聞いていたらしい。
「勉強はうまくいっているか?」
「じいちゃんのことで落ち込んでないか?」
「風邪などひいてないか?」

彼は大学に合格した。
第一志望ではなかったため、入学するか、浪人するか、迷った。

しかし、彼の合格を聞いたばあちゃんはものすごく喜んでくれた。

彼は入学することに決めた。

大学入学後の5月にばあちゃんは死んだ。

最後まで、彼の大学合格を喜んでくれていたらしい。

死ぬときも満面の笑みで・・・

ちょっとはあのときの言葉を帳消しにできたかな?



【35】

RE:愛すべきおばぁちゃん達  評価

元パチプロK (2006年11月26日 00時38分)

そうだ。

BARちゃんを粗末に扱ったらいけん。


そうそう、昔、「ふぃばーちゃん」というデジパチがありまして。
確率は240分の1ぐらいで、何の絵柄で当たっても150回転の時短がつくという、それはそれは甘い台だったんですよ。
【34】

ご挨拶  評価

肥後っち (2006年11月25日 20時49分)

ふくちょ。です

トピ主に失礼と思い、HN登録しました。

今後ともよろしく。
【33】

愛すべきおばぁちゃん達  評価

たいちょ。 (2006年11月25日 19時01分)

なぁなぁオマイラ突然でなんだけど

おバァちゃん好きか?



あたしはおバァちゃん大好きだぉ♪

優しいし、あったかいし
自分の事ほっといてでも子供達や孫達のことを
いつも考えてくれている。


今回はそんな「おバァちゃん」にスパッツを…





履かせて躍らせてみ…

 ♪ ∧,_∧
   (´・ω・`) ))
 (( ( つ ヽ、   ♪
   〉とノ.)))
  (__ノ(_)


てどうすんねん!!1!



ぢゃなくて、スポットをあててみました。

3部作になってますのでよろしくど〜ぞ♪




【↓ ↓ ↓まず読んでみる↓ ↓ ↓】
【32】

愛すべきおばぁちゃん達(1)  評価

たいちょ。 (2006年11月25日 18時47分)


とっくに亡くなった祖母のこと。

夏に実家に帰った時、祖母が私に「どなたさんでしたか」と聞いた。
痴呆症が進行中で、たまにしか帰省しない私を認識できないよう
だった。名前を言っても「ほう、遠いところからそれはそれは」と
お客さんに対するような口ぶり。

2〜3日の滞在中、とうとう思い出してもらえなかった。
寂しい気持ちで「じゃ、行ってくるから」と声をかけると、祖母は
ちょっと待って、と合図して立ち上がり、自分の部屋へ手招きした。
箪笥の引き出しから取り出したのはくしゃくしゃのチラシに包まれた
薄い物。とめてあるゴムが劣化してくっついている。「あけていい?」
チラシを開くと、旧札で3000円入っていた。
かなり前に包んだ物のようだった。

「おばあちゃん、私はいいからなんか好きなもの買いなよ」
「いいから。○○くんと△△にでも行って来なさい」

○○くんは高校時代に私がつきあっていた男の子、△△はとっくに
潰れた喫茶店の名前。
当時両方の家からつきあうのを反対されてたけど、おばあちゃんだけは
○○くんとの話をにこにこしながら聞いてくれてた。


帰りの飛行機の中で、チラシをにぎりしめて泣いた。




【↓ ↓ ↓もっと読む↓ ↓ ↓】
【31】

愛すべきおばぁちゃん達(2)  評価

たいちょ。 (2006年11月25日 18時44分)


糖尿病を患ってて、目が見えなかったばあちゃん。
一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。
思えば、小さい頃の記憶は殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母が仕事で家に居なかった為)。

一緒に買い物行ったり、散歩したり。
だけど、ばぁちゃんが弱っているのは子供だった私でもわかっていた。

高校に入ると、友達と遊ぶほうが多くなっていて、ばあちゃんの家に行くことが少なくなっていた。
たまに行くと、「さぁちゃんかい?」と弱々しい声で反応してた。
もう、声だけじゃ私だってわからなくなっていた。
「そうだよ、さぁちゃんだよ。ばーちゃん、散歩行こうかー?」
手を取って、散歩に行ったけれど、もう昔歩いた場所まで、ばぁちゃんは歩けなくなっていた。
それから、あまりばあちゃんの家に行くことは無くなってた。

暫くして、母さんから「ばぁちゃんがボケちゃったよ」と聞いた。
誰が誰だか、わからないんだって。
私のことも、わからなくなってるらしい。
なんとなく、覚悟は出来ていた。けれど、悲しかった。

それから。
半年くらい過ぎた頃。
ばぁちゃんが死んだっていう報せが届いた。
泣くこともなく、通夜、葬式が終わった。


葬式が済んだあと、私は叔父に呼び出された。
叔父はばぁちゃん達と最後まで暮らしていた人だ。

「箪笥の中にな、『さぁちゃんの』っていう封筒が入ってたんだよ。」

そう言って、私に封筒を手渡した。
ばぁちゃんの字で、さぁちゃんのって書いてあった。
中身は、通帳だった。私名義の。
二十万ほどの預金が入っていた。
働いてないばぁちゃんが、こつこつ貯めたお金。

そういえば、昔、ばあちゃんが話していた。
「さぁちゃんが結婚するときのために、ばーちゃん頑張ってるからね。」
「だから、ばぁちゃんにも孫抱かせてね。」

その夜、初めて泣いた。

ばぁちゃん。
あれから5年も経っちゃったけど、さぁちゃん、来年結婚するよ。
孫抱かせてやれなくてごめんね。

でも、喜んでくれるよね。




【↓ ↓ ↓もっと読む↓ ↓ ↓】
<  39  38  37  36  35  34  33  32  31  30  29  28  27  26  25  24  23  22  21  20  19  18  17  16  15  14  13  12  11  10  9  8  7  6  5  【4】  3  2  1  >
メンバー登録 | プロフィール編集 | 利用規約 | 違反投稿を見付けたら