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【354】

☆*:.。:*★母の日SP(7)★*:.。:*☆

たいちょ。 (2007年05月03日 13時12分)

   「沖縄に行かない?」


いきなり母が電話で聞いてきた。
当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。

「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」

「今大事な時期だから。就職決まったらね」

「そう・・・」
母は残念そうに電話を切った。
急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。


それから半年後に母が死んだ。癌だった。
医者からは余命半年と言われてたらしい。

医者や親戚には息子が今大事な時期で、
心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。

父母俺と三人家族で中学の頃、
父が交通事故で死に、パートをして大学まで行かせてくれた母。
沖縄に行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。

叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には


「今日は沖縄に遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。
すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。


自分は大きくなったらお金を貯めて父母を沖縄に連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。

そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。

自分は母が電話をしてきた時、
どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・
涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。

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☆*:.。:*★母の日SP(8)★*:.。:*☆  評価

たいちょ。 (2007年05月03日 13時15分)

もうずいぶん昔だけど俺が大学生の頃、母が突然入院した。
癌らしくて、余命宣告も受けたって母の口から直接聞いた。

あまりにもあっさり言うもんだから、最初は冗談かと。
芯の強い人で、だれからも好かれる自慢の母だった。

大学卒業して、就職して、それで給料もらえるように
なったら母にやっと恩返しが少しずつできるようになるって、
勉強も俺なりにがんばってた。
愛情を注いでくれた母にお礼がしたかった。

でも、俺が卒業する前にきっと母は死んでしまう。
いっぱい恩があるのに、何一つ返せない、
きっとこのまま母が死んでしまったら俺は一生後悔する、
ごめんって母の前で一度だけ大泣きした。

その時もあっけらかんとして俺にこう言った。



「あんた、どれだけお金持ちになるつもりか知らないけど、
産んで育ててもらった恩をお母さんが生きてる間に返せるわけないでしょ。
 お母さんもあんたのおばあちゃんとおじいちゃんが生きてる間に恩返し
 できたなんて思ってない。
 あんたが健康に育ってくれた、それで半分恩返ししてもらった。
 あとの半分は、いつかあんたに子供ができた時、その子に返してあげなさい。
 お母さんは今やっとおばあちゃんとおじいちゃんに恩返しできたよ。」



そう母が言ってくれたとき、救われた気がした。
もう長くない母に、何かしてやりたいのに何もできないって毎日モヤモヤしてたから。
結局大学を卒業する前に母は死んでしまった。


今やっと一人前になって、結婚して、嫁が妊娠中です。
今年の冬には残りの半分、少しずつだけど返していけるようになる。

絶対に世界で一番幸せな子供にしてやろうって思う。
それは俺が母に愛されていたことの証で、
我が家に代々伝わってきた愛情のリレーなんだと思う。

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