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【188】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月31日 16時13分)

■午後3時15分

行員が負傷している三人の解放を懇願。

梅川が「あかん」と言ったとたん、
死を装っていた行員が
「出したってくれ」と叫ぶ。

梅川は「生きとったんか、殺したる」と
散弾銃を構えるが、まもなく
「三人を出したれ」と指示。

■午後3時35分

負傷行員三人を解放

■3時55分

梅川が「一階フロアに灯油をまき、放火する」と電話
消防車二台が駆けつけ、放水準備

■午後4時

営業係長が「予定通り配っている」と電話

■4時24分

梅川が

「月見うどん十七、マカロニグラタン一、
 ポタージュスープ九、ローストビーフ一、
 シャトーマルゴーの67年ものワイン。
 なければシャンテミリオンオブリオン。
 ワインはボネールにある」

と差し入れ要求の電話

■4時54分

客の人質男性(二五)を解放

■午後5時40分

人質から「夕刊を差し入れて」の電話。
夕刊を差し入れ

■午後6時5分

ローストビーフ、ワインなどを差し入れ。

梅川は人質に

「これが最後の晩餐会や」

■6時30分

営業係長が梅川と特捜本部に相次いで電話

「配るのが十時ぐらいまでかかりそう」

■午後7時

遺体が腐敗し始める

■午後7時7分

正露丸とパンシロンを要求

■7時18分

薬を差し入れ

■午後9時

営業係長が伊藤管理官に

「五件分の借金は返した。
 残りは相手方の関係で明日になる」

と電話。伊藤管理官が梅川に伝える。

■9時37分

咳き込んでいた女子行員(二四)を解放

■9時39分

営業係長が特捜本部に入る。

警察側が突入計画を打ち明け
「チャンスがあれば合図をくれ」と説得

■午後10時10分

営業係長が人質として一階に戻る

■午後11時5分

営業係長の報告に満足した梅川は
発熱していた女子行員(四〇)を
「これが最後や」と解放。

この時点で人質は全て行員、
男七、女十八の計二十五名
【187】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月31日 16時14分)

【行内二日目】

早朝から人質の一部解放が行われた事件二日目、
銀行の内部ではどんな動きがあったのか。

再び、時計の針を戻してみる。

■午前8時30分

特捜本部がコーヒー三十五人分を差し入れ

■8時47分

梅川が伊藤管理官に電話

「玉出(西成区)の交差点手前に
 ボネールというレストランがある。
 その前におれのマツダ・コスモが停めてある。
 トランクの中に知人から借りた8ミリ撮影機がある。
 おれは死ぬから本人に返してくれ。
 トランクの中には散弾もあるから
 それは警察で処分してくれ」

■午前9時5分

客の男性人質(五七)を解放

■9時15分

梅川が知人の喫茶店主やスナック経営者らに電話

「新聞で知ってるやろ。計画してやったんや。
 みんな元気でやれ。借金は返す。
 女を人質にとると警察には効果あるでえ」

■9時30分

特捜本部がボネール前のコスモを発見。
撮影機と散弾百二十発を確認。
梅川が「朝刊をすぐ持ってこい」と電話

■9時38分

朝刊を差し入れ

■午前10時

梅川は女子行員に服を着けさせ始める

■10時20分

梅川が「ビールくれ」

■10時38分

行員を使ってビール要求の電話、
以後七回、同じ要求を続ける

■10時58分

梅川、ビールが届かないのに怒り、発砲

■11時4分

伊藤管理官が
「ビールを入れた。
 おふくろさんが心配して駆けつけた」と電話。

梅川は
「おふくろが姿を見せたら
 一緒に死んでしもたる」と興奮

■11時48分

客の人質女性(二五)をビールの
差し入れの見返りに解放

■午後0時45分

一階の暖房装置が一時故障

■午後1時

一階に取り付けられた集音マイクを通じて女子行員の
「お願い、撃たないで!」と悲鳴に近い声

■午後1時13分

特捜本部が弁当三十三人分を差し入れ

■1時45分

差し入れの見返りに客の人質女性(二四)を解放

■1時47分

伊藤管理官が梅川に「おふくろさんに代わる」と電話。
母親が「もしもし」と呼びかけるが、
梅川は返事をせず切る

■午後2時42分

梅川が人質の業務係長(四〇)に
愛人宅など金の配り先八ヶ所のメモをとらせる。

浪速区のスナック経営者に

「銀行員をあんたのところへ行かせる。道案内を頼む」

と電話。

営業係長を一時解放。
梅川は「金を届けてこい。失敗したら人質全員を殺る。
金を渡したらそのつど、電話してこい」

■2時45分

営業係長が銀行を出る

■2時55分

女子行員を通じて
「リポビタンD三本を入れろ。代わりに人質を出す」

■2時58分

リポビタンD三本と母親の書いたメモを差し入れ
【186】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月31日 16時10分)

【会 見】

事件発生から二日目の夜も更けた午後十一時十五分
新田勇・刑事部長による初めての現場会見が行われた。

煌煌としたテレビライトを浴びた新田は

「それでは概況を説明する」

とぶすり、とした表情で口を開いた。

「死傷者は従前の通り。
 人質ままだ相当数残っているので、
 慎重に対処したい。
 これからの対処方法は基本を守りつつ、
 かつ犯人の特徴的な事柄が
 時間の経過とともに分かってきたので、
 じっくりと行いたい」

と述べ、ひと呼吸おき

「場合によっては決断を下すこともあり得る」

とつけ加えた。

ざわめきが起きた。

  
舌打ちも聞こえた。

誰もが失望している。

新田は警察庁から外務省に出向し、
在米日本大使館の一等書記官として
四年間のアメリカ暮らしを経験してきた
筋金入りの官僚警察官である。

「それにしても、この場ならもうちょい、
 ええことしゃべりないな」

一課担当の枡野はメモをとるのを途中でやめて
いささか呆れ顔で新田の顔を見つめていた。

――――――   決断を下すとは、突入するってことか。

闇の中から質問がとんだ。

「そんなこたぁ、聞かんでもわかるだろ」

むっとした拍子に新田持ち前の江戸弁が出た。

――――――   犯人の態度は

「硬軟、両様の行動をとっているってところか」

――――――  死者の氏名は

「氏名は確認できていない」

――――――  行員の死者は

「二人ぐらい、いるだろうな」

――――――  犯人からの具体的な要求は

「なにかをくれ、というようなものではない」

――――――  母親との接触は

「全くなかった、とはいえない」

――――――  母親は帰ったのか

「帰ってはいないな」

――――――  犯人の疲労度は

「そうだな。相当くたびれた様子、といっていいか」

あちこちから飛び出す質問を新田はもう、
このへんでいいだろう、
というふうに手で制し、

「そうだ。現在残っている人質は男七名、
 女十八名、計二十五名である」

以上、と言って会見は打ち切られた。

なんや、しようもない。  
顔見せ会見やないか。

ぶつぶつ言いながら記者たちは散っていった。

新田勇刑事部長と坂本房敏捜査一課長は
並んで銀行の方へ引き返していった。

府警キャップの黒川満夫も
その二人に肩を並べて歩き出した。
新田は黒川の顔を横目で一瞥したが、
何も言わなかった。

毎日、一度は顔を合わせ、冗談も言い合う仲である。
黙っていてもお互いに通じるものはある。

三人は機動隊が固める包囲陣の中を
真っ直ぐに突っ切って歩いた。

一人では記者が入り込めない場所である。

「近いでっか」

黒川は前を見たまま尋ねた。

「うん、疲れとるからなあ」

疲れている、というのは犯人のことであろう。

「スキあれば、ということでんな」

「そうだ。何度かチャレンジしてるんだが」

「そろそろスキが出てくるころでんな」

探りを入れる黒川に新田はチラッと目をくれた。

「そろそろ、限界だろうなあ」

三人は銀行西側の通用口前まできた。
奥に特捜本部に通じる非常階段が見える。

黒川は新田と別れて道路向かい側へと引き返し、
改めて銀行周辺を眺めた。

機動隊の包囲の輪が縮まっているように感じた。

三十分前には半数の隊員が腰を下ろしていたが
今は全員が楯の内側に片ひざをつけた姿勢で
シャッターの下りた玄関口に相対している。

ひざを付けた足が地面を蹴れば突入だ。
銀行内部では狙撃隊が機を
うかがっているのではないか。

「近い」

黒川は改めて察知し、
小走りに「ABC」に戻るとサブキャップの河井に

「一応、午前零時、突入の線で体制を組んでくれ」

と指示し、踵を返して銀行の方へ向った。
【185】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月30日 16時30分)

【タンテイ】

死者はやはり、支店長と窓口係だった。

連絡を受けた社会部は騒然となり、
整理部からもバタバタと数人が駆け寄ってきた。

と、社会部に響くような大声がした。

「それは情報か、確認か!」

社会部長の黒田であった。

黒田の大声でざわめきが一瞬、
水を打ったように静まった。

だれもが名前が割れた
「いきさつ」をまだ聞いていないのである。

谷本は息を弾ませて前線本部の「ABC」に駆け戻るや
工藤に取材の模様を手ぶりを交えて報告した。

「支店長については二度、繰り返したんだな」

「そうです。最初、支店長と言い、念を押すと
 森岡支店長とはっきりと言いました」

「手術直後で意識があいまい、
 ということはなかったな」

「大丈夫です」

「よし」

工藤は社会部に電話を入れ「誰かデスクを」と叫んだ。

工藤は言った。

「支店の行員がはっきりと二人の名前を言っている。
 警察の確認となるとこれは遺体が出て、
 対面した家族がそうだ、と
 言わないかぎり、公式発表はせんだろう。
 僕はこの行員の言葉を信じるしかない、と思う」

「むつかしいとこやが、そういうこっちゃろうなあ」

前線本部では黒川と河井が
警察サイドでもなんとかダメ押しをしたい、
と捜査一課担当の桝野と津田を確認に走らせていた。

事件の渦中では責任あるポストにいる役職者は
まず、口を割らないものだ。

こんな際、頼りになるのは
中枢の情報に接することができ、
長年の取材を通じてハラの分かり合った
「タンテイ」と呼ぶ一線の捜査員に限る。

桝野と津田は別々にそんな相手を求めて
警察官の中を泳ぎ、桝野はいつしか、
銀行東側の多重無線車のそばに来た。

前夜、中徹が「犯人は梅川」と
聞き込んだ例の場所である。

この夜も多重無線車の付近は閑散としていたが
それでも錯綜する通信をさばくために
捜査員の出入りは続いていた。

車の陰に隠れて枡野は相手を待った。
何人かの捜査員が気付かずに通り過ぎた。

枡野は辛抱強く待った。

やがて中年の「タンテイ」がきた。

枡野が車の陰から声をかけた。

「なんや、枡っさんやないか」  相手が応じた。

「行員の死者やけどなぁ・・・」

枡野はわざとのんびりした口調で言った。

「支店長はんと窓口係りということでいっとんやけど
 ええ、やろうなあ …」


相手はじっと闇を透かして枡野を見ている。


「 … ええ、でぇ 」


「おおきに」


枡野は闇のなかを「ABC」にむかって駆け出した。
【184】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月30日 16時25分)

【代表質問】

手術室を出た谷本たちは二階のICUの前に集まった。

「ご家族です」

脳外科部長は記者たちに言い、あとはあなた方次第、
というふうにうなずいて歩いていった。

長イスには結婚後間もない行員の妻と
夫婦それぞれの両親がいた。
銀行員の付き添いはいない。

「ほんのちょっと、
 ご本人の話をうかがってよろしいでしょうか。
 副院長は二、三分ならいい、
 と言っておられるんですが」

家族たちは顔を見合わせた。
と、行員の父親が口を開いた。

「いいです。あれは体力に自信のある子です。
 高校ではバレー部のキャプテンでしたから」


父親は自分に言い聞かせるような口ぶりだった。


ひとしきりざわついた廊下に静けさが戻ったとき、
行員を乗せたストレッチャーが近づいてきた。

一斉に腰を浮かせた家族たちがもどかしげに
それでも足音を忍ばせてストレッチャーを包み込んだ。

「大丈夫か」

「痛むか。気分はどうや」

行員は微笑もうとし、

「だ い じょう  ふ」

と口を動かした。

麻酔が十分に醒めていないのか、
少しろれつの回らないところがあった。
しかし、眼や口元には、
はっきりした意識の醒めた表情があった。

ICUの入り口で記者団が家族に代わってストレッチャーを取り巻いた。

看護婦の顔は「やめてあげて」と言っている。

谷本は枕元の位置に立っていた。
彼は質問をひとつに絞ろうと決めた。

他社の記者を見回し、
目顔で「まかせろ」の了解をとった。


代表質問である。


谷本は行員に顔を近づけ、
ちょっとハスキーな声をゆっくり刻んで質問した。

「銀行の方が撃たれて亡くなられた、
 と聞いていますがそれはどなたですか」

行員の眼は谷本を見上げている。

「支店長とH君です」

声は低いが言葉は、はっきりしている。

「支店長ですか」

「はい、森岡支店長です」

すべての記者がはっきりと聞きとった。

「お大事に」

瞬時に記者たちが散った。

谷本は車に飛び乗るなり、
無線でゲンポンを呼びだした。

二人の死者の名前はただちに社会部にリレーされた。
【183】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月30日 16時22分)

【散 弾】

阪和記念病院では谷本真が
男子行員の手術が終わるのを待っていた。

救急車を追ってきた谷本は玄関口で
二人の警官と病院の事務員に立ち入りを拒まれた。
だが、警官はともかく事務員の態度は柔らかで

「ここまでで勘弁してください。
 すぐ、手術しますから。
 その結果をみて、みなさんに
 便宜が図れるか考えてみましょう」

と言った。

これまで散々、銀行本部から送り込まれた
職員たちの鉄面皮な応対に
辟易していた記者たちに
異存のあるはずはなく
「宜しく」と引き下がった。

職員は三十分おきに通用口に顔を出したが

「まだ、終わりません。
 何時になるか、わからないようです」と言う。

「重傷なんですか」

「さあ、それは。散弾を摘出するのに
 時間がかかるんだと思います」

「まだ、一、二時間は」

「それぐらいはかかるんじゃないですか」

一人去り、二人去った。

新聞記者というものは自分の持ち場に動きがないと、
ほかの場所でなにか始まっているのではないか、
と不安にかられる。

谷本はとりあえずカメラマンに待機を頼み、
いったん現場へ引き返した。

投光器に照らし出され、
機動隊が二重、三重に銀行をとりまく光景は
緊迫感に満ち、いまにも何か、起こりそうだった。

午後九時過ぎ「間もなく手術が終りそうだ」と
カメラマンからの連絡が谷本に届いた。
最初に搬送された病院を含め、五時間が過ぎている。

谷本が病院に着いて十分足らずの間に
四人、五人と記者やカメラマンがやってきて
最初の十人が顔をそろえた。

病院側は約束通り、残留組に
手術の終了を連絡してくれたのである。

「どうぞ」と一同は二階の副院長室に通された。
ほどなく手術着をつけたままの
中年の医師が入ってきた。

事務員から手術を担当した脳外科部長、
と紹介された医師は
丁寧な口調で説明を始めた。

「こちらへ転送されてきたときは脱水症状がひどく
 まあ、疲労困憊の状態でした。
 普通の方なら手術に耐えられるか、
 危ぶまれるところですが
 お若いし、体も鍛錬されていたようなので
 六時十五分から手術に入りました。
 遅れると鉛中毒が怖いですからねえ。
 終わったのが九時半。散弾は五十九発摘出しました。
 幸い頭骨には損傷がなかったので
 全治一ヶ月という、ところでしょう」

「で、ご本人に質問できるでしょうか」

谷本は一番気になる点を質した。

「あと三十分もすれば麻酔がとれるでしょう。
 二、三分ぐらいなら、いいと思いますがね。
 ただし …」

と医師は記者団を見渡して

「ご家族の了解をとっていただかねばなりません」

と言って

「じゃ、ご案内しましょう」と先に立った。

一同が着いたのは三階の手術室前であった。

看護婦が一人、一人の上着に
消毒液の匂いが漂う手術衣を着せた。

重いドアが開かれると、ポツンと置かれた手術台の上に
青白い顔の若い男が横たわっていた。

「これです」と医師が指したガーゼを敷いた
金属トレイの上に大小の散弾が並んでいた。

大きいものは小指の先大。
小は米粒より小さなものまで
とりどりの散弾が鉛色の不気味な膚を光らせていた。

カメラのシャッターが一斉に切られた。
【182】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月29日 15時06分)

【老刑事】

一課担当の津田と遊軍の大谷が
レクの報告のため「ABC」に戻ってきた。

津田はこれ以上、自分一人で
疑念を持ち続けられない気持ちで
だれにともなく

「どうも死者の一人が支店長やないか、
 という気がするんですが」

と言った。

居合わせた全員が津田の方を見た。

津田は疑念の根拠を語ったが、
我ながらどうも説得力に乏しいと思いながら
最後に付け加えた。

「デカの一人が言うんですがね。
 行内の捜査本部から梅川に支店長を出してほしい、
 というと梅川が支店長は殺した、と言ったそうです」

全員がこの情報の確度を
推し量るようにシーンとなった。

梅川が「支店長を殺した」といっても
それは梅川のハッタリかもしれない。

しかし、工藤は支店長が
犠牲になっている確率は極めて高いと思った。

府警キャップの黒川も同じ思いだった。

「よっしゃ。その線で絞っていこ」

黒川の一声で大谷が

「わてがやりま」と進み出た。

「そやけど、このあたりに一課の
 なじみの顔が見当たれへんでえ」

と言うと、津田がひきとって、特捜本部にいるほかは
住吉署で共犯の鍋島を取り調べているんだ、
と説明した。

とりあえず、一課の顔なじみをつかまえるために
大谷は車で五分の住吉署へ向った。

こういう重要情報は前線の中枢より
意外と後方で拾えることがある。

しかし、デカ部屋はがらんとしていた。

案の定、頼みの一課の連中は
調べ室で鍋島と対座している、という。

一人、一課の情報係が警察庁あての
報告書下書きをしていたが
手元にあるのは鍋島の調書だけである。

「情報係」というのはいろんなことを知っているのだが
それだけに上層部からの締めつけは厳しい。

こんな連中をいくら揺さぶっても
何も出てこないことは
大谷も経験でよく知っている。

「無駄足だったかなあ」

と帰りかけたとき、奥の方の
石油ストーブの横で机に足をあげて
テレビを見ていた初老の刑事が

「よおっ、久しぶりやないか」

と声をかけてきた。

大谷が八年も前に南大阪方面のサツ回りをしていたころ
所轄署の捜査係をしていた刑事だった。

なつかしそうに手をあげている。

「わしはなぁ、きのう当直に当たってたもんでな。
 こっちに残されてよ。
 泥棒やケンカの処理ばかりやよ。
 あほらしゅうもない。
 なあ、こんな事件
 あんたらもいっしょやろが、
 自分で現場、踏みたいわなぁ」

そう言いながら天井を見上げている。

「しめたっ」と大谷は思った。

このオッサンの雰囲気にはどことなく、
知ってることなら言うてもええでえ、
という匂いがある。

だが、隣に同じ当直組に入れられてしまった
若い刑事が同じように
ストーブに手をかざしていた。

大谷が昔話で本題への糸口を探ろうとしていると
若い刑事が二人のやりとりに
気を利かせたのか立っていった。

「で、支店長はどないなっとる?」

「うん、つまり、いかれとるんやろ」

「死んでいる?」

「ああ、わしら随分前にそう、聞かされたで。
 早うに撃たれた、いうて。間違いないわ」

若い刑事が戻ってきた。

と、老刑事は声を張り上げて

「あんたらも大変やなあ。
 そらそうと、かあちゃん、もろたんやろ?」

顔が笑っている。

ありがたい。

「根拠」にはまだ遠いが、少なくとも大谷は
百パーセント間違いないと信じた。
【181】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月29日 15時01分)

【推 理】

捜査一課担当の津田哲夫はキャップの黒川に
ハッパをかけられるまでもなく、
死者の名前を割り出すのは自分の役目だと
追いたてられる思いで捜査員の間を渡り歩いていた。

彼はそれまで一課の捜査員や鑑識課員、
科捜研の連中の誰彼に探りを入れて
その一人から

「死者は男子行員で頭文字はH」

と聞かされていた。

そのHを三菱銀行大阪事務所から入手した
北畠支店の職員名簿と照合してみた。

名簿は前年四月現在のもので、
一般行員については
その後の異動分は書き加えていない
ということだったが、
その名簿に関する限り、男でHの頭文字は
窓口係(二〇)しか該当者はいなかった。

窓口係なら、犯人と最初に出会うはずだ。

梅川は銀行に押し入ってすぐ、猟銃を撃っている。

それは二人の警官が到着する前のことだ。

ひょっとして、犯人に立ち向かおうとした
この窓口係の男性が
最初の犠牲者ではなかろうか。

もうひとつ、津田にはひっかかることがあった。

これまで犯人との電話のやりとりなどのレクで
支店次長の名前がよく出てくるのだが、
新任の支店長が一度もでてこない。

人質になっているにしても、
特捜本部とのやりとりで一度くらい
人質の代表や犯人の要求の取次ぎ者として
名前がでてきてもいいのではないか。

そう思って、津田は何度か捜査員に

「支店長、どうしてる?」

と尋ねているが

「いや、知らん」

「それが分からんのだよ」

と答えが返ってくる中に一瞬、
戸惑いの表情が浮かんでいるのを見逃していなかった。

犠牲者の一人は支店長ではないか。
この線でもっと突っ込んでみなくては、
と津田は思っていた。

午後八時四十五分、九回目のレクが始まった。

捜査一課の木口調査官にも
さすがに疲労の色がにじんでいた。

レクの内容は人質になっていた客四人が解放、
自力で脱出したとして

「そういうわけであとは全員行員や。
 夕食の要求があったので
 うどんを差し入れた。以上や」

と一方的に打ち切るとくるりと背を向けた。

「待ってや」

津田と大谷が声をかけた。

「死者の確認はどうなってるんや。
 それに現在の人質の数がレクにないやないか」

「それがわからんのや」

「そんなはずはないやろ」

「わからん、いうたら、わからんのや」

木口は背を向けたまま頭をふった。

その背中には警察は絶対に言わんぞ、
という強い意思が読みとれた。

「待ってくださいよ」

大谷は食い下がって行員の家族はもしや、と
どんなに不安な思いでいるか、と訴えた。

しかし、木口の背中は微動だにしない。

なおも追いすがろうとして大谷は足をとめた。

「こんなところで言うはずないや」と
悟ったからである。

彼も長い間、捜査一課を担当していたから
警察の気質は十分に知っている。

警察としてはあくまで遺体が銀行の外へ出て、
家族や同僚が確認しない限り本人であると断定しない。

それがタテマエであり、こんな公開の場で
そのタテマエを崩すわけがないじゃないか。

「おい、大谷、お前、ちょっとのぼせとるんと違うか」

東京育ちで記者になってから身につけた
自己流の大阪弁で大谷は我と我が身につぶやいた。
【180】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月29日 14時58分)

【死者は誰だ】

前線の取材本部では誰の胸にも思い澱りがあった。

特に府警キャップの黒川満夫は気分が重かった。

早朝から解放された人質や梅川の母を追いかけ、
ウマに食わせるほどの原稿を夕刊に送ったが
肝心なことがいまだに、つかめないでいる。

死者は誰なのか。

人質は何人残っていて、それは誰なのか。

これまで無傷で解放された人質はすべてあのとき
銀行内に居合わせた客たちであって銀行員ではない。

だから、苦労の末、その解放された
人質から聞き出せたことは
行内の模様や犯人の様子であって、
死者が誰であるかは客自身、知るすべもない。

死者は四人でうち、二人は事件発生直後に行内に
突入した警官であることはほぼ間違いない。

残り二人が行員であることも解放された客の目撃談や
捜査員への聞き込みで疑いようがない。

しかし、それが誰かが、
確認できていない。

考えてもみるがいい …と
黒川は自分に言い聞かせた。

多くの人の目の前で凶悪犯によって人が射殺された。

それから丸一日、新聞、テレビは
その事件にかかりっきりで報道している。
それでいて、被害者の身元がまだ分からない。
こんなことが今までにあっただろうか。

人質になっている行員の家族は
どんな思いでいるのだろう。

もしや私の夫や、息子では・・・

現にそういう問い合わせは
社会部にもいくつか来ていた。
その人たちのためにも早く犠牲者を割り出したい。

第一、いまだに犠牲者の名前が載せられないなんて
新聞記者としてザマないじゃないか。

黒川は「ABC」でハンディを握っている
サブキャップの河井に

「とにかく死者の名前を割り出すのが第一やでぇ」

と言い、銀行周辺に散っている
府警詰めを一人ずつ呼び出しては
名前の確認を急ぐよう指示させた。

黒川と河井は阪和病院をマークしている
サツ回りの谷本真に期待をかけていた。

夕刊の締め切り後に初めて銀行員三人が
解放されていた。

いずれも負傷していて、
うち二人は府立病院に搬送されていたが
一人は後頭部に負傷しているのか、
頭に包帯を巻きながらも
気丈に捜査員の肩につかまって
救急車まで歩いて行っていた。

河井はその行員の気丈ぶりから、
死者の名前が聞きだせるかもしれない
と思い、谷本に救急車を追わせていたのである。

谷本は救急車をピッタリと追跡し、
八分後に阪和病院に着いた。

車を降りるなり、搬送される担架に駆け寄ったが、
玄関に三人の捜査員が先回りして
谷本が入るのを阻止した。

医者に容態を聞きたい、
と申し入れたが三人は顔を振るばかりである。
そのうち、他社の記者も駆けつけ、
同時に大阪本部の銀行員も二人やってきた。

ここでもまた、報道陣、警察、
銀行の角の突き合いである。

やっと谷本は捜査員の一人から運び込まれたのは
銀行寮に住む貸付係(二六)で
全治三週間の見込みとの
診断結果を聞きだした。

捜査員を介しては死者の名前を
聞き出すことなんてできやしない、
と谷本はこの行員に会える
チャンスを待つことにした。

しかし、三十分後には行員は再び
担架で救急車に運び込まれ
寮とは反対方向の南へ走り出した。

再び谷本が追う。

着いた先は脳外科のある阪和南病院であった。

行員はすぐ手術室へ運ばれ、
谷本は入り口前で手術が終わるのを待った。

事件発生から二日目の陽はすでに暮れかけていた。
【179】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年06月04日 13時40分)

【証 言】

浅田からの情報を元に
石田が書いた原稿を
社会部で受け取ったのは
デスクの田村洋三である。

最初、さっと目を通したとき、
右肩に四十数発の散弾を受け
左耳がそがれるのは、ちょっとおかしいなと感じた。

田村は散弾が耳をそいだ、と「読んだ」のである。
これは右耳の誤りではないか、
と改めて原稿を読み返して
「切り取られ」の字句に気付いて愕然とした。

梅川の凶器は猟銃と警官から奪った
拳銃ばかりと思っていたが
刃物も使っているのか。
 
しかも耳をそぐとは何事だ。

「原稿の突っ込みが足りん。石田を呼べ」

温厚な田村の珍しい怒声に遊軍の一人がすぐさま
府立病院の守衛室に電話を入れた。

うまく石田がつかまった。

「梅川は刃物を持ってるんかあ。
 そのへん、しっかり取材しろよ」

田村の大声にちょっと絶句した石田が

「実はですねぇ」

と浅田の取材の一件を伝え

「いま、浅田君が再度、確認に走ってます」

と結んだ。

節句するのは田村の番だった。

「なんやてえ、きみい!」

この情報があらゆる現場で流れ出したら
万が一の場合、大変なことになる。

「とにかく、そちらでの確認を急いでくれ」

やっと、それだけ言って電話を切ると
田村は吐息をついた。

今もあの銀行の内部で展開されている事件が
いよいよ並みの強盗事件とは類を異にしたものを
はらんでいることが、はっきりしたからである。

ドス黒い底なし沼を、垣間見た思いがして
田村は二、三度首をふった。

浅田と石田は府立病院三階の手術室の前で
救急部長が出てくるのを待っていた。

午後四時前に始まった手術は
延々五時間になろうとしている。
九時過ぎになってやっと
手術室のドアが開き、救急部長が現れた。
ドアの前には石田ら五人の記者がいた

「では、ご説明しましょうか」

廊下で応急のぶら下がり会見となった。

「御本人の意識ははっきりしています。
 きのう、午後四時ごろに撃たれた、
 と言っておりました。
 撃ち込まれた散弾は三十発ほどで、
 うち一発は貫通していましたが
 心臓を外れていたので生命は大丈夫です。
 いや、ほんとに気丈な方です」

それだけ言うと、救急部長は心底疲れた、
というふうに肩を落として廊下を遠ざかっていった。

その疲れた影が角を曲がるのを見届けて
石田と浅田は小走りに後を追った。

「御本人の意識は大変はっきりしているのですね」

と後ろから浅田が声をかけた。

「ええ、それは今も話しましたように」

振り向いた救急部長のけげんな表情に眼をあて、
浅田はスパッと切り下げるように質問した。

「左耳を同僚に切られた、
 と言っているのは本当ですか」

救急部長はじっと二人を見つめ、
それからゆっくりと頷いた。

「ええ、本当です。あの方は散弾を浴びて倒れ、
 とっさに殺されると思って死んだふりをした。
 そしたら、犯人が他の行員を銃で脅して
 耳を切るよう命じた、と話していました。
 私は医者ですから冷静に治療しましたが、
 鋭利な刃物で上半分が切り取られた耳を見て、
 残忍な …と思いました。
 しかし、あの方は決して切った同僚に
 恨みはもっていない、とはっきり、
 そう言ってました」

これでもう、いいでしょう。
というふうに、救急部長はスタスタと去っていった。

間違いない。

錯乱などでそのようなしっかりした
話ができるわけがない。

石田は病院の外の電話ボックスから
社会部の田村を呼んだ。

聞き終わった田村は言った。

「わかった。
 被害者が医者に話した事実として、紙面化しよう」

先ほどの興奮した大声とは違って
田村の応答は低く、沈んでいた。

その声で石田はデスクにも
事の怖ろしさが的確に伝わった、と感じていた。
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