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【11】 | RE:他人のために生きてるアルか? カンパチ (2015年12月06日 17時35分) |
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黄金水騎士。さん、こんばんわ。 「これから、考えてみようと思います」 と書いちゃいましたけど、 サルですまんさんのレス【3】が、完璧な答えになってると思います。 >【他人のために生きてるのか】 誰か、哲学者が言ったらしいのですが、 「人は、食うために生きるのではなく、生きるために食うのだ」 たいていの人は、これを、「言葉遊び」だと思うらしいですけど、 僕は、真実だと思います。 なぜ、真実だと思うのかを説明します。 人間を含めて、地球上に存在するすべての生命体に問うことのできる、究極の質問があります。 「あなたは、なぜ、生まれてきたんですか」 この質問を、ライオンしても、シマウマにしても、サクランボにしてもいいです。 彼らが、言葉を持ってれば、の話ではありますが。 もし、彼らが言葉を持ってれば、こう答えるしかありません。 「さあ〜?」 もし、さらに言葉をつづけるとしたら、こうなるしかありません。 「生まれちまったんだから、しょうがない。生きるしかない」 なので、こう答える者はいないでしょう。 「アタシ、生まれるつもりはなかったから、死ぬわ」 なぜ生まれたのか、誰にも分からない。 極論すれば、地球という奇跡の惑星のいたずら。 すると、先ほどの哲学者の言葉 「人は、食うために生きるのではなく、生きるために食うのだ」 となります。 これを普遍化するとこうなります。 「人は、○○のために生きるのではなく、生きるために○○するのだ」 これが結論です。 ところが、人間は、「○○のために生きるのだ」と思いたいのです。 即ち、自分が生きているということに、何らかの「意味付け」をしたいのです。 自分が生きていることは、無駄ではない、と思いたいのです。 では、自分が生きていることは無駄ではないかどうかを、どうやって判断するのか。 自分では判断できません。 「他人」に判断してもらうしかありません。 サルですまんさんがこうおっしゃってます。 >多くの人は『他人に認められたい』という欲求を持っている。 >そして、それを誰かに認めてもらえるというのは、やはり。喜びを感じてしまう。 > >誰かのためにしていると思われる行為も、振り返ってみれば(冷静に考えれば)、自分の為にやっているのだと。言い切ってしまうと語弊があるのかもしれないが。結果として『誰かのためになっている』という事実もある。 (なんだか、まるで、神の言葉みたいですね。 神はこう述べられております、みたいな)。 その通りです。 『他人に認められたい』という欲求のことを「承認欲求」と言います。 サルさんは、「承認欲求」という言葉をご存じだろうと思います。 僕は、この「承認欲求」というものが、人間に、幸福と不幸を同時にもたらしている、と思います。 とりあえず。 |
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【12】 |
黄金水騎士。 (2015年12月08日 08時24分) |
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これは 【11】 に対する返信です。 | |||
カンパチさん、おはようございます。 なるほど、納得しました。 【承認欲求】 ふふ・・・たまには他のかたのトピに書き込んでみるものですね^^ 哲学的なこと、大変勉強になりました。 私、すごく哲学に目覚めてきたような気がします。 編集:よく読み返してみると・・・なんとなく、なんとなーくですが下ネタっぽくなってたので消しておきます。 主さん、皆さん、ありがとうございました。 |
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