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【178】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月27日 16時03分)

【口 論】

石田は通用口の筋向いに停めた
タクシーの中で原稿を書いていた。

先に赤電話で社会部に連絡した二人の容態を含め
家族の動きなど、見たままの様子を
原稿に書き改めていた。

浅田は医師から聞いた話を早口で伝えた。

聞くなり、石田は

「そりゃ、犯人が切ったんだろう」

と噛み付くように怒鳴った。

「違う! 同僚が切った、
 と本人が間違いなく言ったそうだ」

浅田も負けぬぐらいの大声で怒鳴り返した。

「本当か ・・・・ しかし、そんな・・・」

石田は容易に信じようとしなかった。

いったい、あの銀行の中で何が起きているのだ。
犯人・梅川は数人を射殺し、
何人かを負傷させている。

それは事実だ。

しかし、銃で脅して同僚の耳を切らせるとは、
いったいなんのためだ。 
人質を威圧するためか。
人質の中で仲間割れが起きたのか。
それとも本当に犯人が狂いだしたのか。

「切った、と切らせた、とでは全く意味が違うんだぞ!
 同僚に切らせたなら、なんのためや、
 そこんとこ、確かめたんか!」

「当たり前でんがな!」

浅田は完全に腹を立てていた。

あんたは自分が医者から聞いてないから疑っとるんや。

俺かて、こんなひどい話、うかつに信じるかいな。

あんたがひっかかっている点は
俺かて、ひっかかったんや。

何のために切らせたかやて、
そんなん、医者かて分からんわ。

分からんが、本人がそう言うた、
と医者が断言してるんやないか・・・

真っ赤に興奮した浅田の顔を見て、
石田はちょっと気を静めるように

「うん、それ、すぐに原稿にする。
 だから、もういっぺん、それ、確認してきてんか」

浅田は腹を立てながら
石田が慎重になる気持ちもよくわかった。

浅田自身、確認できるものなら、
何度でも確認したいくらいなのだ。

「よっしゃ、もういっぺん、行ってるわ」

浅田が病院内へ走り去った。


石田はタクシーの後部座席でひざの上にザラ紙を載せ、
ボールペンで原稿を書き始めた。

浅田の取材してきた話が事実としても、
それが報道された場合世間は驚き、
次に耳をそいだ同僚とは誰だろうと
詮索するに違いない。

世間の好奇な目にさらされ、
切られた者も哀れなら、切った者も哀れだ。

それでも、その行為が事実と確認されたら新聞としては
表現方法は考えるとしても、
事実は報道しなければならない。

しかし、万が一、事実と違えば・・・・・

重傷行員の錯覚、出血下の妄想だとしたら
あれは間違いでした、と訂正して済む話ではない。

石田は胸の奥に氷のように
冷たいものが流れているのを感じた。

石田はボールペンを握りなおし、
何度かためらったのち、耳のくだりを

「気づいたとき、左耳が切り取られていた」

と書いた。

「だれが」という主語を飛ばしたのである。
【177】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月27日 16時00分)


【驚 愕】

石田はふと思いついて病院の事務局へ走った。

一年前まで府庁担当だった石田は
医師や看護婦とは通じなくても
事務局なら見知った顔がいるかもしれない、
と思ったからである。

カンは的中した。

以前衛生部で顔見知りだった職員が
異動で事務局に配属されていた。

「ああ、いいでしょう。聞いてあげましょう」

その職員は気さくに応じると手術室の方へ向い
やがて出てきた医師と立ち話をしてから
石田の方へ歩み寄った。

「お一人は右肩に四十数発の散弾が
 食い込んで重傷とのことです。
 もう一人の方は後頭部に負傷されていますが、
 直撃はまぬがれている様子で
 重傷の方よりは軽い、ということです。
 おたくらも夕べは徹夜ですか。ご苦労さまです」

そう言うと、じゃ、また、
と軽く手をあげて事務局に戻っていった。

石田は待合室の赤電話に飛びつくと、
社会部に二人の負傷の程度を報告した。

浅田は一階の救急処置室前に張っていた。

一時間ほどたって、手当てを受けていた行員が
個室の病室へと移された。

そのドアの前にはまたしても
ガード役の行員が立ちふさがっている。

仕方なく浅田は処置室前にある
医師の詰め所の前をぶらぶらとしていた。

一人の医師に聞いたところ重傷行員の手術は
いつ終わるかわからない、と言い、
それ以上のことには口をつぐんだままだった。

そのとき廊下の向こうから
小柄でがっしりした体格の医師が歩いてきた。

「あの、重傷行員の方ですが・・・」

ダメもとで浅田は社名を名乗って聞いた。

「おや、おたくは読売さん?」

相手は浅田の腕章を確認して問いかけると
急に表情をくずし
「まあ、こっちへ来なはれや」
と、くだけた調子で小部屋へ案内した。

「いやあ、おたくの岸本さんには
 お世話になりましてなぁ」

その医師はあっけにとられる
浅田にお構いなく陽気に喋り始めた。

医師は一年ほど前、詐欺にひっかかり、
知人の医師の紹介で新聞社に相談にでかけた。
その相談を受けたのが当時、
府警本部で二課担当だった岸本で
丁寧に話を聞いたうえで告訴を勧め、
弁護士も紹介したくれた。

その告訴から捜査が始まり、主犯が逮捕され
紙面にも大きく載り、溜飲をさげた、というのである。

浅田は心の中で
「岸やん、ありがとう。おかげでいい話が聞けそうや」
と礼を言いながら

「で ・・・・?」

と改めて問いかけた。

なごやかだった医師の表情がけわしくなり

「重傷の方の話、ひどいですよ、
 耳を切られたらしいです」

「耳を切られたって、あの梅川に」

「いや、犯人じゃなしに。同僚に切られたらしいです」

「なんですって? いったい、それ、
 どういうことです?」

「担架で運ばれてきたとき、あなた、見ましたか。
 左耳の上半分が切り取られていたでしょう。
 あの方、あれでなかなか、
 意識がはっきりしているんです。
 で、言うには犯人が猟銃で同僚を脅して、
 刃物で耳をそがせたんだ・・・・と。
 いや、えげつない話ですなあ」

「それはまた、なんのために・・・」

浅田は自分の声がかすれているのが分かった。
のどがカラカラに渇いている。

「いや、そこまで詳しく聞いていません。
 なにしろ、手術前でしたからね」

「そのことは御本人が話したことなんですね。
 意識は、はっきりしていたんですね」

「はっきりしていましたよ。
 たぶん、間違いないと思いますねえ」

そうか ――――

医師団がよそよそしいのはこれがあるからだ。

浅田は礼もそこそこに飛び出して、石田を捜した。
【176】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月27日 15時52分)

【病院番】

大阪府立病院は三菱銀行北畠支店から
南へわずか一キロ。

解放された人質や負傷者が運ばれるとすれば
真っ先に選ばれる病院であった。

ここには事件発生の深夜から
石田昭宏と浅田靖夫が送り込まれていた。

病院にはいつ、誰が運ばれてくるか分からない。

長い無為の待機時間に耐えねばならず、
運ばれてきても銀行関係者らの取材阻止が予想される。
張り番記者には喰らいついたら
離れない粘り強さが必要だ。

社会部デスクは石田、浅田
二人の取材歴からその適正を見抜いて
府立病院の張り番担当に指名した。

マークする場所は救急車専用通用口わきの守衛室、
別棟の救急処置室、手術室、医師や看護婦の詰め所
家族用の待合室など広範囲にわたる。

二人は朝になると病院の売店で
パンと牛乳の朝食を準備したが
それも、通用口前で立ったまま、食べるという
徹底ぶりで待機を続け、午後三時を迎えていた。

突然、救急車のサイレンが北側から接近してきた。

「来た!」

朝、夕刊とも取材のチャンスのないまま
じっと張り込みに耐えてきた二人に
やっと出番が回ってきた。
しめしあわせていた手筈で石田が通用口前、
浅田とカメラマンは奥の救急処置室へと走った。

二台の救急車は前後してピタリと通用口に停まり、
前の車から担架の負傷者が運ばれてきた。

頭髪から左前額部にかけて
乾いた黒い血のりがこびりつき
血の筋は後頭部にも流れていた。

青白い顔。 それでもうっすらと目をあけ、
かすかにほほえんだようであった。

助かった――という、
心の底からの安堵のように見え
石田はその表情をしっかりと目に焼き付けた。

後ろの車からも一人の負傷者が担ぎこまれたが
こちらは頭の上まですっぽりと毛布をかぶっていて、
様子はうかがえなかった。

石田は救急車の運転席に残っていた隊員から
先の搬送者が四十七歳、後続が五十四歳の
いずれも男子行員と確認し、その名前を聞き取った。

浅田は処置室の中へ見送ったあと、
出入り口で立ち続けた。
負傷行員の症状や負傷時の状況などを
医師や看護婦を通じて聞きだすためである。

あわただしく処置室のドアが開いた。
駆け寄ったが、医師も看護婦も表情は厳しい。

先に入った行員がストレッチャーで運び出され
三階の手術室に向った。

重傷のようだ。  石田が追った。

手術室に出入りする医師はいずれも
冷たい表情で首をふるばかりである。

「相当に悪いのか」

という質問にノーコメントである。

ほどなく二人の行員の家族が到着し、手術室へ消えたが
すぐに奥の専用待合室へと移ってきた。

その前後を三菱銀行大阪事務所から
派遣されてきた、という三人の大柄な行員が
両手を広げ、二組の家族をピッタリとガードした。

浅田は他社の記者たちとともに交渉した。

「御家族の方にちょっとお会いしたいのですが」

「どなたにもお会いしたくない、と言っておられます」

「どなたがおいでになっているのですか。
 奥さんとお子さんのようにお見受けしますが」

「申し上げられません」

「お名前だけでも聞かせてください」

「では、申し上げていいか、どうか伺ってきます」

浅田はムカムカしていた。
ちょっと会えばいいのだ。
負傷したあの行員は家族と会ってなにか、
話しただろうか。

ひと言でいい。その言葉が聞きたい。

「やはり、何もお話することはないと申しております」

勝手にしやがれ、と浅田は
この取次ぎの男にムカッ腹が立った。

断られるのは仕方ない。

その気持ちも分からないでもない。

しかし、それを取り次ぐのにもうちょっと、
人間らしい表情と言葉を使ったらどうだ。

お前はいんぎん無礼なお面をかぶった
デクの棒ではないか!
【175】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月26日 16時42分)

【説 得】

香川県大川郡引田町。

徳島県境にあるのどかな漁港町に
ローター音がうなりを上げた。

午前九時五十分、梅川昭美の母、
静子を乗せた大阪府警のヘリコプターは
引田総合グラウンドを離陸した。

午前十時二十分、ヘリは大阪、長居公園に着陸。
パトカーの先導で静子を乗せた車が
銀行西側の階段下に到着した。

静子は緊張感で張り詰めた非常階段を
一歩、一歩のぼっていった。

凍りついた静寂の中で
警官隊、報道陣、群衆のすべての視線が
自分の背中に突き刺さる。

三階の捜査本部に入る。

静子は深々と頭をさげた。

坂本房敏捜査一課長の
「説得してもらえるか」の言葉に
静子はうなずき
「撃たれて死んでもかまいません。下へ降ります」
と大声で言った。

午前十一時四分、
伊藤忠郎管理官が梅川への
ホットラインの受話器をあげた。

「おふくろさんが心配してかけつけた」

聞くなり、梅川は

「おふくろが来たら、一緒に死んでしもたる」

と興奮した口調でわめき、一方的に電話を切った。

午後零時三十分、梅川は

「おふくろへの遺産として五百万円、
 おれの借金返済に五百万円。
 人質を解放する謝礼として三菱銀行が
 自由な意思で金を出す、
 ということにして上司の決裁をもらってこい」

と行員に指示、行員は二階に上がり
中田支店次長と相談、
中田次長はこれを了承した。

午後一時四十七分、
梅川が客の人質女性(二四)を解放。

梅川の軟化をみた伊藤管理官は直後、
ホットラインで再び梅川に呼びかけた。

――――― あのね、お母さんがあんたの声だけ聞かせてほしい
      と、いうてんのや

「・・・・・・」

――――― ちょっとだけ、話してくれるか

伊藤は素早く受話器を静子に渡した。

―――――― もし、もし

「(プー、プー)」

応答はなく、息子の声の代わりに
単調な機械音が断続しただけ、だった。

あきらめるのはまだ早い。

伊藤は静子に便せんとボールペンを渡し、
手紙を書いてくれるよう頼んだ。

静子はほとんど読み書きができない。

とまどいながら、ペンを握った。

ここでも数十人の捜査員の視線が自分の指先に集中しているのがわかった。

<  昭  美  >

やっとの思いで書き始めた文字は震え、
ちぢかんでいる。

< おかあさんがきていますよ >

だが、次の文句が浮かばない。
いったい、どう書いたら高ぶった
あの子の気持ちを鎮められるのか。

< あさのてれびでしったのですが、
  おまえ、どうしたことをしたのです >

夫と離婚後、私の帰りを暗くなった家で
ポツンと待っていてくれた、あの子。

ぐれたのを叱った私に刃物を突きつけた、あの子。

< いま、でんわをかけてもらったけれど 
なんですぐにきってしまったのか >

十五歳のとき殺人事件で
少年院に入れられたときと同じ、
母さんをこれ以上、悲しませないで。

< いま、そこにいるおかたをわけをはなして、母上のたのみですから
  ゆるしてあげてください >

大阪へ行って長い間、音信不通だったお前が小さな贈答品店を始めた――と聞いて
どんなにお母さん、うれしかったことか。

< はやく(人質を)だしてください
母上のたのみです      母より>

百三十三文字で精一杯に綴った静子の手紙は
差し入れのリポビタンD三本とともに
一階に届けられた。

梅川はその手紙を女子行員に読み上げさせた。

ひらがなだけの乱れた文字に行員が首をかしげると
梅川は独り言のようにしゃべりだした。

「おふくろはそんな字しか、書けへんのや」

「おれにはおふくろだけしか、おらんのや。
 おれは子供のころから、
 おふくろと一緒に苦労したんや・・・
 おふくろは大好きや。
 いっしょに暮らしたいんや」

血に狂っていた梅川が初めて人間らしい言葉を吐いた。
【174】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月26日 16時22分)

【解 放】

三菱銀行北畠支店周辺にも朝がやってきた。

事件はついに日付をまたいだ。

午前七時、西側通用口を見張っていた記者の甲高い声が
「ABC」にいる河井のハンディに飛び込んできた。

「ゲンポン、ゲンポン、
 人質が解放された模様です!
 若い女性です!」

救急車のサイレンが「ABC」の前を通過し、
すぐ北側で停まった。

「追っかけろ!」

工藤が怒鳴った。

未明に年輩の男性と女性が解放されて
特捜本部で事情聴取を受けているらしい。

解放された人質が心身ともに
くたくたになっているだろうことはわかる。

新聞記者なんかに会いたくない。

肉親の温かい庇護に包まれて眠りたい。

少なくとも話したくない。
  
その気持ちは十分にわかる。

しかし、われわれは会わなければならない。
会って話を聞かなければならない。

ほぼ一昼夜、犯人の銃の威嚇のもとに監禁されていた
行内の様子は体験した者からしか聞けないからだ。

工藤と黒川はこのあとも続くと予想される
人質の解放に備えて徹底的に
マークする体制を打ち合わせた。

大阪市消防局では前日から
十四の救急隊を現場に集結させていた。

同時に府立病院、昭和病院、警察病院など
二十七の医療機関に緊急搬送の
受け入れ方を要請していた。

「つまり、どの病院に走るかわからんわけや。
 自宅や勤務先に送ることもある。
 八方に目配りしとかにゃ、あかんなぁ」

黒川が前夜から銀行の要所に立っている
織田らのもとへ行き

「あのなあ」

と言いかけたら織田が笑ってひきとった。

「わかってま。
 救急車が飛び出したら所属とナンバー、
 行き先を確認してゲンポンに連絡でっしゃろ」

黒川は満足そうにうなずき、引き返した。

午前九時二十五分、六回目のレクが行われた。

捜査一課の木口調査官が声を張り上げて

「なぜ、解放されたかのか、
 特別の理由はないようだが」

と前置きして三人の名前をあげ、
解放の事実を発表した。

特捜本部が三人からたっぷり聴取したであろう
行内の状況死傷者の実態、恐怖の体験は
ものの見事に抜け落ちていた。

解放者の住所すらなかった。

木口調査官は記者たちの
くやしそうな顔にむかって続けた。

「みんな疲れ果ててんのや。
 住所を言うたら報道陣のみなさんが
 どっと押しかける。
 それがわかってるから住所は言えん。
 ただし、絶対に押しかけない、
 というなら住所を言うてもええで」

そして、どうや、とばかりに
取り巻いた数十人の報道陣を見渡した。

「それは、やめときまひょ」

即座に府警担当の記者から声が出た。

「これだけの数がいるんや。
 だれが訪ねていくかもしれん。
 守れるアテのない約束はしない方が
 フェアでっしゃろ」

言いながら、なに、ぬかしてんねん。

こっちでちゃんと調べたるわい、
どの顔にもそう書いてあった。

「それじゃ、住所は抜きや」

調査官はうなずき、もう一人、六十一歳の女性が
地下の貸金庫室に隠れていたのを午前八時十分に発見、
救出したとつけ加えてレクを打ち切った。

前線本部の「ABC」ではレクの三十分後には
四人の解放者の住所をつかんだ。

「できない約束をするぐらいなら、
 教えてもらわなくてもいい」

とタンカを切る以上、
府警詰めの記者にはそれなりの
情報入手ルートがあったのだ。


     夕刊の勝負が始まった。
【173】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月22日 17時01分)

【落とし穴】

大阪本社社会部にも朝陽が差し込み始めた。

犯人が断定されたいま、
まず重要なのは本人の顔写真だった。
こんな凶悪な事件を起こした梅川とはどんな男なのか。
なにはおいても、顔写真を手に入れる必要があった。

本社デスクでは梅川の郷里の広島、
香川の支局に手配するとともに
梅川は猟銃を持っているのだから、
狩猟免許の関係で写真があるはずだ
と府庁ボックスに電話を入れた。

電話に出た府政担当の水野成之は突然立つことになった
バッターボックスで自分の役割を判断した。

まず担当の自然保護課に走り、折り返し
梅川は大阪府の狩猟講習を受けたのち、
奈良県で狩猟免許を得ている、と連絡し

「写真は免許取得の申請書に付けるので
 奈良で手に入るのではないか。
 念のためこちらも講習終了時の書類を調べてみる」

と伝えた。

手配はすぐ奈良へ飛んだ。
  
頼むぜ、奈良さん、
と祈るような気持ちだ。

社会部ではそんな手配に追われながら
司法キャップの柳本は考えていた。

「強盗殺人の前科のある男にどうして
 猟銃所持を許可したりするのか。
 猟銃という武器さえなかったら、
 たとえ銀行強盗に入ってもここまで
 むごい事態にならなかったのではないか」

柳本は府警ボックスの四ノ宮を呼び出し、
府警が梅川に猟銃所持の許可するに
至ったいきさつを調べてほしい、と頼んだ。

留守部隊ではかばかしい情報が入らず
じりじりしていた四ノ宮はすぐに本部の保安課と
梅川に猟銃所持の許可を与えた住吉署の保安係へ電話を入れた。

「それがですねえ …」

係員の声は重かった。
それも当然、猟銃人質事件の犯人、
梅川昭美が持っている銃は
警察が正式に許可を与えたものであり、
その銃で同僚二人を含む数人が射殺されているのだ。

「欠格事項に該当しなかったものですからねぇ」

なじるような質問に住吉署の係員は
しぶしぶといった口調で説明した。

その内容はすぐに柳本のもとへ送られてきた。

銃砲刀剣類所持取締法の許可基準にいう欠格者とは次のものである。

一、十八歳未満の者
一、精神病者、麻薬、大麻、覚せい剤の中毒、または心神耗弱者
一、住居不定の者
一、禁止事項に違反して刑に処せられ三年未満の者
一、他人の生命、財産、公共の安全を害する恐れのある、と認めるに足る
相当な理由のある者

住吉署では当然、梅川の少年時代の犯歴を把握していて、
それが最後の項に触れるのではないか、と検討したのだという。

しかし、少年法六十条で

「少年のとき犯した罪で刑に処せられ、
執行を終わったりした者は資格に関する法令の適用を受けない」

と定められているのではねつけなかった。
つまり警察としても内心忸怩たるものがあったが、
法的に「待った」をかける理由がなかった、というのが係員の説明だった。

送られてきた原稿を目にして柳本は思わず腕を組んだ。

司法担当として日々、法廷取材をしていて、
ときに法の峻厳に身を正す思いをし、
ときに法がいかに日常とかけ離れたものか、
とあきれる思いがしているが、
今また、法律運用の落とし穴を見た思いがした。

法律上の許可条件がどうであれ、
強盗殺人を犯したことのある人間に凶器を持たせるのは
勇気を持って拒否すべきではないか。

柳本が原稿に手を入れだしたころ

「写真、入った!」

の声があがった。奈良県林政課に六ヶ月前、
梅川が免許の更新申請のため提出した
書類に写真が添付されていたのだ。

「はいったか!」

社会部長の黒田が大声で言い、
ダイヤルに手をかけた。

奈良支局に礼を言うためだった。
【172】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月22日 16時58分)

【早 暁】

午前二時四十分。

刷りあがったばかりの朝刊最終版と
深夜食の折り詰め弁当が「ABC」に届けられた。
ぬくもりの残っている朝刊は一、二、三面と
社会面二ページ、計五ページが事件関係で
埋められていた。

あの乏しい情報の中でよく
これだけの記事が書けたなぁ。

前線デスクの工藤は目の前に積み上げられた
原稿のガラ山を見ながら思った。

誰もがどっと疲れを感じていた。

小椋はとまり木の上で背伸びをして
両手で力まかせに首周りを叩いてから
新しいタバコに火をつけた。
もう百本は吸っただろう。

工藤はカウンターの奥に向って声をかけた。

「御主人、ひとつスペッシャルで
コーヒーたててくれんかなあ。うん。みんなに」

喫茶店主の夫妻は事件発生以来、ほぼ十二時間
ずっとカウンターの中でつきあってくれていた。
途中、何度か、もうやすんでくださいよ、と
二階の居間に上がるのを勧めたが
「いや、まあ」「そのうちに」と言葉を濁して
ときおり熱いおしぼりやお茶のサービスを
してくれていた。

「よろしゅおま」

夫妻はやっと自分たちの出番がきたのを喜ぶように
テキパキと二つのサイフォンに火をいれた。

コトコトと湯が音をたて、香ばしい香りが漂った。

河井がハンディをとりあげた。

「こちらゲンポン、各局に連絡。
 熱いコーヒーが入ります。
 ペアの一人ずつ交代でゲンポンまで。どうぞ」

無線に初めてやさしい指示が流れた。

その横で度の強い近視の眼鏡をかけた
成田一豊が一つの記事に見入っていた。

それは最初に解放された主婦が二人の男児を
しっかりと抱きかかえた写真を添えたインタビュー記事だった。

「凶弾に人質すくむ」のタテ凸版五段見出し。
「坊やの背、銃口ピタリ」
「伏せた頭上に薬きょう」

この記事は俺が書いたんだぞ。

成田は自分に言い聞かせるようにして、
そこばかりを何回も読んだ。

午後十一時に「ABC」に到着した府警キャップの黒川満夫と
工藤はコーヒーを飲み終えるとこれから先の取材体制を検討した。

朝刊では結局警官二人と銀行員が射殺されたこと
警官の名前、犯人が住吉区内に住むU(三〇)というところまで記事にすることができたが、
警官以外の死者の数、
その名前も確認できていない。

犯人の名前の確認と顔写真もこれからだ。
それに銀行内ではこれまでにどういうことがあったのか
おびえきっている脱出者からは
なかなか聞き出せていない。

さらに今後の事件展開も予想がつかない。
犯人は人質を楯にどのようにして逃げるつもりなのか。
その前に警察は突入して逮捕できるのか。
考えるとやるべきことはヤマほどあった。

疲れているからといって、
みんなしばらく休めということもできなかった。

とりあえずいつ事態の変化や突入があっても
即応できる機敏さと長期戦に備えて余力を残すという
二つの矛盾した要素をかみあわさなければならない。

完全徹夜で銀行の動きを見張るという辛い役割は
やはり若い記者に割り当てざるをえない。

工藤は決断した。

「府警ボックスの連中は車の中で仮眠。
遊軍の岸本、大谷らはいったん社に引き揚げて仮眠。
ただし七時には戻って来いよ。
その他クラブの応援組もひとまず
引き揚げて朝から出直し!勝負は長いでぇ」

それぞれが指示に従ったあと「ABC」には
工藤、黒川、小椋、河井の四人が残った。

喫茶店の店主夫妻も「それじゃ」と二階へあがった。

「すんまへん。明日もこのまま頼むわなぁ」

「あきらめてまっさ。どうぞご自由に」

店主の笑顔に疲労で棒のようになっていた工藤は少しばかり癒された。

冬の空が白みかけた午前六時十六分、レクがあった。

「犯人は無職、梅川昭美、三十歳」と発表された。

住吉区の現住所と広島県大竹市の前住所、
昭和三十八年の強盗殺人の前科
猟銃は本人のものであることも合わせて公表された。
【171】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月22日 16時47分)

【交 渉】

日付が変わった午前零時ごろから
一階の行内と捜査本部とのやりとりが頻繁になった。

■午前0時25分
梅川から二階の支店長室に

「階段の下に要求書を置いた。
 三十分以内に持ってこい」と電話がかかった。

要求書の内容は

「ラジオ、アリナミンA、カルシウム、
 人質の食事を持ってこい。室内暖房を強くしろ」

とあり、末尾に男子行員の追伸として
「(犯人は)極悪非道である」と書かれていた。

■0時30分
伊藤管理官が「要求はわかった」と電話。
梅川は「死がいがようけ、ごろごろしてまっせ」と嘲笑う。

ちょうどそのころ、
国鉄中央線多治見駅前にある交番の前を
落ち着かない様子でうろつく男がいた。

警官が声をかけると極度の興奮から
まるで泥酔者のようなメロメロな口調である。

「大阪の、大阪の銀行強盗はわしの友だちだ。
 ウメカワという。
 わしはあいつに車を盗んで提供してやった。
 車には四日市の焼肉屋の名前が
 書いてあるはずだ」という。

驚いた警官が緊急連絡。岐阜県警を通じて
大阪、三重両府県警に照会すると、
乗り付けられたライトバンは確かに一月十二日夜、
三重県四日市市の焼肉店経営者が
キーを付けたままにしているところを
盗まれた車両と判明。
自供した鍋島孝雄(三一)を窃盗容疑で緊急逮捕した。

中徹が多重無線車でキャッチしたのはこの情報だった。

■午前0時52分
梅川が行員を通じて
「洋酒一本、日本酒一升、缶ビール二本」を要求。
折り返し伊藤管理官が
「差し入れはビールだけ」と説得。

■午前1時
特捜本部がカップめん十個と
熱湯の入ったポットを差し入れ

■午前2時
震える女子行員を見て梅川は

「寒かったらその辺に転がっている
 死体に灯油をかけて火をつけたらええんや」

と薄笑いを浮かべて言う。

■2時5分
サンドイッチ十人分を差し入れ

■2時32分
女子行員が「ビールを早く、暖房を強めて」と電話

■2時40分
人質の男性が梅川に「トイレに行かせて」と頼む。
梅川が「お前、いくつや」と問い「七十六」と答えると
「帰ってもええ。ご苦労さん。長生きせいよ」と解放。

■2時55分
「ビールが届かない、早く」と女子行員が催促

■午前3時
缶ビール一本を差し入れ。
梅川は男子行員にひと口飲ませ、
十五分後、異常がないことを見極め一気に飲む。

■3時25分
梅川が「十分以内にラジオを入れろ。入れないときは人質を殺害する」と電話。

■3時53分
ラジオの差し入れがないことに腹を立てた梅川が発砲。
跳弾が男子行員(五四)の顔に当たる。
行員は再狙撃を怖れて転倒したまま死を装う。

■午前4時
梅川の母親(七二)が香川県引田町に
居住していることが判明。
捜査本部が香川県警に捜査を依頼

■4時30分
女子行員から「殺されます!ラジオを早く!」と悲鳴に近い声

■4時45分
梅川が突然「ビールのお返しや」と
客の人質女性(二四)を解放。

■午前5時7分
梅川が「警察は何を考えとるんや。
ラジオはどないなっとるんや」

直後に発砲

■午前6時12分
梅川が「早うもってこい、言うてんのがわからんのか。これが最後や」と電話

■6時15分
ラジオが差し入れられる。

■6時25分
梅川が酒を要求

■6時55分
梅川が伊藤管理官に「被害を少なくするのがお前の役目やろ。酒を入れたら帰す」と電話

■午前7時
伊藤管理官が梅川に電話
「酒を入れる代わりに人質のうち、客全員を解放しろ」
このあとラジオのニュースで
身元が分かったのを聞いた梅川は
「もうばれたか。しようがない」とつぶやく。

■7時24分
カップ酒一本を差し入れ

■7時40分
ラジオ差し入れのみかえりに主婦(四一)を解放。
行員には「最後は皆殺しや」と怒鳴る。
【170】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月20日 16時54分)

【特ダネ】

白石が多治見署の刑事課長と
やりとりしているあいだ、
「ABC」には中徹から
切れ切れながら、超一級の聞き込みが
ハンディを通して抑えた声で届けられていた。

「捕まった共犯の名前はナベシマ」

「ナベシマの話ではこちらの犯人の名前は
 ウメカワといっている。
 ウ・メ・カ・ワです」

「住所がわかった。いいですか。
 住吉区長居東六、そう言ってます」

聞くなり、加茂が表へ飛び出し銀行北口前で
張り番をしていた前川佳久を呼びつけた。
住吉区は前川の持ち場なのだ。

「すぐ、走れ」と工藤は早口で概要を説明した。

中徹から続報が入った。

「やはりウメカワだ。ウメカワアキヨシ。
 松梅の梅、三本川、昭和の昭に美しい。
 としは三十歳」

続いて

「住所、詳しくわかった。
 長居パークというマンション三〇三号室だ」

情報は同時に工藤が電話で社会部に
河井がハンディを持ったまま、前川へ伝えた。

前川は現場から二キロ、
寝静まった長居の住宅街を車で捜しまわり
やっと長居パークを見つけた。

階段脇の郵便ボックスの三〇三号を見つけた。


梅川ではない。 プラムとある。


プラム? 梅だ!

  
三階へ上がった。


三〇三号室のドアを思い切りノックする。

応答がない。

そのとき、階下からドタドタッと
乱れた足音がのぼってきた。

荒い息をした二人の機動捜査隊員だった。

「あんた、だれや、でてってんか」

「取材は勝手やろ」

口げんかになりながら、前川は腕時計を見た。

福井支局から大阪社会部に上がって一年、
最高に緊張した一瞬だった。

やむなく前川は玄関に走り下りてハンディで
梅川の住まいが実在し、留守であることを告げ、
今サツともめている、と叫んだ。

傍受した中は「しめたっ!」と思った。

サツともめてるんならアタリだっ!
同着なら特ダネかもしれない。

そのとき多重無線車から一人の捜査員が出できた。
運よく中がよく知っているデカだった。

「ウメカワやな」

相手はどきっとした表情を浮かべ、
ややあってニヤリとした。


「ええ…でえ」
 

言うなり、相手は駆け去った。

いよいよアタリだ。

「梅川の線、確度高い!」

声を抑えるのを忘れて中はハンディに怒鳴った。

工藤は社会部を呼んだ。

柳本が出た。

受話器を投げ出すようにして、
柳本は一階下の大組台に走った。

待ち受けていた整理部デスクと
ドキュメント担当の瓜谷修冶が同時に

「よっしゃ!」

と大声をあげた。

整理部デスクが一面に

「犯人は住吉区の男、三十歳」

と叩き込み、
瓜谷がドキュメントの末尾に
貴重な一行を書き加えた。

<1時55分、犯人は大阪・住吉区のU(三〇)とわかる>


わずか一行だが百人を超す記者が奔走、
追跡した中でキラキラと光る特ダネであった。
【169】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月20日 16時55分)

【共犯逮捕】

中徹が「ABC」に共犯逮捕の情報を入れたのと
ほぼ同時刻、本社社会部に
隣接した連絡部のデスクが大声をあげた。

「岐阜県の多治見署で共犯がパクられたらしい。
 岐阜支局から東京本社に連絡が入ったらしいんや。
 わかり次第、原稿送るいうてまっせ」

「なに、共犯がパクられた?」

「どういうこっちゃ」

横で原稿を書いていた司法担当の柳本清三と
遊軍の白石善和が連絡部デスクに
食ってかかるように聞いた。

「いや、それしか分からへんのや。
 もうちょっと待ってや」

連絡部のデスクはそう言いながら
ホットラインのキーをあげ
東京のデスクを呼び出している。

「ともかく前線本部に電話や」

柳本が「ABC」へダイヤルした。

電話に出た工藤は
「へえっ、そっちもでっか」
と声をあげ

「実はさっき、中君から情報が入ったばかりや。
 捜査員もあわててるらしい。
 両方の話が一致すれば、これはいける線やで」

と声を弾ませた。

やりとりを聞いていた白石は交換台に

「岐阜県の多治見署につないでくれ」と頼んだ。

二、三分で多治見署につながった。

「もしもし、刑事課長さんをお願いします」

「はい、どちらさんですか」

「大阪の読売ですが」

「ちょっとお待ちください」

男の交換手が言い終わるとコール音が鳴った。

こんな深夜なのに「刑事課長」といっただけで
交換手が電話をつなぐということは
課長が署に出て来ているということだ。

やっぱり何かあったのだ。

共犯が捕まったのは本当らしい。
それにしてもなぜ、岐阜に共犯がいるんだ。

コールが続いている。

時間がないんだ。どうして出ないんだ。

いつもは落ち着いている白石が
ジリジリとしているとコールの音がとまり
荒い息遣いの太い声が伝わってきた。

「はい、もしもし」

「お忙しいところすいません。
 三菱銀行事件の共犯者の名前はなんと言いますか」

「ナベ … 大阪府警の方ですか」

「えっ・・・」

どうしようか。交換手は読売とは言ってないらしい。
白石は「ああ、そうです」と言いたい誘惑にかられた。

共犯者の名前は「ナベ○○だ」
やっぱり、捕まっているんだ。
しかし、いくら欲しい情報でも
相手を騙して聞き出すわけにはいかない。

「読売新聞大阪本社の社会部です。
 共犯はすでに署に連行してきているんですね」

「読売さんか。うーん、署まで連れてきているけど
 共犯かどうかはまだわからんよ」

案の定、相手の口は急に固くなってしまった。

だが、ナベ○○が今、大阪で起きている事件に
なんらかのつながりがあって
捕まっているのは間違いない。

大阪と岐阜をつなぐどんな関係があるのか
少しでも探りださねばならない。

「そのナベなんとかと、今起きている
 人質事件と関連があるわけですね」

「だけど今、分かっているのは
 車を一緒に盗んだというだけですからね」

そうか ―― 多治見署に捕まっている男は
立てこもり犯が乗ってきた車を盗んだというわけか。

「車を盗んでどうして大阪から
 そんな離れたところへ行ったんですか」

「その点は今、調べているんですよ」

「いずれにしろ、車を盗んだ、と
 本人は言っているわけですね」

「そうです」

「つまり自動車窃盗ですでに逮捕しているんですね」

「ええ」

「名前はナベなんと言いますか」

「それは大阪府警から聞いてください」

「大阪の犯人はなんという男だと
 そのナベは言っていますか」

「それもね、大阪府警から聞いてください。
 こちらは関連被疑者を逮捕している、
 としか言えません」

そこで電話は切れた。
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