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【199】 |
☆カンパチ☆ (2017年08月02日 22時59分) |
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これは 【198】 に対する返信です。 | |||
狼君、どうも。 その映画、見たことないので、 そのセリフ、いまいちピンと来ないです。 大統領なら、知っとかないといけないのではないかと。 「エリア51」をウィキで見てみたけど、なんか、おっかないとこみたいです。 |
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【198】 |
パチ屋の狼 (2017年08月02日 18時10分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
こんにちは。 【197】について。 似た様なものですが、有名な映画「インディペンデンス・デイ」にて。 ホイットマン大統領「(エリア51の存在を)なぜ隠していた?」 副官「知らなければ、(隠すのに、余計な)ウソをつかないで済みます」 確かに、知らなければ隠す必要も無い訳です。 |
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【197】 |
☆カンパチ☆ (2017年08月02日 17時57分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
クリント・イーストウッド主演映画「ルーキー」より、 面白すぎるセリフ。 「どうして、課長にウソをつくんですか」 「ウソはついてない。真実を隠しただけだ」 これは、論理学だ。 「ウソをつく」=「真実を隠す」 ではない、という論理は、どのような状況で成り立つのか。 真実と事実の違いを考えなければならない。 事実の背景には真実がある。 極端な例だが、 AがBを殺した。 これは事実だ。 その背景には、AがBを殺すに至った真実がある。 なぜ、AはBを殺したのか。 『AがBを殺した』という「事実」を隠したら、それはウソになる。 だから、「事実」は隠さない。 しかし、その事実の背景にある「真実」を隠しても、 ウソにはならない。 ということらしい。 |
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削除
狸地・ (2017年08月02日 00時23分) |
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トピ主により削除されました (2017/08/02 07:43) コメント:削除を続けても、 理屈を捏ねても、 話をそらしても、手遅れですよ。ID:WJrpHavK |
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【196】 |
もぐさ. (2017年08月02日 00時06分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
親カンパチ派の皆さん こんばんワ 毎日暑いですね…水浴びしたいですね… 日本列島の平均気温が1℃上がると 全国の生ビールの売り上げ本数が 100万本増えるそうです(昔TVで見た 生ビールの相場いくら?500円? つまり…5億円か?(大したことねぇな… |
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【195】 |
☆カンパチ☆ (2017年07月31日 19時22分) |
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これは 【トピック】 に対する返信です。 | |||
「チュンサンは、ヒョンスの息子だ。 チュンサンとユジンは、兄妹だ」 サンヒョクの胸に、暗い期待が走る。 でも、ちょっと待てよ。 なんで、チュンサンが兄でユジンが妹だと判断したのだ?。 え〜っと、え〜っと。 チュンサンの母親、カン・ミヒは、 ユジンの父親ヒョンスと、サンヒョクの父親キム・ジヌ の二人とエッチしちゃった。 韓国の教育制度がどうなってるのか分からんけど、 とにかく、チュンサン、ユジン、サンヒョクは、同じ年に生まれた。 チュンサンの母親はカン・ミヒで、父親は、キム・ジヌ(=サンヒョクの父親)。 つまり、最終的には、チュンサンとサンヒョクが兄弟で、 二人とも、ユジンとは血縁関係にはなかった。 ということは、 カン・ミヒは、ユジンの父親ヒョンスともエッチしたが、 かろうじて、妊娠はしなかった。 キム・ジヌ(サンヒョクの父親)は、当初、 チュンサンは、カン・ミヒとヒョンスの間に生まれた、と思い込んだ。 だから、チュンサンとユジンは兄妹だと判断した。 思い込んだ根拠は何だったんだ?。 あ、そうだ。 カン・ミヒは、チュンサンに、 『あなたのお父さんは死んだのよ』 と言ったから、だいぶ前に死んだヒョンスが父親だと、思い込んだって訳か。 ここで、また、最初の問いに戻る。 チュンサンが先に生まれて、ユジンが後に生まれた、という判断はどこから来るのだ。 カン・ミヒは、まず、キム・ジヌ(サンヒョクの父親)とエッチして、 チュンサンを生んだ。 その後、カン・ミヒはヒョンスとエッチしたが、妊娠しなかった。 ということか?。 すると、ユジンは、チュンサンが生まれてから、少なくとも、10月10日後に生まれたことになる。 つまり、イ・ギョンヒ(=ユジンの母親)は、カン・ミヒがチュンサンを生んだ後に、 ヒョンスとエッチしたわけだ。 じゃあ、サンヒョクは、いつ生まれた?。 え〜っと、結局、カン・ミヒは「結婚」をしていない。 産んだのはチュンサンだけなのだが、その父親が、ヒョンスなのか、キム・ジヌ(サンヒョクの父親)なのか、分からん。 もうええわ。 |
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【193】 |
☆カンパチ☆ (2017年07月30日 14時35分) |
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これは 【186】 に対する返信です。 | |||
>人種により色々な考えがあるし嗜好もある。 > >まずそこ前提ね。 うん、それは大事な前提。 日本人同士でも「こいつ、宇宙人か」と思えるくらい、 考え方は違うもんね。 例えば、きれい好きな人とそうでない人。 人によって、「きれいな状態」というのは受け取り方が全く違うので、 ある人にとって「きれいな状態」が、別な人にとっては「とっ散らかってる状態」に見える、 ということは良くあります。 仮に、この二人が同居したら、毎日がケンカです。 ケンカしたくないのなら、 どちらかが諦めるか、妥協点を見出すか、別居するか。 これは、人種間、民族間でも言えることだし、 イスラム教徒とキリスト教徒の間でも言えることです。 >だから、日本史と海外史を比べても何の意味も無いのよ。 それは違うと思います。 まず、日本の歴史は、日本だけで展開してきたのではなく、 世界の歴史に組み込まれつつ、独自な展開もしてきた、 と考えるべきです。 例えば、何度も取り上げている、幕末維新は、 イギリス、フランスをはじめとする市民革命、 及び、市民革命を思想的に支えた、いわゆる啓蒙思想の影響を受けています。 小学館「日本の歴史第23巻」から引用します。 慶応3年(1867年)6月22日、 土佐の後藤・福岡・坂本・中岡らと、 薩摩の小松・西郷・大久保らとの間に締結された 「薩土盟約七か条」の趣旨は、次のようなものであった。 (1)「制度一新、政権を朝廷に帰し、諸侯会議・人民共和」を国体の基本にする。 (2)徳川家は将軍職を辞して政権を奉還し、諸侯に列する。 (3)「制度・法則いっさいの万機は京師の議事堂より出す」 (4)「議事院(堂)は上・下二院とし、上院議官である諸侯のほか、公卿から陪臣・庶民に至るまで材を選挙して議官とする。 (5)外国との条約は、改めて朝廷の衆議によって道理明白に締結する。 これを見れば、一目瞭然。 人民共和、議事堂、二院、選挙、衆議、議官(=議員)など、 江戸時代にはあり得なかった用語が、ずらりと並んでいます。 また、薩土盟約七か条締結の前、慶応2年(1866年)6月、 坂本龍馬の「船中八策」には、 「古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典(憲法)を選定すべきこと」 とあります。 幕末維新のリーダーたちが、実は、共和主義者(本来の意味の左派)だったことが分かりますし、 「政権を朝廷に帰し」と「憲法」という言葉が出てくるところを見ると、 立憲君主制を目指していたと思います。 彼らの考え方は、 日本の歴史が世界の歴史の中にあって初めて成り立っていることを示しています。 「日本史と海外史を比べても何の意味も無い」 などとは、言語道断。 海外史を知らずして、日本史を語るなかれ。 |
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