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【186】

RE:≪マリー・ルイーゼ≫

ホヤ (2017年07月25日 00時24分)
すまん。何が言いたいのか良く分からないw
黒糖飲み過ぎっしょw

日本とフランス比べられてもなぁ・・・
違う人種だし。

外人が日本人と同じ思考とか思ってるヤツはバカ。

人種により色々な考えがあるし嗜好もある。

まずそこ前提ね。 だから、日本史と海外史を比べても何の意味も無いのよ。

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【193】

RE:≪マリー・ルイーゼ≫  評価

☆カンパチ☆ (2017年07月30日 14時35分)

>人種により色々な考えがあるし嗜好もある。

>まずそこ前提ね。


うん、それは大事な前提。

日本人同士でも「こいつ、宇宙人か」と思えるくらい、
考え方は違うもんね。

例えば、きれい好きな人とそうでない人。

人によって、「きれいな状態」というのは受け取り方が全く違うので、
ある人にとって「きれいな状態」が、別な人にとっては「とっ散らかってる状態」に見える、
ということは良くあります。

仮に、この二人が同居したら、毎日がケンカです。
ケンカしたくないのなら、
どちらかが諦めるか、妥協点を見出すか、別居するか。

これは、人種間、民族間でも言えることだし、
イスラム教徒とキリスト教徒の間でも言えることです。


>だから、日本史と海外史を比べても何の意味も無いのよ。

それは違うと思います。

まず、日本の歴史は、日本だけで展開してきたのではなく、
世界の歴史に組み込まれつつ、独自な展開もしてきた、
と考えるべきです。

例えば、何度も取り上げている、幕末維新は、
イギリス、フランスをはじめとする市民革命、
及び、市民革命を思想的に支えた、いわゆる啓蒙思想の影響を受けています。

小学館「日本の歴史第23巻」から引用します。


慶応3年(1867年)6月22日、
土佐の後藤・福岡・坂本・中岡らと、
薩摩の小松・西郷・大久保らとの間に締結された
「薩土盟約七か条」の趣旨は、次のようなものであった。

(1)「制度一新、政権を朝廷に帰し、諸侯会議・人民共和」を国体の基本にする。

(2)徳川家は将軍職を辞して政権を奉還し、諸侯に列する。

(3)「制度・法則いっさいの万機は京師の議事堂より出す」

(4)「議事院(堂)は上・下二院とし、上院議官である諸侯のほか、公卿から陪臣・庶民に至るまで材を選挙して議官とする。

(5)外国との条約は、改めて朝廷の衆議によって道理明白に締結する。


これを見れば、一目瞭然。

人民共和、議事堂、二院、選挙、衆議、議官(=議員)など、
江戸時代にはあり得なかった用語が、ずらりと並んでいます。



また、薩土盟約七か条締結の前、慶応2年(1866年)6月、
坂本龍馬の「船中八策」には、

「古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典(憲法)を選定すべきこと」

とあります。


幕末維新のリーダーたちが、実は、共和主義者(本来の意味の左派)だったことが分かりますし、
「政権を朝廷に帰し」と「憲法」という言葉が出てくるところを見ると、
立憲君主制を目指していたと思います。


彼らの考え方は、
日本の歴史が世界の歴史の中にあって初めて成り立っていることを示しています。

「日本史と海外史を比べても何の意味も無い」
などとは、言語道断。

海外史を知らずして、日本史を語るなかれ。
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