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【19】

RE:福本伸行好き?

★miya★☆ (2009年10月15日 20時59分)
のんびりしすぎてトピ落ち間近・・・・(笑)

さて、そろそろマジ語りでも。

福本伸行の漫画って、まず「絵」がハードル高いんだよね。特に一般的な女性にはなかなか受け入れられない。
実際私もそうだった(汗)
最初に読んだときは、何の感動もなかったというか・・・。なんてクセのある絵を描くヒトなんだろ〜って印象。
だけど・・・
あるとき単行本でカイジを読んで、ビビっと来るものがあった。
この人の漫画って短いトコだけ見てもダメなんだ。
流れを読んで、それぞれの登場人物の表情や言葉、特にその心理描写に深く入ってみないと真髄が理解できない、ってことに気が付いた。
そう、人の心の奥に巣食う、本人すら無自覚かも知れない感情、深層意識、そんな微妙なモノを、そりゃもう見事にひっぱり出してくる。
そしてそれを言葉にするのがなんとも上手い。
こんなの、生半可な人が真似して描けるものじゃない。

そこに反応しちゃった人たちがまさに福本信者と呼ばれるほどに、夢中になってるんだろうなと思う。
そう、信者なんですよ、まさに。
あの、福本節、一回ハマったらみんな病みつき間違いなし。
「生きる」ということが「鼓動」と連動して熱いまでに伝わってくる。
各漫画の主人公たちが織りなすその世界観が、読む人の心を鷲掴みにして離さない。
私は、その最高峰が「天」だと思う。
生きることに真摯だからこそ、死を選んだ赤木しげるの鮮やかな生き方が、今現世に生きる人に多大なる影響を与えている。
だからこそ、10年経って、今なお増え続けるファンの要望に応えるように10周忌法要まで行われた。
たかがマンガの中の登場人物、では片付けられないからこそ大勢の人が参列した。

赤木しげるという人が、漫画の中とはいえ降臨してくれなかったら、今私はここにこんな文章を書いていない。
わざわざHPまで作ったりしない。
そんなスゴイ人を生み出してくれたことに深く感謝せずにいられない。

福本先生は、赤木しげるは自分の中にないものを持っていて、自分とは違う、自分にとっても憧れる人だと語っているようだ。
けど、私は常々思っているんだが、人は自分の中に存在し得ないパーソナルを表現することはできない。
「それに近いもの」は描けるかもしれないけど、「それ」を描くことができるのは、まさにそういうパーソナルを持ち合わせているからであって、単なる共通項ではないと思う。

福本先生はご自身が謙遜しすぎているようだけど、実際には、特殊なナニカ(能力的なものか、精神的なもの?)を持ち合わせて生まれついているようだ。
でなきゃ、あの赤木の生き様はとてもとても描けない。
ちなみに、「天」の主人公は天だけど、最後のほうはもう赤木しげるはメイン・・・。
天もすっごいイイ男だけど、さすがに食われちゃってる。でも、天なら気にしてないだろうなぁと思う。



長すぎてエラー・・・(爆)続きます

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【36】

RE:福本伸行好き?  評価

★miya★☆ (2009年11月14日 20時04分)

【19】の続き

さて、「天」の中で赤木は自らのアイデンティティーを失うくらいなら、死を選ぶというすさまじい生き方を貫いている。
アルツハイマーによる記憶の喪失や人格崩壊、平たく言えばみっともない生き方になることを恐れているのではない。
ただ、ひたすらに自分の「個としての意思・精神・人格」が失われることを望んでいないだけだ。
人の精神が肉体という限られたものに宿っている以上、肉体より先に精神が失われるのなら、後に残るその肉体は「赤木にとっては必要ない」わけだ。
しかし、一般的にはそれを理屈で理解しても、やはり肉体の死は怖いと思うのが人なのだ。

単行本の最後に福本氏自身が解説がてら記しているが、「天」の最後に入れようかどうしようかと迷って結局入れなかったシーンがあり、それをシナリオ形式で掲載している。
天とひろゆきの、その道すがら語られる会話は、確かに入れても良かったかも知れないし、先生の言うように入れなくても何となく伝わってはいたかも知れない。
(私個人としては、入れてもらっても良かったと思う)

天は最後まであがくように図太く生き抜くと言っている。
そして、それは赤木しげると同じスタンスであるということも。
結局は自分の生を自らで選んでいることに変わりはないのだ。
「生かされている」のではない。「生きている」。
そして赤木しげるにとって「生きている」は自分のパーソナリティが確立されている状態のみを指している。

しかし、現実に生きている人がすべて自分の「個」としての人格をここまで重んじているかというとなかなかそういう人は少ないと思う。
確固たる自分を認識し、それを自らプロデュースして生きてる人なんてそう多くない。
だから、「我慢」するし「妥協」するし、諦めもする。
たとえば、結婚して相手に飽きたからといって簡単に捨てられるものではない。そうすると「妥協」して一緒にいるということはよくある。それは決して悪いことではない。その時々の心境の変化でワガママを通していては社会は成り立たない。
会社に勤めるのも同じこと。よほど相性もよく待遇も申し分ない会社でない限り、辞めたいと思うことは一度や二度ではないはずだ。
それでも、「我慢」は必要だ。
社会の秩序や自分の生活を守るためには、ある程度の規律は必要だし、人はそれを守る必要があるのも確かだ。

しかし、赤木はできる限り自分を軽くして生きていた。
余計なしがらみ、人間関係、金も、責任も重さも。
そういったものを極力そぎ落として生きてきた。
だから、不平も不満も言わない。
おそらくは、アルツハイマーに罹患していることを知ったときでさえ、自分を呪うこともなく、その運命を受け入れ、最後まで自分が自分でいられることを選んだ。
潔いその選択肢。

私は、私をそういう風にプロデュースできるだろうか。
こんなこと、考えもせずに生きてきたけれど、私は本質的に赤木しげるの生き方をコピーしたような生き方をしてきてしまっている。
ただ、ひとつ違うのは、その軽さを今まで何度も後悔していた。
まわりの他の人が持っている「家族」「家」「財産」「多くの人間関係」「親戚づきあい」「長年務めた職場」など・・・そういったものをある意味羨望していたし、ものすごい焦燥感を持ってもいた。

だけど、もう解き放たれて良いのだと、赤木しげるの生き方が気付かせてくれた気がする。
たかが漫画。されど漫画。本当に、救われたと思った。
何も持たずに生きてきた。
これからも何も持たない。
そして何も持たないまま、いつかこの世をさらっと去る。
もしかしたら、それは私が望んできた私の姿なのだとしたら、重たいものを持たなかったことに感謝こそすれ、焦燥感は必要なかったのかもしれない。
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