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【1438】 | RE:みなさ〜ん♪ MMD (2006年10月07日 11時04分) |
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>ですんで羽根モノはかなりの種類打ちました。当時は定量一回終了でしたネ。3〜4000発かなぁ? ワスがデビューしたころには、手打ちの台はありませんでした。(若さ強調、でも どんぐり か?爆) 当時、奥村だったと思うのですが、「パンドラ」と言う台がありました。 フィーバーのアタッカーみたいなのが、台中央下部にあり、左右のチャッカーに玉が入ると、一瞬開きます。 当たりに玉が飛び込むと、アタッカーが「パカパカ」して、10個入ると終了。 今考えると、アフォウな台なんですが、ワスの中では名機ですね。 当時は、ビッグシューターと弁慶が好きでしたね。 すでに、導入されて時間がたっていたので、役物のクセがすごくあって。 そのクセをいかに打ち方でカバーするか。 まともに打っても当たらないので、ゴム打ち(ハンドル前回で、右上部のゴムの反動を利用)したりね。 中には、バネが弱っているのか、一度羽根に玉が乗ると、玉の重みに耐えられず、開きっぱなしになる。 その数秒間にいかにたくさんの玉を役物内に滑り込ませるかが勝負の鍵で、「Vゾーン」に玉を入れて純粋に大当たりを楽しむより、拾いだけで玉が増えてましたね。(爆) その後は「一発台」や「権利物」ばっかりやってましたね。 デジタルもいいですが、時代の流れに逆行して、純粋な役物で楽しませる台が出ればねぇ。 (確か法改正があって、ダメになったような?) 当然ゴト師や攻略法も蔓延するでしょうが、あの「胡散臭い」時代のパチンコ屋が大好きですね。 と、昔話をしてみました。おしまい! |
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【1439】 |
ガイド (2006年10月07日 12時26分) |
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これは 【1438】 に対する返信です。 | |||
やあ♪ ビッグシューターや弁慶のころというとすでにテンカウント規制後ですナ♪やっぱこうして時代背景を みると年齢の違いを感じるの〜ww オイラは三共と西陣の台が好きでした♪ヤクモノもですがバネの玉ブレが少なかったです。 学生プロのオイラ(おとん・おかん馬鹿息子を許せw)にとっては狙った所に玉がとぶかどうかは大事 でした♪ある意味生活がかかってたもんで(苦笑) 三共の『ギャラクシィ・ダイバー』、平和の『ゼロ・タイガー』、三洋の『グラマン』、 京楽は『ファントム???』みんな楽しかったなぁ♪資金も2千円ぐらいあれば御の字だったしネ(^^) 当時のスロスペースは別世界でしたww 堅気の人はいたのか?というような雰囲気が漂ってましたネ♪ 床にはコインが包まれてた紙が散乱してて、暗い店が多い今よりず〜っとヤバイ感じだったような(爆) さてと暗〜い店にでもいってくるかにゃ(^^)/~ |
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