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隠れプロレスファンは意外と多い  評価

五右衛門座衛門 (2018年09月26日 20時53分)

第5回
プロレスとわたし(1)




◆プロレスサミット

テレビ朝日系列のゴールデンタイムでワールドプロレスリングが中継されていた時代、どちらかと言うと僕は日本テレビ系列のプライムタイム放送の全日本プロレス中継を観ていました。

確かあの時はバブル最盛期で、多額の資金を投入してアメリカのWWFを招聘した一大イベントがありました。プロレスサミットと称して新日本・全日本・WWFが合同となって東京ドームで一夜祭を開催していたと記憶しています。

その中で印象に残ったレスラーは、ハルクホーガンとランディサベージ。ゲーセンのアーケードゲームでWWFがあったのですが、その頃プロレスサミットの影響を受けて、ずっとランディサベージを愛用していた事を思い出します。

決めたら気持ち良かったなぁ…ダイビングエルボードロップ。



◆ドロップとアタック

その後、全日本プロレスは選手の大量離脱があって駒不足の最中、2代目タイガーマスクがマスクを脱ぎ三沢光晴となって若きエースまで上り詰めるのですが、僕にとっての三沢の心象は「新世代の旗手」ではなく「エルボーの貴公子」でした。

ランディサベージが「ダイビングエルボードロップ」ならば三沢は「ダイビングエルボーアタック」。

カンタンに言うと前者が寝転がってる相手にエルボーを落とすならば後者は立っている相手にエルボーを叩き込む。技術的には明らかに後者が難しく、受ける側にも相応の技術が無いと成立しないという、とても見栄えの良い技でした。

少年ゴエモンは親に隠れてひっそりとテレビにかじりつきながら(当時小学生でまだまだテレビを見すぎると怒られる時代でした)思うのです。

「早くゲームにならねーかな」…と。

そしていざゲーム化になると気付くのです。

「ダイビングエルボーアタック…むずい…」。



◆ゲームの存在

1990年代のプロレスブームを支えるのは大きく分けて3つの柱でした。

・「テレビ」
視聴率は最盛期から大きく下がるもののまだゴールデン帯で放映されていた

・「興行(大きなイベント)」
先に挙げたプロレスサミット、PRIDEなど格闘技色の強い異種格闘技戦など

・「テレビゲーム」
空き地や校舎でふざけ合ってた時代とは変わり、より憧れを仮体感しやすくなった

大人は…  テレビ→興行→ゲーム
子供は…  ゲーム→テレビ(これが→興行まで行く子供だと本格的なファン化になる)

時代に応じてインプット・アウトプットの形式は変わる訳ですが、この時代から形式の多様化が始まったように思えます。


(続く)
【8】

アメリカ横断ウルトラクイズ  評価

五右衛門座衛門 (2018年09月20日 10時25分)

第4回
「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」

放送期間  全17回、1977年〜1992年・1998年
出演者  :  福留功男、福澤朗


「ニューヨークへ行きたいかー!」
「罰ゲームはこわくないかー!」
「ニューヨークへジャストミート!」


◆子供心をくすぐったウルトラクイズ世界紀行

最近YouTubeでも各大会映像がアップされているので改めて見直したのですが…やっぱり面白い。

幼少時代を思い返してながら観たのですが、独りで家にいる時に何気なくテレビで目に留まったのが第9回大会でした。

この時はニューヨークは決勝戦の地ではなくあくまで通過チェックポイントの一つ。

子供心にも「ニューヨークへ行きたいかー!じゃないの??」と思ったのと同時に、何となく大人の事情というのが伝わって来ました…。それでも、じゃあ次は何処に行くのだろう?何処まで続くのだろう?というワクワク感を感じて観ていた事を思い出します。

この大会はロンドン〜ドーバー海峡〜パリまで続くのですが、アメリカ横断を端に世界紀行を行うウルトラクイズの始まりでもありました。

10回大会では南北アメリカ2ルート選択式、12回大会では南北アメリカ縦断、13回大会ではオーストラリア上陸など。


◆旅を通じて人生の教訓を得る様を映すドキュメンタリー

最後まで残った者だけがマンハッタンの夜景を堪能出来る。生き残り競争と世界紀行がセット。沢山の喜怒哀楽、人生の教訓と二度と見れないであろう景色があった事でしょう。

Mr.ウルトラクイズと呼ばれる福留功男氏、その後を継いだ福澤朗氏は「ウルトラクイズ世界紀行のツアーコンダクター」として番組内でカリスマ性を発揮してました。時に厳粛なクイズ出題者、時に教訓を伝える人生の先輩、世界各地の名所の道先案内人。


◆時を経ても変わらないインパクト

ネット普及に伴いプチ世界紀行気分を感じる事が容易く出来るようになりましたが、ウルトラクイズのダイナミックさはネットでは無理でしょう。ゴールデンタイム放送のテレビ番組だからこそ成し得た巨大な視聴者参加型番組。ブラウン管で映る世界で人々の心の琴線に触れる番組だった事は間違いありません。

今の時代においてでも「あったら絶対に面白い番組」だと思うこの頃です。
【7】

マイケルジョーダンを超える存在とは  評価

五右衛門座衛門 (2018年09月06日 07時53分)

スポーツグラフィック・number風に…

第3回
マイケルジョーダンを超える存在は現れるのか?

バスケットボール、アメリカNBAで神格化されているレジェンドのマイケルジョーダンでありますが、2002年に引退してから15年以上経過して世間もようやく彼の後継者議論から話題が離れてきたように見えます。

スポーツエンターテイメントにおいて、ジョーダン程の功績を残したプレーヤーは存在しません。

ペレやマラドーナ、アイルトン・セナやシューマッハ、競技を全世界レベルに知らしめたレジェンドは存在しますが、ジョーダンは「エアジョーダン」を以ってNIKEをナンバーワンスポーツメーカーに引き上げたという、ビジネス面でも世界的に大きな影響を与えた人物であり、他のレジェンドとも明らかに異質の存在なのです。

日本においても、

・エアジョーダンを始めとするバスケシューズブーム
・秋葉原駅前駐車場から始まった3on3フープ
・漫画スラムダンク

まだ日本にNBAプレーヤーが存在しない段階で空前のバスケブームが起こるという凄い状態がしばらく続きました。現存するバスケットボールショップは、ある意味で当時のジョーダンの恩恵をいまだに受けていると言っても差し支えないと思います。

結論を書くと、ジョーダンを超える存在は少なくともバスケットボールからは現れません。彼の功績を受け継ぐプレーヤーとしてコービー・ブライアントやレブロン・ジェームスが居ますが、彼らはあくまで「受け継いだ」だけであり、どう頑張っても超える存在にはなりえません。

【同じスポーツの中でビジネス的側面も含めて全世界レベルで競技普及を起こすプレーヤーは二人と現れない】

これが真実だと個人的に思います。

それでももし仮にジョーダンを超える存在がバスケットボールから現れるとしたら…それはもう地球外生命体ぐらいしか…。
【6】

カラダに良い事とは  評価

五右衛門座衛門 (2018年08月28日 13時50分)

生まれ育った国の景色であったり口にする水や食物がカラダに一番良かったりする。家族と共に生きたいと願う気持ちが回復させる事もある。

島民女性が末期ガン患者になり、コトーによって命の期限を宣告されてから、島の人達に支えられて寛解する話がありました。

その時コトーは末期とは何か?医者とは何か?と、島唯一の医師としての重圧から疲れ果てるのですが、ふと観た海が癒してくれます。

コトーもまた島の住民として生きている。志木那島(与那国島)の風景は美しかったです。
【5】

「いつか、奇跡は起こるかもしれない」  評価

五右衛門座衛門 (2018年08月28日 10時37分)

第2回
Dr.コトー診療所

放送期間  第1期2003年7月〜、特別編2004年1月、特別編パート2/2004年11月、第2期2006年10月〜
主演  吉岡秀隆



「人として答えるなら、あなたが生きていると思っている限り奥さんは生きています。
医者としていうなら、あなたが治療を続ける限り やはり
奥さんは生きている。
ぼくはそう思います。
いつか、奇跡は起こるかもしれない。
そこに絶対はないと思います。」

〜コトー(吉岡秀隆)が鳴海医師(堺雅人)に対して、身内の執刀の是非について質問に答える〜







白い巨塔・医龍・コードブルーなど、近年数あるフジテレビ医療ドラマの中で個人的に一番好きな物語。原作も読みましたがまた違う物語だと思います。

ロケ地になった与那国島の自然の美しさや、主題歌となった中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」の壮大さも素晴らしかったのですが、何よりもコトーを演じた吉岡秀隆に惹き寄せられます。

何とも寂しげな背中姿に過疎地医療に臨む医師の孤独感が滲み出ていました。「北の国から」は観ていなかったのですが、子役の頃を知らなくても無問題、寧ろ知らない方が役者・吉岡秀隆を知るにあたり良かったです。
【4】

ようこそ^ ^  評価

五右衛門座衛門 (2018年08月22日 14時25分)

ゆめももさん、お疲れさま^ ^

夜明けの珈琲ありがとう♪
でも夜勤明けなのかな?
珈琲飲んで寝れなくなったりしない??Σ(゜д゜lll)

楽しみだなんてそんな…

ふとエンターテイメントを感じる色々な事を少しずつ書き溜めていこうと思いました。テレビ・ラジオ・ネット・音楽だけでなく思い入れのある人とか。昔からなのですが割とそういうのに想いを巡らすのが好きなんですね^ ^
(結構ノリノリじゃねーか)

ゆる〜くねっ。
リアルネタはほどほどにしつつ(笑)

またアチラでもお会いしませう(・∀・)
【3】

夜明けの珈琲タイム★  評価

夢想心 (2018年08月22日 05時27分)


おはようございますぅ♪


(*^.^*)へ

ゴエちゃん.。。見つけたわっ。o○


トピ建ておめでとう.+:。 ヾ(◎´∀`◎)ノ 。:+.

覗くのたのしみぃーーー(笑)

ゴエちゃんの日常もたのしみぃーーー(笑)(笑)



冗談抜きでホント楽しみにしています(_ _*)



激イソのお盆週間が過ぎて
なんだか力が抜けてしまって
仕事から帰ってきてボーッとしてたわ(-ω-;)



こんな時間にごめんなさい(ペコリ)
お祝いだけ伝えたくて……


それではまたねー♪
おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・
【2】

BLにみる木村拓哉とドラマの親和性  評価

五右衛門座衛門 (2018年08月20日 20時49分)

柊二(木村拓哉)は才能ある美容師、京子(常盤貴子)は平凡な図書館事務という職業の設定なのですが、このドラマを振り返るにあたり、よくある日常を演出する為に演者にそれっぽい業種を割り当てただけの事だと今になって気付きます。

素晴らしい脚本と時代にあった配役と色褪せないストーリー、大ヒットは必然だったのでしょう。

一方で、今のような豊かな情報ネットワークが出来上がっていない時代だった事や、木村拓哉が美容師役を上手く演じた事も相俟って、職業希望欄に美容師と記入する若い視聴者層が多数出ました。

この様なキムタク現象は後の「GOOD LUCK」(パイロット役)まで続くのですが、テレビ終焉と言われる昨今、テレビと共に隆盛を極めたジャニーズと木村拓哉は、恐らく事務所最後のスーパーなスターなのかもしれません。
【1】

Beautiful Life〜ふたりでいた日々〜  評価

五右衛門座衛門 (2018年08月20日 14時51分)

第一回
Beautiful Life〜ふたりでいた日々〜

放映期間  2000年1月〜3月
主演  木村拓哉、常盤貴子


「この世は綺麗だったよ。高さ100センチから見る世界は綺麗だったよ。あなたに出会って、私の人生は、星屑をまいたように輝いたんだ。」

-難病の杏子がこの世を去る前に、恋人(柊二)にかけた言葉-







今から18年前、時の木村拓哉と同い年の常盤貴子が演じた恋愛ドラマ。最高視聴率41.3%というモンスタードラマ。

不治の難病を抱えながらも恋に落ちていく京子と、生涯を連れ添おうと決心した柊二。当時でも涙なしには観れなかった小生でしたが、改めて見直してみると更に泣けてくるお話です…。

そこではキムタクの格好良さとか常盤貴子の可愛さとか、そんな事は最早どうでもよく感じて、それよりも命の儚さ・尊さ、当たり前に日常を過ごしていられる事だったり人を好きになっている事に対しての有り難みを感じさせてくれる、そんな名作です。

そこにある瑞々しさは18年経った今でも不変…
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