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【6692】 | RE:ザイルの裏街講座(兄弟盃) カンパチ (2013年02月06日 05時03分) |
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のほザイル♪さん >きっとその爺さんは >「老い先長く無いので、あんたと二度と逢うことはなかろう。 >しかし、来世で逢ったらゆっくり一献やりたい」 >との思いだったのでしょう。 僕も、水盃については、調べまくったけど、戦場で、戦闘前夜に、日本兵が酌み交わした水盃と、ヤクザのそれとは、緊迫感が違うと思いますよ。 『靖国で会おう』が、彼らの合言葉でした。 戦場という極限の場で生まれた友情の証、それが、水盃。 |
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【6704】 |
のほザイル♪ (2013年02月06日 10時02分) |
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これは 【6692】 に対する返信です。 | |||
☆カンパチさん >僕も、水盃については、調べまくったけど、戦場で、戦闘前夜に、日本兵が酌み交わした水盃と、ヤクザのそれとは、緊迫感が違うと思いますよ。 緊迫感・・・の違いで 比較されると、どうも・・・・ 私はカンパチさんとその爺さんが 交わした「水盃」について 私なりに書いたつもりです。 >『靖国で会おう』が、彼らの合言葉でした。 戦場という極限の場で生まれた友情の証、それが、水盃。 カンパチさんがお調べて、その結論ならそれで。 私は若いとき、体調の許す限り8月15日の靖国参拝をしてきた 人間の一人です。 >『靖国で会おう』が、彼らの合言葉でした。 確かに「そういっていた」のも「事実」でしょう。 ただし、私も復員兵から(大概は極道)から聞きとりしましたが 「死ぬときゃ、みんな肉親の名を呼んで死んでいった。 『靖国で会おう』なんていって死んだ奴の話は聞いたことがない」 これも私がしらべた「事実」です。 |
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