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【172】 | コピペ 46‐1 母親との思い出 真比呂 (2009年03月20日 05時33分) |
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14 :大人になった名無しさん :03/12/06 19:19 15年前に逝っちまった。 誕生日に10円玉と四つ葉のクロ-バ-あげたの この間出てきて… ○○の(俺)思ひ出って書いた封筒に入ってた (/o\)オ-ンオ-ン 甦る記憶。小4位だ。 25 :大人になった名無しさん :04/01/12 21:03 死んだ母が入院する前の日の夕食、何を作ってくれたっけ・・・ もう忘れちゃったよ・なんでだろう・・・ これが最後の夕食だって思いながら食べたのに あの日、末期がんだって知ったんだよな・・・ 26 :大人になった名無しさん :04/01/12 22:47 突然、弁当作って近所の公園に連れっててくれた。 いつも来てた所だから何でだろ、って思ったけど。 「友達はみんな家族で旅行や遊園地に行ってるよね。家にお金が無くて 連れてってやれなくて本当にごめんね。今はこんな近場でピクニックしか できないの。ごめんね。」と弁当食ってる時に言ってたの思い出した…。 何か自分の母親の話なのに泣けてきた…。 俺、マジでそんな事何も気にしてなかったんだよ、母さん…。 28 :大人になった名無しさん :04/07/27 04:28 うちの母はわがままで、天然バカで、だらしなくて、すごく嫌いだった。 反抗期なんかとっくに過ぎた高3の頃でも本気で、 ママがいなければと思ってた。 お母さんってすごいよねって尊敬できるような母親が欲しかった。 去年、実家に帰った時に大喧嘩をした。 私が必死で働いて買ったプレゼントを「安物でしょ」と言って笑ったから。 傷つけようとして言ったんじゃない。天然なんだ。 そう思ったけど、わかってた分、頭にきた。 私が少し怒鳴ったらママもキレて 部屋に閉じこもってご飯も用意しなかった。 私が話し掛けても見向きもしないので、メールだけ入れて 言葉も交わさないまま、私は東京に戻った。 2日して、メールがきた。 「悲しい思いをさせてごめん。あなたがママを嫌いでも、あなたは ママたちの初めての子供だから、ママは可愛くて仕方ありません。 だから、少しくらいはママのこともわかってね。」 今は、そのバカぶりも笑って過ごせるようになりました。 ママごめんね。 |
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【173】 |
真比呂 (2009年03月20日 05時34分) |
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これは 【172】 に対する返信です。 | |||
36 :大人になった名無しさん :04/04/08 20:47 数年前、母が若い頃使っていた化粧品やら香水の入ったダンボールがあり、 その中にいくつか手帳のような物も混じってたのを発見した。 その頃の私は母に暴言浴びせたりするような反抗期真っ只中で、 もっぱら喧嘩の最中だったりして、 「ちきしょー見てやるっ!」とか思い勝手に見た。 それは、私の生まれる前・生まれた後の事をつずった 日記のようなものだった。 私は赤ちゃんの頃・幼い頃は体も弱かったため、その事についても 詳しく書かれてて・・・ いつ熱が出たとか、嘔吐したとか、医者に言われたこととか。 また、私はイジメられっ子だったので、そういった事についても書かれてた。 私が今まで知らなかった母の苦労や、優しさを感じて、 思わず顔をくしゃくしゃにして泣いてしまった。 わがままな事ばかり言ってる今の自分が愚かだなって思ったよ。 ケンカもたまにはするけど、これからも元気でいてほしい。 37 :大人になった名無しさん :04/05/09 21:57 生まれた時から心臓に欠陥があった私。 色々苦労させましたね、お母さん。 6回の手術のうち初めての手術の時、長かった入院生活は お母さんを独り占めできて、ある意味嬉しかったよ。 今でもあの時の事を思い出すと涙が出てくる。 どんなに心配させたかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 病院の裏の芝生で、2人でお弁当を食べたのを憶えてますか? もうあれから30年以上経ったんですね。 今は年に数回しか会えないお母さん。 いつも私のワガママを聞いてくれて、何でもさせてくれた事に感謝してます。 会うたびに「こっちに住みなよ」と言ってくれるけど、 未だにワガママな私は一人住まいをしていて、 こんな年になってもまだ心配させてごめん。 本当は私もお母さんと一緒に暮らしたいよ。 朝、目が覚めた時、お母さんがいてくれたらどんなに嬉しいか・・・。 近々、また手術を受けることになるかも知れないけれど その時には一緒に暮らそうな。 そっちで仕事見つけて、今度こそ恩返しするからな。 それまではお父さんと元気に暮らしててな。 私が帰るまで待ってて下さい。 39 :大人になった名無しさん :04/05/10 16:05 痴呆の末に亡くなった母の遺品を整理していた。 幼い頃見覚えのある着物、編物の道具。 そういえば着せ替え人形の洋服を編んでくれたりしたっけ。 よくあんな小さな洋服を・・・。 そして古ぼけた大学ノートが数冊。 若い頃の母の日記だった。読み進むうちハッとした。 母は若い頃に子宮の病気をしていた。 「神様。お願いします。子宮を取らないで下さい。 わたしは子どもを産んでみたいのです。 自分の子供にお乳を飲ませて抱いてみたいのです。 だから、どうか神様、赤ちゃんを産ませてください」 そして数年後身ごもった子供がわたしだったのか・・・。 亡くなる少し前には、何かを食べさせてもボロボロとこぼす母に苛立ち 母のオムツを替えるのだって内心めんどうに思っていた自分。 ごめんね。ごめんね。ごめんね。 こんなにも大切に産み育ててくれたのに私は・・・。 古ぼけた写真の中の母は微笑んでいる。 「いいのよ」って言ってくれているんだろうか。 もう一度会いたい。 |
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