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【218】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月19日 14時43分)

【資料II】

梅川昭美の若妻殺人事件に対する広島家庭裁判所の決定

     強盗致死、窃盗保護事件

(広島家裁・昭和三十九年一月十七日決定 抗告無)



アパートの借用資金を捻出するため、白昼、人妻に危害を加えて金品を強取し、
その結果、同人にして死に至らしめた十五歳の少年を中等少年院に送致した事例

■主文

少年を中等少年院に送致する


【本件強盗殺人罪に対する所見】

本件強盗罪は判示のような動機から

極めて安易に他人の生命を奪ったもので、

動機につきびん諒すべき余地はなく、

その犯行は侵入のための合鍵を予め買い求めて用意し、

数日前より機会を狙うなど計画的であり、

犯行に至っては指紋を残さぬため手袋を用意するなど

周到な配慮のもとに行われ、

その殺人行為は当初から殺意をもってなされたもので、

大胆であるうえ、発生した結果は重大である。

にも拘わらず、犯行後の行動、鑑別所での態度、

審判廷での供述態度からみると、

少年は寸毫も人間的良心の呵責を受けておらず、

罪の意識も皆無に近く、

被害者の遺族の心情に想いをいたし、

またこの種犯罪の社会的影響を考慮し、

かつ近時年少少年による凶悪犯罪が

増加の傾向にあることを考えるとき、

本少年についてはこれを刑事処分に付するのが

相当と思料されるところ、

少年の年齢上、かかる処分をとり得ないで、

主文のとおり、中等少年院に送致することとした。

少年の病質的人格は既に根深く形成されていて、

容易に矯正し得ない段階に来ていること、(鑑別結果参照)

また少年が今後社会にあれば同様に

多種の非行を繰り返し、

再び犠牲者の出る可能性があることを

思料されることなどを併せ考えるとき、

本少年の将来については

非常に多くの問題が残されているといわねばならない。

本少年については通り一辺の指導によっては

健全な精神発達を遂げることは

困難であると思料されるが、

中等少年院における特に長期にわたる

強力な生活指導によって、

人の生命の尊さを知らしめ、

同情、あわれみなどの情操を滋養し、

いささかなりともその病質的人格を

改善することが出来得れば、

と心から期待する次第である。
【217】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月18日 11時00分)

【資料I】

■大阪府警察本部がこの事件で臨時に支出した経費は
 時間外勤務手当六千万円、給食費二百二十万円に
 梅川の手術、治療費九十万円などを含め、
 総計一億八千万円。

 殉職した二人の警察官には警察以外に
 総理大臣と関西財界から
 二千万円が贈られたほか、
 一般人三千人から三千万円が寄せられた。



■事件発生から九十八日目の
 昭和五十四年(1979年)五月四日、
 大阪地方検察庁は犯人の梅川昭美について
 被疑者死亡による不起訴処分を決定。
 同時に梅川を射殺した
 大阪府警機動隊員七人(実際の発射行為に関わらず
 最終的に突入した隊員数が確定したため)
 を職務上の正当行為を理由に不起訴処分とした。

大阪府警が梅川を検察庁に送る際につけた容疑は

強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗致傷、
建造物侵入、公務執行妨害、
傷害、逮捕監禁、威力業務妨害、
窃盗、銃刀法違反
火薬類取締法違反の計十一。

うち、検察庁は窃盗と傷害を除く九つの罪を認定した。

起訴事実の認定のあとに以下の文面が続いている。


■以上の事実から、本件射殺行為について考察すると、
 次々と行員、警察官を射殺し、
 自らを極限まで追いつめ
 稀に見る極悪非道ぶりを見せていた
 梅川が辿るべき道は
 人質を道連れに自殺する以外になく、
 時々刻々、その危険が迫っていたことは
 その言動に微し明らかであり、
 もはや梅川を説得する方法もなく、
 同人が人質を連れてにせよ、
 銀行外に出てくる可能性も全くなくなっている
 前記の時点において、
 人質として生命の危険にさらされている
 多数の行員を救出し、
 その生命の安全を守るためには
 警察官が拳銃の使用によって梅川を
 制圧するほかにとるべき手段は見当たらず
 しかも、梅川の生命に危険のないように
 拳銃を発射するという手段を講じる
 状況ではなかったのであるから、
 それによって梅川を射殺する結果を招いたとしても
 これらの所為は警察官として
 やむを得ざるに出た適法な
 職務上の正当行為と認められる。
【216】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月18日 10時11分)

【解 説】

梅川死亡後も警察は梅川の自宅の捜索や
関係者からの事情聴取を行い、
事件の全容解明に取り組んだ。

それによると梅川はサラ金や知人から抱えていた
五百万円の借金返済のため、
事件を起こす前年の三月ごろに銀行強盗を計画。

大阪で出会った小学校時代の同級生、
鍋島孝雄に犯行をもちかけていることがわかった。

以後、梅川は襲撃する銀行の下見などを入念に重ね
年が明けた一月十二日、
鍋島が犯行に使われたライトバンを盗み
梅川に提供、決行日を十八日に決めたが、
直前になって鍋島が

「おれは降りる」

と姿を消したため、単独犯となった。

しかし、梅川の計画は最初から破綻していた。

梅川は猟銃で脅しさえすれば銀行側が
素直に金を出すだろうと思い込んでいた。

「銃を一発、天井にぶっ放せば、
 手向かうものなどあるはずがない」

とタカをくくっていた。

おまけに警官が駆けつけるまで
三分以上はかかる、と踏んでいた。

鍋島の供述によれば、梅川はパトカーというものは
警察署から現場に急行すると思い込んでいたらしく、
三菱銀行北畠支店が車で三分以上かかる距離に
あることで襲撃目標に選んだ、となっている。

ところが現実は銃を威嚇発砲して

「十数えるうちに五千万円を詰めろ」

と脅しているのに銀行員はすぐに現金を出さなかった。

いくら大銀行とはいえ、カウンターに
五千万円もの大金が転がっているはずもない。

仮にあったとして百万円の札束にして五十個である。

ナップザックに詰め込むだけで
ゆうに二、三分はかかるだろう。
そもそも、ナップザックに
それだけの現金が入るものかすら、怪しい。

現実に北畠支店ではそんな大金は地下金庫にしかなく、
行員は目の前に突き出された銃をふり払おうとしたり
警察に通報したりした。

さらにたまたま付近をパトロール中の警官がいて、
予想よりはるかに早く現場に現れた。

誰でも銃を突きつけられたら
本能的にふり払おうとするだろうし、
とっさの判断として警察に助けを求めたりするだろう。

また、警官やパトカーがいつも本署で待機していると
考えるのが非常識なのであり、管内をパトロールし、
しかも本署とは無線で結ばれていることなど、
誰でも知っている。

常識的には銀行員の行動は当たり前の反応であり、
警官がすぐに行内に飛び込んできたとしても不思議ではない。

だが、梅川にとっては事態の全てが誤算であった。

自分の筋書き通りに相手が動いてくれる、
動くべきだと思い込む
「甘え」こそが、この計画の重大な欠陥だった。

所詮、梅川は自分勝手な絵を描き、
それを膨らませながら
成功を夢想していたにすぎない。

その酔いをさまされ、
自分の描いた絵が崩れた落ちたとき
梅川はとまどい、逆上した。

甘えに支えられた絵だけに
失敗の責任は他人に転嫁される。

筋書きを妨害した行員と警官こそが、
梅川にとって攻撃の対象となった。


警官を即座に射殺し、
ろう城後も客は順次開放しながら、
行員には徹底して虐待の限りを尽くした。

思惑の通らぬ苛立ち、
見境いのない怒りに転じた梅川が
散弾銃の引き金を引いた瞬間、
練りに練ったはずの計画は破綻した。

そして、それは梅川自身の人生の破滅にもつながった。
【215】

RE:血風クロニクル  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 15時20分)

本編はエンドマークとなりましたが、
このあと、解説、資料、
あとがき等をアップする予定です。

いましばらくお時間を頂戴します

のほ
【214】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 16時17分)

【エピローグ〜二つの葬儀】

梅川昭美の遺体は一月二十九日、
午前十時から大阪大学医学部で行政解剖された。

通常なら一時間で終わる解剖は
午後三時まで延々五時間に及んだ。

梅川の死因は大阪府警狙撃班が
発射した三発の弾丸による

「右頚動、静脈の貫通挫砕による失血死」

と認定された。

解剖を終えた遺体は午後六時から
大阪市西成区南津守、津守斎場で荼毘にふされた。

石油バーナーが火を噴いてから一時間半後に
梅川昭美の三十年と十ヶ月の生涯は燃え尽きた。

翌三十日朝、七十三歳になる母親と
付き添いの叔父の手で拾われた遺骨は
母の胸に抱かれて瀬戸内海を渡り、
本籍地の香川県大川郡引田町に帰った。

午後十一時二十分、引田駅着の高徳線下り最終列車。

人目を忍ぶ帰宅だった。

三十一日の引田町は夕刻からしのつく雨。

母が間借りするかまぼこ製造所二階、
八畳間を閉め切り、午後五時半から
母と叔父のたった二人で葬儀が営まれた。

木箱の上に設けられた小さな祭壇には
真新しい位牌と小さな骨壷。

供花も焼香に訪れる人もなく、
雨音が読経の声と母のおえつをかき消した。

位牌に書かれた戒名は

「智 月 寂 照 信 士」

俗名をしのばせる一字は「昭」ではなく、
なぜか「照」だった。

梅川によって抵抗できぬまま、射殺された
三菱銀行北畠支店長と男子行員の三菱銀行葬は
それから三日後の二月三日午後一時から
大阪市東区御堂筋の本願寺北御堂で営まれた。

僧十人による読径の中、
祭壇に飾られた二人の遺影は
白菊の花に埋まり、
大阪府知事、銀行協会会長など
知名人の花輪が回廊にあふれた。

参列者は二千人に及び、
二時間にわたって焼香の列が続いた。

たった二人の葬列と二千人の会葬者。

この二つの葬儀がすべてを言い尽くしていた。

生涯に五人の生命をほしいままに奪い、
国を挙げて憎悪のうちに破滅した男への涙など、
どこをさがしてもありそうにない。

聞こえるのは雨戸を閉め切った
八畳間の暗がりのなかで
身を固くしている母の忍び泣きだけであった。

(ソドムの市・本編 / 完)
【213】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 16時01分)

【梅川死す】

住吉署に戻っても、藤原は警察病院で
半沢が母親にかけた

「がんばりまいよ」

の言葉が頭から離れなかった。

長い廊下をトボトボと歩く年老いた母親を見たとき、
藤原自身、もうこの母親から取材する気力は失せていた。

哀れでならなかった。

なんとか励ましてあげたい、
との熱い想いがこみあげていた。

そんなときの

「がんばりまいよ」

のひと言は百千の言葉に勝る
力づけではなかったか、と思えた。

あのおばあちゃん、こっくりうなずいたやないか。
先輩、ええこと、言うてくれた …

藤原は無性にその光景を誰かに話したかった。

梅川は確かに極悪非道な犯罪者だ。

しかし、母親としては息子に
親子の絆を感じ、信じていたことだろう。
だからこそ、府警の要請で説得に駆けつけた。

「他人はともかく、私の声を聞いたら
 息子はきっと人質を解放してくれる」

と考えたに違いない。

しかし、説得はかなわなかった。

母親は息子との絆が
断ち切られているのを知らされ、うちのめされた。

そして病院でやっと自分の手の届くところに
戻ってきた息子はすでに意識がない。

たった一人の息子なのに、
その枕元で母親は回復でなく、
死を願わなければならなかった。

藤原がそんな感傷に浸っていると、
木口調査官が副署長席に歩み寄り
メモをかざして大声をあげた。





「梅川死亡、時間は十七時四十四分!」







午後六時、住吉署前線本部での作業が終わり、
工藤は社会部に連絡した。

「社と府警本部に分かれて撤収したい」

すでに陽は暮れ、住吉署の前には
各社の車が長い列を作り
一台、また一台とテールランプを光らせて
闇に消えていった。

府警ボックスに戻る車の中で、
中徹はバレンチノのコートに顔を埋めていた。

二日前の夜、中は多重無線車から漏れてきた
梅川の名前を最初につかんだ。

その男のナマの声を聞きたかった。

射殺すべきじゃなかった、と
警察を批判しているのではない。

あの男に思い切り、喋らせてみたいのだ。

行内で梅川は饒舌だった、という。

さきの行員との記者会見で梅川は人質にむかって

「お前らソドムの市を知ってるか」

と脅していたことが明らかにされた。

それを聞いて中は梅川に

「お前はソドムの市をどんな風に観たんだ」

と尋ねたかった。

あの密室の空間を作ることが
お前の目的だったわけじゃあるまい。

金目当ての強盗に失敗し、
成り行きであの密室ができてしまったとき
お前の中に何が起きたんだ、と。

しかし、もう梅川に語るすべ、はない。

「ソドムの市、か …」

後部座席のシートに身を沈め、
中徹は無意識のうちに
口に出してつぶやいていた。
【212】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 13時16分)

【がんばりまいよ】

住吉署はごった返していた。

あらゆる報道機関がここに取材本部を移していた。

一階のカウンター、左手奥の交通課、二階の刑事課、
どの部屋も記者がなだれ込み、
総勢二百人を超えていた。

日曜日で窓口業務がないのが幸いしたが、
出勤している交通課の署員たちも

「今日ばかりはしょうがないわ」

とあきらめ顔で執務机を原稿書きに
占領されてもなすがまま、に任せていた。

工藤と瓜谷は一階正面億の副署長席前の
応接セットを占拠して新しい前線本部にしていた。

府警ボックス組の黒川と河井がうまく立ち回って
一等席を確保していたのである。

午後四時過ぎ、捜査一課の木口調査官は

「これが最後やでぇ」

とふれ回って、副署長席に立ち、
十三回目のレクを始めた。

木口とその前の肘掛イスに座った
工藤、瓜谷を囲む形で分厚い円陣ができ、
木口は梅川の履歴などについて
メモを読み上げていった。

河井はレクを一課担当の枡野と津田に任せ、
各部屋に散って、原稿をまとめている応援部隊を
督励して歩いていたが、
窓際からふと、裏庭を見やって、
梅川の母親が黒塗りの捜査車に乗り込むのを目撃した。

「梅川との最後の面会か?」

とカンの働いた河井は
レクの円陣の端にいた藤原に
「すぐ追え」と指示した。

署の正面に停めた車では完徹の半沢が仮眠している。

藤原は乗り込むなり、車を裏門へ走らせ、
半沢を揺り起こした。

捜査車の行き先はやはり警察病院で、
玄関では連絡を受けた前川が待っていた。

車を降りた母親は昼前に会って顔を見知っている
前川が会釈しても気付かない様子だった。

母親は玄関ホールの人目を避けるように、
足元に視線を落として捜査員の後を追った。

信玄袋を両手で抱え、小さな肩を丸めて
トボトボと歩く母親の後姿から
前川は目を離すことができなかった。

「こんどは何と言われて病院にやってきたのだろうか」

疲れてカサカサに乾いた前川の胸に
うるんだ感情がこみあげてきた。

二階のICUの前に着いた母親は看護婦から
白い消毒衣とマスクを付けてもらった。

白衣はくるぶしに届き、
老女はまるで子供のように見えた。

半沢ら三人はずっとエレベーターの前で待った。

面会は五分とかからなかった。

白衣を外してもらった母親は目を伏せて歩いてきた。
泣いているようでも、放心しいるようでもなかった。

じっとうつむき、一人、
悲しみに耐えているように見えた。

エレベーターの前まできたとき、前川が

「容態はいかがでしたか」

と声をかけた。
  
返事はなかった。

と、半沢がつと、近寄り、
小さな肩を抱くようにして

「がんばりまいよ」

と声をかけた。

半沢は新人の三年間を高松支局で勤務し、
讃岐言葉に通じている。

がんばってくださいよ、

 
 しっかりしてくださいよ。


母親はピクッと顔をあげ、
童顔の半沢と眼を合わせた。

しわに包まれた小さな眼が物問いたげに瞬いた。

そして、そのまま何も言わず、
こっくりと一つうなずいてエレベーターの中に入った。
【211】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月13日 13時22分)

【生 死】

母親は前川を私服の刑事と間違えたのだろう。

前川は言葉に詰まり、三人にくっついて
正面から西口へ通じる長い廊下を渡った。

歩きながら新聞社のものです、と言い
前日の梅川との接触について尋ねた。

母親は背をかがめながら

「電話をかけたが、あの子は聞いてくれんかった。
 わたしは耳が遠いし、字もようかけんので
 伝わらんかったのかもしれない」

とポツリ、ポツリと話した。

救急処置室に通じる手前で
廊下をふさぐ形で長イスが置かれていた。
それまで黙ってくれていた刑事が前川に目くばせした。

ここから先は来てくれるな、のサインだ。

刑事と老女は長イスの端をすり抜けて
廊下の奥へ歩いていった。

十五分後に三人は引き返してきたが、
老女の顔に変化はなかった。

ただ「容態は?」という前川の質問に
ひと言も答えようとしないのが
違いといえば、違いだった。

対面はしたが、言葉は交わせることもなく
容態は絶望的なんだろう、前川はそう、察した。

災害救急センターの玄関に戻って
前川は長い時間立ち尽くした。

梅川という男には、ほんとによく立たされる。
そんな思いだった。

ひどく腹立たしい、という感じではなかった。

ナマな感情がだんだんに吸いとられて
頭がカサカサになっていった。

午後一時すぎ、ガラスの向こうにざわめきが起き、
処置室からストレッチャーが引き出されてきた。

外から見ると廊下は薄暗く、
顔色まで識別できなかったが
手術を終えた梅川であることは確かだった。

輸液の容器が吊り下げられ、
点滴の長いチューブが毛布に隠れた腕に伸びている。

ストレッチャーはエレベーターに乗せられた。

前川たちは警備の責任者にかけあって
担当医との会見を求め、
やがて手術衣のままの平谷隆救急外科部長が
姿を見せて、メモを読みながら説明した。


■負傷程度    右頚部盲貫銃創と右肩から左上腕部への貫通銃創

■手術      医師十人で所要時間、三時間二十分
         出血が多く二千六百CCの輸血
         左頚動脈は結索し、右頚動脈はつないだ

■容態      止血して一命はとりとめているが、助かるか否か
         意識が戻るか否か、は不明。重体の状態。
         急性腎不全を起こす恐れがあり危険

■その他     拳銃の弾丸は二発受けており、一発は体内に残っていた。
         病室はICUで立ち入り禁止、撮影は認められない。


前川は赤電話に走って社会部に

「梅川はやはり、死んじゃいません!」

と、怒鳴るように言い、メモを読み上げた。
【210】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月13日 13時28分)

【警察病院】

万代真澄は警官隊が銀行に突入した直後、
その修羅場から社の車に飛び乗って
いち早く抜け出していた。

犯人の梅川らしい負傷者を乗せた救急車が
銀行西側通用門からフルスピードで
発進したのに気付いたのだ。

とにかく追跡だ。

救急車は銀行前の交差点を北へ曲がり、
阿倍野方面へと走り去った。

万代は無線機のマイクを握った。

「負傷者を乗せた救急車の搬送先、確認願う」

「了解、いま調べている」

前線本部の蔵楽が応えた。
本社にリレーされ、柳本が消防局に当たった。

やがて蔵楽の歯切れのいい声がきた。

「行き先は警察病院、搬送者はやはり梅川だ。
 本社からも前川と藤原が走った」

よしっ! 万代は武者震いを感じた。
犯人の一番近くにいるのはおれだ!

現場周辺を外れると日曜日の市街地は閑散としている。
十分足らずで車は警察病院の西口、
災害救急センターの玄関わきに滑り込んだ。

正面に救急車が横付けされていた。

後部の搬入口は開いたままで、
そばに二人の制服警官が立ち万代の進入を制止した。

ガラス越しに院内をのぞくと看護婦が
次々に足早に動いているのが見えた。
と、白衣をまとった二人の男が玄関口に向ってきた。

搬入を終えた救急隊員だ。


しめた。


 
  
万代は待ち構えて尋ねた。

「容態はどんな具合?」

「頭も顔も血まみれで意識はないですよ。
 それ以上のことはわかりませんわ」

隊員にも大事件の犯人を
搬送したという興奮が、冷めやらぬようだった。

一人が問わず語りに万代に言った。

「急患運ぶときにゃ、頭の方から入れるのに
 よっぽど慌ててたんでしょうな。
 足から入れてしもうてねぇ」

隊員は苦笑いしながら車に戻った。

見送りながら万代はこの隊員が今後、事件を語るとき、
あのとき、おれは足から・・・
と言い続けるに違いない、と、そんな気がした。

救急車が引き揚げた直後、
数台の取材車両が同時に到着した。

その一台に前川と藤原がいた。

記者は数十人にふくれたが、
梅川の手術が終わるのを
黙然と入り口で待つほかなかった。

前線本部から手薄な住吉市民病院へ
二人が回るよう指示がきた。

万代と藤原がそれを受け、前川が残った。

最初に梅川の住まいを割り出した前川は、
今度は残ったおかげで社会部からの無線連絡で
何度も車に呼び戻され、
梅川の生死について問い詰められた。

「新田刑事部長の現場レクでは
 梅川は危篤や、言うとる。
 詳しいこと、わからんかいな。
 テレビでは死んだ、言うとるでぇ」

「本部長の会見でも危篤やそうや、どんなあんばいや」

前川は気が気でなかった。
なんとか確認の手だてはないか。

救急処置室に通じる他の入り口を捜して
病院の周囲をひと回りしてみた。

正面玄関に差しかかると、
住吉署で顔見知りの二人の刑事に出会った。

どちらも私服で前川に気付くと、
まずいな、という表情がチラッと走った。

傍らに老女がいる。

茶色っぽいオーバーコートを着た
前かがみの小柄な老女。

初めて会うが、前日来、新聞写真や
テレビで焼きついた姿 ――

梅川の母親に違いない。

「お母さんですね」

と前川は声をかけた。

「息子はもう、あかんのですかいの」
【209】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月13日 13時15分)

【有 情】

前線本部では未明に仮眠のため
自宅へ帰っていたデスクの工藤が戻ってきた。

突入の場に居合わせなかったのが残念だったが、
交代で指揮をとっていた瓜谷と顔を合わすと自然に
「ご苦労はん」と笑みがもれた。

狭い「ABC」の店内は応援部隊で膨れあがって
体を横にしても通れない混雑ぶりだった。

「壮観やなあ」と言いながら工藤は店内に分け入って
瓜谷と取材、送稿の打ち合わせをした。

「朝刊はとにかく七面、ぶちぬきでっさかい」

瓜谷は社会部長の黒田から伝えられた
紙面計画を説明した。

店のカウンターは原稿書きに占領され、
足元は書き損じのザラ紙が散らかって
床が見えないほどになっている。

「これじゃ、仕事にならんなあ」

と工藤がつぶやいたとき、住吉署にいる河井から

「これから先は署の方が段取りがいいんで、
 こっちに場所をとった。
 前線本部を移してほしい」

と電話があった。    渡りに船だ。

手分けして掃除を始めると、経営者夫妻が

「わしらがボチボチやりますがな。
 それにしても名残惜しまんなあ。
 落ち着いたらまた、コーヒー、
 飲みによってくださいや」

と疲れてはれぼったい顔に笑みを浮かべて言った。

ヤマチョウがとびこんでから
五十時間近い「戦場」だった。

別れとなるとお互いに情が残った。

「お世話さんでした」

「あんな、うまいコーヒー、
 初めて飲ましてもらいましたわ」


住吉署では警察幹部に入れ替わって
銀行側との会見が始まっていた。

出席者は三菱銀行副頭取、総務部長、北畠支店次長、
救出された業務係長、女子行員二人の計六人だった。

制服の女子行員は血の気の薄い顔を伏せ、
困惑がありありと見てとれた。

副頭取があいさつに立った。

「今回、北畠支店において起きました
 事件につきましては長時間ご心配をおかけし、
 お客のみなさまに大変ご迷惑をおかけしました。
 しかし警察やみなさんの
 ご協力でこうして無事解決をみました・・・・」

藤本と並んで爪先立ちしていた
遊軍の多田はおやっと思った。

さきの吉田府警本部長との違いが目立ったからである。

吉田本部長は立ち上がるなり、
四人の犠牲者の冥福を祈り

「痛恨の極み」

と述べた。

いま、副頭取は冒頭

「客に迷惑をかけた」

と語っている。

警察と銀行という立場の違いはあるにしても
世間がこの事件に言い知れぬ衝撃を受けたのは
尊い四人の人命が失われたという、
共通の痛みではないのか。

副頭取はそのあと銀行の防犯体制について語り
四人の犠牲者については

「暗澹たるものがある。心からご冥福を祈りたい」

と述べた。

その言葉を聞きながら多田は
釈然としないものを感じていた。

ポキッと折れそうな枯れ枝のような吉田本部長と
恰幅のいい副頭取の体つき以上に
冒頭の言葉遣いが多田の胸に
釈然としないシコリとなって残っていった。
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