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【258】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月24日 12時50分)

【どんでん返し】

中村豊子の「一部自供」によって事件は
一気に全面解決するか、に見えた。

福岡、佐賀両県警の捜査本部は
明るい雰囲気に包まれ
捜査幹部の一部は

「一両日がヤマ」

「あとは清美の共犯関係を追及すれば決着がつく」

と自信をのぞかせていた。

豊子が逮捕された翌日の
一月二十八日午前十時、
小倉北署は清美に四度目の任意出頭を求め、
事情聴取を始めた。

取調べには清美の担当の武田とともに、
豊子の自供を引き出した野口も立ち会った。

清美はこれまでの調べでタクシーから降りた男について

「中村さんの知り合いで私は会ったこともない」

と言い、豊子はタクシーから降りた男は

「夫の中村文洋で、
 奥さん(清美)とは面識がありません」

と供述しているが、知らないはずの清美が
タクシーから降りた文洋と親しげに密談している。

この矛盾を清美はどう申し開きしようというのか。

豊子が逮捕された今、清美の自供は
時間の問題と思われたが
野口の心にひっかかっていたのは
長女のアリバイ供述だった。

顔を伏せたままの清美にまず、野口が切り出した。

「ねえ、奥さん。今から豊子の供述内容を
 読んで聞かせてあげよう。
 本当のことを言ってくれませんか」

だが、清美は押し黙ったまま、顔を上げようとしない。

このとき、捜査員の一人が中村豊子の夫、
中村文洋の写真を野口に手渡した。

「奥さん、タクシーに相乗りしたのはこの男か」

「 …… 」

「この人ですか? はっきりしなさい」

「違います」

「じゃあ、誰なの」

「知らない人なのでよく分かりません」

「奥さん、知らないでは通らない。
 あんたはタクシーから降りた男と
 外で話をしているんでしょうが」

「 …… 」

野口らの追及に

「わかりません」

を繰り返す清美だったが
その表情は苦しげだった。

前夜九時ごろ、取調べから帰宅した清美は
心配して待ち構えていた親族から
豊子の逮捕を聞かされ、事件との関わりを
厳しく問い詰められた。

「私は関係ないから心配しないで」

と、その場をとりつくろってみたものの、
一睡もできず、この朝を迎えていた。

憔悴し、落ち着きのない態度に
なっている清美に野口は
「クロ」の確信を持った。

昼食をはさんだ午後の取調べで
野口と武田は一気に落としにかかった。

「奥さん、ご主人を成仏させてあげなさい」

野口が言った。
 
野口の言葉を継いで武田も

「子供さんの将来も考えてやりなさい」と諭す。

 短い沈黙が流れた。

「すみませんでした。本当のことを申し上げます」

保険金目的の殺人と思われた事件が一転して
「被害者が主犯」という替え玉殺人に変わる
どんでん返しの自供はこうして始まった。

二十八日午後一時過ぎである。

自供のそぶりを見せた清美を押しとどめ

「その前に自供を始める動機を言ってみなさい」

と野口が言った。清美は

「昨夜、警察から帰宅するなり
『お前も事件に関係があるのではないか』
 と親戚から責めたてられました。
 私は『関係ない』と言ったのですが
 もう、これ以上、肉親を
 欺き続けるのが苦しくて …」

と、弱々しく言った。

野口があえて清美に自供の動機を尋ねたのは
ウソの供述で捜査が混乱するのを防ぐためだった。

動機を語る清美の態度や表情、口調などから

「作り話ではなさそうだ」と判断した野口は

「それでは、先を言いなさい」

と、ゆっくりとした口調で促した。
【257】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月24日 12時45分)

【豊子、落ちる】

「中村さん、新聞記者に話したことは本当なのか」

机をはさんで豊子と向かい合った
小倉北署刑事一課の
野口は語気鋭く言った。

豊子は肩を小刻みに震わせ、
視線を机の上に落としたままだ。

短い沈黙のあと、豊子はやっと口を開いた。

「昨夜、お話ししようと思ったのですが、
 奥さんもいますし …
 本当のことを申し上げます。 実は …」

涙も見せず、豊子が事件の一端を自供し始めたのは
野口が取り調べに当たってから三日目の
一月二十七日、午前九時すぎだった。

豊子はこの日午前三時過ぎ、
小倉南区に住む姉の突然の訪問を受けた。

毎日新聞の記者二人が同行していた。

姉は涙ながらに

「みんな分かっているんだから … 
 本当のことを言って」

と諭され、自分と清美、
それに酒井の知人の男の三人で酒井を殺害したと
真偽を織り交ぜて事件の顛末を話した。

この日午前八時ごろ、野口は泊り込んでいた宿舎で
豊子が毎日新聞の記者に

「酒井殺害を告白したらしい」

との情報をうけ豊子が出頭してくるなり、
詰問したのだった。

豊子は「落ちた」

しかし「完落ち」ではなかった。

自供は始めたものの、肝心の共犯関係について最初は

「社長の知り合いの水産関係者と二人でやった。
 タクシーに相乗りした男です」

と主張。清美については

「関係ありません」

と、姉らに証言した清美共犯説を
一転して覆す供述をした。

しかも動機については

「自分はただ、現場について行っただけで知らない」

の一点ばりだった。

だが、落としのベテランの野口が
この供述にだまされるはずはなかった。

野口は考え込みながらボソボソと供述する豊子に
再三、カミナリを落とした。

豊子はそのたびに押し黙り、苦しそうな表情をした。

そして

「実は共犯の男は主人の中村文洋です」

と供述したのだった。

野口は一気に自供内容を調書にとった。

中村豊子「一回目の自供」内容は次のようなものだった。

■夫の文洋は七年前に福岡市の病院から
蒸発したことになっていますが
実は小倉に住んでいます。

住所は知りません。

用事があれば文洋の方から
一方的に電話があることになっています。

一月二十一日も文洋から門司の実家に電話があり

「夕方、北九州有料道路の
 紫川インターまで社長と一緒に出て来い」

と言われました。

約束の場所まで社長と行ったあと、
いったん社長宅まで戻り
社長の運転するスカイラインに
文洋が乗り、私はレンタカーを
運転して星賀港へ出発しました。

途中の松林で社長をバットで殴ってトランクに詰め、
星賀港へ車ごと突き落としたのです。

■動機は知りません。

 文洋に聞いてください。

■奥さんは文洋と面識ありません。
 
 あくまで、文洋と私の二人だけの犯行です。


豊子は事件の粗筋を「自供」したあと、野口に

「すいませんでした」

と何度も頭を下げたが、野口には
どうしても割り切れないものが残った。

動機もそうであったが、タクシーに相乗りした男と
文洋の結びつきが釈然としなかった。

豊子は文洋と清美は面識がない、と言うが
清美はタクシーを降りた文洋と密談している。

これは何を意味するのか。

捜査本部ではこの点を巡っていろんな論議が出た。

だが、結果的にはこの日午後七時三十分、
豊子は殺人容疑で逮捕され、身柄は唐津署へ移される。

そして豊子の自供に基づき、夫の中村文洋に
逮捕状が請求されることになった。
【256】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月24日 12時40分)

【土俵際】

小倉北署で豊子の取り調べに当たっていた野口は
清美が供述した内容の連絡を受けると
それを隠して相乗りした男の招待を追及した。

その瞬間、豊子も顔色が変わった。

「相乗りの男がいたのかどうか、はっきりしなさい」

視線を机に落としたままの豊子に野口がたたみかけた。

ここで野口から清美がすでに

「中村さんの知り合いで
 ヤマダという男だと認めている」

とは具体的には言えない。

任意の供述を引き出したうえ、
清美の供述との矛盾点を追及し、
共犯の疑いの強い男の正体を割り出さねばならない。

豊子は小さい声で「男は乗っていません」と答えたが
その口元はかすかに震えていた。

野口は

「それはおかしいねぇ。奥さんは認めているんだが …
 本当のことを言いなさい」

と語気を強めた。

しかし、豊子は

「奥さんは記憶違いをしています」

「男が乗ったなんて … そんなことはありません」

と頑として認めようとしない。

結局、一時間に及ぶせめぎあいの末、
タクシー運転手の証言などを
突きつけられて豊子が供述したのは

「よく知りませんが、社長の知人で
 水産関係の人ではないか、と思います。
 小倉興産前からタクシーに乗って
 唐津に向かう途中の
 福岡市西区姪浜付近で降りました。
 そのとき、奥さんと外で話しをしていました」

というものだった。

豊子の取調べは午後十一時に打ち切られた。

正体不明の男を巡る清美と豊子の
供述の違いは埋められなかったが
捜査本部の誰もが事件解決に強い自信を持った。

二度目の聴取を終え、
豊子より一時間早い午後十時ごろ、
高田派出所から帰宅した清美は精魂尽き果てていた。

取調べを通じて自分と豊子の間で
タクシーに相乗りした男について
供述に数々の食い違いが出ている。

レンタカーの盗難に関しても矛盾だらけだ。

とりわけ、同乗した男については警察の追及に

「ヤマダという人では …」

などと、その場をとりつくろったものの
いずれはバレるだろう。

現に警察はその男が福岡市内でタクシーを降りた際、
自分と密談していた事実をつかんでいる。

事情を全く知らない長女にアリバイ工作を
頼んだことも清美の心を重くしていた。

二十七日午前零時、不安でいたたまれなくなった清美は
酒井が潜んでいるマンションに電話をかけた。

清美から警察の捜査が進んでいることを
聞かされた酒井の声も動揺していた。

「タクシーの件も三人で乗った、と言いました。
 私が隠しきれないことばかりです」

「中村さんとよく相談してくれ …
 オレはマンションを引き揚げようか、どうしようか」

「私にはわかりません …」

この電話を最後に酒井と清美の接触は途絶えた。

酒井がマンション「パール岡本」
五〇二号室を出たのはこの直後だった。
【255】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月17日 13時31分)

【男は誰だ】

中村豊子と酒井の妻、清美に
二度目の出頭要請がかけられた
一月二十六日の正午前、
読売新聞西部本社社会部の浦岡和明は
小倉北署刑事一課長の石橋照典をつかまえると

「タクシーに乗って唐津署へ
 遺体確認に行ったのは豊子と清美だけか」

と尋ねた。

前夜、小倉北区の第一交通のタクシー運転手から
聞き込んだ謎のベレー帽の男の存在を確認するためである。

運転手の証言が事実とすれば、共犯者を割り出す
重要な手がかりになるだけに

「当然、捜査本部はつかんでいるだろう」

と思ったからである。

しかし、意外にも石橋の返事は

「いまのところ、二人だけだよ」 だった。

顔色や態度から男の存在を隠しているそぶりはない。

浦岡は自分の取材が捜査より
先行している興奮を抑えながら
石橋の反応をみるように言った。

「そうかなぁ … 第一交通では
 二人以外にも男が乗っていた、
 と、言っているんだけど」

浦岡の言葉を石橋は聞き逃さなかった。

これまでの内偵捜査で清美と豊子が
タクシーで唐津署へ向かったことは知っていたが、
二人のほかに男が相乗りしていた、
という事実は初耳だった。

清美と豊子が酒井殺しに関係しているとすれば
この男も共犯者の可能性が高い。

石橋はすぐに捜査員を第一交通へ派遣し、
浦岡の情報の裏づけにあたらせた。

捜査員から「やはり、男が同乗しています」
との報告が入ったのは一時間後だった。

石橋は頭をめぐらせた。

この新情報をどう処理するか。

清美と豊子、どちらに先にぶつけるか。

聞き込みでは、相乗りしてきた男は
福岡市内で車を降りた際、
清美と会話しているらしい。

しばらく考えた石橋は自ら高田派出所へ出向くと
清美と対座していた武田を手招きして外へ呼び、
この新情報を耳うちした。

勢いよく調べ室に戻った武田は
たたみこむような口調で
清美を追及した。

「奥さん、タクシーで唐津へ向かうとき、
 男が乗っていましたね」

全てがわかっているんだ、と言わんばかりの
武田の言葉に清美の顔が一瞬にして青白くなった。

視線を机に落としたまま、顔を上げようとしない。

「どうなんだ」

と語気を強める武田。

その気迫に押されて、清美は
とぎれ、とぎれに話し始めた。

「その男はヤマダという人です。
 中村さんの知り合いで、スナックで
 何度か見たことがあります。
 詳しいことは知りません。
 中背で毛糸の帽子をかぶっていました。
 小倉興産前で中村さんと一緒に
 タクシーに乗りこんできました。
 途中、その人はスナックに立ち寄り、
 お金をとりに行ったようです。
 福岡市の姪浜でタクシーを降りたとき、
 タクシー代として一万円をくれました」

清美の苦し紛れのウソの供述に武田は

「親しくもない男がなんで、
 奥さんにタクシー代を渡すのか」

と、追及した。

清美は青白い表情のまま

「本当に何も知らないんです」

と、繰り返した。

この事件を保険金目当ての殺人事件と
にらんでいた武田は
清美の反応をさぐる意味で

「保険金殺人なんて、
 衝動的にやれるものじゃないしなぁ …」

と独り言をつぶやいてみせた。

清美がこれに反応した。

「主人と中村さんがスナックで保険金殺人の話を
 していたのは聞いたことがあります。
 詳しく聞こうしとたら主人から
 『お前は聞くな』と言われました」

武田はすかさず

「あんたも一枚、かんでいたんだろう。
 どこまでウソをつけば気がすむんだ」

と清美を怒鳴った。
【254】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月17日 13時26分)

【追 及】

一月二十六日朝、豊子は二度目の事情聴取のため、
小倉北署へ出頭する前、清美に電話をかけた。

前日の取調べは生い立ちなどが中心だったが、
捜査員の言葉遣い、態度から

「警察は自分に相当な疑いを持っており、
 いつまでも隠し通せない」

と思ったからだった。

「今から警察に行くのですが、
 社長は死んだことにするのですか。
 どうされますか」

清美は前夜からの不安な気持ちをふり払って
自分に言い聞かせるように言った。

「主人は死んだことにしてください」

「わかりました。今から警察に行ってきます」

豊子に対する事情聴取は
前日と同じ午前九時から始まった。

小倉北署刑事一課の野口警部は
前日の型通りの調べから
一転して、事件の核心を追及した。

レンタカーの盗難、キーの行方、
二十一日夜のアリバイなどである。

「レンタカーのキーはどうしたの」

「篠栗参りを中止したあと、社長宅に戻って
 玄関の土間で奥さんに渡しました」

「キーを抜くとロックがかかるね。
 レンタカーを動かせる人は他に誰かいるの」

「・・・・」

「中村さん、正直に答えてくれませんか」

「奥さんに聴いてください」

「二十一日夜はどうしてました?」

「夜八時ごろ、奥さんのベッドで休みました」

「酒井社長の娘さんは
 『中村さんと母は両親の部屋で
  夜遅くまで話しこんでいた』
 と言っているけど …」

「どうなんですか」

「先ほど私が言ったのに間違いありません」



一方、清美に対する二度目の聴取も
正午から高田派出所で始まった。

唐津署へ遺体確認に向かったときの状況、
酒井が加入していた生命保険金の
内容などが追及の中心となった。

「唐津署から事故の知らせが入ってから、
 どうしましたか」

「近くの建設会社の社長さんに
 小倉興産まで送ってもらいました」

「中村さんは ―――― 」

「門司の実家に着替えをとりにゆく、
 といって家をでました。
 大通りに出てタクシーを拾ったようです」

「小倉興産前で中村さんと
 合流したのは何時ごろですか」

「午前三時半ごろだったと思います」

清美の供述がここまで進んだとき、
調べにあたっていた武田は
「待てよ」と思った。

武田はその二年ほど前に発生した連続放火事件で
酒井宅近くで徹夜の張り込み捜査をした経験があった。

その経験からすると清美の言う
大通り(県道)で午前三時ごろに
流しのタクシーをつかまえるのはまず無理だ。

それに酒井宅から門司区の豊子の実家まで
着替えをとりにいったあと
小倉興産前で合流するのにどうみても一時間はかかる。

第一、豊子は酒井の愛人だ。

一刻も早く、現場に駆けつけたいはずではないか。

清美を見つめる武田の眼光が鋭くなった。
【253】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月17日 13時22分)

【ベレー帽の男】

清美が高田派出所で事情聴取を受けていた二十五日夜、
読売新聞西部本社社会部の警察担当、
上原幸則と大野洋一は
酒井宅から三百メートル離れた
県道沿いにあるタクシー会社を訪ねていた。

上原と大野は朝から酒井宅周辺で
捜査員の動きをマークするとともに
それまでの取材から二十一〜二十二日にかけての
清美と豊子のアリバイが
今後の事情聴取の焦点になってゆくとにらんでいた。

そのアリバイについて、上原と大野はこの日、
清美にインタビューした浦岡から

「清美の話では豊子と二人で自宅からタクシーで
 遺体確認に向かったことになっている。
 ウラをとってほしい」

と頼まれていた。

上原らはもし、清美と豊子が深夜、
タクシーを呼ぶとしたら、
自宅に一番近いタクシー会社しかない、
とみてこの会社に足を運んだのだ。

二人から取材の要旨を聞いた営業所の配車係りは快く
事件発生の二十二日午前零時四十分以降の
営業台帳をチェックしてくれた。

だが、その時間帯に酒井宅から
唐津へ配車した記録はなかった。

念のため、周辺のタクシー会社にも
足を運んだが、結果は同じだった。

それもそのはず。
清美は二十二日午前三時ごろ、
近所の建設会社社長にマイカーで
小倉北区浅野の小倉興産前まで送ってもらい、
星賀港から小倉へトンボ帰りした
酒井、豊子と合流したあと
流しのタクシーを拾って唐津署に向かっていたのだ。

タクシーの割り出しにてこずった上原らは
社会部で清美に取材した内容を
資料としてまとめていた浦岡に

「清美と豊子は近所のタクシーを使っていない。
 流しのタクシーを拾って唐津へ行ったのではないか」

と電話連絡した。

流しのタクシーを使ったとすると、
容易に営業所を割り出すのは難しい。
北九州市内にはタクシー協会加盟社だけで百五十社、
小倉北区内だけでも四十業者にのぼる。

浦岡はとりあえず小倉北区内のタクシー会社に
片っぱしから電話を入れることにした。


偶然だった。


最初に社会部がよく利用している
小倉北区馬借町の第一交通の配車係りが

「そういえば、ウチの運転手が唐津方面に客を乗せた」

と証言した。浦岡はさっそくタクシー会社へ飛び、
運よくこの日出勤していた運転手を
つかまえることができた。

話を聞いてみると女二人のほかに
四十歳前後のベレー帽をかぶった
男一人が相乗りしていた、という。

しかも、その男は福岡市西区姪浜付近で降りたが、
そのとき助手席の女を車外へ連れ出して
何かヒソヒソ話をしていた、というのだ。

顔写真を見せると女二人は
清美、豊子に間違いない、という。

そうすると相乗りしていた男とはいったい誰なのか。

運転手の話では男は午前四時四十分ごろ、
「市場から歩いてきた」と言って
タクシーに乗っている。

服装などからすると福岡から小倉に来た
セリ業者とも考えられる。

いや、待てよ。

タクシーから降りたとき同乗の女と密談しているし
何より、清美らがこの男の存在を
隠していること自体、おかしい。


この男が事件の関係者なのか ――――


正体不明のベレー帽の男が浦岡の頭の中を駆け巡った。
【252】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月17日 13時18分)

【動 揺】

豊子の事情聴取が行われた
一月二十五日午後一時半、
酒井宅に張り込んでいた
読売新聞西部本社、社会部の司法担当
浦岡和明ら数人の報道陣は裏口から出てきた
酒井の妻、清美にインタビューを申し込んだ。

清美は繰り上げ初七日の法要を終え、
高田派出所に出頭するところだった。

清美は浦岡らの取材にこう答えた。

「主人は十八日に家を出たまま帰っていません。
 確か十九日夜八時ごろ、主人から
 『顔を殴られて目のあたりにアザができた』と
 電話がありました。
 暴力団からリンチされたのだと思います。
 犯人の心当たり?
 そうですね。
 水産業者が暴力団を使って
 殺したとしか思えません。
 暴力団員たちは私たちを脅して、
 強引に土地の名義変更をしようとしたのです」

浦岡らは実名をあげて、ことさら
暴力団の犯行だ、と強調する清美に
疑問を抱きながら、水産業者ら
関係者の取材にとりかかった。

報道陣の取材を受けた清美は
その足で高田派出所へ出頭した。

派出所では小倉北署刑事一課の武田が待機していた。

武田は前夜、酒井宅を訪れて
焼香した際の清美の言動が気になっていた。

焼香のあと「聞き込み捜査用に …」と
酒井の写真の提供を申し出たとき、清美が

「主人は写真嫌いだったのでありません」

と断ったからだ。

「清美は何かを隠そうとしている」

武田は清美に不審を抱いたまま、取調べに臨んだ。

武田はまず、清美に出生地を尋ねた。

「本籍は福岡県田川市 …」

清美の口調ははっきりしていた。

武田はすかさず

「この調子で素直に供述してください。
 ウソを言うと顔にでますよ」

とクギを刺した。

清美はあくまで参考人だが、
追及のポイントは豊子と同様、
二十一日の行動に重点が置かれた。

清美の供述内容は口裏を
合わせていた豊子とほぼ同じだった。

清美が武田の追及を受けていたころ、
酒井宅では長女からの事情聴取が行われていた。

清美、豊子の二十一日から二十二日にかけての
アリバイの裏づけをとるためだった。

清美は警察の事情聴取を予想して事前に長女へ
二十一日は清美と豊子が酒井宅に
いたように証言するよう、言い含めていた。

長女は事情が飲み込めないまま、初めての聴取で
清美から言われたとおりに供述した。

「二十一日夜八時ごろ、
 中村さん(豊子)が来ていたので、
 両親の部屋を覗くと、母と中村さんが
 ベッドに腰をかけて
 深刻そうな話をしていました。
 内容はわかりません。
 邪魔になるといけないので、
 その場を離れ、十一時ごろ、休みました。
 父の死を聞いたのは近所の奥さんからです」

長女にアリバイ工作をして
取り調べに臨んだ清美だったが、
初日の聴取は延々九時間近くに及び、
午後十一時すぎに帰宅したときは
心身ともに疲れきっていた。

眠ろうとしても眠れず、不安にかられていた清美に
マンションに身を潜めていた酒井から電話が掛かってきた。

二十六日午前二時ごろである。

「中村さん(豊子)も頑張りよるから、お前も頑張れよ」

「私の知らないことばかり聞かれるので、
 どうしていいか、わからないわ」

「とにかく、頑張り通せ」

居間には清美のほかに何人かが起きていた。

電話の相手が誰なのか、悟られてはならない。

清美は声を押し殺して

「もう、逃げられない。自首してください」

と訴えるのが精一杯だった。
【251】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 12時55分)

【ダークグレー】

福岡県警の二人の捜査員が
酒井宅を訪れたのと同じ時刻、
北九州市門司区の中村豊子の自宅にも
小倉北署への出頭要請が届いた。

二十二日の通夜以来、
連日新聞で事件が報道されているのは知っていたが
読む勇気もなく、ふさぎこんでいた豊子は動揺した。

午後十一時すぎ、不安でいたたまれず
豊子は清美に電話する。

「マンションに電話工事をした人に
 社長が顔を見られているといけないから
 奥さんから部屋を出るよう、言ってください」

「ここは人目が多いのであなたが電話して …」

翌二十五日、豊子は小倉北署へ出頭する前に
喪服姿で酒井宅を訪れ焼香した。

そして、清美に

「二十一日はここ(酒井宅)にいたんよねえ」

と話しかけた。

清美は親族ら周囲の目を気にしてか
「はい」と短く答えた。

通夜の席で話し合い

「二人で篠栗参りをする予定だったが、
 豊子の体調が悪くなり
 酒井宅に泊まった」

というアリバイ工作の念押しだった。

小倉北署二階の刑事課取調室で豊子と対峙した
捜査一課警部の野口は眼鏡越しに豊子を凝視した。

豊子は薄化粧の頬が落ち、目だけがギラついていた。

野口はゆっくりとした口調で促した。

「最初にあなたの生い立ちや酒井社長と
 知り合ったいきさつについてお聞きします。
 知っていることは正直に述べてください」

生い立ちや酒井と知り合って
活魚店で働くようになったいきさつなど
型どおりの調べが進んだ。

豊子の態度に変化が現れたのは星賀港で事件が起きる
前日の一月二十一日のアリバイに及んだときである。

伏目がちに供述する豊子の口数が一段と少なくなった。
何かを考えるように二、三十秒押し黙ることもあった。

ベテランの野口がこの変化を見逃すはずはなかった。

物静かな口調だが、ポイントを踏まえて
たたみかける野口に
豊子は懸命にアリバイを主張した。

豊子の供述の要点は

(1)二十一日は午後二時ごろ、清美が借りた
 レンタカーを運転して二人で
 篠栗参りのため酒井宅を出た

(2)途中、小倉北区砂津あたりで
 胃の調子が悪くなり
 清美宅へ引き返した

(3)レンタカーのドアはロックし、
 キーは玄関の土間で清美に渡した

(4)二十二日午前三時ごろ、
 清美のベッドで寝ていると
 清美から「主人が佐賀で死んだ」と起こされた

(5)レンタカーの盗難は遺体確認から
 戻って清美から知らされた

などであった。

豊子の事情聴取は午前十一時過ぎに終わった。

野口は取り調べを受ける豊子の態度などから
クロの心証を抱いた。

まだ、何一つ確証らしきものはつかめていないが
共犯の一人ではないか、という強いものだった。
【250】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 12時57分)

【妻の疑惑】

清美の供述を基に捜査本部が調べた
酒井と暴力団幹部とのつながりは
以下のような内容だった。

昭和五十四年(1979年)暮れから翌年一月にかけて、
資金繰りに困った酒井は
知り合いの水産業者から
約四千五百万円を借金した。

うち、二千五百万円は五十五年九月末までに
返済する約束だったが、酒井は支払えなかった。

そこで水産業者は酒井が
分譲マンションを建設する予定で
取得していた小倉北区西港の土地を
担保に取り上げるため
自分名義にするようもちかけ、暴力団幹部に頼み
清美から名義変更の白紙の委任状を
取り立てた、というものだった。

しかし、仮に暴力団幹部が酒井を殺害したとなれば
債権の回収は不可能になり、元も子もなくなる。

そればかりではない。

捜査本部は清美の供述の
裏づけ捜査をしてゆく過程で
重要な事実をつかんでいた。

それは酒井が借金の担保として
長女が受取人名義となっている
生命保険証書をこの水産業者に預けている旨の
念書を書いていたこと、
さらに清美と子供二人を受取人にして
四億一千万円の保険に加入していた ―― などである。

レンタカーの不自然な盗難届とともに清美は
酒井殺害の動機を持つ女として浮かび上がった。

暴力団幹部に濡れ衣を着せようとする清美の供述は
逆に自身への疑惑を招いてしまうこととなった。

福岡県警の捜査本部は一月二十五日から
関係者への本格的な事情聴取を始める方針を固めた。

対象人物は酒井の妻・清美、愛人の中村豊子、
レンタカーの契約名義人である清美の弟、
酒井水産の従業員、取引業者など計十人。

まずは全員から星賀港で事件が発生した前日の
二十一日を中心にしたアリバイが
追及されることになった。

出頭場所は小倉北署と管内の派出所で、
時間は豊子が午前九時から、
清美はこの日が繰り上げ初七日の法要日にあたるため、
法事が終わった午後二時からと決まった。

清美の取調べには小倉北署刑事一課、
巡査部長の武田清澄、
豊子は県警捜査一課警部の
野口真澄が担当することになった。

二人は前日の二十四日午後九時、酒井宅を訪れた。

清美に高田派出所への出頭要請を
するための顔つなぎであった。

武田と野口は居間の祭壇に香典を供え、焼香した。

今にも話しかけてきそうな
柔和な笑みを浮かべた酒井の遺影。

かたわらでは喪服姿の清美が泣き崩れている。

お悔やみの言葉をかけたあと、
二人は清美や親族と雑談した。

「犯人について何か心当たりは …」

問いかける野口に清美は変わらず

「主人は暴力団にやられたのです」

「主人は電話で『暴力団からリンチを受けた』と
 話していました」

と、繰り返した。

「清美を調べれば必ず犯人を割り出すことができる」

土砂降りの雨の中を帰署する二人の心境は同じだった。
【249】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月12日 08時48分)

【死者の電話】

二十四日午前九時、福岡県警も
小倉北署に捜査本部を設けた。

佐賀県警より、まる一日遅れての看板だったが、
「被害者」の酒井の居住地が
北九州市で交友関係の中心が
福岡県内である以上、座視しておくわけにはいかない。

現に清美の弟からレンタカーの不自然な盗難届が
所轄の高田派出所に出され、
そのキーの行方も二転、三転している。

事件の発生現場は星賀港だが、今後の裏付け捜査、
酒井の生前の交友関係の洗い出しなどから
県境を越えた広域捜査体制が敷かれた。

その広域捜査本部が設置された
一時間半後の午前十時半、
酒井が潜伏していた福岡市西区愛宕のマンション
「パール岡本」五〇二号室に外線電話が引かれた。

酒井は部屋に電話が引かれるのがもどかしかったのか、
その日午前零時すぎ、公衆電話から
自宅に電話を入れ、清美と会話した。

「葬式は無事に済んだか。香典はいくらあった」

「百五十三万円ぐらいです」

「二十五日には銀行に振込み先がある。
 百五十万を中村さん(豊子)に渡してくれ。
 これはすぐに戻ってくるから」

「わかりました。お位牌にも
 戒名をつけてもらいました」

「からだに気をつけて、がんばれよ」

替え玉殺人を犯して香典の額を気にし、
その中から金繰りの指示をする。
酒井は生きながら、すでに金によって殺されていた。

五〇二号室の電話工事が終わると、
酒井はさっそく豊子と清美に電話し番号を教えた。

この日午後、酒井宅には続々と報道陣が詰めかけた。

不自然な盗難届、二転、三転するキーの行方
佐賀県内での検問でのナンバーチェック・・・

レンタカーのマークIIを巡って
捜査本部が酒井の周辺人物に
捜査の網を絞っているのをキャッチしたからである。

酒井宅の玄関には鍵がかけられ、
時折出入りする親族や
酒井水産の従業員たちも
報道陣には硬く口を閉ざしていた。

清美はこの夜、自宅の子供部屋の電話から
酒井のマンションに電話を入れた。

「中村(豊子)さんがお金を取りに来て、
 またすぐ、持ってきました。
 レンタカーの件で弟が何度も警察に行き、
 困っています」

「できたこと(レンタカーを海へ投棄したこと)は
 仕方ない。
 辛抱してくれ。子供に会いたい」

二分足らずの会話だったが、
清美には酒井がマンションから一歩も出られず
孤独と不安にかられているのがよくわかった。

そのころ福岡、佐賀両県警の捜査本部では
清美が遺体確認後に唐津署で
供述した内容に疑問を持ち始めていた。

その供述内容は

「小倉北区の水産業者の指示で地元の
 暴力団幹部が主人を殺害したとしか思えない」

という内容だった。

聞き込み捜査の結果、
清美が名前を挙げた二人は実在し、
土地の名義変更手続きを巡って暴力団幹部が
清美から白紙の委任状を入手していたが
二人とも犯行当日にアリバイがあったのである。
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