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【983】 | RE:パチンコやめるぞ!2 サクラ大戦初心者 (2008年09月07日 10時19分) |
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今年は、雨の日が多くて、星が見えませんが、 晴れた日に、山で夜を迎えると、満天の星に圧倒されます。 電気の無かった古代には、夜になると、人々は皆、満天の星を眺め、宇宙ってどうなってるんだろうと誰もが天文学者みたく考えたに違いないと思います。 古代ギリシャ時代に惑星の運行に関しては、すでに、いろいろな学者が研究していて、アリスタルコスは、地球は太陽の周りを公転しているという説を唱えています。 古代ギリシャ時代もガリレオの時代も、天動説と地動説は両方とも欠点があり、甲乙つけがたいものがありました。 地球が太陽の周りを公転しているとすれば、一年間に、すごい距離を地球が移動するので、春と秋で恒星の見え方に違いが出てこなければおかしい。 ところが、これが観測できない。 プトレマイオスの地動説の体系は、惑星の運行の説明に、周転円とか色々複雑なからくりを仮定していて、惑星の運行の計算がメチャメチャ大変ですが、 コペルニクスの地動説ほうも、惑星運動の計算にかかる手間は、地動説と同じで、予想できる精度も、天動説と大差なかったのです。 これでは、天動説と地動説は互角です。 17世紀になって、ティコ・ブラーエは、「地球は宇宙の中心で不動なんだが、全ての惑星は太陽の周りを回っている」というすごい説を出しました。 宇宙の中心にこだわったのは、キリスト協会ではないという説が最近出てきて、教科書の話とはだいぶ違ってきました。 カトリック教会もプロテスタントも宇宙の中心は不浄な場所、地獄であると考えていた。天国は、天球に近いところにある。だから、地球が宇宙の中心でなくても全く問題は無かったというのです。 しかし、そうだとすると、ジョルダノ・ブルーノが火あぶりにされ、ガリレオが宗教裁判にかけられたのは、かなりの特殊要因ということになり、 歴史は、教科書に書かれているような、単純なものではないみたいです。 言葉やストーリーで記述する限り、「真実を述べても矛盾は出るのです」脚色の無い歴史物語など存在しないのですから。 では、なぜ、地球が宇宙の中心だとティコ・ブラーエは考えたのか、彼は、当時としては誰も出来なかったすばらしい精度で長年天体観測を続けました。 そして、その当時の世界最高精度の天体観測結果から言えることは、 地球の公転運動による年周視差は全く観測されない。 という、信じがたい事実です。 恒星を、当時の最高精度で観測する限り、地球は全く動いていないように観測されるのです。 |
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【987】 |
rarara (2008年09月08日 10時45分) |
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これは 【983】 に対する返信です。 | |||
星があまり見えなくなった日本の空。 いつからだろう、夜の闇が不自然になったのは。 エジソンが発展させた人工の光は世の中を大きく変えたが、 同時に、自然の中に不自然な自然を生み出した気がしてる。 進化した人間にとって便利になることは最高の至福、 だけど、人間に残されている本能は、どこかそれを拒否する。 だからこそ、自然で過ごしたいという思いに、私たちは駆られるのかもしれない。 紀元前から始まった天文学。 学者たちの熱意は、静かに人間を地球からその外へ向かわせる。 これこそ、私たちのずうっと前の世代がおそれていた事実なのかも、とふと思います。 宇宙を解明していくこと、それは私たちの進化の手助けにもなるのかもしれないが、 同時に地球を捨て宇宙の人にならんとする、あるいは宇宙に希望を持つことは、 宗教では神への背徳行為、人間としては母なる物を捨てること、そう無意識に感じた人がいたのかもしれません。 異端とされ処刑された人々は、その何かを感じ取られたのかもしれないですね^^ 今となっては人間が宇宙へ出ることは普通のことであり、宇宙へ住むことも未来には可能になるだろう。 地球は衰退の一歩を遂げている現在、 いつか未来には地球は人の住めない惑星になるであろうという絶望から抜け出す糸口を探しつつある。 ある意味人間はそこまで地球に害する生物であり、 そして全く自然と異なる存在という証なのでしょう、そう思います。 人間は、意志疎通を言語や数字などで表すことができ、 野生で生きる動物とは違う「物」というものを生み出すことができ、 そして「地球を大切に」と叫び協力することができ、 そして野生なる自然を保護できるのも人間であり、 そんなことができる人間は、今の世界ではある意味神様の足下に近い存在なのかもしれません。 だけど同時に、野生よりも遙かに多く何かを消費しなければ生きていけないのも事実。 生に限りがある限り、私たちは不死身の神様と違い、 必要な物が無くなれば探しに行かなければならない、 それが「生きること」にしがみつく行為なのでしょうね。 私は思うんですよ。「自然を大事にしよう」と思う心とは何かということを。 建前なのかそれとも本心なのか。 建前ならば、絶望も含んだ希望なんだろうな。 本心ならば、このまま地球なる母の中で死にたいと思っているんだろうな。 宇宙を知るということの怖さと希望を実感するrararaでした^^ |
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【985】 |
フラグなし (2008年09月08日 09時28分) |
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これは 【983】 に対する返信です。 | |||
サクラ大戦初心者さん,こんにちは. すごい博識ですね. とても興味深く読ませていただきました. 少し考えてみましたが,物体の運動というものは,絶対座標が定義されない以上は,結局相対的なものの見方であって,天動説も地動説も,座標系の取り方の違いでしかないということなのでしょうか. ガリレオは,ある意味そのことを発見したことが重要と考えるべきなのかもしれませんね. いつか子供が物理に興味を持ったら,知ったかして教えてあげようかなぁ(^^; |
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