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【201】

★お父さん★(2)

たいちょ。 (2007年02月03日 17時48分)
卒業間近になって、大学院を勧めてくれる先生がいたけど、
早く就職して親に仕送りしてあげたいと思ってたから、断った。


そのころ、たまたま東京の親戚が亡くなって、東京に両親が来た。
何を思ったか研究室にまで押しかけて来ちゃってさ、
先生に御礼なんか言ったりして。
そうしたら先生が余計なこと言い出しちゃって、
大学院を親に勧めるのよ。

親父またまた喜んじゃって…
「なんで断ったりするんだ!」なんて叱られちゃったりして。

結局、大学院にも進ませてくれた。
同じ大学の大学院に行くときも入学金って必要なんだよね。
毎月の三万円積み立てから25万円出した。
初めて仕送りを使った。


大学院に行ったら、研究で食っていけるかな?なんて思い始めて、
学振の特別研究員に受かった(月に20万も給料が出る)こともあって
、修士終わってから博士課程に進むことにした。

博士になったら学生なのに仕送りができる!
って内心かなりうれしかった。



修士論文を提出した日。
初めて母親から研究室に電話。

「どうしたの研究室に電話なんかして。
 修士になったよ。次は博士だぞ。」

「あのね、お父さん、ここ何日かずっと調子悪いって言ってて、今日胃カメラ飲んだの。
 写真見せてもらったら、ものすごい状態だった。」って。
末期の胃ガン。
背中の方に向かって進行していたから、食欲も衰えずに気づかないことがあるらしい。


目の前真っ暗。
頭の中真っ白。


「そんなわけないだろっ!!」って大声で叫んでしまって、
同じ研究室の学生に「どうしたんですか?」って。

〜つづく〜
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【202】

★お父さん★(3)  評価

たいちょ。 (2007年02月03日 17時54分)

医者に電話したら「一日でも早く手術しないと」って話で、
友達にお父さんが医学部の教授ってやつがいて、そいつに頼んで
「消化器ガンなら日本一」って先生を紹介してもらった。

三日後に入院して七日後に手術。
胃全摘、脾臓全摘、膵臓半分摘出の大手術。


手術の前の晩、親父と二人で人気のない病院のロビーで、手術のこと話した。
地元の病院で撮った胃カメラの写真を見て、自分の病気はよく知っていた。
どんな状態かも知っていた。
でも「悪いところ取って、ようやく第二の人生だな」と笑って言っていた。
明るい親父に家族はどれだけ救われたことか。


手術が終わって、先生に摘出した臓器を見せてもらった。
金属製のバットに山盛り。
こんなに取っても人間は生きられるのかって思った。
先生は「取れるところはすべて取りましたよ。
 後は抗ガン剤で転移巣をやっつけます。」と言っていた。
でも、手術後少ししてからずーっと背中に激しい痛み。
抗ガン剤も効果はいまひとつ。
俺と妹と母親と、親戚の家から毎日病院に通って交代で
夜通し付きっきりの看病。
妹は50kgから30kgに激やせ。


もう痛みが我慢できないと言うので、真っ赤なモルヒネ錠剤を
経口で投与して痛みを抑えてた。
モルヒネが効いているうちはなんとか普通の感じ。
車いすに乗っけて、中庭に連れて行ったりもした。


俺、親父と二人っきりでいたことなんてないからなんとなく気まずくて、
車いすを景色のいいところに押していって、
少し離れたところでぼーっと座ってた。


「近くにいてくれないか」と言われて近くに行ったら、
子供の頃手をつないでもらった時とは比べものにならない
くらい細くなった腕を膝掛けから出して、
しわしわになってしまった手でぎゅっと手を握られた。




二人で声も出さずに泣いた。



明日へつづく
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