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【338】

血風クロニクル

野歩the犬 (2014年06月07日 11時32分)

「仁義の墓場」の後継トピです。


  タイトル一新、  落ちるか・・・

             残るか・・・・

               崖っぷちの一筆・・・



  前トピのごひいき筋も

     初見の方も

       読み捨て御免、

        お引き立てのほど

         宜しくお願いいたします


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【338】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年07月07日 16時46分)

【66】

船室に残されたものたちのために
ディーン・リーパー師が祈りを唱え始めた。
二人の宣教師もそれにならった。
神に召されるものたちを導く声が
低く、あたりを流れていった。

三等後部船室の青山妙子は頭のそばへ放り投げられた
救命胴衣をつかんでからだを起こした。

隣のせんべいの女は救命胴衣に
手を出そうともせず、腹這いになったままだ。
口の中でなにかしきりにつぶやいている。
聞き耳をたてて、念仏だとわかった。

不意に妙子はこわくてたまらなくなった。

この女は子どものときから
連絡船に乗っている、と言っていた。
彼女の経験からくる直感は船が沈むことを
嗅ぎとっているのではないか。
だから、念仏を唱え始めたのだ ―――

いやだ、死にたくない、と思った。   
さっき、お医者さまはいらっしゃいませんか、
と放送があったときには頭が上がらなかったのに、
今は嘘みたいにしゃんと立てた。

「ボーイさん、船はだめなんですか」

胴衣を配る給仕の背中に向かって妙子は大声をあげた。
相手は何も答えず去っていった。

ぐるっ、とあたりを見回した。

荷物が散乱し、金だらいがひっくり返っている。
償却たちは手から落とした胴衣が
転がっていくのを必死に追いかけ
あるいはそれをつかんだまま、傾斜に逆らって
畳の高い方へと登っていこうとしている。

お互いにぶつかり合いながら、
どちらも相手を意識していない。
ただ、自分のことだけを考えて動きまわっている。

こんなひどいことになっていたのか ―――
と妙子は初めて気づいた。

やはり船は沈むに違いない。
だから誰もが相手を蹴飛ばし、
踏みつけながら逃げ惑っているのだ。

しかし、どこへどう、逃げればいいのだろう。

従軍看護婦としてフィリピンへ向かう船の中で
兵士から聞かされた話を思い出した。

「船が沈むときはできるだけ遠くへ離れることだ。
 そうしないと沈んでゆく船が
  起こす渦に巻き込まれる」

泳げない自分にそんなことができるのだろうか、
と不安になった。
それでも彼女の手は頭からかぶった
救命胴衣のひもを素早く結んでいた。

「落ち着いてください。
  なにも心配することはありません」

左舷側へ集ってきた人たちの間をかき分けて
出口へきた妙子を給仕が制した。
両手を広げたその格好が妙子には
地獄の門番のように見えた。

「通してちょうだい。あたしは死にたくない」

妙子は給仕を突き飛ばして階段を駆け上がった。

上部遊歩甲板に出た。左舷側のデッキには
覆いかぶさるような大波が打ちつけている。
こんな海にはとても入れない、と思った。
誰かがずぶ濡れになってこっちへ駆けてくる。

「船はもうだめですか」

妙子は叫んだ。  相手も叫び返してきた。

「だめだ、にげろ!」

逃げろ、と言っている。
この人もやはり船から離れようとしている。
男のあとについて走ろうとしたがすぐに見失った。
あとはどこをどう歩いたのかわからない。
滝に打たれたようにずぶ濡れになって
右舷側のデッキにたどりついていた。
こちら側には波はぶつかっていない。

しかし、船はすっかり傾いていて
デッキすれすれまで海水がきている。

彼女は決めた。  こちらからならすぐ海に入ることができる。
あとは力を使わないようにして
救命胴衣を頼りにじっと浮いていればいい。
風と波が自然に自分を船から遠ざけてくれるだろう。
そのうち、きっと救助船がきてくれる。

ふと、東京の妹の顔が目の前に浮かんだ。

ちょっと遅くなるかもしれないけど、必ず帰るわよ。
あたしは生きてゆくことにしたの、
と微笑みながらその顔にむかって言った。

デッキの端の手すりにつかまりよじ登った。
思ったより楽だった。

しばらくためらったけれど、
思い切って妙子はそこから飛んだ。

     投身自殺するためではなく

            新しく生きるために ――――
【337】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年07月07日 16時22分)

【65】

二等ラウンジでは給仕がロッカーから取り出した
救命胴衣を三人の外国人宣教師が客に手渡していった。

三人ともまだ自分たちはそれを身につけていないのに
周囲の日本人客が頭からかぶるのを手伝ったり、
ひもを結んでやったりしていた。

ラウンジのイスはほとんどが
右舷側に転がり落ちてしまっている。

乗客たちは床に尻をついて、
やっとからだを支えるしかない。

子どもがひとしきり高く泣き声をあげている。

女たちはただ青ざめてうずくまっている。

そんな混乱したラウンジの中で
函館遺愛女子高校の宣教師
ディーン・リーパーは這うようにして
人々に救命胴衣をつけさせてやっていた。

「さあ、坊や、これを着るんだよ。
  おっと、それじゃ前と後ろがあべこべだ。
 ちょっと待ってね。
  いま、こっちのお姉さんのひもを結んだら
  やってあげるから」

ディーン・リーパーはつとめて明るい口調で
人々を落ち着かせようとしていた。

一段と大きな揺れがした。

床の傾斜が激しくなる。

ラウンジの客たちは叫び声をあげ、
一斉に右舷側へと落ちてゆき
先に転がり落ちているイスの固まりに
全身をしたたかにぶつけた。

リーパーは窓際に下がっているカーテンにつかまった。

そのとき、彼は初めて
船は沈むかもしれない、と感じた。

それでも陽気な表情を崩さず、
目の前で泣き叫ぶ子どもの手をひいた。

「よしよし、坊や、痛かったかい。
 さ、おじさんにつかまりなさい」

片手でカーテンにぶら下がったまま、
三人の宣教師たちは救命胴衣をつけた。

宣教師の一人が周囲の日本人客に声をかけた。

「はいあがれる人は船室の外へ出てください。
 若い人たち、行けるでしょう。
 さあ、早くここから逃げるのです」

誰もが狂ったように手足を畳に叩きつける。

だが、老人や子どもたちは空しくずり落ちていった。

若く、体力のあるものだけがようやく床を登りきり
開いているドアを探して外へ出た。

しかし、彼らが本当に幸運なのかどうか、
誰にもわからなかった。
【336】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年07月07日 16時19分)

【64】

一等船室の浅井・国鉄札幌総支配人たちの一行には
特に事務長から洞爺丸が座礁したことが報告され、
救命胴衣が手渡された。

だからといって、事務長も浅井ら国鉄幹部たちも
このまま船が沈むとは考えもせず、
物珍しそうに救命胴衣をつけ、
傾きを増してきた特別室にとどまっていた。


二等雑居室では畳に敷かれたじゅうたんが
客を乗せたまま右舷側へと滑り出した。

立っていられないので、救命胴衣を
つけるどころではない。

ようやくじゅうたんから這い出した乗客たちは
それがめくりとられたあとの畳に手をついて
からだを支えようとするのだが、
手にべっとりと汗をかいているため、
またずるずると滑り落ちてゆく。

彼らが手に汗をかいているのは
極度の緊張と船室のドアが締め切られている
蒸し暑さからだった。

一、二等船室担当の給仕たちはしきりに

「危険ですので甲板に出ないでください」

と呼びかけ、出入り口を閉めた上、
外から鍵をかけて回っていた。

一、二等船室は上部遊歩甲板の中央部分にあって、
船首の方から一等客室、一等ラウンジ、食堂、
一、二等寝台、二等ラウンジ、
洗面所、二等雑居室の順に並んでいる。

給仕たちは一、二等とも右舷、
左舷側の一つずつの出入り口を残して
あとのドアに全て鍵をかけた。

それは洞爺丸がおかれた状況に
照らして正しい処置だった。

船室外のデッキはおそるべき風浪に洗われている。

こわいもの見たさにのぞいてみようという客がいたら
一歩、ドアの外へ出た瞬間、
波にさらわれるに違いなかった。

また、三等客が上がってくる心配もあった。

左右へ揺られ続けている客の不安が恐怖に変ったとき
群集心理はどう走り出すかわからない。

車両甲板の下の三等客たちが安全な場所を求めて
一、二等船室に乱入してくるかもしれない。

どちらの場合でも出入り口を少なくして
そこを監視しているほうが
給仕たちにとって懸命な判断だった。

彼らは自分たちが世話をすべき
乗客の安全を第一に考え、
ドアを閉め、鍵をかけたのだった。

だが、給仕たちはそれが結果として
客の生命を奪うことになるとは
全く気づけなかった。

蒸し暑くて汗をかくぐらいなら、
かまわないがドアに鍵をかけたことは
一、二等客を船室に閉じ込めることになったのである。

それは給仕たちもまた、この船が沈むなどとは
毛頭考えていなかったことの証であった。
【335】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年07月06日 11時39分)

【63】

原田勇は節子の肩を抱いて
よろよろとした足どりで部屋を出ると
遊歩甲板への階段をあがった。

二人が出るのを見て、あとについて
ゆくことを決めたものが数人いた。

下部遊歩甲板はすでに三等イス席を
出てきた人たちでごった返していた。

傾いた床を右へ急ごうとするものが、
左へ走るものとぶつかり合う。

この船に何度も乗っている勇は
まっすぐ上部遊歩甲板への階段に向かった。

階段の下で勇は思わず立ち尽くした。

狭い階段の途中で手すりの金棒を
しっかりとつかんだまま、老女が倒れている。

上へ逃げようとしてつまずいたか、
揺れと傾斜とで上がれなくなってしまったのだろう。

その老女を蹴飛ばし、踏みつけて
あとから来るものたちが階段をのぼってゆく。

目をそむけたい気がした。

しかし、ためらっているわけにはいかなかった。

「踏み外すなよ」

勇は言い、節子のわきの下へ手を入れて
抱えながら階段を一歩ずつ上がった。

裸足の下に柔らかい感触が伝わったとき、
勇は思わず、足の力がぬけた。

上部遊歩甲板はしぶきで真っ白だった。

そこへ見上げるような高さから大波が打ち込んでくる。

ざぁっ、と頭から海水をかぶって
呼吸がつまりそうになる。

節子を腕の中へ入れたまま、
素早く一、二等船室の壁につかまった。

もう少し遅れていたら波にさらわれていただろう。

しがみついた二人の足元を
泡立った海水が洗っていった。

ここにはいられない、と勇は思った。

だが、甲板から上へは彼も行ったことがない。

上がるにはどうすればいいのだろう。

あとから上がってきた二、三人の男が、
波が引いたすきを見て、甲板を走り抜けてゆく。

そのあとを追いかけるとすぐ端艇甲板への階段に出た。

一番高い端艇甲板に出ても、
海そのもののように見える
巨大な波が頭上から叩きつけてくる。

「きたぞ。しっかり、つかまっておれや」

恐怖と疲労で口もきけなくなっている節子を
自分に抱きつかせながら
勇自身は手すりにつかまって波に耐えた。

全身を痛いほど打たれた。

波が引く短い時間に持ってきた
ひもの一方を節子のからだに結びつけ
片方の端を自分に巻きつけて縛った。

「ほれ、節子。これで大波がきても大丈夫だぞ。
 離れ離れになる心配はねえ」

端艇甲板には四角い木製の救命筏が下がっていた。

先に上がってきた男たちはそれにつかまっている。

船が沈んだときはそのまま、
筏で流されていこう、というのであろう。

二人はそこへそろそろとにじり寄り、
波が来る方へ背をむけて筏にしがみついた。

「ようし、節子、これで助かったようなものだ。
 離すなよ。しばらくの辛抱だ」

節子は愛くるしい顔をあげて、
ひとつ、こっくりとうなずいた。

しかし、勇はとても助かるはずはない、と思った。

ここにいてもあの大波に打たれ続けたら、
節子はもちろん自分もきっと
息を詰まらせて死んでしまうだろう。

船が沈んだら、からだを結び合った自分たちは
波の底へ沈んでゆくに違いない。

どちらにしても待っているのは死だ。

彼自身にとっては幸福だった半年を勇は思い返した。

それに比べてこの娘は幸せだったのだろうか。

幸せにしてやった、という自信はない。

そのうえ、生まれて初めて乗った連絡船で
なぜ、こんな死なせ方をしなければならないのだろう。

不意に勇はたまらなく節子が不憫になり、
両手でしっかりと抱きしめた。

何度目かの大波がその上に襲いかかった。
【334】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年07月06日 11時33分)

【62】

洞爺丸の各船室に救命胴衣が配られはじめた。

「まず、このひもをほどいて、
 ここの膨らんだ部分を腹と背中に分けて
 頭からかぶります。
 それから、ひもをしっかり胴のところで
  縛ってください」

配るに先立って、給仕たちは
胴衣を手にして実演してみせた。

三等雑居室では天井にとりつけられた
ロッカーを給仕たちが開いてまわった。
畳の上にどさっと投げ出される救命胴衣に
周囲の乗客たちが群れ集って奪い合った。

「あわてないで。数は十分ありますから」

給仕たちは制止したが、乗客たちはやめなかった。

傾いている畳の上を転がるようにして胴衣をつかみあう。

救命胴衣をつけなければならない事態になったことに
乗客たちはすっかり動転していた。

立ち上がって自分でロッカーを開こうとする者もいる。

長く開かれなかった扉の中には
錆び付いて動かないものもあった。
客たちはどこで見つけてきたのか、
斧をふるい、ロッカーを叩き割った。

あさましいことだ ―――

そう思いながら前部三等船室の
淵上助教授はあぐらをかいたまま
室内の様子をながめていた。

この船が沈むとはまだ彼も考えていなかった。

もし、沈むならどうせ大荒れの海で助かるはずもない。
いまさら、あわてても仕方がないではないか。

学生たちはみな、救命胴衣をつかんで
出口の方へ行ってしまっている。

「まあ、若いものは元気にまかせて
 したいように、することだ」

助教授はつぶやき、ますます右舷側への
傾きを大きくしている畳に腰をすえ直した。

目の前にひもで丸く、くくられた
救命胴衣が転がっている。

奪い合いに加わらなかった彼はそれをつかんだ。

隣を見ると、やはり胴衣のない男が
泰然として座っている。

「これをどうぞ」

手渡したところへまた、ひとつ転がってきた。
そのひもをほどき、頭からかぶってみた。

「なるほど。うまく胸と背中で
  合うようにできていますな」

助教授は隣の男に言った。


その近くで原田勇は節子のからだを抱え起こし、
救命胴衣をつけてやった。

「二十四時間もつ、と書いてある。
 これを着ていれば大丈夫だぞ」

説明書を読みながら、節子に言った。

しかし、彼はもうだめだ、と思っていた。

波はとっくに車両甲板まできている。

そいつがいよいよ天井を打ち破って
どっと流れ込んでくるだろう。
自分は泳げないし、この娘は船酔いで
虚脱したようになっている。

海の真ん中でどうやって助かることが
できるというのか。

節子の介抱に気をとられていた彼は
七重浜に座礁しました、
という船内放送を聞いていなかった。

船は函館を出て、青森へ向かっており、
そろそろ津軽海峡から陸奥湾に入るあたりと思っていた。

だが、ともかくこの娘を助けてやらなければいけない。

それには車両甲板の下にいては危険だ。
上へあがることだ。

自分も救命胴衣をつけ、
ふだん米を背負うひもを一本持ち、
節子を抱きかかえて立ち上がった。

利尻昆布のことは忘れてしまっていた。

裸足のまま、節子を引きずるように
左舷側の出口へ向かった。

船は右舷側に傾いているので
坂道を登ってゆくようだった。

「ちょっと通してけれや」

勇は人ごみに分け入った。

前部三等船室にいた二百人のほとんどが
左舷出口の周りに集ってきていた。

右舷側が下になっているので
本能的に高いほうへと人々は集った。

救命胴衣をつけた客たちは
そこで船室の外へ出るべきかどうか
決めかねたまま、お互いに顔を見合わせあっていた。
【333】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月24日 16時22分)

【61】

打つべき手はすべて打った。

と、いうかもう、打つ手はなかった。

もう、逆らおうにも船は動かないのだ。

ここで波とうねりがおさまるのを待つしかない、
と、近藤船長は腹をくくった。

「乗客の様子はどうだ」

指示を待つためにブリッジの下へ来ていた
事務長に船長は尋ねた。

「はい、今のところ、静かにしています」

「座礁したから大丈夫だと伝えなさい。
 それから念のため救命胴衣を配るように」

すぐ船内放送が行われ給仕たちが備え付けてある
救命胴衣の格納ロッカーを開くために
担当の船室へと散っていった。

その間にも激流は洞爺丸の左舷側を叩き続けていた。

したたかに打たれるたびに船は
右舷側への傾斜を少しずつ大きくしてゆく。

今はもう、船は水中に浮いているわけではないので
いったん傾きが大きくなると元へは戻らない。

しかも座礁すれば止まると思った船がまた
ズルズルと七重浜の海岸へと押し流されている。

柔らかい砂の上を滑走しているのだ。

右への傾斜が戻らないまま、
砂の上を走っていったらどういうことになるか。

とりわけ大きな波に叩かれたのだろう。

洞爺丸の傾斜がぐっと右へ増大したとき、近藤船長は

「これはいかん!」    初めてそう思った。

風が衰え始めてきていることは
この状況ではなんの救いにもならなかった。

引きずっていた左舷側の錨鎖がしっかりと張って
船の右への傾斜を最小限に食い止めている。

この錨鎖だけが、いまでは洞爺丸の命綱だった。

もし、これが切れたらたちまち船は横転するだろう。

「全員、救命胴衣を着けよ」

近藤船長は命じた。

操舵手が士官室へ降りて行って、
船長や航海士たちの救命胴衣をとってきた。

それを差し出された近藤船長は

「ありがとう」

と言っただけで身につけようとはしなかった。

水野一等航海士もそれにならった。

苦渋に満ちた顔で近藤船長は無線室への
ボイスチューブによろけながら駆け寄った。

「500キロサイクルでSOSを打て」

500キロサイクルは海上保安部はじめ、函館桟橋、
付近の船舶すべてが聴取している周波数である。

命じながら船長はなんという信号を
出すことになったのだろう、と思った。

救助信号の発信など自分が指揮する船に
あるはずがなかったのだ。
こんな事態になったことが
いまだに彼には信じられなかった。

命令を受けた無線室では通信士たちが
船の傾斜のために発信機を乗せた
机に向かってイスに腰掛けられなくなっていた。

さっきからイスは部屋の隅へ放り投げ、
傾いた机に中腰になって
三人が交代で電鍵を叩いていた。

松本通信長が机に向かって腰を折った。

頭上から降り注ぐ海水の中で首席通信士が
傾いて倒れかかろうとする送信機を両腕で支えている。

かがみこんだ格好の通信長の肩を
次席通信士が力まかせに押さえつけた。

揺れで電鍵を打つ手元が狂わないようにするためだった。

これだけは打ちたくない、と思っていた
むろん、通信士としての長い経歴の中で
初めての信号を松本通信長は叩き始めた。

「SOS洞爺丸。本船は函館港外青灯台より267度
 8ケーブルの地点に座礁せり」

午後十時四十分だった。
【332】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月24日 16時16分)

【60】

両舷エンジンが停止した洞爺丸は
風浪と走錨の抵抗力を完全に失った。

波に翻弄されながら錨を引きずって
北側の七重浜へ向かって流されてゆく。

機関が停止すると舵がきかなくなるので
船首を風に立てることはできない。
船は横向きになり、左舷から
猛烈な風と巨大な波を受け始めた。

右舷側へ大きく傾いたまま、どんどん圧流された。

「海岸まで、どのくらいだ」

近藤船長が怒鳴る。

「1200メートルです」

レーダーにしがみついている
山田二等航海士が叫び返した。

ブリッジの外は覆いかぶさってくる波で
全く何も見えない。
レーダーだけが頼りだった。

「よし、このまま七重浜へ座礁する」

近藤船長は言った。

それが唯一、残された方法だった。

夏は海水浴場となる七重浜は
岩のないなだらかな遠浅海岸である。
南からの風と波に圧流されてゆくと
船は運よくその海岸に漂着する。

柔らかい砂に船底をかませれば、
船は静かに停止するだろう。

午後十時十二分、洞爺丸は函館桟橋へ打電した。

「両エンジン不良のため、漂流中」

「貴船位置、風向き、突風知らせ」

桟橋は打電したが、洞爺丸はすぐに応答しなかった。

それどころではなかった。

「あと1000メートルです」

山田二等航海士が叫ぶ。

ブリッジの誰もがいつ、ズシンと砂の感触がくるか、
と、あらゆる神経を集中しながら
しぶきをかぶって手近なものにつかまっていた。

流される船を追いかけてくる波は
ブリッジの窓の間から打ち込み続け
床を海水が洗っていた。

不気味な沈黙がブリッジを支配した。

かなりの早さで流されているのがわかる。
それに抵抗できないでいるもどかしさの中で
航海士も操舵手も来る瞬間を待ち受けている。

突然、操舵手の一人が大声をあげた。

「風が落ちています!突風28メートル」

桟橋からの打電に返事をしなければならないことに気づいて風速計に目をやった彼は
風が衰えていることを知ったのだ。

波とうねりが極限まで膨れ上がった絶望的な状況の中で
事態が好転するかもしれない徴候が現れたのだ。

「ヤマは越えたな。あと少しの辛抱だ」

船長の声に明るさが取り戻った。

洞爺丸は桟橋へ遅くなった返電を打った。

「防波堤灯台より267度、8ケーブル、風速18メートル
 突風28メートル、波、八」

そのこととは別に船室の乗客たちの間には
どこか安堵したような表情が広がっていきつつあった。

ウン、ウンと気味悪くうなっていた
エンジンの音が消え、揺れも少なくなったからである。

左舷側からの風と波にさからえないまま、
流されているので船は絶えず
一定の角度だけ右へ傾いている。
そのせいで、左右への横揺れはずっと減ってきていた。

三等船室のスピーカーが
ぴゃ、ぴゃ、というように鳴った。

なにか放送しているらしいが、
どこか故障しているのだろう。
それがあまりに滑稽に聞こえたので
元気な乗客の数人は声を立てて笑った。

一、二等船室では放送はちゃんと聞こえた。

それはこう放送していた。

「風速は30メートル程度に収まってきました。
 もうしばらく、ご辛抱ください」

座礁を前に乗客を落ち着かせようと
船長が命じた放送だった。

「海岸まで、あと800メートル」

山田二等航海士の声がしたとき、ドン、ドンと
軽い音が二度続けて船底から伝わってきた。

「揚がった」

水野一等航海士が言って、手の甲で汗をぬぐった。

船は座礁したのだ。

ショックはそれほどなかった。
右への傾斜は変っていないが、海底の砂へ
滑り込むように船底が着いたのだと思った。

「二十二時二十六分、座礁せり」

打電した洞爺丸に桟橋は答えた。

「最後まで頑張ってください」
【331】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月24日 16時11分)

【59】

洞爺丸の機関室では広岡機関長らが
祈るような思いで配電盤を見つめ
エンジンの回転音に耳を傾けていた。

熱された潤滑油ポンプや各種機器に
天井から海水が降り注ぎ、
蒸気になって室内は視界がきかないほど
真っ白にけむっていた。

部員たちはみな頭から濡れ、垂れた髪が
はりついた顔に眼ばかりを光らせて
斜めになったからだを支えている。

浸水はどんどん増え、船の揺れにつれて
機関が水没してしまいそうになる。

そのたびに部員たちは命が縮む思いがした。

左舷エンジンを再び激しい振動が襲った。

と、見る間にポッと煙を吐き出した。
それっきり、エンジンは止まった。

「だめになった。ブリッジに報告してこい」

機関長の命令で操機手が駆け出していった。

「左舷エンジン、停止しました」

操機手の声は震えている。
  
ブリッジの士官たちは呆然とした。

二つある船の心臓のひとつが止まったのだ。

「右舷エンジンはどうだ」

「はい、排水困難で時間の問題と思われます」

操機手が機関室へもどってくるか、こないうちに
右舷エンジンも同じように煙を吐いて停止した。

操機手はまたブリッジへの階段を
駆け上がらなければならなかった。

午後十時七分、洞爺丸は桟橋宛てへ打電した。

「主エンジン不良となる」

ボイラー室では焚いていた五つの焚口のうち
三つが浸水して不能となった。

残るのは二基だけである。

粉炭が排水口に詰まったために
浸水は機関室よりひどかった。

「エンジンは止まった」

悄然としてボイラー室へ入ってきた機関長は言った。

「もう、焚かなくていいよ」

「焚けといわれたって」


 
火手長も情けなさそうに応じた。

「焚ける状態じゃ、ありませんよ」

「しかし、右舷発電機はまだ生きている。
 これを回しておくのには蒸気がいる」

「二基使えるのでなんとかしますが、
  そんなにもちませんぜ」

機関室へ戻った広岡機関長は部員たちに命じた。

「電気係は最上部デッキに上がって
  非常発電機の用意をしろ。
 救命胴衣を忘れるな。あとは部屋へ戻れ」

総員退避であった。

機関長は一人、誰もいなくなった機関室にとどまった。

「一、二号基の係りのほかは
  部屋へ戻って貴重品を整理しろ
 救命胴衣を着けてやるんだ」

ボイラー室では火手長が命令した。

機関長と火手長に共通していたのは
電気がついているうちは
船は大丈夫だ、という認識だった。

経験豊かな船乗りなら誰でもそのことを知っている。

電気がついているのは発電機が動いている証拠だし、
発電機があればエンジンが回せるし、無電も使えるのだ。

しかし、今の洞爺丸の場合、
エンジンの方が先にやられてしまっている。

それでも二人は迷信にすがりつくように
電気がついているうちは、と心の中で思っていた。

最上部デッキに上がった操機手たちは
波に叩き落されそうになりながら
非常発電室へと入った。

しかし、船の揺れと傾斜で
どうしても起電操作ができない。

ふだん、まさかそれが必要になるとは
思ってもいなかったので手入れもしていない。

非常発電機への切り替えは絶望的だった。

疲れきって部屋へ引き揚げてきた操機手や火手たちに
賄室から炊き出しが届けられた。

塩を付けただけの握り飯が真っ黒に汚れた
バケツの中に放り込んであった。

お互いが、からだを支えあいながら、
誰もが無言でそれをほおばった。
【330】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月24日 16時05分)

【58】

午後十時二分。
洞爺丸は函館桟橋に宛てて
次のように打電してきた。

「かろうじて船位保ちつつあり 詳細あと」

左舷エンジンの出力が落ちてから
船は波に浮いているのが精一杯になっていた。

全速で風に向かえないので、
どうしてもどちらかに流される。

走錨にさからう力も弱くなっていった。

右から風と横波を受けると、船は左舷側へ
30度ほど傾いたまま押し流されてゆく。

ようやく船首を立て直したときには
風と横波は左に変る。

今度は逆に右舷側へ30度傾き始めるのだった。

ブリッジには傾斜角度を示す計器が
備え付けられていたが、その針は
危険ラインを示す34度をしばしば突破した。

もう少し傾いたら復元力を失う
ギリギリのところへきていた。

傾きの向きが変るたび、つかまるところのない
乗客は船室の隅へ飛ばされていった。

子どもは柱にぶつかってぐったりとなり、
通路に落ちた老女の上に何人もが折り重なった。

船室には桟橋へ引き返せ、
という声が上がり始めていた。

しかし、乗客に怒鳴られる給仕たちには今になって
船が引き返せるはずがないことはよく分かっていた。

船首を風に立てることさえ困難な中で
無理に船の向きを変えようとしたら
横波を食ってひっくり返されるだろう。

かりに回頭に成功したとしても
桟橋に近付くのはさらに危険だ。
叩きつけられて船は二つに割れるに違いない。

近藤船長は乗客たちが願うのとは逆に
錨を上げて沖へ出ようか、と何度も考えた。

大雪丸が先に出ていったように、
ちちゅう航法をとるのだ。

走っていたほうが錨を支点にして
振り回されるより、揺れは少ないかもしれない。

しかし、車両甲板が浸水した状態で
船を動かすのは思っただけで
ぞっとするようなことだった。

ちちゅう、に移るのには遅すぎた。

それに大雪丸が沖へ出ていったのは
走錨がひどかったからで
幸い洞爺丸はそれほど錨が引けているわけではない。

「このまま、風がおさまるのを待つしかないな」

すぐ隣の窓枠につかまっている
水野一等航海士に向かって船長は言った。
【329】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月22日 15時31分)

【57】

午後十時、台風15号は積丹半島の先端、神威岬へ
その爪先を伸ばしていた。

勢力は956ミリバールを保ったままである。

台風が進行してゆく後面では
いぜん、風が衰えをみせない。
寿都、江差、函館などで最大瞬間風速は
50メートルを超えていた。

函館の市街では街路樹が
根こそぎはがされ、家々が潰されていった。
桟橋の運航司令室では吹き飛ばされてきた
トタン屋根のために窓ガラスが破られた。

風が吹き込むのを防ぐため毛布を打ちつけ、
ゆらゆらと揺れるローソクの灯りの下で
運航指令たちが湾内の各船から
入ってくる無電の対応に追われていた。

やはり台風の後面にあたる青森でも
この時間になって風速が15メートルを超えてきた。
午後からずっと5〜10メートルだった。

「やっと、きたな」

羊蹄丸の佐藤船長はようやく渋面を崩した。

ずいぶん遅くなったが、これが
台風の吹き返しに違いない、と思った。

午後四時ごろから青森の風向は
南西、ないし南南西だった。
これは台風が東へ抜けていかず、
北海道の西岸にいることを意味していた。
東へ抜ければ偏西風に乗って足早に去ってしまうが
西岸にいるうちは油断ができない。

台風が北海道西岸にいるなら、函館には激しい風が吹き
その余波は青森へもきっと来る。
それを自分の目と肌で確認したうえでもう一度、
なぎが訪れるまで船は出すまい、と決めていた。

いま、吹き始めたのが予測していた
風であることを彼は確信した。

台風の吹き返し、というのは
適当ではないかもしれないが
ともかく、その影響には違いないのだ。

「当分、吹くだろう。もっとひどくなるかもしれん。
 すべてはそのあとだ」

佐藤は船長室のソファに足を投げ出して
ゆっくりとタバコに火をつけた。

午後四時半の出航予定時間から五時間半が経っている。

船に残っている乗客たちやしびれを切らして
桟橋の待合室に引き揚げた人々の間から
あからさまな不満や非難の声が
挙がっていることを彼は知っていた。

誰もが急用に間に合わなくなり、
旅行のプランをご破算にされていた。
しかも青森では午後から夜にかけて
決して荒天ではなかったのだ。

怒りたくなる客の気持ちが船長にはよくわかる。

洞爺丸が出航した、と聞いたときには
しまった、と焦りさえした。

しかし、それでも彼は自分の感情で
天候の変化を確かめるまでは
船を動かさない、という方針を頑として変えなかった。
馬鹿と罵られようが、あとから嘲笑われようが、
それが俺のやり方なのだ、と決めていた。

夜になって函館から伝えられてくる情報は
安堵と懸念の入り混じった複雑な気持ちを彼に抱かせた。

函館港の惨状が現実のまま、想像できたわけではないが、かなり、荒れているらしいことは十分にわかった。
そんなところへ入っていかなくてよかったな、と思い
テケミした自分の判断に少し自信をもった。

定時に出航していれば他の船と一緒に嵐の中でもみくちゃにされていただろう。
まさか、この大きな船が沈むことはあるまいが、
混乱した港内ではどんな不測の事態が起きるかわからない。

そしていま、風が強くなり始めたのを感じたとき、
自分の判断が間違っていなかったことを彼は信じた。

天候は予想通りに変化している。
これでよかったのだ、と思った。

しかし、連絡船が遅れたことに対する今日の
乗客たちの恨み、つらみだけは残るだろう。

「つくづく孤独な職業だな」

と佐藤は改めて思った。

確かに船長という職業は華やかで誇り高い職業だ。

百人を超える乗組員が彼の命令に従って
整然と動き、ひとつの秩序をつくりだす。

その意味で船長はオーケストラの指揮者に似ている。
しかし、船長がスポットライトを浴びるのは
船という舞台を動かせているときだけだ。

時として自然が怖ろしい威力をみせたとき、
船長はまるで無力である。

船を岸壁にとめていても、海の只中にあっても。
【328】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月22日 15時17分)

【56】

漏水はついに前部三等雑居室にも起きた。

原田勇たちがいる右舷側の天井から、
ざぁっと流れ込んだ。

あの海になってしまった車両甲板から
いよいよ入ってきたのだ、
と勇は節子を抱き寄せて逃げる態勢をとった。

だが、水はそれでとまった。

この船室は車両甲板に直接開口していない。
揺れて天井を伝ってきた海水が
畳二、三枚を濡らすだけですんだ。

給仕の連絡で飛んで来た船員もたいしたことはない、
という表情で引き揚げていった。

乗客の何人かは畳にたまった海水で手拭いを浸し、
船酔いで寝ている人たちの額に乗せてやった。

状況が悪くなりつつあるのは
車両甲板より上にある三等イス席だった。

この船室の舷側には四角いガラス窓が並んでいる。

それが大波で叩き破られないように
木製のフタがかけられていたが
ついに防ぎきれず、一枚が破られた。

割れた窓からは鋭い音とともに
風が吹き込み、波が踊りこんできた。

乗客たちは総立ちになった。

吹き飛んだガラス片が中年の女性の顔を襲った。

頬にやった手がべっとりと血で塗られているのを見て
女性は狂ったように泣き叫びはじめ、
イスから落ちて床を転げまわった。

「こわいよう、こわいよう」

女は泣き続けた。

出航してからもう三時間近い。

その間、ずっと緊張を高めるばかりだった彼女の神経は
血を見た瞬間、耐え切れなくなった。

緊張が恐怖に変ったのである。

給仕が二人来て、床をのたうつ彼女を抱え上げ、
船室から運び出し、ひとつ上の
二等雑居室とラウンジの間の通路に寝かせた。

どの船室も満員でケガ人を収容する場所がなかった。

「お医者さまはいらっしゃいませんでしょうか。
 ケガをされた方がありますので
 給仕に御連絡くださるよう、お願いいたします」

船内放送のスピーカーが繰り返した。

それを聞きながら青山妙子は
私も行ってあげよう、と思った。
処置をする医師は手伝いを必要とするだろうし、
ケガ人にはなにより元気を出させてやることが大切なのだ。

しかし、彼女は頭を上げられないのを感じた。

気持ちが悪くて、とても起き上がれない。

「すまないけど、勘弁してもらうわ」

と、胸の中でつぶやいた。

ふつう、千人を超える客を乗せていると
二人か三人の医師はいるものだ。

そのおかげで、船内で産気づいた妊婦が
無事に赤ちゃんを産み、
船長が名付け親になるという
エピソードが実際に連絡船の中ではあった。

しかし、医師だと名乗り出てくるものがいない。

船内放送をあきらめた給仕たちは乗客名簿を繰った。

思ったとおり、職業欄に「医師」と記された名前が見つかった。

その医師はケガをした女が寝かされていた場所から
数歩とへだたっていない二等雑居室にいた。

しかし、彼自身が医師を必要とする状態だった。

吐き続けて顔からは血の気が失せ、
名前を呼ばれて答えるのにも肩で息をしていた。
【327】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月22日 15時14分)

【55】

機関室では天井全体から大雨のように海水が降り注いでいた。

船の縦揺れにつれて海水は出たり入ったりしていたが、
いまでは出てゆく量より入ってくる量のほうが多くなったのだ。

突然、両舷発電機のベルの音が鳴り響きだした。

発電機はアースすると警報が鳴る。
続いてすさまじいスパークが起き、
遠雷のような音が轟いた。

左舷発電機がショートしたのだ。
きな臭い匂いが機関室に広がり、
左舷発電機はそのまま不能となった。

追いかけるようにして左舷エンジンが
大きな音をたてて異常振動を起こした。

ノズルを全開にして機関の回転数を上げた状態で
全速運転を続けていたのでタービンに
負担がかかり過ぎたのだと思われた。

「左舷エンジンをとめろ!」

機関長が叫んだ。

エンジンは停止し、振動はなくなった。

これをブリッジに報告するために
電話をつかんだ三等機関士は
瞬間、感電して受話器をとり落とした。

足が水中にあるのとコードが濡れているので
なにに触れても感電する危険があった。

三等機関士は息をきらせて階段を駆け上がり
ブリッジに左舷エンジンの故障を知らせた。

「だめだ、ぶっこわれてもいいから
  全開にして回すんだ!」

水野一等航海士は怒鳴った。

片方のタービンがきかなくなったら、
船首を風に立てることができない。
横波をまともに食おうものなら、
そのまま転覆するに違いないのだ。

「よし、左舷エンジン、回せ」

三等機関士からブリッジの返事を聞いて、
機関長は決断した。

もう一度回し始めれば、本当に
ぶっこわれるかもしれない。

しかし、止めていれば船そのものが危機にさらされる。
それなら回してやるしかなかった。

全員がこわごわ見守る中で、
左舷タービンに蒸気が吹き込まれた。

ただ、負担が大きくなりすぎないように蒸気圧を下げた。

エンジンは回りだした。

しかし、もはやその回転は正常ではなかった。
ブルブルと震えた音をたて、
長くはもたないことを誰もが予感した。

午後九時二十五分、洞爺丸は函館桟橋に宛てて打電した。

「エンジン、ダイナモ止まりつつあり。
  突風55メートル」

突然の重大な電文に桟橋の運航司令室は驚愕した。
しかし、陸側からは手の打ちようがない。

やがて信じられない出来事が機関室隣の
ボイラー室に発生した。

缶に焚く石炭がどっと室内にあふれ出てきたのである。

連絡船に使われているのは良質の粉炭で
車両甲板とボイラー室の天井との間にある
石炭庫に貯えられている。
車両甲板から石炭庫への浸水が続いたために
海水とともに粉炭が取り出し口から勝手に噴出し始めた。

水を含んでドロドロになった粉炭が
五つの焚きだし口を塞いだ。

床の浸水とともに火手たちは粉炭の
ぬかるみに足をとられることになった。

「出てきたやつから焚くんだ!」

火手長が叫びまわる。
  
火手たちは粉炭と海水とを一緒に
スコップですくいとって焚き口に放り込んだ。

「ちくしょう、だからこんな日に出るな、
  といったんだ」

火手長はわめいた。

石炭が水になってあふれ出てくる
などという話は聞いたことがなかった。
しかし、いまさら出航を決めた
ブリッジを呪ってもいられなかった。

エンジンが全速、半速、停止に
使われていることを示す白、青、赤のランプが
ボイラー室と機関室に付けられているが、
錨を下ろした二時間ほど前からランプは
ずっと白が点灯したままだ。
停船しているが、エンジンは全速にかけられている。

船は戦っているのだ。
だとすると焚火力を落すわけにはいかなかった。

「蒸気を落とすな、水もなにもかも焚いちまうんだ」。

火が消えたらエンジンも発電機も止まる。
それは船の死を意味していた。

凶暴な嵐の只中で洞爺丸の生命を守るために
火手たちは必死に焚き続けた。
【326】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月18日 16時30分)

【54】

午後九時、台風は寿都西方50キロの海上にあった。

この一時間に40キロほど北北東へ進んだだけである。

中心示度はさらに落ちて956ミリバールになった。

寿都では最大瞬間風速が50メートルに達していた。

中心の全面より後面で風は激しく、
江差や函館の風速は時間とともに
大きくなりつつあった。

停電した函館海洋気象台の予報室では
ローソクの灯りを頼りに
成田予報官が観測を続けていたが、
間借りしているビルの屋上に設置していた
風速計が吹き飛ばされ、記録できなくなった。

函館湾でも50メートルの風が吹いていた。

洞爺丸のブリッジで山田二等航海士は
風速計の針が58メートルに届いたのを見た。

信じられなかった。

「この針も狂ってるんじゃないか」

山田はつぶやいた。

ブリッジには波がまともにぶつかって
くるようになっていた。

しぶきではない。

波、そのものが海面から15メートルはある船の
一番高いところのブリッジに
打ちかかってくるのだった。

外は全く見えなくなる。

誰にも経験のない大波だった。

ブリッジの揺れもいっそう大きくなってきた。

なにかにつかまらなければ立っていられない。

山田はレーダーのハンドルを握り、
顔だけあげて風速計に目をやっていた。
気圧の方はもう、どうでもよかった。

ブリッジの中央の舵輪の下には
グレーティングと呼ばれる木製の台がある。

このグレーティングが操舵手を乗せたまま、滑り出した。

操舵手は舵輪にしがみついた。

と、グレーティングは操舵手を置き去りにして
ブリッジの隅まで吹っ飛んでいった。

これまでにどんなひどいシケの日でも
そんな光景は見たことがなかった。

続いてレーダーわきにある海図台が滑り始めた。

揺れにつれてあちこちにぶつかろうとする。

大きくて重い海図台にブリッジの中を
走り回られるのは危険このうえなかった。

窓枠につかまっていた近藤船長は
ブリッジ後部へふらふらと歩き出した。

途中で揺れにバランスを崩し、操舵手にぶつかった。

「危ないです、キャプテン。どこへ行かれますか」

グレーティングをなくして、
舵輪にぶら下がった格好のまま操舵手は怒鳴った。

風と波の音でブリッジではすぐそばでも
大声を出さないと聞こえなくなっていた。

「タバコ、あるか」

船長も怒鳴る。

操舵手はポケットから新生を出して渡した。

船長は窓枠のところへ戻って火をつけ、
うまそうに吸った。

部屋にタバコを忘れてきた近藤船長は
それをとりに行くつもりだった。

無性にタバコが吸いたかった。

彼がタバコを忘れてブリッジに上がるのは
珍しいことだった。

緊張するとタバコが吸いたくなるので
細かい注意が必要な離着岸の際には
何本も立て続けに火をつけながら
命令を出すのが近藤船長のクセだった。

いったい、これはどういうことなのだろう ―――

新生を吸いながら船長は考え込んだ。

これがあの足ばかり速くてたいしたことはなかった
台風の吹き返しなのだろうか。

それがなにものの仕業にしても、いまや自分の技術で
どうしても船をなだめすかしきることはできなかった。

その無力感が近藤船長をいたたまれなくした。

「また、少し、ひけています!」

山田二等航海士が怒鳴っている。

船はもみくちゃにされながら、
いぜん走錨しているのだ。

なんという状態だ。

それでも近藤船長はやれるだけやるつもりだった。

「両舷機関、半速ずつ上げろ」

小石川三等航海士にむかって船長は大声で命じた。
【325】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月18日 16時25分)

【53】

船室にも混乱が起き始めていた。

この日、各船室には船にあるだけの船酔い用の
スぺート(金だらい)が配られていたが、
このスぺートが畳の上を走り出した。

船客用の茶碗を収納している
木製ロッカーの引き出しが抜け落ちる。
ロッカーの上のやかんが吹き飛ぶ。

大きな縦揺れや横揺れが起きると
老人や子どもは畳の上を転がって通路に落ちた。

からだを打ちつけた子どもの
泣き叫ぶ声があちこちで挙がった。


青山妙子は畳のへりに爪をたてて、全身を支えていた。

腹這いになっている客が多かった。

せんべいをくれようとした、隣の女もそうだった。
だが、妙子にはとてもできそうにない。
ひどい格好だと思った。

座って振り回されているうち、
だんだん気分が悪くなってきた。
さっきはあんなに浮き浮きした気分だったのに
エンジンがウン、ウンと唸るような音で
前よりいっそう大きく響きだしたのも不気味だった。

節子は揺れがくるたびに畳の上を
転げまわってあえいでいた。

半ば目を閉じて、もう自分のからだを
支える気力はなくしてしまっているようだった。

さっきまで手につかんでいた
利尻昆布の袋がガサガサと音を立てて
畳の上をひとりで行き来していた。

勇と節子がいる前部三等船室では
柱と柱の間に行商人たちがロープを張った。
それにつかまっていれば、気分はともかく
大揺れに跳ね飛ばされないですんだ。

どうなるのだろう ―――――
転がる節子のからだを引き寄せたり、抱きとめたり
ときには一緒に転がりながら勇は思った。

こんなことが何時間も続いたら、
この娘は参って死んでしまうのではないか。

「ちょっと見ててくれや、な」

ロープにつかまっている行商人に節子を頼んで
勇はよろめきながら船室を出た。
誰でもいい。こんな状態がいつまで続くか
説明できる相手を見つけたかった。

下部遊歩甲板に上がった勇は
あまりの波のすごさに棒立ちになった。

見上げるほどに黒い巨大な波が
船の横腹に叩きつけてきて、真っ白に砕け散っている。

船尾に回って下の車両甲板を
のぞきこんだとき、思わず息をのんだ。

昼間、行商人たちが飛び降りていった
車両甲板がなくなっている。
大波の下に沈んでしまったのだ。

「甲板が海になっている」

ぞっとしながら、勇はうめいた。
自分たちの船室はそのすぐ下なのだ。
救命胴衣をつけ、ずぶ濡れになった
船員二人が通りがかった。

「どうなったんだ?船室にも水がくるだべか」

勇はせきこんでたずねた。  ひとりが答えた。

「機関室はもうびしょびしょだ」

「船は沈むんでねえか」

二人ともそれには答えず行ってしまった。

勇は急いで船室の階段を降りた。
節子のそばにいてやらないと、
あの娘が沈んでしまう、と思った。

午後八時十九分、洞爺丸ブリッジの士官たちは
前方を横切って港外へ出る僚船の姿を見つけた。

大雪丸だな、と思って無線電話をとった。

「本船の前方をいま、港外へ出ているのは貴船ですか」

大雪丸は激しい走錨のため、どんどん後退して
防波堤に近付きつつあった。
このままでは船尾をぶつけてしまう、と
判断した船長は錨を下ろしたまま機関を全速に駆けた。

ようやく防波堤との距離を保ったところで
いったんエンジンをとめ錨鎖を巻き上げた
大雪丸はさらに港外へ向かうため機関を回した。

これほど走錨するのでは港外に出ても危険だから
錨泊はやめて、風に船首を立てて
走り続けよう、と大雪丸の船長は決めた。

ちちゅう航法と呼ばれる操船である。

洞爺丸が大雪丸の船影を認めて、
呼びかけたのはこのときだった。

嵐の真っ只中へ出てゆく決意を固めた
大雪丸のブリッジからは
緊張した声が返ってきた。

「そうです。本船、ただいま非常に難航中」

洞爺丸のブリッジは落ち着かせようと応じた。

「本船も難航中、お互いに頑張りましょう」
【324】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月18日 16時11分)

【52】

洞爺丸に限らず、青函連絡船では
波が穏やかな日には機関室やボイラー室の
天井の窓は開けたままにしておく。

どちらも暑く、特に燃料の石炭を焚く
ボイラー室の温度は37〜38度にもなるからだ。

なぎの日にそれを閉めるのは
鮮魚を積んだ貨車を乗せていて
その生臭さがかなわない、ときぐらいだ。

荒天時の航海では原則として窓は閉め、
換気装置を使って室温を調整する。

しかし、そういう場合でも機関部員や
火手たちは窓を開けておきたかった。

その方が息苦しくないし、開けても
海水が入ってくるようなことはなかった。

車両甲板の開口は海面より
かなり上にあって波が届くことはまず、ない。

ただ、シケの日には閉める原則があるのだから
出航前の荒天準備にあたって水手が窓を閉めて回る。

出航後まもなく、一等航海士がそれを点検する。

点検が済んだあとでこっそり開けるものがいなかった、
とは、言い切れないが。

特にこの日の水野一等航海士は万事に厳しく、
荒天準備にもうるさかった。

窓を閉めてもクリップがかけられていないときには
水手長を呼びつけてやり直しを命じていた。

それをよく知っている甲板部員たちは
この日も十分気をつけて作業を終えていた。

だが、貨車の下になっている窓などはクリップが
かけられているかどうかの確認は難しいし、
面倒でもあった。

そして、この日に限って出航してまもなく、
ブリッジが戦場のようになってしまったために、
あの厳格な水野一等航海士が
クリップの点検に下りてこられなかった。

クリップがかけられず、ゆるんでいた
鉄のフタのすき間から海水は下の
機関室やボイラー室へと降り注ぐことになった。


「クリップはきちんとしてあったんだろうな」


浸水の報告のためブリッジに上がってきた操機手を
水野一等航海士はすさまじい形相でにらみつけた。

だが、もう手遅れだった。

車両甲板でクリップの締め付けをやり始めていた
機関部員や火手たちに作業を続けさせることは
もはや困難かつ危険になりつつあった。

船の縦揺れとともに入ってくる大波に
いつ、さらわれるかもしれなかった。

左舷側に傾いている船が大きく右へ傾きを
変えようとすると流れ寄ってくる
海水に足元をすくわれそうになる。

彼らはついに作業をあきらめ、
びしょ濡れになりながら
這うように車両甲板から逃げた。

右へ傾斜が変わるときの反動で機関長は
右舷側へと跳ね飛ばされて転倒した。

その上へ海水が叩きつけてきた。

機関室では左からも右からも浸水が始まった。
【323】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月18日 16時07分)

【51】

洞爺丸には海上保安部に打電した通り、
事故が発生していた。

機関室の天井から突然、漏水がはじまったのである。

機関室の天井にあたるのは車両甲板だ。

ここには換気口や明かりとりの天窓、
脱出口などいくつもの口が開いている。

閉めるときには鉄のフタを下ろし、
クリップで締め付ける。

そのすき間から水が漏れだしたのだ。

最初の漏水は左舷側の天窓から降ってきた。

まず300ワットの照明灯が音をたてて破裂した。

と、見る間に左舷側のあらゆる開口から水が入り込み
左舷機関のハンドルを握っていた
川上二等機関士はずぶ濡れになった。

「発電機と配電盤にカンバスをかけろ!」

機関長が怒鳴る。

機関部員たちは防水用のカンバスをとりに走った。

その間にもブリッジからは
次々に指示が伝えられてくる。

「右舷機関、全速前進!」

「ノズル全開、主機回転をあげろ!」

手が足りない。

右舷側の発電機や配電盤にもカンバスをかけなければ
やがてそちら側からも浸水が始まるだろう。

「総員配置、すぐ呼んでこい!」

機関長は命じた。

次の当直まで部屋で休んでいる
機関部員たちを呼ぶために
機関主が駆け出してゆく。

ブリッジと同じように機関室もまた、
戦場になろうとしていた。

まもなく機関室に隣り合ったボイラー室にも
天井から漏水が発生した。

右舷側に一、三、五号   左舷側に二、四、六号と
六つの焚き缶が並んでいて、
三号缶だけに火が入っていなかったが
左舷側の四、六号缶の上の脱出口から
海水が降り注いでくる。

機関室とボイラー室から数人が
救命胴衣をつけて車両甲板にあがった。

開口を覆っている鉄のふたの
クリップをしっかり締め付けて
水が漏れてくるのを防ぐためである。

車両甲板に上がった彼らは左舷側に
海水があふれだしているのを見た。

後部開口から波が入り込んでいるのだ。

それは彼らが始めて見るおそるべき光景だった。

シケの日に後部開口を少し濡らすくらい、
波が入ることはある。

しかし、こんな奥まで水浸しになるとは
誰も想像だにしていなかった。

左舷側に傾いたまま、船は縦揺れを繰り返している。

船首側がもち上げられると
車両甲板の水はざざぁっ、と引いてゆく。

続いて船首が下がると後部開口は
新しい波をすくいとり
すごい勢いで海水が入ってくる。

水が引いたスキをみて、
ひざまで浸かってクリップを締め付ける。

大波で危ないときには貨車の上に逃げた。

それを繰り返しながら、彼らは今度、
船が右へ傾くときには
右舷側の天井から漏水が始まるに
違いないことを予感した。
【322】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月18日 16時03分)

【50】

渡島半島の西側をなめるように
ゆっくりと北上してきた台風マリーは
午後八時にはまだ寿都の西側、奥尻海峡にあった。

札幌管区気象台は午後六時に
寿都の西方、と発表していたが、
実際には二時間以上のズレがあった。

それほど台風の速度は遅くなっていた。

同時に日本海側からくる寒気に刺激されて中心示度は
いっそう深まり958ミリバールになった。

午後八時に寿都では平均風速が37.6メートルに達した。記録的な風速である。
突風は50メートルに近いものと思われた。

渡島半島西側のいたるところで電柱が倒れ、屋根が飛び
立ち木が折りちぎられていった。
すべての植林が吹き倒され、一夜のうちに
丸坊主になってしまった山もあった。

函館湾でもすでに最大瞬間風速は40メートルを超え
いっそう強くなりつつあった。

もうひとつこわいのは海上のうねりだった。

台風の通過とともに日本海に発生した
波長の大きいうねりが湾口から
押し寄せてくるようになったのである。

ちょうど八時ごろ、湾外にいた第十一青函丸は
このうねりをまともに横腹にうけた。

すさまじい衝撃だった。

その瞬間、船体は三つに折れ、救助信号の
SOSを発信するまもなく、海中に沈んだ。

この日午後、出航したものの引き返して乗客を
洞爺丸に移乗させた第十一青函丸は
腹一杯に積んだ貨車をそのままにして
港外へ出て、テケミ中だった。

港外に出たのは走錨するエルネスト号に
危険を感じたからだった。

貨車を満載していたのが不幸だった。

重心が高くなっていたために横波をくって
傾いたときの復元力がなかった。

あっけないほどの沈没だった。

第十一青函丸はこの夜の函館湾の最初の犠牲だった。
船長以下、九十人の乗組員は全員、海中に没した。

午後八時三分、湾内にいたLST(米軍上陸用舟艇)
546号から突然SOSが発信された。

このLSTは米軍将校百九十一人を
乗せて小樽から塩釜へ向かう途中、
台風を避けるために函館湾に入っていた。

風浪が激しくなったので機関を全速にかけて
船首を風に立てようとしたが
どうしても成功せず、どんどん流され始めた。

ひらべったいLSTは波の上でもみくちゃにされ、
全く操船の自由を失っていた。
万策尽きて発信されたSOSだった。

函館海上保安部ただちに湾内の全船にむけて電波を発信した。

「LST546 函館北方30度、1.5マイルにて
 強風のため危険に瀕す
 付近航行の船舶応答あれ」

洞爺丸が最初に応答してきた。

電文は以下だった。

「LSTのSOS了解。こちらも港外で強風のため
 自由を失い難航中」

「それでは貴船は救助に行けぬか」

問い返す海上保安部に洞爺丸は
しばらく間をおいて打電した。

「本船も事故起きた模様、注意頼む」

続いて十勝丸が海上保安部に答えてきた。

「本船、港外にて避難中、動けず」

他の船は応答する余裕すらなかった。

救助信号が発信されたときには、
付近にいる船舶は救難にむかう義務を負う。

しかし、どの船も自分の船首を風にたて、
走錨を防ぐために必死で戦っていた。

ほかの船の手助けなどとても不可能な状態だった。

午後八時十五分ごろ、寿都から北西へ
30キロほど離れた岩内町で火災が発生した。

木造アパートの二階から出た火は
南南西の強風にあおられてたちまち燃え広がった。

風下の民家をあっというまになめつくした炎は
海岸で燃え尽きるように思われた。

しかし、海辺には漁船用の燃料油を詰めた
ドラム缶が山積みされていた。
炎はこれに燃え移り、ドラム缶は
爆発しながら吹き飛んだ。

燃えるドラム缶は港内に避難していた漁船に降り注ぎ
あるいは狭い港を飛び越えて対岸の民家に落ちた。

港の向こうで新しい火災が発生した。

すさまじい火勢が風に渦を巻き、
炎は町の中心部に戻ってきた。

岩内町、四千五百戸のうち三千三百戸が焼失し
死者、不明六十三人を出すまでに
それほど時間はかからなかった。
【321】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月16日 16時30分)

【49】

レーダーを見ていた山田二等航海士は
洞爺丸が振り回されだしたのに気付いた。

錨を支点として振り子のように
右へ左へと振られている。

やがて振られながら、船が少しずつ
後退しているのを山田は確認した。

レーダーに映る後方の海岸線が近付いてくるのだ。

錨が十分にきかず、走錨が始まったのだ、と思われた。

「少し、ひけています」

風の音にかき消されないように山田は大声で報告した。

「両舷機関、微速前進」

船長も怒鳴っている。

後退を避けるためにエンジンを少し前進にかけ
錨鎖にゆとりをもたせるのだ。

しかし、あまりの風と押し寄せてくる波とで、
微速では船は前に進もうとしない。
速力を上げなければならない。

「両舷機関、半速前進」

そうするうちにも船は振り子の状態になっているので
船首はまっすぐ風に立たず、右へゆっくりと振られている。
右舷側を立て直すと逆に強い風と波で
左舷側へと振られる。
これを立て直すためにエンジンの操作は
ますます複雑になった。

「左舷機関、全速前進、右舷機関、微速前進」

右舷側から風が来ると船長は命じる。

左舷側に風が変ったときはその反対だ。

復唱する三等航海士も怒鳴り返して
揺れるブリッジは戦場のようになり始めた。

函館桟橋では停電のため一時、
無線電話と電信が使えなくなった。

電信だけはまもなく予備のガソリン発動機に
切り替えられた。
午後七時半、函館桟橋は洞爺丸が
港外でテケミしたことを
碇泊位置とともに各連絡線に打電した。



青森桟橋でそれを聞いた羊蹄丸の佐藤船長は
自分の判断が正しかったことを知った。

函館はまだ、港を出てすぐに錨を入れなければならないほど荒れているのだ。

それにしても彼が尊敬するあの慎重な近藤船長が
なぜ、出航したのだろう。

そんなときに出てゆく人ではない。

むろん洞爺丸は台風から遠ざかる方向へ
走ればいいのだから羊蹄丸とは立場が違う。

しかし、少なくとも函館はまだ暴風雨県内なのだ。

あの人に限って台風を甘く見たはずはない。

それならよほど天候の好転に自信があったのだろうか。

どう考えても彼にはわからなかった。

ともかくもまだ、動かないほうがいい。

どうせここまでテケミを引き伸ばしてきたのだ。
洞爺丸がこちらへ向かった、と
聞いてからでもいいではないか。

ここは馬鹿なって待とう、と思った。

そのころ函館港内にいた日高丸と第六青函丸から
相次いで有川桟橋に緊急無線電話が飛び込んだ。

「イタリア船走錨、接近する。
  救難用ランチ派遣たのむ」

港内でも最大瞬間風速は40メートルを超えてきていた。

うねりに押されて再びエルネスト号は左右に
振られながら港の中央に近付きつつあった。

風下の連絡船は自分の船の操作がままならないところへ
近付いてくるイタリア貨物船に戦慄を感じた。

どの船長も交わしきる自信がなかった。

港内は恐怖の海面となっていた。

有川桟橋には大波が砕け飛び、
とても救難ランチを出せる状態ではなかった。

「強風浪のためランチ派遣できず」

これを最後に有川桟橋も停電のため
無線電話は不通となった。

エルネスト号の走錨状態をサーチライトで
とらえていた大雪丸は
これ以上港内にとどまることはできないと判断し、
錨を巻き上げ、港の出口へ向かおうとした。

進路をふさぐ形で碇泊していた第六青函丸と
接近するエルネスト号の間をすりぬけようとした一瞬、
大雪丸は右舷を第六青函丸にぶつけた。

ぱぁっと大きな火花が散った。

第二岸壁につながれていた石狩丸は午後八時前、
次々と係船索をひきちぎられた。

あのまま岸壁にいたら、もやい綱は切れただろう、
という近藤船長の見通しは正しかった。

船は港の中央へ向かって流れ出した。

全ての船がコントロールを失い、
函館港は混乱の極に達していた。
【320】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月16日 16時24分)

【48】

無線室がキャッチした台風情報を
操舵手が持ってきて近藤船長に渡した。

錨を入れてから洞爺丸のブリッジには明かりがついた。

碇泊中は闇の中に遠目をきかせる
必要がないので明るくしておくのだ。

二通ある台風情報のひとつは午後六時五十分に
中央気象台が船舶向けに打電したJMCで、
午後三時現在の台風の位置と勢力が
次のように記されていた。

「台マリー 968、日本海北緯40.9度 東経139度
 北東55ノット きわめて速い 
  中心付近最大風速70ノット
 中心より半径400海里以内、風速40ノット以上」

そのメモを近藤船長は破り捨てて
やりたいような気がした。

船が吹き返しにもまれているさなかに、
午後三時現在の台風の位置を教えてもらっても
なんの意味もない。
むしろ滑稽でさえあった。

もう一通は午後七時十分にラジオの
ローカルニュースで放送された
最新の台風情報を無線室でメモしたものだった。

札幌管区気象台午後七時発表とある。

「台風15号、午後六時、寿都西方
  50キロの海上、北北東」

妙な台風だな、と近藤船長はまた思った。

函館を中心が通りながら、いま寿都の西にあって
北北東に進んでいるのだろうか。

それだとこいつは函館からいったん西北へ進み、
また北北東に向きを変えるという
蛇行をしていることになる。

どこかおかしい。

あの晴れ間は台風の眼ではなかったのか、と
彼は初めていぶかった。

しかし、あれほどはっきりと
眼の特徴が備わっていたではないか。

彼は自分の目で見たものを信じたかった。

ともかく、いまの時点で台風は寿都の西にあるらしい。

それは確かだろう。

南から少し南南西に寄った強い風もそれで説明がつく。

「雪隠(せっちん)倒しだな、これは」

ブリッジに上がってきた
水野一等航海士に船長は言った。

南西の方角から吹く風を函館では雪隠倒し、と呼ぶ。

雪隠、つまり便所を母屋から離して建てるときには
敷地の南西側に置くことが多いのだが、
それを倒す風、という意味だ。

雪隠倒しはこわい、と日ごろから
近藤船長が言っているのを水野は知っていた。
南西から風が吹くというのは
北西方向に低気圧がある証だ。

その位置にきた低気圧はしばしば
日本海で発達し、しかも速度を落として
函館湾に長時間にわたって強い風を吹かせるのである。

「しばらく吹くかもしれません」

船長の考えていることを理解しながら水野は答えた。

「うん、こうひどいと、おそらく
  もやい綱は切れただろう」

岸壁にいて南の風に吹かれ続けると
船は沖へ流されようとし、
係船索が切れるおそれがある。

そのまま押し流されるのは非常に危険だ。

船長が言っているのはそのことである。

「はい、そう思います」

船長があの風の中で船を離岸させたことを
自らに納得させようとしていることに気付いて
水野は相槌をうった。

山田二等航海士はさっきから
レーダーと気圧計を交互にのぞいていた。

彼も自分が見た晴れ間を台風の眼だと思っていたが
だとすればそろそろ気圧が上がってこなければならない。

それが、台風が遠ざかりつつある証拠であり、
そうなれば風も衰えてくるはずなのだ。

しかし、出航したころから
気圧計の針は981ミリバール前後に
はりついたままほとんど動こうとしない。

むしろ錨を入れた七時前後に980ミリバールに落ちた。

その後少し上向いてはきたが、
やっと981ミリバールを回復した程度なのだ。

「これは壊れているんじゃないのか。
 ちょっと俺の部屋のバロメーターを見てきてくれ」

水野は操舵手に命じた。

戻ってきた操舵手はやはり981ミリバールだ、という。

「おかしいな。あの足の速いやつが
  そんなはずはないんだが」

山田二等航海士はしきりに首をひねった。
【319】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月15日 16時24分)

【47】

前部三等室の節子は船が出たころから
また苦しそうにしていた。

さっきタラップが架けられているうちに
降りなかったことを後悔しながら
勇は節子のスラックスのベルトをゆるめてやった。

この夏、二人で東京へ行ったときに買った
バラの花を描いたバックルのついたベルトだった。

「これは錨を入れた音だ。
  上へ行って様子をみてこないか」

淵上助教授に言われて船室を出た学生が戻ってきた。

「先生、たしかに船はとまっています。
  すごい波ですよ」

「どのあたりか、見当がつくかね」

「それがですね、ぼくが上がっていったとき、
  左手の方に函館の町の灯が見えたんです。
 ところが一瞬、すごいスパークがしたと
  思ったら灯が全部消えて
 真っ暗になってしまいました。
  どこにとまっているのかわかりません」

この日午後、函館市内に断続的に
発生していた停電は夕方、いったん復旧したが
その後風が強くなるにつれ、また停電が始まり
午後七時すぎには市内全域が闇に包まれた。

学生たちの話を聞いて淵上助教授も
外の様子が見てみたくなり
二、三人の学生と上部遊歩甲板へ上がった。

雨はほとんど降っていなかったが、
風が強く、たしかにすごい波だ。

黒く巨大な塊が船にむかって押し寄せていた。

「雄大な波じゃないか」

「船室はそれほど揺れているわけじゃありませんから
 こんな波があるとは思えませんね」

真っ暗な海の中に航海灯を
あかあかとつけた船がいくつか見え、
お互いにサーチライトで照らしあっている。

淵上助教授には雄大な波のむこうの
その光景が美しくさえ、感じた。



湯川のなじみの宿に入った佐渡味噌販売会社社長、
村川九一郎は風呂を浴びて夕食をすませ、
寝転がってラジオを聞いていた。

マッサージを頼むと女中は、
この風だから無理かもしれませんが
呼んでみます、と返事した。

七時のニュースに続く札幌からのローカルニュースが
欠航していた青函連絡船は運航を開始し、
洞爺丸が六時三十九分に出航しました、と伝えている。


出たのか、 しまったことをしたな と思った。


そのとき、明かりが消え、ラジオも聞こえなくなった。

雨戸のむこうで木の枝が激しく風に鳴る音がする。

マッサージが来られないうえ、
停電するような嵐の中に出航するのが、
あの長々と続いた会議の結論だったのか、
と、今度は笑いたいような気持ちだった。

いま船が出る、というのなら
さっきと違って、それは危険だから
降ろしてくれ、と自分は言うだろうと考えた。

口ひげをたくわえ、豪放に見える彼は
実は小心なほど用心深い男だった。

旅館に泊まるときはなにをおいても
まず非常口を確かめる。
むろん、この宿でもきちんと調べていた。

佐渡航路の海賊船も彼の体験談ではない。

人から聞いた話である。

そんな船には決して乗らない。

自分なら降りる、と考えると出航したあの船には
本当に危険が迫っているように思えてくる。

乗らなくてよかった、あのとき
虫が知らせたのかもしれない、と思った。

まあ、しかし、あの大きな船が
沈むようなことはあるまい。

結局一日、損をしたかな、と
闇の中で考えているうちに
村川九一郎は眠りに落ちた。
【318】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月15日 16時37分)

【46】

汽笛は鳴りやんだ。

蒸気の噴出で鳴らせるこの汽笛には
手動用のワイヤーロープがつけられている。

このロープが突風でどこかにひっかかり、
蒸気噴出弁を開けてしまったのだ。

航海中に汽笛がひとりでに鳴り出すというようなことは
ブリッジの航海士や川上二等機関士はもちろん
近藤船長にも経験のないことだった。

それほどすさまじい風だった。

ブリッジの風速計は40メートルを超えてきた。

「これはひどい。アンカーを入れる」

近藤船長は言った。

このまま港外へ出てゆくのは明らかに危険である。

吹き返しは想像以上に強い。

用意していた二つの作戦のうち、仮泊して
やりすごすほうを彼は瞬間的に選択した。

「アンカー、入れます」

小石川三等航海士がブリッジの窓を開けて、
船首へ大声で言った。
船首には水野一等航海士が出航配置のまま残っていた。

しかし、強風に吹き消されて、
ブリッジのすぐ下にいる一等航海士に声が届かない。

ボイスチューブを使ったが、これもだめだ。
操舵手が伝令に走った。

「左舷機関、微速前進」

全速で走っていた洞爺丸は
左舷エンジンだけを微速に落とした。

いま、船は防波堤の出口を西へ走っている。

   
風は南だ。

だから風は左舷側へとほぼ直角に吹きつけてくる。

錨を下ろすには船を左旋回させて、
船首をまっすぐ風に立ててやらなければならない。

続いて船長は命じた。

「取舵一杯」

船首が南に向いたと思われたところで
船長は笛を吹いた。

錨を下ろせ、の合図である。

だが、これも船首に聞こえない。

船長は右手を振って右舷錨を下ろせと指示した。
右舷錨がただちに投下され、八節まで延ばされた。

一節は25メートルである。

続いて左舷錨が下ろされた。
こちらは七節で止めた。

「投錨時間、一九時〇一分」

小石川三等航海士が報告した。

「防波堤から真方位三百度、八・五ケーブル」
※一ケーブルは10分の1マイル  八・五ケーブルは1370メートルになる。

レーダーをのぞいていた山田二等航海士が
続いて投錨位置を報告し、それを海図に書き込んだ。
赤灯台の北西にあたる港外であった。

洞爺丸は停船した。

船首の一等航海士たちに戻ってこい、
と近藤船長は手招きした。

船首の甲板では舷側の手すりに
つかまらなければ歩けないほど
風は強くなっていた。
途中で足を滑らせて手を離した操舵手は
そのまま吹き飛ばされて甲板を転がり、
反対側の舷側に全身をいやというほど叩きつけられた。




青山妙子は三等食堂から船室に戻ってきて、
アンカーを打つ音を聞いたが
それがなんなのか、わからなかった。

食堂で彼女はお腹いっぱい食べた。

夕焼け雲を見て東京へ帰ろう、
と決めてから急に食欲がでた。

彼女には今日初めての食事がとてもおいしかった。

早く船が青森に着いてくれればいい、と思った。

一刻も早く東京へ帰りたかった。

勤めを変えてやり直そう、と彼女は考え始めていた。

あんな男のことはもう、忘れるのだ。

この船で青森に着くと何時の汽車に乗れるのだろう。
新しい旅に出るような浮き立つ気持ちで
時刻表をとりだしてみた。

午後十時四十五分に急行「きたかみ」がある。

船が青森に着くのは十一時二十分ごろだが、
きっと接続のため急行は待っていてくれるに違いない。

これに乗れば、明日の夕方、妹が勤めから
帰ってくるまでにアパートへ着ける。

妹はきっとびっくりし、喜ぶだろう。
その顔を思い浮かべながら、彼女はくすっと笑った。

切符は仙台までしか買っていなかったが、
船の中で変更ができるはずだった。

ボーイさんがきたら頼んでみよう、と思った。
【317】

S0S洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月15日 16時35分)

【45】

午後六時四十五分、イタリア船・エルネスト号が
再び函館港内を走錨し始めた。

風が強まり、波浪も高くなったため、あおられた船体が
いったんは固定していた錨を引きずり出したのだ。

南からの風をうけ、連絡船の航路になっている
港の中央に向かってエルネスト号は流されていった。

航路の両側をびっしりと埋めた船は
エルネスト号が近付いてくるのを見て
再び避難準備にとりかかった。

風下にいた連絡船は大雪丸、日高丸、
第六青函丸、第八青函丸だった。

いずれも機関をウォームアップし、
いつでも錨を上げられるようにしながら
サーチライトでエルネスト号の動きを追った。

交差するサーチライトの青白い光の中を
ときどき、船影が横切ってゆく。

エルネスト号の巨体から逃れようと
右往左往する民間の小さな貨物船だった。

港内には混乱が起き始めていた。

もはや、安全な錨地はどこにもない。

大雪丸でも日高丸でも船長は
めまぐるしく頭を回転させた。

波にもまれて逃げまどう貨物船がいつ、
こちらにぶつかってくるかもしれない。

それにこの風浪では次にどの船が
走錨を始めるかわからないのだ。

そのころすでに北見丸、第十一青函丸は
港外に出て、錨泊していた。
狭い湾内よりも行動の自由を保てる、
と判断したためだった。

青森から函館湾に入ったばかりの貨物専用船、
十勝丸も混雑する港内に向かわず
貨車を満載したまま、港外に錨泊した。

十勝丸はテケミせずに青森を出港した
この日、最後の下り連絡船だった。

いましがた出航した洞爺丸を除けば、
航路には一隻の連絡船もなくなった。

青森には羊蹄丸と渡島丸がつながれ、
残りの九隻の連絡船が函館に集っていた。

混乱した港内の様子を横目に
洞爺丸は航路を全速で進んでいた。

防波堤の赤灯台が左前方に見える。
この防波堤を過ぎれば港外で、
そこから進路をまっすぐ南へとるのだ。

ちょうど防波堤をかわそうとするころ、
ブリッジに激しく波しぶきがぶつかりだした。

波がしらが風に吹きちぎられて飛んできた。
ブリッジの航海士たちは思わず、顔を見合わせた。

不意に汽笛が鳴りだした。

外の様子を見やすいように明かりを消して
真っ暗にしてあるブリッジに
その音は高く、低く、不気味に響いている。

「なんだ ?」

船長がいぶかしげに言った。

自動汽笛の操作弁はブリッジにある。
しかし、誰もそれを押していない。

汽笛は鳴りやまずにいる。

「なぜ、汽笛を鳴らしているんですか」

二等機関士の川上昭夫がブリッジにとびこんできた。

当直までの時間を船底の自室で
横になっていた彼の耳にも
鳴るはずのない汽笛の音がよく聞こえた。

「鳴らしていない。わけがわからん」

山田二等航海士が叫び返した。

川上はすぐ甲板に上がった。

風に吹き飛ばされそうになりながら、
煙突の中にある自動汽笛の中間弁を手さぐりで閉めた。
【316】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月15日 16時32分)

【44】

海洋気象台の成田予報官は
部屋を出て、浜辺の方へ降りた。

朝から無線電信や電話の音の中で
天気図をにらみ続けていたせいで
顔がほてっている気がした。
 
少し風にあたりたかった。

戸外はもう暗くなろうとしている。

六時四十分だ。

厚みを増した雲の流れがあわただしい。
台風の吹き返しはいっそう、
強くなるだろうと思われた。

桟橋を離れていこうとする大きな船が見える。
いっぱいにつけた航海灯が迫ってくる
夕闇のなかにまぶしく輝いている。

連絡船だ。

岸壁を離れて港内に錨を入れるつもりだろうか。

しかし、それにしては船内が明るすぎる。
部屋のどの窓からもこうこうと灯りがもれている。

「まさか、客を乗せて出航したのではないだろう」

五時のニュースで連絡船が出航を
見合わせていることを彼は聞いていた。

さきほど青函局から問い合わせてきた電話には
「これから風が強くなる」と答えておいた。

いま、出てゆく船はないはずである。

成田予報官はもう一度、空を見上げた。
不気味な雲を背に函館山の
黒いシルエットが浮かんでいる。

明け方まで、忙しい夜になるな、
と成田予報官は予感した。

そのころ青森では羊蹄丸がテケミを続けていた。

「船長、何時になるのか、
  と客がうるさいんですが …」

事務長が顔を出して言った。

給士や事務長はテケミ中に乗客から
それを聞かされるのを一番嫌がる。

手持ちの情報がないからだ。

それで事務長は客の様子の報告をかねて、
船長の腹づもりを探りに来る。

乗客が不満口を言っているのを佐藤船長は知っていた。

さっきから何度かワイシャツ姿に
無帽で客室へ降りていって見ていたからである。

「意気地ないじゃないか。
  さっきは晴れていたくらいだし風なんかでないよ
 これで出さないなんて、船長の顔が見たいぜ」

そばに船長がいることも知らず
乗客たちは声高に言い合っていた。

出航予定時刻からもう、二時間以上待たされている。
不満といらだちが大きくなって当然だった。

いちばんいらだっているのは船長自身だった。

思ったほど気象に変化が起きてこないのである。

午後五時ごろから空は雲に覆われて、
雨がばらついている。

四時に6メートルに落ちた風は
そのあとずっと10メートル前後だ。

吹き返し、というにはあまりに弱く、
台風が去ってしまった、という自信がもてない。

気圧は午後四時ごろの981ミリバールを底に
上昇してきているが
六時にはまだ986ミリバールだ。

上がった、というのには心もとない。

むしろ、これは台風の中心がそれほど
遠ざかっていないことの証拠ではないだろうか。
この点の佐藤船長の判断は
洞爺丸の近藤船長よりよほど慎重だった。

もうひとつは風だ。

四時からずっと南南西の風が吹いている。

これは台風がまだ北海道の東側へ
抜けてしまっていないことを意味している。

東へ抜けたら風は北西に変らなければならない。
いましがた、竜飛崎と大間崎から
打電されてきた気象通報では
海峡の風は18〜19メートルである。

行こう、と思えばいける。

しかし、気圧や風向きを考え合わせると、
どこかおかしい。   すっきりしない。

はっきりと割り切れるまで、
彼は船を出したくなかった。
台風の眼は通り過ぎた、と彼も信じていた。
自分の目で見たのだから間違いないはずだ。

しかし、その後の台風の推移が見えてこない。

見えないなら、肉眼でそれを確かめない限り、
船は出すべきではないだろう。
もうしばらく待とう、と思った。

それは彼にとってあまり愉快な決断ではなかった。

意気地がない、と言われるぐらいなら
出航するほうがよほど気楽だ。

しかし、ここは辛抱しなければならない、と
佐藤船長は自分に言い聞かせた。
【315】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月12日 16時19分)

【43】

気圧の降下と急激な風速の増大とが重なり、
船長の出航の決意はぐらつき始めていた。

テケミしたほうがいい、と思った。

それが慎重な彼にこういう場合起きる
当然の反応だった。

しかし反面、頑固な彼はいぜん、
自分の読みにこだわっていた。

それが間違っているはずはないのだ。

もし、間違っているのなら、
現実に台風の眼が遠ざかっていったのに
気圧が下がる、ということのほうではないのか。

風にしたって、気まぐれな突風が
ちょっとやってきただけのことなのだ。

いったい、なにが俺の読みを
裏切ろうとしているのだ ――――

船長は自分自身に問いかけてみた。

しかし、彼の豊富な気象知識も長い経験も
なにひとつ答えを出してくれなかった。

出航すべきなのか、すべきではないのか。
決断のはざまに立たされているのを彼は感じた。

風の音に混じってドラが聞こえる。

出航五分前だ。

船長は白い髪をいちど手でなでつけて
帽子をかぶり直すと双眼鏡を首から下げて
ブリッジへの階段を上がった。


     出よう。


そのとき思った。

綿密な自分の読みを彼は信じたかった。

吹き返しが一時的に強いにしても、
そんなに長い時間続くはずはないのだ。
その時間を耐え抜く自信が彼にはあった。

一方で彼はもうひとつの柔軟な作戦も
腹の中に用意していた。

港外へ出て、あまりに風浪が
大きいようだったら、錨を入れて仮泊する。

相手と戦わずにやりすごす、のだ。

いかにも老練な船長らしい和戦両様の構えだった。

ブリッジに立った近藤船長の目の前では
石狩丸が揺られ、もがいていた。

まだ、接岸できないでいる。

うねりは相当ひどいと思わなければいけなかった。

出航予定の六時半をすぎてもいぜん、
石狩丸の接岸作業は続いていた。

係船索を投げるのだが、どうしても岸壁に届かない。
船首の正面に石狩丸がフラフラしている限り、
洞爺丸は危なくて出られない。

十分近くたって、五隻のタグボードに
押し付けられるようにして
ようやく石狩丸は第二岸壁につながれた。

それを確認して近藤船長は
小石川三等航海士に命令した。

「もやい綱をはずせ」

三等航海士の復唱を操舵手が受けて
船首と船尾へ伝えられてゆく

「船首、オールクリア」

「船尾、オールクリア」

一等航海士と二等航海士から返事がくる。

近藤船長は命じた。

「ワン・ロング・ブロー(長音一声)」

   高く、長く、汽笛が鳴った。

   午後六時三十九分だった。

「左舷機関、微速前進」

三等航海士が復唱して機関室から
アンサーが返ってくる。

船長が命じた。

「ハード・スタード・ボード(面舵一杯)」

操舵手が復唱しながら舵輪をくるくると回してゆく。

定員を超える千百六十七人の乗客と
百十一人の乗組員、三十六人の公務職員
合計千三百十四人を乗せて
洞爺丸はゆっくりと右へ回りながら岸壁を離れた。
【314】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月12日 16時15分)

【42】

港内にはまた風が強く吹き始めた。

それも深く吸った息を長く大きく吐き出すような
粘っこくて重く、速い風だった。

デッキにいた山田二等航海士は
足元をすくわれそうに感じた。

いよいよ、吹き返しが来たな、と思った。

それにしても吹き始めからなんと強い風だろう。

マストが悲鳴をあげるようにうなりだしている。

ちょうど目の前の第二岸壁には大雪丸が乗客を下ろして
沖出ししたあとへ石狩丸が入ってこようとしていた。

船を回して横付けしようとするのだが、桟橋側から
吹き付ける風のためにどうしても岸壁に近寄れない。

係船索を投げようにも風にあおられ、届かないのだ。

石狩丸はうねりの中であえぐようにもまれていた。

これはいけない、と山田二等航海士は思った。

おそらく桟橋の風速は20メートルを超えているだろう。
突風は25メートル、あるかもしれない。

と、すると函館湾を出て、
津軽海峡へ入ればもっと厳しい。

いま、出航するのは危険ではないだろうか。

彼はブリッジに上がり有川桟橋へ
無線電話で問い合わせた。

「現在の港内模様を知りたい」

有川桟橋は貨物専用で客船が発着する
桟橋から5キロほど北、港の出はずれにある。

そこへ問い合わせたのは
吹きさらしの有川の方がここより
風が強いだろうと思ったからである。

有川桟橋はすぐに答えてきた。

「南南西の風20ないし25メートル、突風32メートル」

思ったとおり、港の内ふところを少し出ただけで
突風は30メートルを超えている。

山田二等航海士は時計を見た。

六時三十三分だった。

そのまま、船長室へ降りドアをノックして
有川桟橋から聞いた内容を報告した。

「はい、どうもありがとう」

いつもと同じようなおだやかな口調で
近藤船長は答えた。

しばらく前まで出航できる、という
近藤船長の自信はほとんど揺らいでいなかった。

無線室に問い合わせた青森の天候は
午後六時に南南西の風、10メートル、
気圧は986ミリバールだった。

四時の6メートルより少し強くなっているが、
気圧は順調に回復してきている。

目的港のおだやかさが吹き返しはたいしたことはない、
という彼の読みを十分に裏付けているように思われた。

ただひとつ、気にかかることがあった。

船長室の気圧計の針が再び下がり始めていたのである。

五時に983.3ミリバールを指していた針は
しばらく横ばい状態だったが以後、
わずかずつだが降下してきていた。

もう、上がるだろう、とほとんど十分おきに
船長は気圧計に目をやった。
しかし、六時に981.6ミリバールになって
まだ下がり始めている。

「ほんとに妙な台風だ。
  眼が遠ざかっていきながら
  逆に気圧が落ちるとは、な」

何度も船長はつぶやいた。

そこへこの風だ。

船長室の窓が鳴る音で突然、
風が強くなったことはわかっていたが
港内の有川で突風32メートルという
二等航海士の報告は青森の吹き返しに比べれば
ほとんど信じられなかった。
【313】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月12日 16時11分)

【41】

午後六時、洞爺丸は出航配置の汽笛を二度鳴らした。

晴れ間は去って厚い雲が再び空を覆い始め、
急に薄暗くなってきていたが
風は穏やかだった。

桟橋にある運航司令室で
当直の西岡平次郎はどことなく不安を感じた。
これから風が強くなりそうないやな予感がした。

函館桟橋と青森桟橋の間には
電話による定時連絡が行われている。
船がスケジュール通り運航したか、
あるいはテケミしているかを
お互いに連絡しあうためである。

ついさっき、青森からは羊蹄丸と渡島丸が
テケミしている、午後四時前に
台風の眼が通って空は晴れ、風もおさまったが、
いままた、少し吹き始めている、
という連絡があったばかりだった。

彼がいやな気がしたのはこの
「また、少し吹き始めている」というところに
ひっかかるものを感じたからだった。

函館でも今しがたまで空はよく晴れ上がり、海もないでいた。
だが、青森で晴れ間のあとまた風が吹き始めたとなると
ここでもじきに風が強くなるのではないだろうか。

西岡は海洋気象台に問い合わせてみる気になった。

予報室の番号を調べてダイヤルした。

「青函局です。天気はこれで回復するのでしょうか」

「いまは静かですが」

相手は答えた。

「まもなく風は南西から北西に変って強くきます。
 25メートルくらいになるでしょう」

応対した成田予報官に礼を言って西岡は電話を切った。

運航司令室が日常業務として気象台に
天候見通しを尋ねることはない。

まして、それをもとに出航の可否を
船に指示したりはしない。

気象判断をして出航か、欠航かを決断するのは
船長で、いわばそのあとの船のやりくりを
考えるのが運航司令室の仕事である。

青函局長でさえ、船長の決定に
口をさしはさめない慣例になっているのだから
運航司令室にはなんの権限もない。

つまり、彼がこの日電話したのは業務というより
この日に限っての個人的な関心のせいだった。

実際、彼は運航司令室勤務になってこのかた、
気象台に電話したことなど一度もなかった。

しかし、まもなく風が強まる、
という返事を聞いた西岡はそれが
個人的な関心にとどまらないことを意識した。

すぐに桟橋助役への直通電話をとって気象台から
聞いた内容を洞爺丸に伝えるように言った。

桟橋助役は船へ上がり、
水野一等航海士にこれを知らせた。

水野は短く「わかった」と言った。

出航を前に航海士たちはみな、忙しそうだった。

車両甲板の後部開口には可動橋が架けられ、
置き去りになっていた米軍客用の
寝台車が積み込まれるところだった。
今度は十分、時間があった。

その下のボイラー室では火手たちが缶に石炭を放り込み
タービンエンジンの蒸気圧を上げ始めていた。

「おい、台風の眼を見たかい」

「眼? なんだ、それは」

「台風の眼を知らねえのか。
 おれも見たわけじゃないが、
  セカンドオフィサー(二等航海士)が
 見たってさ。きれいに晴れてたそうだよ」

火手たちは船底に近い部屋でお茶を飲んだり、
仮眠したりしていたので
誰も晴れ間を見ていない。

「待てよ。眼が通ったとすりゃ、
 これから吹き返しが来るんじゃないのか」

台風の眼に知識があるものが言った。

「そうだ、こいつはシケるぜ」

「だとすれば、出るのはやめてもらいたいもんだな」

桟橋改札口で番号札をもらっていた客たちが
洞爺丸に乗り込み始めた。

新しい客が入ってきたので
タラップが架けられたことを原田勇は知った。

しかし、さっきから船は揺れなくなって
節子も気分が回復したようだ。

これなら降りるより、
早く家へ帰った方がいい、と思った。
【312】

★☆〜インターミッション〜☆★  評価

野歩the犬 (2015年06月02日 15時46分)


 300トピを突破し、本編も丁度
 折り返し地点を迎えましたので
 少しばかり休筆いたします。

 
のほ
【311】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月02日 15時31分)

【40】

気象衛星からのデータが入手できる現代であれば
台風15号の位置は確実に捕捉できたであろう。

しかし、地上の観測網にしか
頼ることができなかったこの時代、
まだ捕まえきれていない重要な事実が二つあった。

ひとつは午後三時ごろ、青森県西方海上にあった台風は
西側から流入する寒気と東側からの暖気に刺激されて
さらに発達し、中心示度は960ミリバールへと下がった。

もうひとつは午後五時ごろ、函館の緯度線上にあたる
渡島半島西側の日本海上に来た時点で台風15号は
ちょうどそのころオホーツク海上に現れた
背の高い高気圧に妨げられて時速が110キロから
40キロへと急激に落ちてしまったのである。

低気圧が発達しながらゆっくりと
進むことほど恐いものはない。

同一方向の風が長時間にわたって吹き続けるからだ。

観測網はこの恐るべき変化が台風15号に
起きつつあることに気付けなかった。

二つの変化がいずれも観測地点から
隔たった日本海上で起きたためである。

では近藤船長たちが台風の眼と
信じた晴れ間はなんだったのだろう。

台風15号がこの朝日本海へ出たころ、
海上には複雑に低気圧や前線が発達していたが
午後になってそのうちのひとつの温暖前線が
台風に押し上げられるようにして北上を始めた。

函館で午後から強くなった東風は
実は台風の直接の影響というより
この温暖前線の仕業だった。

一方、台風の東側に寄り沿うかたちで
寒冷前線が北東進していた。

この寒冷前線は奥羽山脈北部で温暖前線とぶつかり
ちょうど青森付近で閉塞前線となった。

寒気は暖気の下に潜りこみ、
暖気は上空に持ち上げられて消滅する。

気圧は低下から上昇へ転じ、
風はなぎ、晴れ間がのぞく。

羊蹄丸の佐藤船長が台風の眼だと思ったのは
この閉塞前線のいたずらだったのである。

閉塞前線は台風と並行してさらに
北上を続け午後五時には函館に達した。

五時少し前から降り始めた滝のように激しい雨は
この前線が仕組んだもうひとつのいたずらだった。

閉塞前線が通過した瞬間、
函館でも風がなぎ、美しい青空が現れた。

つまり、洞爺丸で近藤船長が見た晴れ間は
その一時間ほど前に羊蹄丸の
佐藤船長が見たものと同じものであった。

二人の船長は台風の眼だと思ったものが
幻にすぎないことに気付かなかった。

自然は壮大な欺瞞をやってのけたのである。

だが欺瞞の罠に落ちた二人の船長を
責めることはできない。

成田予報官も札幌管区気象台も
この時点では閉塞前線の通過によって
海がなぎ、晴れ間がのぞいたことを
予測できなかったのだから ―――

それよりも重要なのは台風が観測網をかいくぐって
ひそかに日本海上で牙をむこうとしていることだった。

これからやってくるものこそが
本物の暴風雨圏でありそれがどれほど
凄まじいものであるか誰も知らなかった。
【310】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月02日 15時26分)

【39】

函館海洋気象台の成田信一は
予報室の外へ出て青空をながめ回した。

彼にもまた、その晴れ間は台風の眼だ、
としか思えなかった。

「おかしいな」   彼は首をかしげた。

台風は今ごろ、もっと西側、少なくとも
函館から百五十キロ離れた
日本海を通っていなければならないのだ。

「台風はあと一時間ぐらいで
  渡島半島西部に上陸し …」

という午後五時の時報直前に流された
台風情報は北海道全域の観測網から集められた
データをもとに札幌管区気象台が発表したもので
そのデータにはむろん、成田予報官自身の
観測結果が入っている。

「おかしいな」

彼はもう一度つぶやいた。

いま、ここに台風の眼があるという現実は
各地から積み重ねられた観測結果と矛盾している。

朝からずっと台風を追っている多くの観測者たちが
気圧計や風速計をにらんで緻密に包囲してつかまえた
台風の位置は虚構とでもいうのだろうか。

長く気象観測に携わっている彼もまた、
現実に台風の眼というものを見たことがなかった。

だが、この突然の晴れ間となぎを説明しうる
気象学上の知識は台風の眼でしかない。

そのことが彼を戸惑わせた。

函館の西方、百五十キロのところにあったはずの中心が
ここに現れるためには台風は直角に
東進しなければならない。

そんなことはありえなかった。

また、台風の眼にはかなり大きいものもあるが
その半径が百五十キロにわたる、
というのも考えられないことである。

さらにまた、眼に入ったにしては
気圧が下がっていない。
この疑念は洞爺丸の近藤船長が
抱いたものと同じだったが、
その事実が専門家としての成田予報官を
一層、戸惑わせた。

説明がつきかねるままに、
彼は台風の眼らしきものを観測したことを
赤川の本台に報告した。

赤川でも晴れ間を見ていたので
この情報はただちに札幌へ送られた。

札幌管区気象台はこの情報に緊張したが、
すぐほかの気象官署からデータをとって
台風の眼が函館を通過しつつある、
という考え方を捨てた。

たとえば函館より西に位置している
江差では午後五時すぎに
気圧が979ミリバールに落ち、
南東の風15メートル前後である。

また、函館の北西にあたる寿都でも
五時過ぎの気圧は979ミリバール
南南東の風、13メートル前後になっている。

同じころ、函館の気圧は
983ミリバールだから江差や寿都の方が
より、台風の中心に近いことは明らかだ。

しかも江差と寿都では南東〜南南東の風が
吹いているのであれば
台風の中心はそれよりさらに西側、
つまり日本海上にあることを示している。

それならば函館を覆っている
晴れ間はいったいなんなのか。

台風の中心が二つに分裂したのかもしれない、
と札幌の予報官たちは考えた。

そうだとしても函館の気圧が
江差や寿都より低くなっていない以上、
主たる中心はいぜん、渡島半島西方の日本海上にある。

観測上、函館の晴れ間は無視してよかったし、
そうすべきであった。

予報官たちのこの判断は正しかった。

台風の中心はその時間、間違いなく
日本海にあったのである。
【309】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年06月02日 15時19分)

【38】

近藤船長は自分の部屋の窓から青空を見上げていた。

この突然の晴れ間を彼も
「台風の眼だ」と判断していた。

気象好きな彼は自分のその判断に完璧な自信をもった。

「と、すると台風は西の方へずれたのではなく
 やはり、こちらへ来たのだな」

船長はひとり、指先で海図を叩いた。

彼があらかじめ立てた午後五時という
予想にほとんど一致している。

それにしてもなんと手を焼かせるやつなのだろう。

最初はずっと南を東進するように見えていた。

それがまっすぐ来るかと思ったころには
気象台の観測網には西に偏ったように見せかけ、
そのうえでいま、ここに正体を現したのだ。

もう、だまされんよ

そう、言ってやりたい気がした。

気をもまされ続けたせいで
近藤船長には空の青さがどこか毒々しく見えた。

気圧計は依然、983ミリバールのあたりを指している。

そのことがおかしい、といえば言えた。
眼に入ったら気圧はもっと下がるはずである。

「衰弱し始めているのだろう」

羊蹄丸の佐藤船長がしばらく前に
下したものと同じ判断を彼も、した。

午後四時より五時のほうが、
気圧が高くなった理由もそれで納得できた。
台風は遠ざかりつつあったのではなく、
やはり接近してきていた。
しかし、近付くにつれ、どんどん
衰弱したのではないか。

なんでもない低気圧になってしまった、と思った。

ただ、スピードだけは相変わらず速そうだ。

それはこちらにとって願ってもないことで、
あと一時間もすればうんと北の方へ遠ざかってくれる。

多少の吹き返しはくるだろうが
眼に入るまでの吹き方からすれば
おそらく、たいしたことはないだろう。

たしかに今までは荒れていたけれど、
航海しようと思えばできないことはない程度だった。

いまとなっては北上して去ってゆく
台風に背を向けて船は南下すればいい。

吹き返しに出会ったとしてもその時間はごく短い。

しばらく我慢すればあとは
おだやかな夜の航海になるだろう。

たぶん台風一過、満天に
美しい星をいただきながら ――

「よし、出よう」

近藤船長ははっきりと声にした。

念のため青森と津軽海峡の様子を確かめるため
無電室を通じて問い合わせた。

青森では南西の風10メートル、
気圧は985ミリバールである。

近藤船長は会心の笑みを浮かべた。

しばらく前に台風の眼が通過したはずの青森では
風はおさまり、気圧も順調に上昇してきている。

大間崎では南南西の風16メートル
竜飛崎では南東の風、やはり16メートルである。

どちらも20メートルを割っている。

海峡もようやく静かになる気配を見せ始めた。

午後五時四十分、近藤船長は水野一等航海士を呼んだ。

「六時半に出航する。六時スタンバイ」

「六時スタンバイ、了解しました」

水野一等航海士が弾んだ声で答えた。
【308】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月30日 16時41分)

【37】

洞爺丸では山田二等航海士が
上部遊歩甲板に立って空を見上げていた。

ついさっきまでの土砂降りが嘘のように
西から南の空が真っ青に晴れ上がっている。

風もほとんどなくなった。

「台風の眼だよ、これは。
 信じられないくらい静かだな」

通りかかった水手に山田は言った。

自然の変身はなんと素早く鮮やかなことだろう。
初めて見る台風の眼に彼は興奮を覚えた。

せんべいをくれる、と言った女に席を頼み、
洗面所を探すつもりで下部遊歩甲板へ上がった
青山妙子はあまりに空が明るいので
一瞬、めまいを感じそうになった。



朝からずっと雲っていたのに
いつの間に晴れたのかしら ――



こんなに空がきれいだったのなら、もっと早く
あの陰気な船室を出てくるのだった、と思った。

雨に洗われた函館山の緑が
秋の陽ざしを受けてキラキラと輝いている。

山の向こうの空には雲がかかっているが
その上端は金色に光り、夕陽のように美しい。

そして山からこちらの空はぬけるような青だ。



なんて、きれいなんだろう ―――



デッキの手すりに身をあずけ、
息をのむような気持ちで
妙子はその光景をながめた。


そよ風がほほに心地よかった。


生きているって、こんなに素晴らしいことなのか
と、ふっと思った。

その瞬間、彼女は自分が
死ぬつもりでいたことを思い出した。

そして、なんてバカなことを考えていたんだろう、
という気持ちに襲われた。


自然の凄絶な美しさが彼女の心を素直にさせた。


この世に生きてきて、他人を恨めばきりがない。

今度のこともしょせん、自分が愚かだったのだ。

そう考えると不意に気持ちが軽くなった。

愚かな女は自分の愚かさを背負って
生きてゆくしかないのだ。

それが人の世というものではないか。



生きよう ――――



あかね色に染まってゆく雲を見つめながら
自然と涙があふれてきた。

そう決めると、東京のアパートに残してきた
妹に会いたくてたまらなくなった。

こんなにいい天気になったのだし、
船が早く出てくれることを祈りたかった。

同じ時間、デッキでも桟橋でも、函館の街にも
唐突にやってきた晴れ間を見て
感嘆の声をあげる人がたくさんいた。


だが、彼女ほど、それに感動したものは
おそらく、ほかにいなかった。
【307】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月30日 15時05分)

【36】

午後五時少し前、函館桟橋に
激しい雨が叩きつけてきた。

天の底が抜けてしまったのか、
と思えるほどの猛烈な降り方だった。

うねりにぶつかって弾け飛ぶ大きな雨滴のせいで
海には無数の白い花が咲いたように見えた。

船長室の窓を滝のように流れる雨を眺めながら、
近藤船長はNHK第一放送、午後四時五十九分四十秒の
ステーションブレークを聞いた。

「台風15号はあと一時間ほどで渡島半島に上陸し、
 北海道北部にむかって縦断、
  または日本海岸を北上する可能性があります」

二十秒間の短い放送だったが、
そこに盛られている情報は
より細かく、具体的になってきている。

それは船長に、どうやら台風は函館を直撃しないで
西寄りにコースを変えたらしい、
という判断を抱かせた。

あと一時間で渡島半島西部に上陸するなら
ちょうどいまごろ、函館の真西を
北東進しているのだろう。

函館の緯度線へ午後五時ごろ到達する、
という見通しは外れていない。

だから、台風の速度は落ちていないはずである。
進路だけが西へずれたのだ。

船長室の気圧計は983.3ミリバール
風は少し南へ回って東南東、17メートル前後である。

これらの指針も台風が西側にあるという
船長の判断を支持するのに十分だった。

中心が抜ければもっと気圧は降下するはずだし、
風向きにも急激な変化が起きなければならない。

「おや」

と首をかしげて船長はもう一度気圧計の針を見直した。

一時間前のステーションブレークを聞いたときに比べて
わずか0.5ポイントほどだが気圧は上がってきている。

気圧計には刻々と変ってゆく気圧を示す針のほかに
読んだ時点での気圧を記録しておくための副針がついている。
だから午後四時に982.8ミリバールと読んだときに
副針をその位置で止めておけば、
一時間後の正針と比較すれば
その間にどれだけ気圧が上下したかが分かる。

いま、その副針の位置に比べて
正針は間違いなく上昇してきていた。

朝から一貫して下降を続けてきた気圧は
ようやく底を打って上昇に向かい始めたのだ。

「と、すると、中心域はもう遠ざかりはじめている」

台風が西側を去って行きつつあるらしいことに
近藤船長は安堵した。

たいした台風じゃなかったな、と思った。

その反面、少しいやな気もした。

中心が西にあるなら、いま函館湾や
津軽海峡を含めた航路は
危険半円に入っていることになる。

風はまだ強くなるかもしれないのだ。

あと、どれぐらい出航を待てばいいのか、
見当がつきかねた。

それにこの雨だ。

この激しい降り方はなにを意味しているのだろう。

中心付近の暴風雨はこれからやってこよう、
としているのではないだろうか。

ともかく辛抱して様子をみることだ、と船長は思った。

午後五時十三分、
旭川発の急行「あかしや」が函館駅に着いた。

そのころ、雨はいくらか小やみになってきていた。

ふだんだと「あかしや」に接続する連絡線は
午後五時四十分の上り六便である。

だが、乗客たちは天候回復待ちのため、
前の便から出航を見合わせていることを車内放送で
聞かされていたので桟橋への通路を走ろうとしなかった。

急ぎ足なのは肉親の病気見舞いや
突然の出張というような用事がある人たちだけで
遅れている前の便に乗れるかもしれないと
期待して桟橋改札へ向かっていた。

改札口ではこの客たちに順に番号札を渡した。

洞爺丸が出航することになったら、
下船していった客を差し引いて乗客数を数え直し、
空席のある限り新しい客を乗せよう、というのだった。
【306】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月30日 14時59分)

【35】

洞爺丸では吐くだけ吐いた節子が
青白い顔でぐったりと横になっていた。

立ったり、座ったりしていた勇は
もう一度、下部遊歩甲板へ上がった。

今度はタラップが架けられていて、
十数人の乗客が給士と押し問答をしている。

「いつ出るか、わからないなら降ろしてくれ」

「揺れている船に缶詰にしておくのは人道問題だそ!」

「乗船名簿に書いて乗ったら、
 降りられない規則になっています
 出航しないわけじゃありませんから、
 しばらく待ってください」

「せば、なしてタラップかけたんだ。
 さっきはなかった、でねえか。
 降りてもよくなったんで、かけたんだべ」

勇が聞いた。

「これは船と桟橋との連絡用なので
 乗客の方は通れません」

どうしても降ろさないつもりらしい。

病人がいるから、と事務長クラスをつかまえて
話せばよかったのだろうが、
そういう知恵が働かなかった。

うらめしそうに給士を見つめて
勇は肩を落として船室へ戻った。

一等サロンの村川九一郎は
たびたび給士を呼びつけて
会議は終わったのか、
何時に出航するのか、と尋ねていたが
はっきりしない返事に腹を立て、
ついにかんしゃくを起こした。

「おれは降りる!煮え切らない会議には
 付き合いきれん」

気の短い村川はぐずぐずしたことが大嫌いだった。

それにこれ以上、出航が遅れると
新潟に明朝着く汽車に間に合わなくなる。

それなら、さっさとあきらめて、
湯川の旅館でもう一度汗を流し
マッサージでも頼んでゆっくり寝る方が賢明だ。

「それではみなさん、失礼します」

背広に着替えた村川は周囲の客に

「きみたちはどうして降りないのかね?」

という顔つきで大声であいさつした。

下部遊歩甲板のタラップの前へ来て
彼は給士にも大声で言った。

「わたしは一等の村川だ。用事があるので降りる」

給士があっけにとられているうちに
村川はさっさとタラップを渡った。

そうなると降ろせ、といって詰めかけきていた
三等の客たちが黙っていない。

一等がよくて、おれたちが
なぜ、ダメなんだ、と
どんどん降り出した。

洞爺丸にいったん乗船したあと、
名簿に名前だけ残して
下船した乗客は六十数人にのぼった。

原田勇と節子は二度も下船を申し出ながら
不運にも果たせなかった客だった。
【305】

RE:血風クロニクル  評価

野歩the犬 (2015年05月30日 14時56分)

【34】

函館港には大小、おびただしい船が集っていた。

どの船も台風の来襲までに目的港へ着ける、
と考えて外洋を航海していたが
思いもよらないほど、その北上が早くなったので
急いで進路を変えたのだった。

港内に錨を降ろした船では船長たちが
せわしげに気圧計とのにらめっこを繰り返し、
台風の中心の接近を知ろうとしていた。

気圧計のない小さな漁船は肩を寄せ合うように港の隅に
ひと固まりになり、波にもてあそばれていた。

港内では風だけでなく、うねりも高くなり始めていた。

南側に口を開いた函館湾は
北上してくる低気圧には弱い。

南にあたる津軽海峡、あるいは南西側の
日本海に起きた大きなうねりが
そのまま湾内に押し寄せてくるからだ。

したがって、南から来る台風を避けるためには
北へ開口した陸奥湾に入るのが最も安全である。

しかし、今回の台風15号の場合にはその足の速さから
ほとんどの船にその時間的余裕がなかった。

午後四時半ごろ、港内のブイに繋がれていた
イタリア船籍の貨物船エルネスト号(七、四三一トン)の係留チェーンが切れた。

エルネスト号はその年の五月、
霧のため港外で座礁して船底を破損、
本国からの指示で買い取る業者が見つかるまで
係留されたままになっていた。

乗組員のほとんどは帰国して
乗っていたのは船長ら八人だけで
この人数ではボイラーをたくことも
機関を動かすこともできないので
事実上、死んだ船であった。

係留チェーンが切れ、船が流され始めたことに気付いた船長はあわててアンカー(錨)を打った。

しかし、弾みがついた船はアンカーを
引きずったまま漂ってゆく。

走錨(そうびょう)と呼ばれる状態である。

エルネスト号は

「われ、走錨しつつあり」

を意味する国際気流信号を掲げた。

周囲をびっしりと埋めた避泊中の船は
これを見てパニックとなった。

全長百八十メートルを超える巨大な船に
港内を走り回られては危険このうえない。

「イタリア船、こっちに流されてきます!」

ちょうど風下に錨泊していた第十二青函丸の
船長は操舵手の報告を受けると機関室に叫んだ。

「急速暖機!」

切っていたエンジンをウオームアップして
全速で逃げなければならない。

第十二青函丸はのしかかってきそうな
エルネスト号の黒い巨体をかわして
ようやく風上へでた。
そのころにはやっとエルネスト号のアンカーは
海底をつかみ走錨も止まったかに見えた。

成り行きを見守っていた周囲の船も安堵の息を吐いた。

ただ、このイタリア船の走錨がその夜、
函館港で起きることになる惨事の
不吉な幕開けであることに気付いた者はいなかった。
【304】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月29日 15時19分)

【33】

一等サロンで浴衣姿になった佐渡味噌販売会社社長の
村川九一郎は居丈高な口調で給士を問詰していた。

「おい、どうして早くださないんだ。
 なにも説明がないじゃないか。
  お客はみな忙しいからだ、なんだぞ」

「はい、もうしばらくお待ちください。
  ただいま、会議中ですから」

会議中というのは給士の思いつきだった。

会社の社長や重役、政治家というような
人物が多い一等客向けにはなんとなく、
かっこうがつく言い訳に思えたのである。

村川はそれを聞きとがめた。

特別室に船長や青函局の幹部らしい人たちが
出入りしていることに彼は気付いていた。

「特別室で会議をやっているのかね。
 乗っているのは誰なんだ」

「はあ、国鉄の札幌総支配人と局長たちです」

「ふむ」

村川はソファで腕組みした。

これは少し面白い。反面、厄介な事態だ。
そんなお偉方が乗っているとすると、
きっと船長の判断に口を出すだろう。

あるものは早く出せ、と言うかもしれないし、
もうしばらく待て、と言い出すものもいるに違いない。

それほどあからさまに言わないまでにしても
彼らの何気ないひと言が船長の心理に重圧をかけ
判断を誤らせない、とも限らない。

「きみ、そういうのを船頭、多くして、
  山に登る、というのだ。
 会議なんかしてもなにもならん。
 船のことは船長にまかせておけばよい。
 総支配人にそう、言いなさい」

「はあ」

給士は逃げ出すようにして立ち去った。

会議中というのはうまい方便だと思ったのだが、
嘘の言葉じり、をつかまえられて
客から叱られてはかなわない。

村川は一等サロンに同席していた
客にむかって喋り始めた。

「このくらいのシケで青函連絡船が
  遅れるなんて醜態ですよ。
 私は佐渡生まれだから子どものときから
   しょっちゅう佐渡汽船に乗ってますがね。

 あれはこの船よりずっと小さい
   二、三百トンのやつです。
 それでも沈んだためしがない。

 そりゃシケが来れば船は半分、
  波の下へ沈むような揺れ方をします。
 天井へ叩きつけられて死ぬんじゃないか、
  と思いますよ。
 それでも大丈夫なものなんだ。

 佐渡汽船が欠航するのはよくよくのとき、でね。
 それでも海賊船と呼ばれるモグリの船が出る。

 こいつに乗ってごらんなさい。
 木の葉のように揺れる、なんてもんじゃない。
 積荷はどさっと崩れてくる。
  船底バリバリッと音を立てる。
 そうとう度胸のいい人でも、
  もう駄目だと目をつぶりますな。
 しかし、それでも沈むことはないんです。
  船というものは」

村川はたくわえた口ひげを動かしながら
冗舌にまくしたてていた。
【303】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月29日 13時34分)


【32】

「けしからんですよ。
  なぜ、こんなに出航が遅れているのか
 全然、説明がないんですから」

「ボーイに聞いても船室で待っていろ、
  としか言わないんだ」

船室に戻った原田勇の隣では
学生たちが口々に不満を言っていた。

「こうなると予定を変更しなければならないな。
 東京へ寄らないで、まっすぐ京都へ行こう」

淵上助教授が言った。

当初の日程では東京で一日、美術館巡りをして
関西へ向かうことにしていたが、
この様子だと明朝、東京へ着く
夜行列車に間に合いそうにない。

日程通りだと京都での桂離宮を
見学する機会を失う心配があった。

「その日は動かせませんからね。
  東京は帰りにしましょう」

学生たちの意見もすぐにまとまった。

周りには気分の悪くなる乗客が増えてきていたが
彼らは陽気に海苔巻きや握り飯の包みを開きだした。



後部三等船室の青山妙子は
座ったままの姿勢を崩さなかった。

どうして船は出ないのだろう、と思った。

時間が経つうちにせっかく固めた
死の決意が崩れていきそうな気がした。

その一方でこのまま船がここに
止まってくれればいい、とも思った。

そうすれば海へ飛び込まなくてもすむのだ。

そう考えるたびに

「なんて私は意気地なしなんだろう」

と彼女は自分を蔑むのだった。

「ねえちゃんは北海道のひとだか」

さっき、席をとっておいてくれ、と言って立ち上がった
津軽なまりの中年の女が戻ってきて話しかけてきた。

「いえ、東京です」

「んまあ、東京から、の。
  それにしては船に強そうだの。
 わだば、子どものころから乗ってるけどもさ」

昔、軍用船でフィリピンへ行ったときは
もっとひどいシケだった、
と言おうとして妙子はやめた。

こんな女とかかわりあうのが、
わずらわしい気がした。

「ひとつ、食わねえか」

女はいま、売店で買ってきたせんべいの袋を開けた。

船がテケミしている間に
いちばんよく売れるのはせんべいである。

この日もほとんどの三等売店では
売り切れになっていた。

「さ、さ、食いへじゃ」

妙子は首をふった。

緊張しているせいだろう。

船酔いは感じていなかったが、
とてもせんべいに手をだす気分ではなかった。
【302】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月29日 13時28分)

【31】

函館ではますます風が強くなっていた。

洞爺丸は岸壁にぶつかっては離れる
不安定な揺れを繰り返した。

午後四時の時報直前、近藤船長は
ラジオのNHK第一放送で台風情報を耳にした。

「台風15号は夕刻までに渡島半島に上陸するか、
  または極めて接近し、今夜半までに千島方面、
  またはオホーツク海南部に去る見込みです」

この台風情報は時報に先立つ
ステーションブレークと呼ばれるもので
函館海洋気象台の成田予報官らの
観測をもとに作られた最新情報である。

「そろそろ、夕刻だがな」

近藤船長はつぶやいた。

時間ははっきりしないが、渡島半島、
つまり函館を抱く地域と
具体的な地名が予報に出てきたのは初めてだ。

台風がいよいよ近付きつつあるのはもう、間違いない。

気圧計の針はいっそう降下して
982.8ミリバールを指している。
海図の上にまた船長は指を広げてみた。

函館付近に台風が来るのは午後五時ごろだろう。

あと一時間後である。

待つ時間が長引くにつれて洞爺丸の乗客たちは
しだいに落ち着きを失ってきていた。

気をまぎらせてもらうために船内スピーカーで
NHK第二放送の大相撲中継が流された。

蔵前国技館での秋場所、中日のこの日は
大関・栃錦に関脇・大内山、
横綱・鏡里に関脇・若ノ花
横綱・千代の山に小結・朝汐、
といった好取組があった。

ただ、それを喜ぶものもいたが、大きな音量のせいで
いっそう気分を悪くする客もいた。


節子はとうとう戻した。

駅前で食べたソバはもう胃の中にないのだろう。
黄色い胃液だけを苦しそうに吐いている。
その薄い背中をさすってやりながら、
勇は船を降りなければいれない、と思った。

このまま揺られ続けたら、節子は弱ってしまうだろう。

「降りて、今夜は湯川さ、泊まるべ、な」

節子は畳に腹ばったまま、弱々しくうなずいた。

「ちょっと待っておれや」

勇は下部遊歩甲板へ上がった。

今日、帰らないと母に待ちぼうけを
くわせることになるが、
仕方がない、と思った。

「降ろしてくれねえか。うちのは弱いもんで」

白い服を着た給士の姿を捜して頼んだ。

しかし、相手は首をふった。

「だめです。勝手には降ろせません。
  タラップも外してしまってあるし」

「しかし、ほんとに参っちまうんだよ、うちのは」

「しばらく、がまんしてもらってください」

給士はそれだけ言うと行ってしまった。

タラップは確かに外されている。
揺れる船に閉じ込められたような気がして
勇は心細くなった。

ふと、船尾を見ると甲板から飛び降りる男たちがいる。

近寄ってみて、さっきまで船室で
トランプ遊びをしていた
顔見知りの行商人たちだとわかった。

「どうだ。おめえも降りねえか。
 街でうめえもんでも食って、夜の船にすべし」

勇は声をかけられた。

ひとつ下の車両甲板へ飛び降りて、
そこから岸壁に上がろうというのだ。

「おら、飛べるけんども …」

「あ、そうか。おめえはめんこい
  かあちゃんと一緒だったな。
 せば、なかよく寝てろ」

相手は笑って威勢よく甲板に飛び降りていった。

節子にはとても無理な高さである。

しょんぼりと船室に戻った勇はまた、
節子の背中をさすってやることにした。
【301】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月29日 13時23分)

【30】

ブリッジの頭上に広がる青空。

台風の眼だ ―――― と佐藤船長は直感した。

そうだったのか、とすべてが納得できた。

台風の眼の中では風はなぎ、時として晴れ間がのぞく。
さっきから並行して起きていた
気圧の降下と風速の弱まりとは
台風の眼の接近を告げるものだったのだ。

知識としては頭にあったが、初めて見る台風の眼を
彼はしばらくじっと見上げていた。

美しいものだな、と思った。

やがて彼は思考を現実に引き戻した。

いま、台風の眼がここを通り過ぎているのだとすると
台風は思ったより三十分も早くやってきたことになる。

時速110キロというスピードが
すでに異常だが、それよりさらに
加速したというのだろうか。
そうなのだろう、と思った。

それに午後一時現在の位置そのものが
推定に過ぎず、多少の誤差はある。
そのことからすれば、
いま台風の中心が青森へ来ていることが
おかしい、とはいえなかった。

ただ、ブリッジの気圧計をのぞいた彼は
針が981ミリバールのまま
動いていないことにちょっと疑問をもった。

台風の中心示度は968ミリバールなのだから
眼の中ではそれに近い数値にならなければおかしい。

しかし、彼はすぐに疑念を捨てた。

長く走りつづけて来た台風はさすがにここにきて
勢力が衰えたのだろう、と思った。

では、台風の眼が通り過ぎたあとの天候はどうなるのか。

風は西よりに変って再び激しく吹きつのり始める。

台風が300キロの暴風雨圏をもっているからには
これから三時間は嵐が続くはずである。

羊蹄丸が定時に出航すると、
その暴風雨圏を追って航海することになる。
船は絶えず風浪にもてあそばれるだろう。

そんな危険な航海をすべきではない。

ともかく、少なくともあと三時間、待とう。

そのうえで現実の天候の変化を確かめ、
海峡と函館付近の情報を集めてから
出航しよう、と思った。

そう決めて佐藤船長は迷いを
さっぱりとぬぐった晴れやかな表情になった。

スタンバイの時間が近づいて
航海士や操舵手たちがブリッジに上がってきた。

「ないだなあ」

「このぶんだと、吹き返しもたいしたことないぜ」

まだ続いている晴れ間のせいで、
彼らの声も浮き立つようだった。

そこへ佐藤船長の壮重な一声がかかった。

「本船はテケミする」

操舵手は一瞬、ぽかん、とした。

このいい天気なのに信じられない、
という顔のまま<、あわてて復唱した。

「はい、本船テケミ」

まさにエンジンのウォームアップに
とりかかろうとしている機関室にむけ
船長の命令はボイスチューブで伝えられた。
【300】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月28日 16時58分)

【29】

 
青森桟橋に係船された羊蹄丸の船長室では
佐藤昌亮が苦悩していた。

午後四時半の定時に出航するのなら、
四時に出航配置を命じなければならない。

それまでにあと三十分と少ししかなかった。

さっきから彼は何度もブリッジへ上がったり
デッキへ出たりして空を見上げていた。

二時すぎから風は落ちて
10メートルを割ってきていた。

雨も降っていない。

台風はコースを外れ、天候は
回復してきつつあるようにも思える。

しかし、雲の動きは速く、あわただしい。

不気味にさえ思える。

船長室の気圧計は981ミリバールに落ちた。

青森に着いてからの二時間に
7ポイントもの降下である。

この急激な降下は見かけの天候の好転とは裏腹に
台風がますます接近しつつあることを
示すものにほかならなかった。


「台風15号は今日夕刻、奥羽地方北部、
  または北海道南部に達し
 今夜、千島方面に去る見込みです。

 中央気象台の発表によりますと
  台風は午後一時には佐渡島の
  北西100キロの海上にあって
  毎時110キロの速さで北東に進んでいます。
  中心示度は968ミリバール
  中心付近の最大風速は35メートル
  中心より300キロ以内では
  20メートル以上の暴風雨になっています」


船長室のラジオで聞いた午後3時のNHKニュースでは
最新の台風情報をそう伝えていた。

その位置と速度からすると午後四時前後、
つまりちょうど出航配置を命じなければ
ならない時間に台風の中心は青森付近に到達するのだ。

「それにしては、ばかに風が落ちてきている」

佐藤船長はつぶやいた。

風速計の針はやっと5メートルを
越したあたりに止まっている。

気圧が落ちる一方で風がなぐ ―――
この現象はいったいなんなのだろう。

決断すべき時間が近づきつつある中で、
しきりに彼は首をかしげた。

午後三時半を過ぎたころ、ふと、
あたりが明るくなったような気がして
佐藤船長は顔をあげた。

船長室の窓のむこうの桟橋に陽が差している。

あっ!と思って部屋を走り出し、
ブリッジのへの階段を駆け上がった。

ブリッジから見渡すかぎりの港内の海面が
秋の午後の陽を受けて銀色に光っていた。

見上げた空はちょうどそこへ
真っ青な穴を開けたように
ぽっかりと晴れていた。
【299】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月28日 17時05分)

【28】

船長室をノックして川上海務課長が顔を見せた。

テケミを聞いて様子を聞きにきたのだった。

タラップは外されていたので
車両甲板の後部開口から入った。

「時期を失したので、やめましたよ」

近藤船長はそれだけを言った。

川上はうなずき返して尋ねた。

「沖出し、しますか」

「いや、それはしたくないのですがね」

テケミをする場合、長時間にわたらない見通しがあれば
旅客を乗せたまま、船は岸壁につなぐ。

長くなるようなら、客を降ろして船を岸壁から離す。

沖出しするのはあとから入港してくる船に
岸壁をあけるためと波で船が桟橋にぶつけられて
傷つくのを避けるためだ。

いずれにしても沖出しするときには客を降ろす。

沖出ししたくない、という近藤船長の返事には
二つの意味があることを川上は理解した。

ひとつはテケミが長くはならない、ということだ。

船長は台風をやり過ごしてすぐ、
出航するつもりでいる。
たぶん、出航時間の腹づもりも、できているのだろう。

もうひとつ、乗客や桟橋にいやな顔をされたくない、
という配慮があるはずだった。

船に乗り込んで席を決めた旅客は
降りろ、というのを嫌がる。

桟橋にしても待合室に戻った客から
出航見通しの質問攻めにはあいたくない。

近藤船長はそのあたりもきちんと気配りする人だった。



中沢運輸部長は一等サロンへ上がった。

洞爺丸のテケミを総支配人一行に報告するためだった。

一等特別室は定員が二人だが、
左舷側の総支配人がいる部屋で
中沢が話しているのを聞きつけて右舷側から
釧路と旭川の局長が顔を出した。

「なんだ、船は出せないのか。
 それじゃ、ちょっと早く飲みすぎたな」

局長の一人が言って笑い声が起きた。

「どうされますか。出航まで降りられたいなら
 鉄道の寮の方へご案内しますが」

たずねる中沢に総支配人が答えた。

「いや、このまま船でゆっくりしよう」


「それよりも船はどれくらい遅れるのかね。
 青森へ着くのがあんまり遅くなると
  接続の列車を逃すことになるな」

札幌次長のこの心配は一行の共通の関心だった。

出航が夜になると青森発、東京行きの
夜行列車は一本もなくなってしまうのだ。

中沢は二段階で座席と寝台を
押さえておくことを提案した。

まず、真夜中までに洞爺丸が出航した場合のために
明朝二十七日午前五時二十分、
青森発の急行「みちのく」の特別二等を五人分。
これで行けば夜八時には上野に着く。

次に出航が明朝までずれ込むことも考えて
二十七日午後六時四十分青森発の
急行の一等寝台を五人分。

ただ、この場合上野へ着くのは
二十八日朝十時になり
国鉄本社で開かれる会議には
急いでも三十分は遅刻する。

「それじゃ、飛行機はどうかね。
 こういう場合だから、やむをえんだろう」

札幌次長が言った。

日航機に乗るためには千歳まで
引き返さなければならないが、
座席さえとれれば、それが一番早いのは確かだった。

航空便を含めてすぐ、座席の手配をしてみます、
と中沢は答えた。
【298】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月28日 16時48分)

【27】

「本船は悪天候のため、しばらく出航を見合わせます。
 お見送りの方はどうぞお帰りください」

桟橋の拡声器が繰り返しアナウンスしている。

船から投げられた色とりどりの
紙テープの端を握っていた岸壁の人々は
名残惜しそうにテープを手から離し、
手を振って桟橋から離れていった。

洞爺丸は左右に揺れ始めていた。

風が強くなって防波堤の中でも波がさわぎ始めていた。

気分が悪い、と言って節子は横になった。

青白い顔をしている。

船が遅れると母親を待たせることが
勇にとっては気になったが、
節子がもう船酔いし始めているのがもっと心配だった。

ほとんど満員になった前部三等船室の女性客や
子どもの中には嘔吐しているものがいた。

他人が吐くのを見るとこちらも
そういう気分になることを知っている勇は
節子が眠ってくれればいいが、と思った。

「先生、こんなことなら
  麻雀でも持ってくるんでしたね」

隣の学生たちは屈託がなかった。

「出ないのなら、こんな空気が悪いところに
  詰め込まれているより
 船から下りて、せめてお茶でも飲みたいね」

淵上助教授のひと言に学生の何人かが立ち上がり
船室を出ていったが、じきに戻ってきた。

「タラップを外しているので降りられないそうです」

「しかも、いつ、出るんだと聞いても
  わからない、の一点張りですよ」


近藤平市は船長室にこもって
天気図の分析をやり直していた。

台風を出し抜くことができなかったからには
それをやり過ごすしかない。

そいつがまっすぐこっちへやって来るとして、
函館を通過するのは何時になるだろう。

テーブルの上にはつい今しがた
無線室から届けられた午後三時に
中央気象台から打電されてきた台風警報があった。

「台マリ 968 日本海北緯38.2度、東経137.1度
 北東55ノット、中心より20海里以内40ノット以上
 最大70ノット、北日本海特に警戒を要す」

中心示度も速度も変っていない。

いぜん、勢力も衰えていないのだ。
しかも確実にこちらの方角に狙いをつけている。

船長室の気圧は984ミリバールに降下し、
風速は20メートルに達しようとしていた。

電文に示された台風の位置は
佐渡の西からやや北へ寄った日本海上である。

近藤船長は海図の上に指を広げて距離を測ってみた。
やはり正午のニュースを聞いて予測した通り、
午後四時半ごろに津軽海峡へ来る。

「あと一時間と少しだ。しかし、行けば行けた、のだ」

つい愚痴がでた。

だが、船長は首を振り、海図に眼を戻した。
今の問題はそれがいつ、
頭上に来るか、ということなのだ。

答えは簡単だった。

午後四時半に津軽海峡の中央へ来る台風は
時速110キロで進めば五時に函館へ到着する。

もし、そいつが正確に函館を襲うなら
五時ごろ、ここは台風の眼に入って
いったん空はきれいに晴れ上がり、風もなぐ。

そのあと風は東から西へと変り、
しばらく吹き返しがくるが
まもなくおさまってくるだろう。

「このスピードなら来るのが早ければ、
  行ってしまうのも早い。
 吹き返しの時間は長くない。 
  六時半には出航できるだろう」

船長はひとりごとを言った。
【297】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時57分)


【26】

洞爺丸の船首と船尾の係船索は全て外された。
車両甲板に架けられた可動橋が
上がれば出航準備完了だ。
しかし、その可動橋が上がろうとしない。

「可動橋を上げろ!なぜ、上げないんだ」

山田二等航海士は桟橋にむかって怒鳴った。

思いがけない返事がきた。

「停電だ。上げられない」

船尾から走って戻ってきた
操舵手の報告を聞いて、さすがの近藤船長も
ブリッジの床板を踏み鳴らしたい気持ちにかられた。

しかし、白髪をいだいた彼の頭は
決断を求めて素早く回転し始めた。

時計は午後三時十分を指している。

すでに出航時間はギリギリの限度まで
遅れてしまっていた。

いま、出航したとしても当初の予定より、
ずっと海峡の真ん中寄りで
台風に出会うことを覚悟しなければならない。

なにしろ相手はこちらが失った三十分の間に
50キロ以上、海峡へ近付いてきているはずなのだ。

このうえ、いつになるかわからない
停電の復旧を待って出航するのは愚かである。

自分の読みがご破算になったことを彼は悟った。

やめるべきだ、と思った。

それはこの時点でのもっとも正しい決断だった。

近藤船長の顔から厳しさが消え、
いつもの穏やかでもの静かな表情が戻ってきた。

「よろしい。出航配置解除。本船はテケミする」

「はい、本船テケミ!」

操舵手は復唱して再びブリッジを走り出た。

船首の一等航海士、船尾の二等航海士と
順に伝えて桟橋へ叫んだ。

「テケミ!」

桟橋の係員たちは一様にいぶかしそうな表情になった。

たったいま、可動橋が上がり始めたところだった。

「可動橋は離れたぞ」

下で叫んでいる。

操舵手は上から叫び返した。

「しようがねえよ。テケミと決まったんだ」

たしかに天候険悪を理由に船長が
出航見合わせを言い渡した以上、
いま、かりに可動橋が上がったことを
操舵手がブリッジに報告しても

「それでは出る」

と船長が決定を覆すはずはなかった。

この日の午後、風雨が強くなるにつれ、
函館市内ではいたるところで停電事故が起きていた。

それを修復するために幹線の送電も
短い時間ではあったが、断続的に止められた。

函館桟橋での停電は午後三時九分から
十一分までのわずか二分間であった。

そして、その二分間が洞爺丸の運命を変えた。

もし、この停電がなく、可動橋が
上がっていれば洞爺丸はそのまま出航し
その後の現実の台風の動きからみて
難航はしたであろうがおそらく
無事に青森へ着いたはずだからである。

ともかくも、洞爺丸は台風との闘いを
もう少し先へのばすために
再び係船索で岸壁につながれた。
【296】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時54分)

【25】

近藤船長はブリッジに上がった。

出航十分前である。

細かい雨が吹き付けてくる窓を通して、
こちらへ向かってくる第十一青函丸の船影が見えた。

もう、防波堤の内側に入っているが、
着岸までに十分か十五分はかかるだろう。

近藤船長の表情に少しばかり、苛立ちの色が見えた。

引き返してくる船の乗客を洞爺丸に
移乗させることを近藤船長は了承していた。

洞爺丸の定時出航までに移乗は終わるだろう、
と思ったからだった。
しかし、第十一青函丸がまだ、あそこにいるのでは
こちらの出航を遅らせねばならない。

台風に出会うまでにできるだけ
陸奥湾に近付いておくためには
たとえ一分でも無駄にしたくなかった。

乗客や見送りの人たちに出航を知らせる
ドラを鳴らせないまま
洞爺丸はじっと第一岸壁に待っていた。

定刻の午後二時四十分が過ぎた。

二時四十八分、ようやく第十一青函丸は
第二岸壁に着岸した。

「このまま、乗り換えますか。
  それとも海が荒れていることだし
 夜か、明朝の船にしますか」

第十一青函丸から降りてきた米軍の将校に
桟橋の外務担当助役は英語で聞いた。

「我々を乗せて帰国するための飛行機が
  東京で待っている。
 それを逃したい、と思うものはこの中にはいないよ」

将校は答え、兵士やその家族に
洞爺丸への移乗を指示した。
日本人乗客を含め、百七十六人全員が
乗り換えを終えた。

洞爺丸の給仕は下部遊歩甲板にある
三等イス席に米軍客を案内した。

そのためにイス席にいた日本人乗客は
再び荷物をまとめて畳敷きの雑居室に
移らなければならなかった。


ドラが鳴った。


だが、このとき車両甲板の後部開口では
可動橋がかけ直され、すでに積んでいた
貨車を降ろす作業が始まっていた。

米軍客の荷物車と寝台車を新たに積む
スペースを作るためである。

乗客の移乗は終わって、タラップは外されたはずなのに
発航合図のブザーが桟橋から来ないことに
近藤船長はいっそう、いらいらした。

もう三時をすぎている。

そこへ発着担当の桟橋助役が顔をだした。

「どうしたんだ」

近藤船長はいつになく厳しい声で聞いた。

「はい。米軍客を乗せるからには荷物と寝台車を
 積まないわけにはいかないので …」

「だめだ!この急いでいるときに
 荷物車はともかく寝台車など積んでいられない」

ブリッジの士官や操舵手たちが
びっくりするような大声だった。

「操舵手、船尾に行って寝台車は積まない、
 と二等航海士に伝えなさい」

操舵手は船尾に走って山田二等航海士にそれを伝えた。
桟橋助役は船を降り、運航司令室に電話した。

「寝台車は積まない、といっているんだがね」

「船長がそういうなら仕方ないな」

貨物車は積み込みを終えていたので
ちょうど入れ換え作業を中止すればよかった。

桟橋助役は発航合図のブザーへと駆け寄った。
【295】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時49分)

【24】

急行「まりも」は午後二時八分の
定刻に函館駅に着いた。

二等車から降り佐渡味噌販売会社社長の村川九一郎は
ちょっと空を見上げて何かつぶやき、
プラットフォームを桟橋へ向かって歩き出した。

国鉄札幌総支配人一行の出迎えには川上のほかに
青函局運輸部長の中沢定晴が来ていた。

総支配人たちはそのまま洞爺丸の一等船室の客になるが
青函局長の高見忠雄だけはひと足遅れて、
その夜の連絡船で上京する予定だった。

「君、この様子じゃ、船は揺れるだろう。
 船酔いしないにはどうすればいいのかね」

局長の一人から中沢は尋ねられた。

これには妙薬がないので彼は冗談で返した。

「ウイスキーでも飲まれたらどうですか。
 どちらの酔いかわからなくなりますよ」

総支配人たちは一様に笑った。

三等車の乗客たちは先を争うように
汽車から降りると、荷物を抱えて
桟橋までの長い通路を駆け始めた。

少しでも客室のいい場所を占めたいために
いつも起きる光景だった。

通路を駆ける人々の耳に
長く大きな汽笛が二度、聞こえた。

出航三十分前を知らせる洞爺丸の汽笛だった。

それを聞きながら青山妙子は
いちばん後ろをのろのろと歩いていた。

彼女には船の席など、どうでもよかった。
どうせ、そこには長くいるつもりなどないのだから。

改札口で乗船票に年齢を記入するとき、
彼女はちょっとためらったあとで
二十六歳と書いた。本当は二十八歳だった。

乗船した妙子は後部三等船室に入った。
隅のほうはもう一杯だったので、
客室の大部屋の真ん中まで入り
荷物を置き、寄りかかった。

ひどく疲れた、と思った。

一等サロンの入り口で近藤船長は
総支配人一行を出迎え、ていねいに挨拶した。

それを横目で見ながら一等船室に入った村川九一郎は
さっさと風呂をあびて、ゆかたに着がえた。
いかにも旅慣れたふるまいだった。

車両甲板では柄の長い金槌を手にした水手たちが
荒天準備のために忙しく立ち働いていた。

海が荒れて船が揺れそうになるときは、
積んでいる貨車がレールの上を動き出さないために、
締め具の数を増やさなければならない。

また、後部開口から車両甲板に水が入ると
機関室やボイラー室に浸水するおそれがあるので
甲板の換気口や非常脱出口も閉めておく必要がある。

「台風が来るってのに、
  出さなくてもよさそうなもんだがな」

「早くやれよ。今日のチーフオフィサーはうるそいぞ」

スタンバイが解かれ、船が航路に乗ったあとで
一等航海士が船内の荒天準備の見回りをする。

そんなとき、水野一等航海士は換気口ひとつ、
閉め忘れがあっても厳しくやり直させることで
よく知られている士官だった。

閉まっていることを確かめるために換気口や
脱出口をひとつずつ叩いてゆく金槌の音が
車両甲板に響き渡った。
【294】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時44分)

【23】

船長は旅客と積荷に対して崇高な義務を負っている。

そのためには運航に際しての安全性に
十分考慮する必要があり出航の可否を
決めることもその配慮に含まれる。
つまり、出航の可否を決定するのは
船長の義務の大きさに見合って
与えられた権限なのだ、という考え方が支配的だった。

だが、この考え方が国鉄の上層部にまで
支持されていたか、というと
必ずしもそうではなかった。

むしろ一部には船長の独断で欠航するのはけしからん、
せっかく立派な船を作ってやったのに
欠航が多すぎるではないか、という声すらあった。

そして、そういう意見を出すのは
大概が現場を知らない管理職たちだった。

同じ天候でも航海が可能かどうかの
判断は船長によっても違いがある。

実際、同じ時刻に函館と青森を出航する予定の
二隻の連絡船の一方は欠航したのに、
もう一方は無事、相手港に着く、
という現実も起こっていた。

欠航を決めた船長が処罰を受けるわけではないが
そのたびに日ごろ、口うるさい管理職は
船員法第九条を持ち出して言うのだった。



「船長は航海の準備が終わったときには、
  遅滞なく出航しなければならない、
 と書いてあるじゃないか。
  いいかげんな欠航は船長の職務怠慢だよ」


たしかにこれは微妙でやっかいな問題だった。

怠けるつもりで欠航する船長はいないが、
運航を管理する陸上の管理職にとっては、
船長の独断で旅客や貨物が滞るのが愉快ではない。

といって、管理者側に正確無比な天候の変化を
見通す能力があるわけではないから、結局のところ
出航の可否には口出しができない。

そんな堂々めぐりのあげく、
悪天候時には船を出航させるか否か、
という重要な決定権は船長にある、
という不文律ができあがったのだ。

管理者にとっては苦々しく、
船長にとっては誇らしい暗黙のルールだった。

「それでは、ちょっと私は迎えに行ってきます」

さしさわりのない世間話のあと、
川上海務課長は船長室のソファから立ち上がった。

東京での全国国鉄管理局局長会議に出席する
国鉄札幌総支配人・浅井政治、
青函管理局長、高見忠雄ら
一行を乗せた急行が到着する時間だった。
【293】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月26日 16時40分)

【22】

「どうもおかしな台風です。
  こんなに足の速いやつには
  会ったことがありません」

洞爺丸の船長室を訪ねてきた青函局、
海務課長の川上静夫は言った。

川上は近藤の後輩にあたり以前は
連絡船の船長をしていたが
現在は陸にあがって配船や運航を
監督するポストに就いている。
日曜日なのに出勤したのは台風の影響で
ダイヤが気になったからだ。

近藤船長は川上には丁寧な口調で言った。

「110キロというスピードは聞いたことがありません。
 それに中心示度が下がっています。
 こっちに来るにつれ、発達するとは、ね。
 ほんとうにおかしな台風だ」

おかしい、と言いながら、この口ぶりだと
近藤船長は出航するつもりでいる、と川上は感じた。

船長はメモを手にしていた。

ついさっき、津軽海峡をこっちに向かっている
大雪丸から打電された海峡状況を知らせる電報だった。

「風向 東、風速20メートル
 天候 曇り 波六、うねり六
 視界二十キロ、二十分遅れ」

大雪丸はこの朝十時に青森を出て、
午後二時半、函館に着くことになっている。
電文は海峡がますます荒れてきていることを
知らせるのに十分だった。

二十分の遅れは海峡をぬけ、
函館へ近付いてから速度を
上げることで回復できるが、海峡の中で
そんなに遅れているということは
かなり、揺られている証拠である。

しかし、同型の大雪丸が航海を続けているからには
少なくとも今はまだ、洞爺丸の出航に無理はない。

出よう、と近藤船長は腹を決めていた。

こういう場合、陸にいる側の立場としては
なんとか洞爺丸に出航してもらいたい。

桟橋に足止めをくう乗客たちの
不満対応に追われるからだ。

船長、洞爺丸とあなたの操船技術をもってすれば
多少のシケでも大丈夫です、出てくださいよ、と
拝みたい気持ちになる。
だからこそ、川上も船長室に上がってきたのだった。

しかし、陸の側から船長に船を出してくれ、
と申し入れるのはこの業界ではタブーである。

また、逆に危険だから出航を見合わせてほしい、
というのも禁句である。

それは近藤船長が川上の先輩だからではなく、
船の出航には船長が絶対的な権限を持っていて
周囲から口をはさむことはできない、
とする長い伝統と習慣の裏打ちでもあった。

むろん、船長にはあらかじめ定められた
運航ダイヤに従う義務がある。
しかし、天候が悪化したとき、
ダイヤ通りに出航するかどうかは
青函航路では常に船長の判断に委ねられてきた。
その習慣の背景に特に明確な法律的根拠があったわけではない。

例えば、船員法第十一条は次のように規定している。



「船長は … 荷物の船荷、及び旅客の
  乗り込みの時から荷物の陸揚げ、
  及び上陸の時まで、自己の指揮する
  船舶を去ってはならない」



これは船長の在船義務、と呼ばれる有名な条文規定で
最後の乗客が上陸するまで船を離れられないのだから、
事故が起きたとき、船長は船と運命をともにすることを
義務付けられている、と拡大解釈することもできた。
【292】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 16時41分)

【21】

ちょうどそのころ、函館桟橋では
午後二時四十分発、上り四便、
洞爺丸の改札が始まっていた。

原田勇と利尻昆布の袋を手に提げた節子は
真っ先に改札口に並んで乗船票を受け取った。

乗船票には甲片と乙片があって、
どちらにも住所、氏名、年齢、職業を書く。

甲片は桟橋に残り、乙片が船の事務長に渡される。

節子は原田節子、といつものように勇の姓を書いた。

台風が近づいている、と周りの乗客が話している。

勇はそれで初めて、台風の接近を知った。

そうすると来たときより、もっと揺れるかもしれない。
今の話し声が節子に聞こえていなければいいが、と勇は思った。

北海道学芸大学函館分校の助教授、渕上満男は
八人の美術学生と一緒に勇や節子の後ろに並んでいた。

東京美術学校(現・東京芸大)出身の渕上は四十九歳。

この時期に関西旅行を計画したのは、
奈良・正倉院が秋に所蔵品を天日干しにする風景を
学生たちに見せてやりたい、と思ったからだった。

京都では桂離宮を訪ねる予定で、
半年も前から文部省に見学許可を申請していた。

「先生、台風が来るそうですね。
  船は揺れないでしょうか」

連絡船に乗るのは初めてだ、という学生が聞いた。
助教授は笑顔で答えた。

「私の計算ではわれわれの乗った汽車が
  青森を出たあとで
  台風は奥羽地方を通り過ぎるはずだよ」

若い学生たちをあずかる彼は
前日から台風の動向を気にしていた。

今朝の新聞とラジオの情報では
鹿児島に上陸した台風15号は
日本海側に接近したあと、
三陸沖に抜ける見通しだった。

奥羽地方に来るとしても、夜になってからのことで
彼らが乗る予定の急行「北斗」が
午後八時五分に青森を出たあとだろう。

連絡船に乗っているうちは大丈夫だ、と思った。

正午のニュースを聞き漏らした彼は
台風のスピードが速くなり、
しかも進路が北寄りになっていることを知らなかった。

改札口を通って船内に入った渕上と学生たちは
前部三等室の畳席に陣どった。
その近くに原田勇と節子も並んで腰をおろしていた。

洞爺丸の客室は三層構造である。

ブリッジ下に船長室や士官室があり、
その下が上部遊歩甲板で中央に
一、二等客室、二等寝台、食堂、浴室などがある。

一等定員は六十九、二等寝台と雑居室は
合わせて二百二十四である。

さらにその下に三等イス席が百八十八ある。

この下は車両甲板で客車や貨車を積み込む
開口部があり、レールが敷かれている。
載炭口、換気口が開いている。

そして船底部に機関室やボイラー室があり、ここに
前部、中部、後部に分けて畳敷きの三等雑居室がある。
この甲板の収容人員がいちばん大きく定員は六百五十五。

渕上と学生たち、原田勇、節子が席をとったのは
三つに分けられた三等雑居室の船主側の部屋だった。

畳を敷いた床は船の喫水線より下にあって、
わずかに上の方に明りとりの丸窓がある。

天井には何本ものパイプが走っており、
必ずしも居心地のいい部屋ではない。
しかし、機関室とボイラー室は
中央より後ろ側にあるので
騒音に悩まされることは少ない。

それに船底に近いほうが揺れも少ない、
という利点もあった。
【291】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 16時33分)

【20】

午後一時二十分、函館桟橋からは
第十一青函丸が青森へ向け定時に出航していた。

乗客は百七十六人。

貨車、寝台車など四十二両を積んでいた。

乗組員は九十人である。

第十一青函丸は客船として
ダイヤに組み込まれていたが、
どちらかといえば貨物船だった。

洞爺丸や羊蹄丸のように旅客を主とする船は
四十二両もの貨車を積載する構造にはなっていない。

ただ、二等、三等船室があったので、
占領期から進駐米軍だけは特別に乗せた。
そのため、この船は進駐軍船と呼ばれていた。

二年前、日米の講和条約が発効されてからは
空席があれば日本人も乗せたが、
いぜん、進駐軍優先でこの日も五十数人の
米軍人とその家族が乗っていた。

将兵たちは千歳の駐留部隊を除隊され、
待ちかねた帰国のために
家族とともに東京へ向かうところだった。

第十一青函丸が出航したころ、
函館港内の風は急に強くなって
風速は18メートルに達していた。

しかし、台風がやってくるまでにはまだ時間がある。

大丈夫だ、との予測からの定時出航だった。

だが、出航まもない午後一時二十七分に船舶気象通報は
津軽海峡の気象をつぎのように打電してきた。

「東の風、22メートル
 雨、視界六キロ、波浪六、うねり六」

海峡ではすでに風速20メートルを超えている。
波もうねりもかなり大きい。

そのまま港の外へ出て、津軽海峡に
首を突っ込みかけたところで
船は左右に大きく揺れ始めた。

危ない、と船長は判断した。

第十一青函丸は洞爺丸型の客船より小さい。

しかも車両を満載しているので
重心が高くなっているので揺れにも弱い。

もし、横波をくらって傾斜が大きくなったときに
積んでいる車両が横転したら、
そのまま船が横倒しになる危険があった。

午後一時五十三分、第十一青函丸船長は
桟橋の運航司令室にあてて、
函館港へ引き返す、と連絡した。
司令室は了解し、こう指示した。

「函館第二桟橋に着岸されたし。
 乗客は洞爺丸に移乗させる」
【290】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 16時47分)

【19】

かついで来た米を売った原田勇と節子は
同じ駅前のマーケットの中のそば屋で
昼食をとることにした。

今日は勇の母親が来るので遅くならないうちに
青森へ帰らなければならない。

どこも見物しないで午後二時四十分の連絡船で
トンボ帰りするつもりだった。
その時間まで、勇の母に持たせてやる
みやげを買う用があるだけだ。

さっきから節子はマーケットの中を歩きながら
身欠き鯡にしようか、昆布とスルメと人参を細かく刻んで漬け込んだ松前漬にしようか、
と店の前に立ち止まっては
手にとって決めかねていた。

そんな節子の様子を勇は気配りの細かい、いい娘だと
微笑ましくながめていた。

「外で食う、そばこの汁、ほんとにうめえんだの」

節子が言った。

「ほんだな」

と答えて、勇は音を立てながら汁をすすった。

「この味だば、おら、真似できねえ。
 うちで作るそば、うまくねえもの」

「あはは。いまに上手になるべえ」

ふと、勇は昆布でだしをとると、
そばがうまくなる、
特に利尻でとれたものがいい、
と聞いたことを思い出した。

「どうだ、おめえ、かちゃさ、昆布っこ
 買っていがねえか」

「昆布っこ?」

「ほんだ。たしかな、そばのだしだば、
 利尻昆布が一番だと。
 ここのマーケットさ、あるべえ」

「ほんだの。そうすべし。
 帰ったら、すぐそれでだし、とって
 かちゃさ、くわしてくれら」

節子は浮き浮きした調子で言った。


午後零時五十六分、定刻より一分遅れて
羊蹄丸は青森桟橋に着岸した。

雨はあがり、風速は10メートル前後、
洞爺丸が出航していった早朝より
むしろ、おだやかになっていた。

しかし、船長の佐藤昌亮は船長室で
腕組みして気圧計をにらみつけていた。

目の前で針がどんどん落ちていきそうな気がしていた。
函館を出たときから、ふだんは
一時間おきに記録する気圧を
三十分おきにつけるように操舵手に言ってあった。

それでも佐藤船長は落ち着かず、
何度も自分の目で気圧計をのぞいていた。

洞爺丸の近藤船長と同じように、
台風が近づいてくる中での
午後の折り返し運航が気になったからだった。

航海中、気圧計はおそるべき降下を示していた。

函館を出た八時すぎに1004ミリバールあったのが
十時には1000ミリバールを割り込み、
今は998ミリバールである。

この四時間四十分ほどの間に
16ポイントも下がっている。

函館から青森へ向かえば進んでくる
台風に近づいていくことになるから
気圧の降下が大きくなるのは当然といえる。

それにしても航海中に16ミリバールも下がった、
といのは彼にしても初めての経験だった。

不気味な予感がした。

見かけの天候のおとなしさの裏側で
台風が猛烈なスピードで
こちらに向かってきつつある、ことは明らかである。

まもなく、そいつは仮面をかなぐり捨て、
激しい風の牙をむきだして襲ってくるだろう。

その時間がちょうど羊蹄丸が下り九便として
青森を出航する午後四時半ごろになりそうなのが、
佐藤船長をいっそう、神経質にさせた。

いつもなら、折り返しの出航時間までに
航海士たちを集めて得意の謡曲を
披露するところだが、今日ばかりは
とてもそんな余裕はない。

気圧計をにらみながら佐藤船長は
ともかくも、そいつの正体をはっきり見極めるまで
ここを動くまい、と思った。
【289】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 12時45分)

【18】

台風15号がいま、ラジオが伝えた
午前九時の位置からまっすぐ時速110キロで来れば、
午後四時半前後には台風は津軽海峡へ来る。

この船長の判断はつい一時間ほど前、
成田予報官が暴風雨警報を出したものと同じ予測だった。

「四時半か。定時に出航して二時間ばかり、あとだな」

船長は天井へ目をやりながらつぶやいた。

函館〜青森間は下りは四時間半の航海だが、
上りは四時間四十分かかる。

出航して二時間後だと船はまだ
津軽海峡を航行している。

そんなところで台風とまともに
ぶつかったらどんなことになるだろう。

35メートルの風が吹き荒れ、
最大瞬間風速はもっと大きくなる。
船は木の葉のようにもまれることになるに違いない。

「しかし、やれないことはないだろう」

船長は海図に目を戻した。

かりにそのあたりで台風にぶつかったとしても、
津軽半島と下北半島にはさまれた
平館海峡の入り口は目と鼻の先だ。

その間だけを頑張ればいい。

そこを乗り切れば、平館海峡を抜けて
陸奥湾に入ることができる。

下北半島に抱きかかえられた陸奥湾に入ってしまえば
どちらからの風になっても、もう大丈夫だ。

自分の船とそれを走らせる技術に
近藤船長は絶対の自信をもっていた。

海峡から陸奥湾までの短い間を
突っ張りきれないことはないはずだ。

青函航路の習慣として連絡船は
25メートル以上の強風が吹くときは
出航をテケミ(天候険悪出航見合わせ、の略)
することになっている。

ただ、だからといってその風で
ただちに欠航となるわけではない。

離着岸にてまどったり、
乗客の船酔いがひどくなったりするので
少し、風が落ちるのを待つわけで、
近藤船長自身、35メートル前後の風に
海峡で吹かれたことは何度かあるのだ。

「それにしても四時半とはな」

確かに微妙なギリギリのところだった。

もう三十分早く、台風が来るならば、
あきらめてテケミする。

海峡の真ん中でそいつと
出くわそうとするのは愚かである。

逆にもう三十分遅くなるなら、楽に出航できる。

それだけ早く、陸奥湾に逃げ込めるからだ。

しかし ――― と船長は考えを振り出しにもどした。

四時半より早く台風が津軽海峡へ来ることはない。

110キロという時速がすでにありえない速度である。
それよりスピードが上がるとは、
とうてい考えられない。

つまり四時半に台風が海峡へ来る、
というのは最悪のケースに対する予測である。

事態はそれより悪くはならない。

常識外れの速度が途中で落ちれば、
来るのはもっと遅くなる。

それに海峡に向けて直進してくるか
どうかも分らないのだ。

ただひとつ、問題なのは台風が海峡の西側を通って、
航路が危険半円に入るときだが、
そうなれば風は南から吹く。

幸い洞爺丸は上り便だから、
まっすぐ風に向かって
船首を立てればよく、自然と
湾の入り口をとらえることができる。

「やれないことはない、な」

今度は断定する調子で船長は声にした。

どのケースになっても洞爺丸は
海上での台風との闘いに勝てる、と思った。

それは賭け、ではなく、読み、だった。
いつも慎重な彼は決して賭けはやらなかった。

近藤平市の行動原理は自らの気象見通しと
操船術の自身に裏打ちされていた。
【288】

S0S洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月25日 16時42分)

【17】

昼食をすませた近藤平市は洞爺丸の
船長室で正午のニュースを聞いた。

NHK第一放送は次のように新しい台風情報を伝えた。

「台風15号は今日の夕方、奥羽地方から
  北海道に達する見込みです」

北海道、と聞いて近藤船長はイスを立ち、
ラジオのボリュームを上げた。

「中央気象台の今日午前十一時三十分の
  発表によりますと
 台風15号は午前九時、山陰地方沖合いの
 北緯36度30分、東経134度30分にあって
  毎時110キロの速さで北東に進んでいます。

  中心示度は968ミリバール
  中心付近の最大風速は35メートル。

  中心から半径400キロ以内の海上は
  20メートル以上の暴風雨となっています。

  台風はこのまま進みますと、
  今日夕方、奥羽地方北部から
  北海道に達し、夜半すぎには
  北海道の北東の海上に抜ける見込みです。

  この台風の特徴は上陸後、いぜんとして
  勢力が衰えないこと
  速度が異常に速いため、今後の進路にあたる
  奥羽地方北部から北海道にかけてしだいに
  風雨が強くなり、暴風雨となる恐れもあります。
  厳重な警戒が必要です」

来るのか、と船長はつぶやいて、
いま聞いた台風の位置を天気図に描き入れた。

午前九時に山陰沖だと今ごろはもう、
佐渡沖を通り過ぎている。

こんなにスピードの速い台風は
出会ったこともなければ
聞いたこともなかった。

そいつがどうやら進路をこちらに向けているらしい。

日本海にある寒冷前線の影響で
進路北へふれるかもしれない、
とは、彼も予測していたが、その後の情報では
やはり、三陸沖へ抜ける可能性が強いように思われた。

船長は自分で天気図を記入した海図の上で
コンパス代わりに指を使って距離を測り始めた。

真剣な顔つきだった。

もはや、天気図をいじるのは趣味ではなく、
それを頼りに職業上の決断、
つまり午後の出航をどうするのか、の
決定をしなければならなかった。
【287】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月22日 16時49分)

【16】

九月十五日、休暇をとった妙子は
初めて北海道への旅に出た。

その前夜、アパートで遅くまで履歴書を書いていた。

「姉さん、帰ってこないつもりじゃないでしょうね」

思い詰めた様子が不安になった妹は尋ねた。

「札幌で勤めることになるかもしれないわ。
 あなた、もう一人でやっていけるでしょう」

妙子は自分の履歴に誇りを持っていた。

北海道の大学病院が自分を採用しないはずがない。

もし、玉井の母が結婚を許してくれないのなら、
勤めながら根気よく話をしよう、と思った。
それに、大学病院で働ければ
毎日、好きな人に会えるのだ。

しかし、札幌で会った玉井はよそよそしかった。

妙子が来たことを迷惑がっているそぶりをみせ、
母は病気だから、と言って会わせたがらず、
履歴書を取り次いでくれる様子もなかった。

日が過ぎてゆくうちに彼女の気持ちは
苛立ちと失望の中に重く沈んでいった。

北海道には早くも冷たい秋風が立ち始めいていた。

まるでその空気と同じように
玉井の気持ちが冷え切っているのを
いやでも思い知らされないわけにはいかなかった。

最後に会った夜、妙子は玉井を激しい口調でなじった。

男はただ、軽蔑したような
薄笑いを浮かべているだけだった。

なにもかもお終いだ、と思いながら彼女は悔いた。

こんな男のことを好きだと思っていた
自分が急にみじめに感じられた。

死のう、と思ったのはそのときである。

それは少女のときから彼女が固く
身につけてきた貞操観念のせいだった。

純潔を踏みにじられた女は
もはや、まっとうな人間として
生きてゆくことは許されないのだ。

それよりも苦痛だったのは、そうするに価しない男に
からだをゆだねてしまった、という自己嫌悪だった。

全身がベトベトに汚れている気がして
いたたまれなかった。

この不潔感をぬぐい去るには
自分を滅ぼすしかないではないか ――

また、同じところを行ったり来たり、
していることに気がついて妙子はため息をついた。

車窓に現れては消える屋根は雨に濡れ、
木々が風にざわめき始めていたが、そんな風景は
彼女の目に入ってこなかった。


その三等車両には北海道での仕事を終えて
本州に帰る旅芸人や郷里の母の葬儀に急ぐ姉妹ら、
お互いが誰で、なにを考えているかも分らないまま、
隣り合って座っていた。



そんなさまざまな人生を乗せて
急行「まりも」は函館へ走り続けていた。
【286】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月22日 14時29分)

【15】

青山妙子が恋という感情を知ったのは
インターン生、玉井和夫と親しくなってからである。

玉井は札幌の大学を卒業して
東京第一病院に研修生としてやってきた。

仕事のことで言葉を交わすうちに
妙子はしだいに玉井に好感を持つようになり
食事や、映画を観たりするのが楽しかった。

そういうデートを重ねるうち、
玉井から関係を先に進めたいという
ほのめかしを受けたとき、
彼女は進んでそれを受け入れた。

相手が求めているのは結婚なのだ。

戦火をくぐり抜け、やっとつかめそうになった
幸せを離すまい、と妙子は思った。

その日から彼女はこの恋にいっそう夢中になり、
生き生きとした顔で

「私、玉井さんと結婚するのよ」

と、同僚や妹に話したりした。

だが、玉井のほうには
結婚するつもりなど最初からなかった。

彼は看護婦という存在は医師の使用人だ、
と考えているタイプの男だった。

彼にとっての妙子は病院内でよくある
医師と看護婦との情事の相手に過ぎなかった。

その年の三月、玉井はインターンの過程を終え、
母校の付属病院に医局員として勤務することになった。

彼にとって、それは妙子との関係を
終わらせる自然な機会でもあった。

一方の妙子は相手が自分を東京に残して
札幌へ帰ってゆくことは
からだを二つに裂かれるような思いがした。

一緒に行く、といって泣きやまなかった。

「君のことはまだ両親に話していないんだ。
 帰ってよく話をするから、待っていてくれ。
 しばらくの辛抱だよ」

そう言ってなだめる玉井を妙子は信じた。

少なくとも信じなければ別離に耐えられなかった。

たびたび、札幌へ思いのたけを込めて手紙を書いた。
三度に一度は返事がきて、
母が結婚に反対している、とあった。

男にとって親の反対とは結婚を避ける口実にすぎない。

だが、妙子はそうした世間的な知恵を
身につけるほど恋に慣れていなかった。

母親が反対なら自分が直接会って、お願いしてみよう

彼女の思いはその一点に凝結していった。
【285】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月22日 14時26分)

【14】

前日午後四時に根室を始発した
急行「まりも」は渡島半島を南へ
函館に向けて走っていた。

国立第一病院の看護婦、青山妙子は三等車両にいた。

彼女の整った顔立ちと肌の白さは
ほとんど満員になった車内の無遠慮な
視線を集めるのに十分だった。

しかし、彼女は周囲にはまるで関心を示さず、
ぼんやりと放心したように硬い座席に腰掛けていた。



ほんとうに死ねるのだろうか。



まとまりのない考えごとから我にかえるたびに
彼女はそう思い、スーツの内ポケットに手をやった。

そこには札幌の旅館で書いた母宛の遺書があった。

「おかあさん、黙って家を出てごめんなさい。
 北海道の玉井さんと会いましたが、
  はかない夢でした …」

やはり、死のう、と決めてそれを書いたのは
やっと夕べになってからである。

これを連絡船に残して海へ飛び込めばいい。

私は泳げないから、それがいちばん楽だ、と思った。

それまでの彼女の気持ちは
同じところを行ったり来たり、していた。

死ぬしかないのだ、と思った次の瞬間には
そう考えることが怖くてたまらなくなる。

二、三日前には同じアパートで暮らしてきた妹には
「東京へ帰ります」と葉書を出したりもしていた。

連絡船から飛び込むことを思いついたときには
悲しかったが、怖さは薄らいでいた。

遺書を書き終えたとき、
もう、儀式は始まってしまったのだ、という
緊張感だけが彼女を支配していた。

今朝、札幌駅では仙台までしか
乗車券と急行券を買わなかった。
青森まででもいい、とも思ったが、
なぜか津軽海峡に身を投げることを
改札口で見破られてしまいそうな気持ちにさせた。

それでも汽車が函館へ近づくにつれ、
彼女の気持ちはまた、揺れ始めるのだった。

人は死に直面したとき、もっと悟りきって
静かな気持ちになるかあるいは取り乱した
行動にでるのではないだろうか。

自分は中途半端で、
とても自殺なんかできそうもない気がした。

彼女は埼玉と群馬の県境にある
小さな農村に八人姉弟の二女に生まれた。

お国のために何ができるか、が
少女にとっても大きな価値観のある時代だった。

農夫の父も教師も自分を捨てて、
生きることの大切さを教えた。

高等小学校を卒業した彼女は
太平洋戦争が始まった年に
戦地の兵隊さんのためにお役に立とうと
看護婦養成所に入った。

戦争の末期には従軍看護婦としてフィリピンへ行った。
同僚の多くが死んでいったなか、
終戦を迎え無事に帰国でき、
東京第一病院に勤務することができた。

人のために生きるのが自分の仕事だと
考え続けていた彼女は献身的で、誰にでも
優しいことで評判の優秀な看護婦だった。

二十代なかばを過ぎるまでに
遠くから眺めて胸がときめくような
気持ちになった医師や青年将校が
いなかったわけではない。

しかし、いつもそこまでだった。
【284】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月22日 14時20分)

【13】

午前十一時五分、定刻より五分遅れて
洞爺丸は函館桟橋第一岸壁に着いた。

風は強かったが、雨はあがっていた。

「酔わなくて、えがったな」

原田勇は元気そうな節子の顔をのぞきこんで笑い、
米を背負って船を降りた。

日曜日だから、といって安心はできないが、
今日はかつぎ屋の取締が行われている様子はない。

ほっとして二人は桟橋の改札口を出た。
あとは駅前の馴染みの店まで、
背骨が折れそうになるのを
もう少し、辛抱すればいいだけだ。

函館海洋気象台予報室の成田信一は
その後、入電した気象情報をもとに
新しい天気図を描いていた。

普段は予報室が天気図を描くのは八時間おきだが、
台風接近時には三時間おきに作るまが決まりである。

「台風五四一五
 二十六日九時、中心示度968ミリバール
 鳥取の北、北緯36.5  東経134.5
  北東55ノット 最大風速70ノット
 半径150海里以内 40ノット
 南側200海里以内 40ノット
 予想位置 二十六日十五時
 北緯45   東経143  および
 北緯42   東経147の間」

中央気象台からの新しい台風指示情報が
入電してきたところだった。

台風五四一五は、一九五四年、すなわち
この年の15号台風のことである。

速度が55ノット、つまり時速110キロに
上がっているのを見て成田予報官は驚いた。

信じられないほどの速度だった。

午前九時のこの位置はすでに山陰沖の海上だが、
そこから北東へ時速110キロで進めば、
いまごろはもう佐渡の西方海上に来ていることになる。

また、最大風速や暴風圏は変っていないが、
特に新しくつけ加えられた午後九時の
予想位置では奥羽地方を横切って
三陸沖へ抜ける、という
これまでの想定進路がずっと北側に偏ってきている。

このぶんだと台風は津軽海峡付近を
横断してゆく可能性が一番高い。

成田予報官は天気図の上にコンパスを当てた。

佐渡沖から津軽海峡までは六百キロ足らず、だ。
この間を時速110キロで来れば、あと五時間と少し、
つまり午後四時半には台風の中心が
この近くに来ることになる。

風速計は15メートルのあたりを前後している
どんどん風は強くなってきていた。
気圧も急な下降を示し、999ミリバールを指していた。

前夜の宿直が引き揚げたあと、
予報室に勤務している予報官は
彼一人で、あとは補助の係員と
電信係が一人ずついるだけだった。

成田予報官は急いで本台の予報課に電話した。

「非常に速くなっています。
 しかも予想進路の扇形の中心にあたるのは
  青森県北部、ないし、北海道南部です。
 すぐに暴風警報を出したい、と思いますが」

「こっちもそう考えていたところだ。
 警報を出してくれ」

応対する予報課長の声にも緊迫感があった。

成田予報官は警報文を書いた。

■暴風警報  二十六日午前十一時三十分

1.台風が近づいています

2.全域とも暴風になります

3.本日、ひるごろから強くなります

4.東の風、のち北西の風

5.陸上20〜25メートル  海上25〜30メートル

6.降水量 30〜50ミリ


午前十一時四十分、函館海上保安部はただちに
信号所の吹流しを暴風警報に切り替えた。

津軽海峡にあった全ての船舶は
接近してくる台風から避難するために
もっとも近い港へ向けて進路を変えていた。
【283】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月24日 12時41分)

【12】

このゴメ講釈は杉田船長にとって、
ただの自慢や意地悪ではなく、
いかにも彼らしい乗組員の指導法だった。

不測の事態でレーダーや羅針盤が故障したまま、
荒天を航海しなければならないような場合、
自分の船の位置が分らなくなるときがある。

そんなとき、場所ごとに違うカモメの特徴を
覚えていればいま、船がおよそ
どのあたりにいるか、見当がつくというのである。

あらゆる意味で杉田幸雄は青函航路の名物船長だった。

航海士の中にはそのアクの強い性格のために
敬遠するものもいたが、反面、憎めないところに
妙な人気があるのも確かだった。

そこへゆくと近藤平市は若い航海士から
一様に尊敬されていたが
逸話となるとさっぱり、な男だった。

からだは細く、口数が少ないために
船長たちの集りでも目立たず
親しくしている同僚もいなかった。

ちょうど二年前、大雪丸の専属船長をしていた
佐藤は突然先輩の近藤の来訪を受けた。

「船長をやめようと思っている。
 ついては君を羊蹄丸の乗組船長に
  推薦するつもりだよ」

郷里に引き込んで晴耕雨読の
生活をする、と近藤は言った。

うらやましい思いで佐藤はそれを聞いた。

五十歳を少し過ぎたばかりで年金生活を選ぶというのは
いかにも現場ひと筋にやってきて、
国鉄内のポストには恬淡としている
この人らしい、と思った。
まだ、四十代半ばの自分を乗組船長に
推してくれる嬉しさもあった。

「でも」  と、佐藤は言った。

「どうして急にそういう気持ちになられたのですか。
 もったいないですよ」

「私はもう三十年も連絡船に乗っている。
 同じところを行ったり来たりするのに疲れたよ」

近藤はかすかに笑った。

そのさびしそうな笑みの中に
まぎれもない真実があるのを佐藤は感じた。

この人が三十年を無事故で勤め続けてきたのは
ただの僥倖の積み重ねではない。
その裏側には日々、身を削るような
緊張と忍耐があったはずだ。

名船長の評価はその対価である。

一般に船長は船を降りる時期が
近づくにつれていっそう、慎重になる。

無事に船乗りの職を全うして去りたいからだ。

まして無事故の名船長、といわれた人なら
その気持ちは大きいだろう。

結果、緊張と忍耐は極限に達し、
時として感情のバランスを崩しかねない。

いま、近藤船長はそうした心境に追い込まれ、
一日も早く解放されたい、と願っているのではないか。

「お気持ち、分かるような気がします」

無言の笑みに佐藤がそう返すと、
近藤は何冊かの大学ノートを手渡した。

そこには離着岸の心得や天気予測の方法などが
几帳面な文字でびっしりと書き込まれていた。

三十年の連絡船生活の集大成というべきそれらのメモを
佐藤は驚嘆の思いとともに深く感謝して受け取った。

まもなく、近藤平市は羊蹄丸を降り、
佐藤があとを継いだ。

しかし、近藤は退職せず、
予備船長として乗務を続けた。

どう、気が変ったのだろう。
国鉄上部から引きとめられたのだろうか、
と思っている佐藤のところへ、また近藤がやってきた。

「もうしばらく、やることにした。
 老け込むには早すぎるような気がしてね」

それだけを言った。
  
佐藤も深く尋ねなかった。

同じように海で育ってきた佐藤には近藤がいざとなって
海を離れたくない気持ちもよくわかるような気がした。

遊歩甲板の上で遠ざかってゆく
洞爺丸を見つめながら佐藤は先輩船長に
親しみをこめて語りかけたい気がした。

近藤さん ――
同じところを行ったり、来たりするのが、
つまり、人生じゃ、ありませんか、と。
【282】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月21日 16時57分)

【11】

午前九時半すぎ、津軽海峡のほぼ
中央へさしかかろうとするあたりで
羊蹄丸船長、佐藤昌亮は上部遊歩甲板へ出た。

ワイシャツ姿で帽子もかぶっていない。

誰もがまさか船長とは思わないその格好で客たちと
さりげない会話を楽しむのが彼は好きだった。

しかし、今朝は八時十五分に函館を出たときから雨だ。

春から夏にかけて船の周囲を群れて
競泳ショーを見せるイルカも姿を見せる季節ではない。
乗客のほとんどは船室に閉じこもったままで、
話好きな船長を落胆させた。

甲板に立った佐藤船長は空を見上げた。

一面、どんよりとした灰色に
覆われているが、それほど厚い雲ではない。

ただ、東から西への雲の流れが
しだいに速くなっているように思えた。
やはり、台風は近づきつつあるのだろう。

低気圧が近づいているときには
気象情報に頼るだけでなく
自分の目で天候の状況を確かめなくてはならない、
というのが船長としての彼の信条でもあった。

右舷の方向にちょうどすれ違っていこうとする
雨にけむった船影を佐藤船長は認めた。

洞爺丸だな、とすぐ見当がついた。

今日の船長は専属の杉田さんだな、と思ったが、
休暇で近藤さんと代わっていることを思い出した。

杉田さんはまた好きな山登りでもしているのだろうか。
この天気では山登りも断念したのかな …

杉田幸雄も近藤平市も佐藤には敬愛する船長だった。

ただ、面白いことにこの二人の性格は
水と油ほど違っていた。

近藤はもの静かで口数が少なく、家族思いの家庭人で
セオリーよりもっと慎重に操船する。

対して杉田は豪放でよくしゃべり、
五十歳をすぎた今でも独身で
絶えず独創的な操船術を研究するタイプだった。

杉田は山登りのほかにも多趣味で
船を降りてまず、向かうのは桟橋に近い魚市場だった。

そこで好物の生の鯡(にしん)を買い、
それを新聞紙にくるんで映画館に入る。

上映中は鯡をかじりながら洋画を観る。

休憩時間になって館内に灯りがともったとき、
周囲の観客はズングリとして眼光の鋭い男の口の周りに
べっとりと鯡の血がついているのを見てギョッとさせられるのだった。

洋画好きな彼はブリッジで当直の航海士をつかまえると

「いま、封切られている
  イングリッド・バーグマンの映画、観たかね?」

と話しかける。

「はい、観ました」

と答えると、すかさず質問する。

「彼女がハンフリー・ボガードと
  酒を飲むシーンがあるだろう。
 あれはどういう酒がわかるかね」

相手が答えられなければ、あのシーンで
男と女が酒を飲むのはこういう種類の酒で
しかもカクカクのブレンドでなければならない、
というお得意の講釈が始まるのだった。

かと、思うと、こんな質問がとぶ。

「ほら、あそこを飛んでいるゴメ、
  あれはどこのゴメかね」

ゴメ、とは津軽海峡をさまようカモメのことである。

どこのカモメか、と問われても航海士には分らない。
そこでまた、講釈となる。

杉田船長に言わせると、
津軽海峡周辺には七種類のカモメがいる。

函館と青森、あるいは海峡の真ん中では
それぞれの種類がいて
顔つきが違うのだ、という。

「いいか、それを見分けられないようでは、
  一人前の航海士じゃないぞ」
【281】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月21日 17時04分)

【10】

山田二等航海士がブリッジから降りてきたとき、
船長室からはラジオ音声が聞こえてきた。

九時五分のNHK漁業気象通報だった。

自分の部屋にラジオがない山田は
しばらく通路に立って耳をそば立てた。

「台風15号は松山の北、北緯34度0分、
  東経132度40分にあって
 毎時90キロの早い速度で北東、
  ないし北北東に進んでいます。
 中心気圧は968ミリバール、
 最大風速は35メートル、半径三百キロ以内では
 20メートル以上の暴風雨を伴っております。
 台風15号は近畿北部、北陸方面を経て今晩遅く
 三陸方面へ抜ける見込みで、
  進路にあたる船舶は十分注意してください」

船長室の近藤平市は朝食後、自分で作成した天気図に
新しい台風の位置情報を記入した。

現実には台風は午前九時には日本海に抜けているのだが
中央気象台がデータを集めて位置や勢力を判断し、
それを発表するまでにはかなりのズレがある。

「速くなっているのか」

近藤船長はつぶやいて気圧計を見つめた。

999ミリバールを指している。
七時から4ポイントの降下である。

確かに台風マリーは相当足早に
近づきつつある、と思われた。

これまでに記入した台風の位置を結んでその直線を
北東と北北東に伸ばしてみた。

二つの直線でできた扇形は
奥羽地方を横切って三陸沖へ抜ける。
その点で船長の判断と気象情報は合致していた。

「まあ、危険半円に入ることはあるまい」

思ったままを船長は声に出した。

進行してくる台風の右側を危険半円、
左側を可行半円と船乗りたちは呼びならわしている。

気象学上からもこの呼び名は正しい。

右半円の風は台風の渦巻きの
流れの和となって激しくなり、
左半円ではそれが差になって弱まるからである。

台風15号が現在の予想進路をとって
奥羽地方を横切り、三陸沖へ抜ければ
津軽海峡をはさむ青函航路は左側の可航半円にくる。

風は北西寄りになり、弱まってゆく。
洞爺丸が午後の下り便として函館を出航するのは
そう、むずかしいことではないだろう。

逆に日本海側に沿って台風が進むなら、
青函航路は右側の危険半円に入る。
風は南寄りに変わって猛烈に吹き荒れ、
出航できなくなるに違いない。

しかし、五十四歳の近藤船長は、三等航海士時代からの
長い青函航路の経験で、津軽海峡が台風の危険半円に
入ることはめったにないことをよく知っていた。

明治二十四年(1896年)からこの年までの
六十三年間に960の台風が発生していたが、
このうち、日本海へ出て
北海道西岸を北上したものは14、
全体のわずか1.5パーセントにすぎない。

日本に上陸する台風の多くはいったん日本海に出ても
裏側から再上陸して三陸沖へ抜けることが多い。

たとえ北海道へ近づいたとしても、そのころには
息切れしたように衰弱していることがほとんどである。

だから、北海道ではそれまで記録に残るような
台風被害は全くといっていいほど起きていない。
むろん、台風で青函連絡船が危険に
瀕したことは一度もなかった。

北の船乗りたちにとってこわいのは
台風よりも冬の季節風である。

それは吹雪を伴う大シケをもたらし、
しばしば、連絡船を欠航させ、ときとして遭難をよぶ。

だから近藤船長は台風マリーを
重大には考えていなかった。
彼が天気図を描き、気圧計をにらんでいたのは
職務というより多分に彼自身の趣味のせいだった。
【280】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月19日 16時29分)

【9】

近藤平市は青函連絡船の船長になってから二十年近く、
小さな事故さえ起こしたことがない、
というので有名な船長だった。

最もベテランの船長というのは
山田のような若い二等航海士には
少しばかりのけむたさがあった。

近藤船長は操船術にかけては
ほとんど伝説的な名声を抱えている人だった。

それもサーカスのように船を操るのではなく、
赤ん坊でもあやすかのように、
ていねいに柔らかく、大きな船を手なづけてしまう
というのだった。

昭和九年(1931年)三月二十一日、
津軽海峡一帯は春の初めにしばしばやってくる
猛烈な低気圧に襲われた。

市街地のほぼ半分を焼失する
函館大火災が起きたのはこの日であった。

津軽海峡や函館港内外にいた五隻の青函連絡船は
激しい風雨にさらされ、ことごとく座礁、
浸水して投錨した。

その中で近藤平市が一等航海士として
乗っていた津軽丸だけが
見事にこの嵐を乗り切った。

空船で港外に仮泊していたので船長は留守だった。

近藤一等航海士はブリッジで自ら指揮をとり、
船首を風に立てて機関を全速に、
あるいは低速に、と細かく駆使し
風浪にもてあそばれる津軽丸をなだめすかしきった。

間もなく船長に昇進した近藤はそうした大技だけでなく
猫が忍び寄るようにそっと船を岸壁に着けてしまう
絶妙な操船ぶりでも名人といわれるようになった。

事実、船長になる前から数えれば
三十年になる連絡船乗務の間、
船体を岸壁にこすりつけてしまう
誰でも一度や二度はやりがちな事故さえ
起こしたことがなかった。

また、彼は三等航海士のころから
気象に特に関心が強かった。

勤務中は欠かさず気象情報を聞き、
自分で天気図を描いてブリッジにあがってくる。

「船長、いまここに低気圧がありますので
 函館は東の風になっています。
 もう三時間ほどすると風は北西に変り、
 風速15メートルくらいになると思います」

若いころの近藤は人なつっこく、話好きで船長にも
一等航海士にもそんな調子で天気図を見せて回った。

古顔の船長たちはからかい半分に
「天気図」のあだ名を
この若者につけたのだった。

近藤平市の気象好きはそのころからで
やがて天候を読ませたら
右にでるものがいない、と言われる船長になった。

そのことが彼の名声に一層の輝きを与えていた。

また、近藤は自説を声高に主張することはないが、
いったん決めたことは決して曲げない、
ということで知られていた。

それはおそらく近藤船長が
自分の気象の見通しと操船術に絶えず
ゆるぎない自信を持っているに違いなかった。

そういう近藤船長に二十九歳の山田は強い憧れを持つ。

そして、その畏敬の念が近藤船長を
ますます遠い存在へとさせてしまっていた。
【279】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月19日 16時25分)

【8】

洞爺丸は陸奥湾を出て、津軽海峡に入った。

ブリッジの風速計は東の風20メートルを示し、
船は左右に小さくローリングし始めた。

三等船室の畳の上で原田勇は節子と並んで横になった。

「じゃ、頼むよ」

九時ちょっと過ぎ、山田二等航海士は
そう言って当直を三等航海士に引継ぎ
自室に戻るため、ブリッジを降りた。

少し眠るつもりだった。

近藤船長以下、百十一人の乗組員が
洞爺丸の乗務に就いたのは昨日の午後である。

午後五時四十分、函館発の上り六便として出航し、
午後十時二十分、青森港に着いた。

客を降ろし、荷扱いをすませてから
今朝六時の出航配置まで
船内で短い睡眠をとっただけだ。

さすがに眠い。

このあと函館からもう一往復して明朝、
船長も乗組員も交代することになっている。

間もなく、無線室が受信した
中央気象台からの午前九時の台風情報を持って
操舵手が上がってくることを山田は知っていた。

ブリッジを降りて自分の部屋へ行くのに
船長室の前を通るから
自分が持っていってやろうか、と考えた。

しかし、すぐにちょっと億劫だな、と思い直した。

いつも一緒に乗っている乗組船長か
専属船長だったら山田はそうしただろう。

台風情報を届けたついでに
お茶をごちそうになったり、
冗談を交わしたりする。

しかし、今日乗っている予備船長の近藤平市は
船長室で向き合うことを考えると
どこか、かなわない、という気にさせられた。

青函連絡船ではそれぞれの船に
乗組船長と専属船長の二人がいる。

乗組船長はその船の運航全ての責任と権限を持つほか、
人事、船体保守などにまで全責任を負う。

専属船長は乗組船長の公休日に乗務する。

その責任は乗組船長と同じだが、
乗組員の人事権だけがない。

そのほかに予備船長と呼ばれる船長がいる。

これは乗組、専属、二人の船長が
そろって休暇をとったときに乗務する。

責任と権限は専属船長と同じである。

予備船長はどの船に乗務するかわからないので
全ての連絡船のことを知っていなければならない。

「予備」という呼び名とは裏腹に船長経験が豊富な
ベテラン船長から選ばれるいわば「特別職」である。

近藤平市はそんな数少ない予備船長の一人で
洞爺丸と同型の羊蹄丸の乗組船長から
予備船長に指名されていた。

洞爺丸の乗組船長、吉岡健三は
二十五日から公休だった。

専属船長、杉田幸雄も同じく
三日間の休暇をとっていた。

そこでこの日、予備船長の
近藤平市に出番が回ってきたのだ。

近藤はこれまでにも何度か
洞爺丸の予備船長として乗務している。

しかし、乗組員のほうもその都度代わるので、
山田二等航海士は近藤とほとんど
顔を合わせたことがない。

山田にちょっと億劫だな、と思わせたのは
相手があまりにも偉大な船長だったからだった。

こわい存在というわけではない。

むしろ近藤船長はいつも、もの静かで
部下がミスをしても
決して叱らなかった。

そのために乗組員の間で評判がよく、
信頼も集めているキャプテンだった。
【278】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月19日 16時30分)

【7】

成田予報官が作成した風雨注意報は
海上保安部、警察、消防、
電力会社、電電公社(現NTT)
放送局、自衛隊などに電話連絡で伝えられた。

函館港の信号所には風雨注意報を
知らせる吹流しが掲げられ
港内艇が拡声器で在港船に
呼びかけをして回り始めた。

国鉄青函鉄道管理局へは鉄道気象情報として
同じ内容のものが送られた。

これを受けて函館桟橋から
各連絡船に宛てて、警報が打電されていった。

そのころ台風マリーはすでに
鳥取付近から日本海へ抜けようとしていた。

中央気象台予報課では当直の
予報官たちが首をかしげていた。

各地の気象台や観測所から送られてくるデータは
中国地方から山陰を横断してゆく間に
台風の勢力は衰えるどころか
かえって中心気圧が下がり、
速度も時速100キロ近くに
なっていることを示していたからである。

妙な台風だ、と東京の予報官たちは口々に言った。

熱帯低気圧として中部太平洋に発生したのは
九月十八日だったが、それから数日の間、
ノロノロ西北西に進むばかりで
台風になるのかどうかさえ、
はっきりしなかったやつなのだ。

フィリピンのルソン島東部に来た二十三日にようやく
中心気圧は990ミリバールに下がり、弱いながらも
一人前になって「台風15号(マリー)」と名づけられた。

二十五日に台湾東部で北東へ向きを変えたが
それと同時に中心気圧は975ミリバールまで降下し、
突然、速度を上げて本格的な台風へと発達した。

その日の夜半には鹿児島に上陸したのだから
この間のスピードはかなり速い。

しかも上陸時には最大40メートルの
暴風が吹き荒れていた。

日本に近づくにつれ、発達する台風というのは
珍しいことではないが、
上陸すれば速度は落ち、
衰退するというのが常識である。

しかしマリーはなおも発達を続け、
かつスピードを上げて
あっという間に九州から
中国、四国地方を駆け抜けていったのだ。

時速100キロというのは異常な速度だった。

日本海へ出ればさらに速度は上がるに違いない、
と考えて予報官たちはいっそう
首を傾げざるを得なかった。
【277】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月19日 16時15分)

【6】

函館海洋気象台の予報官、
成田信一はこの朝七時すぎに
三食分の弁当を持って官舎を出た。

朝七時から二十四時間の当直勤務だった。

気象台は函館市のはずれにあったが、
予報官たちが詰める予報室は
港に面した東浜町のビルに間借りしていた。

連絡船が出入りする桟橋に近い。
宿舎を早めに出たのは台風が
気になっていたからだった。

雨まじりの風雨が強くなろうとしている。
暴風域の全面が近づきつつあるのは確かに思われた。

「どうだ。強風注意報は出してくれたかね」

予報室に入るなり、前夜の当直に成田は尋ねた。

もし、台風の北上が早いようなら、海上保安部あてに
強風注意報だけは出しておいてほしい、
と前日帰るときに頼んでいた。

「はい。六時ちょっと過ぎに出しました」

「うん。ありがとう」

函館海上保安部が強風注意報の連絡を
受けたのは六時十三分、
それをもとに六時二十分には付近航行船舶に向けて
台風情報とともに無線で発信されていた。

「だいぶ、速くなっているようです」

ちょうど天気図を描いている宿直は言った。

「そうだね」

天気図をのぞきこみながら、成田は応じた。

「このぶんだと、もう中国地方か山陰に来ているな」

「問題はそのあとの進路ですが、
  どうも奥羽を横切りそうな気がします」

中央気象台の管下にある各気象官署は
自分のところで行った観測をもとに
勝手に台風情報を流すことはできない。

各地の観測網で集められた気圧や風向、
風力などのデータはいったん、中央気象へ送られ、
そこで総合的に判断して一元化される。

気象衛星のないこの時代、
中央気象台は周囲の観測網ばかりでなく、
隣接国や船舶からのデータを参考にして
広範囲な天気図を描いていた。

この天気図の材料となるデータは
国内気象無線情報(JMC)として
各気象官署に送られる。

このデータを見て地方の気象台でも
広範囲な天気図を描き、地方ごとの
要素を加えて狭い地方に限っての
気象注意報を出していた。

いま、成田予報官がのぞいているのは
午前三時現在の天気図である。

それをにらみながら、彼は言った。

「ここまでは来ないね。
 しかし、北陸をかすめて奥羽を横切る、というのは
 一番、可能性がありそうだ」

「それもかなり、早くでしょう。
 正午ごろには風が強くなると思います。
 風雨注意報を出したほうがよさそうです」

「そうしよう。八時現在で出す」

成田予報官は案文にとりかかった。

■風雨注意報   二十六日 午前八時

1.台風が当地方の南方を通過する見込みです

2.全域とも風が強くなります

3.本日、ひるごろから強くなります

4.東の風

5.陸上10〜15メートル 海上15〜20メートル

6.降水量30〜50ミリ 山沿いでは50〜100ミリ
【276】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月18日 16時56分)

【5】

節子が目をこすりながらからだを起こした。

「早起きしたうえ、今日はかつがせたんで、疲れたべ。
 どんだ、食うか」

今日、初めて節子は自分も米を持ってゆく、と言った。

勇の母親だけが最近、ようやく二人の肩を
もってくれるようになり、
ときどき青森へ顔を出すようになっていた。

この日は夕方来て、泊まってゆく、
としばらく前に葉書が届いていた。

その母に

「函館でおみやげを買って帰るんだ」

と米の袋を背負いながら節子は言った。



「あんまり、揺れねえんだの」

船室の畳に座ってしばらく
平衡をはかるようにしていた節子が
にこっ、とほほえんだ。

節子は船に弱かった。

「この船だば、こないだ天皇さんが乗ったんだぞ。
 ちっとや、そっとのシケで揺れるわけがねえ」

「いつ?」

「この夏よ。ぴっかぴかに磨いたばかりだ」




洞爺丸は昭和二十三年(1948年)十一月、
三菱重工(当時の中日本工業)神戸造船所で建造された。

二十五年にはレーダー設備が加えられ、同型の
大雪丸、摩周丸と並んで青函連絡船の中では
いちばん新しくかつ信頼性の高い高速船だった。

全長百十三・二メートル、幅員十八・八五メートル
最大速度17・4ノット、
乗客定員千百三十六。

建造費一億五千万円は終戦直後の当時、
比べるものがないほどの巨費だった。

戦前、国鉄が青函航路に就航させていた連絡船は
ドーバー海峡の車載客船にならって
建造されたものだったが太平洋戦争中、
米軍機の攻撃にあって何隻かが沈没した。

戦後、新造された洞爺丸は
ヨーロッパ風の美しい船体構造はそのままに
列車の車載口を後部に大きく解放し、
輸送効率も飛躍的に向上した。

そして、この年の八月には
北海道を行幸した天皇、皇后両陛下の
「お召し船」となった国鉄が誇る大型で
高速の連絡船だった。





「うめえぞ、これ」

勇はまた握り飯にかじりついた。

節子も手を伸ばした。

津軽海峡へ出て、揺れなければいいが、
と勇は思った。
【275】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月18日 16時54分)

【4】

「かつぎ屋」は二表分の米を背負い、両腕に下げる。

頑強な身体をもった勇にしても全身の骨が
バラバラになってしまうのではないか、
と思うような苦行だった。

青森駅の改札口から連絡船の
乗り場へは何度か階段を上り下りし、
東北線の列車が発着する
長いホームを歩かねばならない。

その間に彼はこのまま、背骨が折れて
潰れ死ぬのではないか、とよく思った。

切符と弁当包みは口にくわえた。

いま、彼が食べている握り飯も
そうやって持ってきたものである。

それでも彼はいつも陽気だった。

函館行にはよく節子を連れて行った。

米を売ってしまうと一緒に函館山に登ったり
五稜郭へ遊びにいったりした。

湯の川温泉や大沼に泊まったこともある。

そんなときの二人は籍こそ入っていなかったが、
幸せそうな夫婦に見えた。

「この商売でな、大儲けするぞ。
 そしたらゼニもって大鰐さ、帰るべ。
 親父にりんご畑買ってやるだ」

勇は言った。
  
本気でそう思っていた。

金さえあれば田畑を買ってもっと楽な暮らしができる。

父はそれを望んでいるはずであり、
そのときにはきっと節子を妻として
迎えることも許してくれる、と信じていた。

しかし、現実はそう簡単ではなかった。

やっと少し金の蓄えができた、
と思うころ決まって函館で手入れにあう。

米は没収され、次の仕入れに
貯金をはたかなければならなかった。

蓄えができていればいいが、ときには
その余裕がないうちにやられることがある。

途方にくれた勇はやむなく故郷に帰り、
父を喜ばせるどころか
こっぴどく叱り付けられるのだった。
【274】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月18日 16時52分)

【3】

三等船室で原田勇は握り飯をほおばっていた。

朝ごはんに、と夕べのうちに
節子が塩鮭を入れてこしらえたものだった。

節子は眠っている。

「今日はがぶるで、横になっておれや」

と言ったのは勇だったが、
そのまま、眠ってしまったらしい。

寝かせておいてやろう、と思って
彼は自分のジャンバーをそっとかけてやり、
ひとり、朝食の包みを開いていた。

二十八歳の原田勇は「かつぎ屋」と
呼ばれる行商人だった。

この朝も洞爺丸には数十人の
「かつぎ屋」が乗っていたが、
彼は初めてまだ半年ほどの駆け出しだった。

りんごを背負ってくる者もいたが、
ほとんどは米だった。
それがいちばん、いい金になったからである。

秋田あたりの米どころから主に鮨に使われる
上質米が青森に集ってくる。
それを駅裏の闇市で買い、北海道へ運び、
サヤを稼ぐのが彼らの仕事だ。

男たちは三十キロを超える米を背負い、両腕に下げた。
むろん、それは食料管理法に違反している。

函館ではしばしば取締りが行われ、そのたびに彼らは
もし、捕まりたくないのなら、
せっかく運んできた荷を捨てて
逃げなければならなかった。

それでも「かつぎ屋」たちは
連絡船に乗るのをやめなかった。

屈強な肉体だけが元手の男たちにほかに、
すべき仕事がない時代だった。

原田勇にとってもまさに事情は同じだった。

彼が生まれたのは弘前に近い温泉町の大鰐である。

貧しい農家の長男で両親とともに
わずかなりんご畑と田を耕しながら育った。

その勇が突然、人が変ったように
なったのはこの春だった。

たまたま友人に誘われて行った温泉街の
バーへ入り浸るようになったのである。

ホステスの節子に惚れたのだ、
という噂が狭い町にじきに広がった。
驚いた父親は息子に意見した。

しかし、勇はバー通いをやめないばかりか、
節子と結婚すると言い出した。

母親に二人の妹が加わって家族全員が激しく反発した。

家族からすれば勇は素性の知れない
水商売の女に丸め込まれた愚かな男だった。

せいぜい、ひいき目に見ても
これは女というものを知らずに
育った男がかかった一時的な熱病で、
そんな女を家族に迎え入れることはできなかった。

だが、勇は小柄で色白な節子が本心から好きだった。

節子は濃い化粧をした他の女たちと違って口紅もつけず
昼間会うと素顔にぽっと健康そうな赤味がさしている。
そんな少女のような女だった。

節子も大鰐から遠くない田舎で
やはり貧しい農家に育った。

一家を支えるのに十分な田畑はなく、
二十歳になった彼女は大鰐に出て
ホステスになるぐらいしか、自立の道はなかった。

そんな節子を勇は十分に理解していた。

その理解は愛情の一部であり、
どうしても彼女と結婚したいと思った。

家族が反対なら家を出るのもやむを得なかった。

恋人たちは青森へ駆け落ちし、
勇は「かつぎ屋」になった。
【273】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月18日 16時48分)

【2】

船内巡視結果の報告のため、
船長室に来た一等航海士の水野純吉は
通路までラジオの音声が漏れ聞こえているのに気付いた。

JMCより時間的にはるかに早く入手できる
ラジオの台風情報は今日のような場合、
航行中の船舶にとって重要である。

聞いている船長の邪魔をしてはいけない、と思って
水野航海士は部屋の前で立ち止まった。

「台風15号は午前五時現在、愛媛県の中部にあって、
 いぜん北東へ進み、今後瀬戸内海を通って
 正午ごろ、北陸地方に接近する見込みです。
 毎時90キロの早い速度で北東へ進み
 中心示度は970ミリバール、
 中心域外側の最大風速は35メートル …

 日本海側にある寒冷前線との関係から
 今後、多少、進路が北、または東に
 それることも予想されます」

台風のニュースが終わったところで
水野航海士はドアをノックした。

「船内、異常ありません」

「はい、ご苦労さん」

船長は言い、ひとり言のようにつけ加えた。

「90キロだよ。上陸したら衰えそうなものだが
 かえって速くなっている …」

中心気圧や最大風速、暴風半径は
つい、いましがた操舵手が持ってきた
午前三時現在の中央気象台の
観測データと変っていない。

しかし、それから九州、四国を横断する
二時間のあいだに速度は10キロも上がっている。

船長はイスから立ち上がって気圧計を見た。

針は1003ミリバールを指している。

六時に見たときに比べて1ミリバール降下しただけだ。

しかし、台風が90キロの速さで近づいてきているのなら
これから気圧は急激に下がりはじめるだろう。

「正午には北陸へ来る。
 早いぞ。それに日本海には寒冷前線か」

「前線の影響で進路が北にふれれば
 こっちに来ますね」

「来るかもしれん。
 まあ、飯でも食おう」

ちょうど朝食の準備ができている時間だった。

士官食堂への通路を水野航海士と並んで降りながら
近藤船長は食事を済ませたら、
これまでに集められている気象情報をもとに
天気図を描いて台風の進路を予想してみよう、
と考えていた。

近藤船長は本当に天気図作りが好きで
得意な船長だった。
【272】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月19日 16時37分)

【1】

昭和二十九年(1954年)九月二十六日
陸奥湾は朝から雨だった。

午前六時半の定時に青森を出航した青函連絡船下り三便
洞爺丸(三、八九八トン)は一路、
函館へ向けて北上していた。

ブリッジから見下ろす海は鉛色で
左舷側の津軽海峡はぼんやりとけむって見えた。

ブリッジの中央に立った船長の
近藤平市は風速計に目をやった。

針は10〜15メートルの間を気ぜわしく動いている。

風向は東。

「船尾、異常ありません」

雨合羽を着て上がってきた二等航海士が報告した。

出航配置にあたって船首を担当するのは一等航海士、
船尾は二等航海士である。

一等航海士はそのまま船内の巡視にまわり、
少し遅れて上がってくる。

「はい、ご苦労さん。じゃ、頼みます」

それだけ言って船長は腕時計をのぞきながら
階段の方へ歩いていった。

「七時のニュースを聞くんだな」

と、航海士たちは理解した。

天気図、とのあだ名がついている近藤船長が
今日のように台風が近づいている場合に
ラジオニュースを聞き漏らすはずがないことを
誰もが知っていた。

船長に代わってブリッジで当直にあたる
山田友二・二等航海士は雨合羽を脱いだ。

函館まで百十三キロ、四時間半の航海。

船長があらかじめ操舵手に指示してある航路通りに
船を走らせてやるのが当直航海士の仕事である。

「この様子なら、そう、がぶることも
  なさそうじゃないか」

山田は傍らの三等航海士に言った。

「ええ。海峡へ出れば少しやられるかもしれませんが」

当直の操舵手が上がってきて紙片を山田に手渡した。

無線室で受信したばかりの中央気象台からの
船舶無線通報(JMC)だった。

「二十六日三時現在、台風マリー、970
 九州、北緯32度、東経131、2度
 北東40ノット、最大風速70ノット、
 中心から半径150海里以内、40ノット以上。
 北緯41度、東経148度と北緯36度、東経156度の間」

山田はその内容をブリッジ前部の
天気図記載黒板に書き付けた。

970はミリバール(現在のヘクトパスカル)で表わされる台風の中心示度(気圧)である。

一海里は約1・85キロで一時間に
一海里を進む速度が1ノットである。

船員たちは海里と時速をキロメートルに
置き換えるときには
この「1・85」を「2」に簡便して換算し、
風の秒速をメートルで知りたい場合「2」で割る。

したがって、この台風の時速は約80キロ、
最大風速35メートル、中心から
半径三百キロの範囲は
20メートルの暴風ということになる。

黒板に描かれた日本地図の北緯32度、
東経131・2度の地点に
山田航海士は二重丸の印をつけた。

宮崎県下にあたる。

「鹿児島から上陸したんですね。
 マリーというんですか」

太平洋戦争後、日本に進駐した米軍は
北太平洋に発生する台風に
その年の発生順にアルファベットの
頭文字をとって女性の名をつけた。

日本側もこれにならい、キャサリン台風、
ジェーン台風というように呼んだ。

昭和二十八年(1953年)からは中央気象台は
1号、2号と番号で表わすことにしたが、しばらくは
なじみになった女性名も並行して使われた。

台風Marieの頭文字は「M」。
つまり、この台風はこの年の15号台風にあたる。

「明朝、三時の予報位置は房総沖から
  三陸沖へかけて、になる。
 いまから山陰まで来るとしても
  そのあたりで太平洋へ抜けるだろう
 午後の上り便はちょっと難儀になるかもしれんな」

「まあ、たいしたことはなさそうですね」

三等航海士はホッとした表情で言った。

洞爺丸は午前十一時に函館へ着き、
そのあと午後二時四十分発の
上り四便として同じ乗組員によって
青森へ運航されることになっている。

「船長に渡しておいてくれ」

山田は台風情報を描き出した黒板を操舵手に返した。
【271】

SOS洞爺丸  評価

野歩the犬 (2015年05月18日 16時57分)


    上野発の夜行列車 降りたときから


            青森駅は雪の中


      北へ帰る人の群れは誰も無口で


        海鳴りだけを 聞いている


        私も一人 連絡船に乗り


       こごえそうなカモメ見つめ


              泣いていました



           ああ 津軽海峡 冬景色


■青函連絡船

 青森県弘前駅と北海道函館駅間を
 日本国有鉄道(現JR)が乗客と
  鉄道車両を積載して
  津軽海峡に運航していた輸送船。

明治四十一年(1908年)開業
昭和六十三年(1988年)青函トンネルの開通に伴い
                      鉄道輸送船としての役目を終えた
【270】

お知らせ  評価

野歩the犬 (2015年05月05日 11時53分)

■次回作のテーマを模索中ゆえ
 しばらく休筆いたします。


のほ
【269】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年05月03日 12時27分)

【あとがき】

保険金殺人という犯罪は極めて発覚しやすい。

保険金の受取人が犯人本人、または
共謀の第三者がいないと成立しないからである。

しかも犯人は人を殺しながら法の手から逃れ、
保険金を手に入れるために被害者を
事故死した様にカムフラージュしなければならない。

当然、支払う側である保険会社の調査と
不審な点があれば捜査の手が入る。

保険金殺人は昭和四十七年(1972年)再婚した妻子に
三億一千万円という高額な保険金をかけ、
大分県別府国際観光港に車ごとダイビングして
自分だけが脱出した荒木虎美事件
(一、二審有罪、上告中に死去)以降、
昭和五十年代に入ると年に
二〜四回のペースで発生した。

この背景には当時の保険会社各社が災害死亡時には
満期額の最高三十倍にも膨れ上がる高額の
「災害特約」を目玉商品として顧客競走を
展開していたことが挙げられる。

酒井隆が主犯となった保険金替え玉殺人も
この「一攫千金」が動機となった。

特にこの事件では酒井が本来、相容れることのない
妻と愛人を謀議段階から加担させ、
行きずりの第三者を自分に仕立てあげ、殺害するという
ミステリー小説まがいの展開で社会の耳目を集めた。

それにしてもこの事件における佐賀県警の初動捜査の
醜態ぶりは目を覆うものがある。

先の「ソドムの市」で書いたように
警察は遺体の身元確認を家族、親族と対面させ
「間違いない」との言質をとることを
建前としているが、それはあくまで
最終確認の手続きである。

酒井隆とおぼしき「変死体」が発見されながら
運転免許証が見つかっていないのに、持ち合わせた
名刺だけを頼りに「遺族」に連絡し、指紋はおろか
血液型の照合すらしていない。

(被害者⇒A型、酒井⇒AB型)

遺体を「確認」した妻はその後、暴力団犯行説を強調。

追及を受けた愛人は酒井を守るために
行方不明の夫を犯人に仕立て上げる供述をし、
これを鵜呑みにして指名手配までしてしまうお粗末さ。

挙句、主犯の酒井には自殺され、面目は丸潰れだった。

このズサンな捜査にマスコミも徹底的に振り回された。

当時の読売新聞西部本社版紙面の
見出しだけを拾ってみても
その迷走ぶりがよく分かる。
【268】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年05月03日 12時23分)

【1月27日付け夕刊】


■早版 一面
        酒井社長殺し

       妻と女子社員に逮捕状

   保険金目当て自供  レンタカー、小倉西港に捨てた



■最終版 一面
        酒井社長殺し

        妻と愛人が自供

     中年男、加え凶行  保険金狙う

(いずれも小倉北署へ出頭する愛人の豊子、
   葬儀で弔問客に対応する妻、清美の写真入り)



【1月28日付け朝刊】

■一面  
        愛人の社員逮捕

      共謀の夫に逮捕状 妻は供述得られず

□社会面
      中村夫婦、推理小説もどき

        七年前に蒸発偽装

       豊子、ひそかに連絡とる

※前日夕刊で写真まで掲載した妻、清美は
  供述が得られず逮捕が見送られたため
 「清美さん」と呼称を戻す。



【1月28日付け夕刊】

■早版

      妻、清美さんから再聴取

         捜索のレンタカー発見

■最終版

        妻、清美 共謀認める

           夕刻にも逮捕



【1月29日付け朝刊】


■早版一面

       「社長殺し」死体は別人

    酒井首謀の替え玉殺人 妻、愛人が全面自供

         被害者は福岡市の男

        酒井? 下関で列車自殺

□社会面
       別人手配の連続ミス 供述デタラメづくめ


■中版一面
        「社長殺し」は替え玉だった

        首謀・酒井 発覚後に自殺

         妻、愛人が全面自供


□社会面
        「この女らはしぶとい」声震える捜査幹部
          会見中「酒井自殺」飛び込む

       「まさか」遺骨なき被害者の妻、泣き崩れる


■最終版一面
        「社長殺し」死体は替え玉

      酒井が偽装、発覚後に自殺 妻、愛人が全面自供
     豊子の夫、無関係   酒井、警察へ自供遺書
            指紋照合怠る



□社会面
        どんでん返し 捜査陣真っ青
 
                 替え玉死体、一週間気付かず

          冷血男   酒井死のワナ

      「むごい」  遺骨なき被害者の妻 
               警察に怒り、花束突き返す




金は人を狂わせ、人は人に狂わせられる。

初動捜査のミスと妻、愛人を巧みに操って
生き延びを図った酒井隆。

一時は警察とマスコミを手玉にとったかに見えた男の精算はやはり、自らの命しかなかったのである。
【267】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時21分)

■酒井の遺書・全文 

 (かな遣いママ、一部伏せ字、地名は当時の表記)



佐賀、福岡両県警本部長殿

星賀港の殺人事件については
大変御迷惑をおかけいたしましたが、
全て私の計画のもとに、私自身が実行した事であり、
家内、中村さん、○○君
(注:清美の実弟)には関係ない事で、
私自身、家内、中村さんの猛反対をおしきり、実行後、
強行に口裏を合わせるようにおしつけて
おった次第ですので、
このままゆるしてやってください。

といった所でゆるせる事でもないでしょうが、
いつわりのない本当の事を書きとめますので、
前述の者達えはなにぶん、御寛大なる
処置を切に御願いいたします。

特に○○君については本当に何も知らない事で、
私が家内にレンタカーを借りてもらうように指示し、
それを家内が動けないものだから、
○○夫妻にたのんだだけの事です。

永くなりますので本題え入ります。

動機としては私の放漫経営から膨大な借金を作り、
高利の金を借りるようになり、
仕事がうまく行ってる時は、まわしまわしで、
どうにか、やりくりをして来たのですが、
ご承知の通り冷夏と不景気のダブルパンチで
最悪の状態となり、金利すら
払えなくなってしまいました。

しかも、気がついた時には
四億近い借金になってしまい、
金利だけでも月五百万はなくてはならなくなり、
それを作る為、又高利の金を借りることになり、
しかも私には元々、財産がある訳でもなく、
担保の変りに自分の身体をかけて生命保険に入り、
それを担保変わりに借りる以外に方法がなかったのです。

これら保険料だけで月に百万近い支払いを
していたのですから、
今さらながら無理な事は重々分かります。

昨年十二月以降はそれらの取り立てが厳しく、
私は仕事にかこつけて家に居ない方が多く、
病弱な家内が一つ一つことわるのを見るにしのびなく、
又後半は暴力団関係が再三家に来るようになり、
どうする事も出来なくなってしまい、
前述の生命保険があるので
私が死ぬ事が一番良い事だと判断し、
対税務対策、又私のいなくなった後の借金の
いざこざをなくす為、
受取人名義を妻えもどした訳です。

(↓)
【266】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時18分)

こざかしい事とお笑い下さるかも分かりませんが、
四億近い借金がある以上、
自殺ではどうにもならないから、
何とか業務中の事故死に
もって行こうと真剣に考えました。

この間は信じてくれと御願いしても
無理かも分かりませんが、
本当に私自身が死ぬつもりで方法その他を考え、
初めて妻え相談し、賛同をえようと思ったのですが、
猛反対を受け、もう一度最初がはだかだったのだから、
一から出直せばと、何度も引き止められたのですが、
借金を払い、なおかつ、今まで通り
酒井水産(九月と十一月に不渡り)を
維持して行く上においては、
私が事故で死ぬ以外に方法はなかったのです。

給料も未払い続きなのに、
社員は皆良くやってくれたし、
何とかもう一度、たて直す為には
自分がまいた種ではあり、
私が責任をとるのは当たりまえの事であり、
私が死ぬ事を決心しました。

色々取沙汰されているようですが、
私の借金の中で一番大きいのは中村さんで、
もちろん中村さん自身よりも
外の人から借りてもらっているのが
ほとんどという事も分かっています。

金額にして七千万くらいになるかも分かりません。

かれこれ、四年になりますが、
最初は投資のつもりがだんだん金額が大きくなり、
引くにひけなくなってしまったのです。

不渡りを出した段階で車、その他会社の権利当を
暴力団がおさえると云いだしたので、
急ぎ中村水産え変更し、
中村豊子名義で車も変えてしまいました。

この段かいで初めて中村さんえ
この話をしたのですが、
やはり猛反対で、何の為にこれだけ
力を入れて来たのかと
強く反対されました。

年が明けてすぐ実行するつもりでしたが、
保険金受取人の変更手続きをすませ、
保険証書がかえって来るまで待ってからと、
のびのびになってしまったのです。

その間、相変わらず取立てはきびしく、
十二月中旬以降は家で寝ることも出きず、
昼間もあまり人前に出れない状態で、
別にすることもなく、
(実際に自分が死ぬ事で金が入って来ると、
 あんかんとしていました)

たまたま以前に行っていた競ていに、
何の気なしに行ったのですが、
どこの誰とも分からない人が数かぎりなくいるし、
気がるに話しかけて来る。

この時、今になって考えれば
本当に申し訳ない事ですが、
死ぬ気になればなんだって出来る。

これは私の身勝手で意味をはきちがえている事は
重々分かっていますが、
その時はとっさにそう感じたのです。

この中の誰かが私の身変わりになれば、
なにもかもうまく行く

(こんなことを書けばお腹だちは
 ごもっともですが、おゆるしください)

そう直感し実行することを考え、
家内と中村さんに相談したのですが、
そんな恐ろしい事を、と笑って相手にしてくれません。

再三再四、強行にくどいたのですが、全然反応はなく、
私自身、私が死ぬか、この事を実行するか、
二つに一つだと言ったのですが、
うてあってもらえません。

(↓)
【265】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時14分)

私自身、一月十五日までには死のうと
思っていたのですが、
延び延びになっていたので、
いささかあせってはいました。

どちらにしても時間がないので、
この恐ろしい計画を実行した場合、
後、私がどうするのか、どこに逃げるのか、
その事を考え、一月十五日、
私の名前でアパートを借りれば
すぐに分かるので、長女が高校を出て
福岡の専門学校に行くのを利用して
娘のアパートを探しに行くという事で福岡え行き、
室見(注:福岡市西区室見)のパール岡本を
中村豊子名義でかりてもらいました。

女性の方が安心するからと、
中村さんには了承してもらいました。

ひまを見て二度程ふとんその他を運び込み、
そちらで買ったのは中古の冷蔵庫(一、四〇〇〇)と
ガス台だけです。
電話は一月二十四日に設置しました。

この段階では中村さんも妻も、
うすうすは感じていたようですが、
もう何も云いませんでした。

ただ、私があまりにもごういんなので、
云わせるスキを与えなかったようです。

当初、車をどれにするか分からず、
又帰りの事を考え、取りあえずレンタカーを
前述のような状況のもとに借りさせておきました。

二十一日実行するつもりは
はっきりしてなかったのですが、
若松ボートえ昼すぎに中村さんと一緒に行き、
たしか四レースぐらいだったと思います。

中村さんは一度一緒に入ったのですが、
気分がすぐれずに、すぐに車にもどって
やすんでいたようです。

たしか、六レースぐらいの時に
中年の男性がはずれ券を
ひろってまわっているのに行き当たり、声をかけた所

「ワシが予想するけ、小ずかいをくれんね」

というので、これはもっけのさいわいと思い、
いくらかと聞くと、一万円くれ、そのかわり、
かならずもうけさせる、
と云うので、取あえず、五千円やり、
後は終ってから、と云う事で
最後までその通りに舟券を買ったのですが、
一度も当たらず、自分の百円券が二枚だけ当たり、
これは縁起ものだからと、一枚私にくれました。

この間、ボートの話ばかりで、
お互に名前も住所も知りません。

帰る時になって残りの五千円をくれ、
と云うので、負けたのにやれるか、と云うと、
明日からの唐津ボートでかならずもうけさせるから
一緒に行こうと、しつこく迫るので、
この時、これは丁度良い相手だと感じ
(不まじめで申し訳ありません)
どこから来たのかたずねた所、福岡というので、
とっさに私もうそをついて、
福岡だが、一緒に乗って帰らんね、
と云うと、それなら是非と、車に来たので、
私が運転し、その人が助手席で車を走らせました。

(↓)
【264】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時10分)

この時には五千円の話は全然出ず、
ボートの話ばかりをしていました。

私は小倉に一つだけ仕事があるから、と了承をとり、
熊谷町の家に行き、この時、
レンタカーのキーは私が持っていました。

中村さんにだまってレンタカーを
取って来てもらいました。

途中、八幡中央町の古仙で食事をしました。

たしかビールを二本飲んだと思います。
私も中村さんも車があるので
口をつけただけで飲んでいません。
中村さん自身はあまり食事も進まず、
下を向いたままでした。

三十分ぐらいで食事を終り、
六時半くらいに古仙を出たと思います。

八幡インターから高速に入り、御調べの通り、
クラテ(注:福岡県鞍手郡鞍手町のこと)
パーキングで、雪うさぎ(注:地元の銘菓)を
三個買い、家え電話を入れました。

高速に入って、その人はすぐに
いびきをかいて寝てしまいました。

いやな言葉ですが、どうしてやるかについては
何も考えていなかったのですが、
以前、魚の関係で前原(注;福岡県糸島郡前原町)から入ったたしか西ノ浦と思いますが、
人通りも少なくて良いんじゃないか、
と考え、そちらの方へ車を走らせていると・・・・
城へきとヒョウ識が出ていたので、
そちらの海岸え行った所、
アベックの車が一台いたので、
私が先に引返えしたのですが、
中村さんが砂浜えタイヤをのめりこませ、
動かなくなっていたので、
仕方なくそのアベック(まだ若い)
に手つだってもらったのですが、全然動かず、
仕方なく私が近くの家からロープを借りて来ました。

この時、その人は目をさましました。
どうにか車を引っぱってロープをかえし、
アベックもすぐに立ち去りましたが、
目をさましたので、どうすることもできず、
仕方なく、そこから一番奥の西ノ浦まで二台で行き、
その人には、仕事の都合で車を持って来てやっと、
一台を空き地に置き、この時も横に
アベックの車が一台おりました。

今度は一台で引きかえし、その時は中村さんが運転し、
その人が助手席に乗り、私が後ろにすわりましたが、
目をさましたので、どうすることも出来ません。

仕方なく私が砂浜にガソリンのポリ容器を
くくっていた小さいロープを忘れて来たし、
ロープをかしてくれた人にお礼の
お菓子を持って行くから、
もう一度砂浜へ行ってくれと中村さんえ指示し、
いきかけたのですが、中村さんは動ようしているのか、
一度道に迷いましたが、
なんとか元の場所につきました。

私もどうしていいか分からず、迷ったのですが、
意を決してロープで首を後ろからしめたのですが、
すごい抵抗にあい、又中村さんがやめて下さい、
やめて下さい、と止めるので、どうにもならず、
最初からつんでいた金属バットでなぐりました。
むちゅうだったので、この時の事は
あまりおぼえていません。

(↓)
【263】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時05分)


その間も中村さんが止めるので、中村さん自身も
何度かなぐられていると思います。
この時に一台、車が来ましたが、
海岸の方え行ったので、
気がついていないと思います。

その人は力が強いのと、その時は
意識がはっきりしていたので、
私一人の力ではトランクに入れる事が出来ず、
中村さんに手つだわせて、トランクに入れました。

その後、私が運転し、西ノ浦まで
レンタカーを取りに行き、
二〇二号線を唐津え向けて走りました。

私は手袋をしていたのですが、
血がついたので、その手袋は
西ノ浦に行くまでの間に捨てました。

車を落す場所としては、最初から私が死ぬ時でも
星賀港に予定していましたので、
問題なく星賀港まで走らせました。
途中、大部あばれているらしく、
すごい音がしていましたが、
私も恐かったので一度もトランクはあけていません。

先にレンタカーを星賀港におき
(この時も車とすれ違い)
私の洋服に着換えさせる為に、
貴署調査済みの農道え行きました。

ここも行き当たりばったりで、
少し入った所だから分からないだろうと
車をとめ、トランクを明けた所、
容器に入れていたガソリン
(最初から容器に半分くらいしか入っていない)
がほとんどこぼれていて、ふたも取れていました。

新聞に出ていたように、このガソリンは焼く為とか、
そんな大げさなものでなく、
以前の日曜日用(注;予備用の意味か)が
そのまま、残っていだけの事です。

油まみれだったのですが、一度トランクから出して
私が着ていた物全て着せました。

私は下着もつけず、その人のズボンをはいて、
その人を運転席にすわらせ、
私が助手席にすわり、下りだったので、
ハンドル操作だけで
現地へ行き(この時も一台、車とすれ違った)
ギアをドライブに入れて、
私は助手席から、飛び降りたのですが、
車が途中で引っかかり止ってしまい、
丁度この時前方にライトをつけた車が見えたので、
このままではどうにもならないと、
とっさにマークIIに乗り、
私が運転してバックでつき当て、
落ちるのお確認する事もせず、
急発進し、逃げましたが、カーブをまがりきれず、
ブロックに前部を当てましたが、そのまま逃げました。

(↓)
【262】

酒井の遺書  評価

野歩the犬 (2015年05月01日 17時25分)


トランクが開いたままだったので、気が気ではなく、
止まろうとは思いつつも気がせいたので、
そのままつっ走り、途中、山道でパトカーと逢った時は
だめかと思ったのですが、
気がつかなかったみたいだったので、
唐津の町中に入る前、たしか
スタンドの横で配線とロープで
何とかドアをしめて、検問にあう前に
唐津を逃げようと走りました。

途中、二〇二号線に来て、
その人のくつやシャツ、ジャンパーなどを
少しずつ海になげたのですが、
シャツは道路にもどってきたみたいです。
バットは高いガケから、だんがいの所えすてました。

途中パール岡本により、私は着がえて、
中村さんは少しついた血を落として、
レンタカーにもどりました。

私がはいていたその人のズボンは
藤崎(注;福岡市西区藤崎)
あたりの工事現場えセブンスター(封は切っていない)
と一緒に投げすてました。

高速の検問が気になったので、
途中、中村さんと運転を変り、
八幡インターからおり、
西港(注:北九州市小倉北区西港)で
キーをぬいて海え落しました。

以上がつつみかくさぬ本当の事です。

この後もう一度レンタカー(浅野、小倉興産前)を
かりるつもりで、中村さんと家内と
小倉興産前で落ち合ったのですが、
レンタカーがまだ営業していなかったので、
御調べの通り三人でタクシーに乗りました。

そしてパール岡本前で降り、
二十六日までほとんど外に出ず、
アパートにおりました。
私の借金の為に、どなたかは分りませんが、
大変な事を仕出かし、
本当に申し訳なく思っております。

又、ことわりきれなかったとは云え、
中村さんを犯罪にまきこみ、
一生をだい無しにした事は
私が死ぬ事で解決する訳ではありませんが、
今の私に出来る事は死んで
お詫びする以外に方法はありません。

最後にもう一度、殺人者の私が
御願い出来るすじ合いではありませんが、
妻、中村、○○の御寛大なる御処置を
呉々も御願い致します。

そして一日も早く名前も分らない人ですが、
さがし当て、御めい福を御祈りして上げてください。

この方にも家族はいると思います。

何と御詫びして良いか分りませんが、
せめて私の命にかえて御詫びさせていただきます。

  昭和五十六年一月二十七日

                    酒井 隆

佐賀
福岡   両県警捜査本部長殿

追伸  私が一番気にしていたのは血液型です。
    私の血液型はAB型です。
【261】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月30日 17時20分)

【自 殺】

早版用の一面本記、社会面サイド記事作りで
殺気立っていた北九州市小倉北区の
読売新聞西部本社編集局で午後八時、
地方部デスクが大声を張り上げた。

「社会部さん、いま下関支局から入った連絡だと
 酒井が山陽本線新下関駅で
 飛び込み自殺したらしい !」

「なんだってぇ!」

「本当かぁ!」

どんでん返しに次ぐ意外な事件の結末に
編集局内は再び暗然となった。

酒井隆は午後七時四十二分、
国鉄山陽本線新下関駅六番ホームから
小郡発、下関行き下り普通列車に飛び込んだ。

スポーツシャツ、グレーのスラックスの酒井は
腹部を轢断され即死状態だった。

ホームにはピエール・カルダンの
コールテンジャケットと手提げバッグ、
靴がそろえて置かれ、ジャケットのポケットから
現金十一万百円入りの財布、
新下関〜岡山間の特急券が見つかった。

また、バッグには
「佐賀、福岡両県警本部長殿」と書かれた
便せん十四枚にわたる長文の遺書、運転免許証、
単行本「三菱商法」や清美の写真、電卓、パジャマ、
下着、ネクタイなど八十六点の遺留品があった。

酒井自殺の一報が小倉北署の
捜査本部に入ったのは午後九時十七分、
福岡県警捜査一課長の梶原らが、
清美の逮捕を発表するため
この日、二度目の会見をしている最中だった。

酒井を逮捕し、事件の真相解明を目指していた
捜査本部にとっては
最悪のシナリオが現実となった。

「会見の途中ですが、酒井らしい男が
 新下関駅で自殺したようで …」

差し入れられたメモに目を通した梶原は
会見を打ち切り、席を立った。

酒井の身元確認には佐賀県警捜査一課、
刑事指導官の塚本と山口県警捜査一課長の
永岡哲正らがあたった。

残されていた酒井の運転免許証や
酒井の実兄、勲の証言で
ほぼ、酒井とされていたが、捜査本部が
「死体は酒井隆」と公式発表したのは
自殺から六時間もたった
二十九日午前一時半だった。

酒井は昭和五十年(1975年)長崎県下で
交通違反の検挙歴があったので、
長崎県警から保存指紋をとり寄せ、
照合したためである。

山口県長府署で深夜の会見に臨んだ塚本は

「今回ばかりは念には念を入れまして …」

と報道陣に苦しげな表情で語った。

唐津署に護送された妻の清美は
捜査員から酒井の自殺を聞かされ

「自分だけが死ぬなんて余りにも勝手すぎます。
 私が死にたかった …」

と、もらした。

中村豊子に酒井自殺が知らされたのは一ヵ月後である。

酒井に責任の全てを転嫁されるのを
防ぐためだったが、豊子も捜査員に

「社長は卑怯です」

と、だけ言い絶句した。

酒井の生存を最後に見たのは
潜伏先の福岡市西区のマンション
「パール岡本」の管理人の依頼で
五〇二号室のチャイム修理に訪れた電器店員だった。

一月二十五日午前九時ごろのことである。

「ドアをノックすると四十歳くらいで
 ボサボサ髪の男が出てきました。
 六畳の居間の電気コタツの上でノートのような
 ものを広げて何かを書いているようでした」

酒井はこの部屋にテレビを置き、
全国紙とスポーツ紙も購読していた。

二十五日までの捜査でレンタカーの
不自然な盗難疑惑などが報道されていることを知り、
覚悟の遺書を書き綴っていたのだろうか。

五〇二号室の新聞受けには
二十八日付け朝刊が差し込まれたまま、
になっていたことから、酒井は二十七日深夜、
この部屋を出た、と見られる。

妻の清美から「もう、自首して」と
電話があった夜である。

岡山行きの特急券を持っていたことから
高飛びを図ろうとしていた可能性が高い。

それが一転して死を選んだのは、
清美の替え玉自供を知って
逃げ切れない、と観念したからなのか。

新下関駅のホームに残されたバッグには
イヤホン付きのトランジスタラジオも入っていた。

(逃葬者/本編・完)
【260】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月30日 17時14分)

【編集局】

清美が替え玉殺人の核心に触れる
供述を続けていた午後四時ごろ、
読売新聞西部本社福岡総局の県警キャップ、
古市悟は廊下で出会った顔見知りの捜査員から

「佐賀の事件はどうも替え玉らしいね …」

と耳うちされた。

「替え玉?」
  
古市は初め、事情が飲み込めなかった。

発生以来、自社を含めて報道機関は連日、
この事件を大きくとりあげ
この日の朝刊でも

「社長殺し 愛人逮捕」 「共謀の夫に逮捕状」

と一面トップで報じている。

キツネにつままれた思いで

「と、いうと酒井が生きている … そんなバカな」

と聞き返した。

「それがどうも本当らしい。
 自分たちも信じられないんだよ」

捜査員も腑に落ちない顔つきである。

発生直後から何度か小倉北署へ応援に飛び、
豊子の逮捕で大詰めを迎えたこの日も
朝から府警詰め記者二人を
小倉へ出していた古市だったが、その二人からは
これまでに替え玉に関するなんの情報もない。

小倉北署詰めのキャップの高井信義や
サブの高倉泰隆も張り付いているはずだ。

古市は釈然としないまま、
とりあえず総局デスクの渡辺晶に一報した。

福岡総局と小倉の西部本社社会部を結ぶ
ホットラインでこの一報を受けた
朝刊デスクの田中豊英は仰天した。

話を聞いた社会部長の藤丸忠成は警察担当デスクで
この日の夕刊を担当した永松修に叫んだ。

「大至急、確認だ、古市と高井にウラをとらせろ!」

「東京、大阪の早版用に一報を作れ!
 それから遊軍、全員を呼び出せ!」

と怒鳴った。

小倉北署の高倉から

「記者クラブでもそんな話が出ている。
 捜査幹部は五時半に緊急記者会見をするというだけで
 ノーコメント、替え玉は間違えなさそうだ」

と連絡が入った。

編集局は騒然となった。

替え玉にされたのは誰だ?

酒井は捕まったのか、他に共犯は ―――

警察の発表次第ではどんな展開になるのか、
予想もつかない。

紙面のレイアウトを割り振りする整理部デスクからは

「いつになったら、原稿はくるんだ!」

と矢の催促である。

だが、定刻になっても会見は始まらない。

「まだなのか、警察はなにをしている!」

高倉に連絡をとった永松は思わず電話口で怒鳴った。

東京、大阪本社の早版の締めきり時間まで
あと、いくらもない。

ミステリー小説まがいの保険金犯罪では
前例のない意外で残忍な事件。

なんとか、早版から記事を叩き込まなければならない。

午後五時五十五分、定刻より二十五分遅れて
小倉北署三階会議室で記者会見が始まった。

前日「中村豊子を酒井社長殺人容疑で逮捕しました」
と自信にあふれた表情で発表した
県警捜査一課長の梶原成一と
小倉北署刑事官、河野悦三が苦渋の表情で席についた。

「発表します。  被害者は酒井水産社長、
 酒井隆ではなく、実は …」

発表文を読み上げるや、
五十人の報道陣から矢継ぎ早に質問が飛んだ。


「酒井の身柄は …」

「指紋照合は捜査のイロハ、それを怠ったのは …」

会見の途中で高倉は会議室を飛び出し、
本社に会見の内容を吹き込んだ。

同時刻、唐津署でも会見が開かれた。

「替え玉にされたのは酒井とは一面識もない
 福岡市西区 …」

「酒井の所在はつかめていない」

発表の内容が次々に電話で社会部に送られてくる。
それをひったくるようにホットラインで関連取材を
福岡総局に手配する永松。

次々に明るみに出る替え玉殺人の全容に
編集局は一段と緊迫した。
【259】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月30日 17時10分)

【完落ち】

次の瞬間、野口と武田は自分の耳を疑った。

清美が「実は主人は生きています」と
言い出したからだった。

思わず「そんなバカなことがあるか!」と
野口が一喝した。

武田も

「これだけ、子供のことを思って
 本当のことを言いなさい、
 と言っているのがわからないのか!」

と怒鳴った。

「待ってください。本当に死んだのは
 主人ではありません」

清美は哀願口調になった。

それでも武田は

「まだ、ウソを言うのか」と語気を強めた。

「とにかく聞いてください」

清美はそれだけ言うと、ポケットから
一枚の写真をとりだした。

清美はこの瞬間を予想してか、朝、家を出る時、
最近撮った酒井の写真をしのばせていた。

その写真は遺体の顔と似ても似つかぬ
一見して別人とわかる
酒井のスナップショットだった。

青ざめた野口は取り調べを中断して
四階の捜査本部に駆け上がった。

二十五日から小倉北署に詰めていた
佐賀県警捜査一課の刑事指導官、塚本三男に報告した。

「えっ!  まさか …」

声にならない動揺が走った。

「野口警部、酒井の所在を突きとめるんだ!」

刑事一課長、石橋の声に野口は
弾かれたように調べ室に戻った。

武田が清美の口から聞き出した
酒井の潜伏先のマンション
「パール岡本」と部屋の電話番号をメモにとっていた。

部屋に電話を入れるが応答はない。

捜査員がマンションへ飛ぶ。

塚本は焦った。

「酒井はどこへ行ったのだ」

「自殺しなければいいが …」

焦燥は最悪のシナリオを想像させ、
小倉北署は混乱した。

清美のどんでん返しの供述は塚本を通じて
唐津署の捜査本部にも至急報として伝えられた。

唐津署では前夜、小倉北署から護送されてきた
中村豊子の取調べ中だったが
予想もしなかった清美の供述に誰もが顔色を失った。

直ちに遺体から採取していた指紋を
警察庁に送って照合を依頼する。

遺体の主に前歴があり、照合はヒットした。

「福岡市西区、元建設作業員(四六)」

清美の替え玉供述が裏付けられたのは午後三時ごろ、
豊子が「完落ち」したのはそれから間もなくである。

「申し訳ありませんでした」

と涙も見せず、淡々と替え玉殺人の経過を供述し始めた。

豊子はそのときの心境を後の公判で

「もう、社長に逃げてもらいたいという
 気持ちはありませんでした。
 奥さんから『全てを話すのはもう少し待って欲しい』
 と、言われたので約束を守ったのです」

と述べている。

小倉北署では清美が替え玉殺人の計画から犯行の動機、
遺体確認までの経過を一気に自供していた。

野口が調書をとる間、清美の頬を伝って
涙がとめどなく流れた。

星賀港での事件の一報を聞いて以来、
周囲の目を絶えず気にして

「緊張の連続で何をしているのか
 自分でも分からない毎日。
 本当に主人が死んだ、という錯覚に陥っていた」

清美である。

その不安と緊張から解放されたためか、
野口の質問にもやっと素直に答え始めた。
【258】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月24日 12時50分)

【どんでん返し】

中村豊子の「一部自供」によって事件は
一気に全面解決するか、に見えた。

福岡、佐賀両県警の捜査本部は
明るい雰囲気に包まれ
捜査幹部の一部は

「一両日がヤマ」

「あとは清美の共犯関係を追及すれば決着がつく」

と自信をのぞかせていた。

豊子が逮捕された翌日の
一月二十八日午前十時、
小倉北署は清美に四度目の任意出頭を求め、
事情聴取を始めた。

取調べには清美の担当の武田とともに、
豊子の自供を引き出した野口も立ち会った。

清美はこれまでの調べでタクシーから降りた男について

「中村さんの知り合いで私は会ったこともない」

と言い、豊子はタクシーから降りた男は

「夫の中村文洋で、
 奥さん(清美)とは面識がありません」

と供述しているが、知らないはずの清美が
タクシーから降りた文洋と親しげに密談している。

この矛盾を清美はどう申し開きしようというのか。

豊子が逮捕された今、清美の自供は
時間の問題と思われたが
野口の心にひっかかっていたのは
長女のアリバイ供述だった。

顔を伏せたままの清美にまず、野口が切り出した。

「ねえ、奥さん。今から豊子の供述内容を
 読んで聞かせてあげよう。
 本当のことを言ってくれませんか」

だが、清美は押し黙ったまま、顔を上げようとしない。

このとき、捜査員の一人が中村豊子の夫、
中村文洋の写真を野口に手渡した。

「奥さん、タクシーに相乗りしたのはこの男か」

「 …… 」

「この人ですか? はっきりしなさい」

「違います」

「じゃあ、誰なの」

「知らない人なのでよく分かりません」

「奥さん、知らないでは通らない。
 あんたはタクシーから降りた男と
 外で話をしているんでしょうが」

「 …… 」

野口らの追及に

「わかりません」

を繰り返す清美だったが
その表情は苦しげだった。

前夜九時ごろ、取調べから帰宅した清美は
心配して待ち構えていた親族から
豊子の逮捕を聞かされ、事件との関わりを
厳しく問い詰められた。

「私は関係ないから心配しないで」

と、その場をとりつくろってみたものの、
一睡もできず、この朝を迎えていた。

憔悴し、落ち着きのない態度に
なっている清美に野口は
「クロ」の確信を持った。

昼食をはさんだ午後の取調べで
野口と武田は一気に落としにかかった。

「奥さん、ご主人を成仏させてあげなさい」

野口が言った。
 
野口の言葉を継いで武田も

「子供さんの将来も考えてやりなさい」と諭す。

 短い沈黙が流れた。

「すみませんでした。本当のことを申し上げます」

保険金目的の殺人と思われた事件が一転して
「被害者が主犯」という替え玉殺人に変わる
どんでん返しの自供はこうして始まった。

二十八日午後一時過ぎである。

自供のそぶりを見せた清美を押しとどめ

「その前に自供を始める動機を言ってみなさい」

と野口が言った。清美は

「昨夜、警察から帰宅するなり
『お前も事件に関係があるのではないか』
 と親戚から責めたてられました。
 私は『関係ない』と言ったのですが
 もう、これ以上、肉親を
 欺き続けるのが苦しくて …」

と、弱々しく言った。

野口があえて清美に自供の動機を尋ねたのは
ウソの供述で捜査が混乱するのを防ぐためだった。

動機を語る清美の態度や表情、口調などから

「作り話ではなさそうだ」と判断した野口は

「それでは、先を言いなさい」

と、ゆっくりとした口調で促した。
【257】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月24日 12時45分)

【豊子、落ちる】

「中村さん、新聞記者に話したことは本当なのか」

机をはさんで豊子と向かい合った
小倉北署刑事一課の
野口は語気鋭く言った。

豊子は肩を小刻みに震わせ、
視線を机の上に落としたままだ。

短い沈黙のあと、豊子はやっと口を開いた。

「昨夜、お話ししようと思ったのですが、
 奥さんもいますし …
 本当のことを申し上げます。 実は …」

涙も見せず、豊子が事件の一端を自供し始めたのは
野口が取り調べに当たってから三日目の
一月二十七日、午前九時すぎだった。

豊子はこの日午前三時過ぎ、
小倉南区に住む姉の突然の訪問を受けた。

毎日新聞の記者二人が同行していた。

姉は涙ながらに

「みんな分かっているんだから … 
 本当のことを言って」

と諭され、自分と清美、
それに酒井の知人の男の三人で酒井を殺害したと
真偽を織り交ぜて事件の顛末を話した。

この日午前八時ごろ、野口は泊り込んでいた宿舎で
豊子が毎日新聞の記者に

「酒井殺害を告白したらしい」

との情報をうけ豊子が出頭してくるなり、
詰問したのだった。

豊子は「落ちた」

しかし「完落ち」ではなかった。

自供は始めたものの、肝心の共犯関係について最初は

「社長の知り合いの水産関係者と二人でやった。
 タクシーに相乗りした男です」

と主張。清美については

「関係ありません」

と、姉らに証言した清美共犯説を
一転して覆す供述をした。

しかも動機については

「自分はただ、現場について行っただけで知らない」

の一点ばりだった。

だが、落としのベテランの野口が
この供述にだまされるはずはなかった。

野口は考え込みながらボソボソと供述する豊子に
再三、カミナリを落とした。

豊子はそのたびに押し黙り、苦しそうな表情をした。

そして

「実は共犯の男は主人の中村文洋です」

と供述したのだった。

野口は一気に自供内容を調書にとった。

中村豊子「一回目の自供」内容は次のようなものだった。

■夫の文洋は七年前に福岡市の病院から
蒸発したことになっていますが
実は小倉に住んでいます。

住所は知りません。

用事があれば文洋の方から
一方的に電話があることになっています。

一月二十一日も文洋から門司の実家に電話があり

「夕方、北九州有料道路の
 紫川インターまで社長と一緒に出て来い」

と言われました。

約束の場所まで社長と行ったあと、
いったん社長宅まで戻り
社長の運転するスカイラインに
文洋が乗り、私はレンタカーを
運転して星賀港へ出発しました。

途中の松林で社長をバットで殴ってトランクに詰め、
星賀港へ車ごと突き落としたのです。

■動機は知りません。

 文洋に聞いてください。

■奥さんは文洋と面識ありません。
 
 あくまで、文洋と私の二人だけの犯行です。


豊子は事件の粗筋を「自供」したあと、野口に

「すいませんでした」

と何度も頭を下げたが、野口には
どうしても割り切れないものが残った。

動機もそうであったが、タクシーに相乗りした男と
文洋の結びつきが釈然としなかった。

豊子は文洋と清美は面識がない、と言うが
清美はタクシーを降りた文洋と密談している。

これは何を意味するのか。

捜査本部ではこの点を巡っていろんな論議が出た。

だが、結果的にはこの日午後七時三十分、
豊子は殺人容疑で逮捕され、身柄は唐津署へ移される。

そして豊子の自供に基づき、夫の中村文洋に
逮捕状が請求されることになった。
【256】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月24日 12時40分)

【土俵際】

小倉北署で豊子の取り調べに当たっていた野口は
清美が供述した内容の連絡を受けると
それを隠して相乗りした男の招待を追及した。

その瞬間、豊子も顔色が変わった。

「相乗りの男がいたのかどうか、はっきりしなさい」

視線を机に落としたままの豊子に野口がたたみかけた。

ここで野口から清美がすでに

「中村さんの知り合いで
 ヤマダという男だと認めている」

とは具体的には言えない。

任意の供述を引き出したうえ、
清美の供述との矛盾点を追及し、
共犯の疑いの強い男の正体を割り出さねばならない。

豊子は小さい声で「男は乗っていません」と答えたが
その口元はかすかに震えていた。

野口は

「それはおかしいねぇ。奥さんは認めているんだが …
 本当のことを言いなさい」

と語気を強めた。

しかし、豊子は

「奥さんは記憶違いをしています」

「男が乗ったなんて … そんなことはありません」

と頑として認めようとしない。

結局、一時間に及ぶせめぎあいの末、
タクシー運転手の証言などを
突きつけられて豊子が供述したのは

「よく知りませんが、社長の知人で
 水産関係の人ではないか、と思います。
 小倉興産前からタクシーに乗って
 唐津に向かう途中の
 福岡市西区姪浜付近で降りました。
 そのとき、奥さんと外で話しをしていました」

というものだった。

豊子の取調べは午後十一時に打ち切られた。

正体不明の男を巡る清美と豊子の
供述の違いは埋められなかったが
捜査本部の誰もが事件解決に強い自信を持った。

二度目の聴取を終え、
豊子より一時間早い午後十時ごろ、
高田派出所から帰宅した清美は精魂尽き果てていた。

取調べを通じて自分と豊子の間で
タクシーに相乗りした男について
供述に数々の食い違いが出ている。

レンタカーの盗難に関しても矛盾だらけだ。

とりわけ、同乗した男については警察の追及に

「ヤマダという人では …」

などと、その場をとりつくろったものの
いずれはバレるだろう。

現に警察はその男が福岡市内でタクシーを降りた際、
自分と密談していた事実をつかんでいる。

事情を全く知らない長女にアリバイ工作を
頼んだことも清美の心を重くしていた。

二十七日午前零時、不安でいたたまれなくなった清美は
酒井が潜んでいるマンションに電話をかけた。

清美から警察の捜査が進んでいることを
聞かされた酒井の声も動揺していた。

「タクシーの件も三人で乗った、と言いました。
 私が隠しきれないことばかりです」

「中村さんとよく相談してくれ …
 オレはマンションを引き揚げようか、どうしようか」

「私にはわかりません …」

この電話を最後に酒井と清美の接触は途絶えた。

酒井がマンション「パール岡本」
五〇二号室を出たのはこの直後だった。
【255】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月17日 13時31分)

【男は誰だ】

中村豊子と酒井の妻、清美に
二度目の出頭要請がかけられた
一月二十六日の正午前、
読売新聞西部本社社会部の浦岡和明は
小倉北署刑事一課長の石橋照典をつかまえると

「タクシーに乗って唐津署へ
 遺体確認に行ったのは豊子と清美だけか」

と尋ねた。

前夜、小倉北区の第一交通のタクシー運転手から
聞き込んだ謎のベレー帽の男の存在を確認するためである。

運転手の証言が事実とすれば、共犯者を割り出す
重要な手がかりになるだけに

「当然、捜査本部はつかんでいるだろう」

と思ったからである。

しかし、意外にも石橋の返事は

「いまのところ、二人だけだよ」 だった。

顔色や態度から男の存在を隠しているそぶりはない。

浦岡は自分の取材が捜査より
先行している興奮を抑えながら
石橋の反応をみるように言った。

「そうかなぁ … 第一交通では
 二人以外にも男が乗っていた、
 と、言っているんだけど」

浦岡の言葉を石橋は聞き逃さなかった。

これまでの内偵捜査で清美と豊子が
タクシーで唐津署へ向かったことは知っていたが、
二人のほかに男が相乗りしていた、
という事実は初耳だった。

清美と豊子が酒井殺しに関係しているとすれば
この男も共犯者の可能性が高い。

石橋はすぐに捜査員を第一交通へ派遣し、
浦岡の情報の裏づけにあたらせた。

捜査員から「やはり、男が同乗しています」
との報告が入ったのは一時間後だった。

石橋は頭をめぐらせた。

この新情報をどう処理するか。

清美と豊子、どちらに先にぶつけるか。

聞き込みでは、相乗りしてきた男は
福岡市内で車を降りた際、
清美と会話しているらしい。

しばらく考えた石橋は自ら高田派出所へ出向くと
清美と対座していた武田を手招きして外へ呼び、
この新情報を耳うちした。

勢いよく調べ室に戻った武田は
たたみこむような口調で
清美を追及した。

「奥さん、タクシーで唐津へ向かうとき、
 男が乗っていましたね」

全てがわかっているんだ、と言わんばかりの
武田の言葉に清美の顔が一瞬にして青白くなった。

視線を机に落としたまま、顔を上げようとしない。

「どうなんだ」

と語気を強める武田。

その気迫に押されて、清美は
とぎれ、とぎれに話し始めた。

「その男はヤマダという人です。
 中村さんの知り合いで、スナックで
 何度か見たことがあります。
 詳しいことは知りません。
 中背で毛糸の帽子をかぶっていました。
 小倉興産前で中村さんと一緒に
 タクシーに乗りこんできました。
 途中、その人はスナックに立ち寄り、
 お金をとりに行ったようです。
 福岡市の姪浜でタクシーを降りたとき、
 タクシー代として一万円をくれました」

清美の苦し紛れのウソの供述に武田は

「親しくもない男がなんで、
 奥さんにタクシー代を渡すのか」

と、追及した。

清美は青白い表情のまま

「本当に何も知らないんです」

と、繰り返した。

この事件を保険金目当ての殺人事件と
にらんでいた武田は
清美の反応をさぐる意味で

「保険金殺人なんて、
 衝動的にやれるものじゃないしなぁ …」

と独り言をつぶやいてみせた。

清美がこれに反応した。

「主人と中村さんがスナックで保険金殺人の話を
 していたのは聞いたことがあります。
 詳しく聞こうしとたら主人から
 『お前は聞くな』と言われました」

武田はすかさず

「あんたも一枚、かんでいたんだろう。
 どこまでウソをつけば気がすむんだ」

と清美を怒鳴った。
【254】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月17日 13時26分)

【追 及】

一月二十六日朝、豊子は二度目の事情聴取のため、
小倉北署へ出頭する前、清美に電話をかけた。

前日の取調べは生い立ちなどが中心だったが、
捜査員の言葉遣い、態度から

「警察は自分に相当な疑いを持っており、
 いつまでも隠し通せない」

と思ったからだった。

「今から警察に行くのですが、
 社長は死んだことにするのですか。
 どうされますか」

清美は前夜からの不安な気持ちをふり払って
自分に言い聞かせるように言った。

「主人は死んだことにしてください」

「わかりました。今から警察に行ってきます」

豊子に対する事情聴取は
前日と同じ午前九時から始まった。

小倉北署刑事一課の野口警部は
前日の型通りの調べから
一転して、事件の核心を追及した。

レンタカーの盗難、キーの行方、
二十一日夜のアリバイなどである。

「レンタカーのキーはどうしたの」

「篠栗参りを中止したあと、社長宅に戻って
 玄関の土間で奥さんに渡しました」

「キーを抜くとロックがかかるね。
 レンタカーを動かせる人は他に誰かいるの」

「・・・・」

「中村さん、正直に答えてくれませんか」

「奥さんに聴いてください」

「二十一日夜はどうしてました?」

「夜八時ごろ、奥さんのベッドで休みました」

「酒井社長の娘さんは
 『中村さんと母は両親の部屋で
  夜遅くまで話しこんでいた』
 と言っているけど …」

「どうなんですか」

「先ほど私が言ったのに間違いありません」



一方、清美に対する二度目の聴取も
正午から高田派出所で始まった。

唐津署へ遺体確認に向かったときの状況、
酒井が加入していた生命保険金の
内容などが追及の中心となった。

「唐津署から事故の知らせが入ってから、
 どうしましたか」

「近くの建設会社の社長さんに
 小倉興産まで送ってもらいました」

「中村さんは ―――― 」

「門司の実家に着替えをとりにゆく、
 といって家をでました。
 大通りに出てタクシーを拾ったようです」

「小倉興産前で中村さんと
 合流したのは何時ごろですか」

「午前三時半ごろだったと思います」

清美の供述がここまで進んだとき、
調べにあたっていた武田は
「待てよ」と思った。

武田はその二年ほど前に発生した連続放火事件で
酒井宅近くで徹夜の張り込み捜査をした経験があった。

その経験からすると清美の言う
大通り(県道)で午前三時ごろに
流しのタクシーをつかまえるのはまず無理だ。

それに酒井宅から門司区の豊子の実家まで
着替えをとりにいったあと
小倉興産前で合流するのにどうみても一時間はかかる。

第一、豊子は酒井の愛人だ。

一刻も早く、現場に駆けつけたいはずではないか。

清美を見つめる武田の眼光が鋭くなった。
【253】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月17日 13時22分)

【ベレー帽の男】

清美が高田派出所で事情聴取を受けていた二十五日夜、
読売新聞西部本社社会部の警察担当、
上原幸則と大野洋一は
酒井宅から三百メートル離れた
県道沿いにあるタクシー会社を訪ねていた。

上原と大野は朝から酒井宅周辺で
捜査員の動きをマークするとともに
それまでの取材から二十一〜二十二日にかけての
清美と豊子のアリバイが
今後の事情聴取の焦点になってゆくとにらんでいた。

そのアリバイについて、上原と大野はこの日、
清美にインタビューした浦岡から

「清美の話では豊子と二人で自宅からタクシーで
 遺体確認に向かったことになっている。
 ウラをとってほしい」

と頼まれていた。

上原らはもし、清美と豊子が深夜、
タクシーを呼ぶとしたら、
自宅に一番近いタクシー会社しかない、
とみてこの会社に足を運んだのだ。

二人から取材の要旨を聞いた営業所の配車係りは快く
事件発生の二十二日午前零時四十分以降の
営業台帳をチェックしてくれた。

だが、その時間帯に酒井宅から
唐津へ配車した記録はなかった。

念のため、周辺のタクシー会社にも
足を運んだが、結果は同じだった。

それもそのはず。
清美は二十二日午前三時ごろ、
近所の建設会社社長にマイカーで
小倉北区浅野の小倉興産前まで送ってもらい、
星賀港から小倉へトンボ帰りした
酒井、豊子と合流したあと
流しのタクシーを拾って唐津署に向かっていたのだ。

タクシーの割り出しにてこずった上原らは
社会部で清美に取材した内容を
資料としてまとめていた浦岡に

「清美と豊子は近所のタクシーを使っていない。
 流しのタクシーを拾って唐津へ行ったのではないか」

と電話連絡した。

流しのタクシーを使ったとすると、
容易に営業所を割り出すのは難しい。
北九州市内にはタクシー協会加盟社だけで百五十社、
小倉北区内だけでも四十業者にのぼる。

浦岡はとりあえず小倉北区内のタクシー会社に
片っぱしから電話を入れることにした。


偶然だった。


最初に社会部がよく利用している
小倉北区馬借町の第一交通の配車係りが

「そういえば、ウチの運転手が唐津方面に客を乗せた」

と証言した。浦岡はさっそくタクシー会社へ飛び、
運よくこの日出勤していた運転手を
つかまえることができた。

話を聞いてみると女二人のほかに
四十歳前後のベレー帽をかぶった
男一人が相乗りしていた、という。

しかも、その男は福岡市西区姪浜付近で降りたが、
そのとき助手席の女を車外へ連れ出して
何かヒソヒソ話をしていた、というのだ。

顔写真を見せると女二人は
清美、豊子に間違いない、という。

そうすると相乗りしていた男とはいったい誰なのか。

運転手の話では男は午前四時四十分ごろ、
「市場から歩いてきた」と言って
タクシーに乗っている。

服装などからすると福岡から小倉に来た
セリ業者とも考えられる。

いや、待てよ。

タクシーから降りたとき同乗の女と密談しているし
何より、清美らがこの男の存在を
隠していること自体、おかしい。


この男が事件の関係者なのか ――――


正体不明のベレー帽の男が浦岡の頭の中を駆け巡った。
【252】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月17日 13時18分)

【動 揺】

豊子の事情聴取が行われた
一月二十五日午後一時半、
酒井宅に張り込んでいた
読売新聞西部本社、社会部の司法担当
浦岡和明ら数人の報道陣は裏口から出てきた
酒井の妻、清美にインタビューを申し込んだ。

清美は繰り上げ初七日の法要を終え、
高田派出所に出頭するところだった。

清美は浦岡らの取材にこう答えた。

「主人は十八日に家を出たまま帰っていません。
 確か十九日夜八時ごろ、主人から
 『顔を殴られて目のあたりにアザができた』と
 電話がありました。
 暴力団からリンチされたのだと思います。
 犯人の心当たり?
 そうですね。
 水産業者が暴力団を使って
 殺したとしか思えません。
 暴力団員たちは私たちを脅して、
 強引に土地の名義変更をしようとしたのです」

浦岡らは実名をあげて、ことさら
暴力団の犯行だ、と強調する清美に
疑問を抱きながら、水産業者ら
関係者の取材にとりかかった。

報道陣の取材を受けた清美は
その足で高田派出所へ出頭した。

派出所では小倉北署刑事一課の武田が待機していた。

武田は前夜、酒井宅を訪れて
焼香した際の清美の言動が気になっていた。

焼香のあと「聞き込み捜査用に …」と
酒井の写真の提供を申し出たとき、清美が

「主人は写真嫌いだったのでありません」

と断ったからだ。

「清美は何かを隠そうとしている」

武田は清美に不審を抱いたまま、取調べに臨んだ。

武田はまず、清美に出生地を尋ねた。

「本籍は福岡県田川市 …」

清美の口調ははっきりしていた。

武田はすかさず

「この調子で素直に供述してください。
 ウソを言うと顔にでますよ」

とクギを刺した。

清美はあくまで参考人だが、
追及のポイントは豊子と同様、
二十一日の行動に重点が置かれた。

清美の供述内容は口裏を
合わせていた豊子とほぼ同じだった。

清美が武田の追及を受けていたころ、
酒井宅では長女からの事情聴取が行われていた。

清美、豊子の二十一日から二十二日にかけての
アリバイの裏づけをとるためだった。

清美は警察の事情聴取を予想して事前に長女へ
二十一日は清美と豊子が酒井宅に
いたように証言するよう、言い含めていた。

長女は事情が飲み込めないまま、初めての聴取で
清美から言われたとおりに供述した。

「二十一日夜八時ごろ、
 中村さん(豊子)が来ていたので、
 両親の部屋を覗くと、母と中村さんが
 ベッドに腰をかけて
 深刻そうな話をしていました。
 内容はわかりません。
 邪魔になるといけないので、
 その場を離れ、十一時ごろ、休みました。
 父の死を聞いたのは近所の奥さんからです」

長女にアリバイ工作をして
取り調べに臨んだ清美だったが、
初日の聴取は延々九時間近くに及び、
午後十一時すぎに帰宅したときは
心身ともに疲れきっていた。

眠ろうとしても眠れず、不安にかられていた清美に
マンションに身を潜めていた酒井から電話が掛かってきた。

二十六日午前二時ごろである。

「中村さん(豊子)も頑張りよるから、お前も頑張れよ」

「私の知らないことばかり聞かれるので、
 どうしていいか、わからないわ」

「とにかく、頑張り通せ」

居間には清美のほかに何人かが起きていた。

電話の相手が誰なのか、悟られてはならない。

清美は声を押し殺して

「もう、逃げられない。自首してください」

と訴えるのが精一杯だった。
【251】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 12時55分)

【ダークグレー】

福岡県警の二人の捜査員が
酒井宅を訪れたのと同じ時刻、
北九州市門司区の中村豊子の自宅にも
小倉北署への出頭要請が届いた。

二十二日の通夜以来、
連日新聞で事件が報道されているのは知っていたが
読む勇気もなく、ふさぎこんでいた豊子は動揺した。

午後十一時すぎ、不安でいたたまれず
豊子は清美に電話する。

「マンションに電話工事をした人に
 社長が顔を見られているといけないから
 奥さんから部屋を出るよう、言ってください」

「ここは人目が多いのであなたが電話して …」

翌二十五日、豊子は小倉北署へ出頭する前に
喪服姿で酒井宅を訪れ焼香した。

そして、清美に

「二十一日はここ(酒井宅)にいたんよねえ」

と話しかけた。

清美は親族ら周囲の目を気にしてか
「はい」と短く答えた。

通夜の席で話し合い

「二人で篠栗参りをする予定だったが、
 豊子の体調が悪くなり
 酒井宅に泊まった」

というアリバイ工作の念押しだった。

小倉北署二階の刑事課取調室で豊子と対峙した
捜査一課警部の野口は眼鏡越しに豊子を凝視した。

豊子は薄化粧の頬が落ち、目だけがギラついていた。

野口はゆっくりとした口調で促した。

「最初にあなたの生い立ちや酒井社長と
 知り合ったいきさつについてお聞きします。
 知っていることは正直に述べてください」

生い立ちや酒井と知り合って
活魚店で働くようになったいきさつなど
型どおりの調べが進んだ。

豊子の態度に変化が現れたのは星賀港で事件が起きる
前日の一月二十一日のアリバイに及んだときである。

伏目がちに供述する豊子の口数が一段と少なくなった。
何かを考えるように二、三十秒押し黙ることもあった。

ベテランの野口がこの変化を見逃すはずはなかった。

物静かな口調だが、ポイントを踏まえて
たたみかける野口に
豊子は懸命にアリバイを主張した。

豊子の供述の要点は

(1)二十一日は午後二時ごろ、清美が借りた
 レンタカーを運転して二人で
 篠栗参りのため酒井宅を出た

(2)途中、小倉北区砂津あたりで
 胃の調子が悪くなり
 清美宅へ引き返した

(3)レンタカーのドアはロックし、
 キーは玄関の土間で清美に渡した

(4)二十二日午前三時ごろ、
 清美のベッドで寝ていると
 清美から「主人が佐賀で死んだ」と起こされた

(5)レンタカーの盗難は遺体確認から
 戻って清美から知らされた

などであった。

豊子の事情聴取は午前十一時過ぎに終わった。

野口は取り調べを受ける豊子の態度などから
クロの心証を抱いた。

まだ、何一つ確証らしきものはつかめていないが
共犯の一人ではないか、という強いものだった。
【250】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 12時57分)

【妻の疑惑】

清美の供述を基に捜査本部が調べた
酒井と暴力団幹部とのつながりは
以下のような内容だった。

昭和五十四年(1979年)暮れから翌年一月にかけて、
資金繰りに困った酒井は
知り合いの水産業者から
約四千五百万円を借金した。

うち、二千五百万円は五十五年九月末までに
返済する約束だったが、酒井は支払えなかった。

そこで水産業者は酒井が
分譲マンションを建設する予定で
取得していた小倉北区西港の土地を
担保に取り上げるため
自分名義にするようもちかけ、暴力団幹部に頼み
清美から名義変更の白紙の委任状を
取り立てた、というものだった。

しかし、仮に暴力団幹部が酒井を殺害したとなれば
債権の回収は不可能になり、元も子もなくなる。

そればかりではない。

捜査本部は清美の供述の
裏づけ捜査をしてゆく過程で
重要な事実をつかんでいた。

それは酒井が借金の担保として
長女が受取人名義となっている
生命保険証書をこの水産業者に預けている旨の
念書を書いていたこと、
さらに清美と子供二人を受取人にして
四億一千万円の保険に加入していた ―― などである。

レンタカーの不自然な盗難届とともに清美は
酒井殺害の動機を持つ女として浮かび上がった。

暴力団幹部に濡れ衣を着せようとする清美の供述は
逆に自身への疑惑を招いてしまうこととなった。

福岡県警の捜査本部は一月二十五日から
関係者への本格的な事情聴取を始める方針を固めた。

対象人物は酒井の妻・清美、愛人の中村豊子、
レンタカーの契約名義人である清美の弟、
酒井水産の従業員、取引業者など計十人。

まずは全員から星賀港で事件が発生した前日の
二十一日を中心にしたアリバイが
追及されることになった。

出頭場所は小倉北署と管内の派出所で、
時間は豊子が午前九時から、
清美はこの日が繰り上げ初七日の法要日にあたるため、
法事が終わった午後二時からと決まった。

清美の取調べには小倉北署刑事一課、
巡査部長の武田清澄、
豊子は県警捜査一課警部の
野口真澄が担当することになった。

二人は前日の二十四日午後九時、酒井宅を訪れた。

清美に高田派出所への出頭要請を
するための顔つなぎであった。

武田と野口は居間の祭壇に香典を供え、焼香した。

今にも話しかけてきそうな
柔和な笑みを浮かべた酒井の遺影。

かたわらでは喪服姿の清美が泣き崩れている。

お悔やみの言葉をかけたあと、
二人は清美や親族と雑談した。

「犯人について何か心当たりは …」

問いかける野口に清美は変わらず

「主人は暴力団にやられたのです」

「主人は電話で『暴力団からリンチを受けた』と
 話していました」

と、繰り返した。

「清美を調べれば必ず犯人を割り出すことができる」

土砂降りの雨の中を帰署する二人の心境は同じだった。
【249】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月12日 08時48分)

【死者の電話】

二十四日午前九時、福岡県警も
小倉北署に捜査本部を設けた。

佐賀県警より、まる一日遅れての看板だったが、
「被害者」の酒井の居住地が
北九州市で交友関係の中心が
福岡県内である以上、座視しておくわけにはいかない。

現に清美の弟からレンタカーの不自然な盗難届が
所轄の高田派出所に出され、
そのキーの行方も二転、三転している。

事件の発生現場は星賀港だが、今後の裏付け捜査、
酒井の生前の交友関係の洗い出しなどから
県境を越えた広域捜査体制が敷かれた。

その広域捜査本部が設置された
一時間半後の午前十時半、
酒井が潜伏していた福岡市西区愛宕のマンション
「パール岡本」五〇二号室に外線電話が引かれた。

酒井は部屋に電話が引かれるのがもどかしかったのか、
その日午前零時すぎ、公衆電話から
自宅に電話を入れ、清美と会話した。

「葬式は無事に済んだか。香典はいくらあった」

「百五十三万円ぐらいです」

「二十五日には銀行に振込み先がある。
 百五十万を中村さん(豊子)に渡してくれ。
 これはすぐに戻ってくるから」

「わかりました。お位牌にも
 戒名をつけてもらいました」

「からだに気をつけて、がんばれよ」

替え玉殺人を犯して香典の額を気にし、
その中から金繰りの指示をする。
酒井は生きながら、すでに金によって殺されていた。

五〇二号室の電話工事が終わると、
酒井はさっそく豊子と清美に電話し番号を教えた。

この日午後、酒井宅には続々と報道陣が詰めかけた。

不自然な盗難届、二転、三転するキーの行方
佐賀県内での検問でのナンバーチェック・・・

レンタカーのマークIIを巡って
捜査本部が酒井の周辺人物に
捜査の網を絞っているのをキャッチしたからである。

酒井宅の玄関には鍵がかけられ、
時折出入りする親族や
酒井水産の従業員たちも
報道陣には硬く口を閉ざしていた。

清美はこの夜、自宅の子供部屋の電話から
酒井のマンションに電話を入れた。

「中村(豊子)さんがお金を取りに来て、
 またすぐ、持ってきました。
 レンタカーの件で弟が何度も警察に行き、
 困っています」

「できたこと(レンタカーを海へ投棄したこと)は
 仕方ない。
 辛抱してくれ。子供に会いたい」

二分足らずの会話だったが、
清美には酒井がマンションから一歩も出られず
孤独と不安にかられているのがよくわかった。

そのころ福岡、佐賀両県警の捜査本部では
清美が遺体確認後に唐津署で
供述した内容に疑問を持ち始めていた。

その供述内容は

「小倉北区の水産業者の指示で地元の
 暴力団幹部が主人を殺害したとしか思えない」

という内容だった。

聞き込み捜査の結果、
清美が名前を挙げた二人は実在し、
土地の名義変更手続きを巡って暴力団幹部が
清美から白紙の委任状を入手していたが
二人とも犯行当日にアリバイがあったのである。
【248】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 12時41分)

【検問カード】

酒井宅で替え玉にされた男の葬儀が
営まれていた二十三日午後、
唐津署の捜査本部はにわかに活気づいていた。

小倉北署高田派出所へ出された
清美の弟のレンタカー盗難届に基づいて
県下各署の検問カードを点検したところ、
盗難にあったとされるコロナマークIIと
同一ナンバーの車を星賀港での事件が起きる
一時間前の二十一日午後十一時四十分ごろ、
唐津署管内でチェックしていることが
判明したからである。

チェックのきっかけは、
たまたまこの日の夜十時ごろ、
佐賀市内で発生した「病院荒し」の
事件がきっかけだった。

この病院を狙った窃盗事件は
警察庁指定「広域十二号」犯の犯行で
佐賀市内では一月九日夜にも
「病院荒し」が発生していたため
佐賀県警では事件発生と同時に
県下各署で検問を実施していた。

検問場所は東松浦郡浜玉町淵の上にある
レストラン付近の国道202号線。

福岡県境から一・五キロ、
唐津寄りの地点である。

検問が始まったのは午後十時半ごろだったが、
「広域十二号」犯が県外に逃走する懼れがあったため
実施されたのは上り線が主体で
下り線はナンバーチェックだけだった。

検問が始まってから一時間十分が
過ぎた午後十一時四十分すぎ、
福岡方面から時速六十キロほどのスピードで
唐津方面に向かうコロナマークIIがチェックされた。

チェックを始めて二十七台目だった。

このマークIIを運転していたのが中村豊子で
トランクに替え玉の死体を乗せて星賀港に向かう
酒井のスカイラインを追尾しているときだった。

検問カードの総点検で捜査本部は色めき立った。

高田派出所への盗難届によって
酒井の身内が借りていたレンタカーが
星賀港での加害車両と推測される車と
同じ車種のコロナマークIIで
そのキーの行方を巡る疑惑が浮上したこと自体、
捜査上、大きな進展だが、
これだけでは酒井の周辺人物と
現場を「点」で結ぶ状況証拠でしかない。

しかし、レンタカーのナンバーチェックは
時間や場所からしてこの車が
犯行に使われたことを裏付ける重要な資料となる。

いわば捜査が「点」から「線」へと
大きく前進したことを意味する。

レンタカーは誰が運転し、同乗者がいたのかどうか。

そのレンタカーを借り出した清美の弟や
「借り出させた」酒井の妻の清美は
この事件にどう、からんでいるのか。

二十三日午後、佐賀県警察本部で開かれた
佐賀、福岡、長崎各県警の合同捜査会議では
レンタカーを巡って数々の疑惑が報告された。

捜査の網は確実に絞られていった。
【247】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 12時38分)



【事件のキー】

レンタカー会社の営業所へ裏付け捜査に向かったのは
小倉北署の刑事一課警部補の満島吉次と
唐津署刑事課の古賀健一だった。

満島らが営業所長から清美とその弟からの
電話内容を詳しく聞いていたころ、
清美の弟は再び高田派出所を訪れていた。

盗難届けの受理証明書をもらうためである。

派出所では二人の巡査が応対した。

しかし、弟の説明は相変わらず要領を得ない。

そればかりか、前夜はレンタカーのキーについて
「付いていたようだ」と言っていたのに
今度は「付いていなかった」と
前言を撤回したのである。

すでにマークIIが海底に投棄されていることを
知らない弟は清美、豊子の言われるまま、
前言を訂正したのだが、
これが二人の巡査だけでなく、
捜査本部の疑惑を招く結果となった。

その疑惑とはこうである。

もし、キーが付いていない車を盗むとしたら
エンジンを直結させるか、牽引するしかない。

しかし、エンジンを直結するとしてもマークIIの場合
キーを抜くとハンドルはロックされる。

では、他の車両を使って牽引したのか。

酒井宅は新興住宅地で近くに大型スーパーもある。
そんな人目につく場所で牽引や
積載してレンタカーを盗むものがいるだろうか。

結局、高田派出所の巡査二人は
盗難届証明書を発行せず、
清美の弟の二度目の届出内容を小倉北署に報告した。

清美の弟はその足でレンタカーの営業所を訪れた。

刑事一課の満島らは営業所長から
事情聴取を続けていたが、
車を借り出した当の本人が現れたことを知って
三メートル離れた更衣室に身を潜めた。

そしてカウンターをはさんでやりとりする
二人の会話に耳をそばだてた。

「キーはどうしていたの」

「車に付けたままです」

「あなたは唐津に車で行かなかったのですか」

「タクシーで行きました」

「だったら、家に出入りするとき、
 車があったかどうかわかったのでは …」

「葬儀の準備やらで、バタバタして
 姉さん(清美)は気付かなかったと思います」

「酒井さんが借金のカタに暴力団か
 誰かに車を渡したのではないですか」

「そうじゃないと思います。
 もう一度、よく姉に確かめてみます」

このとき清美の弟は営業所長から延長料金として
二万二千五百円を請求されたが

「今、持ち合わせがないので、
 夕方、必ず持ってきます」

と言って帰宅した。

満島らの捜査結果は直ちに
唐津署の捜査本部に伝えられた。
ことにキーの行方が
最大の疑惑として浮かび上がった。

この疑惑はこの日午後六時ごろ、清美の弟が

「祭壇の後片付けをしていたら見つかった」

とキーを提出したことで一層、深まった。
【246】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月10日 14時43分)

【盗難届】

高田派出所は国鉄南小倉駅から
南へ一キロの県道沿いにある。

清美の弟は当直の派出所員に

「姉に頼まれてナンバー 
 <北九州 55  わ 3●1> の
 コロナマークIIを借りたが
 二十一日午後五時から二十三日午前二時にかけて
 小倉北区熊谷一丁目の路上で盗まれた」

と届け出た。

だが、警察官から盗まれた状況を詳しく聞かれても

「キーは付けたままだと思う」

「最後に誰が乗ったのかは分からない」

とあやふやなことしか答えられない。

警察官から「よく調べて、朝方にも出直してください」と言われ、
いったん引き揚げることになった。

その朝が明けた小倉北署二階、刑事課。

三課長(窃盗担当)の松原秀雄は席に着くと、
管内の各派出所から毎朝九時前に
上がってくる盗難届けをチェックしていた。

高田派出所からの通報記録を目にしたとき、
松原はハッとした。

星賀港の事件での被害者とされている
酒井の身内からの車両盗難届けだったからだ。

松原は急いでその記録を隣の
刑事一課長の石橋照展に渡した。

石橋が記録を受け取ったのと刑事一課の電話に
有力情報が飛び込んできたのはほぼ同時だった。

情報は小倉北区美萩野の
レンタカー会社からもたらされた。

この会社の営業所長は出勤して間もない
午前九時前、部下が取り次いだ電話に出た。

かけてきたのは酒井の妻の清美である。

始めのうち

「新聞でご存知と思いますが …」

と切り出した女の話に状況がよくのみこめなかったが、
盗難状況をあれこれ聞くうち、
電話の相手は星賀港での
変死事件の被害者の妻と分かった。

清美に代わって電話口にでた弟に営業所長は

「警察に正式な盗難届けを出し、
 受理証明書をもらってきてください」

と言ったあと、キーの所在や
盗まれた時間などを聞いた。

相手の返事は

「キーは付いたままだったみたい」

「気がついたのは夜中だったので」

と曖昧な返事ばかりである。

そのとき、すでに営業所長の手元には
星賀港の事件の続報が掲載されている
朝刊が届けられていた。

見出しは「脱サラ社長の不審死 他殺の線強まる」とある。



■二十二日未明、北九州市小倉北区熊谷一の五の十三、
酒井水産社長、酒井隆さん(四二)が
佐賀県東松浦郡肥前町星賀港岸壁わきの
海中に沈んだ乗用車から死体で見つかった事件は
頭に鈍器で殴られたような傷があったことから
他殺の疑いが強まり、唐津署は酒井さんの足どり捜査や
関係者からの事情聴取を進めている。

<中略>

また、その後の調べで酒井さんが乗っていた
ニッサンスカイラインは酒井水産の
女子従業員のものと分かったが、
後部に追突されたらしい傷跡には
黒っぽい塗料が付着しており、
転落現場の岸壁にはコロナマークIIの
ものらしい尾灯片やスリップ痕が残っていた。



レンタカー会社の営業所長からの
電話内容を部下から報告を受けた
刑事一課長の石橋は直ちに捜査員を営業所に走らせた。

石橋はこのとき「事件の解決は間近だ」と確信した。

有力情報は小倉北署へ派遣されていた捜査員を通じて
唐津署の捜査本部へと伝えられた。
【245】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月03日 13時25分)

【濡れ衣】

佐賀県警の鑑識班が加害車両の
割り出しを急いでいた
二十二日午後八時すぎ、
北九州市小倉北区熊谷町の酒井隆宅では
通夜の準備が進んでいた。

遺体は解剖中ということでまだ戻っておらず
葬儀社の社員や親族が右往左往するなかで
レンタカーのマークIIの所在を巡って
騒ぎがもちあがっていた。

発端は唐津署での事情聴取を終えて
帰ってきた酒井の兄、勲が

「中村さん(豊子)が疲れているので、家まで送る。
 レンタカーは何処ね」

と切り出したことから始まった。

レンタカーのマークIIは酒井の指示で
清美が実弟に頼み小倉北区美萩野の営業所で
二十一日午後六時から
二十四時間契約で借りていた。

清美は酒井からこのマークIIを星賀港で
スカイラインを突き落とすのに使ったあと、
小倉北区板櫃川河口岸壁に
捨てたことを聞かされていた。

困った清美はとっさに

「家の前に止めていたけど・・・」

と、とりつくろった。

しかし、勲の長男が外へ出て捜し始め、
どこにも見当たらない、という。

二人のやりとりをそばで聞いていた豊子が
清美に「盗まれたことにしなさい」と
耳うちして入れ知恵した。

豊子は酒井がレンタカーを捨てたあと、
立ち寄ったスナックで
「レンタカーは盗まれたことにしろ」と
指示されていたからである。

見つからないレンタカーをあきらめた勲は
別の車で豊子を門司区の実家に送り、
清美も通夜の慌ただしさにまぎれて
ウソの盗難話を切り出せないでいた。

その間にレンタカーの盗難の話は弔問客の間に広まり、
騒ぎは大きくなっていった。
通夜に集った親族らが手分けして捜し始めた。

そのころ、レンタカーを借りた名義人である
清美の実弟は解剖を終えた遺体に付き添い、
他の身内二人と車で小倉に向かっていた。

もちろん、自分が借りたレンタカーのことで
騒ぎがもちあがっていることは知らない。

日付が変わった二十三日午前零時半、
遺体と一緒に酒井宅に帰りついた清美の弟は
たちまち、周囲から消えた
レンタカーについて問い詰められる。

「どこにおいたんかね」

「あんたのことだから、
 買い物に行って駐車場に置いたのを忘れて
 タクシーで帰ったのでは」

清美の弟は驚いた。

まったく身に覚えのないことである。
驚くとともに、おかしい、と思った。

酒井の死後、いくらも時間が経っていない。

清美にすれば気が動転して他のことなど
考える余裕などないはずだ。

それがしきりにレンタカーの
ことばかり、気にしている。

なぜなのか。

清美の弟は疑惑と同時に不安な気持ちにかられてきた。

レンタカーのマークIIは金策に行くという
豊子のために借りてやっただけでなく、
契約時間を過ぎても返しにこないことを
レンタカー会社からの問い合わせで知り、
二十二日午後六時まで時間の延長を頼んでいた。

もし、盗まれたとなれば自分が
責任を負わされることになりかねない。

清美の弟は実家に帰った後、
再び通夜に現れた豊子を連れ出し、詰問した。

豊子の返事は

「門司の実家に置いていたところを盗まれた」

というものだった。

いよいよ不可思議だった。
清美は「自宅の前にあったところを盗まれた」と言っている。

全く相反する二人の言い分。

事前に盗難場所をどこにするかまで、
打ち合わせわしていなかった二人が
その場まかせでウソをついてしまったためだった。

合点がいかぬまま、清美の弟は親族の助言で
二十三日午前二時半ごろ、酒井宅から約三百メートルの
小倉北署高田派出所にマークIIの盗難届けを出した。
【244】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月03日 13時20分)

【鑑 識】

事件捜査で現場鑑識ほど重要なものはない。

犯人自身が気付かぬ遺留品が
事件解決の決め手となることが多いからだ。

そして、それは裁判上の物証となる。

星賀港でも入念な鑑識捜査が行われた。

酒井隆と中村豊子は一月二十二日午前零時三十分ごろ、
替え玉の男を乗せたまま岸壁に引っかかった
スカイラインの後部をレンタカーのマークIIで
追突させ、海中に突き落としたが、
その際、岸壁に二台の車の部品などが散乱した。

現場で採取されたのは後部のナンバープレートを
縁どっているモールティングのほか、
バックランプのレンズ、
テールランプの破片や塗料片などであった。

わずか数ミリの塗料片から二センチ大の
プラスチック片など合計百数十点にのぼった。

当初、当て逃げ死亡事故とみていた
唐津署交通課長の田中らはこうした採取物から

「スカイラインを突き落としたのは
 五十三年型のトヨタ系普通乗用車、
 それもコロナマークIIではないか」

との見当をつけた。

田中は裏付けのため、採取した部品の破片などを
佐賀県警鑑識課、科学調査官の
小池敏幸に分析を依頼した。

小池は鑑識畑三十年のベテラン。

さっそく技官や鑑識課員十数人と
加害車両の割り出しにかかった。

車種や型式を割り出すためには
塗料片を顕微鏡で拡大し
断層や色調を分析したり、
溶剤で塗料の種類を調べたりしてゆく。

国内の自動車メーカーが通産省(当時)に
届け出る部品などの型や種類は年間約八千件。

同じコロナでも八十種類もの型式があった。
特に塗装を何度も繰り返している
中古車の場合、塗料片の分析は慎重を極める。

しかし、星賀港での採取物には
捜査陣にとってお宝が含まれていた。

プラスチックのテールランプの破片にわずかながら、
型式番号が読み取れる破片がふくまれていたのだ。

二十三日午前、小池調査官は交通課長の田中に

「加害車両は五十三〜五十五年型のコロナマークII」

と報告した。

続いて小池らは鑑定データを基に
加害車両、マークIIの損傷予想図を制作、
これは福岡県警にも電送された。

その予想図は後日、北九州市小倉北区の海底から
引き揚げられたマークIIの損傷と
寸分も違わない正確なものだった。
【243】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月03日 13時17分)

【疑念の恐怖】

勲や従業員は妻の清美と愛人の豊子が遺体を
きっぱりと酒井であることを確認したことで
次第に自信がなくなっていった。

とくに遺体の腹部にあった盲腸の
手術痕が判断を狂わせた。

酒井には盲腸の手術痕があり、
それも右脇腹ではなく、
腹部の中央にある珍しいケースであることを
本人から聞いて知っていた。

遺体の手術痕も偶然、同じ位置にあったのである。

勲は後日、この時の模様を
知人に次のように語っている。

「暴力団らしい男が借金の取立てのため、
 隆を付けまわしていたのは知っていたし、
 債権のもつれでリンチを受けた
 可能性は否定できなかった。
 髪も水に浸かっているうち直毛のようになり、
 顔つきも変わったのでは、と考えたりした。
 それに遺体が隆ではないとすると、
 もっとほかのとんでもないことが
 背後に隠れているような気がして、
 遺体が隆であったほうがいい。
 そのほうが厄介なことにならない、
 と自分に言い聞かせてしまった」

結論からいえば兄、勲の見立て通り、
遺体の陰にはとんでもない
黒い罠が仕掛けられていたのである。

唐津署の柔道場での遺体確認を
なんとか切り抜けた
清美は従業員らにむかって

「北九州に早く戻って葬儀の準備をするよう」
 
指示した。

清美、豊子、勲の三人は引き続き
唐津署で事情聴取を受けた。

この中で酒井のもとにしつこく
債権の取立てに来ていた暴力団の話が出た。

唐津署の調べは遺体の確認が終わったことで

「酒井を殺したのは誰だ」  に絞られた。

勲の長男と酒井水産の従業員二人は
ひと足早く、車で引き返す。

「遺体は清美の言うように
 本当に酒井だったのだろうか」

三人の疑念は消えない。

特に豊子の態度は解せない。

遺体確認の場で豊子はほとんど黙っていた。

泣き崩れることはおろか、
涙ひとつ見せず終始、落ちついていた。

一方の清美はうなだれ、肩を落とし
夫の急死に打ちしおれているように映った。

時々ハンカチを目に当てる。

勲が「しっかりするんだよ」と声をかけたほどである。
このとき、清美はうつむいて力なくうなずいている。

しかし、その実態は酒井と豊子の
凶行の果てに突然、見も知らぬ人物の
傷ついた遺体を見せられたことへの恐怖、
そして遺体確認という犯行の片棒を担いでしまった
自分の行為の恐ろしさ、これらの思いが
ごっちゃになって錯乱していたのである。

唐津署での三人への事情聴取は午後六時すぎに終わり
勲の運転する車でそろって酒井の自宅に向かう。

清美は終始、沈んだ表情で黙っていたが、
豊子は前夜からの疲労と一時的に緊張から解放された
安堵感で後部シートにもたれかかり
ぐっすりと寝込んでいた。

三人が北九州市小倉北区熊谷町の
自宅に着いたのは午後九時を回っていた。

すでに酒井の親族や知人が
集り葬儀の準備が進んでいた。

喪服に着替えるため、清美は奥の部屋へと入った。

豊子も着替えるため門司区の実家に向かった。

このころ、酒井宅の玄関わきの部屋では
唐津署で遺体を見た従業員ら
七、八人が集り、小声で話し合っていた。

遺体を見た従業員がみんなの意見を聞いているうち、
酒井以外の誰かが、酒井として殺された、
という疑念が次第に現実のものとして
全員の頭の中で組み立てられ始めていた。

酒井がその犯行に加わっている、いないは別にして
殺人事件の可能性は高い。

そうすればへたに騒ぐことはできない。

どこかにいる犯人が

「一人殺すも、二人殺すも同じこと」

として従業員にまで、手をだすかもしれない。

集った全員が遺体の疑問点には
沈黙を決め込むことにした。

異様な雰囲気の中で替え玉の遺体が到着し、
通夜が始まった。
【242】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年04月03日 13時12分)

【対 面】

やがて酒井水産の従業員二人も唐津署に駆けつけた。

この四人は清美の指示に従わず遺体と対面した。

遺体は星賀港から唐津署別館
二階の柔道場に運ばれていた。

二十二日午前二時からの遅番の当直副主任だった
警備係長の中原と交通課長の田中が
清美と親族、従業員ら六人を案内した。

全身リューマチに悩む清美は
階段の昇り降りが苦痛である。

痛みでゆっくりと上がったため、
柔道場に着くのが一番遅くなった。

遺体のそばで勲らがひと足早く確認を始めている。
上がり口のところでブーツを脱いでいた
清美のところに豊子が急いでやってきた。

「みんな、社長じゃないように言っています。
 早くきて」

清美は痛む足をひきずるようにして遺体に近づいた。

遺体は柔道場の中央に頭を北に向けて
仰向けに寝かされていた。
服装は胸にワンポイントのマークの着いた
長袖シャツにスラックス。
かたわらに「酒井水産」のネームが入った
紺色のブレザーがあった。

最初に顔を見たのは勲である。

かがんで遺体の顔にかかっていた
白布をとり、のぞき込んだ。
目をそむけたくなるようなむごい表情である。

頭部は陥没し、目の付近は腫れあがって
鼻骨が潰れている。

勲は傷のひどさに驚きながら瞬間的に

「これは隆じゃない」

と思った。

そばにいた長男に声をかけた。

「これが隆か、違うじゃろう。のう、違うじゃろう」

長男ものぞきこんでやはり
叔父の酒井じゃないと感じた。

間もなく、そばに清美がやってきた。

警備係長の中原が後方にいた清美を呼んで

「顔に傷がありますが、ご主人かどうか、
 よく確かめてください」

と確認を促した。

ショールをかぶり、コートのえりを
立てながら清美が前に出る。

息をひそめる勲たち。

清美は体をフラフラさせて
床に崩れかかり、豊子に支えてもらいながら

「主人に間違いありません」

と言った。

しかし、遺体のそばにいた酒井水産の
従業員二人も勲親子と同様、
遺体を見て、酒井ではない、と感じる。

酒井は髪にパーマをかけ、あごひげも濃く、
剃りあとが青々としていたのに
遺体の髪は直毛でひげもパラパラとまばらだった。

さらに酒井は腕時計をしない習慣だったが
遺体の手首にはデジタル時計をはめている。

従業員らは髪の毛の具合や時計の不審な点について
ブツブツつぶやきながら盛んに首をかしげている。

豊子がこれを聞きつけた。

清美に顔を寄せて

「腕時計のことを聞いてるよ」

とささやいた。

立ち会っていた中原が従業員らの
疑問点について質した。

「御主人は腕時計をしていましたか」

ここで清美はうまく話しを合わせる。

「はい、四、五日前からしていました」

そして「パーマはかけていましたか」の問いに
豊子が「この一ヶ月はかけていなかったよね」と
清美に相槌を求めるように答えた。

清美と豊子のウソは続いた。

しかし、あまり長い間、遺体を勲らに見せておくと
新たな疑問が発見されそうである。

その場をとりつく演技もいつまで
通用するかわからない。

清美がすかさず

「すみませんが、毛布をかけてください」

と中原に声をかけた。

遺体のすぐわきにいた勲が清美の口調に
押されたかのように毛布を遺体にかぶせた。
【241】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 12時10分)

【疑惑の波】

酒井水産の専務で酒井隆の実兄、
勲は二十二日午前三時すぎ、いつものように
小倉北区西港町の中央卸売市場に向かった。
八人の従業員も顔をそろえていた。

酒井水産は資金がなく、産地から買い付ける
本来の業務はストップしていたが
これまでの取引パイプを切らないようにするため、
他の業者が市場内で仕入れた魚介類を
よその市場に運ぶ仕事を細々と続けていた。

市場の駐車場には酒井水産の保冷車があった。

星賀港から戻った酒井がレンタカーの
マークIIを板櫃川河口の岸壁から落すため
この保冷車を持ち出していたことなど、
誰も知るはずもなかった。

午前三時四十分、
セリ場に向かおうとしていた
勲のところに妻が長男の車で駆けつけた。

星賀港の事故の連絡だった。

「社長が海に落ちて死んだらしい」

と息せききって、伝える妻を見て、兄の勲は
酒井が自殺したと思った。

自宅にとって帰った勲は作業衣を着替えて
長男の運転する車で佐賀に向けて出発した。

事故が起こった星賀港へ行けばいいのか、
唐津署に行けばいいのか
二人ともわからず、とにかく車を走らせて
途中から妻に電話を入れ
新しい情報を得ることにした。

車の中で勲は

「隆は自殺したに違いない」

と確信めいたものを抱いていた。

酒井水産の経営が行き詰っている中で隆が

「自殺して保険金で借金を返そう。
 いい死に場所はないだろうか」

と冗談とも本気ともつかぬ口調で
言っているのを何度か聞いていた。

経営にしろ、遊びにしろ、
思い切ったことを平気でやる弟だった。

「あいつなら自殺もやりかねん」

運転席の長男も同じ見方だった。

「自分のやりたいようにやってきた
 叔父さんのことだから
 自分で決着をつけたのに違いない」

と考えていた。

九州自動車道、直方パーキングまで来たとき、
勲は自宅に電話を入れる。妻からは

「遺体は事故現場から唐津署に移すので、
 警察に向かったほうがいい」

との返事だった。

弟・隆の死は間違いないように思えた。
あとは少しでも早く遺体を確認して
別れを告げなければならない。

勲は運転を代わると重い気持ちで
アクセルを踏み込んだ。

冬の空が明けた午前七時、勲らが唐津署に到着した。

勲は着くとすぐに遺体との面会を申し入れた。

しかし、当直明けの署員は

「奥さんの清美さんが来るのをお待ちください。
 これは奥さんの希望ですから」

と断った。

     
妻の清美がまだ来てない?

勲は不審に思った。

一報はまず清美の許へ入っているはずだろう。
どうして、まだ着いてないんだ。

清美と豊子を乗せたタクシーが
唐津署に着いたのは五十分も後だった。

ここで勲らは二度目の不審を抱く。

なんと愛人の豊子が一緒じゃないか。

「豊子が生きている。いつも一緒で
 夫婦以上の仲と思えたのに
 隆は豊子を残して一人で死んだのだろうか」

生きているなら妻と愛人は
真っ先に駆けつけるべきじゃないか。
何をぐずぐずしていたんだ。

しかも会ったとたん、清美の口からは
信じられない言葉が出た。

「ここは私たちだけでいいから、
 みなさんすぐ帰ってお葬式の準備をしてちょうだい」

清美らにしてみれば、替え玉殺人が
ばれないようにするため
必死の思いだったに違いない。

だが「すぐに帰って」は
あまりにも不自然、不用意だった。
【240】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 12時05分)

【アリバイ】

二人はタクシーを拾い、門司区原町の
豊子の実家に向かった。

豊子が犯行時に着ていた服を着替えるほかに
星賀港に転落させたスカイラインについて
警察から電話があったかどうか、
確かめるためでもあった。

清美をタクシーの中に待たせて
豊子が家の中に入ると母親が起きていて

「警察から電話があって、社長が亡くなったので
 電話してほしい、ということだったよ」

と心配そうに話した。

奥の部屋で着替えている間にも母親は

「会社の人からも電話があったよ。
 すぐ警察に電話したら」

とせかした。

だが、豊子は無言で家を出た。

タクシーの中にいた清美は
ラジオが午前四時の時報を告げたのを聞いた。

門司から小倉興産前までタクシーでとんぼ返りした
豊子と清美はここでアリバイ工作について話し合った。

男を若松競艇場から誘い出し、
酒井と二台の車に分乗して小倉を出発した
前日の二十一日のアリバイである。

「奥さん、二十一日に私が家にいなかったことは
 どういうふうにしたらいいでしょうかね」

「二人で篠栗さん(福岡県糟屋郡の霊場)に
 お参りすることにしていたけど、
 からだの具合が悪くなってやめたことにしたら」

「二十一日の午後二時ごろから
 奥さんのところにいたことにしてね。
 奥さんのところで事故を知ったことにしてください」

「夜は長女もいるけど、
 長女にもちゃんと言っておくから」

豊子は清美の機転に納得したのか、
その後も清美やその長女が
警察から事情聴取されてもアリバイ説明を
してくれるとすっかり安心したようだった。

二人がアリバイ工作の話を
しているところへ酒井がタクシーで乗りつけた。

三人は別のタクシーに乗り換え、
約五百メートル離れた
小倉北区堺町のスナックに向かった。

酒井と豊子が共同出資した店で
替え玉殺人を謀議したとされる場所である。

時刻は午前五時になろうとしていた。

合鍵でスナックの中に入った酒井は清美にまず、
北九州市八幡東区の清美の実弟宅に電話をかけさせた。

車で唐津まで送ってもらう
つもりだったが、弟は不在だった。

次に酒井の兄、勲宅へ。

電話口に出た勲の妻はすでに勲と長男が一緒に
唐津署に遺体確認のため出発したことを伝えた。

酒井はあわてた。

肉親が見れば本人でないことはすぐばれる。

酒井は清美に唐津署に電話を入れさせ

「今、博多から電話しています。
 義兄(にい)さんらが先に
 そちらに向かっていますが
 私たちが着くまで遺体の確認を待つよう、
 伝えてください」

といった内容のことを言わせた。

清美が唐津署から事故の一報を受けてから
すでに二時間以上が経っている。

酒井はこのあと豊子と清美に

「レンタカーは盗まれたことにしろ」

「二人ともきのうから一日中、家にいたことにしろ」

など、こまごまと指示した。

酒井は「男の腕時計が心配だ」とも言った。

腕時計はデジタル式で酒井が
服を着替えさせる際、
衣類とともに外そうしたが
なかなか外れなかったので
そのままにしていた。

とにかく酒井にとっては
まだまだ細かい打ち合わせを
しなければならないことがあったが
時間は刻一刻と経過してゆく。

タクシーもかれこれ三十分近く待たせたままだ。

「早く行かなくては」

という清美に酒井は

「死体は身内に見せるな。お前たち二人だけで見て、
 絶対に主人だと言い通せ」

と念を押し、三人でタクシーに乗り込んだ。

唐津へ向かう途中、酒井だけが
隠れ家の福岡市のマンションで降りた。

妻と愛人という奇妙な組み合わせを
乗せたタクシーは唐津署へひた走った。
【239】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 12時00分)

【隠 滅】

清美から事件発覚を聞かされ、酒井は動転していた。

ただ一つの救いは警察が星賀港の海中から
見つかった死体を酒井と思っていることである。

あとは少しでも早く事後処理にかからねばならない。

酒井はこれまでの経過を詳しく
聞こうとする清美の声を遮って声を高めた。

「日明西口の電停近くにいるんだが
 タクシーがつかまらない」

「レンタカーはどうしたんですか」

「キズが付いたので処分する」

「レンタカーは事件には使わない、
 という約束だったでしょう」

清美がレンタカーにこだわったのは、
マークIIを清美の実弟夫婦に頼んで
レンタカー会社から借り出させていたからである。

実弟夫婦には今回の犯罪計画は
一片も打ち明けていない。

このままだと、実弟夫婦まで
共犯者と疑われるかもしれない。

清美はそのことをしきりに案じていたのだ。

一方、酒井は清美の弟のことなど、
つゆほども考えていなかった。

「詳しいことはあとで話す」

「九交タクシーに電話を入れて回してくれ」

「お前は四時までに小倉興産前に来い。
 そこで豊子が待っているから」

と一方的に指示した。

酒井が待ち合わせ場所に指定した「小倉興産」は
国鉄小倉駅裏の浅野町にある七階建てビルである。

清美との電話を切った酒井はかたわらの豊子に

「このまま小倉興産前へ行ってくれ。
 清美が待っているから」

と告げた。

日明西口電停と小倉興産ビルとの距離は約三キロ。

豊子は一人で歩き出した。

豊子の後ろ姿を見送っているところへ
清美が差しまわした九交タクシーがきた。

酒井はタクシーに飛び乗ると、
北九州卸売市場に向かった。

市場の駐車場には酒井水産の保冷車が置いてある。

タクシーを捨てた酒井は保冷車を運転して、
まっすぐマークIIがひっかかった
板櫃川の河口へ戻った。

星賀港と同じく、保冷車をバックさせ
後部をマークIIに当てて海中に落とした。

この夜二度目の転落音を聞いたとき、
酒井は全身から汗が噴出しているのを感じた。


小倉興産前路上で清美と合流した
豊子はその場でマークIIのキーと
レンタカー会社の借用書を清美に渡した。

マークIIのキーは酒井が板櫃川河口の
岸壁から車体を落そうとした際
車から引き抜き、豊子に預けていた。

清美に渡したのは酒井から

「清美に会ったらキーと借用書の
 指紋を消しておくよう伝えてくれ」

と言われていたからだった。

清美は受け取ったキーと
借用書をコートの内ポケットにしまった。

胸が高まり、殺人の経緯については
豊子に尋ねる余裕がなかった。
【238】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 11時57分)

【発覚の驚愕】

証拠になる遺留品を次々に海岸線に捨てたあと、
二人は犯行前に隠れ家として借りていた
福岡市西区愛宕のマンション
「パール岡本」に立ち寄った。

午前二時を回っていた。

寝静まったマンション横の暗がりにマークIIを止め
エレベーターで502号室へ。

部屋に入った豊子は急いで右手の親指や左の手のひら、
さらに右そでに付いた男の血をふきとり、
酒井はズボンとシャツを着替えて手を洗った。

時間にしてほんの二、三分。

豊子は

「社長はここにいた方が安全。私一人で帰ります」

と部屋を出ようとしたが
酒井は「俺も一緒に帰る」と聞かず、
二人でマンションを出た。

北九州市小倉北区の北九州道路
紫川インターまで来た時、酒井は

「レンタカーがあると犯行がばれるので海に捨てる」

と切り出した。

うまくスカイラインを落せなかった今となっては
レンタカーは最大の証拠品である。
絶対に処分しなくてはならない。

酒井が「ここから海へ落とす」と言ったのは、
国道199号を通って小倉北区西港の
板櫃川河口まで来たときである。

豊子が車を降りた。

見守っていると、再び「ガタン」と音がして
マークIIが星賀港と同様、
岸壁の縁石にひっかかって停まっていた。

走ってきた酒井は

「また、失敗した。別の車を使わなくては …」

とあわてている。

一刻も早く次の行動に移らなければならないのに
タクシーを拾える場所ではない。

電話ボックスもなかった。

二人は一キロほど歩いて
西鉄戸畑線の日明西口電停に出た。

酒井は公衆電話を見つけると自宅の清美に電話した。

午前三時半だった。

自宅でじりじりとしていた清美は電話にとびついた。

受話器から聞こえてくるの
はまぎれもなく夫の声である。

「唐津署から電話がありましたよ。
 あなたが事故で死んだ、という連絡でした」

清美の話に酒井は愕然とした。

もう、事件が発覚している。

計画では星賀港に落とした車から
替え玉の死体が見つかるのは数日後と考えていた。

その間に今後の逃亡生活について
新たな計画を練るつもりだった。
それが現場から北九州に戻る
途中に死体が発見されている。

どうしてこんなに早く発覚したのか。

酒井は星賀港でスカイラインを海に落とした直後
岸壁の向こうに車のライトが見えたことを思い出した。

あの車が発見したのか。

きっとそうだ。

そして、逃走の途中、すれ違った
パトカーは星賀港の住人からの
通報で現場に向かっていたのだろう。

当時はパトカーに停止を求められないよう祈るだけで
ほかのことを考える余裕のなかった酒井だったが、
清美の話を聞いてこれまでの出来事が一本の線に結ばれ
自分たちが急速に追いつめられているのを感じた。
【237】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 11時54分)

【怨念の風】

星賀港から地区の住人や釣り人に
運よく姿を見られることなく
間一髪、逃げ出した酒井は北九州市に向け、
レンタカーのコロナマークIIをフルスピードで走らせた。

助手席では豊子が顔をひきつらせている。

二人はひと言もしゃべらなかった。

一秒でも早く、
一メートルでも遠く
現場から離れよう。

二人の胸の中はこの思いだけだった。

マークIIが現場から急発進した直後、
海に突き落としたスカイラインが釣り人に発見され、
唐津署が動き出したことを二人は
もちろん、まだ知らない。

逃げることに夢中な酒井は運転も乱暴になり、
岸壁だけでなくあちこちに
犯行の足跡を残してゆく。

二十二日午前零時四十分、
岸壁から一キロほどの県道わきの住人は
トイレに起きたとき、車が何かに
ぶつかるような音を聞いた。

翌朝、住人が玄関前に出てみると
拡幅工事のため、道路わきに
置いてあった作業用の
コンクリートブロックと
赤色標識灯がはじき飛ばされていた。

路面にはくっきりと急ブレーキをかけた
タイヤ痕が残っていた。

ブロックをはじき飛ばし、さらに逃走を続けた酒井に
このあと肝をつぶすようなことが起きた。

前方からパトカーが赤色灯を回し
サイレンを鳴らしながら走ってきたのである。

星賀港に向かうパトカーだった。

豊子はパトカーを見て

「もうダメ、犯行がわかってしまう」

と一瞬、観念した。

マークIIは星賀港の岸壁で
後部をスカイラインにぶつけて
海に落とした際、トランクが壊れて
ふたが開いたままになっていた。

酒井もそれに気付いていた。

だが、車をとめてふたを閉める時間すら惜しかった。

少しでも遠くへ現場から離れたい、
という一心でハンドルにしがみついていた。

もし、パトカーに停止を命じられたら
犯行を隠し通せないだろう。

だが、パトカーはマークIIの
異常に気付かず通り過ぎてしまう。

酒井は豊子に

「こっちへ引き返してこないか、後ろを見とけ」

と命じた。しかし、開いたトランクが
邪魔になって後方の視界は見えない。

パトカーをやり過ごしたあと、
酒井は狂ったようにアクセルを踏み込んだ。

唐津市内に入った。

ここからは市街地で検問の恐れがある。

酒井はやっとガソリンスタンド横にマークIIをとめ
急いでコードとロープを使い
なんとかトランクのふたを閉めた。

再びマークIIは深夜の道を疾走した。

福岡県糸島郡二丈町まで来た。

ここは星賀港のある肥前町と酒井が男を殴りつけた
福岡市西区今津のほぼ中間付近にあたる。

玄界灘に沿って東西に国道202号が走り、
海岸線は起伏に富み、
ところどころに崖がそそりたっている。

酒井はこの二丈町で遺留品を処分した。

まず後部座席に積んでいた男の衣類を入れた
黄色いプラスチックの箱と金属バットを
高さ七メートルの崖から海岸線に向かって捨てた。

約一キロ走ったとき、
酒井は「まだ、あった」と車を止め
運転席と助手席の間にはさまれていた
男のメリヤスのシャツを海岸に向かって投げ捨てた。

強い風にあおられ、シャツは道路まで舞い戻ってきた。

酒井はそれを見た瞬間、
替え玉にされた男の怨念を見たような気がした。
【236】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 11時50分)

【妻】

唐津署の中原が酒井隆の名刺に
刷り込まれている電話番号を回したのは
午前三時に近かった。

呼び出し音が数回したあと、すぐに女性が出た。

酒井の妻の清美である。

「もしもし、酒井さんのお宅ですか」

「はい、そうですが …」

「こちらは佐賀県の唐津警察署ですが、奥さんですか」

「はい …」

「奥さんは中村さんという方が所有している
 赤の日産スカイラインを知っていますか」

「主人が乗って出ています」

清美は酒井からあらかじめ言われていたままに答えた。
冷静に応対したつもりだったが

「夫と中村さんはとうとう殺人を決行したに違いない」

と思うと受話器を持つ手が小刻みに震えた。

「佐賀県の星賀港というところで
 事故を起こしたようです。
 ご主人は家を出る時、どんな服装でしたか」

しばらく沈黙したままの清美に
たたみかける質問だった。

「茶色のコールテンジャンパーを着ていました」

清美は酒井が指示した言葉を
思い出しながらゆっくりとしゃべった。

「黒か紺のブレザーを着ており、
 ポケットに名刺がたくさんありました。 
 お気の毒ですがご主人は亡くなられました。
 すぐ唐津署まできてください」

電話を切ったあと清美の頭はしばらく混乱していた。

酒井は「遺体には茶色のジャンパーを着せておく」と言ったはずだ。

だが、今の警察からの連絡では
「黒か紺のブレザーを着ている」という。

事前の話と違う。

ひょっとしたら、夫は誰かを身代わりにして
殺すようなことはせず、
計画を変更して自殺したのではないか。

そうだとすると、殺人という恐ろしい行為に
誰も手を染めずにすんだことになる。

それにしても、一緒だったはずの
豊子はどうしたのだろうか。

清美は気持ちの整理がつかず、
酒井か豊子のどちらかが
連絡してくるのをじりじりとしながら待った。

このころ、星賀港の現場では交通課長の田中らが
車内から見つかった死体の顔が
ひどく傷んでいることに気づいた。

「死体の顔の傷は車が海中に転落しただけでは
 生じないほどのひどいものである」

という報告が唐津署に届き、
刑事課員の出動が要請された。

署内は一段とあわただしくなった。
【235】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月27日 12時23分)

【当 直】

佐賀県警唐津署は佐賀市の北西五十キロ、
唐津市と事故現場の星賀港の中間に位置している。

管轄は東松浦郡北部、一市五町と
県下十署の中で一番広い。

署員、百四十人。

風光明媚な土地柄、
凶悪事件の発生は少なく
おだやかな観光地――というのが
地元住民の自慢である。

一月二十一日から二十二日未明にかけても
唐津署管内では目立った事件、
事故は発生していなかった。

この夜当直副主任だった警備課係長の中原重幸は
午前一時すぎ、無線の声か飛び交う
あわただしい動きに仮眠室で目を覚ました。

当直室の無線受信機から
パトカー乗務員の報告が次々と流れてくる。

「星賀港に車が転落」

「一人が死んでいる模様」

「状況から当て逃げ事故と思われる」

星賀港の岸壁には二種類の車の塗料片のほか、
テールランプのカバーの破片も散乱していた。

ところが海中から引き揚げられたのは
スカイラインだけである。

パトカー乗務員は

「車に何かぶつかる音がしたあと急発進の音を聞いた」

という住人の聞き込みから
当て逃げ事故と直感したのだった。

当直主任の警備課長、稲富峰男は無線の内容を
帰宅していた交通課長の田中喜久治に電話で連絡した。

田中は迎えにきたパトカーで直接、星賀港へ向かった。

死亡事故の場合は時間、場所を問わず
交通課長自ら現場で捜査の指揮をとる。

自宅を出たのが午前一時半、
現場に到着したのは二時ごろだった。

ちょうど岸壁では地区の住人たちが、
海中に沈んだ車をクレーンで
引き揚げようと懸命の作業をしていた。

やがて岸壁に車が引き揚げられ、
田中交通課長の指揮のもと、
新たな報告が唐津署に入った。

車内に男の死体があり、
上着のポケットの名刺入れから
「酒井隆」の名刺四十枚が見つかった。

「事故車両のナンバーは【北九州 56  な 9●】
 確認、照会されたし」

小倉北署からまもなく回答がきた。

ナンバーによると車の所有者は
北九州市門司区原町別院九の一
「中村 豊子」

当直副主任の中原が
これらの資料をもとに
酒井の名刺にあった電話番号をダイヤルした。
【234】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時58分)

【浮 上】

転落事故の話は周辺の住家に次々と広がった。

酒井が替え玉にしたてた男を
岸壁から突き落とした現場は
あまりにも集落に近すぎた。

星賀地区の住家は約百戸。

丘から下った海沿いの狭い平地
にぎっしりと軒が並び、
その家並みが切れたところが岸壁になっている。

深夜で人通りがなかったとはいえ、
酒井は家並みの目と鼻の先で犯行に及んでいた。

それだけに酒井がレンタカーのマークIIを使って
スカイラインを突き落とした音を
何人もの住人が聞いていた。

近所の主婦は

「車がブロックをこするようなゴトゴトという音」

を聞いたあと「ドーン」という衝突音と
車の急発進の音も聞いていた。

連絡を受けた家では夫が岸壁に向かい、
妻や子供たちが隣人を起こすため走り回った。

松尾が数分後に現場に引き返したとき、
車は波に揺られて傾きを増し
間もなく、前輪がもやい網から外れて
ゆっくりと沈み始めた。

岸壁にはすでに
三十人以上が集まっていた。

その中にドライブ帰りに近くのスナックで食事をし、
騒ぎを聞いて駆けつけた肥前町の建設作業員がいた。

海面から海底までは二、三メートルぐらいしかないのか
沈んでいる車体が見える。

作業員は服を着たまま海中に飛び込んだ。

しかし、水圧のためドアは開かない。
海水は身を切るほどに冷たい。やむなく陸にあがった。

そのとき、近くに住むクレーン船会社の
従業員が駆けつけてきた。

すぐ船に乗り移り、ロープを海中に
垂らして車体にひっかけた。

ロープを甲板のウインチにつなぎ
ゆっくりと巻き上げる。

車体が海面に姿を見せ始めた。

運転席の窓からハンドルに
もたれかかるようにしている男の姿が見えた。

顔も手も動かない。

ゆっくりと岸壁に下ろす。

赤いスカイラインだった。

時計は午前二時に近かった。
【233】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時47分)

【発 覚】

星賀港は肥前町の西端、というより
佐賀県の西端に位置している。

岸壁に立つとすぐ近くに長崎県の鷹島が見える。

唐津市から車で約一時間。

漁船のほか、中、小型の貨物船、
タンカーも出入りする。
L字型の岸壁の端が、鷹島とを結ぶ
フェリーの発着場である。

酒井はかつてこのフェリーに乗って鷹島に渡り、
ハマチの買い付けを行っていた。
捜査でいうところの【前足】がある。

星賀港を選んだのは酒井なりの計算だった。

酒井と豊子が星賀港から逃走を始めた直後、
唐津・東松浦広域市町村圏組合の消防士、
松尾誠ら二人は軽乗用車で岸壁沿いの道を走り、
星賀地区の家並みに近づいていた。

酒井がスカイラインを岸壁から
突き落とした直後に見たのは
この軽乗用車のライトだった。

松尾はこの夜、知人とともにフェリーの桟橋付近で
二時間ほど夜釣りをして帰る途中だった。

釣果はゼロ。
  
冷え込みがきつく他に釣り人の姿はなかった。

前方の暗闇に二筋の光があるのに、
助手席の松尾が気付いた。

「おやっ、船が着いているな」

松尾は一瞬、こう思ったあと、視線をすぐ沖に向けた。
車は岸壁に向かって七百メートルほど進んだ。

海上の二筋の光もどんどん近づいてくる。

まもなく、車は急カーブを切って
星賀地区の家並みに方向を変えようとした。

そのとき、松尾はおかしなことに気付いた。

二筋の光を発しているはずの船の影、
形がみえてこないのだ。

船というよりは車のようなものが
海上に浮いているように見える。

岸壁の照明灯は弱く、ぼんやりと暗い。

松尾は以前、釣り仲間から

「星賀港のあたりは深夜になると
 慣れないドライバーだと岸壁から落ちる危険がある」

と聞かされていたことを思い出し、
とっさに運転していた知人に車を止めさせた。

松尾の予感は的中していた。

照明灯と月明かりに透かしてみると、
五メートルほど離れたところに
停泊中のクレーン船から岸壁まで伸びたもやい網に
前輪をひっかけた車が海面から浮いていた。

岸壁から海面までの高さは二メートル。

車はもやい網の真ん中にひっかかって、
左側に傾きはじめている。
フロントガラスが割れて中に人影が見えた。

男か女かわからない。

松尾が「おーい、おーい」と大声をあげた。

「うーん、うーん」とうめき声が聞こえてきた。
耳を澄まさないとわからないほどの
かすかな声だったが、
松尾ら二人ははっきりと耳にした。

「おーい、車から出てこんねぇ〜」

松尾が叫ぶ。

二人は手助けを頼むため、
付近のまだ明かりのついている
家にむかって走り出した。
【232】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時54分)

【偽装事故】

替え玉に仕立てあげた男にブレザーを着せたのは
当初の予定とは違う行動だった。

酒井は若松競艇場から誘い出した男を
スカイラインに乗せて自宅に寄った際
美容院から帰宅途中の清美と出くわし

「茶色のジャンパーを着せとくからな」

と耳うちしている。

遺体確認の際、警察から酒井の着衣の
特徴を尋ねられてもすぐ、答えられるよう
事前に手がかりを与えたわけだが、
それをブレザーに変更したのは

「ブレザーの方がいつも自分が
 着ていることを清美だけでなく、
 従業員もよく知っていたから」

だった。酒井死亡の一報が必ずしも
妻の清美に入るとも限らない。

酒井は焦っていたが、
とっさにそれだけのことを考える余裕があった。

殺害計画をなんとしても成功させねばならない。
そのことが酒井に恐怖心を忘れさせていた。

男が着ていた衣類は事前に
トランクに入れて用意していた
黄色いプラスチック製のパン箱に入れ、
マークIIの後部座席に運んだ。

着衣の着せ替えが終わると、
酒井は男の両脇を抱えて
スカイラインの運転席に座らせた。
ここでも豊子は男の両足を入れるのを手伝った。

酒井は運転席に替え玉を乗せると、
自分は助手席に乗り込み
身を乗り出すようにしてハンドルを操作しながら
下り坂の町道をゆっくりと星賀港に向かった。

スカイラインはオートマチックなので
アクセルを踏み込むだけで動くが、
死体を運転席に乗せての
「助手席からの運転」は
酒井にとっては一世一代の賭けのような
汗だくの出来事だった。

人が歩くほどのゆっくりとした
スピードで坂を下るスカイライン。

後ろを豊子のマークIIが追う。

星賀港に着いたのは日付が変わった
午前零時半ごろだった。

酒井は岸壁から二十メートル手前の
道路端にスカイラインを止め
豊子はその手前の曲がり角にマークIIを止めた。
あたりに人の気配はない。

マークIIを降りて近づいてきた豊子に
酒井は窓ガラス越しに
身振り手ぶりで「Uターンしろ」と合図した。

マークIIに戻った豊子は
いったん岸壁に出て、方向転換した。
岸壁に向かう酒井のスカイラインとすれ違った。

豊子は背後で「ガタン」と何かに車体がぶつかって
こすれるような音を聞いた。

酒井はスカイラインの助手席に乗り、
運転席で虫の息になっている
替え玉の男に身体を預けるようにしながら
必死になってハンドルとアクセルを操作した。

海に向かって走り、岸壁がフロントガラスの
視界から切れた直後
助手席から飛び降りた。

しかし、酒井がアクセルから
早く足を離したため、車は減速してしまい
前輪が岸壁から落ちただけで、
車体は途中でひっかかってしまった。

豊子が聞いたのはこのときの音だった。

まもなく酒井が豊子のところへ走ってきた。

「どけ!」

酒井は豊子をマークIIの助手席に乗せると
一気にバックし始めた。
マークIIの後部をスカイラインに当て、
海に突き落とすのだ。

タイヤをきしませながら
マークIIはスカイラインにむかってバックした。

ドーン、という衝突音。

助手席の豊子は身体をすくめ、怯えきっていた。

直後、酒井はいきなりスピードをあげて、
来た道を引き返し始めた。

岸壁の向こう端に車のライトが見えたからだった。
【231】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時38分)

【替え玉工作】

凶行がいつごろ終わったのか、
豊子には正確な時間はわからなかった。

おそらく二十分以上は経っている気がした。

男をスカイラインに詰めると、
酒井は豊子を助手席に乗せ西ノ浦へと引き返した。

男を襲う前、置きっぱなしにした
マークIIに豊子を乗せかえるためである。

車中で二人は押し黙ったままだった。

酒井は男を殴った凶器のバットや
石、血のついた手袋を途中の杉林に捨てた。

西ノ浦の広場に着くと豊子にマークIIを運転させ、
自分はスカイラインのハンドルを握って出発した。

深夜の国道202号を、一路、星賀港に向かう。

途中、酒井はトランクから異様な
音がするのを聞いてギョッとした。

金属バットと石でめちゃめちゃに
殴って殺したはずの男が
トランクの中で逃げようとして暴れていたからである。

タオルと紐で首を絞めたうえ、
あれほどバットで殴りつけても
立ち上がって組み付いてきた男である。

酒井はその強靭な生命力に慄然としていた。

追尾するマークIIの豊子の表情も
すっかりこわばっていた。

「とうとう、やってしまった。
 このあと社長と自分はどうなるのだろうか」

そう思いながら一刻も早く現場を去りたい、
という気持ちでいっぱいだった。

どういうところをどう走って、どこへ行くのか

酒井のスカイラインを追尾するので精一杯だった。

仮死状態の男をトランクに詰めた
酒井のスカイラインは午後十一時半ごろ、
佐賀県唐津市の市街地を通って
東松浦郡肥前町の星賀港に着いた。

が、まもなくUターンして
一キロ離れた高台に向かった。

替え玉の男に自分の衣類を着せるためだった。

豊子のマークIIもこれを追う。

星賀港を避けたのは港の入り口付近にある
スナックにまだ灯がともっており
人の気配があったからだ。

着せ替え場所として選んだのは
星賀港から東へ一キロの農道だった。

南はミカン畑、北側は荒れ地。
民家はなく、物音ひとつしない。

酒井は車をバックで農道に入れるとライトを消した。
マークIIで追いついた豊子もライトを消す。

車から降り、ゆっくりと農道へと歩く豊子の目に
スカイラインのトランクから
ぐったりした男の両脇を抱えて
引きずり出す酒井の姿が映った。

男を道端に仰向けに寝かせ、後部座席から
グレーのポロシャツを持ち出した酒井は
豊子を見ると「着せ替えろ」と命じた。

言われるまま、豊子は男を横向きにして
とっくりセーター、シャツを頭から脱がせ、
ポロシャツを着せた。

この間、酒井は自分がはいていたカーキ色のズボン、
紺色のジョギングパンツを脱ぎ
豊子に男の腰を持ち上げさせて、
下半身の着替えを終えた。
さらに酒井が靴下と紺色のブレザーコートを着せた。

豊子が酒井から渡された
黒の革靴を履かせよう、としたとき
男の足が豊子を蹴るようにピクッと動いた。


「まだ、生きてる …」


豊子は全身の血が引いてゆくのを感じた。

あえぐように息を吸いこんだ。
からだが小刻みに震えていた。
【230】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 12時51分)

【殺 害】

突然、ウーン、ウーンと苦しそうなうめき声がした。

豊子が助手席を見ると、男の首にタオルが巻かれ、
右肩に白い紐が、掛っていた。

後部座席の酒井がタオルとひもで首を締め上げている。

次の瞬間、男は助手席のドアを開けて
車の外へ転がり出た。

酒井が飛び出し、あとを追う。

豊子が外へ出ると、男はスカイラインのそばで
うつ伏せになって倒れていた。

酒井の姿はない。

豊子は思わず、男の首に巻きついた
タオルと紐を外そうとした。

「どけ!」

いつの間にかそばに来た酒井が叫んだ。

野球の金属バットをふりかざした
酒井の姿を見たのと同時に
豊子は男の足元に突き飛ばされていた。

「やめて、やめて!」

豊子の絶叫が静まり返った松林に響いた。

酒井が男めがけて狂ったように
バットを打ち下ろしているのが
月明かりを通してわかった。

五回、六回 …

頭を叩く鈍い音。

突き飛ばされた豊子の右肩にも
容赦なくバットが当たった。

殴られた男も必死になって立ち上がると
酒井と共にもつれるようにして砂地に転がり込む。

酒井が再びバットを振り回す。

再度倒れた男に馬乗りになって首を絞めようとした。

男も必死になって抵抗した。

砂の斜面を転がりながら
逃げようとする男の体が豊子に当たり
今度は男と豊子がもつれ合いながら
松の根元にぶつかってとまった。

ここでも男はよろめきながら酒井に組みつこうとした。

酒井がフルスイングした一撃が
男の側頭部に当たった。

グシャッ という潰れた音がして
男は倒れ、動かなくなった。

酒井は西ノ浦の広場で拾って
後部座席に隠していた石を持ち出し
男の顔に何度も叩きつけた。

動かなくなった男の両脇を
背後から抱えて車まで引きずっていった。

「足を持て」

二人がかりで男はスカイラインの
トランクに積み込まれた。

べっとりと血にまみれた男の顔が一瞬、
月明かりに浮かび
豊子の足は震えが止まらなかった。
【229】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月12日 13時31分)

【砂の罠】

午後十時、二台の車は福岡市西区今津の
玄海国定公園の元寇防塁碑前にさしかかった。

周囲は松林の砂地。

ここで豊子のマークIIのタイヤが砂に埋まり、
立ち往生してしまうアクシデントが起きた。

松林に乗り入れた直後、Uターンしてきた
酒井のスカイラインを追尾しようと
急ハンドルを切った際、
タイヤが砂にめりこんでしまったのだ。

酒井は人気のない松林で男を殺害しようと乗り入れたが
カップルが乗った乗用車を見つけたので、
あわてて引き返してきていた。

酒井はスカイラインのトランクにあったひもを
マークIIの後部バンパーにかけて
引き揚げようとしたが、
すぐにひもは切れてしまった。

カップルもトラブルに気付き、
引き揚げ作業を手伝った。
しかし、タイヤは砂に深く埋まったままだった。

酒井は仕方なく一人でスカイラインを運転して
近くの民家からロープを借りてきて十分後、
なんとかマークIIを砂地から脱出させた。

このとき、酒井は作業を手伝ってくれたカップルに
お礼として九州自動車道の売店で買った
菓子箱三個のうち、二個をお礼として渡した。

この間、スカイラインの助手席に
乗っている男はどうしていたのか。

豊子はこのアクシデントの最中に、
男が車から降りてくる姿を見ていない。

スカイラインはマークIIを引き揚げる際、
エンジンをかなり噴かしており、
手伝ったカップルの話し声も聞こえたはずである。

にもかかわらず、
男はスカイラインに乗ったままだった。

男は鞍手サービスエリアで
酒井から渡されたジュースに入っていた
睡眠薬の効果で深い眠りに入っていたのである。

マークIIの引き揚げ作業に使った
ロープを民家に返したあと、豊子は再び
酒井のスカイラインを追尾して
福岡市西区西ノ浦の広場まで来た。

時計の針は午後十時を回っていた。

酒井はスカイラインのドアをゆっくりと開け
豊子のマークIIに近づいてきた。

「(スカイラインを) 運転せい」

言われるままに豊子はマークIIを降りて、
スカイラインに移った。

助手席の男はとっくりセーターに
カーディガンを羽織ったまま
首を前に傾けて、うつら、うつらしていた。

酒井が後部座席に乗り込んだ。

豊子は「ここで男をいよいよ殺すのか」
と思うと、鼓動が高まり、
ハンドルを握った手が汗ばんでいるのを感じた。

が、その広場では何事も起きなかった。

酒井が

「ロープを借りた家に
 土産を持ってゆくのを忘れたので戻れ」

と切り出したからだ。

一瞬、緊張から解放された豊子は
ホッとしながらアクセルを踏んだ。

しかし、それも束の間だった。

再び元寇防塁碑前に来たとき
酒井は急に「止めろ」と指示した。

スカイラインに乗り換えた西ノ浦から南へ四キロ、
国道202号から海側へ約三キロ入った地点である。

先ほどのカップルの姿はなく、
周囲に人影は全くなかった。

惨劇が始まったのはこの直後だった。
【228】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月12日 14時31分)

【擬 餌】

酒井が運転するスカイラインを
豊子はマークIIで追尾した。

車間距離は二十メートル、速度は四十キロ。

珍しく割り込む車もなかった。

北九州市八幡東区中央町の
割烹料理店に着いたのは午後六時半ごろだった。

豊子には初めてだったが、
酒井は何度か訪れたことがあるのか
先に立って一番奥に席をとった。

着物姿の女店員が持ってきたメニューを見ながら
酒井は「なにがいいですか」ともちかけた。

男は遠慮がちに

「なんでもいいですから」

と言った。

初対面の人間に競艇のスポンサーになってもらったうえ
夕食までごちそうしてもらい、
すっかり恐縮している風だった。

酒井はミニ会席(七品)二人前とビール二本を注文した。

イカの刺身や天ぷらなどの料理が運ばれ、
酒井は男にビールをすすめた。

ここでも二人は競艇談義に花を咲かせた。
酒井は自らファンを装って、
レース話に熱中してみせた。

男は酒井の人柄にすっかり魅かれた様子で
楽しげにビールのグラスをあけた。

七千円の勘定をすませ、
三人が割烹料理店を出たのは午後七時を回っていた。

酒井は着々と進んでいる計画に
豊子が動揺していることを察知し、再度

「いいか、しっかり後ろからついてくるんだぞ」

と耳うちした。

男を乗せ、豊子のマークIIを従えたスカイラインは
大谷インターから北九州道路経由で
九州自動車道に入り、福岡方面へと向かった。

まもなく、スカイラインは
鞍手サービスエリアの駐車場へと入った。

エリアでは酒井だけが車から下りた。

時間にして約二十分。

この間、酒井は売店に立ち寄り、
銘菓「雪うさぎ」三箱と缶ジュースなどを買い、
男にジュースを豊子には板チョコを渡した。

そして公衆電話から妻の清美に

「あすの朝七時までに阿翁(長崎県東松浦郡)の
 水産業者に
 『七時ごろそちらに着くから』と
 電話を入れてくれ。
 今、高速にいる」

と、連絡、指示した。

この業者とは以前から取引があり、
阿翁に行くフェリーも星賀港から出ている。

清美に電話をかけるよう指示したり、
手土産と見せる銘菓を買ったのも
替え玉発覚を防ぐ、酒井の偽装工作だった。

酒井はここでも豊子のマークIIに歩み寄り

「遅れんよう、ついてこい」

と念を押した。

スカイラインは再び走り出し、
福岡東インターを下りると
国道202号を西に向かった。
【227】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月12日 13時23分)

【愛 人】

中村豊子は酒井隆と知り合ってから
大きく人生が変わった。

夫が入院していた福岡市の病院から蒸発して以来、
一人娘と一緒に北九州市門司区の実家に
転がり込んで生きてきた。

娘の成長だけを考え、裁縫業や
和菓子店に勤めて貯金に励んだ。

その豊子の人生は三年前、
酒井が小倉北区で経営していた
炉端焼き「和」に勤めるようになってから、
少しずつ狂ってゆく。

行方不明の夫を待つ【貞淑な妻】は「和」に勤め始めて
三ヵ月後には酒井と関係を持ってしまった。

ルージュが濃くなり、マニキュアもするようになった。
もともと顔立ちがいいから化粧栄えがする。
やがて男たちの視線をいつも感じる女になっていった。

酒井の妻の清美は全身リウマチの持病があり、
酒井との夫婦関係はないのも同然、
といういきさつもあった。

豊子は酒井と自分が本当の夫婦であるように
錯覚してゆく。

二人はお互いに「社長さん」「中村さん」と呼び合い
深い関係を隠そうとしていたが、
昼も夜も一緒の二人を見て
酒井水産の社員や「和」の従業員たちは
誰もが二人の愛人関係に気付いていた。

酒井の妻の清美も早くから感づいていた。

だが、持病の負い目があるのか、何も語らない。

豊子は清美に申し訳ない、と思いながら
酒井にひかれる気持ちは抑えられなかった。

あたりに暮色が迫っていた。

酒井宅は坂を登りつめた住宅街の一角にある。

玄関前に青のコロナマークIIが
とまっているのが見えた。

犯行にこのマークIIを使うことは
酒井から事前に聞いて知っていた。

豊子は目前に迫ってくる殺人の恐ろしさに
体がすくむような思いがしていた。

豊子はゆっくりと歩き出した。

酒井の自宅内にある水産の事務所は
親密になってからよく出入りしている。
玄関ドアのノブに手をかけると鍵がかかっていた。

そのまま引き返し、マークIIの
エンジンをかけUターンした。
前にも増して強い恐怖と動揺が襲ってきた。

レンタカーをUターンさせた直後、
豊子は前から歩いてくる清美を目撃した。

清美はこの日午後、銀行から預金を下ろし、
自宅近くの美容院に立ち寄って帰る途中だった。

豊子より早く清美の姿に気付いた酒井が
クラクションを鳴らして清美に合図した。

スカイラインの窓際に寄ってきた清美に酒井は

「茶色のジャンパーを着せとくからな」

と替え玉の目印を小声で耳うちした。

豊子はゆっくりとレンタカーを走らせ、清美に窓越しに

「車を持ってゆきます」

とあいさつした。

会釈した清美がすれ違ったあとも
じっとレンタカーを見送る清美の姿を
豊子はルームミラーで確認した。

助手席に男を乗せた
酒井のスカイラインも動き出した。
【226】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月12日 13時19分)

【車 中】

駐車場のスカイラインの中で
待機していた愛人の豊子は
酒井が男と親しげに話しながら
近づいてくるのをガラス越しに見つけた。

「うまく話をもちかけて連れてきたのだろうか」

豊子は安心すると同時にこの先に酒井が描いている
黒い絵図を想像して思わずハンドルに頭を押し付けた。

酒井は連れてきた男を豊子に紹介することもなく、
運転席にいた豊子を後部座席に移らせると
男を助手席に乗せ自分が運転して駐車場を出発した。

酒井は

「小倉にひとつだけ仕事を残したから」

と言って自宅に車を向けた。

妻の清美の弟にあらかじめ借りさせ、
自宅前の路上にとめていた
レンタカーのコロナマークIIを
犯行後の足として持ち出す必要があったからだ。

車中で豊子と男はひと言も言葉を交わさなかった。

男も別段、豊子を気にしているふうでもなかった。

男は「予想が当たらんで、すいません」と
酒井にしきりに謝っている。

ボートレースのこと、
そして自衛隊のことに話が移った。

酒井は高卒後、一時、
長崎県の陸上自衛隊大村駐屯地に
入隊した経験がある。

男もかつては
自衛隊員だった、という。

同じ経歴を持ち、しかも競艇で
スポンサーになってくれたことで
男はいよいよ、酒井に
なんの疑念も持たなくなっていった。

スカイラインは洞海湾にかかる
若戸大橋を渡り、戸畑の街並みに入った。

酒井はしきりに男を食事に誘った。

豊子はひと言もしゃべらなかった。

「社長は今日、初めて会った
 この男を殺そうとしている」

事前に酒井から聞かされていたとはいえ、
着々と進む替え玉殺人計画の恐ろしさに
豊子は自然と口が重くなっていた。

午後五時、酒井は小倉の自宅から
百メートル足らずの坂道にスカイラインをとめた。

豊子を外へ呼び出し

「レンタカーを運転しておれの後ろをついてこい。
 見失うな」

と言いながらキーを渡した。
【225】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月05日 16時43分)

【アタリ】

レースは次々に進んだ。

第三レース、第四レース、第五レース …

二分数十秒の1レースが終わるたび、
ハズレ舟券が寒風に舞った。

舟券売り場に列を作るファンが次第に殺気だってくる。

負けがこみ、一発逆転の大穴を狙う客も少なくない。

酒井の殺人計画も巨額な保険金を
狙った大きな賭けだった。

いや、ギャンブルより簡単で確実に思えた。

ギャンブルで大金をつかむためには幸運が必要だ。

だが、酒井の計画は誰か、
替え玉を捜して殺害すればいい。
必要なのは運ではなく、
やりとげる、という強い意思だった。

午後一時半、第六レースが始まった。

酒井は「オヤッ」と思って足をとめた。

ファンのほとんどがレースに目を奪われているなかで
一人の男がハズレ舟券を拾いながら近づいてくる。

当たり券が間違って捨てられていないか、
一枚ずつ確かめているようだ。
いかにもうらぶれた様子である。
顔は面長でやせている。年齢も四十歳ぐらいか。

酒井は自分に似ているように感じた。
こちらを見ている人はいない。

チャンスだ。

「どうも勝てませんなぁ。おたくもそうですか」

突然、話しかけられて男は
ギョッとした表情で顔をあげた。

人なつっこい酒井の笑顔に安心したらしい。
すぐに言葉がかえってきた。

「わしが予想してやるけん、少し小遣いをくれんね」

当たったら配当の何割かにありつこうという
「コーチ屋」と呼ばれる手口である。

しめた、と酒井は思った。

とにかく会話の糸口はつかめた。
しかも金をだせば、身柄を捕まえられそうだ。

「いくら出せばいい?」

「一万円くれ。その代わり必ず儲けさせてやるけん」

酒井は「残りは終わってからだ」と
言いながら五千円を渡した。

酒井はこのあと第七レースから最終十レースまで、
男が予想する舟券を買ったがことごとく外した。

「残りの五千円をくれんね」

「負けたのにやれんよ」

「明日から始まる唐津の記念レースで必ず儲けさせる。 一緒に行こう」

酒井にとってはまたとない誘いだった。

罠に相手からとびこんできたようなものである。
さりげなく「どこから来たの」と尋ねると、福岡という。
とっさに「自分も福岡だ」とウソをついた。

「車で来ているから一緒に帰ろう」

獲物はかかった。
【224】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月05日 16時44分)

【一本釣り】

鉛色の空が低くたれこめ、時折、洞海湾からの
寒風が吹き付ける北九州市の若松競艇場。

一月二十一日、そんな天気にもかかわらず
入場者は八千三百人の盛況だった。

酒井隆は舟券も買わず、場内を歩き回っていた。

自分と同じように小柄でやせた男はいないか。

レースが終わるたびにどっと動く群集にまぎれて
血走った眼を走らせる。

頭の中には自分によく似た男を捜しだして
競艇場外へ誘い出し
替え玉として殺すことしかなかった。

酒井水産はもう、どうにもならないところまできていた。

放漫経営のうえに前年の冷夏による
稚魚の品不足が重なり
秋口から経営は完全に行き詰まっていた。

すでに親族、友人、同業者、取引先など
顔つなぎのあるところから
金を借りまくっていたが、
もう貸してくれるアテはなくなっていた。
一年で一番の稼ぎどきである
正月前のハマチの仕入れもできなかった。

自宅には連日債権者が押しかけ、
その中には暴力団員もいた。

酒井は借金が増えるたびに
自分を被保険者とした生命保険に次々と入っていった。

契約額の合計は生保、郵政簡保合わせて九口
受取額の合計は普通死亡時で二億七千万、
災害死亡時で四億一千五百万円である。

「この保険金を騙し取るしか借金返済の道はない」

酒井の胸の中で替え玉殺人という、
どす黒い計画が膨らんでいった。

自分に似た男を捜しだして替え玉として殺害する。
そして保険金を受け取って
生きのびようというのである。

この計画には身内の共犯者が必要だった。

替え玉にした男の遺体を見て
「酒井です」とウソの確認をする人物、
そして何食わぬ顔で保険金を受け取る
人物も必要である。

すでに妻の清美と愛人の豊子には計画をうちあけ、
決行に備えさせていた。

替え玉捜しは三日前の十八日から始まった。

この日、酒井は豊子を連れて福岡県飯塚市の
飯塚オートレース場に向かったが
適当な人物は見つからなかった。

十九日は佐賀県の唐津競艇場、
二十日も若松競艇場に行った。

しかし、似た男は見つからない。

四回目の二十一日はさすがに
酒井には焦りの色が濃かった。

若松競艇場に向かう車の中で、助手席の豊子に

「今日は捜すぞ。もう時間がない」

と言った。

豊子は競艇場に着くと殺人計画に
振り回されている精神的ダメージから

「気分が悪い」

と言い、駐車場の車の中に引きこもった。
酒井は借金返済のため、
すでに自分の車は手放している。

車は酒井が豊子に買い与えた
赤のスカイラインだった。
【223】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月05日 16時35分)

【葬 疑】

酒井の死に誰もが呆然としていた。

それも殺された疑いが強いという。

遺族の胸の内を思ってどんな弔いの言葉を
かけていいか、わからない人も多かった。

だが、葬儀社の社員らが遺影を見て、
おかしいと思ったように弔問客も時が経つにつれ
「何か変だ」という疑惑が胸の中で膨らんでいた。

とにかく妻の清美と愛人の豊子の様子がおかしいのである。

棺が祭壇の前に安置された。

酒井の母親をはじめ、多くの人が遺体の顔を見ようとした。

妻の清美が必死になって止めた。

「顔が痛んでいるから見ないで!」

なかば、叫ぶような声をあげ、異様な雰囲気となった。

葬儀社員が

「遺体はお別れの際に見ることができますから」

と、とりなしてこの騒ぎはいちおう、収まった。

通夜が始まった。

酒井水産の従業員や同業者ら酒井と豊子が
愛人関係にあることを知る者は
豊子の態度に目を注ぎ、首をかしげた。

愛人が死んだ、というのに涙ひとつ見せていない。

読経が始まっても部屋の外へ出て、
従業員の一人と葬儀に関係ない車の話をしている。
終始、落ち着きがなかった。

葬儀は翌二十三日、午後一時から自宅で営まれた。

脱サラ社長の酒井は人なつっこい
明るい性格だったので知己が多く、二百人が焼香した。

債権者たちも複雑な表情で手を合わせた。

その中には酒井に一千万円を融資した
小倉北区の主婦もいた。

息子が酒井水産の従業員だったことから断りきれず
亡父の保険金や退職金から用立てていた。
七百万円は返済してもらっていたが、
三百万円が残っていた。

融資した主婦は

「私がお金の返済を迫ったので無理をされて
 事件に巻き込まれたのかもしれません。
 息子がお世話になったご恩返しもしないうちに
 お気の毒でなりません」

と、泣きながら妻の清美に頭を下げた。

午後二時すぎから遺体とのお別れが始まった。

親族や友人らが棺のそばに集まり、
遺体の周りに菊の花を置いてゆく。

何人かが遺体の顔をのぞきこもうとした。

しかし、ここでも妻の清美は奇異な行動をとった。

棺の横につきっきりで立ち、
遺体の顔の真上に素早く菊の花を乗せた。

親族が顔を見ようとその花を傍らによけると
清美はすぐ別の花をかぶせる。

やがて遺体は花で埋まった。

清美の行動に疑惑のまなざしを向ける人たちの前で
棺のふたが静かに閉じられた。
【222】

逃葬者  評価

野歩the犬 (2015年03月08日 08時45分)

【変死体】

死体の顔はひどく傷んでいた。

頭部は陥没、額から右目、右頬にかけ、
紫色に腫れあがっていた。

鼻骨が潰れ、鼻が奇妙な形に広がっている。

昭和五十六年(1981年)一月二十二日午後九時半。

佐賀医科大学付属病院で司法解剖の終わったばかりの
遺体がストレッチャーの上に寝かされていた。

北九州市からやってきた二人の葬儀社員は
あまりの遺体の傷のひどさに目をそむけた。

遺体は北九州市小倉北区熊谷町、
酒井水産社長・酒井隆(四二)とされていた。
解剖が始まる前に妻の清美(四二)が

「夫です」

と確認している。

酒井の愛人で北九州市門司区に住む中村豊子(四四)も
「本人です」と認めていた。

解剖室には立会いの佐賀県警警察官が五、六人いた。

誰一人として遺体が酒井であることを疑っていなかった

遺体を引き取った葬儀社員は霊柩車に積んで、
深夜の国道を北九州市へ向け走った。

ハンドルを握っていた社員が同僚に語りかけた。

「解剖は五時に終わるという連絡だったのに
 四時間もオーバーですよ。
 自宅で待機している人たちは
 通夜が遅れてヤキモキしてるんじゃないですか」

「あの傷はリンチによるものだね。
 殺人事件とみて念入りに調べたんだろう」

遺体が自宅に着いたのは午前零時を回っていた。

玄関わきの居間にはすでに祭壇がしつらえてあった。

笑いかけるような遺影。

二人は立ちすくんで顔を見合わせ、
ほとんど同時につぶやいた。

「死体と違うじゃないか …」

顔を潰されていたとはいえ、輪郭や表情の雰囲気が
似ても似つかぬ人物だったからである。

やがて弔問客が姿を見せ始めた。

酒井夫婦の親族、近所の知人、水産業の仕事仲間
出身地、福岡県田川市からの
幼なじみも駆けつけていた。

佐賀での遺体確認をすませ、
一足先に帰宅していた妻の清美が
喪服姿でこれらの客を迎えた。

居間の片隅では愛人の豊子が
憔悴しきった表情でうなだれていた。
遺体が酒井隆であることを
弔問客の誰もが疑っていなかった。

一月二十二日付け読売新聞西部本社版夕刊では、
この変死事件は【唐津発】として
次のように報じられている。

「脱サラ社長  不審な死」

社会面四段見出しである。

■二十二日午前零時四十分ごろ、
佐賀県東松浦郡肥前町星賀の星賀港岸壁わきの
海中に乗用車が沈み、車内で北九州市の
水産会社社長が死亡しているのが見つかった。

乗用車の後部に追突されたらしい
傷跡があるなど不審な点があり、
唐津署では遺体を佐賀医大で解剖、
事故以外にも自殺、他殺の両面から捜査している。

死んでいたのは北九州市小倉北区熊谷町一の五の三、
酒井水産社長、酒井隆さん(四二)で
死因は水死とみられている。
免許証はなく、財布にあった名刺から
酒井さんとわかった。

同署は車後部の傷跡など単なる事故にしては
不審な点があるとみて家族や関係者から話を聴いてる。
酒井さんは運送会社に勤めていたが、
約六年前に脱サラし、炉端焼きの店や
鮮魚卸売業「酒井水産」を経営していたが、
昨年末不渡り手形を出し、会社は倒産している。

酒井さんには多額の借金があり、
多くの生命保険に入っていたという。
【221】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月20日 16時44分)

【あとがき】

「三菱銀行北畠支店における強盗殺人、
 ならびに人質逮捕監禁事件」
(昭和五十四年一月二十八日、警察庁命名)

は日本の犯罪史上、類例をみない凶悪事件であった。

犯人、梅川昭美は強盗に入った銀行で
四人の生命をいとも平然と奪い
篭城した銀行内で銃の力を背景に
密室の絶対的支配者として人質に
過酷で屈辱的な服従を強要した。

それは金銭だけを目的とした銀行強盗とは
明らかに様相を異にしていた。

梅川は行内で人質に向って

「おれは精神異常やない。
 道徳と善悪をわきまえんだけや」

と自らを語ったというが、
一般社会で道徳と善悪をわきまえない人間は
精神異常と言われないまでも、
人格障害と評されても仕方があるまい。

そのことは十五歳にして犯した強盗殺人事件時の
鑑定結果に照らしても明らかである。

さらに当時の広島家裁の所見では

「長期間にわたる強力な生活指導が必要」

とありながら
梅川はわずか一年で少年院を仮出所している。

そして、三年後には保護観察処分を解除され、
晴れて自由の身になったばかりか
猟銃まで手に入れることができた。

乱暴な表現をすれば梅川の犯罪は、
本人の人格的資質と共に当時の法体系や、
治安当局の監視の緩さと複合して

「起こるべくして起こった」

のである。

大金奪取という計画が破綻し、
偶然の密室が完成したとき
梅川が「逃れられない死」を
覚悟したのは間違いないだろう。

事実、梅川は人質の解放交換に逃走するという
手段については全く要求していない。

梅川はその確定した死へ向かう一瞬、一秒に
自らの人生の集大成として
欲望の限りを実行したのではないか。

正常な人間であれば、余命を宣告されたときは、
人生でやり残したことを数え上げ、
可能な限り、本人も周囲もその実現にむけ、
精神を傾注するであろう。

それが本能であり、余命を生き抜く
支えになるのではあるまいか。


確実な死を前にした梅川にとっては
それが「ソドムの市」の具現化だった。


今回の執筆にあたっては銃の威圧の下、
銀行内で繰り広げられた「ソドムの市」の詳細、
とりわけ梅川が女子行員に強要した行為については
事件後三十六年を経過したとはいえ、
被害者の心の傷を考慮して
最小限にとどめたつもりである。

亡くなられた警官、行員、負傷した方も
でき得るかぎり、匿名とした。

当時の資料を参照すると禁止ワードが多く、
梅川の言葉については一部表現方法を変えたが、
狙撃され、最後に発した言葉だけは
伏せ字ながら、そのままを引用した。

梅川昭美の名は警官隊によって
狙撃、絶命したことによって
日本の犯罪史に深く刻まれることになった。

その後も猟奇的な連続幼女誘拐殺人事件や
大阪・池田小学校や秋葉原を舞台にした無差別大量殺人
さらに年少者による残虐な殺人が多発し、
少年法の改正にも至っている。


事件当時、狂気の男と断罪された梅川昭美。

「お前だけが狂っているのではない」

これが私のせめてもの弔辞である。

(↓)
【220】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月20日 16時52分)

大阪府警本部長だった吉田六郎氏は
この事件直後の三月に勇退した。

群馬県警本部長時代は
連続婦女暴行殺人事件として知られる
「大久保清事件」や連合赤軍による「あさま山荘事件」
「妙義山大量リンチ殺人事件」を手がけるなど
大事件と縁の深い警察人生であった。

読売新聞大阪本社社会部長だった
黒田清氏はその後、編集局長兼務となったが、
読売グループ本社のドン、
渡辺恒夫によって排斥され、退社。
「黒田軍団」と呼ばれた一派は
大阪社会部から駆逐される。

退社後「黒田ジャーナル」を立ち上げ、
ミニコミ紙を編集、発行していたが
2000年、六十八歳で死去。

梅川昭美の名前を最初に割りだした中徹氏も
雑誌社へ転身したが、四十代で早逝した。

大谷昭宏氏は現在、テレビメディアを中心に
フリージャーナリストとして活躍されている。


■本稿「ソドムの市」は
 昭和五十四年一月二十七日〜二十九日付け
 読売新聞大阪本社版に連載された

 「ドキュメント・新聞記者」

 「三菱銀行事件全記録」

 昭和五十四年二月二十七日〜三月二十三日付け
 毎日新聞大阪本社版に連載された

 「破滅〜梅川昭美の三十年〜」

ほか、資料より抜粋、加筆しました。

平成二十七年二月

野歩the犬
【219】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月19日 14時49分)

【資料III】

■梅川昭美の少年時代の強盗殺人事件に関する鑑別結果通知書

       家庭裁判月報(昭和三十九年六月、第六巻、六号)より


広島家庭裁判所御中

               広島少年鑑別所

鑑別年月日      S39. 1 .7
氏   名       M       昭和23年3月1日生  男

【検診結果】

身体発育        常。 身長162.4センチ
               体重46キロ 
               胸囲83センチ

【精神医学的診断】   S39.1.10

  冷酷、反社会的、非協調性の精神病疾で短絡反応を起こしやすく
  情緒に乏しい。社会的不適応者である。


IQ=101              誤り、 脱落は少ない

クレペリンテスト      P異常型
              波状型を示し、動揺が激しい。

性格            YGテスト 右寄り型の不安定型

S.C.T                        主観的、短気でわがまま
               臨床類型としては情性欠如の精神病質
                             罪に対する改悛の情が薄い。
               敏感、神経質、興奮性の反面
               鈍感、冷淡、残酷で矛盾した徴候が混在化している
               自棄的である。

【総合所見】

■問題点とその分析

臨床的な症候から判断すると情性欠如性の精神病質。

生来的に同情、あわれみ、良心、
共同等の感情が希薄で、
かつ少年の成育史からこれらの情性が
豊かに発達する環境になかったことに原因し、
今日の人格を形成したと考えられる。

性格異常のため、少年の犯行は残酷非道で
日常行動面に於いても
変質的傾向がうかがわれる。

この種異常者は如何なる方向でも反社会的行動や
犯罪と結びつく危険が濃厚である。


■処遇上の指針

この種資質の少年を社会に
放任することは極めて危険であり、
積極的に規制する必要がある。

すでに病質的人格は根深く形成されているので、
容易には矯正できず将来に向け問題が多い。

とりあえずは年齢が低いので
施設に収容し、多少なりとも
人格改善の方向に矯正教育を
施すことが必要である。

少年の現在の心境は非行の認識浅く、
改悛の情も乏しく
いたずらに自暴自棄的気持ちが
強いだけで見通しは暗いが、
安静な環境で期間をかけて
建設的意欲をもたせることが大切である。

両親との愛情関係を調整することも必要で、
精神的に家庭社会からの
孤立化を防ぐことが効果的と思われる。

少年院仮退院後も続けてケースワークが必要であり、
放任すると累犯に及びかねないと考える。
【218】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月19日 14時43分)

【資料II】

梅川昭美の若妻殺人事件に対する広島家庭裁判所の決定

     強盗致死、窃盗保護事件

(広島家裁・昭和三十九年一月十七日決定 抗告無)



アパートの借用資金を捻出するため、白昼、人妻に危害を加えて金品を強取し、
その結果、同人にして死に至らしめた十五歳の少年を中等少年院に送致した事例

■主文

少年を中等少年院に送致する


【本件強盗殺人罪に対する所見】

本件強盗罪は判示のような動機から

極めて安易に他人の生命を奪ったもので、

動機につきびん諒すべき余地はなく、

その犯行は侵入のための合鍵を予め買い求めて用意し、

数日前より機会を狙うなど計画的であり、

犯行に至っては指紋を残さぬため手袋を用意するなど

周到な配慮のもとに行われ、

その殺人行為は当初から殺意をもってなされたもので、

大胆であるうえ、発生した結果は重大である。

にも拘わらず、犯行後の行動、鑑別所での態度、

審判廷での供述態度からみると、

少年は寸毫も人間的良心の呵責を受けておらず、

罪の意識も皆無に近く、

被害者の遺族の心情に想いをいたし、

またこの種犯罪の社会的影響を考慮し、

かつ近時年少少年による凶悪犯罪が

増加の傾向にあることを考えるとき、

本少年についてはこれを刑事処分に付するのが

相当と思料されるところ、

少年の年齢上、かかる処分をとり得ないで、

主文のとおり、中等少年院に送致することとした。

少年の病質的人格は既に根深く形成されていて、

容易に矯正し得ない段階に来ていること、(鑑別結果参照)

また少年が今後社会にあれば同様に

多種の非行を繰り返し、

再び犠牲者の出る可能性があることを

思料されることなどを併せ考えるとき、

本少年の将来については

非常に多くの問題が残されているといわねばならない。

本少年については通り一辺の指導によっては

健全な精神発達を遂げることは

困難であると思料されるが、

中等少年院における特に長期にわたる

強力な生活指導によって、

人の生命の尊さを知らしめ、

同情、あわれみなどの情操を滋養し、

いささかなりともその病質的人格を

改善することが出来得れば、

と心から期待する次第である。
【217】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月18日 11時00分)

【資料I】

■大阪府警察本部がこの事件で臨時に支出した経費は
 時間外勤務手当六千万円、給食費二百二十万円に
 梅川の手術、治療費九十万円などを含め、
 総計一億八千万円。

 殉職した二人の警察官には警察以外に
 総理大臣と関西財界から
 二千万円が贈られたほか、
 一般人三千人から三千万円が寄せられた。



■事件発生から九十八日目の
 昭和五十四年(1979年)五月四日、
 大阪地方検察庁は犯人の梅川昭美について
 被疑者死亡による不起訴処分を決定。
 同時に梅川を射殺した
 大阪府警機動隊員七人(実際の発射行為に関わらず
 最終的に突入した隊員数が確定したため)
 を職務上の正当行為を理由に不起訴処分とした。

大阪府警が梅川を検察庁に送る際につけた容疑は

強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗致傷、
建造物侵入、公務執行妨害、
傷害、逮捕監禁、威力業務妨害、
窃盗、銃刀法違反
火薬類取締法違反の計十一。

うち、検察庁は窃盗と傷害を除く九つの罪を認定した。

起訴事実の認定のあとに以下の文面が続いている。


■以上の事実から、本件射殺行為について考察すると、
 次々と行員、警察官を射殺し、
 自らを極限まで追いつめ
 稀に見る極悪非道ぶりを見せていた
 梅川が辿るべき道は
 人質を道連れに自殺する以外になく、
 時々刻々、その危険が迫っていたことは
 その言動に微し明らかであり、
 もはや梅川を説得する方法もなく、
 同人が人質を連れてにせよ、
 銀行外に出てくる可能性も全くなくなっている
 前記の時点において、
 人質として生命の危険にさらされている
 多数の行員を救出し、
 その生命の安全を守るためには
 警察官が拳銃の使用によって梅川を
 制圧するほかにとるべき手段は見当たらず
 しかも、梅川の生命に危険のないように
 拳銃を発射するという手段を講じる
 状況ではなかったのであるから、
 それによって梅川を射殺する結果を招いたとしても
 これらの所為は警察官として
 やむを得ざるに出た適法な
 職務上の正当行為と認められる。
【216】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月18日 10時11分)

【解 説】

梅川死亡後も警察は梅川の自宅の捜索や
関係者からの事情聴取を行い、
事件の全容解明に取り組んだ。

それによると梅川はサラ金や知人から抱えていた
五百万円の借金返済のため、
事件を起こす前年の三月ごろに銀行強盗を計画。

大阪で出会った小学校時代の同級生、
鍋島孝雄に犯行をもちかけていることがわかった。

以後、梅川は襲撃する銀行の下見などを入念に重ね
年が明けた一月十二日、
鍋島が犯行に使われたライトバンを盗み
梅川に提供、決行日を十八日に決めたが、
直前になって鍋島が

「おれは降りる」

と姿を消したため、単独犯となった。

しかし、梅川の計画は最初から破綻していた。

梅川は猟銃で脅しさえすれば銀行側が
素直に金を出すだろうと思い込んでいた。

「銃を一発、天井にぶっ放せば、
 手向かうものなどあるはずがない」

とタカをくくっていた。

おまけに警官が駆けつけるまで
三分以上はかかる、と踏んでいた。

鍋島の供述によれば、梅川はパトカーというものは
警察署から現場に急行すると思い込んでいたらしく、
三菱銀行北畠支店が車で三分以上かかる距離に
あることで襲撃目標に選んだ、となっている。

ところが現実は銃を威嚇発砲して

「十数えるうちに五千万円を詰めろ」

と脅しているのに銀行員はすぐに現金を出さなかった。

いくら大銀行とはいえ、カウンターに
五千万円もの大金が転がっているはずもない。

仮にあったとして百万円の札束にして五十個である。

ナップザックに詰め込むだけで
ゆうに二、三分はかかるだろう。
そもそも、ナップザックに
それだけの現金が入るものかすら、怪しい。

現実に北畠支店ではそんな大金は地下金庫にしかなく、
行員は目の前に突き出された銃をふり払おうとしたり
警察に通報したりした。

さらにたまたま付近をパトロール中の警官がいて、
予想よりはるかに早く現場に現れた。

誰でも銃を突きつけられたら
本能的にふり払おうとするだろうし、
とっさの判断として警察に助けを求めたりするだろう。

また、警官やパトカーがいつも本署で待機していると
考えるのが非常識なのであり、管内をパトロールし、
しかも本署とは無線で結ばれていることなど、
誰でも知っている。

常識的には銀行員の行動は当たり前の反応であり、
警官がすぐに行内に飛び込んできたとしても不思議ではない。

だが、梅川にとっては事態の全てが誤算であった。

自分の筋書き通りに相手が動いてくれる、
動くべきだと思い込む
「甘え」こそが、この計画の重大な欠陥だった。

所詮、梅川は自分勝手な絵を描き、
それを膨らませながら
成功を夢想していたにすぎない。

その酔いをさまされ、
自分の描いた絵が崩れた落ちたとき
梅川はとまどい、逆上した。

甘えに支えられた絵だけに
失敗の責任は他人に転嫁される。

筋書きを妨害した行員と警官こそが、
梅川にとって攻撃の対象となった。


警官を即座に射殺し、
ろう城後も客は順次開放しながら、
行員には徹底して虐待の限りを尽くした。

思惑の通らぬ苛立ち、
見境いのない怒りに転じた梅川が
散弾銃の引き金を引いた瞬間、
練りに練ったはずの計画は破綻した。

そして、それは梅川自身の人生の破滅にもつながった。
【215】

RE:血風クロニクル  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 15時20分)

本編はエンドマークとなりましたが、
このあと、解説、資料、
あとがき等をアップする予定です。

いましばらくお時間を頂戴します

のほ
【214】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 16時17分)

【エピローグ〜二つの葬儀】

梅川昭美の遺体は一月二十九日、
午前十時から大阪大学医学部で行政解剖された。

通常なら一時間で終わる解剖は
午後三時まで延々五時間に及んだ。

梅川の死因は大阪府警狙撃班が
発射した三発の弾丸による

「右頚動、静脈の貫通挫砕による失血死」

と認定された。

解剖を終えた遺体は午後六時から
大阪市西成区南津守、津守斎場で荼毘にふされた。

石油バーナーが火を噴いてから一時間半後に
梅川昭美の三十年と十ヶ月の生涯は燃え尽きた。

翌三十日朝、七十三歳になる母親と
付き添いの叔父の手で拾われた遺骨は
母の胸に抱かれて瀬戸内海を渡り、
本籍地の香川県大川郡引田町に帰った。

午後十一時二十分、引田駅着の高徳線下り最終列車。

人目を忍ぶ帰宅だった。

三十一日の引田町は夕刻からしのつく雨。

母が間借りするかまぼこ製造所二階、
八畳間を閉め切り、午後五時半から
母と叔父のたった二人で葬儀が営まれた。

木箱の上に設けられた小さな祭壇には
真新しい位牌と小さな骨壷。

供花も焼香に訪れる人もなく、
雨音が読経の声と母のおえつをかき消した。

位牌に書かれた戒名は

「智 月 寂 照 信 士」

俗名をしのばせる一字は「昭」ではなく、
なぜか「照」だった。

梅川によって抵抗できぬまま、射殺された
三菱銀行北畠支店長と男子行員の三菱銀行葬は
それから三日後の二月三日午後一時から
大阪市東区御堂筋の本願寺北御堂で営まれた。

僧十人による読径の中、
祭壇に飾られた二人の遺影は
白菊の花に埋まり、
大阪府知事、銀行協会会長など
知名人の花輪が回廊にあふれた。

参列者は二千人に及び、
二時間にわたって焼香の列が続いた。

たった二人の葬列と二千人の会葬者。

この二つの葬儀がすべてを言い尽くしていた。

生涯に五人の生命をほしいままに奪い、
国を挙げて憎悪のうちに破滅した男への涙など、
どこをさがしてもありそうにない。

聞こえるのは雨戸を閉め切った
八畳間の暗がりのなかで
身を固くしている母の忍び泣きだけであった。

(ソドムの市・本編 / 完)
【213】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 16時01分)

【梅川死す】

住吉署に戻っても、藤原は警察病院で
半沢が母親にかけた

「がんばりまいよ」

の言葉が頭から離れなかった。

長い廊下をトボトボと歩く年老いた母親を見たとき、
藤原自身、もうこの母親から取材する気力は失せていた。

哀れでならなかった。

なんとか励ましてあげたい、
との熱い想いがこみあげていた。

そんなときの

「がんばりまいよ」

のひと言は百千の言葉に勝る
力づけではなかったか、と思えた。

あのおばあちゃん、こっくりうなずいたやないか。
先輩、ええこと、言うてくれた …

藤原は無性にその光景を誰かに話したかった。

梅川は確かに極悪非道な犯罪者だ。

しかし、母親としては息子に
親子の絆を感じ、信じていたことだろう。
だからこそ、府警の要請で説得に駆けつけた。

「他人はともかく、私の声を聞いたら
 息子はきっと人質を解放してくれる」

と考えたに違いない。

しかし、説得はかなわなかった。

母親は息子との絆が
断ち切られているのを知らされ、うちのめされた。

そして病院でやっと自分の手の届くところに
戻ってきた息子はすでに意識がない。

たった一人の息子なのに、
その枕元で母親は回復でなく、
死を願わなければならなかった。

藤原がそんな感傷に浸っていると、
木口調査官が副署長席に歩み寄り
メモをかざして大声をあげた。





「梅川死亡、時間は十七時四十四分!」







午後六時、住吉署前線本部での作業が終わり、
工藤は社会部に連絡した。

「社と府警本部に分かれて撤収したい」

すでに陽は暮れ、住吉署の前には
各社の車が長い列を作り
一台、また一台とテールランプを光らせて
闇に消えていった。

府警ボックスに戻る車の中で、
中徹はバレンチノのコートに顔を埋めていた。

二日前の夜、中は多重無線車から漏れてきた
梅川の名前を最初につかんだ。

その男のナマの声を聞きたかった。

射殺すべきじゃなかった、と
警察を批判しているのではない。

あの男に思い切り、喋らせてみたいのだ。

行内で梅川は饒舌だった、という。

さきの行員との記者会見で梅川は人質にむかって

「お前らソドムの市を知ってるか」

と脅していたことが明らかにされた。

それを聞いて中は梅川に

「お前はソドムの市をどんな風に観たんだ」

と尋ねたかった。

あの密室の空間を作ることが
お前の目的だったわけじゃあるまい。

金目当ての強盗に失敗し、
成り行きであの密室ができてしまったとき
お前の中に何が起きたんだ、と。

しかし、もう梅川に語るすべ、はない。

「ソドムの市、か …」

後部座席のシートに身を沈め、
中徹は無意識のうちに
口に出してつぶやいていた。
【212】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 13時16分)

【がんばりまいよ】

住吉署はごった返していた。

あらゆる報道機関がここに取材本部を移していた。

一階のカウンター、左手奥の交通課、二階の刑事課、
どの部屋も記者がなだれ込み、
総勢二百人を超えていた。

日曜日で窓口業務がないのが幸いしたが、
出勤している交通課の署員たちも

「今日ばかりはしょうがないわ」

とあきらめ顔で執務机を原稿書きに
占領されてもなすがまま、に任せていた。

工藤と瓜谷は一階正面億の副署長席前の
応接セットを占拠して新しい前線本部にしていた。

府警ボックス組の黒川と河井がうまく立ち回って
一等席を確保していたのである。

午後四時過ぎ、捜査一課の木口調査官は

「これが最後やでぇ」

とふれ回って、副署長席に立ち、
十三回目のレクを始めた。

木口とその前の肘掛イスに座った
工藤、瓜谷を囲む形で分厚い円陣ができ、
木口は梅川の履歴などについて
メモを読み上げていった。

河井はレクを一課担当の枡野と津田に任せ、
各部屋に散って、原稿をまとめている応援部隊を
督励して歩いていたが、
窓際からふと、裏庭を見やって、
梅川の母親が黒塗りの捜査車に乗り込むのを目撃した。

「梅川との最後の面会か?」

とカンの働いた河井は
レクの円陣の端にいた藤原に
「すぐ追え」と指示した。

署の正面に停めた車では完徹の半沢が仮眠している。

藤原は乗り込むなり、車を裏門へ走らせ、
半沢を揺り起こした。

捜査車の行き先はやはり警察病院で、
玄関では連絡を受けた前川が待っていた。

車を降りた母親は昼前に会って顔を見知っている
前川が会釈しても気付かない様子だった。

母親は玄関ホールの人目を避けるように、
足元に視線を落として捜査員の後を追った。

信玄袋を両手で抱え、小さな肩を丸めて
トボトボと歩く母親の後姿から
前川は目を離すことができなかった。

「こんどは何と言われて病院にやってきたのだろうか」

疲れてカサカサに乾いた前川の胸に
うるんだ感情がこみあげてきた。

二階のICUの前に着いた母親は看護婦から
白い消毒衣とマスクを付けてもらった。

白衣はくるぶしに届き、
老女はまるで子供のように見えた。

半沢ら三人はずっとエレベーターの前で待った。

面会は五分とかからなかった。

白衣を外してもらった母親は目を伏せて歩いてきた。
泣いているようでも、放心しいるようでもなかった。

じっとうつむき、一人、
悲しみに耐えているように見えた。

エレベーターの前まできたとき、前川が

「容態はいかがでしたか」

と声をかけた。
  
返事はなかった。

と、半沢がつと、近寄り、
小さな肩を抱くようにして

「がんばりまいよ」

と声をかけた。

半沢は新人の三年間を高松支局で勤務し、
讃岐言葉に通じている。

がんばってくださいよ、

 
 しっかりしてくださいよ。


母親はピクッと顔をあげ、
童顔の半沢と眼を合わせた。

しわに包まれた小さな眼が物問いたげに瞬いた。

そして、そのまま何も言わず、
こっくりと一つうなずいてエレベーターの中に入った。
【211】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月13日 13時22分)

【生 死】

母親は前川を私服の刑事と間違えたのだろう。

前川は言葉に詰まり、三人にくっついて
正面から西口へ通じる長い廊下を渡った。

歩きながら新聞社のものです、と言い
前日の梅川との接触について尋ねた。

母親は背をかがめながら

「電話をかけたが、あの子は聞いてくれんかった。
 わたしは耳が遠いし、字もようかけんので
 伝わらんかったのかもしれない」

とポツリ、ポツリと話した。

救急処置室に通じる手前で
廊下をふさぐ形で長イスが置かれていた。
それまで黙ってくれていた刑事が前川に目くばせした。

ここから先は来てくれるな、のサインだ。

刑事と老女は長イスの端をすり抜けて
廊下の奥へ歩いていった。

十五分後に三人は引き返してきたが、
老女の顔に変化はなかった。

ただ「容態は?」という前川の質問に
ひと言も答えようとしないのが
違いといえば、違いだった。

対面はしたが、言葉は交わせることもなく
容態は絶望的なんだろう、前川はそう、察した。

災害救急センターの玄関に戻って
前川は長い時間立ち尽くした。

梅川という男には、ほんとによく立たされる。
そんな思いだった。

ひどく腹立たしい、という感じではなかった。

ナマな感情がだんだんに吸いとられて
頭がカサカサになっていった。

午後一時すぎ、ガラスの向こうにざわめきが起き、
処置室からストレッチャーが引き出されてきた。

外から見ると廊下は薄暗く、
顔色まで識別できなかったが
手術を終えた梅川であることは確かだった。

輸液の容器が吊り下げられ、
点滴の長いチューブが毛布に隠れた腕に伸びている。

ストレッチャーはエレベーターに乗せられた。

前川たちは警備の責任者にかけあって
担当医との会見を求め、
やがて手術衣のままの平谷隆救急外科部長が
姿を見せて、メモを読みながら説明した。


■負傷程度    右頚部盲貫銃創と右肩から左上腕部への貫通銃創

■手術      医師十人で所要時間、三時間二十分
         出血が多く二千六百CCの輸血
         左頚動脈は結索し、右頚動脈はつないだ

■容態      止血して一命はとりとめているが、助かるか否か
         意識が戻るか否か、は不明。重体の状態。
         急性腎不全を起こす恐れがあり危険

■その他     拳銃の弾丸は二発受けており、一発は体内に残っていた。
         病室はICUで立ち入り禁止、撮影は認められない。


前川は赤電話に走って社会部に

「梅川はやはり、死んじゃいません!」

と、怒鳴るように言い、メモを読み上げた。
【210】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月13日 13時28分)

【警察病院】

万代真澄は警官隊が銀行に突入した直後、
その修羅場から社の車に飛び乗って
いち早く抜け出していた。

犯人の梅川らしい負傷者を乗せた救急車が
銀行西側通用門からフルスピードで
発進したのに気付いたのだ。

とにかく追跡だ。

救急車は銀行前の交差点を北へ曲がり、
阿倍野方面へと走り去った。

万代は無線機のマイクを握った。

「負傷者を乗せた救急車の搬送先、確認願う」

「了解、いま調べている」

前線本部の蔵楽が応えた。
本社にリレーされ、柳本が消防局に当たった。

やがて蔵楽の歯切れのいい声がきた。

「行き先は警察病院、搬送者はやはり梅川だ。
 本社からも前川と藤原が走った」

よしっ! 万代は武者震いを感じた。
犯人の一番近くにいるのはおれだ!

現場周辺を外れると日曜日の市街地は閑散としている。
十分足らずで車は警察病院の西口、
災害救急センターの玄関わきに滑り込んだ。

正面に救急車が横付けされていた。

後部の搬入口は開いたままで、
そばに二人の制服警官が立ち万代の進入を制止した。

ガラス越しに院内をのぞくと看護婦が
次々に足早に動いているのが見えた。
と、白衣をまとった二人の男が玄関口に向ってきた。

搬入を終えた救急隊員だ。


しめた。


 
  
万代は待ち構えて尋ねた。

「容態はどんな具合?」

「頭も顔も血まみれで意識はないですよ。
 それ以上のことはわかりませんわ」

隊員にも大事件の犯人を
搬送したという興奮が、冷めやらぬようだった。

一人が問わず語りに万代に言った。

「急患運ぶときにゃ、頭の方から入れるのに
 よっぽど慌ててたんでしょうな。
 足から入れてしもうてねぇ」

隊員は苦笑いしながら車に戻った。

見送りながら万代はこの隊員が今後、事件を語るとき、
あのとき、おれは足から・・・
と言い続けるに違いない、と、そんな気がした。

救急車が引き揚げた直後、
数台の取材車両が同時に到着した。

その一台に前川と藤原がいた。

記者は数十人にふくれたが、
梅川の手術が終わるのを
黙然と入り口で待つほかなかった。

前線本部から手薄な住吉市民病院へ
二人が回るよう指示がきた。

万代と藤原がそれを受け、前川が残った。

最初に梅川の住まいを割り出した前川は、
今度は残ったおかげで社会部からの無線連絡で
何度も車に呼び戻され、
梅川の生死について問い詰められた。

「新田刑事部長の現場レクでは
 梅川は危篤や、言うとる。
 詳しいこと、わからんかいな。
 テレビでは死んだ、言うとるでぇ」

「本部長の会見でも危篤やそうや、どんなあんばいや」

前川は気が気でなかった。
なんとか確認の手だてはないか。

救急処置室に通じる他の入り口を捜して
病院の周囲をひと回りしてみた。

正面玄関に差しかかると、
住吉署で顔見知りの二人の刑事に出会った。

どちらも私服で前川に気付くと、
まずいな、という表情がチラッと走った。

傍らに老女がいる。

茶色っぽいオーバーコートを着た
前かがみの小柄な老女。

初めて会うが、前日来、新聞写真や
テレビで焼きついた姿 ――

梅川の母親に違いない。

「お母さんですね」

と前川は声をかけた。

「息子はもう、あかんのですかいの」
【209】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月13日 13時15分)

【有 情】

前線本部では未明に仮眠のため
自宅へ帰っていたデスクの工藤が戻ってきた。

突入の場に居合わせなかったのが残念だったが、
交代で指揮をとっていた瓜谷と顔を合わすと自然に
「ご苦労はん」と笑みがもれた。

狭い「ABC」の店内は応援部隊で膨れあがって
体を横にしても通れない混雑ぶりだった。

「壮観やなあ」と言いながら工藤は店内に分け入って
瓜谷と取材、送稿の打ち合わせをした。

「朝刊はとにかく七面、ぶちぬきでっさかい」

瓜谷は社会部長の黒田から伝えられた
紙面計画を説明した。

店のカウンターは原稿書きに占領され、
足元は書き損じのザラ紙が散らかって
床が見えないほどになっている。

「これじゃ、仕事にならんなあ」

と工藤がつぶやいたとき、住吉署にいる河井から

「これから先は署の方が段取りがいいんで、
 こっちに場所をとった。
 前線本部を移してほしい」

と電話があった。    渡りに船だ。

手分けして掃除を始めると、経営者夫妻が

「わしらがボチボチやりますがな。
 それにしても名残惜しまんなあ。
 落ち着いたらまた、コーヒー、
 飲みによってくださいや」

と疲れてはれぼったい顔に笑みを浮かべて言った。

ヤマチョウがとびこんでから
五十時間近い「戦場」だった。

別れとなるとお互いに情が残った。

「お世話さんでした」

「あんな、うまいコーヒー、
 初めて飲ましてもらいましたわ」


住吉署では警察幹部に入れ替わって
銀行側との会見が始まっていた。

出席者は三菱銀行副頭取、総務部長、北畠支店次長、
救出された業務係長、女子行員二人の計六人だった。

制服の女子行員は血の気の薄い顔を伏せ、
困惑がありありと見てとれた。

副頭取があいさつに立った。

「今回、北畠支店において起きました
 事件につきましては長時間ご心配をおかけし、
 お客のみなさまに大変ご迷惑をおかけしました。
 しかし警察やみなさんの
 ご協力でこうして無事解決をみました・・・・」

藤本と並んで爪先立ちしていた
遊軍の多田はおやっと思った。

さきの吉田府警本部長との違いが目立ったからである。

吉田本部長は立ち上がるなり、
四人の犠牲者の冥福を祈り

「痛恨の極み」

と述べた。

いま、副頭取は冒頭

「客に迷惑をかけた」

と語っている。

警察と銀行という立場の違いはあるにしても
世間がこの事件に言い知れぬ衝撃を受けたのは
尊い四人の人命が失われたという、
共通の痛みではないのか。

副頭取はそのあと銀行の防犯体制について語り
四人の犠牲者については

「暗澹たるものがある。心からご冥福を祈りたい」

と述べた。

その言葉を聞きながら多田は
釈然としないものを感じていた。

ポキッと折れそうな枯れ枝のような吉田本部長と
恰幅のいい副頭取の体つき以上に
冒頭の言葉遣いが多田の胸に
釈然としないシコリとなって残っていった。
【208】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月16日 12時57分)

【緊急避難】

午前十一時
住吉署別館四階の講堂で
特捜本部の記者会見が開かれた。

出席者は吉田六郎府警本部長、新田勇刑事部長
三井一正警備部長、坂本房敏捜査一課長、
それに突入隊の指揮官の
松原和彦警部の五人であった。

前線本部から府警キャップの
黒川満夫ら十一人が足を運んだ。
会見を取材するのには多すぎる人数だったが、
デスクの瓜谷は黙って彼らを送り出した。

誰もが自分の心の中でこの事件の
決着をつけたい、と思っているのだ。
瓜谷は「おれも行きたいくらいや」と思った。


講堂の会見場はゆうに百人を超す取材陣となった。
定刻に少し遅れて会見は始まった。
記者のほとんどが立ったままである。

吉田六郎本部長が立ち上がって深く頭を下げた。

「おかげさまで事件は一応の解決をみました。
 しかし、三菱銀行支店長、行員の方、住吉署の警部補
 阿倍野署の巡査と四人の死者を出しましたことは
 痛恨の極みであります」

本部長はそこで言葉を区切って再び頭を深く垂れた。

記者団の後ろで爪先立ちしながら
様子を見ていた藤本は
吉田本部長のその痩身を見て
「まるで枯れ枝のようだ」と感じた。

このあと、犯人の逮捕、人質の救出の概略の説明があり質疑応答に移った。

―――― もっと早く強行突入はできなかったのか

質問は随時、早いもの勝ちである。
吉田は質問者の方を向き、低い声で答えた。

「人質に危害が及ぶ可能性があり、できませんでした。
 被疑者は机の上に女性を座らせ、
 後ろにも人質を配置していましたから
 状況の変化を待つしかありませんでした」

―――― 突入隊はいつ、編成したのか

「当初からやっていました」

―――― ライフルは使わなかった?

「使っていない。すべて拳銃です」

―――― 狙撃以外、方法はなかったのか

「被疑者は三丁の銃を持っていました。
 撃たないに、こしたことはないが、
 今回は狙撃が必要と判断しました」

質疑応答は淡々と続いた。

ある記者がちょっと身構えて質問した。

―――― と、すると本部長、犯人を撃ったことは緊急避難になるんですか

吉田は質問者の方にきっ、と眼を据えた。

「そうです。緊急避難になります」

迷いのない、ビシリとした口調だった。


■緊急避難
〜刑法第三十七条第一項〜
自己または他人の生命、身体、自由、または財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為はこれによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰さない。ただし、その程度を超えた行為は情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2前項の規定は、業務上特別の義務がある者には適用しない。



吉田本部長の会見が終ると、
広報課長から突入の指揮をとった
松原和彦警部が紹介された。

紺色の出動服に身を包み、
テーブルの上にヘルメットを置いていた。
小柄で細身だが浅黒い顔には精悍さがみなぎっていた。

―――― どこから突入したのか

「駐車場から通用口を抜けて入った」

―――― 編成は

「二名一組で私を含め三十三名。
 先頭に立ったのは六名」

―――― 犯人との距離は

「最終的には十メートル未満」

―――― 犯人はどうしていたか

「支店長席の机の前で新聞を読んでいた」

―――― 犯人に声をかけたか

「かけていない」

―――― バリケードの状態は

「キャビネットを積み上げ
 人間一人がやっと通れる程度」

―――― だれが発砲し、何発撃ったか

「八発。私は撃っていない」

―――― 犯人は応射したか

「応射はなかった」

―――― 逮捕したとき、手錠はかけたか

「手錠はかけていない」

質問はなお続きそうだったが、
広報課長からメモを受け取った坂本捜査一課長が
「もう、そろそろ …」と腰を浮かせた。

「いま、また、コロシが発生しましたので …」
【206】

RE:血風クロニクル  評価

野歩the犬 (2015年02月12日 11時34分)

■お〜、レオちゃ〜ん

ようこそ、隠居部屋へ♪

>んで、主題歌、藤純子だったんですねっ!!(驚

ぶはは♪
なんじゃ、あの調子っぱずれな低音は!
つー、歌いっぷりですね♪

もっとも、本人はイヤイヤ、歌わされて
思い出すのも辛い …と、聞いたことあります。


>全DVD揃えてるって・・・どんだけっ!(驚

さすがに 緋牡丹だけ、よ

>来週は、「死んで貰います」だから、健さんの背中に背負った花模様が見えますね♪

これはHDに落とす予定よ♪

>いぁ〜 藤純子さん、カワイイなぁ〜♪

俺の中では美女大鑑のトップです!

>セリフとか沢山ありますが、すごい脚本能力ですね!

いや、さすがにオリジナルじゃないですよ。
今回は最後に出典をきちんと明記しますから。


>TVとかでも、「人を殺してみたかったとか・・」
仁義も恨みもない、殺人って、世の中どうなってくんだろう・・

だねぇ〜  病んでますねぇ、いまの世の中 ・・・
【205】

RE:血風クロニクル  評価

reochan (2015年02月12日 10時39分)


こんにちわー♪

二日前、緋牡丹博徒 花札勝負? 面白かったです

昨日も見てました〜

んで、主題歌、藤純子だったんですねっ!!(驚

高倉健の映画、殆ど見たと思ってたけど、

その前の映画も見てなかったような・・

全DVD揃えてるって・・・どんだけっ!(驚


来週は、「死んで貰います」だから、健さんの背中に背負った花模様が見えますね♪


いぁ〜 藤純子さん、カワイイなぁ〜♪


最近リアルな事件の内容で怖いです。

やくざの攻防と違って。。

セリフとか沢山ありますが、すごい脚本能力ですね!


「春になったら、窓から花びらが舞い込んでくらぁ〜」


もうすぐかなー 
TVとかでも、「人を殺してみたかったとか・・」
仁義も恨みもない、殺人って、世の中どうなってくんだろう・・

 
【204】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月11日 12時23分)

【 影 】

府立病院では府庁キャップの安保がやっとのことで
同僚に左耳を切り取られた行員の病室に入ることが許されていた。

前日、石田と浅田が粘りに粘って主治医から
「耳」の一件を聞きだしていた。

犯人が「切った」か「切らせた」か、
ではその意味がまるで違う。

石田は主治医を通じての取材で
「切らせた」ことは間違いないと踏んではいたものの、
なお、行員自身の口から確かめるまでは、
とふっきれない思いを抱き続けていた。

石田はこの日は別の病院の取材に回っており、
安保は石田からその迷いを聞かされていた。

他社の記者と二人、五分間の制限つきで
面会が許されたときああ、やっと
石田の迷いを確認できると気が張った。

顔半分に包帯を巻いた男子行員は意外に元気そうで
そのときの模様を淡々と話してくれた。

「あいつはキモをえぐるんや、と命じたんです」

「え、キモを?」

「おい、お前、とどめを刺してこい。
 キモをえぐるんや、と命じたんです」

行員の言葉は、はっきりしていた。

「でも、あの人はこの人はもう死んでいる、
 と言ってくれたんです。
 するとあいつはそんなら耳を切りとれ、だと。
 あの人はかがみこんで、すまんなあ、
 と言ってくれました」

安保は息を詰めるようにしてメモをとった。

付き添いの行員がさあ、もう、
時間ですから、とせきたてたとき
彼は「これだけは」というふうに
二人の記者を見上げて続けた。

「あの人にはなんの恨みもありませんよ。
 全くありません。あの状況では仕方なかった。
 こんなことをさせた犯人は
 今でも殺してやりたい、というのが本音です」

話しながら涙をあふれさせた行員を見つめて
安保も涙のふくれるのを感じながら
この事件が北畠支店の人々に落とした影、
これから先の人間関係の辛さを思い
暗澹とした気持ちにとらわれた。


おなじ思いを裁判所担当の
塩雅晴も現場でかみしめていた。

特捜本部が五分間だけ、
銀行内部の撮影を許可したのだ。

塩はカメラマンとともに東口へと走った。

内部を見せるといっても
ガラス越しにのぞき見するだけであった。

警官隊の突入から二時間たち、
一部片付けられたあとはあったが
現場はまだ十分に生々しさをとどめていた。

塩は写真を撮るふりをすることも忘れ、
ガラスに額をすりつけて
なにもかも、目に焼き付けようと
行内に視線を走らせた。

バリケードのロッカー、ひっくり返った長イス、
カウンターの上の枕、床に転がった薬莢、
壁や天井の弾痕、
そしてカエデの葉のように
幾筋も尾をひき、盛り上がっている血溜り ……

ひとつ、ひとつを眼に焼き付けながら
塩はここに監禁された人たちが
また、この銀行で何事もなかったように
仕事に戻ることができるのだろうか
という思いにとらわれていた。

この密閉された空間で監禁された人々は
殺された者と生きのびた者に分かれた。

その生きのびた人たちも
銃の制圧のもとに意思は封殺され
極限状態の中で人間の弱さ、
醜さが露わになったに違いない。

人間の尊厳をズタズタに引き裂いた
過酷な現場をのぞき見て
この事件の身震いするような
怖ろしさが改めて伝わってきた。

五分間の許可時間が終わり、前線本部に戻るとき
彼には白昼の明るさが
なにか別世界のように感じられた。
【203】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月11日 12時18分)

【モラルとジレンマ】

あびこ病院では緒方と永井が病院の玄関口で
二人の警官に院内に入るのを阻止されていた。

「絶対いれるな、という指示を
 遂行するのが我々の任務だ」

と警官はそこから一歩も退こうとしない。

「病院施設を警察が管理するのはおかしいじゃないか」

永井が顔をくっつけんばかりに近づけて
道を開けさせようとしたが、
若い警官は理屈に耳を貸さない。

押し問答が一時間もすぎ、
ようやく永井らが一階待合室に入ったとき
二人の警官は診察室に通じる廊下に
後退してピケを張った。

なんのことはない。
一からやり直しであった。

院内にはやはり「警備」の腕章を巻いた
数人の銀行員がいた。
なにを尋ねても彼らは沈黙で押し通した。

見事というほかない、だんまりであった。

チラリと奇妙な笑いを浮かべ
すり抜けてゆく行員たちに
預金の勧誘でしか縁のない緒方は
銀行員に対してもっていた
イメージの甘さを思い知らされるハメになった。

実にしたたかな集団であった。

記者たちが頼りにできるのは
もう、当直医しかいない。
やっと医師から運ばれてきた
七人の名前と容態を聞き出すことができた。

医師は

「疲労の具合はたいしたことないが、
 様子をみるために一日、入院させる」

と言い、ついで事務員が

「住所はみなさん、三菱銀行北畠支店
 ということになっています。
 面会できるかどうかは、銀行さんに聞いてください」

とすまなさそうに告げた。

またも永井が病院の管理、
患者の管理は誰がやっているんだ、
と食いついたが、所詮、ひとり相撲でしかなかった。

住吉市民病院に来ていた藤原も
同じ状態に置かれていた。

藤原はなんとしても救出された
行員から話を聞かなければ、
と思う反面、頑なに取材を拒む気持ちが
分からないでもない、と思っていた。

いや、救出された行員自身、
記者には絶対会いたくない、
と思っているだろうと察しはついた。

四十二時間に及ぶ監禁の実態が
どれだけ非情なものであっただろうことは
これまでに知らされた事実から十分に想像できる。

とりわけ、女子行員にとっては
耐え難い屈辱であったはずだ。
そんな女子行員への思いやりは藤原に限らず、
どの記者の胸にもあった。


住吉署では仮安置されていた四人の遺体が解剖のため
大阪府立大学医学部に運ばれようとしていた。

そのしめやかな雰囲気の中にも署内では
事件が解決した抑え切れない喜色があふれていた。

ついにやった。

あの梅川を逮捕できた、
という興奮の余韻がどの署員の顔にも残り
話す声にも弾みがあった。

半沢はそんな浮き立つような署内を
歩いていてふと、裏口から出でゆく
和装の喪服の女性に気付いた。

たったいま、遺体が運び出された警部補の妻であった。

半沢は気軽にそのあとを追った。
犯人逮捕について話を聞こうと思ったのである。

「犯人が捕まりましたけど …」

警部補の妻はちょっと半沢に目をやり、
黙って軽く頭を下げた。

「あのう、犯人が逮捕されたのですが、
 なにか、お気持ちを …」

半沢は「よかった」の返事を期待していたのだった。

妻は黙ったまま、である。

もう一度軽く会釈して
前に止まっている車に体を滑り込ませた。

バタン、とドアが閉まり、車は動き出した。

「バタン」とドアが閉まった瞬間、
半沢は自分の顔から血の気が引くのを感じた。

なんと浅はかだったんだろう。

自分も署内の浮かれた気持ちに染まり、
顔に笑みさえ、うかべていたかもしれないのだ。

このバカめ!

半沢は自分で自分をどやしつけながら
走り去る車を見送っていた。
【202】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月10日 16時10分)

【安堵と苛立ち】

午前九時三十分、現場にはふくれきった風船の空気が
徐々に抜けていくような弛緩が広がっていた。

警官隊の突入から一時間近くたっており、
解放された行員の搬送もあらかた終った。

山は登りつめた。

眺望も開けた。

下りの行程はまだ、残っているが、道筋はもう読めた。

そんな感じであった。

十二回目、最後の現場レクが行われた。

府警サブキャップの河井はレク場所に向う途中、
新田刑事部長、坂本捜査一課長と一緒になった。

「お疲れさんでした。おかげさんで …」

新田が顔をほころばせて河井に手を差しのべた。

異例の握手であった。

河井は思わず頭をさげて

「ご苦労さまでした」

とその手を握り返し、次いで坂本とも握手した。

レクは新田刑事部長、自らが臨んだ。

「男子七名、女子十八名、全員無事救出しました」

新田はまず、そのことを告げ、
続いて突入の模様を簡単に触れた。

突入は午前八時四十一分
逮捕は同、四十二分。

突入は第一、第二機動隊選抜の松原和彦警部ら六名。
梅川は警察病院へ搬送したが、
右頚部貫通で午前九時十分現在
危篤状態である  以上、
とレクは五分で打ち切られた。

吉田府警本部長以下との詳しい会見は
追って行われる、と告げられた。

取材の場は救出された行員が
搬送された各病院へと移っていた。

四ノ宮や柳本が見て感じた
「暗い、暗い表情」の行員たちから
監禁の模様を取材するのはつらいことだが、
たとえ一行ずつでもいい、
ナマの声を聞きださなければならない。

九人の行員が収容された阪和病院には
佐伯、山田、福田、坪井、村上の六人があたった。
 
しかし、たったひと言でも、と念じたその取材は
前日に解放された人質同様、困難を極めた。

どの病室にもどこで用意したのか
「警備」の腕章を巻いた三菱銀行の
応援行員がぴったりと張り番をしていて、
どんなに頼み込んでもドアを開けようとしない。

そのうち、救出された行員の家族も
続々とやってきたが、やはり面会はかなわなかった。

家族たちは

「面会謝絶といわれるほどに容態が悪いのか」

と、顔を曇らせてこまごまと尋ねているが、
戸口の応援行員は首をふり

「どなたも入れてはいけないと言われております」

と繰り返すばかりだった。

記者たちは診察を終えた医師に会見の諾否を求めた。

「さあ、どうですか」

医師はちょっと困った顔になった。

「肉体的には面会は差し支えないのです。
 ですからご本人の了解がとれれば、
 いいんじゃないですか」

医師の言葉が「警備」の行員に伝えられたが、
彼らは動じる様子もなく
オウムのように繰り返した。

「どなたも入れてはいけない、と言われております」

家族たちは二時間近くロビーで待たされたのち、
銀行側の指示で五分間だけ、
という制限で面会を許された。

記者たちはその面会を終えた家族から
やっと話を聞くことができたが
むろん、実のある話ではなかった。

佐伯は前日、府立病院で行員の応対に辟易した
浅田同様、だんだんに腹が立ってきた。

「我々に合わせたくない気持ちは分からんでもない。
 しかし、丸二日近く安否をきづかってきた
 家族たちにさえ、面会時間の制限を設ける
 という権限がお前らにあるのか。
 肉親への思いやりより、そんなに
 大銀行の看板の方が
 お前らにとって大事なのか!」
【201】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月10日 16時11分)

【安 否】

現場では十一台の救急車が次々に走り出した。
府立病院、阪和記念病院、住吉市民病院 ・・・・

谷本が指揮車で行き先をチェックして
ハンディで伝える。

「人質全員が病院に搬送された模様」

ハンディに山本の声が入ったが、
それにおっかぶせるように大谷が

「まだ、二十五人も出ていない!」

と大声を張りあげた。

そこへ千原のハンディが割って入った。

「まだだ!日本タクシーの車がたくさん来ている。
 二十台ぐらいか。
 銀行が行員を運ぶためチャーターしたらしい」



現場でも大阪本社社会部でも
梅川の生死は依然、確認できなかった。

整理部長の彦素勉は
「猟銃強盗逮捕」と「猟銃強盗射殺」の
二つのヨコ凸版を机の上に並べて、いらいらしていた。

府警ボックスに詰めている森からは
梅川が搬送された警察病院の医師の話として

「梅川は右首に銃弾を受けて危篤状態」

と伝えてきた。

続いて警察病院で待機していた記者から

「警官に阻止されて病院に入れないが、
 救急隊員の話では
 梅川は顔、頭から血を流して意識不明」

との情報が寄せられてきた。

そのときテレビの速報テロップが
「梅川死亡」を報じた。


死んだか。



社会部、整理部、連絡部からどよめきが起きた。

と、社会部長、黒田清の大声が
編集局中に響きわたった。

「うちの記者が言ってくるまでは死亡じゃないぞ!」

どよめきはピタリとやんだ。

号外の前書きを池尻は整理部に渡した。

■三菱銀行北畠支店(大阪市住吉区万代東一の一五)の 猟銃強盗、人質監禁事件で
 大阪府警は二十八日午前八時四十一分、
 包囲網を一挙に縮めてシャッターのすき間から強行突入を決行、
 人質の行員ら四人を射殺した犯人の梅川昭美(三〇) =同区長居東六の一〇四「長居パーク」三〇三号=を
 銃撃戦のすえ逮捕、人質の行員二十五人を救出、
 事件は四十二時間ぶりに解決した。
 人質の女性、一人が負傷している模様。
 梅川は右首に銃弾をうけ、危篤。


ふだんは動かない日曜日の午前九時すぎ、
地下三階で輪転機がうなりをあげて回り始めた。
【200】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月09日 14時18分)

【解 放】

ヘリの爆音が遠ざかると、
府警の広報課員が両手をメガホンにして
報道陣の間を走った。

「レクだ」

津田は枡野に声をかけて走った。

銀行前の交差点の真ん中に広報課の
小川泰男調査官が一枚の紙切れを持っていた。

この際だ。
  
とても五十メートル先の恒例の会見場まで
行っている時間がない。
バラバラと記者が駆けつけ、
たちまち小川の前に厚い輪ができた。

「それではお伝えする。
 午前八時四十一分ごろ、機動隊員が突入し、
 犯人を逮捕した。
 人質は全員無事救出!」

最後は叫ぶような口調だった。

「梅川は射殺したんか!」

「わからん、そんなん、わからんのや。
 全員無事救出、それだけやあ!」

小川は質問を振り切って、
銀行西の通用門へ駆け戻っていった。

津田は交差点から三十メートルの前線本部へ走り
息を弾ませながら、受話器を握っている瓜谷に発表内容を伝えた。

四ノ宮は銀行西側通用門の前の歩道に立っていた。

出遅れたが、決着の場にいるという幸運に
枡野以上に心を弾ませていた。

西側駐車場に待機していた十一台の救急車が
次々に通用門から入り
搬入口を門に向けてズラリと横一列に並んだ。

四十二時間、過酷な監禁に耐えた行員二十五人が
今にも姿を見せるはずだ。

非常階段の二階踊り場に最初の人影が現れた。

人影、というよりピンク色の塊が目にとびこんできた。
それほど鮮やかなピンクの毛布だった。

その毛布を頭から羽織った若い女性が
私服の捜査員に背負われている。

一歩、一歩、慎重な足どりで
捜査員は階段を降りてくる。
女性は頭を捜査員の左肩に落としている。

表情はわからない。

が、顔の表情ほどに毛布からはみ出た
左脚が無力感をにじませていた。

素足であった。太ももから先が露わになっている。

その肌は白い、というより四ノ宮には青く映った。

捜査員がステップを踏みしめるたびに
その脚は力なく揺れた。

続いてブルーの毛布が現れた。

自分の足で立ってはいたが、
両脇を捜査員に支えられている。
顔は伏せていたが、地上から見上げる四ノ宮は
その表情をかいま見た。

暗い、暗い顔であった。

三人目、四人目 ・・・・・

どの顔にも暗さがまといつき、
解放の喜びはみじんもなかった。

同じ場面を社会部のテレビで見ていた柳本も
背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

アナウンサーはやや上ずった声で
解放の喜びを生中継でレポートしていたが
彼はそれに耳を貸さず、
ただ解放者の表情ばかりに目をあてていた。

柳本は画面を見ながらこの事件の異常さを
最も端的に表わしているのが
今の光景ではないか、と思った。

女子行員たちのこの暗い表情はなんだろう。

いかに殺されたくないからといって、
凶暴な犯人の銃の威嚇のもとに
人間としての尊厳を踏みにじられ、
犯人の言いなりになってきた自分への
嫌悪と恥辱の感情。

それがまだ冷めやらぬ恐怖と一緒になって
これほどに暗い顔つきに
させているのではないだろうか。

まるでなにか重い、重い十字架を
背負っているみたいにとぼとぼと
外へ出てきているではないか。

同時に柳本は自分があの場面に置かれていたら、
人間の尊厳が保てただろうかと自問して首をふった。

自信がなかった。

そうだ。この事件は極限状態における人間の尊厳、
そのものを冷酷に突きつけた
過去に例のない事件なのだ。

これを新聞記事として
後世に残すにはどうしたらいいだろう。

学生時代、哲学を専攻していた柳本は画面を見ながら
いつまでもふっきれない思いでいた。
【199】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月09日 14時13分)

【騒 乱】

大谷は耳を疑った。

新聞社のハンディに周波数の違う
警察無線が混信するはずはない。

彼は間違いなく「梅川射殺」と聞いた。

大谷はもみあう渦から抜け出し「ABC」へ走った。

途中、山本と出会った。

「聞いたかいな、射殺」

「おれのハンディにも入った」



<大谷はのちのちまでこの
 無線の「怪」がわからなかった。
 事件が落着したあと、これは混信ではなく、
 もみあう中で機動隊伝令が持つハンディの
 イヤホンコードが抜け落ち
 警察無線の通信がもろに外へ流れ出てしまった、
 と解釈した。>



大谷は「ABC」へ駆け込むなり社会部へ電話で
状況を説明している瓜谷に警察無線の内容を報告した。

瓜谷は「本当か、それ」と怒鳴り返し、
蔵楽を通じて

「梅川が射殺されたかどうか、確認してくれ」

と指令した。

大谷は現場へとって返した。

途中、交差点の角で上から声が降ってきた。

「おいっ、大谷、西の通用門へ走れ」

声は街路樹に登っているキャップの黒川だった。

西の通用門へ一台の救急車が急確度でハンドルを切り、
バックで突っ込んでいった。

たちまち武装警官が取り囲んだ。

警官は銀行の中から出てきている。

包囲線からの距離は二十メートル。

担架が運び出された。

チラリと顔が見えた。
首筋に血がべっとりと張り付いている。

サングラスが見えた。
  
梅川か。

報道陣がどっと押し出す。
楯の金属音がひときわ高い音を立てたる

救急車はバタンと搬入口を閉め、
サイレンのうなりをあげて
通用門から急カーブを切って走り出した。

社会部には宿直室や借り上げた
近くのホテルから続々と部員が駆けつけていた。

瓜谷から「ゆうべの前線組をみんな、送り返してんか」と矢の催促だ。

池尻は受話器を握ったまま、
とりあえず上がってきた七人を現場へ向わせた。

ホテルから社へたどりついた社会部長の黒田は
池尻から受話器を受け取ると言った。

「号外の勝負だ。人質が全員救出されたのか
 梅川が射殺されたのか、確認してくれ。
 確認するまでは原稿にするな」

現場上空に爆音が轟いた。

ドイツ・ベルコウ社製の大阪読売ヘリが到着した。
ヘリはぐんぐん高度を落とし、
銀行上空百メートルでホバリングした。

ローターにあおられて路上の砂が舞い上がる。

いらだたしげに機動隊員がヘリをにらみあげた。

砂ぼこりの中で枡野がハンディで
ヘリに向って呼びかけた。

「救急車が警察病院の方へ走った。
 たぶん、梅川やと思います。
 病院へ担ぎ込むところを超低空で
 バッチリやってもらえませんやろか」

ヘリは機体を斜めにかしげるなり、
警察病院のある北方へと飛び去った。
【198】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月09日 14時09分)

【突 入】

大谷昭宏はふっと足をとめた。

タン、タン、タン ……  乾いた音だ。

銃声ではないか?

彼は銀行北口に面した道路向かい側の歩道にいた。

音は銀行の内部で起きた。

車道に並んでいる機動隊員が一瞬、
けげんな表情を浮かべた。

隊員の一人が北口に走り寄り、
腹這いになって五十センチほど開いた
シャッターのすき間に頭を突っ込んだ。

息を詰めて見守る大谷の視界から
その隊員の姿がスルリと消えた。

あっ、中に入った!


瞬間、一隊の機動隊が腰の拳銃を
引き抜いて北口へ殺到した。

もう一隊は回れ右して歩道側に向かい阻止線を張った。

隙間なく並んだ楯と腰だめした
警杖が見事な一線となっている。
 




「突入やあっ ! 」






大谷はハンディトーキーに口をつけて絶叫した。

「ABC」のハンディには
四つの声がもつれて飛び込んできた。

大谷、山本、渡辺、千原である。

声が重なりながら「突入」ははっきりと聞きとれた。

続いて「銃声三発」

  これは千原の声だった。

弾かれたように瓜谷と河井が飛び出し、
コーヒーを飲んでいた落合と四ノ宮、谷本が
カップを放り出すようにして続いた。

府警キャップの黒川は店の前に停めた車で
仮眠していた加茂と藤本を叩き起こし、
蔵楽はハンディをひきつけた。

「至急、至急、本社各車両、
 仮眠中のもの、
 全員起こせ、すぐだ!
 起こせ!」


社会部でテレビ番をしていた松原は
おやっ、と腰を浮かせた。

画像が突然揺れだした。

揺れが停止した画面では銀行の玄関口に
殺到する警官隊の姿が映し出されていた。


「やったぁ ! 」


ソファの池尻が跳ね起き

「みんな、起こせ!」と怒鳴った。

松原と坪井が同時に電話に飛びついた。


同じ画面の揺れは住吉署にいた半沢も目にしていた。
一瞬おいて、署内にどっと歓声が沸いた。

現場では報道陣と機動隊が激しくぶつかっていた。

わずかのスキを見つけて
銀行の玄関口にたどり着こうとする
記者やカメラマンを楯と警杖が押し返していた。

この日は日曜で夕刊はないのだが、
そんなことを考えているものは誰一人としていない。

決定的瞬間の現場に一センチでも
近づこうとするのは彼らの本能のようなものだ。

山本が目をつけていた老警官は姿を消している。

ままよ、彼は腕組みして体を斜めに構え、
楯に向って体当たりしたが
ひとたまりもなく、ひっくり返された。

瓜谷は突進していったカメラマンが
残していった脚立に立って状況を眺めた。

いたるところで報道陣と警官隊がぶつかっている。
ジュラルミンの楯の地面を打つ音が
ガンガン響いている。
いや、それよりも銀行内部で
すさまじい音が起きている。

金属音、物の倒れる音、突入は成功したのか。

人質は大丈夫か。犯人は射殺されたのか。


大谷は現場で機動隊とのもみあいの中にいた。

突然、首にかけたハンディに
張りのある声が流れてきた。

「機動隊より各局、犯人、梅川、射殺!」
【197】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月07日 12時19分)

【狙 撃】

■午前八時二十分

のぞき穴から再度、報告が入った。

梅川は行員ととり換えていた服装をすっかり元に戻し、
支店長席に座り直した、という。

この報告を聞いた木口調査官には
梅川の真意が図りかねたが
今をおいてチャンスがないのは確かだった。

梅川がまた、気まぐれを演じる前に今こそ、突入だ

■八時三十分

松原警部を先頭にした六人の狙撃隊は
再び足音を殺して西側通用口を
ほふくして通路に入った。

■八時三十五分

のぞき穴から見張っていた
捜査員からのメモが松原の手元に渡った。

「両手で新聞を広げ、読む。
 猟銃、拳銃とも机
 ウトウト、首を落とす」

見張りに立っている営業係長と目があった。

垂らした右手のひらが小さく

「GO !」

と前後に振られた。

六人は音もなくバリケードの端々にとりつくと、
素早く散開した。

松原はキャビネットの陰からのぞき見た。

確かに梅川自身が自分で新聞を読んでいた。

しかも背後に立っていた女子行員が梅川に命じられて
湯呑み茶碗を持ってポットのある隅へと歩き出した。




  ―――― 梅川と人質の間の壁が消えた ―――





■八時四十一分

「伏せろ ! 」

の大声が行内に響いた。

ハッとして頭をあげる梅川。

右手で拳銃をつかみ、撃鉄を起こそうとあせる。

六、七メートルの距離から
六つの拳銃が一斉に火を噴いた。

いや、厳密には一斉ではない。

三人が「1」「2」の「2」の呼吸で発射し、
残る三人が「2」「3」の「3」で発射と、
引き金を引くタイミングに
コンマ何秒かのズレがあった。

仮に第一弾がターゲットを外したり、
致命傷を与えることができなくても
第二弾で確実に狙撃するという二段構えの射撃だった。

梅川の右首付近から鮮血が糸筋のように噴き出した。

「殺●ぞ …」

梅川はうめきながらドゥッと
支店長席のイスから崩れ落ちた。

床に落ちた梅川はすでに絶命したかのようだった。

人質の叫びと泣き声の中で突入隊は
梅川の顔面に白いハンカチをかぶせ手を合わせた。

と、梅川が「ウ ―― ン」とうなり声をあげた。

「まだ、息があるぞ !」

松原が叫んだ。
【196】

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野歩the犬 (2015年02月07日 12時14分)

【急 変】

狙撃隊長の松原和彦警部は裸足になり、
そっと下へおりていった。

松原を含む六人の狙撃隊員が西側通用口前に集結した。

すでに夜は明けていた。

六人の終結を見てガレージに待機していた
四十人の私服捜査員が毛布を持って身構えた。

突入と同時に人質の女子行員に毛布を投げかけ、
一刻も早く銀行外へ連れ出すのが彼らの任務だった。

このとき、銀行内部で異変が起きた。

梅川が突入の気配を察したのか、
突然、人質全員に

「うしろを向け」

と怒鳴って、行員を梅川に背をむけて座らせた。
さらに男子行員(一九)を呼びつけて言った。

「どや、これ、着てみい」

梅川は自分のジャケット、帽子、
サングラスを行員に付けさせ
さらに散弾を抜き取った猟銃を片手に持たせ、
支店長席に座らせた。

そして自分は行員のワイシャツに着替えると
射殺した警官から奪った拳銃を手にして
行員の列に分け入り

「どうや。この格好で人質の解放やいうて、
 表へ出るんや。
 うまいこと、逃げられるやろ」

と言った。

狙撃隊が忍び込んでくるのを同時に目にした
営業係長は血の凍る思いがした。

営業係長は先頭の松原警部と目が合うと、
懸命の思いを込めて
頭を小さく横に振った。

松原警部は営業係長の表情が
尋常でないことを見てとった。

「ダメだ !」

と言っているのは明らかだった。

松原は後続の隊員を手で制して
音もなく後退し、通用口の外へ出た。

のぞき穴からの報告がすぐにもたらされた。

身代わり工作の一件を知った松原は
背筋に冷たいものが走るのを感じた。

やがて、松原にも特捜本部にも
落胆と困惑が押し寄せてきた。

服装を取り替えた梅川が
大勢の行員の中にまぎれこんでしまっては
もはや、狙撃は絶望的ではないか。

しかし、ツキとは不思議なものだった。
【195】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月07日 12時11分)

【好機到来】

■午前五時十四分

梅川から伊藤管理官に電話が入った。

「七時十五分なのに、なんで朝刊を差し入れんのや」

伊藤が「まだ、五時すぎやないか」と言うと、梅川は
「おれが間違えた」と一方的に切った。

二時間も勘違いしている ――――

確実に疲労の度が濃い。
  
伊藤は特捜本部に連絡した。

■午前六時過ぎ

のぞき穴からまた報告が届いた。

梅川は先に差し入れた
シェービングクリームとカミソリ、
置き鏡を持ち出し
男子行員にポットの湯を運ばせて
支店長席にふんぞりかえり
ひげを剃っているという。

梅川の手が銃から離れている。

突入のチャンスがありそうだ。

■六時五十七分

朝食が運び込まれた。

早朝にステーキの用意が整うわけがない。

特捜本部は銀行側が用意した、
おにぎり二十個、スパゲティ三皿、
みそ汁十二杯、トースト三切れ、きつねうどん一杯
バター一本、あられ三袋、
アイスクリーム二十五個、メロン五個を差し入れた。

のぞき穴からの監視は続いている。

梅川はしきりに何か喋りながら
メロンをたいらげていったが
行員たちで差し入れを口にするものは
ほとんどいなかった。

■午前七時三十分

特捜本部に吉報が届いた。

梅川の指示で現金を配って回った
営業係長がトイレに立ち
西側通用口に身を潜めていた捜査員に

「今回はチャンスがあるかもしれない。
 合図を送ります」

と早口で告げ、さっと戻ったという。

事件発生以来、警察側に初めて
巡ってきたチャンスだった。

■七時五十分

伊藤管理官が差し入れの読売、朝日の
朝刊を持って一階への階段を下りていった。

途中のステップに新聞を置くため
かがみこんだ伊藤の目が
バリケードの間から、かろうじて見通せる
階下の隅に立っていた営業係長と目が合った。

営業係長が梅川に気付かれないよう、
一瞬、目配せした。

■午前八時

ツキは完全に警察側に回ってきた。

人質の見張り役が交代し、
見張り位置に営業係長が立った。

その位置は突入隊が忍び込む
西側通用口とつながる通路から
一直線に見通しの効く絶好のポジションだった。

その報告を受けるや、
三階の特捜本部の吉田六郎本部長は座り直した。

刑事部長の新田は「突入します」と進言しようとして
自分のノドがカラカラに乾いているのに気付いた。

狙撃隊長の松原和彦警部が呼び込まれた。

吉田は松原の肩を叩き

「頼むぞ」

それだけを言った。
【194】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月06日 16時04分)

【困 憊】

事件発生から二回目の朝刊が刷りあがったあと、
支店長ら四人の遺体が運び出され、
その寒々とした光景が消えると、
現場は再び静寂に包まれてしまった。

機動隊員の一部は夜明け前の最も冷え込む外気の中で
コンクリートの路面に腰を下ろし
両ひざを抱えて眠り込んでいた。

立ち番中の隊員の中には立ったまま居眠りをし、
左手に構えた楯を思わず手放してしまうのか、
ときどき路面に倒れる鋭い金属音が
冴えかかった夜気を切り裂いた。

ハッとした緊張が戻り、
しばらくするとまた睡魔が襲ってきた。

持ち場を動くことができない記者やカメラマンも
どす黒い疲れをにじませて電柱にもたれたり、
しゃがみこんで目をつぶっている。

誰もが雑巾のように疲れ果てていた。

「ABC」では残った記者たちが
カウンターに両手を投げ出し
その上に頭を乗せて目を閉じていた。

工藤と交代して午前三時すぎに本社から
前線デスクとしてやってきた
瓜谷修二は丸イスの下の幅一メートルに満たない通路に
段ボール箱を持ち込み、毛布を張り、
ひざを抱えて体をねじこんだ。

ガサゴソという音に気付いた四ノ宮が見下ろして

「なんですか、そりゃあ」

と言うと

「これ、ぬくうて、楽やで」

と瓜谷が言った。

「まるで犬の寝床ですなぁ」

四ノ宮は笑いながら、
なるほどあれなら眠れそうだ、と思った。

銀行三階の女子更衣室を転用した特捜本部でも
疲れの色が濃かった。

四枚の畳の上に置かれた座卓の周りには
吉田六郎府警本部長を取り囲む形で
新田刑事部長、三井警備部長、
友清刑事庶務課長、坂本捜査一課長、
木村警備一課長、
木口捜査一課調査官、伊藤管理官が並んでいた。

何枚もの毛布が運び込まれ

「少し、休みましょう」

という声はでたが、だれもがあぐらをかき、
壁にもたれたままで
毛布に手をかける者はいなかった。

特捜本部では事件の解決には
強行突入しか道はない、という考えは決まっていた。

前夜、午前零時を期した突入さえ
一度は決定されていたのである。

そのときは梅川が直前に人質の行員を背後にも
楯として配置するという
巧妙な作戦をとったため、チャンスを失った。

あれからすでに三十時間近い時が経過している。

その間、突入隊員を常時待機させ、
梅川の一分のスキを見つけようと
全神経をはりつめてきた。

■午前三時二十五分

二階の支店次長席に女子行員を通じて伊藤管理官あての電話がはいった。

「朝刊とビタミン剤」の要求だった。
伊藤は二階へOKの返事を出した。

■午前四時過ぎ

シャッターの、のぞき穴から様子をうかがっていた
捜査員からの報告がもたらされた。

人質がラジオ体操をやらされている、という。

カウンターの内側で女子行員は梅川と対面し、
さながら梅川の号令で
「一、二」と手足を振るように体操を始め、
男子行員はなんと壁にむかって
逆立ちをさせられている、という。

木口はその報告を聞いてこれまでの梅川の
鬼気迫る雰囲気とは違うものがある、と感じた。

■午前五時十分

梅川が直接電話をかけてきた。

「朝食パーティを開くから豪勢なやつを差し入れろ」

とステーキやメロンを要求し電話を切ると、
猟銃を一発ぶっ放した。

「どないしたんや、今の音は」

木口の問いかけに、梅川は

「なあーに、眠気覚ましの一発よ」

と嘲笑うように答えた。

やっぱりあいつも疲れているんだ。
チャンスが生まれるかもしれない。

そんな期待が三階の首脳部に芽生え始めていた。
【193】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月06日 16時25分)

【遺 族】

救急車を見送った木口調査官がただちに
十回目のレクをやりたい、と各社に伝えた。

レクの内容がなんであるかはだれもがすぐにわかった。

しんと鎮まった冷気の中で木口の声はよく通った。

「それでは、死亡者のお名前を申し上げる」

として、支店長ら二人の銀行員、
殉職した二警官の名前と年齢が発表された。

「状況。犯人は午前二時三分に
 今から遺体を搬出する、と連絡してきた。
 遺体はいったん二階に移し、
 現在住吉署へ移送、安置する」

木口の声はだんだんにくぐもり、
やがて眼鏡の内側にそっと人差し指を入れた。

木口が人前で見せる初めての涙であった。

質問もなくレクは四分で終った。

住吉署に二昼夜待機していた半沢公男に
やっと出番が回ってきた。

半沢は四ノ宮からの連絡で署の玄関に走り出た。

前後して一、二階にいた
二十人ほどの署員が全員表へ出た。

私語するものはなく、自然と玄関前に列ができた。

やがて北側から赤色灯が見え、
次々に救急車が到着した。

先頭車がとまるのが合図であったかのように
号令もないまま、署員は一斉に敬礼した。

白手袋が夜目に鮮やかで、
半沢も粛としたものに打たれ、自然と頭が下がった。

四人の遺体は署三階の講堂に安置された。

検視の間にマイクロバスが到着して、
十数人の遺族が署に入った。

遺体との対面の場は立ち入り禁止である。

半沢は救急車を追ってきた津田と
応援に駆けつけた府庁詰めの
水野と三人で対面が終るのを待った。

遺族との会見、というのは
何度経験しても気が重いものだ。

悲しみでズタズタになっている
遺族の胸中を語らせるほど酷なものはない。

三十分の対面が終ると一階の副署長席の前で
遺族との会見場が設けられた。

容赦なく浴びせられるテレビライトと、
取り巻く記者団。

「ご主人が亡くなられたと、
 いつ、お知りになりましたか」

「いまのご心境は」

「犯人への気持ちは」

次々に周囲から投げかけられる質問に水野は

「愚問だなぁ」

と思いながら、自分にしても
それ以上の質問が出せないもどかしさを感じていた。

支店長の妻はそんな記者団の質問にじっと顔を伏せ
ただひと言

「ほんとうに悲しいです」

と答えた。

付き添っていた大学生の長男は犯人への思いを聞かれ

「あいつは狂っている」

と挑むようなまなざしで吐き捨てた。

巡査の父親は二年前、警部補で勇退したOBで

「警察官は身命をなげうって市民を守るのが本務だ。
 お前、よう、やった、と言ってやりました」

と気丈に語った。

遺族たちの言葉や様子をメモにとりながら
水野は支店長の妻が

「ほんとうに悲しいです」

と言ったひと言がいつまでも
耳の奥にあるのを感じていた。
【192】

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野歩the犬 (2015年02月06日 15時53分)

【搬 出】

時計の針は午前二時を回っていた。

銀行西口を張っていた大谷の前を
ゆっくりと二台の救急車が通り抜けていった。

救急車は非常階段に向けて後部の搬入ドアを開けると
白衣の隊員が担架を持って二階にむかった。

重傷者はもう残っていないはずだが・・・・

行内でどんな変化があったのか。
大谷は表情を引き締めて
ハンディのプッシュボタンを押した。

「ABC」の四ノ宮のハンディにも
車の中で河井が抱いていたハンディにも
山本、津田、大谷の声がもつれて
同時にとびこんできた。

「こちらゲンポン、交信している。
 山長さん一本にしぼる。
 ヤマチョウさん、どうぞ」

ゲンポンに座った四ノ宮の丁寧で
颯爽とした第一声だった。

大谷と津田は沈黙し、
先輩格の山本の状況説明が流れてきた。

加茂は毛布を放り投げて四ノ宮の横へ駆け寄り
河井は車内から跳ね起きて、飛び出した。

「二階の動きがあわただしい」

「担架が下りてくる」

二階といえば特捜本部だ。

なにが起こったのか。
河井は走りながらハンディで加茂を呼び出し
「だれか救急車を追わせろ」と叫んだ。
   
「了解」
  
応じた加茂は四ノ宮に
「津田君に追っかけるよう伝えてくれ」とリレーした。

西口周辺の報道陣の動きが
がぜん、あわただしくなった。

テレビのカメラマンがやぐらの上に這い上がり
照らし出されたライトの中で
アナウンサーがせきを切ったように喋り始めた。

救急車の並んだ西口の正面には山本と大谷が、
サイドには藤本と渡辺が位置を占め、
毛ほどの動きも見逃すまいと目をこらした。

津田は駐車場に向って走っている。

担架が下りてきた。

救急隊員は脇に立ち、
前後の握り棒は捜査員が持っている。

負傷者の搬送とは明らかに役割が逆になっている。

担架には頭の上まですっぽりと毛布がかけられている。

間違いない。   遺体だ。

「二時三十三分、遺体搬出!」

大谷が山本に代わって四ノ宮に伝え、続けて

「検視のため住吉署に向うと思われる。
 至急、手配頼む」

と吹き込んだ。

担架を真横に見る位置にいた藤本は
犠牲者が誰であるか、
銀行員か、警察官か、
なにか手掛かりはないかと注視した。

一体目は鮮やかなオレンジ色の毛布に包まれていた。

二体目はライトブルーの毛布であった。

その毛布の上端から片腕が突き出ていた。

空をつかむ、という表現そのままであった。

毛布で隠そうとしても硬直して隠せないその腕は
犠牲者の無念さをグサリと見る者の
胸に訴えているようだった。

藤本はかじかむ指先でやっとハンディの
プッシュボタンを押すと叫んだ、

「毛布から左腕が突き出ている!」

七分おいてまた二つの担架が運び出された。

その一つから黒の短靴をはいた片足がのぞいていた。

遺体を納めた救急車は赤色回転灯をつけ
寝静まった街へ走り出し
津田を乗せた車がその後ろについた。
【191】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月03日 16時23分)

【交 代】

大阪城と向かい合った府警本部の
二階にある狭い記者ボックスで
事件発生以来ずっと一人で取り残されていた
四ノ宮泰雄は砂をかむような思いで
三十数時間を過ごしていた。

ボックスで事件を最初にキャッチし、
社会部にホットラインで

「銀行強盗らしいよ」

と最初に通報したのは俺だったし、
そのあといち早く三菱銀行北畠支店の
二階に電話を入れて
発生時の様子を聞きだしたのも俺だ。

ところが社会部への電話連絡などに追われているうちに
八人の仲間は次々と現場へ飛び出してゆき、
自然の成り行きで留守番役に回ってしまった。

四ノ宮は駆け出しの神戸支局時代から

「事件記者というものは場数を踏めば
 踏むほど強くなるもんだ」

と先輩から口酸っぱく言い聞かされていた。

そう言われるまでもなく、
記者であれば現場を踏みたい。
まして、この事件は彼のちょうど
十年の記者生活の中でも
初めて経験する凄まじいものだ。

留守番役とはいえ、府警本部でキャッチした情報を
社会部や前線本部に逐一伝え、
その他の発生ものを警戒しながら、
それでも四ノ宮は「バスに乗り遅れた」
という無念な思いをしていた。

二十八日午前二時前、
やっと交代要員がボックスに戻ってきた。

この夜の泊まり番で四ノ宮とはコンビで
二課、知能犯担当の中徹だった。

「寒いですよ。現場の張り込みも大変ですわ」

中はバレンチノの広いえりを立てて、
部屋に入っても身震いを続けている。

「寒いぐらい、ええわ」

四ノ宮は毛皮が裏打ちされたコートをひっかけると階段を駆け下りた。

「やっと出番がきた」

彼はそれだけで十分満足だった。

四ノ宮がボックスを飛び出したとき、
前線本部では朝刊の締め切りが過ぎて
前線の一時縮小が検討されていた。

二晩ぶっ通しに張り番をした記者も多い。
長期戦に備えて仮眠する必要があった。

二十八日は日曜日なので夕刊はない。
デスクの工藤と府警キャップの黒川、
サブの河井は相談して
残留組と一時帰社組に陣容を二分することを決めた。

工藤は日曜の夜が本社の泊まりデスクに
予定されていたのでいったん引き揚げることにした。

居残るのは黒川、河井と府警詰めの
山本、枡野、蔵楽、津田、谷本に
遊軍の加茂、大谷ら十五人。
これに中と交代の四ノ宮が加わる。

工藤ら十五人が引き揚げ、
山本、大谷らが現場の張り番に出向くと
「ABC」の店内はにわかに
ガランとした雰囲気になった。

四ノ宮が「ABC」に着いたとき、
店内には黒川、加茂、蔵楽の三人がいるだけだった。

完徹で記者の配置に目配りしていた河井は
待機している車の後部座席で仮眠していた。

といっても、ハンディトーキーを耳元に置いており、
神経も張り詰めていて目を閉じても眠れずにいた。

加茂はカウンターの奥の止まり木で
本社から届けられた毛布にくるまり壁にもたれている。

四ノ宮は「ああ、みんな、くたくたなんだなあ」と思い
入り口に近いカウンターに置かれたハンディの前に座った。

ついさっきまで、河井や蔵楽が
「ゲンポン、ゲンポン」と出先の記者たちと
緊迫した交信を続けていたホットコーナーである。


その場所に座った四ノ宮を待っていたかのように事態は動き出した。
【190】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月03日 16時27分)

【空騒ぎ】

午前零時が近づいてきたが現場には
なんの変化もなかった。

前線本部の「ABC」では行員名簿担当の蔵楽知昭が
電話で一面担当デスクと激しくやりあっていた。

さきに蔵楽が大阪市消防局から
入手してきた名簿では人質行員は十九人だった。

しかし、新田刑事部長の会見では
残りの人質は二十五人となっている。

六人も違うではないか、とデスクの大声が
受話器を通じて「ABC」の狭い室内にもれていた。

「そうガンガン言うたかて、
 名前までは全部確認できまへんのやから …」

そのとき河井のハンディに
切迫した声が飛び込んできた。

「突入!」

だれからの通報か確認する間をおかず、
居合わせた加茂、大谷、岸本が飛び出した。

「間違い、突入は間違い。 酔っ払いでした」

「間違いの件、了解」

ハンディを握った河井は続けてしっかり見張れ、
とつけ加えようとしてやめた。

言うまでもない。みんな必死なのだ。

加茂たちが帰ってきた。

一人の酔っ払いが交差点を突っ切って
シャッターのすき間から銀行へとびこもうとして
機動隊が束になって取り押さえた、という報告だった。


午前零時は静かに過ぎ、
事件は三日目に入った。

現場の前線本部にも本社の編集局にも
張り詰めた風船が音もなく
しぼむような気落ちがあった。

社会部長の黒田清は考えていた。

警察はやはり、射殺された行員の名前は
発表せんらしい。

だが、負傷行員がはっきり、言っている。

他社も朝刊で勝負してくるだろう。

最終版はズバリ、これでいこう。

もし、間違っていたら辞表を書こう。

黒田は整理部にゴーサインを送った。

「一面見出しは <射殺体は支店長と窓口係り>
 でいってください。
 朝刊はそれで終わりっ!」

大事なことを言うとき、
言葉遣いが丁寧になるというのも
彼の不思議な癖だった。

その丁寧な言葉で発生以来
二回目の朝刊も締め切られた。


二十八日午前零時二十六分、
現場では二度目の突入騒ぎが発生していた。

こんどの酔っ払いは果敢だった。
東口に体当たりする勢いで突進し、
下五十センチほど開いていたシャッターに手をかけた。

怒号をあげて機動隊員が押し包んだ。

酔っ払いと機動隊員、殺到する記者団が
ひとかたまりとなり
テレビライトが白昼の明るさに照らし出した。

道路端まで走って二度目の空騒ぎと知った黒川と河井は
ああ ……  これで突入のチャンスは先に延びた、と
呆然たる思いで立ち尽くした。
【189】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月03日 16時28分)

【女 神】

府警詰めOBで遊軍の岸本弘一は
河井の指示で突入時の予定稿づくりにとりかかった。

警官隊の配置やこれまでにつかんでいる行内の犯人、
人質の位置、状況などを事前に原稿にしておき、
○時○分、と空白にした部分に突入時間を投げ込めば
一報はとにかく間に合うわけだ。

同時に伝令役の平井が五人の張り番記者に
突入の警戒を伝えに走り、
社会部へ現場への増員の要請をした。


タフさを見込まれて突入班の筆頭に
指名されたヤマチョウ、
こと山本長彦は改めて銀行の周囲を
ひと回りして突破口を捜した。

なにしろ敵は楯を構えた機動隊である。
捜査員が行内に突入したとき、
楯の間をかいくぐって同時に飛び込むのは至難の業だ。

しかし、その瞬間の行内を実地に踏める
チャンスは絶対に逃したくない。

入念に見て歩くうちに東口前の一角に
所轄署の警備の一隊が詰めているのが目に留まった。

機動隊の<正規軍>ではない。

しかも白髪まじりの警官もチラホラいる。

ここや。
   

山本はニヤリとした。

「このオッサンには悪いが、
 突き飛ばして道路を一直線に渡れば
 東の玄関口に届く」

彼はさりげなく数メートル離れた位置に立って
白髪の警官を突き飛ばす機会が来るのを待っていた。

「よおっ! ヤマチョウ、 
 がんばっとるやないか!」

そのとき、ポンと肩を叩かれた山本が振り向くと
顔なじみの捜査員が立っていた。

「しんどいでんなぁ。もう、これ以上、もたんでぇ」

山本はおれももう、限界や、と匂わせて
突入の近いことを探ろうとした。

と、相手はその追及をかわそうとしてか、
意外にもポケットから二枚の
ポラロイド写真をとり出して見せた。

ひと目見て、山本はとびあがった。

「これ、 だれが … 」

相手はニヤッと笑った。

シャッターの、のぞき穴から
自分が撮ったもの、と無言で語っていた。

机の上に全裸で車座に座らせられている
女子行員が写っていた。

もう一枚は机の上に立たされ、
正面を向いている女子行員。

山本は思わず両手を合わせた。

「ちょっとだけ貸して、な。 なっ」

捜査員は首をふり、
大急ぎで写真をポケットにしまった。

「そら、あかんわ。
 同じ写真は二枚一組でこれと同じものが
 本部長の手元にあげてあるんや。
 万が一、新聞に出てみいや。
 ワシはクビやで。
 見るだけにして中の様子を知る参考にしてんか」

相手はそう言って逆に山本に手を合わせた。

ときとして気まぐれに大特ダネを与える女神は
愛すべきヤマチョウの前に姿を見せ、
一瞬のうちに消えた。
【188】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月31日 16時13分)

■午後3時15分

行員が負傷している三人の解放を懇願。

梅川が「あかん」と言ったとたん、
死を装っていた行員が
「出したってくれ」と叫ぶ。

梅川は「生きとったんか、殺したる」と
散弾銃を構えるが、まもなく
「三人を出したれ」と指示。

■午後3時35分

負傷行員三人を解放

■3時55分

梅川が「一階フロアに灯油をまき、放火する」と電話
消防車二台が駆けつけ、放水準備

■午後4時

営業係長が「予定通り配っている」と電話

■4時24分

梅川が

「月見うどん十七、マカロニグラタン一、
 ポタージュスープ九、ローストビーフ一、
 シャトーマルゴーの67年ものワイン。
 なければシャンテミリオンオブリオン。
 ワインはボネールにある」

と差し入れ要求の電話

■4時54分

客の人質男性(二五)を解放

■午後5時40分

人質から「夕刊を差し入れて」の電話。
夕刊を差し入れ

■午後6時5分

ローストビーフ、ワインなどを差し入れ。

梅川は人質に

「これが最後の晩餐会や」

■6時30分

営業係長が梅川と特捜本部に相次いで電話

「配るのが十時ぐらいまでかかりそう」

■午後7時

遺体が腐敗し始める

■午後7時7分

正露丸とパンシロンを要求

■7時18分

薬を差し入れ

■午後9時

営業係長が伊藤管理官に

「五件分の借金は返した。
 残りは相手方の関係で明日になる」

と電話。伊藤管理官が梅川に伝える。

■9時37分

咳き込んでいた女子行員(二四)を解放

■9時39分

営業係長が特捜本部に入る。

警察側が突入計画を打ち明け
「チャンスがあれば合図をくれ」と説得

■午後10時10分

営業係長が人質として一階に戻る

■午後11時5分

営業係長の報告に満足した梅川は
発熱していた女子行員(四〇)を
「これが最後や」と解放。

この時点で人質は全て行員、
男七、女十八の計二十五名
【187】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月31日 16時14分)

【行内二日目】

早朝から人質の一部解放が行われた事件二日目、
銀行の内部ではどんな動きがあったのか。

再び、時計の針を戻してみる。

■午前8時30分

特捜本部がコーヒー三十五人分を差し入れ

■8時47分

梅川が伊藤管理官に電話

「玉出(西成区)の交差点手前に
 ボネールというレストランがある。
 その前におれのマツダ・コスモが停めてある。
 トランクの中に知人から借りた8ミリ撮影機がある。
 おれは死ぬから本人に返してくれ。
 トランクの中には散弾もあるから
 それは警察で処分してくれ」

■午前9時5分

客の男性人質(五七)を解放

■9時15分

梅川が知人の喫茶店主やスナック経営者らに電話

「新聞で知ってるやろ。計画してやったんや。
 みんな元気でやれ。借金は返す。
 女を人質にとると警察には効果あるでえ」

■9時30分

特捜本部がボネール前のコスモを発見。
撮影機と散弾百二十発を確認。
梅川が「朝刊をすぐ持ってこい」と電話

■9時38分

朝刊を差し入れ

■午前10時

梅川は女子行員に服を着けさせ始める

■10時20分

梅川が「ビールくれ」

■10時38分

行員を使ってビール要求の電話、
以後七回、同じ要求を続ける

■10時58分

梅川、ビールが届かないのに怒り、発砲

■11時4分

伊藤管理官が
「ビールを入れた。
 おふくろさんが心配して駆けつけた」と電話。

梅川は
「おふくろが姿を見せたら
 一緒に死んでしもたる」と興奮

■11時48分

客の人質女性(二五)をビールの
差し入れの見返りに解放

■午後0時45分

一階の暖房装置が一時故障

■午後1時

一階に取り付けられた集音マイクを通じて女子行員の
「お願い、撃たないで!」と悲鳴に近い声

■午後1時13分

特捜本部が弁当三十三人分を差し入れ

■1時45分

差し入れの見返りに客の人質女性(二四)を解放

■1時47分

伊藤管理官が梅川に「おふくろさんに代わる」と電話。
母親が「もしもし」と呼びかけるが、
梅川は返事をせず切る

■午後2時42分

梅川が人質の業務係長(四〇)に
愛人宅など金の配り先八ヶ所のメモをとらせる。

浪速区のスナック経営者に

「銀行員をあんたのところへ行かせる。道案内を頼む」

と電話。

営業係長を一時解放。
梅川は「金を届けてこい。失敗したら人質全員を殺る。
金を渡したらそのつど、電話してこい」

■2時45分

営業係長が銀行を出る

■2時55分

女子行員を通じて
「リポビタンD三本を入れろ。代わりに人質を出す」

■2時58分

リポビタンD三本と母親の書いたメモを差し入れ
【186】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月31日 16時10分)

【会 見】

事件発生から二日目の夜も更けた午後十一時十五分
新田勇・刑事部長による初めての現場会見が行われた。

煌煌としたテレビライトを浴びた新田は

「それでは概況を説明する」

とぶすり、とした表情で口を開いた。

「死傷者は従前の通り。
 人質ままだ相当数残っているので、
 慎重に対処したい。
 これからの対処方法は基本を守りつつ、
 かつ犯人の特徴的な事柄が
 時間の経過とともに分かってきたので、
 じっくりと行いたい」

と述べ、ひと呼吸おき

「場合によっては決断を下すこともあり得る」

とつけ加えた。

ざわめきが起きた。

  
舌打ちも聞こえた。

誰もが失望している。

新田は警察庁から外務省に出向し、
在米日本大使館の一等書記官として
四年間のアメリカ暮らしを経験してきた
筋金入りの官僚警察官である。

「それにしても、この場ならもうちょい、
 ええことしゃべりないな」

一課担当の枡野はメモをとるのを途中でやめて
いささか呆れ顔で新田の顔を見つめていた。

――――――   決断を下すとは、突入するってことか。

闇の中から質問がとんだ。

「そんなこたぁ、聞かんでもわかるだろ」

むっとした拍子に新田持ち前の江戸弁が出た。

――――――   犯人の態度は

「硬軟、両様の行動をとっているってところか」

――――――  死者の氏名は

「氏名は確認できていない」

――――――  行員の死者は

「二人ぐらい、いるだろうな」

――――――  犯人からの具体的な要求は

「なにかをくれ、というようなものではない」

――――――  母親との接触は

「全くなかった、とはいえない」

――――――  母親は帰ったのか

「帰ってはいないな」

――――――  犯人の疲労度は

「そうだな。相当くたびれた様子、といっていいか」

あちこちから飛び出す質問を新田はもう、
このへんでいいだろう、
というふうに手で制し、

「そうだ。現在残っている人質は男七名、
 女十八名、計二十五名である」

以上、と言って会見は打ち切られた。

なんや、しようもない。  
顔見せ会見やないか。

ぶつぶつ言いながら記者たちは散っていった。

新田勇刑事部長と坂本房敏捜査一課長は
並んで銀行の方へ引き返していった。

府警キャップの黒川満夫も
その二人に肩を並べて歩き出した。
新田は黒川の顔を横目で一瞥したが、
何も言わなかった。

毎日、一度は顔を合わせ、冗談も言い合う仲である。
黙っていてもお互いに通じるものはある。

三人は機動隊が固める包囲陣の中を
真っ直ぐに突っ切って歩いた。

一人では記者が入り込めない場所である。

「近いでっか」

黒川は前を見たまま尋ねた。

「うん、疲れとるからなあ」

疲れている、というのは犯人のことであろう。

「スキあれば、ということでんな」

「そうだ。何度かチャレンジしてるんだが」

「そろそろスキが出てくるころでんな」

探りを入れる黒川に新田はチラッと目をくれた。

「そろそろ、限界だろうなあ」

三人は銀行西側の通用口前まできた。
奥に特捜本部に通じる非常階段が見える。

黒川は新田と別れて道路向かい側へと引き返し、
改めて銀行周辺を眺めた。

機動隊の包囲の輪が縮まっているように感じた。

三十分前には半数の隊員が腰を下ろしていたが
今は全員が楯の内側に片ひざをつけた姿勢で
シャッターの下りた玄関口に相対している。

ひざを付けた足が地面を蹴れば突入だ。
銀行内部では狙撃隊が機を
うかがっているのではないか。

「近い」

黒川は改めて察知し、
小走りに「ABC」に戻るとサブキャップの河井に

「一応、午前零時、突入の線で体制を組んでくれ」

と指示し、踵を返して銀行の方へ向った。
【185】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月30日 16時30分)

【タンテイ】

死者はやはり、支店長と窓口係だった。

連絡を受けた社会部は騒然となり、
整理部からもバタバタと数人が駆け寄ってきた。

と、社会部に響くような大声がした。

「それは情報か、確認か!」

社会部長の黒田であった。

黒田の大声でざわめきが一瞬、
水を打ったように静まった。

だれもが名前が割れた
「いきさつ」をまだ聞いていないのである。

谷本は息を弾ませて前線本部の「ABC」に駆け戻るや
工藤に取材の模様を手ぶりを交えて報告した。

「支店長については二度、繰り返したんだな」

「そうです。最初、支店長と言い、念を押すと
 森岡支店長とはっきりと言いました」

「手術直後で意識があいまい、
 ということはなかったな」

「大丈夫です」

「よし」

工藤は社会部に電話を入れ「誰かデスクを」と叫んだ。

工藤は言った。

「支店の行員がはっきりと二人の名前を言っている。
 警察の確認となるとこれは遺体が出て、
 対面した家族がそうだ、と
 言わないかぎり、公式発表はせんだろう。
 僕はこの行員の言葉を信じるしかない、と思う」

「むつかしいとこやが、そういうこっちゃろうなあ」

前線本部では黒川と河井が
警察サイドでもなんとかダメ押しをしたい、
と捜査一課担当の桝野と津田を確認に走らせていた。

事件の渦中では責任あるポストにいる役職者は
まず、口を割らないものだ。

こんな際、頼りになるのは
中枢の情報に接することができ、
長年の取材を通じてハラの分かり合った
「タンテイ」と呼ぶ一線の捜査員に限る。

桝野と津田は別々にそんな相手を求めて
警察官の中を泳ぎ、桝野はいつしか、
銀行東側の多重無線車のそばに来た。

前夜、中徹が「犯人は梅川」と
聞き込んだ例の場所である。

この夜も多重無線車の付近は閑散としていたが
それでも錯綜する通信をさばくために
捜査員の出入りは続いていた。

車の陰に隠れて枡野は相手を待った。
何人かの捜査員が気付かずに通り過ぎた。

枡野は辛抱強く待った。

やがて中年の「タンテイ」がきた。

枡野が車の陰から声をかけた。

「なんや、枡っさんやないか」  相手が応じた。

「行員の死者やけどなぁ・・・」

枡野はわざとのんびりした口調で言った。

「支店長はんと窓口係りということでいっとんやけど
 ええ、やろうなあ …」


相手はじっと闇を透かして枡野を見ている。


「 … ええ、でぇ 」


「おおきに」


枡野は闇のなかを「ABC」にむかって駆け出した。
【184】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月30日 16時25分)

【代表質問】

手術室を出た谷本たちは二階のICUの前に集まった。

「ご家族です」

脳外科部長は記者たちに言い、あとはあなた方次第、
というふうにうなずいて歩いていった。

長イスには結婚後間もない行員の妻と
夫婦それぞれの両親がいた。
銀行員の付き添いはいない。

「ほんのちょっと、
 ご本人の話をうかがってよろしいでしょうか。
 副院長は二、三分ならいい、
 と言っておられるんですが」

家族たちは顔を見合わせた。
と、行員の父親が口を開いた。

「いいです。あれは体力に自信のある子です。
 高校ではバレー部のキャプテンでしたから」


父親は自分に言い聞かせるような口ぶりだった。


ひとしきりざわついた廊下に静けさが戻ったとき、
行員を乗せたストレッチャーが近づいてきた。

一斉に腰を浮かせた家族たちがもどかしげに
それでも足音を忍ばせてストレッチャーを包み込んだ。

「大丈夫か」

「痛むか。気分はどうや」

行員は微笑もうとし、

「だ い じょう  ふ」

と口を動かした。

麻酔が十分に醒めていないのか、
少しろれつの回らないところがあった。
しかし、眼や口元には、
はっきりした意識の醒めた表情があった。

ICUの入り口で記者団が家族に代わってストレッチャーを取り巻いた。

看護婦の顔は「やめてあげて」と言っている。

谷本は枕元の位置に立っていた。
彼は質問をひとつに絞ろうと決めた。

他社の記者を見回し、
目顔で「まかせろ」の了解をとった。


代表質問である。


谷本は行員に顔を近づけ、
ちょっとハスキーな声をゆっくり刻んで質問した。

「銀行の方が撃たれて亡くなられた、
 と聞いていますがそれはどなたですか」

行員の眼は谷本を見上げている。

「支店長とH君です」

声は低いが言葉は、はっきりしている。

「支店長ですか」

「はい、森岡支店長です」

すべての記者がはっきりと聞きとった。

「お大事に」

瞬時に記者たちが散った。

谷本は車に飛び乗るなり、
無線でゲンポンを呼びだした。

二人の死者の名前はただちに社会部にリレーされた。
【183】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月30日 16時22分)

【散 弾】

阪和記念病院では谷本真が
男子行員の手術が終わるのを待っていた。

救急車を追ってきた谷本は玄関口で
二人の警官と病院の事務員に立ち入りを拒まれた。
だが、警官はともかく事務員の態度は柔らかで

「ここまでで勘弁してください。
 すぐ、手術しますから。
 その結果をみて、みなさんに
 便宜が図れるか考えてみましょう」

と言った。

これまで散々、銀行本部から送り込まれた
職員たちの鉄面皮な応対に
辟易していた記者たちに
異存のあるはずはなく
「宜しく」と引き下がった。

職員は三十分おきに通用口に顔を出したが

「まだ、終わりません。
 何時になるか、わからないようです」と言う。

「重傷なんですか」

「さあ、それは。散弾を摘出するのに
 時間がかかるんだと思います」

「まだ、一、二時間は」

「それぐらいはかかるんじゃないですか」

一人去り、二人去った。

新聞記者というものは自分の持ち場に動きがないと、
ほかの場所でなにか始まっているのではないか、
と不安にかられる。

谷本はとりあえずカメラマンに待機を頼み、
いったん現場へ引き返した。

投光器に照らし出され、
機動隊が二重、三重に銀行をとりまく光景は
緊迫感に満ち、いまにも何か、起こりそうだった。

午後九時過ぎ「間もなく手術が終りそうだ」と
カメラマンからの連絡が谷本に届いた。
最初に搬送された病院を含め、五時間が過ぎている。

谷本が病院に着いて十分足らずの間に
四人、五人と記者やカメラマンがやってきて
最初の十人が顔をそろえた。

病院側は約束通り、残留組に
手術の終了を連絡してくれたのである。

「どうぞ」と一同は二階の副院長室に通された。
ほどなく手術着をつけたままの
中年の医師が入ってきた。

事務員から手術を担当した脳外科部長、
と紹介された医師は
丁寧な口調で説明を始めた。

「こちらへ転送されてきたときは脱水症状がひどく
 まあ、疲労困憊の状態でした。
 普通の方なら手術に耐えられるか、
 危ぶまれるところですが
 お若いし、体も鍛錬されていたようなので
 六時十五分から手術に入りました。
 遅れると鉛中毒が怖いですからねえ。
 終わったのが九時半。散弾は五十九発摘出しました。
 幸い頭骨には損傷がなかったので
 全治一ヶ月という、ところでしょう」

「で、ご本人に質問できるでしょうか」

谷本は一番気になる点を質した。

「あと三十分もすれば麻酔がとれるでしょう。
 二、三分ぐらいなら、いいと思いますがね。
 ただし …」

と医師は記者団を見渡して

「ご家族の了解をとっていただかねばなりません」

と言って

「じゃ、ご案内しましょう」と先に立った。

一同が着いたのは三階の手術室前であった。

看護婦が一人、一人の上着に
消毒液の匂いが漂う手術衣を着せた。

重いドアが開かれると、ポツンと置かれた手術台の上に
青白い顔の若い男が横たわっていた。

「これです」と医師が指したガーゼを敷いた
金属トレイの上に大小の散弾が並んでいた。

大きいものは小指の先大。
小は米粒より小さなものまで
とりどりの散弾が鉛色の不気味な膚を光らせていた。

カメラのシャッターが一斉に切られた。
【182】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月29日 15時06分)

【老刑事】

一課担当の津田と遊軍の大谷が
レクの報告のため「ABC」に戻ってきた。

津田はこれ以上、自分一人で
疑念を持ち続けられない気持ちで
だれにともなく

「どうも死者の一人が支店長やないか、
 という気がするんですが」

と言った。

居合わせた全員が津田の方を見た。

津田は疑念の根拠を語ったが、
我ながらどうも説得力に乏しいと思いながら
最後に付け加えた。

「デカの一人が言うんですがね。
 行内の捜査本部から梅川に支店長を出してほしい、
 というと梅川が支店長は殺した、と言ったそうです」

全員がこの情報の確度を
推し量るようにシーンとなった。

梅川が「支店長を殺した」といっても
それは梅川のハッタリかもしれない。

しかし、工藤は支店長が
犠牲になっている確率は極めて高いと思った。

府警キャップの黒川も同じ思いだった。

「よっしゃ。その線で絞っていこ」

黒川の一声で大谷が

「わてがやりま」と進み出た。

「そやけど、このあたりに一課の
 なじみの顔が見当たれへんでえ」

と言うと、津田がひきとって、特捜本部にいるほかは
住吉署で共犯の鍋島を取り調べているんだ、
と説明した。

とりあえず、一課の顔なじみをつかまえるために
大谷は車で五分の住吉署へ向った。

こういう重要情報は前線の中枢より
意外と後方で拾えることがある。

しかし、デカ部屋はがらんとしていた。

案の定、頼みの一課の連中は
調べ室で鍋島と対座している、という。

一人、一課の情報係が警察庁あての
報告書下書きをしていたが
手元にあるのは鍋島の調書だけである。

「情報係」というのはいろんなことを知っているのだが
それだけに上層部からの締めつけは厳しい。

こんな連中をいくら揺さぶっても
何も出てこないことは
大谷も経験でよく知っている。

「無駄足だったかなあ」

と帰りかけたとき、奥の方の
石油ストーブの横で机に足をあげて
テレビを見ていた初老の刑事が

「よおっ、久しぶりやないか」

と声をかけてきた。

大谷が八年も前に南大阪方面のサツ回りをしていたころ
所轄署の捜査係をしていた刑事だった。

なつかしそうに手をあげている。

「わしはなぁ、きのう当直に当たってたもんでな。
 こっちに残されてよ。
 泥棒やケンカの処理ばかりやよ。
 あほらしゅうもない。
 なあ、こんな事件
 あんたらもいっしょやろが、
 自分で現場、踏みたいわなぁ」

そう言いながら天井を見上げている。

「しめたっ」と大谷は思った。

このオッサンの雰囲気にはどことなく、
知ってることなら言うてもええでえ、
という匂いがある。

だが、隣に同じ当直組に入れられてしまった
若い刑事が同じように
ストーブに手をかざしていた。

大谷が昔話で本題への糸口を探ろうとしていると
若い刑事が二人のやりとりに
気を利かせたのか立っていった。

「で、支店長はどないなっとる?」

「うん、つまり、いかれとるんやろ」

「死んでいる?」

「ああ、わしら随分前にそう、聞かされたで。
 早うに撃たれた、いうて。間違いないわ」

若い刑事が戻ってきた。

と、老刑事は声を張り上げて

「あんたらも大変やなあ。
 そらそうと、かあちゃん、もろたんやろ?」

顔が笑っている。

ありがたい。

「根拠」にはまだ遠いが、少なくとも大谷は
百パーセント間違いないと信じた。
【181】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月29日 15時01分)

【推 理】

捜査一課担当の津田哲夫はキャップの黒川に
ハッパをかけられるまでもなく、
死者の名前を割り出すのは自分の役目だと
追いたてられる思いで捜査員の間を渡り歩いていた。

彼はそれまで一課の捜査員や鑑識課員、
科捜研の連中の誰彼に探りを入れて
その一人から

「死者は男子行員で頭文字はH」

と聞かされていた。

そのHを三菱銀行大阪事務所から入手した
北畠支店の職員名簿と照合してみた。

名簿は前年四月現在のもので、
一般行員については
その後の異動分は書き加えていない
ということだったが、
その名簿に関する限り、男でHの頭文字は
窓口係(二〇)しか該当者はいなかった。

窓口係なら、犯人と最初に出会うはずだ。

梅川は銀行に押し入ってすぐ、猟銃を撃っている。

それは二人の警官が到着する前のことだ。

ひょっとして、犯人に立ち向かおうとした
この窓口係の男性が
最初の犠牲者ではなかろうか。

もうひとつ、津田にはひっかかることがあった。

これまで犯人との電話のやりとりなどのレクで
支店次長の名前がよく出てくるのだが、
新任の支店長が一度もでてこない。

人質になっているにしても、
特捜本部とのやりとりで一度くらい
人質の代表や犯人の要求の取次ぎ者として
名前がでてきてもいいのではないか。

そう思って、津田は何度か捜査員に

「支店長、どうしてる?」

と尋ねているが

「いや、知らん」

「それが分からんのだよ」

と答えが返ってくる中に一瞬、
戸惑いの表情が浮かんでいるのを見逃していなかった。

犠牲者の一人は支店長ではないか。
この線でもっと突っ込んでみなくては、
と津田は思っていた。

午後八時四十五分、九回目のレクが始まった。

捜査一課の木口調査官にも
さすがに疲労の色がにじんでいた。

レクの内容は人質になっていた客四人が解放、
自力で脱出したとして

「そういうわけであとは全員行員や。
 夕食の要求があったので
 うどんを差し入れた。以上や」

と一方的に打ち切るとくるりと背を向けた。

「待ってや」

津田と大谷が声をかけた。

「死者の確認はどうなってるんや。
 それに現在の人質の数がレクにないやないか」

「それがわからんのや」

「そんなはずはないやろ」

「わからん、いうたら、わからんのや」

木口は背を向けたまま頭をふった。

その背中には警察は絶対に言わんぞ、
という強い意思が読みとれた。

「待ってくださいよ」

大谷は食い下がって行員の家族はもしや、と
どんなに不安な思いでいるか、と訴えた。

しかし、木口の背中は微動だにしない。

なおも追いすがろうとして大谷は足をとめた。

「こんなところで言うはずないや」と
悟ったからである。

彼も長い間、捜査一課を担当していたから
警察の気質は十分に知っている。

警察としてはあくまで遺体が銀行の外へ出て、
家族や同僚が確認しない限り本人であると断定しない。

それがタテマエであり、こんな公開の場で
そのタテマエを崩すわけがないじゃないか。

「おい、大谷、お前、ちょっとのぼせとるんと違うか」

東京育ちで記者になってから身につけた
自己流の大阪弁で大谷は我と我が身につぶやいた。
【180】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月29日 14時58分)

【死者は誰だ】

前線の取材本部では誰の胸にも思い澱りがあった。

特に府警キャップの黒川満夫は気分が重かった。

早朝から解放された人質や梅川の母を追いかけ、
ウマに食わせるほどの原稿を夕刊に送ったが
肝心なことがいまだに、つかめないでいる。

死者は誰なのか。

人質は何人残っていて、それは誰なのか。

これまで無傷で解放された人質はすべてあのとき
銀行内に居合わせた客たちであって銀行員ではない。

だから、苦労の末、その解放された
人質から聞き出せたことは
行内の模様や犯人の様子であって、
死者が誰であるかは客自身、知るすべもない。

死者は四人でうち、二人は事件発生直後に行内に
突入した警官であることはほぼ間違いない。

残り二人が行員であることも解放された客の目撃談や
捜査員への聞き込みで疑いようがない。

しかし、それが誰かが、
確認できていない。

考えてもみるがいい …と
黒川は自分に言い聞かせた。

多くの人の目の前で凶悪犯によって人が射殺された。

それから丸一日、新聞、テレビは
その事件にかかりっきりで報道している。
それでいて、被害者の身元がまだ分からない。
こんなことが今までにあっただろうか。

人質になっている行員の家族は
どんな思いでいるのだろう。

もしや私の夫や、息子では・・・

現にそういう問い合わせは
社会部にもいくつか来ていた。
その人たちのためにも早く犠牲者を割り出したい。

第一、いまだに犠牲者の名前が載せられないなんて
新聞記者としてザマないじゃないか。

黒川は「ABC」でハンディを握っている
サブキャップの河井に

「とにかく死者の名前を割り出すのが第一やでぇ」

と言い、銀行周辺に散っている
府警詰めを一人ずつ呼び出しては
名前の確認を急ぐよう指示させた。

黒川と河井は阪和病院をマークしている
サツ回りの谷本真に期待をかけていた。

夕刊の締め切り後に初めて銀行員三人が
解放されていた。

いずれも負傷していて、
うち二人は府立病院に搬送されていたが
一人は後頭部に負傷しているのか、
頭に包帯を巻きながらも
気丈に捜査員の肩につかまって
救急車まで歩いて行っていた。

河井はその行員の気丈ぶりから、
死者の名前が聞きだせるかもしれない
と思い、谷本に救急車を追わせていたのである。

谷本は救急車をピッタリと追跡し、
八分後に阪和病院に着いた。

車を降りるなり、搬送される担架に駆け寄ったが、
玄関に三人の捜査員が先回りして
谷本が入るのを阻止した。

医者に容態を聞きたい、
と申し入れたが三人は顔を振るばかりである。
そのうち、他社の記者も駆けつけ、
同時に大阪本部の銀行員も二人やってきた。

ここでもまた、報道陣、警察、
銀行の角の突き合いである。

やっと谷本は捜査員の一人から運び込まれたのは
銀行寮に住む貸付係(二六)で
全治三週間の見込みとの
診断結果を聞きだした。

捜査員を介しては死者の名前を
聞き出すことなんてできやしない、
と谷本はこの行員に会える
チャンスを待つことにした。

しかし、三十分後には行員は再び
担架で救急車に運び込まれ
寮とは反対方向の南へ走り出した。

再び谷本が追う。

着いた先は脳外科のある阪和南病院であった。

行員はすぐ手術室へ運ばれ、
谷本は入り口前で手術が終わるのを待った。

事件発生から二日目の陽はすでに暮れかけていた。
【179】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年06月04日 13時40分)

【証 言】

浅田からの情報を元に
石田が書いた原稿を
社会部で受け取ったのは
デスクの田村洋三である。

最初、さっと目を通したとき、
右肩に四十数発の散弾を受け
左耳がそがれるのは、ちょっとおかしいなと感じた。

田村は散弾が耳をそいだ、と「読んだ」のである。
これは右耳の誤りではないか、
と改めて原稿を読み返して
「切り取られ」の字句に気付いて愕然とした。

梅川の凶器は猟銃と警官から奪った
拳銃ばかりと思っていたが
刃物も使っているのか。
 
しかも耳をそぐとは何事だ。

「原稿の突っ込みが足りん。石田を呼べ」

温厚な田村の珍しい怒声に遊軍の一人がすぐさま
府立病院の守衛室に電話を入れた。

うまく石田がつかまった。

「梅川は刃物を持ってるんかあ。
 そのへん、しっかり取材しろよ」

田村の大声にちょっと絶句した石田が

「実はですねぇ」

と浅田の取材の一件を伝え

「いま、浅田君が再度、確認に走ってます」

と結んだ。

節句するのは田村の番だった。

「なんやてえ、きみい!」

この情報があらゆる現場で流れ出したら
万が一の場合、大変なことになる。

「とにかく、そちらでの確認を急いでくれ」

やっと、それだけ言って電話を切ると
田村は吐息をついた。

今もあの銀行の内部で展開されている事件が
いよいよ並みの強盗事件とは類を異にしたものを
はらんでいることが、はっきりしたからである。

ドス黒い底なし沼を、垣間見た思いがして
田村は二、三度首をふった。

浅田と石田は府立病院三階の手術室の前で
救急部長が出てくるのを待っていた。

午後四時前に始まった手術は
延々五時間になろうとしている。
九時過ぎになってやっと
手術室のドアが開き、救急部長が現れた。
ドアの前には石田ら五人の記者がいた

「では、ご説明しましょうか」

廊下で応急のぶら下がり会見となった。

「御本人の意識ははっきりしています。
 きのう、午後四時ごろに撃たれた、
 と言っておりました。
 撃ち込まれた散弾は三十発ほどで、
 うち一発は貫通していましたが
 心臓を外れていたので生命は大丈夫です。
 いや、ほんとに気丈な方です」

それだけ言うと、救急部長は心底疲れた、
というふうに肩を落として廊下を遠ざかっていった。

その疲れた影が角を曲がるのを見届けて
石田と浅田は小走りに後を追った。

「御本人の意識は大変はっきりしているのですね」

と後ろから浅田が声をかけた。

「ええ、それは今も話しましたように」

振り向いた救急部長のけげんな表情に眼をあて、
浅田はスパッと切り下げるように質問した。

「左耳を同僚に切られた、
 と言っているのは本当ですか」

救急部長はじっと二人を見つめ、
それからゆっくりと頷いた。

「ええ、本当です。あの方は散弾を浴びて倒れ、
 とっさに殺されると思って死んだふりをした。
 そしたら、犯人が他の行員を銃で脅して
 耳を切るよう命じた、と話していました。
 私は医者ですから冷静に治療しましたが、
 鋭利な刃物で上半分が切り取られた耳を見て、
 残忍な …と思いました。
 しかし、あの方は決して切った同僚に
 恨みはもっていない、とはっきり、
 そう言ってました」

これでもう、いいでしょう。
というふうに、救急部長はスタスタと去っていった。

間違いない。

錯乱などでそのようなしっかりした
話ができるわけがない。

石田は病院の外の電話ボックスから
社会部の田村を呼んだ。

聞き終わった田村は言った。

「わかった。
 被害者が医者に話した事実として、紙面化しよう」

先ほどの興奮した大声とは違って
田村の応答は低く、沈んでいた。

その声で石田はデスクにも
事の怖ろしさが的確に伝わった、と感じていた。
【178】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月27日 16時03分)

【口 論】

石田は通用口の筋向いに停めた
タクシーの中で原稿を書いていた。

先に赤電話で社会部に連絡した二人の容態を含め
家族の動きなど、見たままの様子を
原稿に書き改めていた。

浅田は医師から聞いた話を早口で伝えた。

聞くなり、石田は

「そりゃ、犯人が切ったんだろう」

と噛み付くように怒鳴った。

「違う! 同僚が切った、
 と本人が間違いなく言ったそうだ」

浅田も負けぬぐらいの大声で怒鳴り返した。

「本当か ・・・・ しかし、そんな・・・」

石田は容易に信じようとしなかった。

いったい、あの銀行の中で何が起きているのだ。
犯人・梅川は数人を射殺し、
何人かを負傷させている。

それは事実だ。

しかし、銃で脅して同僚の耳を切らせるとは、
いったいなんのためだ。 
人質を威圧するためか。
人質の中で仲間割れが起きたのか。
それとも本当に犯人が狂いだしたのか。

「切った、と切らせた、とでは全く意味が違うんだぞ!
 同僚に切らせたなら、なんのためや、
 そこんとこ、確かめたんか!」

「当たり前でんがな!」

浅田は完全に腹を立てていた。

あんたは自分が医者から聞いてないから疑っとるんや。

俺かて、こんなひどい話、うかつに信じるかいな。

あんたがひっかかっている点は
俺かて、ひっかかったんや。

何のために切らせたかやて、
そんなん、医者かて分からんわ。

分からんが、本人がそう言うた、
と医者が断言してるんやないか・・・

真っ赤に興奮した浅田の顔を見て、
石田はちょっと気を静めるように

「うん、それ、すぐに原稿にする。
 だから、もういっぺん、それ、確認してきてんか」

浅田は腹を立てながら
石田が慎重になる気持ちもよくわかった。

浅田自身、確認できるものなら、
何度でも確認したいくらいなのだ。

「よっしゃ、もういっぺん、行ってるわ」

浅田が病院内へ走り去った。


石田はタクシーの後部座席でひざの上にザラ紙を載せ、
ボールペンで原稿を書き始めた。

浅田の取材してきた話が事実としても、
それが報道された場合世間は驚き、
次に耳をそいだ同僚とは誰だろうと
詮索するに違いない。

世間の好奇な目にさらされ、
切られた者も哀れなら、切った者も哀れだ。

それでも、その行為が事実と確認されたら新聞としては
表現方法は考えるとしても、
事実は報道しなければならない。

しかし、万が一、事実と違えば・・・・・

重傷行員の錯覚、出血下の妄想だとしたら
あれは間違いでした、と訂正して済む話ではない。

石田は胸の奥に氷のように
冷たいものが流れているのを感じた。

石田はボールペンを握りなおし、
何度かためらったのち、耳のくだりを

「気づいたとき、左耳が切り取られていた」

と書いた。

「だれが」という主語を飛ばしたのである。
【177】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月27日 16時00分)


【驚 愕】

石田はふと思いついて病院の事務局へ走った。

一年前まで府庁担当だった石田は
医師や看護婦とは通じなくても
事務局なら見知った顔がいるかもしれない、
と思ったからである。

カンは的中した。

以前衛生部で顔見知りだった職員が
異動で事務局に配属されていた。

「ああ、いいでしょう。聞いてあげましょう」

その職員は気さくに応じると手術室の方へ向い
やがて出てきた医師と立ち話をしてから
石田の方へ歩み寄った。

「お一人は右肩に四十数発の散弾が
 食い込んで重傷とのことです。
 もう一人の方は後頭部に負傷されていますが、
 直撃はまぬがれている様子で
 重傷の方よりは軽い、ということです。
 おたくらも夕べは徹夜ですか。ご苦労さまです」

そう言うと、じゃ、また、
と軽く手をあげて事務局に戻っていった。

石田は待合室の赤電話に飛びつくと、
社会部に二人の負傷の程度を報告した。

浅田は一階の救急処置室前に張っていた。

一時間ほどたって、手当てを受けていた行員が
個室の病室へと移された。

そのドアの前にはまたしても
ガード役の行員が立ちふさがっている。

仕方なく浅田は処置室前にある
医師の詰め所の前をぶらぶらとしていた。

一人の医師に聞いたところ重傷行員の手術は
いつ終わるかわからない、と言い、
それ以上のことには口をつぐんだままだった。

そのとき廊下の向こうから
小柄でがっしりした体格の医師が歩いてきた。

「あの、重傷行員の方ですが・・・」

ダメもとで浅田は社名を名乗って聞いた。

「おや、おたくは読売さん?」

相手は浅田の腕章を確認して問いかけると
急に表情をくずし
「まあ、こっちへ来なはれや」
と、くだけた調子で小部屋へ案内した。

「いやあ、おたくの岸本さんには
 お世話になりましてなぁ」

その医師はあっけにとられる
浅田にお構いなく陽気に喋り始めた。

医師は一年ほど前、詐欺にひっかかり、
知人の医師の紹介で新聞社に相談にでかけた。
その相談を受けたのが当時、
府警本部で二課担当だった岸本で
丁寧に話を聞いたうえで告訴を勧め、
弁護士も紹介したくれた。

その告訴から捜査が始まり、主犯が逮捕され
紙面にも大きく載り、溜飲をさげた、というのである。

浅田は心の中で
「岸やん、ありがとう。おかげでいい話が聞けそうや」
と礼を言いながら

「で ・・・・?」

と改めて問いかけた。

なごやかだった医師の表情がけわしくなり

「重傷の方の話、ひどいですよ、
 耳を切られたらしいです」

「耳を切られたって、あの梅川に」

「いや、犯人じゃなしに。同僚に切られたらしいです」

「なんですって? いったい、それ、
 どういうことです?」

「担架で運ばれてきたとき、あなた、見ましたか。
 左耳の上半分が切り取られていたでしょう。
 あの方、あれでなかなか、
 意識がはっきりしているんです。
 で、言うには犯人が猟銃で同僚を脅して、
 刃物で耳をそがせたんだ・・・・と。
 いや、えげつない話ですなあ」

「それはまた、なんのために・・・」

浅田は自分の声がかすれているのが分かった。
のどがカラカラに渇いている。

「いや、そこまで詳しく聞いていません。
 なにしろ、手術前でしたからね」

「そのことは御本人が話したことなんですね。
 意識は、はっきりしていたんですね」

「はっきりしていましたよ。
 たぶん、間違いないと思いますねえ」

そうか ――――

医師団がよそよそしいのはこれがあるからだ。

浅田は礼もそこそこに飛び出して、石田を捜した。
【176】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月27日 15時52分)

【病院番】

大阪府立病院は三菱銀行北畠支店から
南へわずか一キロ。

解放された人質や負傷者が運ばれるとすれば
真っ先に選ばれる病院であった。

ここには事件発生の深夜から
石田昭宏と浅田靖夫が送り込まれていた。

病院にはいつ、誰が運ばれてくるか分からない。

長い無為の待機時間に耐えねばならず、
運ばれてきても銀行関係者らの取材阻止が予想される。
張り番記者には喰らいついたら
離れない粘り強さが必要だ。

社会部デスクは石田、浅田
二人の取材歴からその適正を見抜いて
府立病院の張り番担当に指名した。

マークする場所は救急車専用通用口わきの守衛室、
別棟の救急処置室、手術室、医師や看護婦の詰め所
家族用の待合室など広範囲にわたる。

二人は朝になると病院の売店で
パンと牛乳の朝食を準備したが
それも、通用口前で立ったまま、食べるという
徹底ぶりで待機を続け、午後三時を迎えていた。

突然、救急車のサイレンが北側から接近してきた。

「来た!」

朝、夕刊とも取材のチャンスのないまま
じっと張り込みに耐えてきた二人に
やっと出番が回ってきた。
しめしあわせていた手筈で石田が通用口前、
浅田とカメラマンは奥の救急処置室へと走った。

二台の救急車は前後してピタリと通用口に停まり、
前の車から担架の負傷者が運ばれてきた。

頭髪から左前額部にかけて
乾いた黒い血のりがこびりつき
血の筋は後頭部にも流れていた。

青白い顔。 それでもうっすらと目をあけ、
かすかにほほえんだようであった。

助かった――という、
心の底からの安堵のように見え
石田はその表情をしっかりと目に焼き付けた。

後ろの車からも一人の負傷者が担ぎこまれたが
こちらは頭の上まですっぽりと毛布をかぶっていて、
様子はうかがえなかった。

石田は救急車の運転席に残っていた隊員から
先の搬送者が四十七歳、後続が五十四歳の
いずれも男子行員と確認し、その名前を聞き取った。

浅田は処置室の中へ見送ったあと、
出入り口で立ち続けた。
負傷行員の症状や負傷時の状況などを
医師や看護婦を通じて聞きだすためである。

あわただしく処置室のドアが開いた。
駆け寄ったが、医師も看護婦も表情は厳しい。

先に入った行員がストレッチャーで運び出され
三階の手術室に向った。

重傷のようだ。  石田が追った。

手術室に出入りする医師はいずれも
冷たい表情で首をふるばかりである。

「相当に悪いのか」

という質問にノーコメントである。

ほどなく二人の行員の家族が到着し、手術室へ消えたが
すぐに奥の専用待合室へと移ってきた。

その前後を三菱銀行大阪事務所から
派遣されてきた、という三人の大柄な行員が
両手を広げ、二組の家族をピッタリとガードした。

浅田は他社の記者たちとともに交渉した。

「御家族の方にちょっとお会いしたいのですが」

「どなたにもお会いしたくない、と言っておられます」

「どなたがおいでになっているのですか。
 奥さんとお子さんのようにお見受けしますが」

「申し上げられません」

「お名前だけでも聞かせてください」

「では、申し上げていいか、どうか伺ってきます」

浅田はムカムカしていた。
ちょっと会えばいいのだ。
負傷したあの行員は家族と会ってなにか、
話しただろうか。

ひと言でいい。その言葉が聞きたい。

「やはり、何もお話することはないと申しております」

勝手にしやがれ、と浅田は
この取次ぎの男にムカッ腹が立った。

断られるのは仕方ない。

その気持ちも分からないでもない。

しかし、それを取り次ぐのにもうちょっと、
人間らしい表情と言葉を使ったらどうだ。

お前はいんぎん無礼なお面をかぶった
デクの棒ではないか!
【175】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月26日 16時42分)

【説 得】

香川県大川郡引田町。

徳島県境にあるのどかな漁港町に
ローター音がうなりを上げた。

午前九時五十分、梅川昭美の母、
静子を乗せた大阪府警のヘリコプターは
引田総合グラウンドを離陸した。

午前十時二十分、ヘリは大阪、長居公園に着陸。
パトカーの先導で静子を乗せた車が
銀行西側の階段下に到着した。

静子は緊張感で張り詰めた非常階段を
一歩、一歩のぼっていった。

凍りついた静寂の中で
警官隊、報道陣、群衆のすべての視線が
自分の背中に突き刺さる。

三階の捜査本部に入る。

静子は深々と頭をさげた。

坂本房敏捜査一課長の
「説得してもらえるか」の言葉に
静子はうなずき
「撃たれて死んでもかまいません。下へ降ります」
と大声で言った。

午前十一時四分、
伊藤忠郎管理官が梅川への
ホットラインの受話器をあげた。

「おふくろさんが心配してかけつけた」

聞くなり、梅川は

「おふくろが来たら、一緒に死んでしもたる」

と興奮した口調でわめき、一方的に電話を切った。

午後零時三十分、梅川は

「おふくろへの遺産として五百万円、
 おれの借金返済に五百万円。
 人質を解放する謝礼として三菱銀行が
 自由な意思で金を出す、
 ということにして上司の決裁をもらってこい」

と行員に指示、行員は二階に上がり
中田支店次長と相談、
中田次長はこれを了承した。

午後一時四十七分、
梅川が客の人質女性(二四)を解放。

梅川の軟化をみた伊藤管理官は直後、
ホットラインで再び梅川に呼びかけた。

――――― あのね、お母さんがあんたの声だけ聞かせてほしい
      と、いうてんのや

「・・・・・・」

――――― ちょっとだけ、話してくれるか

伊藤は素早く受話器を静子に渡した。

―――――― もし、もし

「(プー、プー)」

応答はなく、息子の声の代わりに
単調な機械音が断続しただけ、だった。

あきらめるのはまだ早い。

伊藤は静子に便せんとボールペンを渡し、
手紙を書いてくれるよう頼んだ。

静子はほとんど読み書きができない。

とまどいながら、ペンを握った。

ここでも数十人の捜査員の視線が自分の指先に集中しているのがわかった。

<  昭  美  >

やっとの思いで書き始めた文字は震え、
ちぢかんでいる。

< おかあさんがきていますよ >

だが、次の文句が浮かばない。
いったい、どう書いたら高ぶった
あの子の気持ちを鎮められるのか。

< あさのてれびでしったのですが、
  おまえ、どうしたことをしたのです >

夫と離婚後、私の帰りを暗くなった家で
ポツンと待っていてくれた、あの子。

ぐれたのを叱った私に刃物を突きつけた、あの子。

< いま、でんわをかけてもらったけれど 
なんですぐにきってしまったのか >

十五歳のとき殺人事件で
少年院に入れられたときと同じ、
母さんをこれ以上、悲しませないで。

< いま、そこにいるおかたをわけをはなして、母上のたのみですから
  ゆるしてあげてください >

大阪へ行って長い間、音信不通だったお前が小さな贈答品店を始めた――と聞いて
どんなにお母さん、うれしかったことか。

< はやく(人質を)だしてください
母上のたのみです      母より>

百三十三文字で精一杯に綴った静子の手紙は
差し入れのリポビタンD三本とともに
一階に届けられた。

梅川はその手紙を女子行員に読み上げさせた。

ひらがなだけの乱れた文字に行員が首をかしげると
梅川は独り言のようにしゃべりだした。

「おふくろはそんな字しか、書けへんのや」

「おれにはおふくろだけしか、おらんのや。
 おれは子供のころから、
 おふくろと一緒に苦労したんや・・・
 おふくろは大好きや。
 いっしょに暮らしたいんや」

血に狂っていた梅川が初めて人間らしい言葉を吐いた。
【174】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月26日 16時22分)

【解 放】

三菱銀行北畠支店周辺にも朝がやってきた。

事件はついに日付をまたいだ。

午前七時、西側通用口を見張っていた記者の甲高い声が
「ABC」にいる河井のハンディに飛び込んできた。

「ゲンポン、ゲンポン、
 人質が解放された模様です!
 若い女性です!」

救急車のサイレンが「ABC」の前を通過し、
すぐ北側で停まった。

「追っかけろ!」

工藤が怒鳴った。

未明に年輩の男性と女性が解放されて
特捜本部で事情聴取を受けているらしい。

解放された人質が心身ともに
くたくたになっているだろうことはわかる。

新聞記者なんかに会いたくない。

肉親の温かい庇護に包まれて眠りたい。

少なくとも話したくない。
  
その気持ちは十分にわかる。

しかし、われわれは会わなければならない。
会って話を聞かなければならない。

ほぼ一昼夜、犯人の銃の威嚇のもとに監禁されていた
行内の様子は体験した者からしか聞けないからだ。

工藤と黒川はこのあとも続くと予想される
人質の解放に備えて徹底的に
マークする体制を打ち合わせた。

大阪市消防局では前日から
十四の救急隊を現場に集結させていた。

同時に府立病院、昭和病院、警察病院など
二十七の医療機関に緊急搬送の
受け入れ方を要請していた。

「つまり、どの病院に走るかわからんわけや。
 自宅や勤務先に送ることもある。
 八方に目配りしとかにゃ、あかんなぁ」

黒川が前夜から銀行の要所に立っている
織田らのもとへ行き

「あのなあ」

と言いかけたら織田が笑ってひきとった。

「わかってま。
 救急車が飛び出したら所属とナンバー、
 行き先を確認してゲンポンに連絡でっしゃろ」

黒川は満足そうにうなずき、引き返した。

午前九時二十五分、六回目のレクが行われた。

捜査一課の木口調査官が声を張り上げて

「なぜ、解放されたかのか、
 特別の理由はないようだが」

と前置きして三人の名前をあげ、
解放の事実を発表した。

特捜本部が三人からたっぷり聴取したであろう
行内の状況死傷者の実態、恐怖の体験は
ものの見事に抜け落ちていた。

解放者の住所すらなかった。

木口調査官は記者たちの
くやしそうな顔にむかって続けた。

「みんな疲れ果ててんのや。
 住所を言うたら報道陣のみなさんが
 どっと押しかける。
 それがわかってるから住所は言えん。
 ただし、絶対に押しかけない、
 というなら住所を言うてもええで」

そして、どうや、とばかりに
取り巻いた数十人の報道陣を見渡した。

「それは、やめときまひょ」

即座に府警担当の記者から声が出た。

「これだけの数がいるんや。
 だれが訪ねていくかもしれん。
 守れるアテのない約束はしない方が
 フェアでっしゃろ」

言いながら、なに、ぬかしてんねん。

こっちでちゃんと調べたるわい、
どの顔にもそう書いてあった。

「それじゃ、住所は抜きや」

調査官はうなずき、もう一人、六十一歳の女性が
地下の貸金庫室に隠れていたのを午前八時十分に発見、
救出したとつけ加えてレクを打ち切った。

前線本部の「ABC」ではレクの三十分後には
四人の解放者の住所をつかんだ。

「できない約束をするぐらいなら、
 教えてもらわなくてもいい」

とタンカを切る以上、
府警詰めの記者にはそれなりの
情報入手ルートがあったのだ。


     夕刊の勝負が始まった。
【173】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月22日 17時01分)

【落とし穴】

大阪本社社会部にも朝陽が差し込み始めた。

犯人が断定されたいま、
まず重要なのは本人の顔写真だった。
こんな凶悪な事件を起こした梅川とはどんな男なのか。
なにはおいても、顔写真を手に入れる必要があった。

本社デスクでは梅川の郷里の広島、
香川の支局に手配するとともに
梅川は猟銃を持っているのだから、
狩猟免許の関係で写真があるはずだ
と府庁ボックスに電話を入れた。

電話に出た府政担当の水野成之は突然立つことになった
バッターボックスで自分の役割を判断した。

まず担当の自然保護課に走り、折り返し
梅川は大阪府の狩猟講習を受けたのち、
奈良県で狩猟免許を得ている、と連絡し

「写真は免許取得の申請書に付けるので
 奈良で手に入るのではないか。
 念のためこちらも講習終了時の書類を調べてみる」

と伝えた。

手配はすぐ奈良へ飛んだ。
  
頼むぜ、奈良さん、
と祈るような気持ちだ。

社会部ではそんな手配に追われながら
司法キャップの柳本は考えていた。

「強盗殺人の前科のある男にどうして
 猟銃所持を許可したりするのか。
 猟銃という武器さえなかったら、
 たとえ銀行強盗に入ってもここまで
 むごい事態にならなかったのではないか」

柳本は府警ボックスの四ノ宮を呼び出し、
府警が梅川に猟銃所持の許可するに
至ったいきさつを調べてほしい、と頼んだ。

留守部隊ではかばかしい情報が入らず
じりじりしていた四ノ宮はすぐに本部の保安課と
梅川に猟銃所持の許可を与えた住吉署の保安係へ電話を入れた。

「それがですねえ …」

係員の声は重かった。
それも当然、猟銃人質事件の犯人、
梅川昭美が持っている銃は
警察が正式に許可を与えたものであり、
その銃で同僚二人を含む数人が射殺されているのだ。

「欠格事項に該当しなかったものですからねぇ」

なじるような質問に住吉署の係員は
しぶしぶといった口調で説明した。

その内容はすぐに柳本のもとへ送られてきた。

銃砲刀剣類所持取締法の許可基準にいう欠格者とは次のものである。

一、十八歳未満の者
一、精神病者、麻薬、大麻、覚せい剤の中毒、または心神耗弱者
一、住居不定の者
一、禁止事項に違反して刑に処せられ三年未満の者
一、他人の生命、財産、公共の安全を害する恐れのある、と認めるに足る
相当な理由のある者

住吉署では当然、梅川の少年時代の犯歴を把握していて、
それが最後の項に触れるのではないか、と検討したのだという。

しかし、少年法六十条で

「少年のとき犯した罪で刑に処せられ、
執行を終わったりした者は資格に関する法令の適用を受けない」

と定められているのではねつけなかった。
つまり警察としても内心忸怩たるものがあったが、
法的に「待った」をかける理由がなかった、というのが係員の説明だった。

送られてきた原稿を目にして柳本は思わず腕を組んだ。

司法担当として日々、法廷取材をしていて、
ときに法の峻厳に身を正す思いをし、
ときに法がいかに日常とかけ離れたものか、
とあきれる思いがしているが、
今また、法律運用の落とし穴を見た思いがした。

法律上の許可条件がどうであれ、
強盗殺人を犯したことのある人間に凶器を持たせるのは
勇気を持って拒否すべきではないか。

柳本が原稿に手を入れだしたころ

「写真、入った!」

の声があがった。奈良県林政課に六ヶ月前、
梅川が免許の更新申請のため提出した
書類に写真が添付されていたのだ。

「はいったか!」

社会部長の黒田が大声で言い、
ダイヤルに手をかけた。

奈良支局に礼を言うためだった。
【172】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月22日 16時58分)

【早 暁】

午前二時四十分。

刷りあがったばかりの朝刊最終版と
深夜食の折り詰め弁当が「ABC」に届けられた。
ぬくもりの残っている朝刊は一、二、三面と
社会面二ページ、計五ページが事件関係で
埋められていた。

あの乏しい情報の中でよく
これだけの記事が書けたなぁ。

前線デスクの工藤は目の前に積み上げられた
原稿のガラ山を見ながら思った。

誰もがどっと疲れを感じていた。

小椋はとまり木の上で背伸びをして
両手で力まかせに首周りを叩いてから
新しいタバコに火をつけた。
もう百本は吸っただろう。

工藤はカウンターの奥に向って声をかけた。

「御主人、ひとつスペッシャルで
コーヒーたててくれんかなあ。うん。みんなに」

喫茶店主の夫妻は事件発生以来、ほぼ十二時間
ずっとカウンターの中でつきあってくれていた。
途中、何度か、もうやすんでくださいよ、と
二階の居間に上がるのを勧めたが
「いや、まあ」「そのうちに」と言葉を濁して
ときおり熱いおしぼりやお茶のサービスを
してくれていた。

「よろしゅおま」

夫妻はやっと自分たちの出番がきたのを喜ぶように
テキパキと二つのサイフォンに火をいれた。

コトコトと湯が音をたて、香ばしい香りが漂った。

河井がハンディをとりあげた。

「こちらゲンポン、各局に連絡。
 熱いコーヒーが入ります。
 ペアの一人ずつ交代でゲンポンまで。どうぞ」

無線に初めてやさしい指示が流れた。

その横で度の強い近視の眼鏡をかけた
成田一豊が一つの記事に見入っていた。

それは最初に解放された主婦が二人の男児を
しっかりと抱きかかえた写真を添えたインタビュー記事だった。

「凶弾に人質すくむ」のタテ凸版五段見出し。
「坊やの背、銃口ピタリ」
「伏せた頭上に薬きょう」

この記事は俺が書いたんだぞ。

成田は自分に言い聞かせるようにして、
そこばかりを何回も読んだ。

午後十一時に「ABC」に到着した府警キャップの黒川満夫と
工藤はコーヒーを飲み終えるとこれから先の取材体制を検討した。

朝刊では結局警官二人と銀行員が射殺されたこと
警官の名前、犯人が住吉区内に住むU(三〇)というところまで記事にすることができたが、
警官以外の死者の数、
その名前も確認できていない。

犯人の名前の確認と顔写真もこれからだ。
それに銀行内ではこれまでにどういうことがあったのか
おびえきっている脱出者からは
なかなか聞き出せていない。

さらに今後の事件展開も予想がつかない。
犯人は人質を楯にどのようにして逃げるつもりなのか。
その前に警察は突入して逮捕できるのか。
考えるとやるべきことはヤマほどあった。

疲れているからといって、
みんなしばらく休めということもできなかった。

とりあえずいつ事態の変化や突入があっても
即応できる機敏さと長期戦に備えて余力を残すという
二つの矛盾した要素をかみあわさなければならない。

完全徹夜で銀行の動きを見張るという辛い役割は
やはり若い記者に割り当てざるをえない。

工藤は決断した。

「府警ボックスの連中は車の中で仮眠。
遊軍の岸本、大谷らはいったん社に引き揚げて仮眠。
ただし七時には戻って来いよ。
その他クラブの応援組もひとまず
引き揚げて朝から出直し!勝負は長いでぇ」

それぞれが指示に従ったあと「ABC」には
工藤、黒川、小椋、河井の四人が残った。

喫茶店の店主夫妻も「それじゃ」と二階へあがった。

「すんまへん。明日もこのまま頼むわなぁ」

「あきらめてまっさ。どうぞご自由に」

店主の笑顔に疲労で棒のようになっていた工藤は少しばかり癒された。

冬の空が白みかけた午前六時十六分、レクがあった。

「犯人は無職、梅川昭美、三十歳」と発表された。

住吉区の現住所と広島県大竹市の前住所、
昭和三十八年の強盗殺人の前科
猟銃は本人のものであることも合わせて公表された。
【171】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月22日 16時47分)

【交 渉】

日付が変わった午前零時ごろから
一階の行内と捜査本部とのやりとりが頻繁になった。

■午前0時25分
梅川から二階の支店長室に

「階段の下に要求書を置いた。
 三十分以内に持ってこい」と電話がかかった。

要求書の内容は

「ラジオ、アリナミンA、カルシウム、
 人質の食事を持ってこい。室内暖房を強くしろ」

とあり、末尾に男子行員の追伸として
「(犯人は)極悪非道である」と書かれていた。

■0時30分
伊藤管理官が「要求はわかった」と電話。
梅川は「死がいがようけ、ごろごろしてまっせ」と嘲笑う。

ちょうどそのころ、
国鉄中央線多治見駅前にある交番の前を
落ち着かない様子でうろつく男がいた。

警官が声をかけると極度の興奮から
まるで泥酔者のようなメロメロな口調である。

「大阪の、大阪の銀行強盗はわしの友だちだ。
 ウメカワという。
 わしはあいつに車を盗んで提供してやった。
 車には四日市の焼肉屋の名前が
 書いてあるはずだ」という。

驚いた警官が緊急連絡。岐阜県警を通じて
大阪、三重両府県警に照会すると、
乗り付けられたライトバンは確かに一月十二日夜、
三重県四日市市の焼肉店経営者が
キーを付けたままにしているところを
盗まれた車両と判明。
自供した鍋島孝雄(三一)を窃盗容疑で緊急逮捕した。

中徹が多重無線車でキャッチしたのはこの情報だった。

■午前0時52分
梅川が行員を通じて
「洋酒一本、日本酒一升、缶ビール二本」を要求。
折り返し伊藤管理官が
「差し入れはビールだけ」と説得。

■午前1時
特捜本部がカップめん十個と
熱湯の入ったポットを差し入れ

■午前2時
震える女子行員を見て梅川は

「寒かったらその辺に転がっている
 死体に灯油をかけて火をつけたらええんや」

と薄笑いを浮かべて言う。

■2時5分
サンドイッチ十人分を差し入れ

■2時32分
女子行員が「ビールを早く、暖房を強めて」と電話

■2時40分
人質の男性が梅川に「トイレに行かせて」と頼む。
梅川が「お前、いくつや」と問い「七十六」と答えると
「帰ってもええ。ご苦労さん。長生きせいよ」と解放。

■2時55分
「ビールが届かない、早く」と女子行員が催促

■午前3時
缶ビール一本を差し入れ。
梅川は男子行員にひと口飲ませ、
十五分後、異常がないことを見極め一気に飲む。

■3時25分
梅川が「十分以内にラジオを入れろ。入れないときは人質を殺害する」と電話。

■3時53分
ラジオの差し入れがないことに腹を立てた梅川が発砲。
跳弾が男子行員(五四)の顔に当たる。
行員は再狙撃を怖れて転倒したまま死を装う。

■午前4時
梅川の母親(七二)が香川県引田町に
居住していることが判明。
捜査本部が香川県警に捜査を依頼

■4時30分
女子行員から「殺されます!ラジオを早く!」と悲鳴に近い声

■4時45分
梅川が突然「ビールのお返しや」と
客の人質女性(二四)を解放。

■午前5時7分
梅川が「警察は何を考えとるんや。
ラジオはどないなっとるんや」

直後に発砲

■午前6時12分
梅川が「早うもってこい、言うてんのがわからんのか。これが最後や」と電話

■6時15分
ラジオが差し入れられる。

■6時25分
梅川が酒を要求

■6時55分
梅川が伊藤管理官に「被害を少なくするのがお前の役目やろ。酒を入れたら帰す」と電話

■午前7時
伊藤管理官が梅川に電話
「酒を入れる代わりに人質のうち、客全員を解放しろ」
このあとラジオのニュースで
身元が分かったのを聞いた梅川は
「もうばれたか。しようがない」とつぶやく。

■7時24分
カップ酒一本を差し入れ

■7時40分
ラジオ差し入れのみかえりに主婦(四一)を解放。
行員には「最後は皆殺しや」と怒鳴る。
【170】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月20日 16時54分)

【特ダネ】

白石が多治見署の刑事課長と
やりとりしているあいだ、
「ABC」には中徹から
切れ切れながら、超一級の聞き込みが
ハンディを通して抑えた声で届けられていた。

「捕まった共犯の名前はナベシマ」

「ナベシマの話ではこちらの犯人の名前は
 ウメカワといっている。
 ウ・メ・カ・ワです」

「住所がわかった。いいですか。
 住吉区長居東六、そう言ってます」

聞くなり、加茂が表へ飛び出し銀行北口前で
張り番をしていた前川佳久を呼びつけた。
住吉区は前川の持ち場なのだ。

「すぐ、走れ」と工藤は早口で概要を説明した。

中徹から続報が入った。

「やはりウメカワだ。ウメカワアキヨシ。
 松梅の梅、三本川、昭和の昭に美しい。
 としは三十歳」

続いて

「住所、詳しくわかった。
 長居パークというマンション三〇三号室だ」

情報は同時に工藤が電話で社会部に
河井がハンディを持ったまま、前川へ伝えた。

前川は現場から二キロ、
寝静まった長居の住宅街を車で捜しまわり
やっと長居パークを見つけた。

階段脇の郵便ボックスの三〇三号を見つけた。


梅川ではない。 プラムとある。


プラム? 梅だ!

  
三階へ上がった。


三〇三号室のドアを思い切りノックする。

応答がない。

そのとき、階下からドタドタッと
乱れた足音がのぼってきた。

荒い息をした二人の機動捜査隊員だった。

「あんた、だれや、でてってんか」

「取材は勝手やろ」

口げんかになりながら、前川は腕時計を見た。

福井支局から大阪社会部に上がって一年、
最高に緊張した一瞬だった。

やむなく前川は玄関に走り下りてハンディで
梅川の住まいが実在し、留守であることを告げ、
今サツともめている、と叫んだ。

傍受した中は「しめたっ!」と思った。

サツともめてるんならアタリだっ!
同着なら特ダネかもしれない。

そのとき多重無線車から一人の捜査員が出できた。
運よく中がよく知っているデカだった。

「ウメカワやな」

相手はどきっとした表情を浮かべ、
ややあってニヤリとした。


「ええ…でえ」
 

言うなり、相手は駆け去った。

いよいよアタリだ。

「梅川の線、確度高い!」

声を抑えるのを忘れて中はハンディに怒鳴った。

工藤は社会部を呼んだ。

柳本が出た。

受話器を投げ出すようにして、
柳本は一階下の大組台に走った。

待ち受けていた整理部デスクと
ドキュメント担当の瓜谷修冶が同時に

「よっしゃ!」

と大声をあげた。

整理部デスクが一面に

「犯人は住吉区の男、三十歳」

と叩き込み、
瓜谷がドキュメントの末尾に
貴重な一行を書き加えた。

<1時55分、犯人は大阪・住吉区のU(三〇)とわかる>


わずか一行だが百人を超す記者が奔走、
追跡した中でキラキラと光る特ダネであった。
【169】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月20日 16時55分)

【共犯逮捕】

中徹が「ABC」に共犯逮捕の情報を入れたのと
ほぼ同時刻、本社社会部に
隣接した連絡部のデスクが大声をあげた。

「岐阜県の多治見署で共犯がパクられたらしい。
 岐阜支局から東京本社に連絡が入ったらしいんや。
 わかり次第、原稿送るいうてまっせ」

「なに、共犯がパクられた?」

「どういうこっちゃ」

横で原稿を書いていた司法担当の柳本清三と
遊軍の白石善和が連絡部デスクに
食ってかかるように聞いた。

「いや、それしか分からへんのや。
 もうちょっと待ってや」

連絡部のデスクはそう言いながら
ホットラインのキーをあげ
東京のデスクを呼び出している。

「ともかく前線本部に電話や」

柳本が「ABC」へダイヤルした。

電話に出た工藤は
「へえっ、そっちもでっか」
と声をあげ

「実はさっき、中君から情報が入ったばかりや。
 捜査員もあわててるらしい。
 両方の話が一致すれば、これはいける線やで」

と声を弾ませた。

やりとりを聞いていた白石は交換台に

「岐阜県の多治見署につないでくれ」と頼んだ。

二、三分で多治見署につながった。

「もしもし、刑事課長さんをお願いします」

「はい、どちらさんですか」

「大阪の読売ですが」

「ちょっとお待ちください」

男の交換手が言い終わるとコール音が鳴った。

こんな深夜なのに「刑事課長」といっただけで
交換手が電話をつなぐということは
課長が署に出て来ているということだ。

やっぱり何かあったのだ。

共犯が捕まったのは本当らしい。
それにしてもなぜ、岐阜に共犯がいるんだ。

コールが続いている。

時間がないんだ。どうして出ないんだ。

いつもは落ち着いている白石が
ジリジリとしているとコールの音がとまり
荒い息遣いの太い声が伝わってきた。

「はい、もしもし」

「お忙しいところすいません。
 三菱銀行事件の共犯者の名前はなんと言いますか」

「ナベ … 大阪府警の方ですか」

「えっ・・・」

どうしようか。交換手は読売とは言ってないらしい。
白石は「ああ、そうです」と言いたい誘惑にかられた。

共犯者の名前は「ナベ○○だ」
やっぱり、捕まっているんだ。
しかし、いくら欲しい情報でも
相手を騙して聞き出すわけにはいかない。

「読売新聞大阪本社の社会部です。
 共犯はすでに署に連行してきているんですね」

「読売さんか。うーん、署まで連れてきているけど
 共犯かどうかはまだわからんよ」

案の定、相手の口は急に固くなってしまった。

だが、ナベ○○が今、大阪で起きている事件に
なんらかのつながりがあって
捕まっているのは間違いない。

大阪と岐阜をつなぐどんな関係があるのか
少しでも探りださねばならない。

「そのナベなんとかと、今起きている
 人質事件と関連があるわけですね」

「だけど今、分かっているのは
 車を一緒に盗んだというだけですからね」

そうか ―― 多治見署に捕まっている男は
立てこもり犯が乗ってきた車を盗んだというわけか。

「車を盗んでどうして大阪から
 そんな離れたところへ行ったんですか」

「その点は今、調べているんですよ」

「いずれにしろ、車を盗んだ、と
 本人は言っているわけですね」

「そうです」

「つまり自動車窃盗ですでに逮捕しているんですね」

「ええ」

「名前はナベなんと言いますか」

「それは大阪府警から聞いてください」

「大阪の犯人はなんという男だと
 そのナベは言っていますか」

「それもね、大阪府警から聞いてください。
 こちらは関連被疑者を逮捕している、
 としか言えません」

そこで電話は切れた。
【168】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月20日 16時41分)

【孤 闘】

二課担当の中徹は夕方からほとんど動かずに
警察の多重無線車のそばに立っていた。

夜が更けるにつれ、
中徹はここに張り付いていいのだろうか、
と不安を覚え始めた。

警察の捜査本部が銀行内に移り、
体制が充実してくると
多重無線車の周囲は閑散としてきた。

車内には捜査一課員と機動捜査隊員
合わせて四、五人がいるだけとなり
銀行の指揮所からやってくる
連絡員も疎遠になってきた。

中は暗い路上に立って足元から
襲ってくる寒さと闘っていた。

事件の進展はないはずだが、
銀行を包囲した機動隊の周辺を
テレビスタッフがせわしげに動くのが見えた。

ライトに照らし出された銀行を背景にして
リポーターが何かをしゃべっている。

中は不安な気持ちをふり払うように
自分に言いきかせた。

ここだけはぽっかりと
事件から取り残されたように暗いけど
事件の本筋はそんな投光器の前でなんか、
つかめるもんか!

多重無線車では府警本部が各署と連絡をとって
猟銃所持者を入念にチェックしているようだった。

警察はもちろん、
犯人が誰か突き止めようと躍起になっている。

片言でも漏れてこないか・・・・

まだ十人ほどの記者が車にとりついている。

午前零時を過ぎると無線車の周囲は
ほとんど人がいなくなった。

車内での猟銃所持者のチェックは中断されたままで
銀行周囲の動きが慌ただしくなっている。

もう、ここにいてもネタはとれないのか …

最後に残っていた二、三人の記者も走り去った。

中は自分だけが事件から
取り残された気がして急激に心細くなった。

たまに通りがかる捜査員に声をかけても
あんた、こんなところで何しとるんや …と
物問いたげな顔をされた。

しかし、中はその心細さに耐え、
寒さをまぎらわそうとまた、車の周りを歩きだした。

突然、無線車への出入りが激しくなった。

一人、二人、音もなく走ってきて車の中へ消えた。

中の見知った捜査一課の刑事がいた。

「なんや」

声をかけたが、顔がきつい。

ひと言も返事がない。

中はそばの乗用車の陰に隠れた。

なんか、あったんだ・・・・  胸が早打ちした。

三人の黒い影が足早に近づいてきた。

「国鉄多治見駅前 …」

「職質 …」

「共犯をつかまえた」

断片的なささやきが聞こえた。

犯人の共犯がつかまったのか?
それならすぐ、身元が割れる。

中は全身がカーッと燃えてくるのがわかった。

夜目に透かして腕時計を見ると午前零時五十分。

最終版の締め切りまで一時間もない。

中はしゃがみこんでハンディを口元に引き寄せ
「ABC」を呼んだ。

「こちら中です。
 全員に無線機の音量を絞るよう伝えてください」

「ABC」で受けたのは河井である。

中のひそめた声で河井は
彼が重要なことを伝えようとしているのを察知した。

「こちらゲンポン、全員音量を落せ。
 緊急時以外、発信をやめよ」

六台のハンディに河井がリレーした。

「ABC」の店内も緊張感に包まれた。

そこへ中の抑えた、それでいてちょっと
はやった声が流れてきた。

「犯人の共犯が国鉄多治見駅前で、
 職務質問で捕まったらしい。
 至急確認頼む。こちらはこのまま、
 あとの情報を探る」
【167】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月19日 16時12分)

【深 謀】

夜が深くなってきた。

銀行の周囲でなんとか情報をつかもうと
かぎ回る記者の間から
「冷えるなぁ」という声が何度も口をついて出た。

記者たちがわずかな情報でも、と苦戦している最中、
警察もそれ以上の苦戦を強いられていた。

警察は初動捜査の失敗で犠牲者を何人も出しながら
たった一人の犯人に思うようにあしらわれ
人質多数が生命の危機にさらされていた。

これ以上の犠牲者を出さないためには一刻も早く
犯人が立てこもっている一階の現場に
突入しなければならない。
しかもそれは安全かつ、確実な方法しか許されない。

午後八時、特別捜査本部が
多重無線車から銀行三階の
女子更衣室へと移された。

畳四畳を敷いて作られたその特捜本部で
吉田六郎本部長はその機会を狙っていた。

これより前の午後六時四十五分、
捜査一課特殊班員が
行内に気付かれないよう二時間がかりで
手動式のドリルを使い
東側シャッターに直径三センチほどの、
のぞき穴を開けていた。

階下の様子が少しずつ分かり始めた。

バリケードが築かれていないロビー西側の通用門は
犯人の死角になっていることも分かってきた。

午後九時、それまで集まってくる情報に
黙って耳を傾けていた
吉田本部長が口を開いた。

「今から一時間半以内にどのようにすれば
 犯人を逮捕でき、
 人質を救出できるか最善の方法を考えよう」

静かな口調だが有無を言わさぬ響きがあった。

幹部たちはまず説得の可能性について話し合ったが
これはすぐに無理だと結論した。

犯人は警官の姿を見たら人質を殺害する
と伝えてきているし、
実際、警官が顔をのぞかせると、
威嚇発射している。

到底、説得できる状況ではない。

強行突入しかない、と誰もが考えた。

問題はいつ、どのようにして突入するか、であった。

第二機動隊訓練指導担当、
松原和彦警部が呼び込まれた。

松原はピストル射撃の指導官であり、
ハイジャック対策に設けた特殊部隊の隊員であった。

強行突入といっても、
猟銃と拳銃を持っている犯人を制圧するためには
狙撃逮捕しかない、というのが幹部たちの結論だった。

松原警部は自分が垣間見た現場の状況を想定して
三階でひそかに突入訓練に入った。

松原をリーダーとする七人の突入隊は右手に
38口径ニューナンブ回転弾倉式拳銃を持ち
鉄製のヘルメット、濃紺の戦闘服。
足元はわずかな音も消すため、
綿の靴下しかはいていない。

突入時間は午前零時と決められた。

突入時間が迫ってくるにつれ、
特捜本部の緊張が高まった。

その緊張の中へ一つの情報がとび込んできた。

シャッターの、のぞき穴から最終的に
犯人と人質の位置を確認していた捜査員が
「犯人は人質を背後にも回した」と伝えてきた。

松原警部は聞くなり、のぞき穴へ駆け下りていった。

報告の通りだった。

追い討ちをかけるようにもう一つの悲観報告が届いた。

通用口からほふく前進していた捜査員が
犯人に気付かれたというのである。

捜査員が近づくと見張り役に立たされていた人質行員が
「警官が入ってきた」と大声で知らせてしまったのだ。

犯人への恐怖が忠誠心に変わりつつあった。

喰らいついたら離れないマムシの異名をもつ
坂本房敏捜査一課長が松原警部に問いかけた。

「どうや、いけるか」

松原警部はしばらく考え込んだ。

「できません。前に並んだ人質の間は通せても、
 後ろの人質に当てない、という自信はありません」

狙撃隊長のこの一言で突入計画は挫折したが、
吉田六郎本部長は悲観していなかった。

むしろ、勇気ある回答だと感じ入り
一条の光明を見た思いだった。
【166】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月19日 16時04分)

【極 限】

時計の針を行内に戻す。

営業時間の午後三時を過ぎても事件を知らない
取引先からの電話が行内に次々とかかってきた。

梅川は行員の何人かを指名して
電話の応対にあたらせたが
その態度は尊大だった。

気に食わない態度を見せた女子行員の
髪をつかんで床を引きずりまわしたり
胸に銃口を押し付け「撃つぞ」と脅したりした。

そのたびに女子行員らは

「助けてください、助けてください」

と両手を合わせて哀願した。

梅川は自分の優位を誇り、銃の脅威を確かめるように
ときどき、行員の顔や肩スレスレに威嚇発射した。

そのつど「キャ――!」という女子行員の悲鳴が
シャッターを通して外の報道陣の耳にまで聞こえた。

中の様子をうかがおうとする警官の姿が
チラチラ見え隠れするたびに

「近寄らないでください」

「近づくと私たちが殺されま――す!」

と、叫び声をあげ、梅川に警察の動きを
積極的に知らせさえ、した。

午後四時四十五分、
梅川が支店長席の電話から自ら110番を回した。

「俺は犯人や。責任者と代われ」と指示、

通信司令室の管理官が出ると

「もう、四人死んどる。
 警官が入ってくると死者が増えるぞ」

と一方的に言い捨てた。

密室で展開される惨劇のクライマックスが訪れたのは
午後四時四十五分ごろだった。

梅川が金のありかや、金庫の構造を聞いていた
男性行員(四五)の返事があいまいだったため
「落ち着きすぎて生意気や」と発砲。

行員は素早く身をよじり、
心臓を撃ち抜かれるのは避けたが
右肩が骨まで見えるほど砕かれた。

鮮血の床でうめき声が響く。

十分後、出血で眠くなるのをこらえながら
死んだふりをしている行員を見た梅川は
持っていたナイフを別の行員に渡して
「首を刺してとどめを刺せ」と命じた。

機転を利かせた行員が
「もう、死んでます」と弱々しくつぶやくと
梅川は我が意を得たり、
とばかりにほくそ笑んで命令した。

「そんなら耳を切れ。死人の耳を切る。
ソドムの市の儀式をするんや」

「切れません、切れません」

命令を受けた行員は泣きながら訴えたが、梅川は

「人間は極限状態になれば、
 命惜しさになんでもするんや」

と冷たく言い放ち

「お前も死にたいのか」と銃口を向けた。

異様に静まり返る行内。

ナイフを渡された行員はひざまずき、涙を流して
「すまん、すまん」とつぶやきながら
倒れている行員の左耳の上半分をそぎとった。

このあとも梅川は人質たちに
屈辱的な行為を強要し続けた。

女子行員たちのトイレの使用を聞き入れず
カウンターの陰で用を足せ、と言い
警察から差し入れられたカップラーメンを作らせたり
新聞を自分の傍らで声をあげて
読ませるのも女子行員に命じた。

さらに自分と体つきの似た若い行員を選び出し
自分の上衣を着せ、帽子をかぶらせ
影武者に仕立て上げた。

恐怖にひきつった表情で
行内を行ったり来たりさせられる
身代わり行員の姿を梅川は
歪んだ笑みを浮かべながら眺めた。
【165】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月19日 16時00分)


【ドキュメント】

河井の話が終わらないうちに散っていった記者たちの
聞き込み情報が「ABC」の玄関先に陣取った
河井のハンディに飛び込んできた。

「人質の女子行員は十二人らしい」

「何人かは制服を脱がされている」

「犯人は行員を見張りにたて、
 何人かを自分の周りに並ばせている」

情報は素早く原稿用紙に写しとられ
小椋へとリレーされ、
小椋がつなぎっ放しにしている電話で
本社へと伝達された。

射殺された警官二人の名前を聞き込んできたのは
一課担当の桝野恵次と二課担当の中徹である。

この段階では一級の情報だ ――

ハンディで交信して他社と混信しては
大変だから二人は直接
「ABC」に戻って河井に耳打ちした。

警部補の住所から泉佐野通信部の記者が
「ウラとり」に走った。

玄関の表戸を叩くと高校生らしい男の子が
戸を半開きにして顔をのぞかせた。
かすかに女性のすすり泣きが聞こえる。

やっぱり、そうか。

「さっき、警察から電話があり、
 撃たれたのは親父らしいと言ってきました。
 それを聞くなり母は倒れ、
 うちにいるのはその母と姉だけです」

男の子はそれだけ言うと戸を閉めた。

午後八時三十分、
木口調査官による二回目のレクが行われた。

「被害者は四名ぐらい。うち、二名は警察官」

と述べ、初めて警官二人の名前が明らかにされた。

桝野と中の聞き込み情報は的中していた。
しかし、調査官は慎重だった。

この二警官の生死は未確認だといい、
残り二人の行員についてはノーコメントだった。

そして

◆警官の拳銃が奪われたと思われる

◆一部の行員が脱衣させられている

と行内の状況に触れ、
警察としてはあとでどんな批判を受けようとも
人質の生命救出を最大の目的としているので
くれぐれも報道関係者の協力をお願いしたい、

と締めくくった。

やはりレクでは新しい情報は得られない。

桝野や中がつかんできた物の追認の場でしかなかった。

本社からの応援が増強され、
前線デスクは小椋から
社会部次長の工藤貫一へと引き継がれた。

河井の前任の府警サブキャップをしていた
加茂紀夫も加わった。

前線はこれで二十人を超す陣容となったが

「勝負はこれからだ――」

全員が強く感じていた。



本社社会部に朝刊七版が刷り上ってきた。

大阪本社管内の高知、愛媛、島根といった
遠隔地に配達される「早版」である。

目を通していた社会部長の黒田清が
ドキュメントの欄を見るなり
険しい表情になった。

「なんや、これ。四十行ほどしかあらへんやないか」

担当デスクも気になっていたのか、
いち早くとんできた。

「そうなんですわ。全く動きがないもんで」
と弁解した。

「アホ!そんなドキュメントがあるかい。
 動きがないんと違う。
 こちらに動きがわからんだけや。
 わからんかったら、別の方法とらんかい」

と、どやしつけた。

周囲がそんなムチャな …と
言いたげに沈黙している中で
黒田だけが大声を張り上げた。

「動きがないというても、
 われわれは動いてるやないか。
 それを書け!」

虚をつかれたような沈黙が続くなか、
追いうちの声が続く。

「おれがこうして怒鳴ったことも、
 現場で誰かが転んだことも
 みんな、書いてみい。
 なにもせんより、よっぽどマシや!」

部長命令でドキュメント班が拡大された。

黒田は考えていた。

ああ …また、えらいな責任背負うてしもうた。

なんや、こんな新聞作って、
と編集局長からこっぴどく叱られへんやろか。

いや、それより読者にソッポ向かれるんと違うんか。

だが、すでに記者たちを乗せた紙面は走り出していた。
【164】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月18日 14時34分)

【レ ク】

読売前線本部の喫茶店「ABC」には
タバコの煙がたちこめていた。

社会部長の黒田清から前線指揮を命じられた
次長の小椋瞳は自分が苛立っているのがよく分かった。

たった今、全員で手分けして早版用の原稿を仕上げ、
電話で本社へ送ったばかりだが
この事件には分からないことが多すぎるのだ。

死者は何人いるのか。  警察官だけか。  
銀行員もか。   その名前は?   人質は何人で、犯人は今、何を要求し、
行内はどうなっているのか。

小椋の前にあるアルミの灰皿には
吸殻が山となっていた。

「レクはまだかいな」

小椋は誰にともなくそう言って、
また吸殻を灰皿に押し付けた。

大阪府警本部は銀行東側50メートルの市道に停めた
多重無線車に特別捜査本部を設けていた。

「ABC」の入り口で指令係りとなっていた
府警サブキャップ、河井洋のハンディに
「間もなく、レクが始まる」との声がとびこんできた。

「よっしゃ、行こ。ほんなら小椋はん、
 ちょっと頼んます」

河井はハンディを小椋の方へ押しやると
立ち上がり記者二人が続いた。

事件発生から三時間後の午後五時三十五分、
第一回目のレクが始まった。
多重無線車のすぐ近くの分離帯に
木口信和捜査一課調査官が立った。

「では、みなさん、よろしいか。始めますよ。
 発生日時、午後二時三十分ごろ、
 場所、住吉区万代東・・・」

木口調査官は一語、一語、区切るようにして
ゆっくりメモを読み上げていった。
内容は次のようなものだった。

◆犯人は銀行北側玄関から侵入、
 入るなり天井に向けて猟銃を発射。
 そのあと赤いナップザックをカウンターに放り投げ
「十秒以内に五千万円を入れろ」と要求
◆犯人はカウンターそばの行員と口論となり一発、
 発射。直後駆けつけた警官二人に二発撃つ
◆犯人の年齢は二十五歳ぐらい、身長165センチ、
 サングラス、黒っぽいジャンパー
◆妊娠を理由に釈放された女性客の証言では人質は
 撃たれた行員を含め三十七名の模様
◆犯人は行員にメモを持たせ二階に行かせた。
 メモには「警察官が姿を見せれば行員を一人ずつ殺害 する」と書いてあった。
 犯人は今のところ具体的な要求は出していない。

木口調査官はメモから顔をあげ、
「それじゃ」と分離帯を下りた。

「待ってくださいよ。死者がいるでしょ、何人ですか」

「名前は?」

報道陣から同時に質問が飛び、
調査官はたちまちもみくちゃになったが
「わかっているのは、それだけや」と首をふりながら
多重無線車の中に消えていった。

メモを終えた河井らは
「これはえらいこっちゃ」と思った。

警察はデータを伏せている。

調査官はいろいろ発表したかに見えるが
この程度の内容なら各社ともすでにつかんでいる。
死者は数人いるはずだし、
行内の様子はもっとひどいことになっているはずだ。

調査官の口ぶりからすると警察のガードは固い。

というより、警察自身、
十分に事態をつかみきれていないのではないのか。

通常の殺人や強盗なら記者も捜査員と同じように
聞き込みに回り、時と場合によっては
警察より先に有力情報をつかむことすらある。

だが、この事件は違う。

事件は密室の中で起こっている。
今、あの厚い壁の中で起きている事態は
その密室の中にいる犯人と人質にしか分からない。

調査官のレクを頼りにしていては大変なことになる。

河井は自分に言い聞かすように
集めた記者全員に言った。

「この現場には七百人を超す警察官がいる。
 本部の腕利きの捜査員も所轄署のベテラン刑事も
 根こそぎ集まっている。
 彼らから正確な情報を一つ一つ、
 拾い集めてくるんや。それを組み立てていく以外に
 ここでは取材の方法がない。
 事件記者の普段の蓄積にモノを言わすしかないぞ!」

河井の話が終わらないうちに記者たちは
猟犬のように散っていった。
【163】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月18日 13時07分)

【前 線】

覆面パトカー追尾のおかげで規制線を突破し、
現場に入ったのはいいが
大谷たちが銀行にあまりに近づいてしまったので
機動隊の警部が

「犯人がどこへ向けて撃つかわからん。
 命の保障はせんぞ」

と語気鋭く言い寄ってきた。

とりあえず少し引き下がることにして
岸本が路上に残り、
大谷と織田は周辺の聞き込みに走った。

交差点北東角のスポーツ用品店にとびこんだ織田は
店員に電話を借り、本社に大量の応援と
ハンディトーキーを要請した。
現場の記者同士が連絡を取り合えなければ
どうしようもないと思ったからである。

大谷はなんとか情報をとれないものか、
と顔見知りの刑事を捜した。
ちょうど住吉署担当時代、
過激派事件で付き合ったことのある
警備課の刑事が通りがかった。うしろから

「おっ、久しぶり、えらいこっちゃねぇ」

と声をかけると、気がついた相手はこわばった表情を少しゆるめて

「おう、いま、どないしとるねん」と応じた。

すかさず
「それより、今、あの中はどないなっとるんや」
と探りを入れると刑事の表情が引き締まった。

「三〇〇が二人、いかれとる。
 もう動かんから、あかんのと違うか」

サンビャクとは警察暗号で警察官のことである。

大谷は弾かれたようにスポーツ用品店に
引き返すと社会部に電話を入れた。

「警官二人死亡、ほぼ間違いなし」

ヤマチョウこと、山本長彦は現場に着くなり、
丸い顔を振って周囲の状況を目に入れた。
府警ボックスで襲われた眠気はとうに吹き飛んでいた。

山長の任務は取材用の前線本部を設置することだった。
現場に近く、適当なスペースがあり
電話や連絡の便もいいという
難しい条件を満たさなければならない。

山長は銀行から北へ三十メートルの
喫茶店「ABC」のドアを
突き飛ばす勢いでとび込んだ。

細長い店内はカウンター式になっていて
丸イスが十脚ほど並んでいた。
少し狭いかな、と思ったがこの際は一刻も惜しい。

「後主人、読売ですけど、取材に使いたいんで
 しばらく電話を貸してもらえませんか」

五十四歳の経営者はこの騒ぎでは商売にならない、
と思ったのか

「ま、よろしゅうおまっしゃろ」と応諾した。

山長が「ABC」にゲンポンと呼ぶ
現地本部を設置したころ、
二課担当の中徹(なかとおる)らは交差点北側にある
マンション建設現場のプレハブ事務所の
二階に上がっていた。

見張っていると東側シャッターの隙間をくぐって
中年の婦人が一人出てきた。

「きっと人質の一人やで」

言うなり、中徹は階段を駆け下りた。
だが、寸前、数人の警察官が婦人を取り囲んで
パトカーに乗せてしまった。
この婦人は妊娠を理由に解放された主婦だった。

この時点で行内の様子を聞きだせる
最高の取材対象だったが、
警察がそんな素晴らしい素材を渡すはずもなかった。

彼らは仕方なく分散して
パトカーの陰に隠れ、警察無線に聞き耳をたてた。

少しずつ事件の輪郭がわかってきた。

しかし、なんとしても犯人が襲ってきたときの
行内の様子を知りたい。

いら立つ中徹の目に一人の女性の姿が映った。
その女性は銀行の方を見つめながら
気がかりな表情をしていた。

ひょっとして行員の家族ではなかろうか・・・・
銀行のことが探り出せるかもしれない。

中はその女性に声をかけた。
すると「私、今、その銀行から逃げてきたんです」
と言うではないか。
この女性は梅川が猟銃をぶっ放した直後に
銀行から飛び出し、自転車で警ら中の警察官に
事件を知らせた当事者だった。

「それで・・・」

中と岸本ら三人が女性を取り囲んだ瞬間、
数人の捜査員が走り寄ってきて
パトカーの中へ連れ込んでしまった。

またしてもだ。

野球に例えるなら満塁のチャンスを二度も逃した。
【162】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月18日 12時46分)

【恥 辱】

「面白かったでぇ」

昭和五十一年(1976年)秋、二十八歳の梅川昭美は
大阪市内の飲み屋で友人や客仲間を相手に得意げに話し始めた。

岡山の特別少年院を十七歳で仮出所した梅川は
一時、香川県引田町にある父親の郷里に引き取られ
少年院で取得した印刷技術をもとに
印刷工として働いたが一年ほどで
遠縁を頼って大阪に飛び出した。

保護司の下、十九歳で大阪市西成区の深夜喫茶に勤務。

ほどなく内縁の女と同棲を始める。
このころ、すでに右胸に赤い牡丹の刺青があるのを
アパートの住人が見ている。

翌年、成人となり保護観察処分を解除された梅川は
バーテン兼債権取立て業として、
ミナミのネオン街を漂いだす。

昭和四十八年(1973年)には住吉警察署から
銃砲所持の許可をとりクレー射撃に凝りだしていた。



梅川はその日、ミナミの「南街シネマ」で公開中の
イタリア映画「ソドムの市」を観た。

舞台はナチスが支配する
第二次大戦末期の北イタリアの都市。

傀儡政権の大統領ら四人のファシストグループが
多数の美少女、美男子を古びた館に監禁し、
歪んだ欲望と悪徳の限りを
尽くした上で虐殺するという、
人間の悪魔性と獣性を丸ごと
スクリーンに叩きつけた作品である。

過激な描写が問題となり欧米では上映禁止となった。

監督のピエル・パオロ・パゾリーニは
ファシズム批判を込めてメガホンをとったというが
殺人者としての過去を持つ梅川の関心は
嘔吐感なしに見られない血の狂宴にあり、
それを可能にした権力への
歪んだ憧れに、あったようだ。

五千万円の現金を狙って
三菱銀行北畠支店に踏み込んだ梅川が
行員と警官を立て続けに射殺し、
警官隊に包囲された時点で
逃れられぬ死を自覚したことは確かであろう。

権力や富とは無縁のうちに
貧しい三十年の生を送ってきた梅川の脳裏に
その瞬間、甦ったのがかつて陶酔した
「ソドムの市」の悪魔的シーンだったのか。

机やロッカーでバリケードを築いた店内は
誰も手をだせぬ彼の帝国であり、
人質は権力者が思うがまま、
に操れる「いけにえ」である。

しかも、その大半は銀行員という
富の世界に住むエリートたち。

梅川は大金奪取という計画が破綻するや、
無法の権力を存分に奮うことに魅せられた。


人質の点呼が終わると梅川は女子行員の一人を指差し、
倒れた警官の拳銃を取ってくるよう命じた。

女子行員の茶色のベストの背がギクッと伸び
救いを求めるように同僚の顔を見回す。

誰もが顔を伏せたままだった。

女子行員は泣きながら倒れた警官に近づいた。

床一面に流れた血に足がすくみ、一瞬立ち止まったが
あきらめたように血の海を避けて進み、
遺体が握り締めていた拳銃をもぎとって梅川に渡した。


「お前らソドムの市を知っとるか」

「この世の生き地獄のことや。
 その極致をお前らに見せたる」

黒光りする銃口を向けた梅川から女子行員に向って
非道な第一声が吐き出された。

「お前ら、全員、服を脱げ!」

泣き声とともに、その場にうずくまる女子行員たち。

それでも梅川は許さなかった。

「ナチやったら、もっとひどいんやぞ」

「俺は精神異常やない。
 道徳と善悪をわきまえんだけや」

屈辱の儀式が終わると梅川は
全裸の女子行員三人を傍らに置き
残りの人質は自分を中心に扇形に
並べた机の上に座らせた。

外からの狙撃に備えて人質たちを
弾よけにしたのである。
【161】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月16日 15時40分)

【処 分】

梅川昭美、人生最初の凶行の動機は
ただ「金欲しさ」だった。

問われるままに犯行の動機と周到な計画ぶりを
こと細かくに語る梅川の態度は終始、平然としていた。

泣きもわめきもしなかった。

二人のベテラン刑事は
これまでの殺人犯とは全く違う相手に戸惑った。

殺人犯が否認から自供へと
「落ちる」瞬間はほとんどの場合
劇的である。

ノドの渇きに水を求め、体を震わせ、
ときに調べの刑事に抱きついて泣き
自供の後は手を合わせて被害者への謝罪を口にする。

ところが目の前の少年は

「盗むのが難しいときは脅してでも、とる。
 脅して抵抗されたから、殺した」

と、傲然と言い放った。あげく

「他のやつらはぬくぬくと暮らし、
 なんでオレだけが貧乏して苦しまないかん?
 泥棒はオレのせいではない」

と言われ、二の句が継げなかった。

「こいつが成人したら、
 とてつもないことをやらかすな」

少年の将来を二人の刑事は暗い気持ちで思い描いた。

梅川逮捕、自供の報は遺族の耳に届き、署の玄関で

「犯人を出せ!」

と怒り叫ぶ声が調べ室まで筒抜けとなった。

梅川はその声を聞くや

「呼んでこい、勝負しちゃる!」

と、荒々しくイスを蹴った。

逮捕から二日後、梅川は警察から

「今後、身柄を拘束して十分な矯正教育が必要である」

との意見書を付けられて身柄を
広島地方検察庁に送られた。

広島地検から事件の送付を受けた
広島家庭裁判所は
広島少年鑑別所で梅川を検査し、
事件から一ヶ月後の
昭和三十九年(1964年)1月17日、
処分を「中等少年院送致」と決定した。

刑法では強盗殺人罪は

「死刑または無期懲役とする」

と定めている。

少年法では十八歳未満の場合

「死刑は無期刑に、無期刑は
 十年以上十五年未満の懲役、禁錮」

に、減刑(現行は最高二十年)されるが、
それでも金目当てに人を殺した罪は重い。

梅川が若妻殺しの事件を起こしたときの
年齢は十五歳と九ヶ月半だった。

十六歳に二ヵ月半を残していたことは
梅川にとって決定的な意味を持っていた。

当時の少年法の規定では
十六歳未満の犯罪は懲役などの刑罰を逃れ
教育的拘束といえる保護処分に
とどめられるからである。

(現行少年法では刑事処分可能年齢は
 十四歳以上に引き上げられている)

つまり、梅川の処分は
少年院送りにすぎないことは
逮捕当初からわかっていたのである。

抵抗や応戦に出会うと見境なく逆上し、
殺人の責任すら他へかぶせる。

調べ中の雑談で年配の刑事が神経痛の話をすると

「そんな痛いもんなら、もいでしまえや」

と言い放つ十五歳の少年。




十五年後、すでに警察を退職していた
取調べにあたった刑事は
自宅のテレビ中継が伝える
犯人の名を聞いてうなった。




   「とうとう、やったのう・・・・」
【160】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月16日 15時30分)

【凶 行】

広島県大竹市栄町、土建業の妻(二三)が
棟続きの義兄宅で惨殺死体で発見されたのは
昭和三十八年(1963年)十二月十六日
午後三時十五分だった。

義兄の妻が買い物から帰ってみると
留守番を頼んでいた土間で
血まみれになって倒れ、
居間の押入れから現金一万九千円のほか
株券十一枚、普通預金通帳が入った
手提げ金庫が奪われていた。

大竹市にとっては六年ぶりの強盗殺人事件。

しかも被害者が新婚まもない若妻という凶悪事件に
広島県警は大竹署に特別捜査本部を設置した。

飯場の街とあって、
まず、労務者の洗い出しが焦点となった。

対象者は六百人を超えたが
聞き込みのなかで意外な目撃証言を得た。

「当日の午前十一時ごろ、
 自転車に乗った少年が被害者宅をのぞいていた」

というものである。

少年は道端にサイクリング車を止め、食い入るように
前方の民家の様子をうかがっていた。

ジャンパーにジーパン、ひさしの着いた作業帽、
なにより冬のさなかにサングラスをかけていたから
人目をひくのには十分だった。

事件発生から一週間後の十二月二十三日、
梅川昭美は大竹署に連行された。

一見、ひ弱な少年は

「なんで、こんなところに連れてきたんや」

と、刑事につっかかった。

ポリグラフにかけると陽性反応がでた。

調べ室で梅川と対座したのは
県警捜査一課のベテラン部長刑事二人だった。

犯行時と同じえりに黒い毛の付いた
ジャンパーを着た梅川は
最初は何を聞いても黙っていた。

「言わにゃ、言わんでもええ」

調べの二人に焦りはなかった。

すでに不良仲間の供述から
梅川が犯行を打ち明けていることは分かっていたし
山中に捨てられていた金庫も見つかっている。

あとは反抗的でふてくされた
梅川の心を解きほぐすだけだった。

ベテラン刑事は梅川の境遇に触れ

「お前もさびしかろう」

と語りかけた。

犯行を認めたのは午後のことである。

かつて三日間ほどアルバイトで
出入りしたことのある被害者宅に
目をつけたのが十二月十日ごろ。

作業員に支払う現金が置いてある場所は知っていた。

最初は盗みに入るだけの計画だったが
十一、十二日の下見で
いつも誰かが家にいることが分かると
「脅してでも」と切り出しナイフを用意した。

犯行当日は午前十時に家を出た。

人に顔を見られてはまずいと、
この夏海水浴場で買ったサングラスをかけた。
手袋をはめ、金庫を包む風呂敷も用意した。

梅川は左手でナイフを背後に隠し持ち、
表口からカツカツと中へ入っていった。

被害者の若妻は居間でテレビを観ていたが、
梅川は「大将はいますか」と声をかけて近づき、
いきなりナイフを右手に持ち替えてメッタ突きにした。

若妻は血まみれになりながらも、
押入れから手提げ金庫を奪い、
風呂敷に包んで持ち去ろうとする
梅川の足に必死にしがみついた。

しかし、梅川は金庫を抱えたもう一方の片手で
首を押さえ込み、ふりほどいた。

そして別棟の飯場からズボン一本を盗み、
返り血を浴びたジーパンと履き替えるという
冷酷で周到な手口を淡々と語った。
【159】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年02月13日 16時13分)

【履 歴】

梅川昭美は昭和二十三年(1948年)三月一日、
広島県大竹市で繊維工場に勤める
四十六歳の父と四十二歳の母の間に生まれた。

晩婚の両親にとっての男児の誕生は
ことのほか嬉しい授かり者だった。

幼い梅川を母親はちょっとした熱や下痢でも
頻繁に工場内の診療所へ連れて行った。

小学校時代、梅川がどういう子供であったか、
同級生や担任の教諭の印象は
「ひ弱でおとなしい」といった程度で総じて薄い。

父親は梅川が小学校に入学した年に
椎間板ヘルニアを患い
二年間の休職を経て、退職した。

生活苦はやがて家庭不和を引き起こし
昭和三十三年(1958年)梅川は父親に連れられ、
香川県引田町の実家に移った。

父子が大竹駅を発ったその時刻、
母はいつものように工場で黙々と働いていた。

父の実家に移った梅川は半年後、
大竹市の母のもとへ一人で戻ってきた。

梅川昭美、まだ、小学五年生。

帰郷後、易者へと転身した
父との生活が満たされなかった
というより、やはり母恋しさがあったのだろう。

独身寮の住み込み家政婦として
働いていた母は一人息子を迎え
寮の近くの農家の離れを借りて住んだが、
ほどなく管理人から寮の二間をあてがわれ、
そこへ落ち着いた。

しかし、生活苦に変わりはなかった。

息子を学校に送り出したあと、
母は寮に出向き炊事、洗濯、掃除に忙殺され
帰り支度にかかるのはいつも日が暮れてからだった。

夫と離婚した今はもう、
一人息子を自分で育てようと心に決めていたが、
日々の仕事でほとんどかまってやれない。

その不憫さを思ってか、
母は近所の子供が遊びにくると

「仲よう、遊んでやってなぁ」

と声をかけることを忘れなかった。

しかし、梅川はそんな母に暴力をふるうようになる。

小学生のときは口ごたえする程度だったが
中学に入ると小遣いはもとより、
テレビ、バイクなどを次々とせがむ。

受け入れられないと母を引きずりまわし、
ときに刃物を突きつけたりした。

この時期、梅川は外でも非行に走り出す。

喫煙や暴力で地元の警察に何度か補導されている。

進路相談で学校を訪れた母親は
「言うことを聞かんで困ります」とこぼした。

それでも
「一人っ子やし、父親がいない、
 と馬鹿にされてもいかんので
 高校だけは行かせてやりたい」と話していた。

昭和三十八年(1963年)
私立広島工業大学付属高校に進学した梅川は
急速に不良じみてくる。

八月〜九月にかけて岩国、広島市内で
三台のオートバイを窃盗。
わずか一学期で退学処分となる。

高校を中退した梅川は窃盗が常習化し、
ついに母親は子供のために
夫婦のよりを戻すことにし、
父親のもとへ息子を送ったが、
当の梅川は三日も経たずに大竹市へ舞い戻った。

住む家とてない梅川は
高校時代から「兄貴」として慕っていた
岩国市内の建設作業員方に身を寄せ
遊ぶ金に困ると父母から一万、二万と
小遣いをせびりに大竹市に現れた。

身長162センチ、体重46キロと
相変わらずひ弱な体格だったが
もはや、一目で不良少年とわかり、
なにかをやらかしそうな
危険な雰囲気を漂わせていた。

    果たして少年は事件を起こした。

      それも社会を震撼させる凶悪事件だった。
【158】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月15日 13時21分)

【号 外】

読売新聞大阪本社社会部で
河井からの第一報を受けたのは岸本弘一だった。

「銀行強盗発生!」

岸本の声にこの日、夕刊担当の勤務を終え、
天丼の鉢に顔を突っ込んでいた
社会部デスクの池尻潤冶が
しわがれた声で「どこや」と聞いた。

「三菱銀行北畠支店」

「どんな様子だ」

「ピストルを持っているらしいです」

池尻の前で岸本が府警ボックスのホットラインの情報を
周囲に聞かせるため大声で反復した。

「なにっ? 犯人は猟銃で脅している?
 警官が撃たれた? 人質は三、四十人?」

社会部長席の黒田清が叫んだ。

「号外要員を残して全員、現場へ行かせろ!」

いち早く飛び出したのが岸本と
遊軍の大谷昭宏、織田峰彦の三人だった。

織田は双眼鏡を持ってくる岸本を待っていたが、
大谷はそれにかまわず一人で
無線カーに飛び乗り、出発した。

車の中で大谷はめまぐるしく頭を回転させた。

かつて南大阪方面を担当していた大谷は
播磨町あたりの地理に詳しい。

三菱銀行北畠支店は大阪南のターミナル、
阿倍野橋からさらに南に2・5キロ、
播磨町交差点にある。

現場に早く着くには阪神高速を天王寺ランプで下りて
阿倍野近鉄前を南下するか、
玉出ランプから東へ向うか
どちらが早いか判断がつきかねていた。

無線機からは本社でキャッチした
事件の情報が刻々と流れてきた。

「銀行内で銃撃戦 …… 」

「警官負傷 …… 」

こいつは、現場は相当に混乱しているぞ。

無意識のうちに身震いした大谷の頭に前夜遅くまで
酒を飲んだ悔いがチラッとかすめた。

このとき、府警機動捜査隊のシルバーメタリックと
茶色の二台の覆面パトカーが赤色灯を載せ、
けたたましいサイレンを鳴らして追ってきた。

「よしっ、あれにつけろ」

大谷はドライバーに怒鳴った。

無線カーは大谷の指示に従いパトカーをやりすごして
ピタッとその後ろにつけた。

うまい具合に後発の岸本、織田、
カメラマン二人を乗せた
ベンツがすぐ後ろについている。

一団となった車が他の通行車を
はじき飛ばす勢いで天王寺ランプを下りた。

ここからは南へ一直線で2・5キロ。
しかし、案の定、高速道路を下りたとたん、
阿倍野近鉄前の大渋滞にぶつかった。

交差点では数人の警官が仁王立ちになって
南行きの車を東西の幹線に迂回させていた。

パトカーについた二台の車は
申し合わせたようにライトを付けた。

先行車の大谷が助手席から身を乗り出し、
車に常備した赤色の懐中電灯を振った。

パトカーの後続の二台は交通阻止線を越え、
規制区域に入った。

その横を黒いセドリックが追い越していった。

大谷昭宏の視界に府警本部、新田勇・刑事部長の
緊張した横顔がチラッと見えた。


読売新聞大阪本社では夕刊の印刷が終わり
ひとときの静けさを保っていた地下三階の輪転機が
再び大きな音を立てて回り始めた。

「銀行強盗、猟銃乱射」

やがてベタ黒凸版のぶち抜き
大見出しを付けられた号外が刷りあがった。
【157】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月15日 13時10分)

【一 報】

午後二時四十分、
大阪府警察本部二階記者クラブの壁に取り付けられた
スピーカーに広報部員の声が響いた。

「通信司令室からの第一報です。
 十四時三十五分の110番。
 銀行強盗人質事件の発生です。
 場所は住吉署管内、三菱銀行播磨町北支店。
 犯人はピストルを持っているとの情報があります」

記者クラブ読売ボックスは担当記者九人のうち、
サブキャップの河井洋を含め五人がいた。

この日宿直明けの暴力団担当の
ヤマチョウこと山本長彦(おさひこ)が
ちょっと眠るか、とソファに横になったときだった。

「ほんまかいな」

なかば体を起こしながら山本は言った。

つい数日前にも曽根崎署管内で銀行と
通信司令室を結ぶコールサインが鳴り
現場に駆けつけたが機械の故障だったという
騒ぎがあったばかりである。

二課担当で十年記者の四ノ宮泰雄が
本社との連絡を河井にまかせて
目の前の棚から電話帳を引っ張り出した。

しかし、三菱銀行の欄には
「播磨町北支店」はなかった。

播磨町にあるのは「北畠支店」である。

警察はえらい慌ててるなあ、
と思いながら電話を入れる。

呼び出し音は鳴っているが、応答がない。


「ほんまもんやでぇ」


四宮の静かな口調にボックス内に緊張が走った。

四宮は受話器を置かずに待った。

ジーン、ジーン ……  相変わらず鳴り続けている。

二十秒、三十秒・・・・

そのとき、一課担当の桝野恵次が
体をぶつけるようにして
ボックスのドアを開け、飛び込んできた。

「えらいこっちゃ、猟銃で警官二人が撃たれたらしい。
 人質もいるらしいでっせ。すぐ、現場でんな」

四宮があきらめかけたころ、
突然、受話器の向こうで男の声がした。

あきらかに舌がもつれている。

―――― どうされたんですか

「一階でバタバタしているけど、様子はわかりません」

―――― そこは二階ですか

「はい、そうです」

―――― 下にいる行員さんの数は?

「さあ、はっきりわかりません」

―――― 支店長のお名前は

「モリオカコウジです」

電話はそこで切れた。

「五人ほど、現場へ行ってくれ!」

サブキャップ・河井の声を待っていたかのように
記者たちは飛び出した。

ボックスでは河井が広報部員からの
断片情報を元に本社と結ぶホットラインの
受話器に向って、がなり続けていた。


<行員二名負傷>

<犯人は五千万円を要求、猟銃で脅している>

<警官二人が撃たれた>

<店内の人質は三十五人程度>


大変な事件であることは明らかだった。

午後三時、京都国際会議場の
近畿地区本部長会議に出席していた
吉田六郎大阪府警本部長の下にも事件の一報が届いた。
【156】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月15日 13時03分)

【篭 城】

梅川昭美が三菱銀行北畠支店に
侵入してからちょうど三分後、
東側玄関から制服警官一人が飛び込んできた。

自転車で近くを警ら中、
銀行から逃げ出してきた女性客に
「強盗です!」と告げられ駆けつけた
住吉署警ら第二係長の警部補(四三)=殉職後、警視に二階級特進=だった。

警官は拳銃を構えていた。

梅川にとって初めて対等の敵が現れた。

「銃を捨てろ!」

警官は叫び、天井に向けて一発、威嚇発射した。

「撃てるもんなら、撃ってみろ!」

梅川は凄み、やみくもに散弾銃の引き金を引いた。

二発が頭と胸に命中、警官は
「110番、110番……」と
叫びながら血の泡を噴いて絶命した。


近づくパトカーのサイレンに梅川はすかさず身構えた。

二時三十七分、大阪府警通信司令室から
指示を受けた阿倍野署のパトカー
「阿倍野一号」が支店北側に到着。

警ら第二係りの巡査(二九)=殉職後、警部補に二階級特進=がパトカーから飛び出し
北側玄関から行内に駆け込んだ。

梅川の散弾銃はまたしても容赦なく火を噴き、
巡査は胸をハチの巣にされ
ロビーにもんどりうって倒れた。

続いて完全武装の機動隊員らが突入を始めた。

興奮した梅川は散弾銃を乱射した。

辛うじて防弾チョッキで
鉛の散弾をはじいた隊員はやむなく引き下がる。

次々に到着するパトカーのサイレン。

ジュラルミンの楯のぶつかりあう音、
機動隊員の激しい靴音。

警察の包囲が急速に厚くなりつつあるのは
行内でもよく分かった。

「逃げ場がない」

梅川は舌打ちした。

篭城の決意はこのとき、固まったのだろう。

午後二時四十分、
梅川は近くにいた行員(四八)を呼びつけ、
北と東の二つの出入り口と東側ATMコーナーの
シャッターを全部下ろすよう、命じた。

機械音とともにシャッターが下り始める。

外の警官がそばにあった自転車と立て看板をかまし、
二ヶ所のシャッターは下から
四十センチのところで停止した。

梅川は北西側の二階への階段に
ロッカーや机でバリケードを築かせると
自分は支店長席に陣取り、アゴをしゃくって命令した。

「全員、手をあげてカウンターの中に集まれ!
 逃げると撃つぞ!」

二時四十九分、カウンターの陰で身を伏せていた
主婦と二人の男児を見つけた梅川は
「ボク、立てや」と声をかけ三人を解放。

梅川は行員をカウンター内に一列に並ばせ
「責任者は誰や」と尋ねた。

銃口がサーチライトのように列をなめ回す。

支店長(四三)が「私です」と三歩前に出た。

「金を出さんかった、お前の責任や!」

銃声一発。

胸に至近距離からの散弾を浴び、
支店長は崩れ落ちた。

顔をそむける女子行員らに
梅川は笑みまで浮かべ言い放った。

「五千万円をおとなしく出さんかった、
 お前らの上司が悪いんや。
 分かったか」

そして、改めて人質を並ばせ
「一」「二」と点呼をとらせた。

それが殺される順番ではないか、と人々は怯えた。

番号は三十七番で終わった。

「病人はおるか」

主婦が「妊娠しています」と申し出た。

「よし、出ろ」

カウンター内の人質は三十六人となった。


散弾銃を手にした梅川が
不敵な笑みを浮かべて言い放った。


「お前らにソドムの市を見せてやる」
【155】

ソドムの市  評価

野歩the犬 (2015年01月15日 13時24分)

【乱 射】

昭和五十四年(1979)年一月二十六日、
金曜日の昼下がり
寒の内とは思えぬ陽気の日だった。

午後二時、大阪地方気象台の観測気温は
平年より4度高い12・8度まで上がり
道行く人々は久々にコートを脱ぎ、
暖かい日差しをむさぼっていた。

大阪市阿倍野区播磨町交差点の三菱銀行北畠支店の
一階フロアはこの日、顧客への「感謝デー」として
粗品サービスの前宣伝の効果もあってか
ふだんより客足がよく、窓口の女子行員たちは
ひときわ笑顔をふりまいていた。

機敏な指先に札束が扇に広がり、踊っていた。

「あと三十分で窓口業務は終了」

総ガラス張りの壁の中で忙しく立ち働く行員たちも
ふと、心浮き立つひとときだった。





それは三発の銃声で始まった。



午後二時三十分、一台のライトバンが
銀行北西側の駐車場に乗り付けられ
アフロヘアにレジャー帽、マスクを付け
ミラーのサングラスをかけた男が飛び出した。

きついヘアトニックの香りをさせた
梅川昭美(あきよし)=三十歳=は
自動ドアを風のようにすり抜けて
銀行内のロビーに入った。

手にしたニッサンミクロ
上下二連式の散弾銃が鈍く光る。

梅川はロビーに踏み込むや、
いきなり一発目を天井に向けて発射した。

ソファに座って呼び出しを待っていた客が
ギョッとして腰を浮かせ
女子行員は札束を投げ出して悲鳴をあげた。

二、三発目の轟音が
コンクリートとガラスの壁を震わせた。
爆発か、地震か、わけの分からぬ混乱が行内を包んだ。

「伏せろ、伏せろ!」

行員と客に向って梅川は戦場の指揮官気取りで命令し
持っていた赤いナップザックを
荒々しくカウンターに投げ出した。

「金を出さんと命はないぞ。
 十数えるうちに五千万円用意しろ!」

行員たちは初めて強盗犯が
乱入してきたことに気づいた。

カウンター北東側の非常電話に
男性の営業係員(二〇)が飛びついた。

「強盗だ!早く110番してくれ!」

逃げ惑う人々の中でその理性的な行動はたちまち
梅川の目にとまった。

「何をしやがる!」

梅川はわめきながら走り寄ると、
なぐりかかるように散弾銃の銃口を向けた。

男子行員が銃を振り払おうとした時、
四発目が容赦なく火を噴いた。

数十個の鉛の散弾が男子行員の
右顔面から首筋を粉砕した。
男性は床に崩れ落ち、主を失った受話器が宙に揺れた。

すぐ隣にいた貸付係りの男性(二六)は
床にしゃがみこんで身を隠そうとしたが、
梅川はこれも電話連絡をとろうとした、
と、誤解したのか、再び引き金を引いた。

散弾は後頭部に命中、貸付係りの体も床に吹っ飛んだ。
散弾の一部は床や壁に当たって跳弾となり、
カウンター東側で身を伏せていた
女子行員の左腕に食い込んだ。

悲鳴の中、定期預金の入金手続きに来ていた客の主婦と
来客係りの行員二人が店外に飛び出した。

行員三人の身体から血が噴き出し、
人々は銃が決して脅しのためでなく
我が身に向けられていることを知った。

梅川自身、もはや興奮の極地にあった。

営業課長代理(四五)が手元にあった
現金二百八十三万円をかき集め
恐る恐る差し出した。

「早くそれにつめろ」

課長代理が震える手でリュックに
詰め込むのをせかしながら
梅川は札の厚みを見ると不満げにあたりを見渡し、
窓口にあった現金十二万円をわしづかみにして、
ポケットにねじ込んだ。

無傷だった行内の人々は

「これで犯人は逃走するだろう。命だけは助かった」

とひそかな安堵を覚えた。

梅川自身「三分以内ならパトカー到着前に逃げ出せる」と計算して
銀行西、五百メートルの路上に
愛車のマツダ・コスモにキーを付けたまま
逃走用として停めていた。

しかし、次の瞬間、
梅川にとって予期せぬ事態が発生した。
【154】

一周年・謝意  評価

野歩the犬 (2015年01月06日 15時53分)

爺いの暇つぶしで始めた
書き物トピも、なんとか通算一周年を
迎えることができました。

これを機会にクレジット【1】に目次を作りました。

この間、気持ちよくスペースを
提供していただいた方々に
この場を借りて改めて御礼申し上げます。


平成二十七年 正月


野歩the犬
【153】

あとがき  評価

野歩the犬 (2015年01月06日 15時30分)


ちょうど一年前、悪魔のキューピー・大西政寛伝を
書き始めたときから
山上光冶が頭にちらついていた。

どちらも死亡時の中国新聞社会面に
「殺人鬼」の見出しが躍り
その後二十五年の長きにわたる
広島ヤクザ抗争の萌芽たる人物だったからである。

岡敏夫によって二度の死線をくぐりぬけ、
村上組との抗争の先陣となって自決した山上光冶は
親分に忠誠を尽くし、最後は組織に迷惑をかけずに
「落とし前」をつけた「広島極道の鑑」として
伝説化されている。

しかし、その神話も史実を洗い出してゆくと
一抹の翳りが見えてくるのだ。

まず、広島第一次抗争といわれる
岡組対村上組の対立構図が不鮮明な点である。

なぜ、舎弟関係にあった村上組が
一方的に岡組に噛みついたのか。

実は岡敏夫は地元で「ワッサリ」と呼ばれる
被差別地区の出身であった。

つまり戦前からの「金筋の博徒」ではなく、
終戦直後の混乱期に朝鮮連盟や台湾人らを
うまく抱きこんだ新興ヤクザであった。

戦前から神農道としてテキヤの、
のれんを守ってきた村上組にとって
ワッサリが広島の覇権を握ってゆくのが
大いに面白くなかったのである。

岡敏夫本人も出自については卑下しており、
自らの勢力が拡大してゆくにつれ、
周囲に対し疑心暗鬼となってゆく。

突如、舎弟分の村上正明に命を狙われながら
「追うな」と指示したことが、如実に物語っている。

無期刑で服役中だった山上に
西村よし子の再婚話を吹き込んだ
高橋国穂に対しても同様であった。

そこへ断食のジギリをかけて出所したのが山上である。

岡は山上が蘇生するや、よし子との仲を認めつつ、
山上を殺人マシンとして操縦し始めた、
というのが真相である。

よし子の再婚話は山上の無期刑のもとでは、
現実に進行していた。

高橋国穂の全くの作り話ではなかったのである。

山上の死後、岡組と村上組の抗争は
当時の団体等規制令で
双方の組織が一時解散されたことで
表面上は終息したか、に見えたが
昭和二十七年(1952年)新設された
広島競輪場の利権を岡組が一手に握ったことで再燃、
全面戦争となる。

この過程で岡敏夫は、
かつて山上のケツをかいた(そそのかした)
高橋国穂を村上組特攻隊の仕業と見せかけるという
巧妙な手口で配下を使い、射殺している。

二年後、村上組は壊滅、岡の野望は達成される。

そして八年後の昭和三十七年(1962年)岡敏夫は
表向きには健康状態の悪化を理由に引退、
総勢百六十人という大組織の組員を
呉・山村組へと引き継がせた。

広島は再び権力闘争が渦巻き、
とき、あたかも全国制覇を狙っていた
神戸・山口組の介入によって、
山口組対本多会の「代理戦争」が展開される。


呉で土岡組から山村組に寝返った大西政寛。


広島で単身、村上組に牙をむいた山上光冶。


史実を観察してゆくと、この二人が
広島抗争プレリュードの
タクトを振ったことが判明してゆくのである。
【152】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月06日 15時25分)

【エピローグ】

昭和二十三年(1948年)三月二十五日付けの
中国新聞によると山上光冶の
自決現場の様子は次のようになっている。



■山上光冶は遂に所持の拳銃で
 前額部を撃ちぬき自決した。
 現場には同人所持のブローニング四一八九八号拳銃、
 実包六発、空薬莢一個があり、
 さらに実包三発入り替弾倉一個が残されていた。




最後に岡敏夫氏談が掲載されている。



■「世間では山上のことを殺人魔といっているが、
  彼は巡査事件の場合は泣いて非を悔い
  その他の殺人については彼らしい正義感から
  ヤクザ以外の人に迷惑をかけないのが
  信条と語っていた。
  私が身元を引き受けていたので
  世間を騒がせたことについては
  責任を感じている。
  ただ、最後に警察官や一般の人に迷惑をかけずに
  自決してくれたことをせめてもの幸せと
  思っている次第だ。
  逃走経路については自分には全然連絡がなかった。
  家庭愛に飢えていた彼の短い生涯を
  気の毒に思っている。
  自分の力で自首させることが
  できなかったのが残念だ」


山上光冶の葬儀は岡敏夫が
柳橋の本宅で全てを取り仕切った。

広島東警察署長も焼香に訪れた。

「最後は立派な男じゃった。
 一人も撃たんで迷惑かけずにの、
 自分で命を絶ったんじゃけん」

岡の手前もあるだろうが、警察医も述懐した。

「こんなんは、度胸もんじゃったよのう。
 電車の中で会うたら逃げんで挨拶に来たけん。
 ま、出所のときから解剖まで
 なにかと縁のある男じゃった」



山上が自決の際に使用した拳銃は
警察自体に拳銃が不足していた時代ゆえに
刑事が持っている、という噂になった。


ブローニング38口径オートマチックは
銃把の部分にインディアンの顔と
その頬から口に黄色い矢が刺さっている
絵が彫りこまれていた。

短い生涯に壮絶なジギリを張り続けた
山上を象徴するデザインである。


山上の死後、西村よし子は刑務官の妻となって
落ち着いた生活に入った。

山上が炭焼き小屋にこもった
山麓の瑞泉寺には
山上家累代の墓があるが、
その墓碑銘に山上光冶の名はない。

遺族がその名を刻むことを
強く拒んだから、だという。


(ジギリ狼・完)  
【151】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月06日 15時18分)

【叫 弾】

広島市猿侯橋町の日劇前一帯は
柔らかな春の夕暮れが訪れていたが、
騒然とした雰囲気だった。

山上光冶がとび込んだ商店街は武装警官隊が取り囲み、
自動小銃を手にしたMP一個小隊も加わった。

群集は千人を超えていた。
その整理にあたるべく、
応援の制服警官が続々と駆けつけてくる。

岡道場にもすぐに報告が入った。

「山上さんが日劇で包囲され、逃げ出して
  商店街の果物屋さんにとび込んだそうじゃ」

「MPが自動小銃を向けとる」

「もう、あたりは黒山の人だかりじゃ」

道場には丸本繁喜はじめ、数人の若い衆がいた。

「なんとか逃がせんじゃろうか」

「そら、無理じゃろう。
  できれば逃がしてやりたいが、のう」

丸本らも現場に駆けつけた。

時刻はすでに五時半に近かった。

MPの投光器であたりは真昼のように明るく、
夕暮れとの明暗が異様である。

丸本らは群集をかき分けて最前列に出た。
店内はひっそりとして、なんの物音もしない。

「山上、おとなしく出て来―い。
  もう、逃げられんぞ!」

「包囲は完了した。家の人に迷惑をかけんよう、
  出て来―い」

「山上、出てこんとこちらから行くぞ、
  無駄な殺傷はやめるんじゃ」

警官隊が口々に叫ぶ。

「カモン、ボーイ」

「ヤマガミ、カモン」

MPの声もその中に混じった。

山上はすでに自決を覚悟していた。

「警察が出て来い、いうたらいつでも出ちゃる。
 往生せい、いうたらいつでも往生しちゃる」

と語っていたように、
一月に二人を相次いで射殺して以来、
徐々に心に落ちていた死への覚悟が
包囲しながら撃ってこない警察に対し、
ゆっくりと固まっていたのかもしれない。

死への恐怖はなかった。

村上正明らのリンチによる仮死、
刑務所内での断食で二度も医者に見放され、
すでに死は経験済みだった。

山上は菅重雄を射殺した段階で自らの無期刑もあって
すでに人間としてのバランスを失っていた。
逃げる以外、生きる道はないのだ。

しかし、山上には村上正明に対する復讐と
二度も生命を救ってくれた
岡敏夫への報恩という目的もあった。

だが、山上は村戸春一の岡組襲撃で
再びバランスを失い、配下の二人を射殺してしまう。
そこから振り子が復元することは
もはや、不可能だった。

山上は客観的にも内面的にも
殺人マシンと化してしまった。

山上は淡々とした心境でこの日を迎えたのだろう。

一度は逃げてみたものの、袋小路に変わりはなく、
逮捕されても待つのは「死」のみである。

山上はここから実に冷静な行動をとる。

とび込んだ果物屋の風呂場に身を隠そうとするが、
すぐ近くですくんで動けなくなっている
店の主婦に声をかける。

「迷惑かけて、すまんのう。
  成り行きでとび込んだもんじゃけえ。
 ほいでなんじゃが、も少し、迷惑かけるけん、
  これ、貰うてくれんじゃろうか」

山上は懐中の有り金全てを
震える彼女の手に握らせるのである。
有り金はそこを血で汚すことの賠償金の意味であった。

金を渡した山上は外へ向って
あらん限りの大声で叫んだ。

「おーい、誰か道場のもん、おるかぁ。
 おったら聞いてくれー。親分を頼むぞー。
 くれぐれも親分を頼むぞ――っ
 それからみんな、長い間、ありがとうなー、
  ありがとう――!」

叫び終わった山上は風呂場へ戻ると
五右衛門風呂の中に小柄な体を丸めて潜り、
自ら木蓋を閉じた。

そして愛用のブローニング38口径を
右こめかみに当て、引き金に力をこめた。

バ――ン!

くぐもったような銃声とともに
山上光冶の生涯はそこで閉じられた。
【150】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月05日 14時48分)

【包囲網】

■昭和十八年 (1943年)  傷害致死
■昭和二十一年(1946年)  警備員(のち、巡査昇格)射殺
■昭和二十二年(1947年)  村上組、菅重雄     射殺
■昭和二十三年(1948年)  村上組預 山口芳徳
                 同   吉川輝夫   射殺

二十四歳にしてすでに五人の生命を奪った山上光冶は
すでに自死を決意していたのであろうか。

二月に入り、梅の香が漂いだすと
山上は昼夜をわきまえず
大胆にもその姿を広島市内に見せるようになる。

山上は自死にあたっては村上弘明、村戸春一を
道連れにする覚悟だった、と思われ
情報に飢えていたのかもしれない。

しかし、二人の消息は絶たれたままであり、
仲間からの密告もない。

山上は焦燥の中で二人の匂いを追いかけた。

山上は岡敏夫が道場に顔を出さなくなったことを
いいことに猿侯橋の道場に連日のように顔を出し、
時には大胆にも手本引きの客の一人として紛れこんだ。

当然、警察の追及は厳しくなった。

山上が常に拳銃を手放さないことを知り、発見次第
武装警官隊を出動させ包囲する手筈を整えていた。

MPからも抵抗すれば「射殺可」の命令が出ていた。

菅、山口、吉川の三人に発砲された銃弾が同一とあって
山上はもはや「殺人鬼」としてとりあげられている。

三月中旬、山上は呉線の電車内で
思いもよらぬ人物と出会った。

山上が断食のジギリを張り、
岡敏夫の許に引き取られた際

「これは、もう、つまらん」

とサジをなげた警察医である。

ふっと視線が合った山上は
車内が空いていたこともあって
少しためらいを見せたが、
すぐにつかつかと歩み寄った。

このころの山上は丸坊主頭にしていたものの、
三白眼を伏せ

「先生、見逃してつかあさい」と丁寧に頭をさげた。

「わしも警察医、じゃけの」

「ご迷惑をかけてすまんです。恩にきますけ」

山上は警察医の声が穏やかなので安心したのか、
再び頭をさげると別の車両へ足早に移っていった。

そのことが警察へ伝わったかどうかは定かではないが、
警察は広島駅前から猿侯橋町一帯に
連日、厳重な警戒網を敷いた。

もちろん、山根町の西村よし子宅も
二十四時間、刑事が張り込んだ。

三月二十三日、霞がかった春の陽が傾きかけたころ、
広島駅前で中国新聞の記者が山上らしい男を見つけた。

山上が村上組のリンチに遭った事件を
耳にして岡敏夫宅を訪ねた際
不敵な嘲笑と三白眼が印象的だっただけに、
記者は確信した。

山上は出くわした記者を避けるように早足になり、
駅前の映画館「日劇」に入った。

記者も追いすがり、背後から
「今までどこにいたのか」
「なぜ、広島に舞い戻ったのか」と小声で質問した。
もちろん自首を勧めたが、山上に聞く耳はない。

中国新聞の記者が山上を追い始めたとき、
すでに広島東署の二人の刑事が
駅前派出所へと連絡していた。

猿侯橋町の日劇一帯は武装した
二十数名の警官で包囲され始めていた。
MPもジープで乗り付けてくる。
騒然とした雰囲気に野次馬も集まりだす。

館内後部の暗い席にいて山上も
外部の異様な雰囲気を察知した。

「サツにチンコロ(密告)したんじゃろう」

山上は拳銃を手にして、記者の脇腹へ押し当てた。

「ま、まさか、わしは駅前からずっと一緒じゃろうが。
 サツに手、回すひまなんか、ありゃ、せんよう」

そのとき、四、五人の武装警官が
拳銃を手に入り口から身を滑らすと
さっと左右に散った。

同時に気配を察知した山上は体を丸めると
一気に出口に走った。

「山上じゃあ、追えっ!」


「山上が出たぞっ!」


武装警官が叫んだとき、
山上はすでに向いの商店街にとび込んでいた。
【149】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月05日 14時42分)

【破滅道】

一月七日から広島の夜は再び暗黒を増すことになる。

中国電力の全送電は四日に一日の通常配電に戻り、
家庭は三十分ずつのリレー停電に切り替えられた。

その夜の暗さを山上は十分に利用した。

警察は山口芳徳射殺犯をほぼ、
山上光冶と断定していた。

丸本繁喜の身替り自首――

何より弾丸が菅重雄射殺時と同一と判明したのである。

前年二月の菅重雄射殺以来、
秋には西村よし子の自宅を捜索したように
警察としても山上の追及を
おろそかにしているわけではなかった。

しかし、今回の山口芳徳射殺が
村戸春一の岡道場襲撃の報復と見られるだけに
山上が村上組に無差別攻撃を仕掛けてくる
公算は十分に考えられる。

警察もいよいよ本腰を挙げて山上逮捕に乗り出した。

もちろん、山上もそういう動きは十分に察知していた。

山上は山根町の地下室へは戻らず、
呉線をたどりながら
夜になると広島に潜入して
村戸一派の消息を追った。

山上は丸本の友だちから
もたらされたタレコミに当たりをつけていた。

ヨネとテル、二人の姿を見たというのに、
当日吉川輝夫の姿はなかった。

それはたまたま不在だった、と考えられ、
山口の射殺で身をかわしているとはいえ
近いうちに必ず姿を見せる、と山上は確信していた。

山上は闇を利用して辛抱強く張り込んだ。

その間、山上は何を考えていたのだろう。

西村よし子やその子供たちとの楽しい団欒、
村上組の面々から受けた壮絶なリンチへの怨み
そして二度にわたって命を救ってくれた
岡敏夫への感謝の念――。

さまざまな想念が山上の脳裏を
駆け巡っていたに違いない。

しかし、断言できるのは山上の未来への想いが
淡いものでしか、なかったことだ。

岡から「出ろ」と言われれば、無期刑か死刑しかない。

逃亡が永久に続くことが考えられない以上、
残るはまた、自死しかないのである。

山上は闇の中で目を光らせながら生ある限り、
目的遂行に全力を注ぐしかない、
と思い詰めていたに違いない。

その山上が吉川輝夫を射殺したのは
それから間もなくだった。

事件の目撃者はなく、死体を見たのも
警察か身内の者に限られていた。

岡組の面々が射殺事件を知るのは
岡敏夫自身の口からである。

「テルをいわしたけ、明日あたりなんか、あるわい。
 ガサくるか、わからんけ、道具を始末しとけいよ」

夜半にそう言われた若い衆たちは
早朝に現場と噂された場所を覗いたが、
すでになんの痕跡もなかった。

「みっちゃんから、連絡あったんじゃろうか」

「みっちゃんのことやから、ほんまじゃろう。
 それにしても、よう、いわしたのう」

岡敏夫の予言通り、その日のうちに警察は
岡組を捜索したが、もちろん何も出てこない。

射殺した弾丸が前の二件と同一であり、
警察の岡への追及は執拗だった。

「そういうても、うちに山上はおらん。
 連絡もないんでのう。
 正直いうて、わしもくたびれとるんじゃ」

岡は捜査員にそう言って、眉を曇らせた。

岡は山上には「広島へは戻るな」と厳命していた。

しかし、呉線をたどりながらも、
山上は夜になると広島へぶらりと舞い戻った。
そして、その姿はやがて大胆にも
昼の市内でも見られるようになる。
【148】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月05日 08時37分)

【即 射】

山上は丸本の案内で比冶谷町の旅館街へと向った。

全送電の最終日、旅館の軒灯が
淡く浮かび上がっていた。

「丸やん、あっこじゃな。わしが入っていくけん。
 丸やんは裏へ回ってくれい。
 もし、逃げおったら、そんときゃ、頼むけん。
 ま、ヨネもテルもわしが断食で出たときゃ、
 丸やんらと面倒みてくれた仲じゃ。
 手荒なことにはならんじゃろう」

時刻は八時を回っていた。

丸本は裏口へと向った。

表の戸が開くと同時に
「ヨネ、動くな」という山上の低い声が響いた。

中からは「キャッ」という女の声がしたが、
山口芳徳だけがいる気配だった。

「ヨネ、お前のう、指詰めて親分に断りせい。
 それが筋いうもんじゃろう」

「ちょっと待ってくれい」

「おう、指詰めるんなら、待とう」

即座に山上の覆いかぶせる声がする。

静寂な時が流れた。寒さが身にしみる。

山上が山口をうながして、
ちょっと体の向きを変えた瞬間だった。

山口が座布団の下に手を滑らせた。

「パン!」

短いが鋭い銃声がしじまを破った。
菅重雄の時と同様、ほんの一瞬の出来事だった。

「もう、いったけえ」

すい、と暗闇に姿を現せた山上は丸本と自分に
呟くように頷いてみせた。

「また、しばらく逃げるけえ」

「気ぃ、つけいよ」

丸本が声をかけた時、
山上はすでに小柄な体を丸めるようにして
闇の中へ走り去っていった。

それから三十分と経たず、丸本は広島東署に出頭した。

中国新聞一月七日付けの記事によれば事件はこう、報じられている。

■五日午後八時ごろ、広島市稲荷町の福吉旅館前で
広島県安芸郡坂本村、丸本繁喜(二〇)は
下井留一氏の殺人容疑者として指名手配中の
広島市曙町、村戸春一方に同居の
山口芳徳君(二一)と会い、
やにわにピストル三発を発射、
銃弾は山口君の左胸部と右ひじから第一関節に、
他の一発は臀部から大腿部を貫通。
山口君は直ちに段原町の吉崎病院に収容、
治療中であるが危篤状態。
犯行の丸本はその足で八時半ごろ東署へ自首した。
原因はヤクザ仲間の怨恨とみられている。


  ―――――――――――――――――ー


しかし、自首した丸本が犯行に使用された
山上の拳銃を持っていない以上、警察としても
立件不能と判断せざるを得なかった。



翌八日付けの記事は「身替り自首か」となっている。



■五日午後八時半ごろ、広島市曙町の村戸春一方、
山口芳徳君(二一)を射殺したとして、
広島東署に自首した丸本繁喜(二〇)について、
同署では真相を取り調べ中であったが、
事実と相違点が多く、事件当時、山口君は
市内比冶谷町の吉川輝男さん方の奥三畳間で
村戸春一の内縁の妻と雑談仲、突然一人の男が侵入し、やにわに拳銃を発砲され、
三ヶ所に貫通銃創をうけたもので、
丸本繁喜はヤクザ仲間の身替り自首とみられ、
同署では別の観点から犯人の捜査に乗り出した。
なお、入院仲の山口君は六日午後二時、
出血多量で死亡、七日朝、同署で解剖に付された。




初報と続報では事件の発生地に相違点がみられ、警察の混乱ぶりがうかがえる。

丸本繁喜は翌、九日、広島東署から釈放された。
【147】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月03日 12時44分)

【タレコミ】

元旦から降って沸いた再度の村上組の道場荒らし。

しかも堅気の人間を射殺するという非道ぶりに
さすがの岡敏夫も村上組への敵意をむき出しにした。

一人歩きが好きな岡も
ボディガードをつけるようになる。

組の幹部たちも当番以外でも道場に
詰めることが多くなった。

正月気分はとっくに吹き飛んでいる。
と、いって、なぜ村上組が、
というわだかまりは残っている。

「なんで、叔父さんたちが三人揃って
 あげいなことを、したんじゃろうか」

「考えられんけん、のう」

「しかし、村戸の叔父貴にしても
 狙わにゃいけんのは、事実じゃ」

「そうじゃ、殺らな、殺られるけん」

若い衆たちは首をかしげながら、
結論はそこに行き着く。
一寸先が闇なのは極道の世界の常である。

そして村戸春一の襲撃事件以後、
岡があまり道場に顔を出さなくなったため、
たびたび忍び込んでは彼らの会話に
白目を光らせていたのが山上光冶である。

村上正明を殺れないなら、村戸 ――― 。

山上はそう決心していたのだろう。

まして岡の激怒ぶりを耳にすれば、
どうせ先のない身である。

二度も命を救ってくれた岡へ
一度は恩返しをしてから、
と考えて当然だった。

山上は夜ごと、村戸の匂いをかぎまわった。

もちろん、村上正明同様、
村戸春一の足取りもぷっつりと途絶えている。

山上は道場の炊事場でひっそりと
うずくまることが多くなった。
客の出入りする道場では思わぬ
タレコミがもたらせられるからである。

事件から四日後の一月五日夜、
山上はその情報をつかむ。

丸本繁喜をこっそり訪ねてきた男に気づいた山上は
二人の会話に耳を澄ませた。

「ヨネやテルが戻っとる、
 いうんは、本当じゃ、いうんか」

「間違いない」

「村戸はおらんのじゃな、その旅館には」

「姿は見えんじゃった」

ヨネとテル、というのは村戸が道場に乱入した際、
引き連れていた岡組から預かっていた
山口芳徳と吉川輝夫のことである。

やがて男が消えると丸本は何やら
道具を用意して出かけるようだった。

「丸やん、どこへ行くんや」

潜んでいた山上の声に丸本が驚いて立ち止まった。
山上はその驚き方で丸本が
拳銃を隠し持っていることを確信した。

「どこへ、いうて、どこへも行きゃせんわい」

「ほうか、じゃけん、わしゃ聴いたで」

「なに、聴いたんかいのう」

「丸やん、わしゃ、のう。
 右向いても左向いても何人もとっとるけん
 先は死ぬか、一生ム所しか、ないんじゃ。
 丸やんにやらせるわけにゃ、いかん
 おるのはヨネとテル、言うたな」

「ほんま、聴いとったんか」

「ああ、ほんまじゃ。
 丸やんに撃たすわけにゃいかんのじゃ、けんな」

「そうはいかん」

「まず、指詰めさすわい。
 それで親分に詫び入れさせりゃ、よかろうが。
 わしが言うてみるけん、丸やん、一緒に行こう」

そこまで言われては丸本も山上を止められなかった。
【146】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月02日 13時43分)

【宣戦布告】

昭和二十三年(1948年)元旦、
広島はまばゆいばかりの新年の朝を迎えた。

一瞬の光爆から二年三ヶ月、
広島市の復興は目に見えて進んでいた。

まだ、バラック小屋は多かったが、被爆直後、
辛くも残った六千余りの建物が五万戸に達していた。

中国電力もこの年の正月五日間は
全送電を市民にプレゼントし
各戸に明るい灯がともった。

岡敏夫の道場に新年のほろ酔い客が
姿を見せ始めたのは昼過ぎで
手本引きが始まったのが午後一時ごろだった。

この日は柳橋の岡の本家で新年無礼講の宴が張られる。
そこへ出席する前に丸本繁喜は道場へ寄った。
組の面々がしばらく留守になるめ、胴師や客に一言、
挨拶しておこう、としたのである。

二階の客は十人足らずだった。

「みなさん、明けましておめでとうございます。
 本年も旧年に倍増のお引き立て、
 よろしくお願いします。
 本日は親分宅で寄り合いがありますんで、
 失礼させてもらいますけ、
 なにとぞゆっくり遊んでいってくださいますよう」

「おめでとうさん」

「こちらこそ、お願いします」

丸本が道場を背にしたのが二時五十分ごろだった。

入れ替わるように道場にやってきたのが
村上組の村戸春一だった。

村戸は三時すぎには岡道場に
当番がいなくなることを熟知していた。

配下七、八人のうち二人を見張りに残し、
村戸は二階にあがってきた。

「岡、おるか、岡を出せい」

「皆さんは親分宅でお祝いがあるけ、おらんですきに」

「なにい、わしが来たいうに、おらんのかい」

「柳橋のほうへ行けばおるんや、ないですか」

「なにい、気に入らんこと吐かすやっちゃな。
 行くか、行かんかは勝手じゃ」

客たちの受け答えに村戸は苛立ちをつのらせた。

「なにが岡道場ない。わしらのシマで堂々と
 博打やりおって、
 一発、見舞うてやるわい」

村戸はぶら下げていた拳銃にツバを吐きながら
引き金に指をかけ天井にむけた。

ガ――ン!

轟音は威嚇であるはずだったが、
そのとき信じられないことが起こった。

村戸のほうへ向いて座っていた
客の一人がすっ飛んでいたのだ。

拳銃が暴発したのか、腕を天井に向けて振り上げる前に
途中で引き金を引いてしまったのか、
弾丸は天井に向わず、客の一人の心臓を
撃ち抜いてしまっていた。

銃声で数瞬、静まり返った道場内の空気が一変した。

「逃げろ!」

誰かの一声で村戸春一らは階段を駆け降りた。

「警察じゃ、柳橋(岡宅)にも知らせい!」

道場内は騒然となった。

急を知って驚いたのが丸本である。

「そんなことはない。わしゃ、たった今、
 のぞいて挨拶したばかりじゃが」

「はい、そん通りです。ほいでも、
 現実に起こったこつですけん」

祝い酒に手もつけず、丸本は道場に引き返した。
銃声に続いた警察の到着で
道場前は野次馬であふれていた。
人垣をかいくぐった丸本はその目で
階段近くに左胸を血で染めた
下井留吉の姿を見た。

被害者は岡の兄貴分の実弟で、堅気の客である。

しかも、村戸が連れてきた配下には
岡敏夫の若衆でありながら、不都合を起こして
村戸へ預けている者が含まれていた。

その預かりを率いて兄貴分に楯をつく。
それも誰もいないと知っている道場に行った。

岡は激怒した。

「やるんなら、うちもやる」

岡は初めて組員たちに向って
村上組への敵意を露わにした。
【145】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月03日 12時45分)

【潜 伏】

菅重雄射殺から半年を経た夏過ぎから
山上は広島市内へ戻り、
夜陰に乗じて岡敏夫の道場にひょっこり
顔を出すようになる。

道場は正面入り口を除いて
二メートル近い高さの板塀で囲まれていたが、
山上は身軽に勝手口の塀に飛びつき、
ひらりと中へ舞い降りた。

そして炊事場に人影を待ち、
安全かどうかを確かめてから声をかけた。

慎重な山上は変装の名人でもあった。

夏を過ぎて髪も伸びた山上は
前髪を垂らして口ひげも生やしていた。

さらに念を入れて眉も太く描いた。

「おい、そこにおるのは誰じゃ。
 わしじゃ、山上じゃ、入れてくれい」

勝手口で聞き覚えのある忍び声がして、
それが山上と思い、
鍵を開けた仲間が不審そうに聞く。

「誰じゃ、お前は。ほんまに、みっちゃんか」

「わからんじゃろう」

さすがに三白眼だけは隠しようもない。

「ほんまじゃ。お〜い、びっくりさせんときい」

原田、網野は獄中にあったが、
服部、丸本らの面々が代わる代わる仰天した。

山上は変装に自信をつけたのか、
大西と挨拶を交わした秋口から
塀を越す回数が多くなり、
徐々に昼間も人気が少ないと
道場に出入りするようになる。

しかし、山上は岡の本宅には絶対に近づかず
道場でも岡の気配を感じると姿を消した。

岡の方でも山上の義理堅い心中は
痛いほどわかっていた。

だからこそ、山上がついに山根町の
よし子宅に住みつき始めたと知っても
注意しないばかりか、情報提供までするようになる。

山上はよし子宅に地下室を設け、寝起きしていたが、
それは自然と警察の知るところとなる。

しかし暗黙の契約か、その情報はまた
岡のもとへ舞い戻る。

「山根町にガサ入れがある。
 山上はしばらく身をかわせ」

岡の指令で顔に煤を付けた若い衆が山上に付き添い
二人して山にこもると炭焼き小屋に身を隠した。

晩秋の山中は寒いが炭焼き小屋に火は欠かせず、
煮炊きの煙があがっても怪しまれない。

山上は若い者と十日ほどを山で過ごし、
夜には腕が鈍らないよう
拳銃の訓練にも励んだ。

このころの山上は仲間との会話の中で
二つの決意を語っている。

ひとつは抱き続けている村上正明への怨念であり
もうひとつは逮捕される場合の心構えだ。

「わしゃ、のう。正明が姿見せたら
 一番にいってやるけぇの。
 死ぬほどの目にあわされたんが二度じゃ。
 親父が駄目じゃ、いうから我慢しとるんじゃが、
 姿見せたら一番にいったる」

「警察がのう、山上、出て来い、
 言うたら、いつでも出たる。
 山上、往生せい、言うたら、いつでも往生したる。
 でものう、騙して撃ちやがったら、
 みんな、やったる。
 弾のある限り撃ったる。そう覚悟しとるんじゃ」

山上にとって警察が出て来い、というのは
岡が手を引いて自首を命じるとき、と心得ていた。

それ以外に選ぶのは己の死――。

二度の死線をくぐり抜けた山上に迷いはなかった。
【144】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月30日 13時24分)

【一触即発】

逃亡生活が一月ほどたった
春先のある日、山上は呉市郊外、
吉浦の博徒・中本勝一の賭場をのぞいた。

山上はそこで「悪魔のキューピー」大西政寛と
初めて顔を合わす。

このとき大西政寛、二十四歳
    山上光冶 二十三歳


広島で射殺事件を起こした男が
呉線を頼って流れてきているらしい、
という噂は極道の幹部クラスなら
知っていた、であろうし
それが断食というジギリをかけた
山上光冶という男であることを
大西政寛が聞いていて当然である。

一方の山上にしても呉線をたどり歩けば
「悪魔のキューピー」の名は耳にしないはずはない。

二人の男の腕を斬り落とし、
呉の長老・久保健一を引退に追いこんで
売り出し中の男、大西政寛の名は先々で聞く。


この二人が賭場の些細な動作でもめた。

理由は判然としないが、
おそらく山上の三白眼が原因ではなかろうか。

殺気立った賭場で大西が山上の
にらみつけるような視線を不快に感じたのだろう。

「なんじゃい、お前は」

「なんじゃ、いうて、なんじゃい。
 わしになんか文句あるんか」

「なにい? ぬかすな、おどれ」

三白眼の山上の白目が光り、
大西の眉間が縦にすっと立った。

「大西、山上、やめい。
 ここをどこぞ思うとるんじゃ。
 わしの賭場ぞ。勝手な真似は許さん!」

親分の中本勝一が二人の名を呼んで怒鳴りつけた。

「おう、おどれが山上か」

「大西はお前か」

声が重なったとき、
ともにその両手は懐の中に差し入れられていた。

大西も山上も二丁拳銃である。


「馬鹿たれ、おのれら、やめんかい!
 わしの道場いうたら、わからんのか、
 この命知らずめが!」

この間二、三分。
怒鳴っただけで効き目なし、
と見た中本が体ごと割って入った。

「手を懐から出せい。馬鹿な真似したら承知せんど、
 死体が出たらどう、始末するんか、
 馬鹿もんどもが!」

中本勝一の一喝で二人は頷きあったが、
のちに大西は中本からきつく注意され
山上もまた、仲間を通じて岡の激怒を
伝えられ平蜘蛛となった。

このあと大西は市議会議員刺殺事件の
共謀犯として吉浦拘置所暮らしとなり
夏には割腹というジギリをかけて出所。

秋口には広島の岡道場に顔を出すようになり、
広島に舞い戻った山上と挨拶を交わしている。



断食と割腹――
 
ジギリを張り合った二人はこのあと
三年もたたぬうちに、共にこの世にはいない。
【143】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月30日 13時18分)

【逃避行】

壮絶なジギリの果てに刑の執行停止をかちとった山上は
村上組・菅重雄を射殺したため再び逃亡生活を始める。

前年の警備員射殺からわずか十ヶ月しか経っていない。

そのときは直後に巡査射殺事件となったため、
十日で自首したが、
今度はヤクザ同士のケンカ殺人である。

岡敏夫としても、
山上が組に体を張ったことは理解しており、
山上自身も自首する気はなかった。

出頭すれば元の無期刑か死刑しかない。

しかし、警察も山上の犯行と分かっていても
必死で追う気配はなかった。

当時の警察は朝鮮連盟の闇市からの撤退や
広島市内の治安維持に関し、
岡敏夫には借りが積み重なっていた。

もちろん、岡が通訳を抱き込み、
MPを懐柔していた背景もある。

だからといって、山上が自由でいられたわけではない。

あくまで逃げ隠れして、行方が分からないことを
表向きの前提として逮捕しないのであり、
山上の逃亡生活に変わりはなかった。

山上は広島市内から姿を消し、
呉線一帯を周り歩くようになった。

呉沿線には岡敏夫と親交のある親分たちがいて、
山上はいわば一宿一飯の恩義にありつきながら、
旅かけをしていた。

岡が山上に逃亡を勧めたのは
二つの理由からだと思われる。

一つは刑期のことであり、
それは姪のよし子と無関係でありえない。

よし子の再婚話を高橋国穂から吹き込まれただけで
命がけのジギリをかけた山上である。

可愛い姪を思う気持ちにはほだされるし、
よし子もまた、山上と再会して、
塞ぎこんでいた日々から立ち直って
いきいきとしている。

逃亡がいつまで続けられるか未知数だが、
できる限り一緒にいられる時間は与えてやりたい。

もうひとつは山上の菅重雄射殺に対する
岡組内の反応だった。

岡自身、菅の「大物たれ」は日頃から
耳に入っており、愉快ではなかった。

そこへ「山上が菅を殺った」という報告を受け、
道場に駆けつけた岡は
幹部の面々から口をそろえて聞かされた。

「菅の叔父貴はいつか殺らんといけん、と思うとった。
 親父さん、
 それがわしら若い衆の本心じゃろう、と思う。
 それをみっちゃんが先にやったんじゃけん。
 今度なんかやったら、
 もう生きとれんみっちゃんが、やったんじゃ
 親父さん、その根性だけは誉めたって、くれい」

 岡の胸を打つ言葉だった。


菅重雄という名前さえ耳に入らなかったら、
たとえ山上でも相手が腹巻に手を入れただけで
いきなり射殺ということはしなかったはずだ。

「大物たれ」の菅がいつか、
岡自身に銃口を向ける、と思ったからこそ
光冶は威嚇ではなく、
狙いを外さす引き金を引いたに違いない。

光冶にはそれなりのことをしてやらな、いかん。

山上は人目を避けてよし子のもとへ行き、
一夜を過ごすと翌日には呉線沿いの
預かり先を頼って旅に出た。
【142】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月29日 12時44分)

【抜き撃ち】

昭和二十二年(1947年)二月十八日夜、
村上組幹部で、これも岡敏夫の舎弟にあたる
菅重雄が岡道場に姿を現した。

菅重雄は村上組にいる岡の三人の舎弟の中で
岡組の面々から最も嫌われていた。

村上正明同様、酒乱の気があるうえ酔うと何かにつけて
「大物をたれる」(大口を叩く)
「虫のすかん、叔父貴」だったのだ。

しかも、岡組が親分を狙われた
報復に出るとあからさまに

「いつかは俺が岡をたおしたる」

と放言を吐いていた。

岡組組員にとっては自分たちの
「親分をヤル」と公言する菅に対し

「その前に殺ったろかい」

という気が
暗黙のうちに充満していた。


その夜、菅重雄は猿侯橋の方から
ちょっぴり目を充血させて道場に入ってきた。

菅が知っていたのかどうか、
この夜は岡敏夫をはじめ、
主だった幹部たちは会合のため
誰一人として道場にいなかった。

留守番は二軍の若い衆が三人ほどいただけだった。

「おう、岡はおるか」

菅は若い衆にアゴを突き出した。

「いえ、おらんです」

相手が菅と知り、さらに酒臭い息をかいで
ちょっと面倒なことになりそうな予感から
若い衆が緊張気味に答える。

「どこへ行ったんない」

菅としてはそのあと
「大物をたれる」チャンスと思ったのだろう。

しかし、そのとき、すでに山上が若い衆を
払いのけるようにして菅の前に出ていた。

山上はこのとき、山音町のよし子のもとへ
帰る前に道場に寄り、
魚の煮付けと茶漬けをかきこんでいるところだった。

「うちの親分を呼び捨てにするのは誰か、誰な、お前」

口の中に残った飯をのみ込んだ山上が
咽喉をごくりとさせながら聞く。

「そういうお前こそ、誰じゃ」

若い衆が「村上さんとこの菅さん」と
山上に伝える言葉に重ねるように
菅が横柄な物言いになり、
山上がすぐ、かぶせる。


「わしゃ、山上よ。お前か、菅、いうの」


それはほんの一瞬の出来事だった。

菅はどう思って腹巻の中へ手を入れたのだろうか。

警官射殺犯のうえ、壮絶なジギリで出所した
山上の名前で反射的に拳銃に手がいったとしても
撃つつもりだったのか、
脅しのつもりだったのかは不明だ。

しかし、同じ条件反射なら抜き撃ちの訓練をしている
山上にかなうはずもなかった。


「ガ――ン!」


至近距離からの凄まじい轟音と銃火の閃光で
若い衆が思わず耳を手で覆ったとき、
菅は腹巻の中の拳銃を握ったまま
後方へ素っ飛んでいた。

裸電球の下の黄色い光景が血で染まっていた。



     菅重雄は即死だった。
【141】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月29日 12時40分)


【二丁拳銃】

村上正明の突然の襲撃に岡組の一統は
誰もが首をかしげた。

村上正明はじめ、村上組の面々が直前まで
岡道場に顔を出していたからである。

親分を狙われた怒りは当然としても
原因は全くわからない。

岡敏夫は「追うな」と言い
「わしの舎弟じゃ」と理由にならない言葉のみである。

親分の命を狙った相手が怨念の村上正明と
知った山上光冶はすぐに岡に直訴する。

「親っさん、正明をとらしてつかぁさい」

ここでも岡は「光冶、われ、なに、言うんか」と、
とりあわない。

事件は襲われた岡組が恥として認めず、
村上組も不首尾を恥として伏せたため
公にはならなかったが、
事件は事実であり、現に村上正明の姿も
広島から消えていた。

山上は射撃訓練を再開した。

断食のジギリ中、夢の中に出てきた
山中のポプラ並木が標的だった。

山上は村上正明やリンチに加わった者の
顔を思い浮かべながら
コルト25口径とブローニング38口径の
二丁拳銃の引き金を引く。

小柄な山上は十分に腰を落とし、反動を全身で吸収する
「拝み撃ち」で正確な射撃に努めた。

轟音が山中にこだまし、
山上の復讐心はさらに煽られる。

しかし、山上が動く前に岡組の報復は
事件から一ヶ月後の十二月十三日に起こる。


原田昭三と網野光三郎の二人が
村上組、組員・原田倉吉を
映画館から連れ出し、二発の銃弾を浴びせた。

二人は死体をオート三輪で芋畑へと運び、
月明かりの下で芋づるのヤニと土で
全身、真っ黒になりながら埋めた。

しかし、その穴はあまりに浅すぎたのか、
西風で表土がさらわれ
頭部の髪と足先が地面に現れだし、
エサを求めていた野良犬によって掘り出されてしまう。

警察は原田、網野の二人を容疑者として
割り出したが、確証はつかめない。

結局、年が明けた昭和二十二年(1947年)一月、
MPの圧力によって二人は自首、七年の実刑となった。

こうなると村上組も黙っていない。

幹部の菅重雄は酒を飲むたびに吠えた。

「岡組がなんぼのもの、じゃい。
 わしがいつか倒したる。
 今にみとれい。いつか、わしがやったるけぇ」

そういう声は当然、岡組の耳に入る。

山上は常時、愛用の二丁拳銃の安全装置を外し、
肉切り包丁用の皮ケースにいれて首から吊るし、
片時も離さなくなっていた。
【140】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月26日 15時24分)


【夜 襲】

刑の執行停止で山上が出所してから二週間。

まるで山上の回復を待っていたかのように
事件は起こった。

その夜、猿侯橋にある岡道場は
珍しく賭場が荒れていた。

夜半に客同士のもめ事が起こって、殺気立ち、
親分の岡敏夫自ら、賭場に顔を出して仲裁に入り
客が納得して引き揚げたのが午前一時を回っていた。

岡は道場に泊まることになった。

当番は服部武と原田昭三であった。
二人は六畳の当番部屋に入り、
岡はその部屋近くに布団を敷かせて寝た。

当番は二人一組。
まして親分が寝ているとあって、一人は不寝番である。

しかし油断というか、睡魔が襲ったのか
服部と原田が飛び起きたのは
「バーン!」という一発の銃声が
道場に響いたときだった。

驚いた服部が襖を開けると、
寝ていた岡敏夫の上には
すでに村上正明が馬乗りになっていた。

村上の銃口は真っ直ぐ、
岡の額中央に向けられている。

のちに岡はそのときの状況を中国新聞記者に

「すぐに撃つのかと思って観念していたが、
 相手は勢いに乗って
 冥土への引導渡しの文句が長い。
 そのすきに拳銃を払いのけた」

と語っているが、実際はほんの一瞬だったと思われる。

「往生せいっ!」

村上正明が叫んで引き金を絞ったとき、
岡はとっさに首を縮めたのだろう。

銃弾は岡の五分分けの頭頂部の髪を焦がしながら
布団から畳へとめり込んでいた。

村上正明がもう一発と構えなおしたときが
服部が襖を開けた瞬間だった。

「なに、さらす――っ!」

服部の巨体が村上正明に体当たりして、
村上もろとも岡の上を
四、五メートル先まで宙を飛んだ。

同時に飛び出した原田は階段脇で見張りをしていた
村上組の若者に肩から突っ込んでいった。

ギャ――ッ!という叫び声が上がり、
二人はもつれながら階下へと転げ落ちる。

道場では素早く起き上がった村上を
服部が追うところだった。

「親分になに、さらすっ! 待てい!」

回り込んだ村上は一発、
発射しながらダダッと階段を駆け降り、
裏口から消えていった。

荒い息で服部と原田が岡の許へ戻った。

「親っさん、大丈夫でしたか」

「ああ、弾はかすったようじゃ。追わんでもええ」

「しかし、なんで村上の叔父貴が」

岡は無言だった。

誰にとっても村上組の襲撃は青天の霹靂だった。

この夜の銃声を境に広島は以後、
二十五年にわたる
抗争の歴史の幕が開いたのだった。
【139】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月26日 15時25分)

【垢落し】

「親父っさん、風呂じゃ、風呂じゃ、言うて、
 聞きゃあ、せん、のですけぇ。どげんしますか」

岡の自宅で再度、死の淵から生還した山上は
三日目になると今度は入浴することを切望した。

食欲が満たされると、
全身の痒みが我慢できなくなったのである。

「まだ、起きられるだけで、歩けんじゃろう」

「這うてでも、ゆく、言うとります」

「ほなら、大丈夫じゃろう。負うてやれ」

命じられたのは、またしても巨漢の服部武だった。

闇市から当時の岡の自宅まで一張羅の
毛皮着きの飛行服を血だらけにして以来で、
今度は全身が鱗のような皮膚と
垢まみれになった山上を背負うことになった。

その服部がいざ、山上を起こして担ごうとしたとき、
目を剥いたのは、その、あまりの軽さだった。

食べ物を採りだして三日目とはいえ、
山上はまだ、骨と皮の状態である。

「これじゃ、首ねっこ、
 つかんで下げた方が早いけんの」

山上が元気になっただけに、
服部が憎まれ口を叩けば
丸本と原田も口をそろえた。

「ほうじゃ。食わせい、食わせい、言うから
 親切にしたったら、
 わしら、親分にビンタ食うとるんぞ。
 もう、親切はこりごりじゃ」

しかし、若い彼らの心はきれいなものだった。

山上を風呂場に連れてゆくと、
その垢まみれの体をそっと
撫でるようにして流してやる。

石けんをつけると鱗のような肌が
二枚、三枚と剥がれ落ち
やがて赤く血のにじんだ素肌が見えてきた。

手足の指の間にも粘土のような垢が詰まっていて、
お湯につけるとそれがポロポロと落ち、
そこからも血がにじんだ。

まだらになった赤むけの肌は
ヨードチンキで消毒すると朝になると腫れ、
それがまた、二日もすると残った
鱗肌を落としていった。

山上は岡組の若いものたちによって、
まるで神話にある因幡のシロウサギのようにして、
手当てを受けた。

やがて岡の配慮で西村よし子が
見舞いの品を手に山上を訪ねてくる。

獄中で恋慕の情に悶えていた山上の胸中は
いかばかりであっただろうか。

親分、岡敏夫への誤解を恥じて、よし子に詫び
彼女の笑顔に接した山上は急激に体力を回復、
十日ほどで、一人で歩けるようになる。

そして木枯らしの夕映えの中に
再び、得意の低い口笛が流れるようになった。
【138】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月25日 16時23分)

【驚 胃】

山上に素うどんを食べさせたのは丸本繁喜である。

アルマイトの鍋で煮た素うどんを
お椀に入れて三畳間へ持ってゆくと
豆腐をひと口ほど食べていた山上は
すでに目を見開いてうどんを欲しがった。

十一月初旬、昼時といっても
やはり冷たい豆腐より温かい汁ものがよく
口の中が乾ききっている山上にとっては、
粘りつくような豆腐より
つゆの味がしみわたるうどんを
欲しがって当然といえた。

横向きに寝たままの山上の口へ
丸本が箸でうどんを一本入れてやると
山上は感極まった様子でゆっくりと噛みしめた。

「みっちゃん、うまいか」

丸本にしても午前中に死を宣告された男が
ゆっくりとはいえ、
うどんを噛んでいるのを見れば嬉しかった。

山上が頷くのを待って、
もう一本を口に入れてやる。


「つゆ、つゆ、が飲みたい」


「ほうか。ほうじゃろうのう。
 のども渇いとるんじゃろうけん」

丸本が木のスプーンでほどよい
温かさになった汁を与えると
山上は喉仏を上下にごくん、と音を立てて飲んだ。

そしてもう、ひと口、もう一本、と
少しずつ食べるピッチが早くなっていくうち
山上の土色の顔にほんのり赤みがさし、
時折開く目の充血もとれてゆくようだった。

「みっちゃん、そげん、食うて大丈夫か。
 親父にあんまり、食わすな、言われとるけんのう」

丸本が見かねて口出ししたのは、
お椀の中があらかたなくなりかかったときだった。

ところが山上は残りをすぐに
平らげてしまったばかりか、
徐々に声の調子を取り戻していた。

「もう、一杯、頼むから、食わせい」

「やめとき、また夜になったら食わせるけぇ。
 みっちゃん、辛抱せいよ」

「頼みじゃ、いま、食いたい。
 世話かけてすまんのう。食わせい」

折れたのは丸本の方だった。

胃痙攣は心配だったが、
これだけ元気が出たうえ、不死身の山上であれば
情からいっても食べさせてやりたかった。

山上はその二杯目を今度は凄まじいばかりの
食欲できれいに食べ終わると
「ありがとう」と丸本に言って、
安心したのかすぐ目を閉じて眠りについた。

あっけにとられた丸本がその寝顔を
ぼんやり見ているところへやってきたのが岡である。

「丸、ちょっと来い」

すでに二杯目を持っていったと知り、
お椀が空になっているのを見て
岡は怒気をみなぎらせていた。

「おまえ、胃袋が破裂したらどうすんない。
 光冶を死なすんか、われ」

岡の往復ビンタが丸本の頬に炸裂することになったが
山上はその夜からみるみる快方にむかった。

二日後には丸本の一件を知らない原田昭三が
山上の「天ぷらが食いたい」との願いを聞き入れ、
またしても岡の往復ビンタを喰らった。

しかし、岡の心配をよそに絶食四十七日を耐えぬいた
山上の内臓は急激な食欲をも強靭にこなしきった。

剣道の防具のような「一枚アバラ」を持って生まれた
山上ならではの奇跡であった。
【137】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月25日 16時18分)

【蘇 生】

仮死状態の山上光冶は警察医が帰ったあと
階段下の三畳間の部屋へと運ばれて寝かされた。

警察医が「つまらん」とサジを投げたことは
刑の執行停止と共に場合によっては
葬儀の準備をしなければならない。

山上は意識があるのか、ないのか、
寝かせられたままピクリともしない。

救いは担架で受け取ったときよりも
布団に寝かせられたせいか、
肌に触れるといくぶん、
温もりが感じられることだった。

「ま、もう少し、様子みな、しゃあない」

山上の鼻先に手をあて、
呼吸を感じた岡敏夫がつぶやいた。

しかし、誰もが山上の顔を見ると
凍りつくような戦慄を覚えた。

小柄で顔も小さい山上はさらに全体がひと回り縮み
布団から出ている顔の皮膚はカサカサに乾き、
わずかにコケのようなものが
辛うじて張り付いているだけである。

しかも一年前の冬、
闇市で村上組組員からピッケルを叩き込まれた
右の耳下にはおびただしい血がこびりついて、
その上に新しい血が流れ出していた。

頭部の穴はなんとか肉が盛り上がって治ったが、
鼓膜まで達していた耳の傷は
山上の片耳を不自由にしたばかりか、
穴はいつまでたっても塞がらず、
山上はいつもそこへ脱脂綿を詰めて
流れ出る血や膿を防いでいた。

その習慣もすでに自分で出来ないほど、
山上の衰弱は進んでいたが、
土色の乾いたコケのような皮膚の上に
流れる血は凄惨であると同時に
それが山上の生きている唯一の証しでもあった。

そしてその証しは警察医が帰って、
二時間近くたって現実のものとなる。

様子を見にきていた岡が
山上の小さな動きを目にとめて声をかけた。

「光冶、おい、聞こえるか、光冶」

山上が頷くように首を動かし、
小さく口元を開いたのはその時だった。


おう、こいつは助かる ――――


岡が相槌を打ちながら驚きの表情で
周囲の若衆を見渡した。

「光冶、腹、減ったか」

岡が今度は血の出てない左耳へ口を寄せた。

それは断食で死の淵にある山上への
反射的な一言だったが、
山上はかすれるような声でゆっくりと言ったのだ。

「は … い ……   な に か… 食 わ せ て、つかあ… さ い」

「おう、待っとれい、
 今すぐ、用意してやるけぇ!」

岡が弾かれたように立ち上がった。

集まっていた服部、丸本、原田らも
同じように立ち上がると
信じられない、という顔つきで見合わせた。

村上組によるリンチで瀕死の重傷から
回復して約一年 ――。
同じように医者から見捨てられながら、
山上は再度、甦ったのだ。

やっぱり、不死身じゃ、こいつは。

二度の奇跡を実際に見た彼らは目で語り合った。

「親っさん、豆腐がええですかいの」

「そうじゃな、豆腐と素うどん。
 じゃあけ、急にあんまり食わすなよ」

「わかっとります」

丸本が若い者に命じて豆腐と素うどんが用意された。
出所に際して醤油もかけない豆腐を食べるのは
身を白くする、という極道の習慣であった。

素うどんは縮んでしまっている胃を
刺激しないように、という岡の配慮である。

現実にもまだ戦後一年三ヶ月、
豆腐も素うどんも貴重品の時代であれば
それは山上の状況からみても精一杯のご馳走であった。
【136】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月25日 16時27分)

【断 食】

山上はついに断食を決行した。



どこまでやれるか。

生きて出られるか、死に至るか、
やってみてからのことである。


ジャガイモばかりのような食事だったが、
山上はきっぱりと食を断った。

水だけは用心深く口にしたが、
やがてそれも徐々に減らしてゆく。

衰弱が進むと山上は一日中、
うとうととして過ごした。

夢ばかり見る日もあった。

夢の中で山上は衰弱とは逆に
ぐんぐんと回復していたころの岡の自宅にいた。

そのころの山上は夜陰にまぎれて
山中での拳銃の試射に通っていたが
その自分の姿がありありと浮かんだ。

夢の中に自分を痛めつけた村上組の面々の顔がよぎる。

夢はやがてよし子の笑顔につながり、
目が覚めるが山上はもう、
自分がどんな状態にいるのか、分からなかった。


刑務所内に吹き始めていた秋風は
次第に冷たくなっていったが
栄養失調の進んだ山上は
震えるだけで声も出なくなった。

山上の病棟送りが検討されたのは
断食が四十日を超えた十月末のことだった。

六週間を過ぎると生命の危機と
言われるだけに当然だったが、
ここから当時の新聞記事等の記録と
現実は食い違いをみせる。

記録によれば山上は十一月四日、
栄養衰退による重篤を理由に
刑が執行停止となり、広島赤十字病院に入院、
加療中に脱走したとなっている。

しかし、山上にそんな体力があるはずもなく
現実には山上が刑務所内で
壮絶なジギリをかけていることを知った、
岡敏夫が裏から手を回して身柄を貰い受けていたのだ。

十一月六日朝、
広島刑務所から電話を受けた岡は
午前九時過ぎに広島地方裁判所へ出向き、
書類一式をもらい、吉島の刑務所に
着いたのが午前九時半過ぎだった。

岡を助手席に乗せたシボレーは刑務所裏門から入ると
病舎から担架で運ばれてきた山上を受け取った。

掛けられた毛布からのぞく顔に全く血の気はなく、
垢で焦げ茶色になった山上はすでに骨と皮のみで
息をしているのかも判然としない状態だった。

柳橋の新しい組事務所兼自宅へ連れて帰り、
歩いて五分ほどの広島東警察署から
警察医と刑事を連れてきたのは丸本繁喜である。


警察医の鑑定は一言だった。

「岡、もうこれは駄目じゃ。
 なんぼ、手を尽くしてもつまらん」

「つまらん」とはサジを投げる意味で
この段階で山上は自由な体となったが、
同時に死をも、宣告された。

しかし、山上はここから再び甦るのだ。
【135】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月26日 16時01分)

【決 意】

暑さがひときわこたえる刑務所内にも時折、
涼しい風が感じられるようになった
昭和二十一年(1946年)の九月半ば、
山上は獄中に岡敏夫の舎弟、高橋国穂を迎え入れた。

岡の自宅にいたころ、何回か挨拶した程度だったが、
親分、岡敏夫を含め岡組の近況を聞きだすのには申し分のない人物だった。

山上は服部、丸山ら若い者たちのことを聞きながら
徐々に岡道場や親分のことに話を移していった。

すると高橋国穂は自ら核心に触れてきた。

「お前が知りたいのはよっちゃん、のことじゃろう。
 その、よっちゃん、がの。
 お前が無期刑じゃ、仕方ない、
 言うて岡の兄貴が嫁ぎ先を心配しとる、いう話よ。
 ま、身から出た錆びじゃ。
 お前もよっちゃんのためには
 その方がよかろうが、のう」

「ほんまですか」

それまで笑みを漂わせていた山上の三白眼が
ぐい、と上を向いた。

「ほんま、誰でもそう思うはずじゃろうが」

このとき高橋は暴力事件で短期刑に服していたが、
岡から思ったほど援助が得られず不服に感じていた。

そのため、岡への恨み事のつもりで
つい、山上に思わせぶりな話をしてしまったが
山上の三白眼を見て、
自分の話が「効き過ぎた」ことを感じた。

高橋国穂の軽はずみな言葉はこのあと山上の人生も
岡組対村上組の抗争という歴史をも大きく左右することになる。

山上は短歌を詠むことで
辛い刑務所暮らしを耐えていたが
常に意識はよし子への思慕にあり、
また、そのころは岡組を取り巻く状況の変化に
焦燥感が募る一方だった。

なんとしても(シャバに)出んといけん。

出て親分に頼んでよし子の再婚話は
とりやめてもらわんといけん。

わしに懐いている二人の子供にとっても、
その方が幸せ、いうもんじゃ。

高橋国穂にとってみれば、ちょっとした逆恨みから
山上に岡への思いを吹き込んだに過ぎなかったが、
山上にとってはよし子への思いが
凝結することとなった。

務所を出るんじゃ。
  
出て、よし子の許へもどるんじゃ。

そのうえで岡の親分に真意を聞いてみな、いかん。

大恩の人じゃろうと、
よし子が再婚しとったら、許せんじゃろう。

いや、そんなはずはありゃ、せん。
親分が再婚話を進めるなんて、なんかの間違いじゃ。

無期刑だからちゅうて、諦めていられん。

親分に助けてもろうた恩も返しとらんし、
いつかは、思うとる村上組の連中への
復讐も果たしとらん。

よし、わしは出たる。

山上の思いはよし子を軸にして揺れ、
軸があるだけに結論は一つとなった。

刑務所を出て、自由によし子に会い、
恩も仇も返せる立場になるには
刑の執行停止しかなかった。


死に至る大病、心神耗弱。


山上は決断した。


刑務所内にあって可能な「ジギリ」・・・




   
 断食。




それしか方法がなかった。
【134】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月23日 15時34分)

【焦 燥】

岡敏夫が広島一の侠客として売り出したころ、
獄中の山上光冶もまた、広島刑務所内で
その名を知らぬ存在となっていた。

山上は「吉島の虎」と仇名される
同じ無期囚と一騎打ちを挑んだ。

シャバでも執念深かった山上の性根は
閉塞された刑務所内でさらに増し、
やられても、やられても相手に喰らいつき、
最後は雑居房の全員で
引き離さなければならない大立ち周りとなった。

「吉島の虎」は全身の数ケ所を山上に食いちぎられ、
挙句、網走送りとなったといわれる。

山上自身も数週間の懲罰房生活を送ることになったが、
それ以後は周囲も一目おくようになり、
山上の凶暴性は鳴りを潜めた。

山上は三十一文字(みそひともじ)で
心境をつづる短歌の世界に没頭し始める。

ヤクザになった以上、長生きすることなど
考えていなかった山上だったが、
唯一の心残りはやはりシャバに残した
西村よし子のことだった。

よし子への恋慕か、あるいは断ち切るためか
山上は想念を三十一文字に移し変えていた。

山上の達筆は有名で所内紙に山上の短歌が美しい文字で
掲載されているのを多くの受刑者が目にしている。

シャバの情報は新入りの受刑者によって
山上の耳の許にもたらされた。

岡組の道場(賭場)開き。

朝鮮連盟との衝突回避に奔走した親分、岡敏夫の苦労、
挙句、無血で連盟側が撤退したという話を聞くにつけ、
山上は嬉しさとともに焦燥感も混じるようになった。

山上が知っているのは瀕死の重傷を負って
担ぎ込まれた尾長町の岡の自宅だけである。

岡道場の盛況ぶりは知れても、
多くの新加入者がどんな男たちなのか
全く情報はなかった。

よし子についてもさりげなく聞いても
得るものはなかった。

もちろん、知ったからといってどうなるものでもない。

しかし、大恩ある親分を取り巻く環境に
未知なるものが急増するにつれ、
不自由な山上の焦燥感は募った。

やがて岡組が広島駅構内の警備を
任されたという情報が流れてくる。

当時は自分しか持っていなかった拳銃も
警察やMP黙認で持つようになったのかもしれない。

山上が考えたように事実もまた、その通りだった。

MPへの懐柔が功を奏し、
岡組は急速な武装化を図っていた。

そうして岡組の勢力が急増するにつれ、
立場が微妙になるのがテキヤの村上組だった。

その夏、小倉祇園祭りに露店を出した村上組は
広島の闇市が博徒の岡組に牛耳られていることを
土地の親分衆に非難され、その面子を失っていた。

岡組の増長は村上組の敵愾心をあおり始めた。

もちろん、岡組も獄中の山上も全く知らない。

歴史はただ、そういう歩みを示し、その中に
運命の山上が流れ込んでゆく。
【133】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2015年01月05日 14時37分)

【岡 王国】

山上が強盗殺人事件を引き起こした半年ほど前から、
広島駅前の猿侯橋の闇市では大きな変化が起こっていた。

全国どこの大都市でも見られたことだが、
朝鮮連盟の看板が横暴の限りを
尽くすようになったのである。

武装解除され、丸腰状態の警察は全く手が出せない。

たまりかねた警察は山上の一件もあり、
面倒見の良さから次第にボンクラが寄り集まって
「岡道場」という賭場を開いた岡組組長、
岡敏夫に相談した。

闇市のシマは確かにテキヤの村上組が握っていた。

しかし、露店のカスリは取っていても、
実権はふんだんな銃で武装した朝鮮連盟が握り、
揉め事の相談は岡組に持ち込まれるという図式だった。

「わしらも応援しますけぇ、
 岡さん、男として立ち上がってくださらんか」

警察からの要請に岡敏夫は決断した。
ケンカになるか、ならぬか、
まずは話し合いから始めなくてはならない。

岡敏夫は単身、朝鮮連盟に乗り込み、
会長と一対一の話し合いを求めた。

岡の言い分はこうである。

「朝鮮連盟の横暴は警察もお手上げだ。
 これでは市場の治安がままならない。
 連盟がきちんと存在するためにも、
 市場は日本人である我々にまかせてくれないか」

もちろん、連盟側が簡単に応諾するはずはない。

しかし、岡は二日おきに連盟を訪ね、談判を続けた。
その裏にはMPや通訳に金を握らせ、
MP〜警察との関係を深めたことをほのめかす。

何度か談判を続けるうち、岡は二度、襲われている。

岡は普段から若い者を連れて歩くのを
好まなかったから、狙われやすいといえた。

闇にまぎれて最初は右の太もも、
二度目は腰を刺された。

事件にしないため、決して医者にはいかず
警察にも「あまり騒ぎなさんな」とクギをさし、
翌日はまた、平然と連盟へ出向いた。

何度か談判を重ねたある朝、
岡敏夫は若衆全員を集めた。

「これからわしは最後の話し合いに行く。
 結果次第では皆に死んでもらうかもわからんが、
 ええな。あとは頼むぞ」

短くても言葉に万感の思いが感じられた。
ふだんから滅多に口にしない冷酒をあおって
日本刀を手に玄関を出る岡敏夫の後姿に
その覚悟のほどがうかがえた。

「親分は死ぬ覚悟じゃ。
 話が決裂したらその場で会長を刺し、
 自分も殺されるつもりじゃろう」

「ほうじゃ、すぐ支度せい」

服部武の一声で全員が日本刀、
匕首のケンカ支度に走った。

急を知って村上組からもほとんどが応援に駆けつけた。
連盟の事務所前でも兵隊が鈴なりで、
岡・村上の面々とにらみあった。

対峙すること二時間。

岡は連盟の会長に見送られるように
ゆっくりと岡道場へ向けて歩いてきた。
岡の粘り腰と最後は刺し違える覚悟が
ついに連盟の譲歩を引き出したのだった。

岡敏夫、このとき三十四歳。
岡組の名前は広島中に知れ渡った。
【132】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月22日 15時18分)

【無期懲役】

岡敏夫によって一命を救われた山上光冶は
明けて昭和二十一年(1946年)
岡組の身内として生きてゆくことを決め、岡に直訴した。

「わしゃあ、村上の奴らの顔を忘れん。
 ヤキ入れた奴の顔はみな、覚えとる。
 とくにわしを落とせぇ、言うて、命令した
 村上正明だけはわしに殺らせてつかあさい」

岡敏夫は一喝した。

「わりゃあ、なに考えとるんじゃい!
 正明はわしの舎弟じゃ。
 いくら、しごう(リンチ)されたからぁいうて、
 そげいなこと口でも許されるもんじゃない!」

岡組という組織に従属するということは、
当然ヤクザ社会の「縁筋」という
しがらみに縛られることになる。
命の恩人、岡の一言に山上は逆らえなかったが、
仲間内にはこう呟いている。

「わしゃ、ヤクザもんは嫌いじゃ。
 ほいじゃが、ヤクザになったんは
 復讐したいやつがおるからじゃ」

山上は懐から45口径の軍用拳銃を差し出して見せた。
当時の広島では朝鮮人らが貸拳銃業を始めていたが、
岡組組員で持つものはいなかった。
山上はおそらく、洋モクを仕入れた進駐軍ルートで手に入れたのだろう。

山上が拳銃を持っていることが知れ渡ると、
岡の親類筋の男が「道具を貸せ」と迫ってきた。
理由を聞くと隠退蔵物資を盗みに行くのだという。

「そげんヤバイところへ行くのに、
 わしが道具を貸した、いうたら
 親分にどげん、怒鳴られるかわからん。
 ええわい。わしが一緒に行っちゃるわい」

四月十六日夜、山上を加えた六人はトラックで
旭町にある旧広島被服廠倉庫に向った。
首尾よく梱包類を運び出して間もなく、
懐中電灯の光が闇を切り裂いた。
さっと光が走ったその先に親類筋の男がいた。

「こらっ、貴様、盗っ人じゃな」

警備員が走ってくる。

「逃げると撃つぞ」

警備員の右手に拳銃があった。
捕まった男は必死で抵抗する。

山上はそのとき、男を助けようと
梱包の山の陰から二人に近寄っていたが、
警備員の大声は真剣であり、
助けようにも拳銃は男の脇腹に食い込んでいた。

「おい、見逃がせい」

近寄った山上が押し殺した声で言ったが、
警備員は複数犯と知って声を張り上げた。

「なにい、逃げてみい、撃ったる」

山上の45口径が轟音を響かせたのはそのときだった。

がーン!という音が倉庫内にこだまし、
警備員は弾き飛び、男はつんのめって逃げた。

倉庫内にいた三人が闇に紛れようとするとき、
鋭いが切れ切れの笛の音が響き渡った。

撃たれた警備員の瀕死の警笛に
当直の警備員たちが駆け出してきた。

山上光冶はすぐに指名手配された。

撃たれた警備員は警笛を吹きながら
職に殉じたことが評価され死後に巡査に昇格したため
山上は警官射殺犯となり、十日にわたって逃亡したが、
最後は岡敏夫を訪ね、親類筋の男を守れず事件を起こした非を泣いて詫びた。

四月二十六日、山上はバラック建ての
広島東警察署に自首した。

夏近く、山上は広島地裁で判決公判の日を迎えた。

岡敏夫初め、山上を闇市でのリンチから救出した
服部武ら五人の若い衆が顔をそろえた。

裁判長は逮捕された三人のうち二人に懲役六年
山上には死刑求刑に対し無期懲役の判決を下した。

判決文を聞き終わった山上はくるりと振り返り、
傍聴に訪れた人たちの顔を見渡した。
最後にもう一度、岡敏夫を見つめると
静かに頭を下げた。

「長い間、本当にお世話になりました」

「みっちゃん、頑張れの」

「気ぃつけての、達者での」

服部らが小声で別れの言葉をかけたとき、
山上はもう背中を向けて
広島刑務所に向っていた。
【131】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月19日 15時48分)

【平蜘蛛】

意識が戻った山上は以後、
信じられない回復ぶりをみせる。

リンチから五日後、
事件を耳にした中国新聞の記者が
それとなく岡敏夫の家を訪ね、
この日初めて食べ物を口にする山上の姿を見ている。

山上は強い酢酸の匂いが立ち込める部屋で
全身を打ち身膏薬で固められ、
若い衆の手を借りて重湯をスプーンで飲んでいた。

顔の形が変わってしまっていた山上は
己の姿を恥じたのか、
のぞき見た記者に不敵な面構えで
嘲笑うかのように口を歪めた。

その嘲笑こそが山上の不屈の精神力の象徴だったのか。

戦後、初めての新年を迎えるころには、
山上得意の口笛が冬の夕映えに低く響くようになる。

山上は回復のスピードと同じように
西村よし子との愛を結実させた。

よし子は憲兵の夫との間に二人の子がいたが、
夫の戦死によって叔父の岡敏夫の許を頼り、
岡宅より少し北の山根町に住んでいた。

二人が結ばれたのを岡敏夫夫妻初め、
組の誰もが気づかなかった。

山上は美貌のよし子に一目ぼれであり、
看病しながら触れた手を握り返し
膏薬を貼り変えながら頬と頬が触れ合い、
笑いあって、見詰め合えば、思いは通じるのだった。

山上は歩行が自由になりだすと、
山根町のよし子の家に通いだす。

よし子の下で子供たちの遊び相手になっていると、
その姿もまた、よし子の心を開くことになった。

そういう微妙な変化は女の方に現れ、
また、それに目ざとく気づくのも女の目であった。

「あの光冶をまさかと思うんけど、
 どうも、よっちゃんを見ると
 二人があやしうてならんのよ」

妻に言われて岡敏夫も確かめる。

よし子に聞いてもうつむいて答えないので
山上を呼びつけた。

「光冶、よし子とできとるようじゃが、
 ほんまのことか」

「はあ、まことにすんません。看病受けちょるうちに」

「馬鹿たれ!よし子はわしの姪じゃ、
 助けてもろうた礼に女に手ぇ出すんじゃ
 泥棒猫にも劣るわい!」

岡親分の平手打ちが飛び、
山上は平蜘蛛(ひらぐも)のように這いつくばった。

以後も山上は岡の一喝にあうと必ず
「平蜘蛛のように這いつくばった」という。

「ま、できたもんは、しゃあない」

ひとしきり怒ったあと、
山上とよし子の仲は公認となったが、
それだけに山上は親分や仲間の前では
決して二人にならず、こっそりと
山根町通いを続けることになる。
【130】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月19日 15時11分)

【生 還】

山上光冶がかすかにまぶたを震わせたことに気づき、
明るい希望の声をあげたのは、
岡敏夫の姪の西村よし子だった。

姐さんから頼まれて寝ずの看病に当たっていたその日、
山上の死地からの生還に立会い、
やがて二人は結ばれるのだから、
これほど奇しき縁もない。

山上は色白で大きな目をしたよし子の顔に気づくと声をあげた。

「ここ、ここはどこじゃ」

「岡の親分の家よ。と言うてもあんた、
 分からんじゃけん、気にせんといいのよ。
 あんた、親分に助けられたんやから、
 安心して寝ときんさい」

よし子が山上の耳元で囁くと、
山上はかすかに頷きかけて、うめき声をあげた。

「ほらほら、動いたらあかん。
 死んどっても不思議ない体やったんけん。
 でも、痛むのは治る証拠。
 看病したげるから、寝ときんさいな」

よし子の声が身にしみたのか、山上は目を閉じたが、
腫れたまぶたの端から小さな雫が
こめかみへと伝わり落ちた。

額の濡れ手ぬぐいでその涙を拭きながら、
よし子は赤チンと膏薬だらけの山上の体を
布団の上からそっと撫でた。

「うちが治したんや、うちの看病が通じたんや」

西村よし子は感動した。

よし子が山上に話しかける声で
庭からすっ飛んできた岡敏夫も同じ思いだった。

医者も見放したボロ切れのような男をとにもかくにも、生き還らせたのだ。

「よし子、こいつは不死身じゃのう」

「ほんま、叔父さん、うち、もう、嬉しくて」

よし子は岡敏夫に悟られぬよう、
さりげなく目頭を押さえた。

今まで物言わぬ石仏のようだった目の前の男が
急にいとおしくなってきたのだった。
このとき、よし子の心に
愛の萌しが芽生えかかったのかもしれない。

山上の傷は瀕死の重傷であり、
現代なら集中治療室ものだったろう。

仮に奇跡の生還はあったとしても、
それは医療の力といえるが
薬とてない、終戦直後である。

山上の生還は看護が救ったとしか言いようがなく、
そうして一人の生命を救うということは、
原爆で一瞬のうちに還らぬ人を
無数に見てきた広島の人間にとっては、
現代では考えられないほどの感動を与えた。

「おい、あげいなのが、息吹き返すんかいの。
 たまげたのう」

「ほんまじゃ、あいつ、不死身かい」

「一張羅の服がワヤになった甲斐があった、
 いうもんじゃ」

リンチの現場から山上の身体を運び、
交替で看病に当たっていた
服部武、原田昭三、丸本繁善らも同じ思いだった。

ときに山上光冶、二十一歳だった。
【129】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月19日 15時08分)

【救 出】

騒然とする闇市に偶然、
自転車で通りがかったのが、
博徒の岡組組長、岡敏夫だった。

村上正明は岡敏夫と舎弟盃を交わしていた仲だった。

岡敏夫は自転車を降りると、
騒ぎを遠巻きにして見ている
自分の若衆を見つけて一喝した。

「なにしとるんじゃ。早う、やめさせて助けい。
 あのままじゃ、死体が一つ、出るじゃろうが」

兄貴分に気づいて村上正明らもさすがに手を引いた。

「服部、図体がでかいお前が背負え」

名指しされたのが岡組若衆頭格の服部武である。

原田昭三、丸本繁喜ら四人が割って入った。

岡敏夫は先に自転車で走った。

「背負うて助かりゃ、ええが、のう。
 見てみい、わしの一張羅、血だらけじゃ、
 こりゃ、おえんわい」

白い毛皮のついた飛行服が
みるみる血に染まるのを見て、
服部はこぼしながらも足早で岡の自宅に向かう。

途中で交替しながら駅裏の尾長町の岡宅に
たどり着いたときはまた、服部の番だった。

「泣けるのう、もう、わやじゃ」

「まあ、辛抱せい」

出迎えの若衆も服部の泣きを面白がって返したが
肝心の山上はその間、背負われたままピクリともしない。
時折、うなされたように
「覚えとれ」とうめくのみ、だった。

若衆部屋の六畳間に姐さんが敷いた布団へ
山上を横にしたと同じくして
岡敏夫が医者を連れて戻ってきた。

しかし医者が来ても医療品の払底していた時代だった。

赤チンで傷口を洗い、打ち身膏薬を貼りながら
医者は全員を見回しながらつぶやいた。

「これはもう無理じゃ。
 出血は止まっとるが、わしの手にはもう負えん」

「ほいでも先生、まだ死んどらん。
 ま、できるだけ面倒みてみますけん
 明日、また診てやってくださらんか」

岡の頼みに医者は力なく頷いた。

ところが山上は仮死状態でその夜を明かすと
翌日は傷の痛みが分かるのか
少しずつ、うめき声を出すようになる。

岡組の全員が交替で徹夜の看病にあたった。

医者も絶望的な表情から首をかしげて
「もう少し様子をみんと分からん」
と言うようになった。

リンチから三日目。

「この人、意識が戻ったんやないかしら」

ぼやけた山上の視界に若い女の顔が映った。
【128】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月15日 16時01分)

【私 刑】

いったん、ヤキを入れたのに
傲然と闇市に出没する山上光冶の噂が
村上組の耳に入らないわけがなかった。

カスリを無視されては他の商人への示しがつかない。

山上が次に現れたとき、
村上組の四人組が両脇にドスを突き付け
広島駅の裏山へと連行した。

駅裏一帯は原爆で死亡した遺体を
繰る日も繰る日も焼いた場所である。

まだ、その死臭が残るような黒焦げの土を踏み、
山上は人気のない小高い山腹に連れ込まれた。

「おどれ、何回言うたら、分かるんじゃい。
 ツラ見せるな言うたろうが
 ええか、埋めたるから往生せいよ」

その一声で鉄拳と足蹴りが山上の体中に炸裂した。

「このドアホ!」

「くたばれ!」

兄貴格が腕組みして見据える前で
三人が交互に山上を痛めつける。

ひざ蹴りが顔とみぞおちへ続けて入り、
山上の体は前のめりになるが、それでも音をあげない。

殴られて仰向けに飛ばされても
「クソッ」と吐き捨てるように言っては
三白眼でにらみ返してくる。

「もうええ。さえん男じゃが、これで懲りたやろ。
 今度やったら(命を)落すけん、
 よーく、覚えとれよ」

二十分近く経ったころ、動けないながらまだ、
顔だけあげてにらみつけている山上を見て、
兄貴格が制した。

ところが一週間としないうちに
山上はまた猿侯橋へ現れた。

報告を受けて村上正明は激怒した。

名前も分からんような奴に
舐められては組の看板にかかわる。

「見つけたら、知らせい。ワシがやったる」

酒を飲んで暴れだしたら鬼の形相となる
村上正明の顔面が朱に染まった。

師走も近い日の午後、
ついに山上は村上正明らに捕まる。

見せしめのため、闇市の中での
凄惨なリンチが始まった。

村上の一発を皮切りに四、五人がかりの
殴る、蹴るが続いた。

「こらえてつかぁさい」と
一言でもあれば救われたであろうが
山上はボールのように足で転げまわされても
音を上げなかった。

そればかりか、這いつくばりながら
上目づかいでにらみ返しては

「覚えとれっ、貴様らのツラ、よーく、見とくけぇ」

と、口の血糊とともに吐き出した。

「こん、外道!」

ついに一人が手にしたピッケルを
山上の頭に叩き込んだ。

風船が割れたように鮮血が噴いて出た。

「覚えとれぇ、必ずやり返したるけぇ」

顔面、血だらけになりながら山上はなお、吠えた。

それはまさに悪鬼の形相だった。
【127】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月15日 15時56分)

【衝 突】

村上組は神農会秋月一家の流れをくむ
戦前からの広島のテキヤである。

親方にあたる祐森松男が戦地から戻ってこないため、
村上組組長、村上三次がいち早く闇市へ店を出すかたわら、
一帯の縄張りを預かるかたちで仕切っていた。

闇市は人々の生への営みの根源であったが、
また、戦場でもあった。

盗み、ケンカ、放火は茶飯事。
命の取り合いも起こった。

その闇市で体を張っていたのが、
村上三次の二男、村上正明だった。

腕っぷしが強く、酒乱の男である。

正明は闇市の店舗から
カスリ(露店代)をとるかたわら、
闇市支配に眼を光らせていた。

そのころ正明の耳に入ったのが、
風のように現れて洋モクを売り
さばいてしまうと、
また風のように引き揚げてゆく男の噂だった。

カスリをとろうと駆けつけるともう、いない。

そこで村上組は待ち伏せすることにした。

そうとは知らない山上は仕入れたばかりの
洋モクを持ってきて台に並べ始めた。

「お前、誰に断って店出しとるんじゃ」

待ち構えた村上組の二人連れの問いに
山上は顔も上げずに答える。

「誰にも断っとらん」

「なにぃ、ここは村上組が仕切っとるシマ、
 いうんを知らんのかい」

「はあ、知らんです」

「アホか、お前は。
 店出したらショバ代払うんが当然じゃ。
 金、持っておろうが」

「いま、仕入れてきたところじゃけん、持っとらん」

山上の三白眼が上目づかいになった。

「ふざけんな!てめえ!」

二人組が洋モクを載せた台ごと蹴り上げ
あごにアッパーカットを喰らった山上はすっ飛んだ。

「ええか、もう顔だすな!」

二人組みは起き上がって白目むき出しでにらみつける山上に捨てゼリフとツバを吐きかけ立ち去った。

しかし、山上はまるで何事もなかったかのように、
その日も洋モクを売り切ると、風のように立ち去った。

見かねた周囲の人が闇市のしきたりを教えたが、
もう山上は聞く耳を持たなかった。

二日後、あごに青アザを残したまま、
再び山上は闇市に現れ
たちまち売りさばくと小柄な身体の胸を張り、
飛行兵用の白いマフラーをなびかせ、
木枯らしのなかに消えていった。
【126】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月15日 15時52分)

【洋モク売】

郷里に戻り、両親の無事を知った山上は
秋風に誘われるように広島市へ出かけ
駅前の闇市をぶらつくようになった。

原爆投下から三ヶ月、
被爆直後は以後七十五年にわたって
一木一草も生えないと言われた死の街、広島だったが、
猿侯橋一帯では人々が寄り添いながらも
たくましい生への営みを始めていた。

焼けトタンのバラックや掘っ立て小屋が建ち、
戸板一枚の露店もあった。

そこにはあるはずのない禁制の食料、
衣類が湧き出したように並べられていた。

かつぎ屋、ブローカー、朝鮮人、
台湾人が闊歩する中を人々は群がり、泳いでいた。

混沌、騒然とした闇市をさまよっているうち、
山上は洋モク(外国タバコ)売りを思いついた。

当時、タバコは粗悪な配給品しかなかったが、
それでも愛煙家たちは飢えていた。

戦災孤児は競ってシケモク(吸殻)拾いで
小銭を稼いでいた。

シケモクは集められると
手製の紙巻器で再生され闇市で売られる。

割安の分だけ飛ぶように売れたが、
やはり、ノドにくるヤニ臭さが強い。

そこへゆくと洋モクは超高級品だった。

進駐軍がグランドで草野球を始めると
子供たちだけでなく、大人もモク拾いに集まった。

たまに一口くわえただけで
バッターボックスに入った米兵が落としていった
洋モクにありつけるとまさにお宝である。

そのシルクのような巻紙の手ざわり、
ゆらめく芳香な甘い紫煙は垂涎ものだった。

山上はそこに目をつけた。

満州時代にブロークンな英語を身につけていた山上は
進駐軍にわたりをつけ、
少しずつでも手に入ると闇市に来て売った。

最初は立ちんぼ、で
駅前近くの通行人に声をかけていたが
洋モク売りなら場所は身ひとつ分の台があればいい。

親切な人が露店を寄せ合って分けてくれたのか、
やがて山上は洋モクが手に入ると
闇市の片隅に座るようになった。

ラッキーストライク、キャメルといった
二十本入りの箱ものが手に入ると山上の縁台は
鮮やかなカラー印刷のパッケージで華やいだ。

洋モクはアッという間にさばけた。

いつくしむようにバラ売りを買ってゆく人がいれば
箱入りを買う成金もいた。

すぐになじみ客が増えてくるが、それはまた、
人の耳に入るということになる。

闇市はテキヤの村上組が仕切っていた。
【125】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月14日 13時13分)

【三白眼】

山上光冶は大正十三年(1924年)
広島県山県郡八重町(現在の千代田町)に生まれた。

父親は下駄職人だった、と言われている。

昭和十四年(1939年)広島第一高等小学校を
卒業すると満州へ渡り
奉天(現在の瀋陽)の造兵工場に勤務した。

戦火の激しくなった四年後に帰国、
今度は呉の海軍徴用工に召集された。

十九歳になった山上は夜の盛り場を徘徊し始める。

山上は小柄で痩せぎすのうえ、三白眼であった。

三白眼とは黒目が上に片寄り、
左右と下部に白目が光る。
正面を向いても下からにらみつける感じになるので、
人相上「凶相」といわれる眼つきのことである。

かの高倉健も三白眼の傾向があったため、
デビュー当時は役回りに恵まれなかった。

任侠映画のヤクザ役で売り出したのは、
逆に三白眼が幸いした、との説もある。

盛り場にはボンクラ(不良)や腕っぷし、が自慢の
徴用工たちがとぐろを巻いている。
非力な山上はいつも護身用に
登山ナイフを持ち歩いていた。

そんなある日、山上は広島市えびす町の路上で
ボンクラ同士のケンカの仲裁に入ってしまう。

「おどれゃ、すっこんでりゃ、ええのに、
 出てくるけん 面倒になるんじゃ」

三白眼でにらまれた相手は、
今度は山上にからみだした。

何度かすっ飛ばされた山上は最後に喰らい着いた瞬間、
ポケットのナイフを相手に深々と突き刺していた。

呉鎮守府で軍法会議にかけられた山上は傷害致死で
少年刑ながら二年の刑が確定した。

広島刑務所を振り出しに
久留米〜函館〜北千島へと押送され
寒冷地で辛いツトメを送った。
一年半で仮釈放となったが、すぐに召集令状が届く。

昭和二十年五月、鳥取陸軍部隊に入隊。

八月、広島に原爆投下。

終戦で除隊された山上が
実家にたどり着いたのは十月だった。
【124】

ジギリ狼  評価

野歩the犬 (2014年12月14日 13時10分)


■ジギリ


体を張ること。服役することや、
自分で自分の体を痛めつける行為をさす。
漢字では「自切り」と書く。




【プロローグ〜司法解剖】


昭和二十三年(1948年)三月二十四日午前十時、
広島東警察署で岡組、組員 
山上光冶(やまがみみつじ)=24歳=
の司法解剖が始まった。


執刀は警察医の香川博士(ひろし)で、
遺体の引取り者として
岡組の若衆、丸本繁善が立ち会った。

殺人容疑で指名手配されていた山上光冶は
前日の二十三日夕刻、
広島市猿候橋付近で警官隊に発見、
包囲され、拳銃自殺していた。

検視台に載せられた山上は死後硬直が始まり、
157センチの小柄な体が萎縮して
ひと回り、小さく見えた。

解剖が始まって、香川医師がまず驚いたのが
頭部の銃創痕であった。

山上は右こめかみに
ブローニング社製38口径弾を自射していたが、
弾丸の射入孔は歴然としているものの、
射出孔が見当たらないのである。

香川医師は糸ノコギリで頭部を切断した。

頭蓋骨の中は真っ黒である。

不審に思った丸本繁善は聞いた。

「先生、どうしたんですか。こがいな色になって」

「ガスでこうなるんじゃ。
 弾がここから入って、ここで止まっとるじゃろう」

香川医師の説明によると、
右こめかみ上部から入った
38口径弾は左へ貫通せずに山上の頭内部を一周、
再び右前額部付近まできて、止まっていたのだった。

もちろん、弾丸の威力が弱かったのではない。

発射段階で貫いた頭蓋骨があまりにも強固で、
ある程度の減速を余儀なくされた弾丸は
頭蓋骨を貫通できず、頭部を一周したという、
解釈になる。

そのため、頭の内部はガスで真っ黒になったのである。

「たまげたのう。
 弾はどこへ行くか分からんもんよのう」

銃弾を取り出した香川医師は
次の解剖で再び驚かされる。

氷を挽くような大きなノコギリで
胸部を開いたときのことである。

「たまげた。こりゃ、一枚アバラじゃ。
 並みの人間じゃ、ないのう」

一枚アバラとは胸から腹にかけて
内臓を保護している十二対の肋骨が太く
隙間が少なくて一枚に見えることから、
相撲用語で理想の胸部を指す。

いわば剣道の防具が首から腹までを
守っているようなものである。

頭蓋骨の強固さといい、一枚アバラといい、
確かに山上の体は並みの人間の造りではなかった。

解剖は小一時間かけて行われ、縫合して終了した。

メモに眼を通し終わったところで、遺体返還である。

「よっしゃ、持って帰ってええぞ。
 それにしてものう、一度は君のとこの岡君に
 もう、つまらんと宣言した山上をの、
 こういう形で解剖するとは思わんじゃった。
 しかも、この骨よ、たまげたのう」

香川医師は感慨げにつぶやいた。
【123】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★    評価

野歩the犬 (2014年12月04日 10時43分)

■こぱんだ

 お〜〜う、なぁ〜んかいの

  トピ主直々の足運び、すまんのう。

>執筆お疲れ様です!  って難しくて読めないのですが・・申し訳ないです

ぶっ♪

中学生でも読める文章やど。

ま、好き勝手に書いとるんやから、
別に読んでもらわんでもええが ^^

>ココだけの話し。。トラック野朗って菅原文太さんだったんですねー・・高倉健さんかと・・・キャー><ゴメンナイ♪


えーとね・・・・
トラック野朗ぢゃなくて

トラック野郎ですからぁぁぁああああ!

どう、変換したらそんな字になるんかいの


>>ホノボノ色を染めとろう。
>そんなつもりじゃないのですがねー^^ 軍曹が凄かったからかな?  ブッフ^^

立ち上げのときにも言ったが
こぱんだトピはこぱんだの色に染めてゆけばいいのよ。

加速は激流好きな故に溺死してしまいよった。

くれぐれも無理するな。


>私もリアルが充実してて、そちらを優先するとお部屋空けがちかもですが・・
来てくれる方や、メンバーがいると思うと「よっしゃ!」って思ってるんですよ 

リアル充実、なによりじゃないか。

トピは誰もが息抜きに集まるところ。

くどいようだが、自分のペースでやるのが第一よ


>それと。虹ちゃんも言ってますケド・・寂しい事おっしゃらずに、代表もたま〜〜〜・・にでもお顔見せに来て下さいよ♪

お〜う、なら、雀豪さんに言うとってくれい

そろそろ、冬ウタセレクション頼むと♪

>では。。。お疲れ様のお茶煎れて帰りますッ

さびいときの、こぱんだの焙じ茶はうまいのう〜 ^^

サンクス!
敬礼!
【122】

RE:血風クロニクル  評価

こぱんだ (2014年12月03日 15時26分)



コンコン・・・



    血風クロニクル
    _______
   |┃≡     |
   |┃≡     |
ガラッ|┃      |
   |┃≡●  ●  | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   |┃( ΘωΘ) |< たのもー!!! |
   | E二    )  | \_______/  
   |┃ | | |  |
   |┃(__)_)  |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄







のほ代表ー!こんにちは^^ 


まだブレイクタイム継続でしょうか   

虹ちゃん、発見☆ ワタシも入ーれーて♪      ・・・ダーメよ♪  じょーだんです^^





執筆お疲れ様です!  って難しくて読めないのですが・・申し訳ないです

ココだけの話し。。トラック野朗って菅原文太さんだったんですねー・・高倉健さんかと・・・キャー><ゴメンナイ♪


でも・・代表の更新があると「むっ!頑張ってるんだ」と励みになっております^^ ホントですよ





少しヨコさせて下さいまし♪



>ホノボノ色を染めとろう。

そんなつもりじゃないのですがねー^^ 軍曹が凄かったからかな?  ブッフ^^

でも、やはり色々思いますよ〜 流れが早いのが好みの方も居ればそーじゃない人もいますもんねー

私もリアルが充実してて、そちらを優先するとお部屋空けがちかもですが・・

来てくれる方や、メンバーがいると思うと「よっしゃ!」って思ってるんですよ  

それと。虹ちゃんも言ってますケド・・寂しい事おっしゃらずに、代表もたま〜〜〜・・にでもお顔見せに来て下さいよ♪

パチの事は言いっこナシで^^




赤い上官は、もぅピワド見てないのかな。。私が勝手に思ってる事があるんですけど・・・
軍曹、もぅ後半やOLG2の時はパチンコしてなかったんじゃないだろうか。。。と 
だから、AA対決などで自分を盛り立てていたのかなぁ。。なーんて^^今なら解る気がするのですが。。
でも・・なんにせよ。お互い、はがゆい思いが残ったままなので
いつか書き込んでくれると願うばかりです^^  またお話したいなぁ。。 OLGメンバーなら皆思ってるかな^^



グチみたくなってすいません  書きたい事は、まだ色々とあるけれど・・このぐらいにしときます♪ 

代表!読んでくれてありがとうです!

ちょっとスッ・・としますね^^    レスはお気遣いなくです!!ホントにです♪






では。。。お疲れ様のお茶煎れて帰りますッ








ハイッ! 焙じゴロ茶でございます!  す、すいませ・・・♪





            ● ● 旦~
            (ΘωΘ)_/^ヽ
             \ つ  ノJ
              ̄´ ̄´   次回作も頑張って下さいね













PS、虹ちゃーん! AA。。ウマイねぇ^^  感動したッ!!!!








ではでは。。この辺で☆   失礼しました^^




 
 
 
【121】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★    評価

野歩the犬 (2014年12月02日 13時26分)

■虹ちゃん、久しぶり〜♪


>花形敬の後に三島由紀夫、意外でした。

三島は憂国忌にピリオドを打ちたかったんだけどね…
間に合わなかった…

当初はもっと三島の思想面からの
切り口も考えたんだけど、
どんどん時間は押してくるし
ゴタゴタが起きる可能性もあったんで
事件そのものに絞り込んでみたんよ。


>知人(女性)が雑誌の速記者として、三島の最後のインタビューを受けたとかで、
三島が亡くなった後、色々と取材されたという話を想い出したよぉ。

そうだったね…
加速が健在時代のころ、
そのカキコ読んだ覚えがある ^^

ぬ? 馬券の儲けでチャカのプレゼント?

俺を殺るなら機関銃を持ってこい、機関銃を!

いやいや・・・サンクス♪

しかしAAよく出来てるねぇ〜〜♪
感心したわ   (゜Д゜;)


>タマにはOLGにも顔出してしてくれっ!

虹ん子・・・

それって「ガンシャ」と受け取られかねない
もの凄く変な日本語やど・・・

ま、なんよ。俺はパチも引退状態やし、
OLGはこぱんだ、がじっくり
ホノボノ色を染めとろう。

年寄りはこっちで好きなことをカキコする隠居生活させてもらうわい ^^
【120】

RE:血風クロニクル  評価

虹ん子 (2014年12月01日 00時02分)

  ∞虹∞   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/(・0・)\< のほ監査役、こんばんは〜〜 |
$ ⊆☆⊇ $ \_____________/



お疲れさまで〜〜す。



花形敬の後に三島由紀夫、意外でした。

どちらも、続きを楽しみにしてましたよん。




もう亡くなりましたが、

知人(女性)が雑誌の速記者として、三島の最後のインタビューを受けたとかで、

三島が亡くなった後、色々と取材されたという話を想い出したよぉ。

平凡?明星?

なんか、そんな雑誌だったような。



次も待ってますね〜〜






    _____
   /     \
   / ((((((((( ミヽ
  |(⌒'ー―'⌒ヽミ|
  ||      /ミ|
   L|__)(__ YV
  (V≦o/| \o≧ J|
   |  |    y
   | /ヽノヽ  |
   ∧  /ヽ| //\
  / /\ ヽ=ノ // |
   / |ヽ__ノ / ∠
   > |/ヽ ∧/ /
   \ | | / / /



\_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人/
 )                  (
 )タマにはOLGにも顔出してしてくれっ! (
 )コルト・パイソンはプレゼント―っ! (
 )            by 竹内 力(
/⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒ \





  へ____________,____,__|Ъ
  |_===z__===z__===z_|´ ̄ ̄ ̄__  ~~|__
 ||;;;;;;PYTHON357;;;;;   |.;;;;|l  ̄ ̄凸|  λ',フ⌒
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄匯匯ニニ| 二||ニニ⊃ |)>つ ^-__
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄λ、 ||____凸| 馬 / ̄ヘ
               |);;I! ̄ ̄ ̄|o卩  / / ^ヘ
                ̄ ̄V' ̄'(〜,ゝ / /     \
                 ||  )J´)/ /   (馬)  へ
                 ヾ===〃´⌒`ヽ       λ
                          |       λ
                          |       λ
                           |       λ
                            |_______λ




p.s

以前、拳銃をプレゼントしたら、リボルバーにしてくれて言われたと^^
【119】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月29日 16時30分)

【あとがき】

高一の昼休み。

早弁の残りに箸をつけたときだった。

隣からヒジでつつかれた。
半開きになった教室の出入り口から
生活指導の体育教官がこちらに目配せをしていた。

やべっ! スイモク(喫煙)がばれたか・・・・

学ランの袖に、匂いが残っていないか
鼻をあてながら廊下に出た。

長身の教官は小柄な私を見下ろしながら、
只ならぬ顔つきで言った。

「おい、三島が自決したぞ」

なんのことか分からず、ポカンとしていると
裏拳で私の腹を軽く叩きながら、教官は語気を強めた。

「楯の会の三島由紀夫が自衛隊で腹切って、
 死んだんだよ」

そう言うと、教官は踵を返して廊下を歩いていった。

自衛隊体育学校出身から教師になった、
という人だった。
ゲンコツ制裁も何度か、うけたことがある。

ただし、理不尽な叱り方はなかったし、なにより
私を含めて被差別地区出身の生徒に
親身になって教育指導をしてくれていた。

その後姿から「ついて来い」という空気が
ありありと読み取れた。

職員室に入ると一台しかないテレビの前は
すでに教員たちで人だかりができていた。
上級生の姿も何人かいた。

画面には市ヶ谷の空撮が映し出され
「作家の三島由紀夫が自衛隊に乱入、割腹自決」
の速報テロップが流れていた。

誰もが黙って画面に見入っていた。

午後の授業はさぼった。

駅売りの夕刊各紙を買いあさって自宅で読んだ。

読めども、読めども理解できなかった。

どう考えても自衛隊が三島の呼びかけに呼応して
決起するとは思えなかった。

三島の目的はただひとつ、
「眠れる日本を覚醒させるため、死ぬ」
その一点だけだったのではないか。

元々、三島の文学自体はそんなに読んでいなかった。
当時、読んでいたのは「仮面の告白」と
「金閣寺」ぐらいではあるまいか。

「思い」を「思ひ」
「・・・のように」を「・・・のやうに」などと
わさわざ古文かなづかいで表現する意味が分からず
「読みづれぇ…なあ」、
なんだこいつは、の思いが強かった。

あとは「平凡パンチ OH!」に連載された
「行動学入門」ぐらいだった。
ヌードグラビアがお目当てのついで、である。

ニュースを意外性のみを尺度として測るなら、
三島事件は戦後日本でおそらく最大のニュースだった、と思う。

三島由紀夫という作家が現役でバリバリ書いていることは日本中に知れわたっていた。

日本人として初めてノーベル文学賞候補になったことや、映画に出たり、裸で写真のモデルになったり、
自前の軍隊を作って何かやっていることは
当時の人の共通の知識だった。

その人が突然自衛隊に行って決起
(いわば軍事クーデター)を呼びかけ、
日本人が長く忘れていた切腹という
武士の古式作法により自決した。

四十五歳という若さ。
寝耳に水のニュースだった。


今年七月一日、安部政権は憲法第九条解釈を変更し、
集団的自衛権を行使できるという閣議決定を行った。


最後に三島が自決する二ヶ月前に
サンケイ新聞に発表した一文を掲載して筆を置きたい。



    ――――――――――――――――



   私はこれからの日本に大して
   希望をつなぐことができない。
   このままいったら「日本」はなくなって、
   その代わり、 無機的な、からっぽな、
   ニュートラルな、中間色の、富裕 な、
   抜け目がない、或る経済大国が
   極東の一角に残るであらう。
   それでもいいと思っている人たちと、
   私は口をきく気になれなくなっているのである。

   
   ――――――――――――――――――
【118】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月30日 09時17分)

【エピローグ】

古賀ら三人は死んだ二人の胴体を並べて
仰向けに直し、上に制服をかけた。

午後零時二十五分、
三人は益田総監を連れて廊下に出た。

吉松一佐を確認して総監を引き渡し、
日本刀も提出した。

三人はその場で警察官に現行犯逮捕された。

「七生報国」の鉢巻をした三人が
警官から両腕を抱えられ
正面玄関からパトカーに乗せられると
「あとの二人はどうした!」と怒鳴る声があがった。

十分後、益田総監が玄関に姿を現した。
歓声はなかったが、
自衛官から安堵のどよめきが起こった。

総監は包帯をした手をちょっと挙げて応えてから、
中曽根防衛庁長官への報告に向かうため、
車に乗りこんだ。

バルコニーの前にいる徳岡孝夫には
事件がどういう形で終わったのか
まだ、分からなかった。

「自害だ」
「自害したぞ」と叫ぶ声がしたが、半信半疑だった。

やがて「発表します」という声がして、
報道陣は一階左側の部屋に入るのを許された。

小学校の教室ほどの部屋は立錐の余地もなかった。

「東部方面総監部防衛副長、吉松一佐です」
との自己紹介に続いて事件の経過が報告された。

吉松一佐はまるで上官に報告するように
一部始終を大声で語った。

しかし、切腹した、介錯した、と聞いても
徳岡はなお、信じられなかった。

記者の一人が大声で叫ぶように聞いた。

「つまり、首は胴を離れたんですか」

「はい、首は胴を離れました」

一佐はオウム返しに叫んだ。

部屋は沈黙に陥った。

もはや、聞くべきことはなにもなかった。

徳岡は外へ出た。

自衛官も三々五々、散っていくところだった。
NHKの伊達記者の姿はついぞ、
見つけることはできなかった。

頭を垂れてとぼとぼ正門の坂にかかっていた徳岡孝夫は
そこで信じられないものを見た。

下り坂の手前あたりの空き地で
数人の職員がバレーボールをしていた。

まだ、昼休みの時間らしい。
女性四、五人に混じって男も一人、二人いた。

それは平和な、平和な日本の、
これ以上は平和であり得ない
素晴らしい光景だった。

吐き気がした。


サンデー毎日編集部に戻り、
自分のデスクに座った徳岡はパイプに火をつけた。

僅々三時間ほどの間に起こった出来事に打ちのめされ、モノを言う気力もなかった。

編集部の同僚も、とんでもない事件を見てしまった者への配慮だろう。

誰も声をかけなかった。

やがて強いインクの匂いをたてて
刷りたての朝刊の早版が届いた。

一面にぶち抜きで
「三島由紀夫が割腹自決」の大見出し。

社会面は「狂気の白刃 楯の会 自衛隊乱入」

快晴だった一日が暮れ、夕闇が東京に下りた。

徳岡孝夫はペンをとり原稿用紙に書き始めた。

「私は三島をほめに来たのではない。
 彼を葬りに来たのだ。
 今は彼をそっと埋めておこう。
 『狂気』とラク印を押されたために、
 三島の死はおそらく、
 かえって永続的な効果を持ったに違いない。
 何年、いや、きっと何十年のちに、にも・・・・」


(憂陽の刃・完)
【117】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月27日 13時00分)

【自 決】

総監室でそれから何が起こったか、は
益田総監や古賀浩靖被告の
公判廷での証言によって知ることができる。

手足を縛られたままの益田総監は
午後零時十五分ごろ、
演説を終えた三島がバルコニーから
戻ってくるのを見た。

古賀は三島が楯の会の制服のボタンを外して
上着を脱ぎながら、誰に言うともなく
「仕方がなかったんだ」と呟くのを聞いた。

それから三島は益田総監に向って

「恨みはありません。
 自衛隊を天皇にお返しするためです」と言った。

上着を脱ぐと下は裸だった。

縛られている総監から約三メートルの床の上に
バルコニーの方を向いて正座し、短刀を握った。
左後方には森田必勝が立って
長刀を大上段に振りかぶった。

三島はズボンを押し下げて腹を出し、
「ウォーッ」と大声を発した。
まるで腹内の空気を全て出してしまうかのような気合だった。

次の瞬間、短刀をヘソの左下に突き立てた。

それから右へ真一文字に引き回した。

切腹は、介錯人がいる場合は
薄く掻き切るのが作法だが、
三島は力まかせに割腹した。

鍛えぬいた腹筋は突きたてられた刃を
反動で押し戻した。

上半身がバネ仕掛けのように跳ねあがった。

剣道五段の森田が一撃目を打ち漏らしたのは
このためである。

血しぶきが飛んだが、
刃は三島の右肩に深く斬りこんだだけだった。

「森田さん、もう一太刀!」

見ている古賀が叱咤した。

森田必勝は再び振りかぶって斬った。

今度は命中したが、首はなお、落ちなかった。
頚動脈をいきなり離断された三島の心臓は
総監室の天井近くまで鮮血を吹き上げた。
二拍目からは、もうその圧力はない。

「浩ちゃん、代わってくれ」

古賀が刀を受け取って、三島の首を切断した。

続いて森田が制服を脱いで裸になり、正座した。

猿ぐつわを外されていた益田総監は
「やめなさい」と二、三度叫んだが無駄だった。

「小賀、たのむ」

しかし、小賀は行動開始から一貫して、
益田総監の監視役をしている。

長刀は古賀が受け取り、森田の左後方に立った。
すでに床は血の海である。

森田は短刀を腹に突きたて
「まだまだ」と言いながら引き回した。

引き終わって「よし」。

その声に古賀が大上段から打ち下ろした。

今度は一刀両断だった。
総監室に再び鮮血の噴水があがった。
鮮やかな介錯だった。

「君たち、おまいりしなさい」

総監が言った。

生き残った三人の若者は三島、森田の首を並べて
床の上に立てた。

「私にも冥福を祈らせてくれ」
と言って総監は正座して瞑目合掌した。

三人は黙って泣いていた。

「もっと、思い切り泣け」と総監は言った。
【116】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月27日 12時53分)

【猜 疑】

演説のメモをとりながら徳岡孝夫は

「三島さんのボディビルや剣道はこのためだったんだ」

と、直感していた。

「畢生(ひっせい)の雄叫びをあげるときに
 マイクやスピーカーなどという
 西洋文明の発明品を使うことを三島は拒否した。
 それはちょうど明治九年十月に
 熊本鎮台を襲った新風連がふだんから
 電線の下をくぐるのをいさぎよし、とせず、
 洋服を着た人に出会ったときは
 塩でわが身を清めたように」

(サンデー毎日「その朝、死に場所に呼ばれた本誌記者」より)


演説が終わり「天皇陛下、万歳!」を叫んだ
三島由紀夫がバルコニーの縁から消えると
それを合図にしたように建物の前に待機していた
数十人の警察機動隊が玄関から中へとなだれこんだ。
再び一人の若い自衛官が
垂れ幕に飛びつこうとしたが、制服警官が

「証拠保全のため、必要ですから」
と厳しく制した。

徳岡は三島由紀夫の言う
「この挙」がどんな形で終わるのか見届けたかったが、
総監室に近づく手段はない。

手紙、遺影と思われる写真、檄、演説・・・・
それらから判断して、考えられるのは三島の死である。

だが、また一方では彼は最も自殺しそうにない人間だった。

若々しく健康であり、家族に恵まれ、
才能があって世界に知られ
現に作品は広く読まれ、友人は多く、
住む家とおそらく相当の財産を持っている。

世の中に彼以上に自殺しそうにない人は
少ないように思われた。

徳岡は三年半前に初めて三島邸を訪ねたときのことを思い出していた。

それは三島が極秘に陸上自衛隊に
体験入隊した直後だった。

編集長の命で単独インタビューに向った徳岡は
コロニアル様式の三島の邸宅玄関に
赤い三輪車を見たのである。

息子に三輪車を買ってやる父親が自殺するだろうか。

三島は手紙の中にも演説でも、一度として
「これから死ぬ」とは明言していない。

死ぬんだろうか?

まさか?

急に空虚になったバルコニー上の空間を見上げながら
徳岡の脳裏に再び赤い三輪車が甦っていた。
【115】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月27日 12時47分)

【檄 演(二)】


・・・・・から・・・・れるのは、
シビリアンコントロールではないんだぞ。

・・・・・・・(聴取不能)
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・


それでだ、俺は四年待ったんだよ。
俺は四年待ったんだ。
自衛隊が立ち上がる日を

・・・・・・・(聴取不能)
・・・・・・・
・・・・・・・四年待ったんだ。

最後の三十分間だ。
最後の三十分間に・・・・ため、今待っているんだよ。

(ヤジ、さらに激しくなってくる)


諸君は武士だろう。
諸君は武士だろう。

武士ならば、自分を否定する憲法をどうして守るんだ。
どうして自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。

それがある限り、諸君というものは
永久に救われんのだぞ

(ヤジに混じって、笑い声)

諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略で、
諸君が合憲のごとく装っているが、
自衛隊は違憲なんだ。

自衛隊は違憲なんだ。
貴様たちは違憲なんだ。

憲法というものは、ついに自衛隊というものは、
憲法を守る軍隊になったのだということに、
どうして気がつかないんだ。
どうして、そこのところに気がつかんのだ。

俺は、諸君がそれを完全に断つ日を
待ちに待っていたんだ。

諸君が、そのなかでもただ小さい根性ばっかりに
固まって、片足突っ込んで
本当に日本のために立ち上がる時はないんだ。


・・・・・・・
・・・・・・・

(ヤジ 「そのためにわれわれの仲間を傷つけたのは、どうした訳だ」)

(三島、凄まじい気迫で)「抵抗したからだ!」

(「抵抗したとはなんだ」など、
 さまざまなヤジが浴びせられ騒然となる)

憲法のために、日本を骨無しにした憲法に
従ってきた、ということを知らないんだ。

諸君のなかに一人でも俺といっしょに
起つ奴はいないのか。
一人もいないんだな。

(「テメエ、それでも男かぁ――」とのヤジが飛び出し、 圧倒され気味)

よし、武というものはだ、
刀というものはなんだ。

・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・それでも男かぁっ!

それでも武士かぁっ!

まだ諸君は、憲法改正のために立ち上がらないということに、みきわめがついた。
これで自衛隊に対する夢はなくなったんだ。

(ヤジ猛然、「おりろ」「なんであんなものをのさばら せておくんだ」「おろせ、こんなもの」などの
 怒号に混じって、静めにかかる声も出る)

それではここで、オレは、天皇陛下万歳を叫ぶ。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

(三島、皇居に向かい)

天皇陛下、万歳!
【114】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月26日 15時24分)

【檄 演(一)】

時計の針がちょうど正午を回ったころ、
三島由紀夫はバルコニーの一段、高い縁に立った。

徳岡孝夫は持っていたカメラで撮影した。

50ミリの標準レンズだったため、
垂れ幕をからめた全景しか撮れなかったが、
それでも数コマ、シャッターを切った。

社旗をはためかせた新聞各社の車が
次々に庁舎前に乗りつけた。

上空にはすでに取材ヘリが接近し、
ローター音を響かせている。

徳岡はバルコニー正面の左前方に立って
垂れ幕の要求項目をメモした。



「日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、
精神的には空っぽになってしまっているんだぞ。
それがわかるか!」



三島が声を張り上げた。


徳岡は頭上八メートルから聞こえてくる三島の演説の要点を筆記した。


■以下はフジテレビ報道局収録の
録音テープからの転写である


・・・・自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも
鎮圧できるという自信をもったからだ。


治安出動はいらなくなったんだ。
治安出動はいらなくなったんだ。
治安出動がいらなくなったので、すでに憲法改正が不可能になったのだ。

分かるかぁ、この理屈が!

(ヤジ  分からんぞ、何を言っている!)

諸君は去年の10.21からあと
諸君は去年の10.21からあとだ。
もはや、憲法を守る軍隊になってしまったんだ。

自衛隊が二十年間、血と涙で待った
憲法改正というものが、機会がないんだよ。

もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。
ついにはずされたんだ、それは。
どうしてそれに気づいてくれなかったんだ。

去年の10.21から一年間、
俺は自衛隊が怒るのを待っていた。

もう、これで憲法改正のチャンスはない。
自衛隊が国軍になる日はない。

健軍の本義はない。
それを私は最もなげいていたんだ。
自衛隊にとって健軍の本義とは、なんだ。

日本を守ること
日本を守ることとはなんだ。

日本を守ることとは、
天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。

(ヤジ 猛然としてくる)

お前ら聞けぇ、聞けぇ!
静かにせい、静かにせいっ!
静粛に聞けっ!

(騒然としたヤジで、演説聞き取りにくくなり、
 演説口調も興奮しきった感じになる)

男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。

いいか。
いいか。

(ヤジに圧倒されそうで、言葉がとぎれそうになる)

それがだ、いま、日本人がだ、
ここでもって立ち上がらなければ
自衛隊が立ち上がらなければ、
憲法改正というものがないんだよ。

諸君は永久にだね、
ただ、アメリカの軍隊になってしまうんだぞ。

(バカヤロー のヤジ)

諸君と・・・・(ヤジで聴取不能)

・・・・・・・アメリカからしか来ないんだ。
シビリアンコントロールと・・・・・・
シビリアンコントロールがどこからくるんだ。
シビリアンコントロールというのはだな、
シビリアン・・・・・・


(ヤジと演説口調が興奮しきって、このあたり聴取著しく困難になってくる)
【113】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2015年03月21日 10時53分)

【発 覚】

サンデー毎日の徳岡孝夫とNHKの伊達宗克は
市ヶ谷会館の屋上にあがると、
並んで眼下の駐屯地を見ていた。

バルコニー前の閲兵グラウンドに
車が二、三台停まって、三、四人が
明らかに緊張した動きをしているのが分かった。

と、駐屯地正門に通じる急な坂を
パトカーがフルスピードで駆け上がっていった。
その後ろ、ほとんど車間距離をおかずに
白いジープが猛追していた。

白いジープ・・・警務隊、自衛隊の憲兵である。

二人は同時に「アッ」と声をあげた。

まだ十一時四十分になっていない。

手紙の中で三島は
「一切を中止し、何事もなく帰って来るなら
 十一時四十分ごろまでだ」
と告げていた。

その時刻までには、
もはや帰ってきそうにない。

市ヶ谷会館の楯の会の隊員たちが
移動を命じられた気配もない。

「何かあります。行きましょう」

伊達が徳岡に言った。

徳岡は咄嗟に三島から受け取った
手紙や写真の入った封筒を靴下の内側にねじこんだ。

市ヶ谷会館の玄関まで駆け下り、
今度は駐屯地正門に向っての急坂を駆け上がった。
走りながら自社の腕章を付けた。

正門では誰からも咎められず中に入れた。
グラウンドにはすでに何人かの自衛官の姿があった。

「何があったんですか」

「わからん。全員集合せよと命令があったので
 来ただけだ」

おいおい、人数が増えてきた。
その中から「総監が人質にとられた」と声が上がるのを聞いた。

徳岡はバルコニーの奥が東部方面総監室ということを
知らなかった。
しかし、総監が人質になった、
というならあの五人がやったに違いない。

手紙の中にあった
「傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも……
 憂国の情に出でたるもの」とはそのことだ。

集まった自衛官の誰もがバルコニーを見上げていた。
建物の玄関には警察官が阻止線を張って中へいれない。

楯の会の制服に白い手袋をした若者が
バルコニーの端まで来てビラをまいた。

自衛官が拾ったのを見ると、徳岡が市ヶ谷会館で
受け取ったものと同じ「檄」である。

やがてキャラコの布地に墨書した垂れ幕が下りてきた。

「楯の会隊長、三島由紀夫と・・・は東部方面総監を拘束し、総監室を占拠した」
で始まる要求書と同じ内容だった。

自衛官二人が飛びついて垂れ幕を
引きずり下ろそうとしたが、
彼らがジャンプしても届かなかった。

徳岡は垂れ幕の下端に文鎮が下がっているのを見て、
ひそかに

「三島さん綿密に計画したなぁ」

と感嘆した。

まもなく、三島由紀夫と
森田必勝の二人が
バルコニーに現れた。
【112】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月25日 13時30分)

【交 渉】

吉松一佐らは副長室側のドアから総監室に入った。

「何をするんだ、話し合おうではないか」

「邪魔するな」

三島が怒鳴り、灰皿が飛んで来た。
楯の会の隊員は椅子を振り回して抵抗していた。

自衛官による総監奪還のための行動は
三島の予想を遥かに超えるものだった。

三ヶ所のドアから計十一人が室内に突入、
八人が負傷、うち三人はかなりの深手を負った。

奪還行動を続ければ負傷者が増すだけでなく、
総監殺害の怖れもある。

三島が本気であるのは
斬りかかってきたことから明白だった。

防衛庁に連絡すると、
とりあえず臨機の措置をとれ、との命令である。

警察にはすでに110番している。

吉松一佐らはいったん作戦室に引いて
要求書を検討した。

「市ヶ谷駐屯地の全自衛官を本部玄関前に集合させ、
 三島の演説を清聴させよ」

「楯の会残余隊員を市ヶ谷会館から急遽、呼び寄せ、
 参列させよ」

「十三時十分まで、一切の攻撃、妨害はするな」

「条件が守られず、あるいはその怖れがあるときは
 三島は直ちに総監を殺害し、自決する」

など、要求は詳細を極め、一切の交渉に応じない、
と書いている。

吉松一佐は要求に従おうと決断した。

総監室前の廊下に出て、割れたガラス窓越しに
三島と問答した。

「要求書は見た。自衛官を集めることにした」

「君は何者だ。どんな権限があるのか」

「防衛副長で現場の最高責任者である」

三島は時計を見てから言った。

「十二時までに集めろ。
 十三時三十分まで一切の攻撃、妨害行動をするな」

時計の針は十一時三十四分を指していた。
【111】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月25日 13時27分)

【決 起】

合図を受けて真っ先に動いたのは
計画通り、小賀だった。

元の席に戻るふりをして総監の背後に回り、
首を腕で絞め、手ぬぐいで口をふさいだ。

古賀が用意していた細紐で総監の両手を縛り、
椅子にくくりつけた。

あとの二人は総監室の三方のドアに内側から施錠し、
椅子や机、植木鉢を動かしてバリケードを築き始めた。

廊下に通じるドアの下に二つに折った
要求書を差し挟んだ。
これが十一時二十分前後だった。

益田総監は抵抗せずに縛られた。
座った姿勢のまま、両手首は後ろ手に、
足首も椅子に縛られた。

だが、緊縛ではなかったし、小賀が
「呼吸が止まるようなことはしません」と
断ったので
レインジャー訓練の成果を披露しているつもりか、
と思った。

「どうです、機敏で驚いたでしょう」と
あとで笑い話にでもするのか、と思った。

少し動く口で
「三島さん、冗談はよしなさい」と言った。

抜刀した三島が目を見開いて睨みつけているのをみて、
初めてただごとではない、と知った。



総監室内の家具を動かす物音に
最初に気づいたのは沢本三佐だった。

報告を受けた業務室長の原 勇一佐はすぐ廊下に出て、
総監室との間の擦りガラスの窓に目をあてた。

窓の端に一片のセロテープが貼ってあり、
ぼんやりであるが室内の様子が
見える仕掛けになっている。

益田総監応接用の椅子にかけ、
その後ろに楯の会の若者がいた。

一瞬「マッサージでもしてもらっているのか」
と思ったが、総監の動きが不自然である。

なにより、ドアに鍵がかかっている。
体当たりすると鍵は飛び、
二十センチほどの隙間ができた。

「来るな、来るな!」

と内側から怒鳴り声がした。
ドアの下に白い紙があった。
それを拾って第三部作戦室にいた
副長の吉松秀信一佐に報告した。

原一佐は隣接する幕僚室に行った。

総監室に通じるドアをこじ開けバリケードをずらし、
すでに二人の自衛官が総監室に入っていた。

続いて入ると縛られた総監がはっきり見えた。

総監に付き添う楯の会隊員は短刀を持っている。

同時に三島が斬りかかってきた。

「出ろ、出ろ!」と言いながら
刀を手元に引くようにした撫で斬りだったが、
先に入っていた二人の腕からは鮮血が飛んでいた。

三島は真っ青な顔で
「要求に従わないと総監の命はないぞ!」と叫んだ。
【110】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月25日 16時00分)

【面 会】

三島由紀夫ら楯の会の隊員五名は
沢本三佐の案内で
二階の東部方面総監室の前に立った。

陸軍士官学校として建てられ、
戦時中は大本営本部となり、
東京裁判の法廷にも使われた三階建ての建物である。

現在は防衛省の敷地内に移設され、
事前申し込みで見学することができる。

総監室は横七・五メートル、奥行き六メートル。
当時の総監の執務机などは撤去され、
部屋のほとんどが旧防衛庁の模型で占拠されている。
扉の一部に刀傷が残っているのが唯一、事件の証言者といえようか。

沢本三佐は一同をドアの外に待たせ、
一人で総監室に入った。

左が幕僚室、右に隣接して副長室、
後方に庶務を行う業務室がある。

廊下は暗く、なんの装飾もない。
総監室と廊下の間は擦りガラスを入れた
大きな窓があるだけだった。

沢本三佐が出てきて「どうぞ」と促した。

三島由紀夫を先頭に一同は総監室に入り、
沢本三佐は出ていった。

益田(ました)兼利東部方面総監は、
部屋の左手にある執務机の前に立っていた。

「よく、いらっしゃいました」

三島は四人の隊員を一人ずつ呼んで
総監に引き合わせた。

「どうぞ、こちらへ」

総監は三島を部屋の右手にある
応接用の椅子に勧めると正対する位置に腰を下ろした。
最初は辞退していた四人の隊員も促されて
ドア近くの小さい椅子に座った。

三島由紀夫は腰から刀を外した。

旧軍人である五十七歳の総監は
予想した通りに刀に目を留めた。

「先生はそんなものを持ち歩いて、
 警察に咎められませんか」

「いや、これは美術品だから構わないのです。
 ちゃんと登録証も持っています」

四百年以上前の室町末期、
美濃の刀鍛冶の手による大業物である。

「ご覧になりますか」

三島は刀を抜くと、刀身に目を注ぎながら、
刃文がよく見えないという「しぐさ」をした。

「小賀、ハンカチ」

演習ではそれが行動開始の合図だった。

小賀正義は手ぬぐいを持ち、総監の後ろに向った。

しかし、そのとき益田総監が予想外の動きをした。

急に立ち上がり「ちり紙ではどうかな」と
呟きながら数歩、執務机の方に歩いたのである。

小賀は仕方なく手ぬぐいを三島に渡した。

総監は三島の横の席に移った。
バルコニーを背にした椅子である。

「三本杉がありましょうな」

尖った目の乱れが三本ずつ連なる刃文を
三島が説明する。

総監は刀を受け取って刃文に目を凝らした。

「見事なものです」

刀を返して元の席に戻った。

その瞬間、三島が目で「やれ!」と
四人に合図を送った。
【109】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月24日 14時32分)

【遺 影】

文字通りの立ち読みであった。

「傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも」

の下りを徳岡は二度、三度繰り返し読んだ。

文字や文章の乱れは全くなく、
それまでに貰った三島由紀夫の原稿を彷彿とさせた。

徳岡は片手に封筒から出てきた写真を
一纏めにしてもっているのに気づいた。

東条写真館撮影のキャビネ判より
さらに大きい五名の集合写真と
各自のフォーマルな肖像写真が計六枚。

すべて楯の会の制服制帽姿で、
集合写真の裏には三島の字で全員の姓名、
小賀にはコガとふりがなまで、振ってあった。

各自の肖像にはそれぞれの自筆で
姓名、生年月日、年齢、出身地、在学校名。

中で目を引いたのが楯の会の夏用の制服姿の
森田必勝の写真だった。

この一枚だけが東条写真館撮影ではなく、
スナップだった。

帽子を小脇に挟み、にっこり微笑んでいる。

裏面に四行の記入があった。



三重県出身
森田必勝(25)
昭和20年7月25日生
早稲田大学教育学部



表の写真は笑っているのに裏の「森田必勝」は
ボールペンの強い筆圧が浮き出てみえる。

徳岡は「必勝」(マサカツ)という名の強烈な語感の持つ森田の字に全身に言いようのない痺れを感じた。

急いで檄を読んだ。

B4判の紙二枚にびっしりと書いてある。

「われわれ楯の会は自衛隊によって育てられ……」

に始まり、

「今こそわれわれは生命以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」・・・

言わんとするところは分かるようでもあり、
飛躍しているようでもある。

再び手紙に戻って
「いかに狂気の沙汰にみえようとも」
のところを読んだ。

ふと、見ると徳岡のすぐ横に立って、
同じように手紙を読んでいる者がいた。

「NHKの伊達さんですね?」

初対面の二人はそそくさと名刺を交換した。

「どういうことでしょう?」

「ぼくにもよく分かりません」

「とにかく屋上に行ってみましょう」

二人は四階立て、市ヶ谷会館の
屋上への階段を駆け上がった。
【108】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月24日 14時23分)

【文 面】

「いきなり要用のみ申し上げます。
ご多用中をかへりみずおいでいただいたのは、
決して自己宣伝のためではありません。

事柄が自衛隊内部で起こるため、
もみ消しをされ、小生の真意が伝はらぬのを怖れてであります。
しかも寸前まで、いかなる邪魔が入るか、
成否不明でありますので、もし、邪魔が入って、
小生が何事もなく帰ってきた場合、
小生の意図のみ報道機関に伝わったら、
大変なことになりますので、特に私的なお願ひとして、御厚意に甘えたわけであります。

小生の意図は同封の檄に尽くされております。
この檄は同時に演説要旨ですが、それがいかなる方法に於いて行われるかは、まだ、この時点に於いて申し上げることはできません。
何らかの変化が起こるまで、このまま市ヶ谷会館ロビーで後待機くださることが最も安全であります。
決して自衛隊内部へお問い合わせなどなさらぬやうお願ひいたします。
市ヶ谷会館の三階には、何も知らぬ楯の会会員たちが例会のため、集まっております。
この連中が警察か自衛隊の手によって、移動を命ぜられるときが、変化の起こった兆しであります。

そのとき、腕章をつけられ、偶然居合わせたやうにして、同時に駐屯地内にお入りになれば、全貌を察知されると思ひます。
市ヶ谷会館屋上から望見されたら、何か変化がつかめるかもしれません。
しかし、事件はどのみち、小事件にすぎません。
あくまで小生らの個人プレイにすぎませんから、その点ご承知おきください。
同封の檄及び同志の写真は警察の没収をおそれて差し上げるものですから、何卒うまく隠匿された上、自由に発表ください。

檄は何卒、何卒、ノーカットで
御発表いただたく存じます。

事件の経過は予定では二時間であります。
しかし、いかなる蹉跌が起こるかもしれず、予断を許しません。
傍目にはいかに狂気の沙汰に見えようとも、
小生らとしては、純粋に憂国の情に出たるものであることをご理解いただきたく思ひます。
万々一、思ひもかけぬ事前の蹉跌により、一切を中止して、小生が市ヶ谷会館へ帰ってくるとすれば、
それはおそらく午前十一時四十分頃まででありませう。

もし、その節は、この手紙、檄、写真をご返却いただき、一切をお忘れてただくことを虫の好いお願ひ乍お願ひ申上げます。

なお、事件一切の終了まで、小生の家庭へは、直接御連絡下さらぬやう、お願ひいたします。
ただひたすら一方的なお願ひのみで、恐縮のいたりであります。
御厚誼におすがりするばかりであります。
願ふはひたすら小生らの真意が正しく世間へ伝わることであります。
ご迷惑をおかけしたことを深くお詫びすると共に、バンコック以来の各別の後友誼に感謝を捧げます。

十一月二十五日
徳岡孝夫様                    三島由紀夫

二伸 なほ、同文の手紙を差し上げたのは他にNHK伊達宗克氏のみであります。
【107】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月24日 14時32分)

【レ ポ】

徳岡孝夫を乗せたタクシーは
午前十時四十分に市ヶ谷駅前を通った。

目の前に市ヶ谷会館が見える。

真っ直ぐ行けば、定刻より早すぎる。

せっかくの小春日和がもったいなく、
徳岡は手前の陸橋でタクシーを降りると
歩いて市ヶ谷会館に向った。

楯の会の制服を着た若者数人が同じ方向に歩いていた。

のんびり歩いたが、それでも五分あまりで
市ヶ谷会館に着いた。

玄関受付のところに制服姿の青年が立っている。

「田中さんか、倉田さんですか」

「違います」

「田中さんか、倉田さんはどこにいますか」

「知りません」

妙にぶっきら棒だった。

見ると入り口の会場案内に
「楯の会例会 三階」と出ている。

三階へ行ってみた。

会場には制服を着た隊員三十人ほどが座っていた。

早めの昼食なのか、カレーライスを食べている者、
コーヒーを飲んでいる者もいたが
演壇には誰も立っていない。

ここでも一人に質問したが
「下にいるはずです」と、
とりつくしまもない。

「いないから、来たんだ。
 だいたい、部屋の中では帽子をとるのが礼儀だろ」

少しむかっ腹がたった徳岡は
喧嘩を売ってみたが青年は黙って相手にしない。

徳岡は再び一階ロビーに戻った。

さっきの青年はいなくなっている。待つしかない。

十一時になった。

     
十一時五分になった。

どこに隠れていたのか、
さきの制服の若者が近づいてきた。

直立不動の姿勢をとると、言った。

「自分が田中です。さきほどお尋ねを受けましたが、
 時間を厳守せよとの三島隊長の命令でしたので
 否定いたしました。
 身分証明書を見せていただけますか」

これはただごとではない。

徳岡は自分の顔色が変わるのを感じた。

手は無意識のうちに田中が差し出す封筒を
ひったくっていた。

角型A5サイズの防水封筒に
「サンデー毎日 徳岡孝夫様 親展」と
赤のサインペンで書かれていた。

直筆の原稿を受け取ったり、
私信を交わしていた徳岡にとって
見まごうことない、三島由紀夫の直筆だった。

その場で立ったまま、ホッチキスの封を引きちぎった。

手紙と写真がでてきた。

便箋四枚、これも右上がホッチキスで止めてある。

徳岡の目があわただしく手紙の上を走った。
【106】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月21日 16時40分)

【最期の朝】

昭和四十五年(1970年)十一月二十五日。

三島由紀夫、人生最期の朝、
彼は午前八時すぎに床を離れた。

執筆が徹夜におよぶことの多かった
三島にとっては、早い時間帯だった。

夫人は子供たちを車で学校へ送ったあと、
乗馬の練習へゆく日で
三島が起きたときはもう、家にいなかった。

彼は家政婦が持ってきたコップ一杯の水を飲み干した。

小賀正義とその下宿に泊まった
小川正洋、古賀浩靖の三人が起きたのは
さらに遅れて八時五十分ごろだった。

朝食はとらず、楯の会の制服、制帽、特殊警棒を装着し、午前九時半過ぎにコロナに乗って出発した。

十分後、前夜の打ち合わせ通り、
首都高速・新宿西口ランプで森田必勝を拾った。

晩秋の青空から燦燦と陽が降り注いでいた。

四人が乗ったコロナは三島由紀夫邸の手前の
ガソリンスタンドに寄り一同は
白い車体を入念に洗車した。
そのあと、各自が親元に宛てた手紙を
スタンドわきのポストに投函した。

徳岡孝夫がサンデー毎日編集部に着くと、経理の女性が

「いまさっき、三島さんから電話があったわよ」

と告げた。

「えっ」

「かけ直しますって」

時計を見ると指定された午前十時を五分過ぎていた。

しまった。

いつもと違う出勤時間で乗り換えに少し手間どった。
しかし、かけ直すというからには、待つしかない。
そう思って腰を下ろしたとき、ベルが鳴った。

「もしもし」

三島の声だった。

「おいで願う場所というのは市ヶ谷です。
 自衛隊市ヶ谷駐屯地のすぐそばに
 市ヶ谷会館というのがありますが、
 そこへ午前十一時に来て欲しいんです。
 玄関に楯の会の制服を着た倉田または
 田中という者がおります。
 その者が案内することになっております。
 では、また十一時に」

「承知しました」

電話はそこで切れた。

三島邸にコロナが到着し門扉を開け、
小賀正義が入ってきたのは十時十五分ごろだった。

三島は立ち上がって
腰に軍刀づくりの関の孫六を下げた。
三通の命令書を出し「読め」と命じた。

小賀は立ったまま、
自分宛の封筒から命令書を抜き出して読んだ。

二人は連れ立って門に向った。
コロナの前に来ると車中の三人が敬礼し、
三島が答礼した。

ドアを開けて小賀が運転席に、
三島は助手席に乗り込み、コロナはスタートした。

新潮社の編集担当者が三島邸を訪れたのは
約束の午前十時半より十五分も遅れてからだった。

門前で家政婦が「お出かけになりました」と告げ、
原稿が入った封筒を渡した。

コロナは第二京浜から首都高に入った。

助手席の三島が
「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の
『唐獅子牡丹』がかかるのだが、俺たちは明るいなぁ」
といって、歌いだし、四人の若者も和した。

午前十時四十分、コロナは飯倉ランプで高速を下り、
防衛庁の前を通り赤坂から外苑へ出た。

十時五十五分、コロナは市ヶ谷駐屯地の正門に着いた。
総監との面会の約束が通じていたのか、警護所は車中を見ただけで通した。

急坂を上ってコロナはバルコニーのある
一号館前に停車した。

定刻二分前、正面玄関で沢本泰冶三佐が出迎えた。
【105】

 ★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年11月21日 16時14分)

お〜♪
れおちゃん、久しぶりぃ〜♪♪ ^^

>今、見てる「網走番外地」に出てた

それって・・・「網走番外地 吹雪の斗争」かな?
「新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬」にも出てるようよ。

>これは、前にも見てたんだけど、とってもインパクトあったから、すっごく覚えてる

へー、そうなんだ。番外地は初編しか観た記憶がないもんで・・・
安藤昇は「懲役十八年」で主役を張ったときは
元・本物のオーラを感じたけど、だんだん、芝居がかって、見えた気がしました。
ま、プロの俳優とはちゃうからねぇ

>すいません 健さんのファンなもんで^^;

健さん、逝っちゃったねぇ…
あれだけ、任侠映画で相手役を張った純子さんのコメントがないのが妙に悲しい…
健さんからのプライベート手紙を宝物にしていたというから
相当、ショックなんだろうなぁ……

>若い健さんは、子どもっぽくて、カワイイ♪

なるほろ。。。  そういう見方もあるんだ。

そうそう「単騎千里を走る」観ましたよ。
こりゃ、健さんでしか「絵」にならないですね ^^
【104】

RE:血風クロニクル  評価

reochan (2014年11月21日 02時25分)



こんばんわー♪

突然すいません


安藤昇って、見たコトあるんだけど、どこだっけ・・


って思ってたら、


今、見てる「網走番外地」に出てた

これは、前にも見てたんだけど、とってもインパクトあったから、すっごく覚えてる


すいません 健さんのファンなもんで^^;


若い健さんは、子どもっぽくて、カワイイ♪

失礼しました。

読んだら、削除して下さいー
【103】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月21日 13時10分)

【決起前夜】


十一月二十四日日午後、三島由紀夫はサンデー毎日の
徳岡孝夫とNHKの伊達宗克に電話、
さらに新潮社の担当編集者に
翌日朝の原稿の受け渡し時間を連絡する。

一同はパレスホテルをチェックアウトし、
午後四時、新橋駅近くの料亭で生死訣別の宴を張った。

仲間と別れた森田は新宿西口公園近くの
お茶漬け屋で夜食をとり、
深夜バーのレジをしていた女友だちを電話で呼び出して
人通りの絶えた道を並んで歩き、
午前一時ごろ、下宿に帰り着いた。

小賀正義、古賀浩靖、小川正洋の三人は
新宿区戸塚の小賀の下宿に泊まった。

一度は死ぬ覚悟を決めていながら、
三島隊長の命令で生き残ることになった三人である。

いかにして、二人をきれいさっぱりと死なせるか、
が最大の課題だった。

リハーサルは繰り返していても、
本番ではどんな展開になるかもしれぬ。

介錯の役は臨機応変に決めよう、と申し合わせた。

それから三人は各自の家族あてに手紙を書き、
三人そろって銭湯に行った。

三島由紀夫は自宅に戻ると、
机の引き出しからすでに書き上げていた
「豊饒の海」(ほうじょうのうみ)の
連載最終回の原稿を取り出すと、
その末尾に二行、書き足した。



「豊饒の海」完。
昭和四十五年十一月二十五日


 ―――――ー―ー―ー


それから生き残る三隊員への命令書を三通書いて、
それぞれに一万円札を三枚ずつ入れた。
逮捕、勾留されて裁判を待つ間の
身の回り品を買う準備金と思われた。

午後十時を回ったころ、三島は同じ敷地内にある別棟の両親に別れを告げに行った。

母は結婚式に出席していて不在で、
父親だけが茶の間にいた。

まもなく帰ってきた母は

「あら、今ごろ来るのは珍しいわね。もう仕事はすんだの」

と三島に声をかけた。

「うん、今夜はすっかり疲れてしまった。早く寝たいんだよ」

「早くお休みなさい。疲れていそうね。横になるのがなによりよ」

「うん、そうする。お休みなさい」

立ち上がった息子に父親が声をかけた。

「健康を考えて少し自制したほうがいいぞ」

書斎に戻った三島はなお、
親しい友人数人に別れの手紙を書いた。

整理が終わった机の上のメモ用紙に一筆の走り書きが残っていた。

「人生は短いが私は永遠に生きたい」
【102】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2015年03月21日 10時47分)

【行動計画/後段】

■10月2日

五名が銀座の中華料理店に集合。
三島が行動案を提示した。

「十一月二十五日に市ヶ谷谷駐屯地の
 ヘリポートで楯の会の訓練を行う。
 三島と小賀は車で日本刀を
 トランクに入れて持ち込む。
 決起行動が正確に報道されるよう、
 記者二名をパレスホテルに待たせておき、
 車に同乗させ駐屯地に同行させる。
 三十二連隊の隊舎前で駐車し、
 記者二人を待たせておいて五名で連隊長を拘束する」

■10月はじめ

古賀は死ぬ前に故郷の山河を見ておきたい、
として三島に北海道への帰郷を申し出る。
三島は「旅費の半分を出させてくれ」と一万円を渡す。

■10月19日

帰郷した古賀を含む全員が
半蔵門の東条会館で
楯の会の制服姿で記念撮影。

五名の集合写真と各自の一枚ずつ。

■11月3日

五名が六本木のサウナに集合。

三島が
「生きて人質を護衛し、
 無事に連れ戻す任務も誰かがやらなければならない。
 その任務を古賀、小賀、小川の三人に頼む。
 森田は介錯をさっぱりとやってくれ。
 あまり苦しめるな」と言う。

この時点で五名自決が二名に変わった。

■11月10日

三島を除く四名が市ヶ谷駐屯地内を下見し、
その結果を三島に報告。

■11月12日

新宿のスナックで森田が小川に介錯を依頼、
小川が承諾。

■11月14日

五名が六本木サウナで「檄」を検討。

三島は記念写真と「檄」を行動当日、
NHKとサンデー毎日の両記者に
渡す予定であると告げる。

■11月19日

五名が新宿のサウナに集合。

行動の細部について時間の割り振りをした。

人質をとってから自衛隊員を
集合させるまでが二十分、
三島の演説が三十分。

他の四名の名乗りが各五分、
楯の会残余隊員への訓示五分、
そのあと楯の会解散を宣言し
天皇陛下万歳を三唱する。

■11月21日

三島の命をうけた森田が三島の著書を
届ける口実で市ヶ谷駐屯地を訪れ、
人質にする予定だった三十二連隊長が
当日不在であることを知る。

銀座の中華料理店で
一同がそろった席で報告し、
協議のすえ拘束の対象を
東部方面総監に変更することが決まる。

三島は総監部に電話し、
二十五日午前十一時に
総監と面会する約束をとりつける。

■11月22日

三島を除く四名は三島からもらった四千円で
人質を縛るロープ、バリケードを築くための針金、
ペンチ、要求項目を書いて垂れ幕にするキャラコ布、
着付け用のブランデー、水筒などを購入。

■11月23〜24日

五名がパレスホテルの客室に会し、
総監拘束の演習を八回、繰り返す。
【101】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2015年03月21日 10時43分)

【行動計画/前段】

昭和四十五年(1970年)十一月二十五日、
楯の会隊長三島由紀夫以下、隊員五人が
自衛隊東部方面総監部に乱入、
益田兼利総監を人質にとり、
自衛隊員に憲法改正のための決起を呼びかけ、
三島と隊員一名が割腹自決したいわゆる
「三島事件」の行動計画については、
一審での検察側冒頭陳述によると
以下の経過をたどっている。

■3月1日
三島由紀夫が楯の会隊員三十人を率い、
28日まで陸上自衛隊富士学校
滝が原分屯地に体験入隊

■4月5日
帝国ホテルのコーヒーショップで
三島が小賀正義に会い、最後まで
行動を共にする意思の有無を打診

■4月10日ごろ
三島邸に小川正洋を呼び、同様の打診。
この段階で小賀、小川が行動を承諾

■5月中旬

三島は自宅に森田必勝、小賀、小川を招き
計画の具体策の協議に入る

■6月13日

上記四名がホテルオークラの客室に集合。
三島は自衛隊の弾薬庫を占拠、
または東部方面総監を拘束して人質とし、
自衛隊員を集合させ主張を訴え、
決起する者があれば共に国会を占拠して
憲法改正を議決させると主張したが、
森田らは兵力が不十分であるとして、反対。

三島は対案として楯の会結成二周年
パレードを十一月に市ヶ谷駐屯地内で行い、
東部方面総監に観閲してもらい、
その場で拘束を実行すると主張

■6月21日

四名が山の上ホテルの客室に集合、
人質計画を確認。武器の日本刀は
三島が搬入することとし、自動車の購入を決める。

■7月11日

小賀が三島から渡された金でコロナの中古車を購入。

■7月下旬〜8月上旬

四名はホテルニューオータニのプールに集まり、
行動参加者に新たに古賀浩靖を加えることを決める。

■9月1日

森田と小賀は古賀(小賀をチビコガ、
古賀をフルコガと呼んで区別した)を
新宿のスナックに誘い
小賀が「三島先生と生死をともにできるか」と質問。

古賀は楯の会入隊以来、日本を覚醒させるため、
生命を捨てる覚悟をしていたので別に驚かなかった。

森田が「市ヶ谷駐屯地内で行動する」と言い、
古賀は「お願いします」と参加を志願した。

■9月9日

古賀は銀座のレストランで三島に会い、
十一月二十五日の行動案の詳細、
三島自決の予定を打ち明けられ、参加を誓った。
三島は「ここまでくれば、地獄の三丁目だよ」
と言った。

■9月25日

五名が新宿のサウナに集合。
楯の会十一月例会には自衛隊関係者を
近親者に持つ隊員は参加させないことなど、
召集方法を変更。
【100】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時35分)

【予 告】

昭和四十五年(1970年)十一月二十四日、
午後一時を少し回ったころだった。

サンデー毎日編集部に一本の電話が入った。

当日、火曜日は編集会議の定例日であり、
部員全員が顔をそろえ、翌週発行の特集記事、
対談企画、グラビアの写真選別などを行っていた。

アウトラインが決まり、
その週の担当デスクだった徳岡孝夫が
そろそろ会議を打ち切ろうとしていたころ、
留守番役の経理部の女性社員が会議室に顔を出した。

「徳岡さん、電話」

中座を断って席を立ち、
会議室を出てゆく徳岡に彼女は後ろから声をかけた。

「三島由紀夫さんからよ」

徳岡孝夫は三島由紀夫の数少ない
旧知のジャーナリストだった。

受話器をとると「三島です」と朗らかな声がした。

二ヶ月ほどまえにも三島の誘いをうけ、
銀座で飲んだ徳岡は

「おごってもらってばかりで、すみません。
 近いうちにお返しをさせてください」
と言った。

「いいんですよ。そんなこと気にしなくても」
気さくな返事のあと、三島は用件を切り出した。

「実はあす、十一時にあるところに来てほしいんです。
 ただ、このことはくれぐれも口外なさらないよう
 お願いします」

「いいですよ」

徳岡がいともあっさり、請け負ったので、
三島は拍子抜けしたように一息おいた。

「純粋に私ごとなんでね。恐縮ですが。
 しかし、女性週刊誌がとびつくような
 スキャンダルじゃありません。
 それだけは保証しておきます」

そこまで言うと三島は「フ、フ、フ…」と
受話器の向こうで含み笑いをした。

「おいで願う場所はあす、
 十時に編集部へ電話して指定します。
 あ、それから毎日新聞の腕章と
 できたらカメラを持ってきてください。
 それじゃ、あす、十時に」

電話はそこで切れた。

腕章とヘルメットは当時、学生運動の全盛期であり、
デモ取材の必需品であった。
しかし、カメラはともかく腕章を持って来いとは
妙な話だと、徳岡は思った。

デモ隊はなにかとマスコミを眼の仇にしているから、
身分をあかすようなものである。

会議室に戻ると、編集会議は雑談になっていた。

「それじゃ、仕事の割り振りはあとでするから」
と言って、徳岡は閉会を告げた。

部員たちが会議室を出ると、
徳岡は一人窓際で皇居の方を眺めていた
編集長に近づいて立ったまま低い声で報告した。

「三島由紀夫から妙な電話がありましてね。
 あす朝、腕章とカメラを持って
 どこかへ来てくれというんです。
 まあ、とにかく行ってきます」

「ふん、そうか」

編集長は短く答えた。

三島との秘密の約束を壊したくなくて
徳岡は同僚のデスクにはなにも喋らなかった。

格段の力も込めず三島が
「くれぐれも口外なさらないように」と言ったことに
かえって強く縛られるものを感じたからである。
【99】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月29日 17時48分)

【命令書】

小賀正義君

君は予の慫慂(しょうよう)により、
死を決して今回の行動に参加し、
参加に際しては、
予の命令に絶対服従を誓った。

依ってここに命令する。

君の任務は同志古賀浩靖君と共に人質を護送して
これを安全に引渡したるのち、
いさぎよく縛につき、
楯の会の精神を堂々と、
法廷に於いて陳述することである。

今回の事件は、楯の会隊長たる三島が、
計画、立案、命令し
学生長森田必勝が参画したものである。

三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも、
森田必勝(まさかつ)の自刃は、
自ら進んで楯の会会員及び
現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、
身自ら範を垂れて、青年の心意気を示さんとする
鬼神を哭かしむる凛冽の行為である。

三島はともあれ、
森田の精神を後世に向って恢弘(かいこう)せよ。

しかしひとたび同志たる上は、
たとひ生死相隔たるとも、
その志に於いて変りはない。

むしろ死は易く、生は難い。

敢えて命じて君を艱苦(かんく)の生に残すは
予としても忍び難いが、
今や楯の会の精神が正しく伝はるか否かは
君らの双肩にある。

あらゆる苦難に耐へ、忍び難きを忍び、
決して挫けることなく、初一念を貫いて、
皇国日本の再建に邁進(まいしん)せよ

                                            楯の会隊長
                                            三島由紀夫

昭和四十五年十一月
小賀 正義君


(原文かなづかいママ、ふりがな筆者)
【98】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時33分)

【檄 /後段】

銘記せよ!

実はこの昭和四十五年(注:四十四年の誤記)
十月二十一日といふ日は、
自衛隊にとっては悲劇の日だった。

創立以来二十年に亙って憲法改正を
待ちこがれてきた自衛隊にとって、
決定的にその希望が裏切られ、
憲法改正は政治的プログラムから除外され、
相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、
非議会主義的方法の可能性を
晴れ晴れと払拭した日だった。

論理的に正に、この日を堺にして、
それまで憲法の私生児であった自衛隊は
「護憲の軍隊」として認知されたのである。
これ以上のパラドックスがあろうか。

われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。
われわれが夢見ていたやうに、
もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、
どうしてこの事態を無視しえよう。

自らを否定するものを守るとは、
何たる論理的矛盾であろう。

男であれば男の矜りがどうしてこれを容認できよう。
我慢に我慢を重ねても、
守るべき最後の一線をこえれば、
決然起ちあがるのが男であり武士である。

われわれはひたすら耳をすました。

しかし、自衛隊のどこからも
「自らを否定する憲法を守れ」
といふ屈辱的な命令に対する、
男子の声は聞こえては来なかった。

かくなる上は自らの力を自覚して、
国の論理の歪みを正すほかに
道はないことがわかっているのに、
自衛隊は声を奪われたカナリヤのやうに
黙ったままだった。

われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。

諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。

しかし、諸官に与へられる任務は、
悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。

シヴィリアン・コントロールが
民主的軍隊の本姿である、といふ。

しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、
軍政に関する財政上のコントロールである。

日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、
変節なき政治家に操られ、党利党略に
理用されることではない。

この上、政治家のうれしがらせに乗り、
より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする
自衛隊は魂が腐ったのか。

武士の魂はどこへ行ったのだ。

魂の死んだ巨大な武器庫になって、
どこへ行かうとするのか。

繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばわりした
繊維業者もあったのに
国家百年の大計かかはる核停止条約は、
あたかもかつての五・五・三の不平等条約の
再現であることが明らかであるにもかかはらず、
抗議して腹を切るジェネラル一人、
自衛隊からは出なかった。

沖縄返還とは何か?

本土の防衛とは何か?

アメリカは真の日本の自主的軍隊が
日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。

あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、
自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであろう。

われわれは四年待った。
最後の一年は熱烈に待った。
もう、待てぬ。

自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。

しかしあと三十分待たう。
共に起って義のために死ぬのだ。

日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。

生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。

今こそわれわれは生命以上の価値の所存を
諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。

日本だ。

われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

これを骨抜きにしてしまった憲法に
体をぶつけて死ぬやつはいないのか。

もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。

われわれは至純の魂を持つ諸君が、
一個の男子、武士として甦へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

(原文かなづかいママ、ふりがな、筆者)
【97】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時18分)

【檄 /中段】

自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。
自衛隊は国軍たりえず、
健軍の本義を与へられず、
警察の物理的に巨大なものとしての
地位しか与へられず、
その忠誠の対象も明確にされなかった。

われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。
自衛隊が目ざめる時こそ、
日本が目ざめる時だと信じた。

自衛隊が自ら目ざめることなしに、
この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。

憲法改正によって自衛隊が健軍の本義に立ち、
真の国軍となる日のために、
国民として微力の限りを尽くすこと以上に
大いなる責務はない、と信じた。

四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、
その翌年には楯の会を結成した。

楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、
自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために命を捨てようといふ決心にあった。

憲法改正がもはや議会制度でむづかしければ、
治安出動の前衛となって命を捨て、
国軍の礎たらんとした。

国体を守るのは軍隊であり、
政体を守るのは警察である。

政体を警察力を以って守りきれない段階に来て、
はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、
軍は健軍の本義を回復するであろう。

日本の軍隊の本義とは
「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」
ことにしか存在しないのである。

国のねぢ曲がった大本を正すという使命のため、
われわれは少数乍(なが)ら訓練を受け、
挺身しようとしていたのである。

しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に
何が起こったか。

総理大臣の訪米前の大詰めともいふべきこのデモは、
圧倒的な警察力の下に不発に終わった。

その状況を新宿で見て、
私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。

その日に何が起こったか。
政府は極左勢力の限界を見極め、
戒厳令にも等しい警察の規制に対する
一般民衆の反応を見極め、
敢えて「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、
事態を収拾しうる自信を得たのである。

治安出動は不用になった。

政府は政体維持のためには、
何ら憲法と抵触しない警察力だけで
乗り切る自信を得、国の根本問題に対して
頬っかぶりをつづける自信を得た。

これで、左派勢力には
憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、
名を捨てて実をとる方策を固め、
自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。

名を捨てて、実をとる!

政治家にとってはそれでよかろう。
しかし、自衛隊にとっては致命傷であることに、
政治家は気づかない筈はない。

そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、
うれしがらせとごまかしがはじまった。
【96】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時14分)

【檄  /前段】

われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、
いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。

その恩義に報いるに、
このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かへりみれば、私は四年、学生は三年、
隊内で準自衛官としての待遇を受け、
一片の打算もない教育を受け、
又われわれも心から自衛隊を愛し、
もはや隊の柵外の日本にはない
「真の日本」をここに夢み、
ここでこそ終戦後つひに知らなかった男の涙を知った。

ここで流したわれわれの汗は純一であり、
憂国の精神を相共にする同志として
共に富士の原野を馳駆(ちく)した。

このことに一点の疑ひもない。

われわれにとって自衛隊は故郷であり、
生ぬるい現代日本で凛冽(りんれつ)の気で
呼吸できる唯一の場所であった。

教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。

しかもなほ、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。

たとへ強弁と云われようとも、
自衛隊を愛するが故であると断言する。

われわれは戦後の日本が、
経済的繁栄にうつつを抜かし、
国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、
本を正さずして末に走り、
その場しのぎと偽善に陥り、
自らの魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗、自己の保身、
権力欲、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の大計は外国に委ね、
敗戦の汚辱は払拭されずにただ、ごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを、
歯噛みしながら見ていなければならなかった。

われわれは今や自衛隊にのみ、
真の日本、真の日本人、
真の武士の魂が残されているのを夢見た。

しかも法理論的には、
自衛隊は違憲であることは明白であり、
国の根本問題である防衛が、
御都合主義の法的解釈によってごまかされ、
軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、
道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。

もっとも名誉を重んずべき軍が、
もっとも悪質の欺瞞の下に放置されてきたのである。
【95】

憂陽の刃  評価

野歩the犬 (2014年11月18日 15時41分)

【プロローグ】

昭和四十五年(1970年)二月、
立春を迎えたばかりというのに、
妙に春めいた暖かい午後、
東京都大田区南馬込の三島由紀夫邸を
一人の男子高校生が訪れた。

その高校生は紹介状もなしにいきなり訪問し
「ぜひ、先生に会いたい」
と言い、門前で三時間余りも粘っていた。

執筆中だった三島は
「頭がおかしいんだろう。追っ払え」と
不機嫌そうな口調で家政婦に命じたが、
家政婦はすでに少年に同情している。

礼儀正しいし、決して頭がおかしいようには見えない。
少しでいいから、会ってやってはどうか、と頼んだ。

三島由紀夫はそれでは外出の前に五分間だけ会うから
玄関前に待たせておくよう、言った。

外出の身支度をすませ、玄関に出るとその高校生は
イスに背筋を伸ばして座っていて、
尋常にお辞儀をした。

あす、郷里に帰らねばならない。
手紙を出したが、お返事がもらえなかったので、
伺った、という。

挙動に不審なところはない。
済んだ目をして三島を見据え、
頬は紅潮している。

文学の話か、と聞くと、違うと答える。

三島はやきもきしながら、
こちらは忙しいんだ、聞きたいことがあるなら
一番聞きたいことを一つだけ聞け、と促した。

少年は三島由紀夫を正面から見据えて口を開いた。

「一番、聞きたいことはですね・・・・・
 先生はいつ、死ぬんですか?」

このときの模様を三島はその年の九月、
つまり自決する二ヶ月前に発表したエッセイ
「独楽(こま)」の中で

「この質問は私の肺腑を刺し、
 やがて傷口が化膿した」と綴っている。

三島は前年の六月、
最後の戯曲「癩王のテラス」を書いていた。

壮大な大寺院が完成した日に、
それを築かせた王が
盲目になって死を迎える話である。

戯曲の幕切れ近く王は

「いそげ、ああ死はそこに迫っている。
 死の早駆けの蹄の音がさだかに聞こえる」

 と叫んでいた。
【94】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月14日 14時49分)

【あとがき】

当たり前だが、拘置所(警察の留置場ではない)に
勾留された経験のある人は少ないと思う。

私は過去一回だけ、
期限いっぱいの二十日間、打たれた経験があるが、
拘置所に勾留された人間に
氏名というものは存在しない。

拘置所というのは未決囚だけなので、
全員が独居房に入れられ、番号で呼ばれる。

(ちなみに私の番号は256番であった。
 こういう数字は嫌でも一生、忘れないものである)

朝の巡回点呼も看守長が巡回してくると、
正座して自分の番号で返事する。

面会時も番号制であり、面会者は控え室で番号を待つ。


ところが花形敬のときは、
番号ではなく名前で呼ばれた、という。

そのアナウンスがあると、百人からの面会人から
なんともいえないどよめきの声があがったらしい。

なぜ、花形敬だけを拘置所が特別扱いしたのか
にわかには信じがたい話だが、
彼の「スター性」を物語るエピソードとして興味深い。

安藤昇が逮捕されて以来、稲川一家は政界の黒幕、
児玉誉士夫の後ろ盾を経て急速に力をつける。

町井一家も「東声会」と名を改め
日韓の闇の橋渡しへと進む。

政界や財界のはらわたにくらいつくのが
戦後ヤクザの常道となった。

愚連隊からの脱却を図ろうとした安藤にとって
素手一本のケンカに男の誇りを貫こうとした花形敬は
もはや、時代遅れの「古疵」でしかなかった。

花形敬の死を安藤昇は獄中で聞いた。

昭和三十九年(1964年)出獄した安藤は組を解散、
自身は翌年、松竹と専属契約を結び、
自叙伝「血と掟」の映画化をきっかけに
俳優〜プロデューサーへの道を歩む。

花形敬を語る人の中には

「ステゴロの帝王、なんて呼ばれているが、
 そんなに強くはなかった。
 ただ、短気で度胸が座っていただけ」

と、評する向きもある。

しかし、経済成長期とともに
ヤクザ稼業に見切りをつけ
銀幕のスターとなった安藤昇より、
私は焼け跡を己の腕一本でのし歩いた花形敬の
異端の「スター性」に魅かれてしまうのである。
【93】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2015年03月21日 10時13分)

【落 日】

横井英樹襲撃事件で逮捕された安藤昇は
十二月二十五日、東京地裁で懲役八年の
判決を言い渡される。

襲撃謀議の中心にいなかった花形敬は殺人未遂幇助で
二年六ヶ月となり、翌日、保釈申請が認められ、
夜を渋谷のネオン街で過ごした。

安藤昇という司令塔を失った安藤組はもはや、
終戦直後の愚連隊に逆戻りしていた。

昭和三十四年(1959年)六月、
花形敬はバーの経営者から満席を理由に
入店を断られると立て看板を叩き割り
駆けつけた警官に殴りかかって
公務執行妨害の現行犯で逮捕される。

八月には屋台でのトラブルが元で
安藤組員と進攻愚連隊が衝突
暴行容疑で組員十人が逮捕される。

十一月には保釈中の花形敬が
子分の出所祝いに十数人を引き連れ
キャバレーに押しかけ「飲み代を貸せ」と強要、
またまた、渋谷署に放り込まれる。

昭和三十五年(1960年)十月、
横井事件の控訴棄却で
花形が刑期を終えて出てきたとき、
渋谷にかつての安藤組の威光はなかった。

絶頂期には五百人といわれた組員も
五十人を割っていた。

稲川一家、町井一家の双方がにらみをきかす中で
安藤組の組長代理に押し上げられた花形敬は、
往時を知る人が不審がるほど変わっていった。

絶対に下げたことのない頭を街の旦那衆の前に垂れ、
酒を飲んで暴れることもなくなった。

昭和三十八年(1963年)安藤組組員が
町井組組員とケンカになり、
相手の顔と腹をめった斬りに
するという事件が起きる。

町井組の報復の対象は
安藤組を現に代表する花形敬となる。

花形は難を避けるため、渋谷を引き払って、
二子多摩川のアパートの一室にこっそりと居を移した。

九月二十七日午後十一時すぎ、
アパートの手前、三百メートルの道路わきに
運転してきた車をとめ、ドアを開いて降り立った
花形は、それに並ぶように駐車していた
トラックの陰から現れた二人に両側からはさまれた。

「花形さんですか」

「そうだ」

次の瞬間、二人は同時に左右から
刺身包丁を花形の脇腹に突きたてて、えぐった。

花形はアパートに向かって二百メートルほど走ったが、
力尽きて昏倒し、その場で絶命した。

生涯で初めて敵に背中を向けたとき、
花形敬の三十三年の生涯は終わった。

ヤクザのケンカは勝ったときほど、後始末が難しい。

「花形に金さえあれば殺されずにすんだかもしれない」

と、語る人が多い。

戦後の焼け跡を己の拳だけで
のしあがってきた花形敬には、
安藤組という組織を守ってゆく「経営マインド」など、
欠片も持ち合わせていなかった。

闇市マーケットに代わって渋谷にビルが立ち並んだとき
花形敬の時代は終わってしまっていたのである。


(ステゴロ無頼・完)
【92】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月14日 13時20分)

【斜 陽】

花形と石井のあいだに和解が成立して間もなく、
威勢を誇った安藤組は思いがけないつまずきから、
にわかに落ち目に転じる。

きっかけは安藤昇による昭和三十三年(1958年)の
東洋郵船社長、横井英樹襲撃事件であった。

そのころ、安藤組は「四九の日」に開帳する
賭場の揚がりを資金源としていた。
「四九の日」とは毎月四日、九日、十四日、
二十四日、二十九日のことで、
都内や箱根の旅館を借り切って
賭場を開帳していたことから呼ばれた。

安藤は客を開拓するのに頭を使った。

戦前の博徒ヤクザが金回りのいい
旦那衆を相手にしていたのに対し
戦後派の安藤は会社社長や医者、弁護士ら
固い職種に目をつけた。

競馬場の特観席に通い、
懐の暖かそうな紳士に狙いをつけ、
まずはキャバレーのつきあいから始める。

気心が知れたところで麻雀卓を囲み、
やがて相手のオフィスや店舗に
二千円程度の手土産持参で挨拶に伺う。

それで来てくれなかったら三千円、
だめなら五千円と手土産を高額にする。

五回通って、こなかった者は一人もいなかった、という。

彼らは立場上、賭博に手を染めていることを
吹聴しないという安心感がある。

それでも安藤は手入れを防ぐのに細心の注意を払い
客には当日まで賭場の開帳場所を知らせず、
車で迎えにゆき
さらに別の車に乗り継がせるという慎重さだった。

賭場では組員が客の「男芸者」となって
徹底したサービスにつとめ、
月に一度は若い衆を常連のもとへ差し向けて
トラブルの解決などの御用聞きをさせた。

当初は一晩二百万円からのテラ銭が上がる盛況だった。

しかし、組は膨張するばかりのうえ、
花形初め、幹部連中には
安藤のような「才覚」が全くなかった。

安藤は資金繰りに四苦八苦するようになる。

そこへ持ち込まれたのが、賭場に出入りしていた
三栄物産社長からの債権取立て話だった。

取立て相手の横井英樹はのちに
「乗っ取り屋」として名をはせ、
昭和五十七年(1982年)のホテルニュージャパン火災では
スプリンクラーなどの消化設備の不備から
宿泊客、33人の死者を出し、
業務上過失致死で禁錮三年の実刑に
服したことで知られるが、
当時は老舗百貨店「白木屋」の
株の買占めに走っていた。

横井は三栄物産社長から三千万円を借りていたが、
資産の全てを他人名義に書き換えていた。
その取立てが安藤にもちこまれたのである。

引き受けた安藤は六月十一日午後四時ごろ
「銀座警察」こと浦上一家顧問、
熊谷成雄と二人で横井英樹のいる
東洋郵船本社に押しかけた。

応接室で総務部長同席して応対した横井だったが、
まともにとりあわない。

それどころか安藤に向かって
「金を借りて返さないですむ方法を教えてやるから、
 出直して来い」
という始末だった。

逆上した安藤は渋谷の事務所にとって返すと、
幹部を呼びつけ、横井狙撃を命じる。

午後七時二十分ごろ、安藤の指令を受けた幹部は
東洋郵船社長室に乱入、
来客と面談中だった横井に
「お前が社長か」と確認して32口径弾を発射した。

弾丸は左わきから心臓の下をわずかにそれて
左肺、肝臓に達する重傷だった。

事件後、安藤は愛人を連れて逃亡、
三十四日後に箱根温泉で逮捕される。

この事件をきっかけに警視庁は渋谷、上野、浅草に
「暴力団取締本部」を設置して、
徹底した取り締まりに乗り出した。

結果、安藤と実行犯だけでなく、
花形、石井ら七人も逮捕される。

組長以下、めぼしい幹部をあらかた、
引っ張られた安藤組はにわかに弱体化して、
それまで彼らの天下であった渋谷には空白地帯が生じ、
これを狙って新たな組織同士の衝突が繰り返された。
【91】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月13日 15時27分)

【和 解】

石井が花形から呼び出された場所は渋谷駅に近い山手線高架下の児童公園だった。
出かけようとする石井に妻の美代子は泣きながら言った。

「あんた、何か持っていくつもりなの?
 持っていったら殺されるわ。
 お願い。素手で行ってちょうだい」

公園に着くと花形はすでに待ち受けていて、
拳銃二丁を地面にほうりだした。

「おれはてめぇと違って、
 若い衆なんか使って命はとらない。
 サシで勝負しよう。さぁ、好きな方をとれ」

取れば殺されると思う石井は手を出さない。

石井が突っ立ったままでいると、花形が促した。

「なぜ、とらないんだ」

二人を遠巻きにして、組の連中が見ている。

石井は一瞬、手を伸ばしかけて思いとどまった。

「取ったら、負けるのがわかってるから、
 おれはとらねぇ。好きなようにしてくれ」

それまで低かった花形の声が、
石井の言葉を聞いてにわかに高くなった。

「好きなようにしろ?
 おい、石井、おれが好きなようにしたら、
 お前を本当に殺す。
 そのことを一番よく知っているのは、
 お前じゃないか。
 てめえ、そんなに殺されたいのか。
 なんで、謝ってくれないんだ。
 おれの聞きたかったのは、
 そういうセリフじゃねぇ!」

石井は思わず「助かった!」と心の中で叫んだ。

「これが後ろから木刀で闇討ちくわせたくらいのことだ ったら、おれも謝る。
 だけど、一家内で命を狙ったんだ。
 謝ってカタのつく問題じゃない。
 そう思うから、おれは覚悟してきた。
 好きなようにしてくれ、といったのは、
 そういう意味だったんだ。
 謝ったら、本当に許してくれるのか。
 それなら、この通り謝る。敬さん、おれが悪かった」

石井が頭を深々と下げたとたん、
花形は駆け寄って行って、
石井の両手を傷が癒えたばかりの
大きな手で包み込み、固く握り締めた。

「よく言ってくれた。石井よ、おれはうれしい。
 よし、保釈祝いをやろう。
 ほんとのことをいうと、お前を祝ってやりたい連中も
 おれの手前があって言い出せないでいるんだ。
 おれがやる分には誰も文句はあるまい。
 さあ、行こうぜ」

許してもらったのは予想もしない有難さだったが、
石井は花形と酒席をともにすることにはためらいがあった。

花形は根っからの酒乱である。
今は機嫌が良くとも、酔いが回ったら
どうなるものか分からない。

石井は思い切って、正直な気持ちを口にした。

「いったん、許してくれても酒を飲むと、
 また怒りだすんじゃないのか。
 それだったら、おれはいやだ」

「いや、絶対に二度と蒸し返さない」

花形は石井を呼び出したときから、
命のやりとりは毛頭考えていなかった。

それはふだんから花形が頑なに
ステゴロを守り通したことで明らかといえた。
凶器を用いたケンカはいきつくところ、
殺し合いにならざるを得ない。

過去にも繰り返してきたように
暴力団というのは暴力が売り物である。
しかし、花形の暴力はステゴロという
ひとつの歯止めを、かけている点では
いささか異質ともいえた。

事実、花形はこの一件を全て水に流した。

「あれからだね。花形とおれが心から打ち解けたのは。
 今でもときどき、思うことがありますよ。
 あいつが生きていたら、
 きっと力になってくれていた、だろうに、ってね」

本多氏の著書で石井はこう、語っている。
【90】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月10日 16時59分)

【不死身伝説】

石井が花形敬の暗殺を企てたのは
この時が初めてではない。

そのころの安藤組は膨張に膨張を続け、
組員を名乗るもの同士が衝突して、
お互いに顔も名前も知らない、
ということが末端では珍しくなくなっていた。

しかも花形敬も二度の懲役を経験している。

この世界では、強いものが不在の間、
そのポストを空けて待っておこう、
などという悠長なことはまかり通らない。

花形、石井ら幹部たちはそれぞれに
準幹部クラスを従え、
彼らがまた、若い衆を擁して各派を形作っていた。

「敬さん、を殺っちまおうよ」

石井の許には再三、そういう囁きが届く。

長い間、花形の後塵を拝している石井も何度か、
花形抹殺の方法を相談したことがある。

そんなある日、当の本人が通りかかった。

「おい、おれを殺る相談か。
 いっておくけどハジキじゃ、おれは殺れないぜ。
 殺りたかったら、機関銃をもってこい、機関銃を」

話の中身を聞かれたはずもないのに、
花形はそう、言った。
花形の察しの良さに気勢はそがれて
話は立ち消えになったが、
現実に花形をマトに掛けた石井にとっては、
花形のそのときのセリフが耳の奥底から甦った。

殺った、と思った花形が生きて、自分を捜している。
その事実を聞いて、石井はまさに生きた心地がしなかった。

撃たれた当の花形は銃声を聞いて
飛び出してきたバーテンの肩を借りて
タクシーに乗り込み、渋谷区役所横の
外科病院に向かった。

花形の傷は左手の第二、第三指骨骨折と
左脇腹の盲貫銃創で全治四ヶ月で、
当然入院となった。

しかし、いったん病室に収まった花形は
看護婦の目を盗んで病院を抜け出し、
石井らが潜んでいそうな場所をさまよいだした。

あげく、石井らが見つからない、
となると朝鮮料理屋に入り込んで
コップ酒をあおりながら焼肉を三人前ほどたいらげ、
夜が白むころになると女を呼び寄せて
旅館に泊まりこんだ。

翌朝、事務所で事件の報告を受けた安藤は
花形を呼び寄せた。

「いったい、なにが、あったんだ」

「いや、ちょっと――」

左手に包帯をグルグルと
巻きつけた花形は何も語らない。

以下は本田氏の著書による安藤昇の述懐である。

「ハジキで撃たれたんだから、
 ふつう病院のベッドから動けないでしょう。
 それを花形は夜っぴいて歩き回ったあげく、
 酒くらって女を抱いてた。
 化け物だね。おれがいくら聞いても何も言わない。
 そのうち、やつのズボンのすそから
 弾がポロッと落ちてきた。
 考えられないでしょう。
 おれもいまだにワケがわからない。
 どういう、あんばいになってたのかね」

推測するに、これが内臓を損傷させての
貫通銃創だったら、いくら花形とはいえ、
出血多量で死んでいたであろう。

おそらく発射された弾丸の入射角度が浅く、
脇腹にとどまっていたため、
何かの拍子で自然排出されたのではあるまいか。

いずれにしろ、そのままでは身内同士の
殺し合いになりかねない、
とのことで安藤が石井に三ヶ月の謹慎を申し渡して
この件は一応、落着する。

花形はろくすっぽ病院に通わず、
左手にすっぽり空いた穴を
若い衆に赤チンを塗らせてとうとう治してしまう。

花形のふるまいは尾ひれがついて広まり
「ヤツこそ不死身だ」として
人気はいよいよ高まってゆく。

自首した石井は裁判で懲役七年の求刑をうける。

傷害などの前科があるうえ、
今回は殺人未遂なので
保釈は無理だろうと覚悟していたが
意外にも保釈申請が認められる。

そのことは石井にとっては嬉しい誤算であったが、
果たしてシャバに戻ったその日に
彼は花形から呼び出しをうけることになる。
【89】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月10日 16時50分)

【謀 反】

昭和32年(1957)年四月、
花形敬は先の傷害罪での八ヶ月の刑が確定し、
長野刑務所に服役、これで生涯における
前科二犯目となった。

出所した花形は所帯をもった石井のアパートに
夜な夜な、酔っ払ってやってくるようになる。

六畳間の中央にあぐらをかいて
大仰にタバコをくわえ、
連れて来た若い衆にマッチを
すらせているうちはまだいいが
「酒を出せ」とわめいて
一升瓶からラッパ飲みするかと思えば
「美代子、おかゆを作れ」と、
石井の女房を呼び捨てにして、言いつける。

あまりに深夜の乱入が多いので、ドアに鍵をかけ、
夫婦で息を殺していると、
花形は土足でドアを蹴り破ってくる。

妻は完全なノイローゼになってしまった。

石井の花形への憎悪が日に日に募っていった
昭和33年(1958年)二月十七日深夜、
石井の配下の牧野昭二が理由もなく、
花形に殴られるという事件が起きる。

牧野は石井が花形に敵意を抱いていることを
知っていて、殴られるとその足で
石井のアパートに向かい
「敬さんを殺らせてくれ」と訴えた。

堪忍袋の緒が切れた石井は
ついに花形敬の抹殺を決意し、
ブローニング32口径拳銃を用意した。

かたわらから妻の美代子が尋ねた。

「あんた、敬さんを殺って、何年入ってるの」

「だいたい、十年ぐらいのもんだろう」

「お願い、私のことを思うなら、敬さんの下にいて我慢して」

「そんなこっちゃ、この世界では生きていけないんだ!」

夫を止められないと知って美代子は泣きじゃくった。

石井から拳銃を受け取った牧野は
花形が飲んでいたバーの前で張り込んだ。

午前三時すぎ、店から出てきた千鳥足の花形を尾行し、
すっかり灯の消えた宇田川町の飲み屋街で後ろから声をかけた。

「敬さん・・・」

青白い疵だらけの顔が振り向いた。

細い目は深い酔いで焦点が定まらないようだったが、
向けられた銃口にはすぐに気づいた。

「いったい、なんの真似だ、それは」

ドスの効いた低い声に動じた気配はない。
恐怖にかられたのは道具を
手にしていた牧野の方だった。

身体を正面に向けなおした花形が
一歩、一歩迫ってきたからである。

撃たなければ、殺される。
牧野は夢中で引き金をしぼった。
しかし、弾は花形をそれた。

「小僧〜、てめえにゃ、俺の命はとれないぞ!」

花形は逃げようともせず、
左手を広げて前へ突き出し、
なおも牧野との間隔を詰めにかかる。

後ずさりしながら、牧野は二発目を発射した。

弾は左手を射抜き、衝撃で花形の長身が半回転した。
三発目が左の腹部に命中。
さしもの花形もその場に崩れ落ちる。

「やりました!」

息せき切って石井の待つ食堂に駆け込んできた牧野を迎えて石井は叫んだ。

「やったか!」

これでやっと枕を高くして眠れる。
石井が安堵の胸をなで下ろしていると、
花形の動性を探らせていた若い衆が
血相を変えて現れた。

なんと、撃たれた花形は死んだどころか、
石井の居所を捜し求めて渋谷の街を
うろついているという。

天国から地獄とはこのことか。
石井は顔面から血の気が引くのをはっきりと感じた。
【88】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月05日 16時04分)

【無 命】

昭和31年(1956年)六月五日午前一時ごろ、
刑期満了で出所したばかりの花形敬が
宇田川町を石井と飲み歩いていると、
たまたま刑務所で一緒だった王宗信という
中国人に声をかけられた。

「おい、花形」

「てめぇ、花形とはなんだ。ナカとシャバとじゃ、違うぞ」

いうなり、花形は一発で王を殴り倒す。

脳震盪を起こした王は動かなくなった。

「やばいぞ」

石井は花形を引き立ててその場から逃げた。

しかし、まもなくパンチで切れた唇を
ハンカチで押さえた王が
警官と捜し歩いているところに出くわし、
花形は逮捕される。

この傷害事件の裁判の係争中、
安藤組は地元の武田組と一触即発の危機を迎える。

昭和32(1957年)3月10日午前零時ごろ、
安藤組組員二人が酔っ払って
武田組配下の屋台を壊したのをきっかけだった。

二人はすぐに武田組の事務所に連行される。

これを知った安藤は宇田川町のバー「地下街」で
花形、石井らと相談してことを穏便に解決しようと
幹部一人を武田組に謝罪に出向かせた。

ところが、この幹部がなかなか、戻ってこない。

後にわかることだが、彼も武田方に監禁されて
暴行を受けていたのである。

午前一時ごろ、安藤らが待機していた
「地下街」に武田組配下の二人連れが顔をのぞかせた。

これを石井が武田組側の偵察と見咎め、
奥まった席に連れ込む。

「武田組とのもめごとが片付くまでここにいてもらいたい」

安藤はいざというときの取引材料にしようと、
二人にビールを勧めながら言った。

夜が明けたころ、やっと幹部らが帰ってきたため、
安藤も武田組の配下二人を解放、
両勢力の衝突は回避された。

ところが四月四日になって、
花形敬は単身、武田方に乗り込んでゆく。

監禁されていた者たちが残していった衣類を返せ、
というのが表立った理由だったが、
寸前のケンカがうやむやになったのが
面白くなかったのであろう。

相手が衣類の返還に応じないとみるや、
いきなりその男の横っ面を張り飛ばして引き揚げた。

その夜、自宅のアパートで
新婚間もない妻と寝ていた石井は、花形に起こされた。

「どうしたんだい?」

尋ねた石井に花形は鼻息荒く
「いま、武田のところに一人でいってきた」という。

「で、やられちゃったのか」

「バカ、なんで俺がやられなくちゃいけねぇんだ。
 武田の親父、震えてたよ」

石井はあわてて起き出した。

せっかく、武田組との揉め事が
丸くおさまりそうになっているのに、
寝た子を起こすようなものではないか。

この騒動は結局、安藤昇が調停に奔走し、
手打ちとなったが、
一人不機嫌な花形は武田の実子分を
渋谷駅裏の飲み屋街で殴り倒した。

昏倒した相手はしばらく路上に伸びていたが、
気が戻ると「覚えてやがれ」と捨てゼリフを残して逃げ出した。

「覚えてやがれ、って何をおぼえていりゃいいんだ。来やがったら、また一発よ」

この世界では弱い者はまず、殺されない。

自ら恃むものほど命を落しやすい。

しかし、正真正銘こわいもの知らずの花形は、
そのことに気づかぬまま、だった。
【87】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月05日 15時59分)

【力道山】

本多氏の著書の中で花形敬とプロレスラー・力道山とのエピソードがある。

最初の出会いは力道山がバーの用心棒をしていた
昭和30年(1950年)暮れ、となっているが、
その時期、花形は宇都宮刑務所で服役中であり、
また、力道山自身もレスラーとして人気絶頂のころであるから、おそらくプロレス興行が
本格化する前の昭和28年前後ではあるまいか。

昭和27年(1952年)ごろから、
宇田川町の区画整理が始まり、
拡幅された道路沿いはビルの建設ラッシュとなった。
多くは一階に喫茶店、バー、クラブなどの
飲食業が入り、経営者は安藤組に「みかじめ」を納めるのが半ば強制的なしきたりになっていた。

そうしたビルの一角に
「純情」というキャバレーがオープンした。

安藤組への挨拶がない、
ということで開店の当日出向いたのが、花形敬である。

マネージャーに経営者を呼ばせたところ
出てきたのが力道山だった。

「何の用だ」

「てめえに用じゃない。ここのオヤジに用があるんだ」

「この店の用心棒は俺だから、話があれば聞こう」

「ここをどこだと、思ってるんだ。
てめえみてぇな野郎に用心棒がつとまるか」

花形に野郎呼ばわりされて
力道山がこぶしを震わせ、顔面が朱に染まった。

その鼻先に花形は疵だらけの顔を寄せ、
細い眼を光らせる。

数秒のにらみあいが続く

「中に入って飲まないか」

折れて出たのは力道山だった。

店内には取り巻きのプロレスラーが
とぐろを巻いていた。
花形は彼らのテーブルをひっくり返し、
翌日の午後三時に銀座・資生堂のパーラーで
話をつけることを一方的に申し渡して引き揚げた。

当日の定刻少し前に、東富士をはじめとする
元力士のプロレスラー五人がパーラーにやってきた。

「昨夜は失礼いたしました」

東富士が花形敬の前に座った。

「力道はどうしたんだい?」

「それが・・・・」

東富士が口ごもり、汗をぬぐいながら

「どうしても・・・行く必要はない、と…」

「よし、わかった!」

そのとたん、五人のプロレスラーの脇腹に
拳銃の冷たい銃口がぴったりと押し付けられた。
彼らは反射的に両手をさし上げた。

「手を下ろすんだ。お前さんたちがヘタな真似をしなき ゃ、音は出さねぇ・・・・
 力道が来るまで、身体をかしてもらうぜ。
 わかったかい」

さすがのレスラーたちも、まさか銀座のど真ん中で
拳銃をつきつけられるとは予想だ、にしていなかった。
東富士が再度、使いとなり力道山が
「今後、いっさい用心棒をしない」と詫びをいれ、
決着する。

力道山はその後、安藤組には一目おいて
付き合いを始めるが、
ある夜、赤坂のナイトクラブで
花形敬らの一行と席を同じくした。

そのころの力道山は人気絶頂であったが、
安藤組の一人がからみだした。

力道山は酒癖が悪く、飲んだら
気が短くなることで知られていた。

爆発寸前の怒りを抑えていた
力道山が花形に耳打ちした。

「敬さん、もし、おれがこの男と
 ケンカしたらどっちにつく?」

「おれ、どっちにもつかないよ」

その返事を聞いたとたん、
力道山の頭突きが男の顔面に炸裂し、
男はフロアに昏倒した。

力だけだったら、プロレスラーの力道山が
花形にかなわない道理はない。

しかし、どんなことがあっても
相手を屈服させずにおかない意思力を
ケンカの場における度胸で量る、とすれば
花形敬は超一流の度胸の持ち主だった。

スポーツの格闘技とケンカは別物である。
前者は肉体と技で後者を上回り、
後者は闘志で前者を上回る。

初対面のときから、力道山は花形敬に
「呑まれてしまっていた」のであろう。
【86】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月03日 11時46分)

【服 役】

花形敬が宇都宮刑務所に収監されたとき、
傷害罪で一足早く、入所していた弟分の飯島四郎は
ちょうど刑務所内でケンカ沙汰を起こし、
懲罰のため独居房に入れられていた。

「今日、花形敬が入ったぞ」

担当看守に教えられて、
飯島は隣の房へ格子越しにささやいた。

「花形敬というのが入ってるはずだから、どこにいるか、聞いてくれ」

小菅の拘置所から送られてきた受刑者は
必ず初日は独居房に入れられる。

房から房へと伝言が送られて、
花形は飯島の房から五つ先にいることがわかった。

飯島は二週間の懲罰があけて、
作業場で花形と顔を合わせた。

「敬さん、ここへくりゃ大丈夫だから任しといて、仕事なんかしなくていいから」

作業は幼稚園児用の写生板を作りだったが、
仕上げの担当だった飯島は
昼休みがくると花形の机の下に
一日のノルマ分をこっそり置いてやった。

そのうち看守を抱きこんで、
花形を作業が楽な集計係りへと回した。

やがて飯島は刑期が終わりに近かったので、
福島県内のダム工事現場に送られる。

洗濯場で働いていると、
食事はム所に比べると格段にいいし、
石鹸などのもらい物も多い。
清潔な下着やジャンパーの着用ができる、
という特典もあった。

暖房のない刑務所は冬になると
歯の根が合わないほど冷え込むので
この「余禄」はばかにならない。

ここでも飯島は自分の後釜に花形を入れるよう、
刑務官に根回しした。

翌30年(1955年)石井も
傷害で六ヶ月の刑を受け、
花形敬と同じ宇都宮刑務所に服役する。

たまたま花形と石井は同じ棟に収容され、石井は二階、
花形は階下の出入り口に近い房に入っていた。

階段を下りてきた石井が初めて花形の姿を認めたとき、
彼は声をかけようとしてやめた。

花形は石井に気づきながら
すっと横を向いたからである。


渋谷での花形を見ている石井には、
花形の真面目な服役ぶりが誇張ではなく、驚きだった。

あの手がつけられない暴れものが
ケンカ沙汰ひとつ、おこさず
黙々と「つとめ」をこなしていた。

刑務所内での作業のあと、
二級印をつけた模範囚の花形は
いつも机に向かって本を読んでいた。

俗に言う「ションベン刑」を終えた石井は
花形よりひと足先に出所する。

手が付けられないくらい暴れているときの花形と、
真面目に机に向かっている花形のどちらが本当の姿なのか
石井にはついに分からないまま、であった。
【85】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月03日 11時41分)

【下 獄】

昭和27年(1952年)安藤組は宇田川町に
「東興行」の看板をあげる。
いわゆる安藤組が公然化されたのである。

安藤は「東興行」と
「安藤組」のいずれの頭文字ともとれる
「A」を浮き彫りにしたバッジを300個用意させたが、それでも足りなかった。

一説では花形と三崎の対立が引き金といわれている。

石井、花形らの分派を始め、
膨張する集団には組織的な統制が不可欠であり、
特に花形のように身内の序列を無視して
憚らない人間にはなおのこと、
タガをはめておく必要を感じたのだろう。

また、安藤組が組織として旗揚げしたことは
外部にむけての示威を意識したことはいうまでもない。

それは当然組織の武装化への第一歩であった。

安藤は金が入るたびに御殿場の米軍基地に出かけては武器を集めた。
最終的に50挺を超える拳銃は
殺傷力の高い45口径に統一した。

型をそろえておけば弾の仕入れが面倒でなく、
いざというとき、
組員が相互に弾倉や弾を融通し合える利点がある、
という安藤らしい合理性だった。

さらに散弾銃、ライフル、
カービン銃なども買い込んだ。

その年、花形敬は初めての懲役を経験する
傷害致死事件を引き起こす。

五月七日午後十一時ごろ、
花形敬が仲間の佐藤昭二と
宇田川町のサロン「新世紀」前を通りかかると
日系ロシア人の通称「ジム」という男が
飲食代を巡って「新世紀」の経営者を
足蹴にしている場面に出くわした。

ジムというのはどこの組織にも属さない一匹狼で、
キャッチ・バーを経営している札付きのワルだった。

日ごろから目障りな男だけに、二人は割って入った。

だが、ジムは引き下がらない。
佐藤が足払いを掛けて投げ倒し、
花形が蹴飛ばして引き揚げた。

激昂したジムは自宅に戻るや、
情婦の女ヤクザと日本刀を持ち出して
再び宇田川町へ出る。

日付が変わった午前一時ごろ、
二人は花形と佐藤と出くわす。

ジムはいきなり、日本刀の鞘を払って斬りかかった。

佐藤がジムの両腕を押さえていると、
情婦がハンドバッグをさぐるような手つきをした。

とっさにピストルを出そうとしていると判断した花形は彼女を殴り倒した。

前後して、佐藤がジムを路上に押さえつけ、
花形は日本刀を持っているジムの右手を踏みつけて左足で頭を蹴り上げた。

このケガが原因でジムは破傷風にかかり
十二日後に死亡する。

花形と佐藤は東京地裁で懲役三年の判決を言い渡され「正当防衛」を理由に控訴する。

しかし、実際には情婦はピストルを所持していなかったため、この主張は退けられ
昭和28年(1953年)九月十六日、控訴は棄却された。

花形はこの傷害致死事件の一審判決後の保釈中にも
脅迫事件を起こしており、
29年(1954年)二月九日、宇都宮刑務所に下獄する。
【84】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月02日 14時38分)

【振り子】

花形と石井が罰金を払って
渋谷署から釈放されたのは、
クリスマスイブの夜だった。

「石井よ、今から三崎のところへ行って20万ばかり、巻き上げようじゃないか」

いきなり、花形がもちかけた。

「敬さん、そりゃよした方がいいよ」

三崎というのは安藤の舎弟では最古参の一人で、
安藤から譲られたバーの経営をしている。
しかも、その店には、
花形と石井の双方の女が働いていた。

なにかと恩義のある先輩を脅すのは、いかにもまずい。

「かまわねえよ。あの野郎、
 ゼニばかり残しやがって――」

花形がいったん言い出したら石井には止められない。
仕方なく三崎が経営するバーへ同行した。

「おい、三崎いるか」

花形はボーイに向かって先輩を呼び捨てにした。

不機嫌そうに出てきた三崎にむかって、
花形は横柄な口をたたく。

「おい、ゼニ貸せ」

「ゼニなんかないよ」

「何をこの野郎。しこたま儲けやがって、
 ないわけねぇだろう」

三崎は我慢していたが、後輩に野郎呼ばわりされて
頭に血がのぼった。

「よおし、てめえの料簡がわかった。そういう考えなら 上等だぞ」

三崎は血相を変えて表へ駆け出した。

ステゴロでは到底かなわないから、
自宅に道具をとりにいくつもりだったらしい。

「大変なことになった」石井にはそう見えた。

花形の動きは俊敏だった。
なんせ、元ラグビーのフォワードである。
あっというまに三崎に追いつくと
襟首をつかんで振り回した。

三崎は電柱にしがみついて
「勘弁してよ」と泣きをいれる。

「てめぇ、ケンカもできねえのか」

花形の怒りに火がついた。
駆けつけたのがバーで働いている花形の女である。

「あんた、なにやってるの、やめてちょうだい!」

女にとっては、相手は安藤組内では花形の先輩であり、自分にとっては店のマスターである。
この場合は三崎の側につかなければならない。

ところが花形はすがりつく女の下腹部を蹴り飛ばした。
道路に伸びた女を介抱したのは石井である。

「敬さん、いくらなんでも、ひどいじゃないか」

失禁している女に花形が気づいて、
その夜の騒ぎはなんとかおさまった。

年が明けて再び石井と花形が旅館で
札遊びをしているところへ
バー勤めを終えたそれぞれの女が
連れ立って迎えにきた。

「待ってろ」といわれて二人は階下にいたが、
バクチだけになかなか終わらない。

「女同士でやってましょうか」

二人が花札を繰り始めてしばらくすると、
またしてもガサ入れをくった。

今度はお互いの女同士が賭博の
現行犯で渋谷署にしょっぴかれる。

「ブタ箱に入っちゃったもんはしょうがねえじゃないか」
と石井がなだめても、
あれだけ暴力をふるった花形が
毛布を買い込んで差し入れに通う。

果ては「女を出せ、俺を代わりに入れろ!」
とわめきだす。

刑事が「そう、ムリいうな」となだめると、
花形は「大事にしとけよ」と言った。

石井にはますます、
花形の人間性がわからなくなってゆく。 
【83】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月31日 16時51分)

【分派】

花形敬の安藤組加入の話は、
またたくまに暗黒街を駆け抜けた。

安藤の古い兄弟分は
「あんな凄ぇのを舎弟にしたら、
 安ちゃん、お前の身が持たないぞ。
 だいいち、あれだけの暴れん坊を
 押さえきれないだろう」
と忠告した。

安藤の花形評は本多氏の著書によると以下である。

「ケンカの強さといったら、
 当時の渋谷じゃ、かなうものがなかった。
 強いっていうか、短気でいったん、
 おっぱじめたら、もう、誰もとめられない。
 誰彼かまわず、ぶっとばす。
 とにかく酒癖が悪いから、飲んで暴れだしたら
 相手が親分クラスでも怖いものなし、なんだから。
 それでいて、シラフのときは
 柄にない繊細な字を書く。
 丁寧で印刷されたようなうまい字だった。
 細かい神経があるんだろうな。
 向こう見ずの図太い神経と繊細さが交錯していて、
 ときどきそのバランスがー崩れるんだろう。
 だけど俺が『おい』といえば、わかるんだから
 あれは酔いに便乗して、やってたんじゃないかな」

そういう花形を身内に抱えてはらはら、したことはないのだろうか。

「それはないですね。あのころは僕ら自体が
 ムチャクチャやってたから。
 とにかく、ケンカして相手を
 潰してしまわなければメ シにならない。
 シマ内の渋谷はもちろん、
 新宿でもどこでもケンカの種をまいておいて
 花形らが押しかけていって、バーッと潰しちゃう。
 俺たちはいろんなことやったけど、
 悪いことやってる意識はないわけよ。
 相手にしているのがヤクザ者だから、
 悪いヤツをやっつけている意識でね」

 
つまるところ、賭場の揚りで飯を食ってきた戦前の博徒組織と違って、愚連隊がギャング化したような
「安藤組」にとっては、花形敬のような
ハチャメチャな男は敵に回せば
これほど厄介な男はいない。
裏を返せば身内にとり込めばたいへん、
頼りになるコマだった。

ヤクザ稼業から、その後俳優業に転身した
安藤ならではの計算高い思慮があったのだ。

花形が安藤組に加入した翌年の昭和26年(1951年)、番頭役を任されていた旅館の一室で
仲間数人とヒロポン注射を打っていた石井は
安藤に現場を押さえられ、木刀で制裁をうけ、
旅館から追放されてしまう。

それからの石井は安藤が出没する渋谷の宇田川町を避け、大和田町に入り浸る。
これをきっかけに安藤組は次第に
「大和田派」「宇田川派」に分かれていった。

安藤は先の小粋なバー経営のほか、
洋品店を開いたりしていたため、身なりにうるさく、
取り巻きには背広を着用させ、自身は高級スーツで靴は顔が映るぐらいピカピカに磨かせていた。
親分がそうだから、舎弟たちも見よう見真似で垢抜けた服装を心掛けるようになる。

そこへいくと石井ら大和田町に集まってくる連中は
テキヤの若い衆とか闇タバコの売人とかが多いから
シャツのすそをズボンの外に出し、下駄履き、
鉢巻に爪楊枝をくわえるといった
愚連隊の風采が目立つ。

町自体が宇田川のように洒落たバー、カフェ、レストランなどほとんどなく、一杯飲み屋や食堂ばかりである。

元々、石井の肌には気取らない
大和田町の方が性に合っており、
石井は地元の小さな組と渡りをつけて
新規に開店するパチンコ店の景品買いを始める。

石井の勢力はたちまち百人を超える勢力となった。

その年の暮れに石井はヒロポン買いをしていた
組仲間のマーケットの飲み屋で
花形敬と札遊びをしているところを
所轄に踏み込まれ、二人そろって、
渋谷署に放り込まれた。
【82】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月31日 13時43分)

【花形加入】

昭和25年(1950年)夏、
安藤昇は鎌倉海岸でカキ氷屋を開業、
その儲けで渋谷にバー「アトム」を開店させる。

店内改造のため、大工や作業員の手配を
担当したのが石井である。

「アトム」は周りに数十軒あった
キャッチ・バーと違い、
粋好みの安藤が設計から室内装飾にまで
細かく注文しただけに渋谷には珍しい
洒落た雰囲気の店だった。

石井は「アトム」の二階に寝泊りする代わりに
昼前に店内の掃除が終わらせ、
営業時間の午後四時前には店を出て、
閉店までを外で時間を潰さねばならなかった。

夜明け前にやっと、店に戻り、
布団に潜り込んでいると、
午前9時ごろには安藤と物資の取引をしている
日系二世たちからの電話が鳴り始める。
いつも寝不足でふらふらしていた石井は
安藤の眼をかすめてヒロポンを打ち、
女遊びにふけっていた。

石井がいちはやく、安藤組に参加したのに対し
花形敬はまだ誰の庇護もうけず、
おのれの腕力と胆力だけを頼りに
渋谷を我が物顔でのし歩いていた。

すでに花形敬の名は界隈で知らぬものはなく、
通りを歩けばバーや飲食店から
「寄っていってください」と声がかかる。

金はなくとも、飲み食いには困らないのである。

やがて石井は安藤が乗っ取った旅館の番頭をまかせられる。バーの住み込み暮らしから、
解放され、主気取りである。

こうなると、さすがの花形敬も黙ってはいなかった。

まもなく石井の居所をかぎつけた花形が
酔っ払って姿を現す。

「おい、石井、てめえ、こんなところにいやがったのか」

石井が不快を殺して応対していると、
花形は言いたい放題、やりたい放題である

「久しぶりに会ったというのに、愛想がないじゃないか。
何か冷蔵庫の中のものを食わせろ」

「だめだよ。あそこに入っているのは、お客さんに出す売り物なんだから」

「うるせえ」

花形はそういうなり冷蔵庫から当時はまだ貴重なハムを
一本丸ごと取り出すと大口を開けてかぶりつく。

「敬さんよ、俺は安藤昇のれっきとした舎弟なんだぜ。
 俺はあんたと古い友だちだから我慢するとしても、
 ほかの連中が見たら、ただじゃすまなくなるから、
 止してくれないか」

そんな脅しとも哀願ともつかぬセリフに
聞く耳を持つ花形ではない。

「バカ野郎!それがどうした、
 安藤でも誰でも呼んでこい。
 やってやろうじゃないか」

どうしようもないのである。

「おーい、石井、泊めろ」

酔っ払っては、押しかける花形に石井は
ホトホト手を焼いていた。

そんなある日、安藤昇が
旅館の一室で石井ら舎弟と
お茶を飲んでいた。

そこに花形は廊下を足音荒くやってきて、
いきなり乱暴に襖を開いた。

「石井、この野郎、こんなところで何やってるんだ」

その場の中心にいるのが安藤であるのを察しながら、
わざと無視して居丈高な物言いである。

石井はあわてて、安藤に花形を紹介した。
花形は軽く会釈しただけで石井にからみはじめる。

「お前、俺と相談なしに安藤さんの舎弟になりやがって。お前だけじゃない
 昔のつきあいがある連中、みんな、そうだ。
 この野郎、いったいどうしてくれるんだ。
 俺だってさびしいぞ」

そう言われれば、花形を煙たがっている石井にも
心情が理解できる。
今や渋谷の街で花形を見かけたヤクザは
かかわりを怖れてさっさと道を開ける。

わさわざ、寄ってくる物好きはいない。
突っ張っている分にはそれで満足なのだが、
遊び歩くとき仲間がいなくてはつまらないのである。

なにぶん、花形敬もまだ二十歳であった。

石井はどの道、同じ渋谷にいて花形とつきあわないわけにはいかないのだから
舎弟に加えるよう、安藤に頼んだ。

「ああ、いいだろう」

左頬に15センチの傷をもつ安藤昇。
心と顔に無数の疵を持つ花形敬。

アナログ時計が時を刻むようにして
戦後の渋谷を牛耳る二人の男が結ばれた。
【81】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2015年04月12日 09時47分)

【安藤組】

アプレゲール(戦後派)のセイガクやくざの
典型として名を売った安藤昇が
銀座や新宿を徘徊し始めたのは
昭和21年(1946)年の初めである。

ちょうど花形敬と石井福造が顔を会わせたころで
安藤昇は法政大学予科の一年であった。

安藤昇は大正15年(1926年)新宿東大久保の
平凡な会社員の長男に生まれたが、
中学時代から不良グループのリーダーとなり、
二度にわたり、少年院に送られた。

昭和18年(1943年)予科練に志願し、
三重海軍航空隊に入隊、一年半の訓練期間を経て、
本土決戦用の「伏龍特攻隊」に配属された直後、
終戦を迎える。

明日をも知れない命を拾った安藤は
新宿で中学時代の不良仲間と再会すると、
愚連隊や朝鮮人を相手にケンカ三昧にあけくれ
「セイガクやくざ」として知られるようになる。

昭和22年(1947年)進駐軍のPX(酒保=軍専用の百貨店)勤務の下士官と知り合い、
タバコ、洋酒、食料品、衣類などの
闇物資の横流しで荒稼ぎを始める。

そのころの新宿は西口に安田組、
東口に尾津組、和田組が構え、
マーケットを広げていた。

さらに新宿二丁目方面には河野一家、
博徒の小金井一家があり、
こうしたヤクザ地図のはざまに
朝鮮、台湾の不良グループや愚連隊がひしめいていた。

戦時中、軍部、右翼と手を結んで国策に協力した
博徒たちは旧体制の崩壊とともに
鳴りをひそめざるを得なかったのに対し、
戦後いち早く闇市マーケットの経営に乗り出した
テキヤたちは、莫大な利益で勢力を拡大させていた。

商才にたけていた安藤は、
闇物資でひと山当てると銀座や新宿に比べ
盛り場の伝統をもたない渋谷に眼をつけた。

当時の渋谷は若者たちの遊び場にすぎなかったが
、安藤はここで不良学生を片っ端から誘い込み、
後に総勢500人という大組織「安藤組」を結成する。

トレードマークの左頬の15センチにわたる傷は
法政大学を中退した昭和23年(1948年)ごろ、
朝鮮人系ヤクザに斬りつけられた、といわれている。

国士舘を中退し、渋谷をのし歩いていた花形と石井。

先に安藤と知り合ったのは石井である。

道玄坂を不良仲間と歩いていると
上下揃いのスーツをパリッと着て、
ソフト帽をハスにかぶったヤクザ者を見かけた。

「ちょっと挨拶してみよう」

石井は連れにそういうと、男の前に踏み出た。

「こんにちは」と頭を下げると男は気軽に応じた。

「おお、お茶でも飲むか」

喫茶店に連れて行かれ、
石井は生まれて初めてコーヒーを口にした。
石井が話しのきっかけがつかめず、
連れとモジモジしていると、
男はゆったりとコーヒーを飲み終えると

「あとから飯でも食え」

と小遣い銭まで与えて立ち去った。

「すげぇな。いったい、どこの親分だろう」

今、売り出し中の安藤昇と知ったのは、
まもなくのことで、舎弟を通じて
「うちに来ないか」と誘われる。

石井はこれでいっぱしのヤクザになれると思うと
二つ返事で承諾した。

安藤組は旧来のヤクザ組織と違い、
親子の盃などという堅苦しい上下関係がなかった。

安藤昇をトップとしてあとは全て「弟分」である。

刺青を嫌い、指詰めなどの制裁はなく、
背広の着用を励行させた。

よくいえば自由闊達、悪くいえば
こんなルーズなヤクザ組織など
戦前は考えられなかった。

安藤は組員をぶらぶら遊ばせることはせず、
必ずシノギをもたせた。
ただし、ヒロポンなどの密売は厳禁だった。

アプレゲールの安藤にとってはヤクザ稼業も
時代に呼応したビジネス、といった考えだった。
【80】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2015年04月12日 09時45分)

【退学】

花形の呼び出しが何を意味するか、
覚悟を決めた石井は自分の配下、
一人を連れて境内に入った。

そこには大木の松の根元に大股を広げて座り、
外した眼鏡を右手にかざして
斜めに構えている花形敬がいた。

周囲には見知らぬ顔も混じえた十数人が固めている。

花形の眼が細くなり、
腹の底から搾り出すような怒号がとんだ。

「石井〜、てめえ、弱いものいじめばっかり、やってんじゃねえぞ!」

石井が連れてきた配下はすでに花形の迫力にぶるって
石井が口を開く前から
「勘弁してください」と泣き出す始末だった。

花形が本気になったときのケンカの現場を
何度も見てきた石井は
立ち向かっていこうとせず、ただ、黙っていた。

花形の取り巻きの一人は
学生どころか新宿のヤクザの下っ端で
塩酸の瓶のふたを開けて

「おい、石井、こいつをぶっかけてやろうか」

と言って、石井の前を行ったり来たりする。

どうなるのか予測もつかず、
なるようになれ、と石井が腹を据えた矢先、
「待て!」と大声がして境内の四方から
私服刑事が一斉に飛び出してきた。

学生たちは蜘蛛の子を散らすようにして逃げ出した。
助かった嬉しさで石井も懸命に走った。

ところが校舎の床下に隠れていた
石井のところに仲間がきて
「敬さん、捕まったよ」という。

花形に勝てないまでもNo.2の地位にいる石井である。

番長一人を残して逃げたとあってはしめしがつかない、
という気迫から石井は現場に戻り逮捕される。

連行された世田谷署の刑事部屋には
すでに花形敬がいた。

「おい、花形ってのはスゲぇなあ」

刑事の一人が石井に呆れた口調で話しかけた。

話によると一人だけ逃げ出さずに仁王立ちしているのがいたから
「花形はどこだ」といったら
「俺が花形だぁ!」と怒鳴り
「ドス、持ってるか」と聞いたら
「これだぁ!」と地べたに付き立てて、いたという。

署に連行しても「どうにでもしろぉ!」
と言うだけでふんぞり返っている。

「こんなのが中学生にいるのか、と思ってびっくりした」という。

刑事の話では渋谷の盛り場で
補導した国士舘中の一人から
「近々、花形が石井に呼び出しをかける」
という情報を得たので
数日前から張り込んでいた、という。

花形と石井は世田谷署に一晩留置されたが、
まだ中学生ということで釈放され、警視庁に調書をとられるため通った。

現代の感覚からすると、
たかが中学生のケンカに
所轄の刑事課が張り込む、
というのは非現実的だが、
当時は警察といっても
拳銃の携行が行き届かず、
武装した朝鮮人系ヤクザたちに手を焼いていた。

せいぜい、盛り場を徘徊している
不良少年を摘発するぐらいしか、
治安維持の術がなかったのである。

この一件が学校に知られ、
花形と石井は国士舘中学を退学になる。

二人はいよいよ渋谷で専業アウトローへの道を歩き始める。
【79】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月24日 11時31分)


【番長街道】

昭和23年(1948年)花形敬は千歳中学を
自主退学する。

校内での喫煙がばれての停学処分が
きっかけ、といわれているが
転校先が石井のいる国士舘中学とあっては、
その心境は十分に推測できる。

花形は内なる虎に追い立てられるように暴力の世界へとひた走る道を選んだのだ。

花形の転入で大いに迷惑したのが他ならぬ石井である。

裏山の一件で貫禄負けした石井は
番長の座を花形に譲り、
自分はNo.2の地位に甘んじなければならない。

その年の秋である。

石井は女学校の不良少女に声をかけられ、
花形と連れ立って学園祭にでかけた。

石井が目当ての女を捜しているうちに
花形が明大予科の三人連れにケンカを売られた。
花形はそのころ、すでに180センチを超える体格で、いやでも目立つ。

石井が花形に近寄ると花形はわざとらしく
「石井ちゃんはいいから。女の子でも見てなよ」と軽口をたたく。

取り囲んだ明大予科の三人が校庭の隅に花形を連れて行こうとした瞬間だった。

花形は両足を開いて腰を入れると上体をひねりこんで
身近な一人に右のパンチをとばした。

フック気味のパンチがスクリューして
アッパーカットとなり、
アゴにまともにくらった男は
この一発でひっくりかえった。

驚いた二人を花形はジャブで追い込むと、
左右のストレートですっとばした。

「大学生三人を相手に中学生の花形が
 やっつけるのに一分とかからなかった。
 何秒ですよ、ほんの何秒」

初めて目の当たりにした花形のパンチの破壊力に改めて石井はドギモをぬかれた。

たまたま、その場に居合わせた国士舘専門部の学生が花形にすり寄ってくる。

「とんでもない野郎だ」

長々と伸びている三人を足蹴にしようとして、
逆に花形に制される。

「もう、いいですよ」

このケンカで花形は国士舘での番長の座を
不動のものとすると
石井と連れ立って銀座、新宿、渋谷など
都心の盛り場を徘徊するようになる。

石井はいつも花形と行動をともにしていたが、
心から服従していたわけではない。

なにせ、花形より二歳年長である。

花形はそういう石井の心理状態を敏感に読みとって
何かにつけて、いびりにかかる。

「おい、石井、あんまりいじめるんじゃないぞ」

石井が殴り飛ばして頭を踏みつけている連中の前で凄んでみせたかと思うと翌日には
「どう?石井ちゃん」
と、猫なで声で話しかける。

石井は花形を張り倒したいところだが、
どうにも勝ち目がないので
グッとこらえなければならない。

石井の鬱憤は日に日につのり、
何かと周囲に絡むことになる。

そんなある日、石井は花形から学校近くの寺の境内に呼び出しをうける
【78】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月21日 15時52分)

【殺しのタックル】

昭和21年(1946年)
千歳中学にラグビー部が創設され
そのメンバーに花形敬は名を連ねる。

16歳にして175センチ、
75キロという体格を見込まれての勧誘だった。

ポジションはフォワードのロック。

俊足の花形敬はここでステゴロの必殺技、
タックルを習得する。

後に花形と連れ立って渋谷を徘徊するようになる石井が
花形のタックルについて語っている。

ある日、石井がチンピラからカツアゲした。

街頭で靴を磨かせていると肩を叩くものがいる。

振り返った石井の周囲には十人ばかりの男がいた。

「うちの若いのが可愛がっていただいたそうで。
ちょいとそこまで顔を貸してもらえませんか」

男たちはめいめい、ツルハシ、ハンマー、
ノコギリといった道具を持っている。
土建業を看板とする組筋のものたちだった。

「靴磨いてんだ。終わるまで、待ってろ」

威勢よく言ったものの、石井もその場を
どう切り抜けるか思案がまとまらない。

通りがかったのが花形敬だった。

渋谷は安藤組のシマになりかけていた。

若いものが常時、徘徊している。
石井の窮地を見て、知らせが入ったのだろう。

「兄貴、どうしたんですか」

花形は石井をたてるようにわざと丁寧な物言いをした。

「いや、この連中が話をしたい、というもんだから」

「ああ、そうですか。じゃあ、ここは俺にまかせてください」

男たちをうながして先にたった花形は
渋谷大映裏の空き地に入っていった。

瞬間、花形の右ストレートがリーダー格の
男のアゴをまともにとらえた。

その一発で男は失神した。

あまりの花形のパンチの破壊力に驚いた一行が
四方に逃げ出すと、
その中の一人を追いかけた花形は
相手の腰に飛びつき猛然とタックルした。

「三メートルは飛んだ」と石井は言う。

地べたに叩きつけられた男の顔を踏みつけておいて
花形は石井に声をかけた。

「さあ、いこうか」

「そういうとき、花形はかっこつけないんでね。
 何事もなかったような顔してる。
 強さもさることながら、度胸が凄い。
 十人くらい、いたって平気なんだから。
 負けることなんて、
 全然考えたことないんじゃないですか」
【77】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月21日 15時48分)

【内なる疵】

生前の花形敬の顔にいくつ疵があったのか、
正確な記録はない。

花形敬を知る者の間でも
「ずいぶんあった」という
曖昧な表現しか残っていない。

私もネット上で画像検索してみたが、
顔の疵についてはいくつあるのか判別できなかった。
むしろ、その顔面の骨格に
異様ないびつさ、を感じた程度である。

石井は初対面で「すでに四つはあった」と言っている。

いったい、いつ、どのようにして、
つけられたものなのか。

「地元の不良とケンカして顔を斬られている」

「東農大の番長に斬られた、という噂を聞いた」

などの話はあるが、後に花形敬を幹部として迎える
「東興行」(安藤組)の会長、
安藤昇はこう言っている。

「あいつはマゾヒスティックなところがあってね。
 自分でつけた疵もあるはずです。
 今で言う自傷癖というやつ。
 たしか、左の頬だったかな。
 17針縫ったことがある」

花形敬は暴力の世界に足を踏み入れてから、
ステゴロを頑なに守り
ケンカに刃物を用いたことはただの一度もなかった。

その彼が例外的に生身を切り裂いたのが
自分自身に対してだったというのは、
花形敬の鬱屈した内面をうかがわせる
エピソードである。

石井福造と対面してから一年後、
16歳になった花形敬はボクシングジムに通いだす。

父・正三もシアトル時代は日本人街のジムに
所属するアマチュアボクサーだった。

しかし、その父も今は結核から病身を横たえて、
訪れが近い死を待っている。

五人の兄姉はそれぞれ、
進駐軍とのつながりから米国へ渡ったり
日系二世と結婚したりして花形家から姿を消し、
母の美以も進駐軍幹部宅の
住み込み料理人として家を出た。

花形敬は自宅の裏庭の柿の木に
砂利を詰めたサンドバッグを吊るし、
ひたすらパンチと蹴りの練習に熱中していた。

そんな花形の野獣の血は新たなスポーツとの出会いによってさらに沸騰する。
【76】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月15日 16時29分)

【ペテン帽】

昭和20年(1945年)花形敬は
千歳中学3年生の半ば(当時の旧制中学は5年制)で終戦を迎えた。

それから半年とたっていないころ、
花形敬と以後の人生において決定的な出会いを
果たすのが後の住吉一家・石井会会長、
石井福造である。

石井は昭和3年生まれであるから、
花形敬より2歳年長だが、
素行不良で当時、すでに四つの中学校を退学させられていた。

最後に編入したのが、ことケンカにかけては
無類の強さで名を知られていた国士舘中学である。

石井は繰り返す退学処分によって
同期より二年遅れの三年生だったが、
その蛮行ぶりはすでに知られていたから
さっそく、国士舘中学の番長となった。

石井は上級の4、5年生を張り倒しては
弁当を奪うなどやりたい放題である。

あまりの傍若無人に手を焼いた連中が
千歳の4年生になっていた花形敬に泣きついた。

「そうか。そんなにケンカに強いやつがいたのか。
どれだけ手ごたえのあるやつか、俺がいっちょ、もんでやろう」

そういうと花形はバキバキと拳の骨を鳴らした。

「敬さんが呼んでいるから、裏の山まで来てくれ」

いつもは石井の顔色をうかがっている一人が
横柄な口調で石井に呼び出しをかけた。

石井は相手が世田谷随一の進学校、
千歳中学の4年生と聞いて鼻で笑った。

片や国士舘といえばケンカの強さは都内に響き渡り、
チンピラ風情なら校名を聞いただけで
怖気づくほどである。

その国士舘で番長を張っている石井にとっては
千歳あたりで幅を利かせているヤツなど
物の数には入らない、という心境だった。

ところが呼び出された裏山へ登っていった石井は
花形を見た瞬間、
自分のイメージの大幅な修正を迫られることになる。

そこには石井の表現を借りれば
「これ以上はないペテン帽」を
アミダにかぶった花形敬が立っていた。

ペテン帽というのは
学帽の生地の毛足を焼いてきれいにそろえた上から
「ろう」をまんべんなく垂らし、
さらにタバコの灰を丹念にすり込み、
全体になめし革のような鈍い光沢をつけた帽子のことである。

花形のペテン帽はその上からピッチリと
アイロンがかけられ、
てっぺんから四つの鋭い角が突き出している、
という見たこともない代物だった。

「お前が石井か。俺は千歳の花形ってもんだ」

縁無しの眼鏡をゆっくりと外した花形を見て、
石井はさらに唖然とした。

右眼の上、左頬、あご、首すじ4、5ヶ所に
5〜6センチはあろうかという疵が縦横に走っていた。

一歩前に出た15歳の花形敬が
凄まじい気迫で石井をにらみつけた。

顔を合わせただけで二人の決着はついた。

立ち向かってこない石井に花形は二言、三言、
捨てゼリフを吐くと手を出さずに山を降りていった。

「俺も学生同士でしよっちゅう、ケンカやってて、
身体がでかいやつは見慣れていたけど花形のときだけは、本当にビックリした。
俺たちの言葉でいうヤクネタそのものの顔つきだった」


その石井が後に花形敬と
安藤組組長・安藤昇を結びつけ、
ともに大幹部となってゆくことなど
もちろん、当の二人は知る由もなかった。
【75】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年11月14日 14時52分)

【少年期】

花形敬は昭和5年(1930)年
東京都世田谷区船橋町の名門旧家、花形家の
父・正三、母・美以の六人兄姉の
末っ子として生まれた。

花形家はその昔、自宅から
京王線下高井戸駅前までの直線約、1.5キロを
他人の土地を踏まずに行けた、という大屋敷であった。

海軍士官を目指していた正三は
中学を卒業すると外国語学校で英語を学び、
単身、シアトルに渡った。

名門・ブロードウェイハイスクールを経て
ワシントン州立大学に合格したが、
極度の近眼となり海軍士官の道を断たれ、
現地のキャディラック・ディラーに就職した。

大正6年(1917年)父の長之助が死去し、
一時帰国した正三は33歳で美以と見合い結婚。

新妻を連れて再びシアトルに戻り、
一男二女に恵まれて順調な生活を送っていたが、
肺結核を患い、さらに当時日本人の排斥の声が高まり始めていたため
アメリカ生活に見切りをつけて帰国する。

夫妻は日本でさらに二男一女をもうける。

この末弟が花形敬である。

正三46歳、美以36歳であったが、
とりあげた助産婦が驚くほど丸々とした大きな赤子であった、という。


昭和12年(1937)年花形敬は
世田谷区立塚戸小学校に入学したが、
4年生の春、四校を統合した新設の経堂小学校に編入された。

太平洋戦争が開戦した翌年である。

この新設校では花形敬ら4年生が最上級生となり、
統合校であるために、学内のリーダーを決める確執が始まった。
といっても小学校のことであるから
、要はガキ大将争いである。

ここですでに体格が図抜けて大きかった花形敬は
取っ組み合いでライバルたちをあっさりと屈服させる。

花形敬は成績も優秀で
担任教諭から級長を命じられていたから
当時でいう「文武両道」の大将となった。

昭和18年(1943)年府立千歳中学に
合格者250人中、10番以内という優秀な成績で合格。
ここでもさっそく同期のボス争いに飛び込み、
腕力でトップの座につく。

翌19年(1944年)からは国家総動員法に基づく
中学生の勤労奉仕が始まる。

花形敬らは銃器工場に駆り出され、
小銃部品の組み立て作業に携わった。

当時の軍需工場にはどこも不良工員がたむろし、
勤労奉仕学生への陰湿ないじめが横行していた。
なにしろ、工員自身らが現場の責任者から
鉄拳制裁を受けるのが茶飯事だった。

徴兵検査を目前にした彼らにすれば中学生たちは
日ごろの鬱憤晴らしの格好の「えもの」である。

就業遅れや作業の手際が悪いと遠慮なく
中学生にゲンコツをふるう。
人気のない試射場の裏手にひきたてられ、
殴る、蹴る、の暴行を受けたものもいた。

勤労奉仕には中学校から数人の教師が
引率としてきていたが、
不良工員たちの理不尽な暴行に気づきながら
誰一人として、制止しない。

手出しをされる仲間をかばって、
とびだしていったのが
14歳にしてすでに170センチに達していた
花形敬だった。

同級生に手をあげた工員たちは
花形の腕力と胆力の前に次々と叩き伏せられた。

戦時下という不条理な社会体制に
少年ながら立ち向かっていった姿は
悪魔のキューピー・大西政寛をイメージさせるものがあるが、
大西が「道具」にその術を求めたのに対し、
花形は自身の「拳」のみで、周囲を屈服させていった。

地元の名家の生まれで負けず嫌いの性格、
それに見合う腕力に恵まれていた花形敬は
小学校時代の仲間を自分の庇護下に置くうち、
内面で育っていったボス性が中学生になっていよいよ顕著になってゆく。

そのころの花形敬は自らの名前をもじって言った。

「俺はハナが高(たけ)えんだ。何でも一番になるんだ」
【74】

ステゴロ無頼  評価

野歩the犬 (2014年10月15日 16時07分)

ヤクネタとして石川力夫をとりあげたからには、
やはり触れておかなければいけない男がいる。

戦後の東京、群雄割拠する愚連隊のなかで
ステゴロ(素手のケンカ)ではかなうものが
いなかった、と語り継がれている、花形敬である。

昭和20〜30年団の混乱期、
東京の盛り場、渋谷を足場に暴力でのしあがった、
この男は文字通り、当時の裏社会に輝いた
「花形」であり、周囲に畏「敬」される存在だった。

花形敬に関しては本田靖晴氏の著書
「疵(きず)〜花形敬とその時代」が最も詳しい。

東京都世田谷区千歳中学で
花形敬の二年後輩であった本田氏は戦後、
読売新聞記者を経て稀代のジャーナリストとなった。

この著書の中で本田氏は花形敬が暴力の世界に、
自身が遵法の枠内に吹き分けられたのは
風のいたずらのようなものである、
と表現し、花形敬が生きた時代を
「解放感に満ち溢れた戦後への郷愁」
としてつづっている。

このため、著書は本田靖晴氏、本人の「青春史」を
オーバーラップさせることによって
昭和20〜30年代のクロニクル(年代記)
としてまとめられているが、
私はここから花形敬の生涯のみを抽出してみる。
【73】

狂犬伝説  評価

野歩the犬 (2014年10月02日 17時01分)

【あとがき】

石川力夫は現役のヤクザからライターに転身した
藤田五郎の小説のモデルになり、
深作欣二監督がメガホンをとって映画化もされた。

タイトルは「仁義の墓場」(1975年、東映)

前トピはここから拝借した。

主人公・石川役の渡哲也が
凄まじいまでに堕ちてゆく破滅劇を好演していた。

なんでも深作監督は出来上がった脚本が気に食わなくて
全て自分で書き直したが、
とうとうクランクインしてもシーンがまとまらず
その日、撮影する分を書きながら撮った、という。

そのため、完成した作品はもう画のつなぎが悪く
ストーリーがバラバラになっている印象が強いが、
深作演出ならではの、全体から生み出される迫力たるや圧倒された。

その昔、現役だった人に言わせると
利害関係や力関係に応じ状況を判断して
「いいヤクザ」にも「悪いヤクザ」にもなるのが
本物の「ヤクザ」という。

その意味で親に反逆したうえ、
警察に庇護を求めた石川はヤクザ社会の
「風上にもおけない、下の下、の男」といえる。

ただの狂犬としてヤクザ社会に語り継がれる石川力夫。

実は私と同じ人間的な弱さを丸抱えした
男のような気がしてならない。
【72】

狂犬伝説  評価

野歩the犬 (2014年10月02日 16時59分)


昭和24年(1949年)10月2日、
所払いの禁を破って上京した石川は配下一人を連れて
今井と談判したが埒が空かず、ドスをふるった。

それでも石川の鬱憤は晴れない。

10月8日、
再び中野区新井町の今井の自宅に殴りこみをかけ
まだ、傷で寝込んでいる今井に拳銃弾を撃ち込み
即死させ、さらに今井の妻にも瀕死の重傷を負わせた。

石川の暴走はヤクザ社会において
これ以上の禁忌はなかった。

親分に逆らって傷を負わせ、
関東所払い十年の廻状が出たにもかかわらず
それを破って上京し、兄弟分を殺すというおよそ、
ヤクザ史上、前代未聞の反逆行為だった。

重ね重ねの掟破りに一家の怒りは爆発、
ついに石川射殺命令が下った。

ヤクザ社会全体を敵に回し、追われる身となった石川は
またも報復から逃れるため自首し、
26年(1951年)8月、懲役10年の刑が確定、
府中刑務所に送られた。

28年(1953年)春、持病の肺結核が進行した石川は
肋骨六本を抜き取られる手術を受け、
ヘロインで弱っていた体力の衰弱は著しくなった。

出所してもヤクザ社会からはじき出され
己の行き場がないことを
石川は自覚していた。

シャバのどこにも石川のイスなどない。

31年(1956年)の正月には

「元旦や、わが前に立つ、黒き影」

と、死を予感したような句を日記帳にかきつけた。

ほどなく看守が刑期の三分の一以上をつとめた石川に
仮釈放が近いことをほのめかす。

刑務所を出ることは石川にとって死を意味していた。

2月2日、石川は看守に
「寝汗で濡れたふとんを干したい」と願い出て
屋上に付き添われて外気を吸った。

もはや、石川はシャバにいたときのような
ヤクネタからは無縁の存在だった。
闘争心のかけらもなく、死ぬことしか頭になかった。

駆け出した石川は看守が止める間もなく、
フェンス越しに身を躍らせ
15メートル下のコンクリートに全身を叩きつけた。

独房に残された日記帳には

「まるで風船のような人生を送ってきた。
 風船は絶えず飛び立とう、飛び立とうとしている。
 飛び立てば、やがて破れるのも知らないで。
 おれもそう、だった。
 とうとう、自爆するところまできてしまった」

とあり、最後に次の句があった。


「大笑い  三十年のバカ騒ぎ」


(狂犬伝説・完)
【71】

狂犬伝説  評価

野歩the犬 (2014年10月02日 17時03分)


    俺が死ぬときは・・・・

            カラスだけが鳴く・・・



現代のように組織化が進んだヤクザ社会の中には
さすがにいないが
終戦直後の混乱期には無分別の限りを尽くし、
どうにも手に負えない
「ヤクネタ」と呼ばれるヤクザがいた。

ヤクは「厄」、ネタは「種」の転倒、
つまり厄災をもたらす無法者という意味である。

そして大概、こうしたヤクネタは文字通りヤク、
つまり、ぺー(ヘロイン)やポン(覚醒剤)中毒だったので
立ち直りのしようがなかった。

ヤクネタもヤクネタ、
超がつくヤクネタとして語り継がれているのが
石川力夫である。


石川力夫は大正15年(1925)年茨城県、水戸市生まれ。

不遇な家庭環境で育ち継母との折り合いが悪く、
15歳のときに家出して上京した。

求人ビラを見て新宿のカフェボーイとして住み込み
翌年春には飯島連合・和田組、和田薫組長の盃をもらった。

この世界で売り出す早道は
親分のために身体を張ることである。

石川は和田組の若衆となって二年目、
縄張り争いで喧嘩(でいり)があった際、
相手方の親分に重傷を負わせる働きをして
1年2ヶ月の刑を受け、下獄した。

昭和19年(1944年)8月、
函館刑務所を出所した石川には
すっかりハクがつき、
次第に一家の重きをなしてゆく。

終戦直後の焼け跡闇市に
和田組のマーケットができると、
その一角を預かるまでになっていた。

しかし、これが石川の絶頂であった。

21年(1946年)10月、
石川が可愛がっていた舎弟が石川をたずね

「親父の仕打ちが冷たい。俺たちが飯も食えないのに小遣いもくれない」

と泣きついてきた。

石川は親分、和田のもとへ出向いて語気鋭く談判した。
「若い者の面倒をみろ」というのである。

舎弟思いの行動とはいえ、そこはヤクザ社会である。
親に楯突くことなど許されない。和田は激怒した。

翌日の夜、
和田が配下に石川の指を詰めさせるよう命じた、
という話が耳に入ると、今度は石川が逆上した。

石川は抜き身の日本刀を持って
和田の自宅に殴りこみをかけ
和田の肩、胸を斬りつけて一ヶ月の重傷を負わせ、
止めに入った幹部の車に火をつけた。

ヤクザ社会の論理では
親にドスをふるうことは最大の不忠である。

石川は一家総出で追われる身となり、
リンチを逃れるため警察に自首、
1年6ヶ月の刑に服した。

刑期をつとめあげた石川を待っていたのは
親分、和田を初めとする飯島連合・各組長連名による「関東所払い十年」の廻状であった。

石川は10年が過ぎたら、東京へ戻ってくるつもりで
新宿、柏木町の縄張りを弟分たちに託し、
大阪へ行き遠縁の雑貨商に住みこんで
カタギの生活を始めた。

ところが、石川のあとを追って大阪へ流れてきた若者が
予期しなかった知らせをもたらす。

石川の舎弟、二人が殺され、
石川の縄張りはかつての兄弟分である
今井幸三郎のものになった、というのである。
【70】

保守のお知らせ  評価

野歩the犬 (2014年09月19日 12時57分)


HEROのキムタクじゃないが・・・・

「そのピースが埋まらないと、パズルは完成しませんよね」

状態が続いております。

こんちくしょ――!
    材料が足らんのじゃぁぁぁああああああ!

 花形敬も、出口辰夫も、肝心なところがわっからぁぁあああああん!

なんせ、愚連隊の連中は○暴と違ってほとんどが

        な、わきゃねーだろ!ちゅう、噂話だらけ!

とりあえず、次回は石川力夫あたりでつなごうと考えてます。

  嗚呼・・・いつになったら長編に取り組めるやら・・・

つーことで保守更新!


のほ
【69】

RE:血風クロニクル  評価

野歩the犬 (2014年09月08日 13時00分)


■虹ん子さん

お〜、久しぶりぃ〜♪

無事退院したとか。

よかった、よかった (^o^)

病み上がりなのにわさわざ、足を運んでもらって、
こちらこそ恐縮です<m(__)m>


■こぱんださん

これまた、忙しいなか、すまんね。

>私も少しばかりですが(^^)気持ち。。
役に立つといいです

いや〜、なかなかできるもんじゃないよね。

自治体や国の支援もあるだろうけど、
現実、被災者の隅々に渡るのには
対象手続きがいろいろと面倒らしい。

こころざしは必ず、被災者の胸に届くとおもいます。
本当にありがとう。


■お二方へ

ちいと夏風邪気味だったが、元気です。
OLGにも顔出しできそうです。

つーて、ほとんどROMれてないので、
ついていけるかどうか ^^);
【68】

RE:血風クロニクル  評価

虹ん子 (2014年09月06日 21時10分)

のほ監査役、こんばんは〜



遅くなってすみません<m(__)m>

そちらが大変な状況になっていることを心配していました。



なんとかリアルが落ち着きつつあるとのこと。

ほっとしています。


書き物にも着手されてるようですが、無理をされませんように!




簡単ですが、失礼しました〜
【67】

RE:血風クロニクル  評価

こぱんだ (2014年09月06日 19時36分)

のほ代表、こんばんは!

色々と落ち着かれましたでしょうか。。

今日は少し遊びに来ました(^^)


私事でスミマセンなのですが。。
勤めてる会社で今、広島に義援金を募っていまして
赤十字を通して皆さんの元へ送りますって言ってました
私も少しばかりですが(^^)気持ち。。
役に立つといいです

書くか迷ったのですが…何となくですけど…
代表も元気になったらいいな。。と思いまして(^^)


ではでは!また。。どっぱぁあああんだ!!と話せる日を楽しみにしてますね



あ、返信はお気にならさずにです(^^)
そして、お体お大事に。。
書物も頑張って下さいませませ



この辺で…失礼しました!旦~
【66】

保守のお知らせ  評価

野歩the犬 (2014年09月04日 17時16分)


リアルがなんとか落ち着きつつ、あります。
書き物も少しずつですが、
進める状況になりました。

今しばらくの、ご猶予をいただきます。

のほ
【65】

見舞い御礼  評価

野歩the犬 (2014年08月24日 13時12分)

■五右衛門座衛門 さん
 こぱんだ    さん
 パチンシュタインさん
 きょんきょん  さん

連名で失礼します。

このたびは、お見舞いレスありがとうございます。

とりあえず、旧知の家族を避難所から
安全な地域へ移転させました。

家屋はほぼ全壊・・・
知り合いに亡くなった人もおり、
かなり、ショックの様子。

昨日は職場の若者らと一緒に現場へ入りました。
自衛隊、消防、警察の必死の捜索活動
なにより、暑い中、夏休み返上で
ボランティア活動している
高校生たちの姿に心、うたれました。

今日はまた、朝から雨が降りだし、心配でしたが
午後から捜索再開が決まりました。

とりいそぎ、お礼と近況まで。
【64】

RE:血風クロニクル  評価

きょんきょん (2014年08月23日 12時13分)

のほさん

自身のお体にもお気をつけくださいね


一日も早く

少しでも。


皆様に笑顔が戻る日を願っています。
【63】

RE:血風クロニクル  評価

パチンシュタイン (2014年08月22日 23時49分)

皆さんこんばんは。

>のほちゃん
テレビを見ましたが、2次災害等も起こり得る状況のようですね。
復旧、支援にあたるとのことですが、承知しているとは思いますが、時には身を引く勇気も必要です。
決して無理しないで、ボランティアに従事して下さい。

早く復興出来るよう、祈願しています。
私も3年前に被災したので、人事に思えませんでした。

皆さんでは。
【62】

RE:血風クロニクル  評価

こぱんだ (2014年08月22日 17時31分)

のほ代表、こんにちは


ニュースなどで見ておりました

復旧作業にあたるとの事。体大事にです

一日でも早く、皆さんにいつもの日常が戻りますように。。。

遠い所からですが…お見舞申し上げます




ではでは!短いですが…スマホから失礼しました
驚いたもので。。。



代表、落ち着いたらOLGでも待ってますね
【61】

RE:血風クロニクル  評価

五右衛門座衛門 (2014年08月21日 21時59分)

こんばんは。

8月観測史上最大の豪雨という知らせ、局地的な被害状況をTVで見て気になってましたが、まずは野歩さんがご無事で何よりです。

そしてご多忙の最中、わざわざ御一報下さり有難う御座います。

一日も早い復旧復興を祈念致しております。

それでは、また。
【60】

おことわり  評価

野歩the犬 (2014年08月21日 12時25分)


地元で豪雨禍が発生。

甚大な被災地に旧知の者がおります故
しばらく、復旧、支援にあたることになりました。

更新がてら、お知らせいたします。
ご了承ください。

のほ
【59】

喧嘩屋一代  評価

野歩the犬 (2014年08月11日 16時50分)

【エピローグ】

「ハワイの姐さん」とく江は小千鳥襲撃の報せを聞いて
「病院は?」と尋ねた。
あの夫が死ぬとは思わなかったからだが、
小千鳥の遺体はすでに帝大病院の解剖に回されていた。

刺客を飛ばしたのは森川一夫の末弟、
森川勝利の若者だった。

それを突き止めた「茨城徳」は翌年、
小千鳥の一周忌の夜、
勝利の家の風呂場に侵入し、湯に浸かっていた勝利に
拳銃弾二発をぶちこんで即死させ報復をとげた。

この事件のオトシマエとして
小千鳥の妻、とく江は指を詰めて
森川組に詫びをいれ、ケリがついた。

とく江はそれを機会に足を洗った。

小千鳥の二代目は野丁場トビ時代からの
若衆が継ぎ、三代目までは一家の看板を揚げていたが
やがて離散して子分たちは
お酉さまの熊手売りなどに転業していった。



小千鳥の未亡人、とく江は
昭和四十六年(1971年)脳溢血で他界した。
享年、六十一歳。

所帯を持ったときはあれほど
「堅気」に固執していた彼女は、
鉄火な「極妻」として名を残し、晩年は
小千鳥の思い出話を語ることだけを
楽しみにしていたという。



(喧嘩屋一代・完)
【58】

喧嘩屋一代  評価

野歩the犬 (2014年08月11日 16時35分)

【大往生】

昭和九年(1934年)六月、上野池之端の東京閣で
小千鳥組と森川組の手打ち式が行われた。

小千鳥は例によって用心のために
腹巻に拳銃を忍ばせていたが、
式場の入り口では身体検査をするので、
下帯(要はふんどし)の底へ落としていた。
これがあとで致命傷となる。

手打ちが終わり、仲裁人が
小千鳥と森川組の代表、森川一夫に
「席を変えて、一杯飲んだらどうか」
と勧めて、二人は玄関をでた。

とめてある人力車にまず、森川一夫が乗り、
続いて小千鳥が乗ろうとしたとき
植え込みの中から五人の男が飛び出してきて、
日本刀でメッタ斬りに襲いかかった。

小千鳥は咄嗟に拳銃を取り出そうとしたが、
下帯の底に潜ってしまって引き出せない。

そこをパナマ帽ごと頭から唇まで真っぷたつに
斬り下げられた。

それでも小千鳥は素手のまま、
相手の日本刀の切っ先をつかんで離さない。

「おのれ、てめえら!卑怯な・・・」

鬼の形相でにらむ小千鳥に刺客方が震えあがった。

小千鳥は相手がひるんだ隙に
その日本刀を奪い取って
振り回しながら立ち向かってくる。

噂に聞く小千鳥の不死身ぶりに
五人の刺客たちは死に物狂いになった。

「こいつは半端なことでは死なない。
この男をここで殺さなければ必ず俺たちが殺される!」

五人の男たちは意を決して再び斬りかかった。

やがて小千鳥の視界はかすんできた。

斬られた額からおびただしい血が流れ、
眼があけられなくなった。

「うおおおおおおっ!」

小千鳥は最後の力を振り絞ったが、
もはや、足は一歩も動かず
日本刀を持った腕さえあがらなかった。

刺客たちはそこを逃さず小千鳥に向かって
突進してゆく。

小千鳥の最期は凄まじかった。

ナマス斬りにされたうえ、
漁具のヤス(モリ)で電柱に串刺しにされたまま
大往生をとげたのだった。

小千鳥、三十歳の若さであった。
【57】

喧嘩屋一代  評価

野歩the犬 (2014年08月02日 16時55分)

【小千鳥一家】

関東大震災で由緒ある家名が
軒並み屋台骨を崩してしまったあと
焼け跡の東京には横浜あたりのタァ公が
どっと入り込み、ここを先途と
縄張りを無視して暴れまわった。

この勢力は侮りがたいものがあったので、
明治からの看板を誇りとしていた
金筋のヤクザもそうした愚連隊の頭株を取り込んで、
一家の温存を図った。

逆にそうした成りあがりのコースから
落ちこぼれたタァ公は
「モーロー」といって手当たり次第に
ショバ荒らしをするので
シマを持つ組の頭痛のタネだった。

「フーテンの寛」と呼ばれた男も
そうしたモーローの一人で
小千鳥が仕切っていた入谷の映画館にしょっちゅう、
ハイ出しをかけた。

寛は関西出身で、
一時同じ柳下組の下にいたこともあったので
小千鳥が直に話をつけに乗り込んだ。

小千鳥が懐から匕首(アイクチ)二本を出して
「勝負するか」と切り出すと
フーテンの寛はいっぺんにびびって
「勘弁してください」と謝った。

しかし、一度抜いた匕首をそんな泣き言で納めるわけにはいかない。

「よし、分かった。じゃあ、この先一生、俺が手足とな って世話をするから
 この場のオトシマエだけはつけろ」

そういって小千鳥は寛の両眼を斬って、
失明させようと匕首でハスったが狙いを外し、
顔を十文字に斬っただけになった。

しかし、言った手前、
小千鳥はちゃんと寛を若衆として抱え、
面倒をみてやった。

フーテンの寛は行状をすっかり改め、
のちに廻船業の立派な顔役となった。

こういう連中が小千鳥一家の身内で、
立ちんぼ(日雇い労働者)の露天バクチの
カスリをとっている「朝鮮小春」

オカマで裁縫が上手な「シマダ」

酒乱で小千鳥がシバキ棒を作らせていた
「キスグレのトシ」

強盗殺人の前科があり、雨が降り出すと幽霊がでる、
といって半狂乱になる「マサ」

小千鳥の雪駄を持って質屋のカタにいれ、
渋る店主の前で匕首で帳場の台を削り、
金を出させるのが得意の「ヒデ」といった連中だった。

そういう手合いの中で
バタヤ(廃品回収業)に顔を売っていた
「茨城徳」という子分が小千鳥にとって
致命的な事件を引き起こした。

千住柳町の遊郭に繰り込んで騒いでいるうちに
土建業「森川組」の若い者と喧嘩になったのである。

そのころ小千鳥は女房のとく江に吉原で「ハワイ」
という置屋を経営させながら
遊郭専門の土建業を請け負っていたが、
森川組がしょっちゅう、横ヤリをいれてきて、
一触即発の対立関係にあった。

倍々ゲームの小千鳥にとって、
森川組はもちろん、その後ろ盾となっていた
「畳屋一家」を相手の喧嘩は望むところだった。

今にも血の雨が降りそうになった矢先、
土建業の大物が仲裁になって
手打ちの運びとなった。
【56】

喧嘩屋一代  評価

野歩the犬 (2014年08月02日 16時49分)

【弱肉強食】

ヤクザ(特に戦前)を調べてゆくと、
どうして喧嘩ばかりしているのか
という疑問にぶち当たる。

しかし、これは、大企業はどうして
子会社や支店をどんどん増やすのか、
に置き換えれば疑問はたちどころに解ける。

水が低きに流れるようにカスリは強いものへと流れる。
五分の勢力だから、二つに分かれて流れる、
ということは絶対にない。

つまり、この世界には力の均衡を保って
皆、めでたしという状況はありえず
強いか、弱いか、勝つか、負けるか、しかない。

一見、兄弟分で仲良くしのいでいるように見えても
それは強い方が悶着を避けるために弱いほうに
適当にカスリを回しているだけのことで、
優劣の本質は変わらない。

まして、これから一家を築こうという
売り出し中の男にとって
現状維持は敗北を意味する。

ちょっとでも気を抜くとたちまち
舐められて食いつかれる。

従って、磐石の基礎を築くまでは
あとから追いかけてくるものが、
息を切らせて追いつけなくなるまで
階段を一気呵成に駆け上らなければならない。

一つの喧嘩に勝ったら、緒戦の戦果は拡大すべしで
もっと大きな喧嘩を、金を出しても買ってでる。

成功したら、さらに大物にアタックする。

まさに倍々ゲームでの株を買いまくるのと同じで、
それでやっと周囲は本人の実力を認めるようになる。

ちょうど、バブル期に利潤を追求して
止まなかった商事、証券会社が
危険を承知で相場や闇の資金運用に
手を出したのと同じように
火中の栗を拾い続けるヤクザ社会も
ひとつ間違えればサドンデスが待ち受けている。

天下の関根組・関根賢に両手をつかせた小千鳥も
倍々ゲームに乗って一家名乗りをあげた。

系図としては明治の初め、下谷、入谷界隈で名を売った
「武蔵一家」の流れを汲むという形をとった。

構えは申し分なかったが、
なにせ急拵えの一家なので若衆は不揃いだった。

腹心というのは野丁場トビ時代から
ついてきている二人ぐらいで
あとはタァ公(愚連隊)あがりだった。
【55】

喧嘩屋一代  評価

野歩the犬 (2014年07月28日 17時02分)

【男の貫目】

小千鳥が逮捕されるとガン鉄本人も一方の当事者として
市谷刑務所に留置されていたが
そのころ、共産党の検挙者が相次いで、
検事は取り調べに手が回らず
小千鳥とガン鉄の双方に
「手打ちをしたら起訴はしない」と言い渡して
二人ともその条件をのんだ。

と、いってもそれは表向きで、男稼業が
そんな生ぬるい手打ちで決着をつけたのでは
渡世内に安値を踏まれることになる。

ガン鉄は関根組に連絡をとって釈放当日は
喧嘩支度で迎えにきてくれるよう頼んだ。

刑務所を一歩出たところで一気にオトシマエをつけてしまおうという腹である。

小千鳥もすぐにその気配を悟って、
先に出ていた妻のとく江に
連絡し、愛用の拳銃をもってくるよう命じた。

小千鳥は当時、三丁の拳銃を持っており、
常時、安全装置を外した一丁を懐にしのばせ、
抜き撃ちが得意だった。

拳銃は賭場でスッたときなどにカタに預けると
五十円ぐらいのコマが借りられた。

とく江が調べてみると、
その拳銃は三丁とも賭場のカタに預けられており
引き出す金の工面もつかない。

とく江は仕方なく差し入れ屋から戻ってきた
小千鳥の座布団一枚だけをもって
若衆二、三人と市谷刑務所へ向かった。

十二月の寒空の下、
夜八時の釈放時間が近づくと
喧嘩支度の関根組の一党が音を忍ばせて
刑務所の門前に散会した。

刑務所前では共産党の第一次検挙者の釈放を
迎える人々が赤旗を振って気勢をあげている。

とく江は危険を感じ取って看守に
小千鳥を裏門から出させてくれるよう頼んだが
門前の赤旗に神経を尖らせている看守は許可しなかった。

やがて小千鳥とガン鉄が前後して
市谷刑務所から出てきた。

とく江はすぐに若衆たちと小千鳥を取り囲むようにして
門前から離れようとしたが、
語気鋭く「小千鳥、待て!」と声がした。

「俺はガン鉄の舎弟、木津政ってもんだ。
ガン鉄の兄貴に代わってオトシマエをつけにきた」

すでに銃口を向けられていたが
とく江の動きは俊敏だった。

木津政が引き金を引くより早く、
座布団を抱いたとく江は
小千鳥の前に身を投げ出していた。

「バン!」と銃声がして、
とく江の右ひじに当たった。
抱えていた座布団のおかげで深手にはならなかったが、
二発目が小千鳥の肩の肉を裂いた。

小千鳥は闇に向かって突っ走ったが多勢に無勢、
取り囲まれて三方から斬りつけられた。

咄嗟に死んだふりをしたが、
トドメのつもりか喉まで刺された。
草相撲で鍛えた体力がなかったら、とうに死んでいたところである。

木津政一味が引き揚げたあと、
小千鳥と、とく江は傷ついた身を労わりあって
病院のベッドに運ばれた。

夫婦、枕を並べて三週間、
入院生活を送っていた小千鳥は
仲裁人の調停案をはねつけ、
ガン鉄の親分の関根が目の前で手をついて
詫びなければ、手打ちはしないと主張した。

すると、まさかの関根が本当に病院に来て、
格下の小千鳥の前で手をついて謝った。

関根にすれば最強の敵を味方にする絶好の機会と、
とらえたのだろう。

この事件から小千鳥に「喧嘩屋」の仇名がつき、
いよいよ売り出すことになった。
【54】

喧嘩屋一代  評価

野歩the犬 (2014年07月24日 17時04分)

【博徒転身】

昭和三年、小千鳥が仮釈でシャバに戻ると、
末を誓い合っていた女がなんと
親分、柳下の妾になっていた。

失意の小千鳥は自分が斬った小桜長次の霊前に
線香の一本もあげようと、
小桜が生前、住んでいた長屋を訪ねた。

そこには小桜長次の兄弟分のテキヤ二人が住んでいて、
小千鳥の来訪に驚いたが、その心意気に打たれ、投合する。

その一人、近藤という男に
「とく江」という十七歳の妹がいて、
小千鳥の侠気に惚れた近藤は小千鳥との結婚を勧めた。

とく江は「堅気でなければ、いや」と
首を縦にふらなかったが、
そのころにはすでに小千鳥の方が熱くなって通い詰め

「金で買う女はつきあい上、仕方ないが、
ほかに惚れた女ができたら即座に別れる」

という、なんとも虫のいい一筆を誓約して、所帯をもった。

このため、とく江は生涯、近藤姓を通した。
つまり、内縁である。

昭和初期の東京は大震災からの復興で
鉄骨建築が主流となり
エレベーターのやぐら造りに長じていた
小千鳥組に注文が殺到した。

これを親分の柳下がねたんで、
事あるごとに干渉してくる。

小千鳥はつくづく嫌気がさし、野丁場トビの足を洗って
博徒として、身を立てる決意をする。

「足を洗う」というのは必ずしも
堅気になることではない。

一つの不文律社会から他の社会へ
転職することを言うもので
博徒が「足を洗って」テキヤになったり、
トビが「足を洗って」博徒になったりする。

小千鳥は浅草の小さな一家の賭場に出入りして
「男を磨きだした」。
賭場ではやたら勝負に強い男はむしろ嫌われる。

親分とか、兄貴とか呼ばれる人物は勝負には、
てい淡として、わざと目下の者に負けてやるのが貫禄とされる。

サラリーマン社会でも麻雀やゴルフで部下から
ガツガツ稼いでいるような上役は腹の中では
なめられているのと同じである。

小千鳥も実際、ばくちが下手で
淡白な性格でもあったので、それが逆に人気となって
銀座の顔役に可愛がられ、次第に名前が売れるようになった。

昭和六年(1931年) 小千鳥二十六歳の十一月、
酉の市(縁起熊手を売るお祭り)の夜
野丁場トビ時代、同じ河合組配下にあった
関根組の幹部「ガン鉄」の若い者が
ハイ出し(ゆすり)をかけ、
市の用心棒を引き受けていた
小千鳥の若衆を斬ってケガを負わせた。

自分の若衆がやられたと聞いて小千鳥は
その夜のうちに殴りこみをかけ
相手を半殺しにしたが、ガン鉄は不在だった。

とにかく双方で七、八人が負傷する喧嘩(でいり)となったため所轄の寺島署の手配がかかり、
小千鳥は身代わりに三人の若衆を
自首させて大阪へ飛んだが、
女房のとく江までが捕まったと聞いて、
東京に戻り逮捕された。
【53】

:喧嘩屋一代  評価

野歩the犬 (2014年07月17日 17時30分)

書きたいネタはあったのだが
現時点では資料不足…今回は

「小千鳥」について書くことにした。

まるで芸妓のような通り名だが、
とりあげるからにはヤクザである。

本名は城迫正一。

明治38年(1905年) 東京・芝明神で生まれた。

芝・増上寺の大門脇の芝明神の境内では
江戸時代から芝居や相撲の興行が打たれ
竹を割ったような気風と腕っぷしの良さが
土地っ子の自慢であった。

城迫正一の生家は造り酒屋であったが、
本人は下戸で大の甘党。
汁粉ばかりを食べて相撲熱の高い地元で
草相撲に打ち込んでいた。

草相撲とは草野球と同義で
簡単にいうとアマチュアのことだが、
プロの大相撲と同様に年二回、
場所(十日間)を開催し、番付も作られた。

城迫は五尺五寸(約167センチ)二十二貫(約83キロ)だったというから
ズングリとした豆タンクのような体型である。

しかし、腕力には自信があり、十五歳にして
四つに組めば大男を軽々と転がし、
番付でも関脇を張った。

「小千鳥」というのはそのころの四股名である。

十六、七歳のころ
喧嘩三昧に明け暮れした挙句、
とうとう親に勘当されて浅草をふらついているうちに
吉原遊郭に縄張りを持っていた「柳下組」の若衆となった。

柳下組は賭場を持っていたが
本業は「野丁場トビ」であった。

「野丁場トビ」というのは正規の「火消し鳶職」の外で
もっぱら、建設現場の足場組み立てなどで働く連中で、
上の方になると作業員の手配や請負の談合なども仕切っていた。

現在に至るトビ職というのは、
この「野丁場トビ」が発祥である。

明治の末から大正にかけては
東京が近代都市に様変わりする時期で、
また富国強兵の国策に沿って
産業資本が拡大していた時代でもあり、
東京の空き地はどこも工場の建設ラッシュだった。

その請負の利権を巡って
血の雨が降ることも少なくなかったので、
現代につながる土建業の談合というものが定着し始めた。

この「談合屋」の大物が後に「河合キネマ」を設立し、
興行界に進出した河合徳三郎で柳下組はその配下にあった。

大正12年(1923年) 関東大震災が発生。

流言飛語に動揺した自警団が
千人以上の朝鮮人を虐殺した。

翌年になっても千住小橋付近にあった朝鮮人集落を
日本人が襲うという事件が頻発していた。

柳下組はその朝鮮人集落の用心棒を頼まれ、
小千鳥が責任者となった。
十九歳のときである。

小千鳥は商人の子なので、算盤の才覚もあり、
この集落が造っている朝鮮飴の販売利権を握り、
大々的に売り出した。

このカスリに眼をつけたのが
川端康成の小説「浅草紅団」に登場する
愚連隊「紅団」で利権を巡って小競り合いが絶えなかった。

そこで小千鳥は紅団の幹部・小桜長次と
話し合おうとしたが、小桜長次は若造扱いして
小千鳥の頭を小突いたりして、ロクな返事もしなかった。

怒った小千鳥はその日のうちに日本刀を持って
小桜長次を捜しだし
有無を言わせず、斬り殺してしまう。

これで五年の刑を食った。
【52】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年07月05日 12時21分)

【愚連隊】

博徒、テキヤが武家社会を祖としているのに対し
愚連隊なるものが誕生したのは、近代、である。

博徒の項で紹介した「旗本奴」自体を
愚連隊と位置づけることもできるが、
大正12年(1923年)の関東大震災後の混乱に乗じて
横浜から流れ込んできた、
不良少年の一党が始まりとされている。

彼らは、壊滅した首都の繁華街、新宿、渋谷、池袋
下町の浅草などで強盗や略奪を行い
それまで博徒、テキヤが仕切っていた縄張りを荒らしまわった。

流言飛語で朝鮮人の虐殺事件が起きると
集落の用心棒を名乗り、みかじめ料をまきあげた。

上下関係もルーズで、とにかく暴れるだけの
「愚」な連中として、組織の暖簾を守ってきた
博徒やテキヤからはボンクラやクスボリ、と呼ばれた。

ボンクラとは「盆」いわゆる「賭場」での
コマ(賭金)の配分計算もできない頭の悪いことから
「盆に暗い」が転じてボンクラと呼んだ。

クスボリは博徒の組から正式な客として扱われず
賭場で「くすぶっている」連中のことをさしている。

かの山口組三代目、田岡一雄も自伝の中で

「昭和四年当時、わたしはまだ、神戸、新開地のクスボリだった」

と書いている。

震災の影響で東京の映画撮影所が灰燼となり
興行の中心は大阪、神戸に移っていた。

関西では、このほかにバラケツという呼び名もあった。

「ばらける」「ほどける」からきたもので
くずれた人間の意味である。
喧嘩を売り物にした硬派の不良学生をこう呼んだ。

こうしたクスボリとバラケツは、しばしば衝突し、
腕っぷし、の良さを買われた男が
土建業者や興行主の用心棒を経て、組織の盃をうけた。

田岡一雄は相手の両目を指でえぐる、という必殺技で
クスボリ仲間からは「クマ」の名で怖れられ、
やがて、二代目山口組・山口登の盃を受けている。

愚連隊のピークは太平洋戦争の終戦直後から
昭和三十年代初めにかけてであった。

関東大震災当時と同様、
世情が混乱し、人心が荒廃した時代の必然でもあった。

戦後の愚連隊は
朝鮮、台湾、中国人などが
警察権力が及ばない「戦勝国特権」を
ふりかざした「民族系」と
戦場から戻ってきた元、兵士の「復員系」
さらに体育会系学生による「セイガク系」の三派に分かれた。

「セイガク系」の典型が渋谷で名を売った
安藤昇率いる「東興行」である。


終戦直後の治安は戦前からの
博徒の組織やテキヤに委ねられることが多かったが
やがて、復興事業のための土建業を表看板とした
戦後ヤクザが誕生するとこうした愚連隊を吸収して
現在の暴力団が誕生した。


昭和四十年代、高度経済成長時代に入ると暴力団も
三代目山口組を頂点にした「山口組系」と「反山口組系」に
系列化され、愚連隊は下部組織の予備軍となった。


暴走族や、そのOBで組織された「●●連合」
盛り場を徘徊する「チーマー」などが
現代でいうところの「愚連隊」である。
【51】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年07月05日 12時17分)

【親農道】

一方、神農道(テキヤ)の始祖は
大阪・夏の陣の前、豊臣方の浪人たちが
資金稼ぎに香具などを売って歩いたのが始まり、
と言われている。

それで香具師(やし)と呼ぶのだという。

やがて豊臣方の敗色が濃厚となると
敗残兵たちは味方の刀、槍すらも収奪して売り歩いた。

こうした「野ぶせり」と呼ばれる人々の源は
日本古来の「やまたか」と呼ばれる
移動民族か朝鮮半島の渡来人であった、という。

神農は「商い」を業としているので
その戒律は博徒より厳しい。

三戒律というのがある。

「売(バイ)うるな」

「タレこむな」

「バシタとるな」である。

「売うるな」とは商品だけを仕入れて持ち逃げ、横流しを禁じるもの

「タレこむな」は仲間内のトラブルは官憲に訴えず、解決すること

「バシタとるな」はテキヤはしょっちゅう、
タビして歩いているので
他人の女房に手をだすな、という意味である。

この戒律があるため、盃事においても
博徒より神農の方が重厚なものとなる。

「天照大神」「八幡大菩薩」「春日大明神」の三神の軸を飾り
伝来の日本刀などを相続するのは、
儀式を宗教的に昇華させることにより
契りを深める、という狙いがあるが、
現代ではテキヤは露天商組合という
堅気の正業であり、そうした神事を見ることはほとんどない。

博徒とテキヤの結びつきは主にテキヤが方々を旅して
各地の賭場に客として金を落してゆくことから、始まっている。

また、縁日や露店の縄張り争いでは
ふだん、肉体労働をしているテキヤの方が遥かに強かった。


終戦直後の闇市などの運営はテキヤが行い、
その治安を守るのが博徒として結びつきが強まり、
合併して現在の暴力団という組織化した例も少なくない。
【50】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年07月05日 12時15分)

【博徒の歴史/後】

その「町奴」の頭領が幡随院 長兵衛であった。

長兵衛は肥前・唐津(佐賀県)の浪人の子で
本名は塚本伊太郎。

江戸・浅草で口入れ業(土木工事の周旋)をしていた
山脇惣左衛門の娘を女房として跡目を継いだ。

戦国時代の戦闘部隊として活躍した旗本も
泰平の時代となると家来を飼うのも無駄となる。

しかし、幕府は江戸の土木工事に
戦時の出兵と同じように
郎党を差し出すように旗本に命じた。

そこで長兵衛のような口入れ業が栄えたのであった。

長兵衛は周旋手数料をとるだけでなく
郎党を長屋に詰め込み、賄いをし、
労働賃金のアタマをはね、博打を打たせて
「テラ銭」をとった。

これが、博徒、つまり「やくざ」の始まりである。

では、なぜ博徒が江戸で力をつけたか。

日本では江戸・徳川三百年の鎖国時代に
商品経済〜貨幣経済が発達したからである。

博徒は金が動き、労働者が集まる都市に発生した。

こうした江戸経済の落し子は各地に広がってゆく。

国定忠治を生んだ上州は蚕糸の生産地であり、
清水次郎長を生んだ駿河の名物はお茶であり
清水港の廻船業が盛んだった。

つまり、地方でも貨幣経済を促進する名物があれば、
博徒は必ず発生した。

幕末になると、いよいよ博徒の勢力は強くなった。

貨幣経済が発達してくると実質的な権力を握るのは商人である。

商人への富の集中は汚職政治を産み、
領主の搾取によって全国で百姓一揆が広まった。

そうした悪政時代に博徒は着々と勢力を蓄えていった。

貨幣経済の発達は働かなくても
食える人種を作り出したのである。

明治維新後、
博打が厳しく取り締まれるようになってからしばらくは
博徒は自らを「無職渡世人(ぶしょくとせいにん)」と名乗った。

関東大震災〜世界恐慌を経て
世情が閉塞した昭和の初めになって
「俺たちゃ、しょせん、やくざもんだ」
と名乗りだした。

つまり「やくざ」という言葉が普及したのは
まだ、百年ほどに過ぎない。
【49】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年07月05日 12時06分)

【博徒の歴史/前】

やくざ、の始祖は幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)
というのが定説になっている。

十六世紀、室町幕府の衰退によって
世は群雄割拠の戦国時代となる。

あっちでドンパチ、こっちでドンパチ
本能寺の変など「仁義なき戦い」の元祖といえる。

秀吉亡きあと、満を持していた家康の登場で戦国時代は終わる。

それまで戦場を疾駆してきた武士たちも
官僚に転進せねばならない。

剣の時代は去り、法律とそろばんの時代がやってきたのだ。

この時代にあぶれたのが
徳川譜代の臣である旗本と諸国浪人である。

豊臣方の落ち武者、宮本武蔵はもちろん、
徳川家の戦闘部隊として強兵ぶりを誇った旗本も
大半は邪魔者扱いとなった。

安い禄に甘んじて無為徒食の道に追い込まれてしまう。
主家を失った浪人に至ってはいっそう、惨めである。

自暴自棄になった一部の旗本は
新興都市・江戸で乱暴狼藉を働き
「旗本奴」を名乗った。

「将軍(うえさま)をとりまく老臣どもは大名に機嫌をとられ、
武士(もののふ)の心をわすれておる」

彼らの欲求不満は異装束となった。

月代(さかやき⇒ちょんまげの地肌)を剃らず、蓬髪となった。

髭で顔を埋め、浅黄木綿に派手な動物の絵を
染め抜いた小袖の上に真紅の袴を着けるという
異様ないでたちで、街を練り歩いた。

これがやくざの「彫り物」の原点と観るむきもある。

ちなみにやくざの世界では
褒め言葉としての「刺青」(いれずみ)
という表現は使わない。

「刺青」は刑罰の一種であるから、
誉めるときは「いい傷ですねぇ♪」という。


「旗本奴」は刀の柄に白いシュロを巻きつけた
「白柄組(しろつかぐみ)」や
「神宜組(しんぎぐみ)」などと名乗り
徒党を組み、うっぷん晴らしに町人をいじめ、
無理難題をふっかけ喧嘩を生き甲斐にした。


こうした「旗本奴」に対抗して
町人の保護を自ら買ってでたのが「町奴」である。

「強きをくじき、弱きを助ける」という
古典ヤクザの話にでてくる
任侠道精神はこれが原点である。
【48】

やくざ学  評価

野歩the犬 (2014年07月05日 12時01分)

終戦直後の広島、呉で
「悪魔のキューピー」の名で売った
大西政寛のことを、後年、母のすずよ、は
「立派な極道を持って、誇りに思うちょります」
と、語っていたという。

一般的に「極道=やくざ」であるが、
私は大西のように自己破滅していった男には
「アウトロー」といった呼び名を贈りたい。

しかし、アウトローたちが組織化してゆけば、
現代では「暴力団」扱いとなる。


そもそも「やくざ」の定義とは何ぞや?となる。

「やくざ」は数字の「八」「九」「三」を足すと
 ちょうど「二十」

つまり、花札博打でいうところの「ブタ役」
いわゆる「ドボン」となることから
「まともな稼業が出来ない人間のクズ」を指している。

簡単にいうと博打で飯を食っている「博徒」のことだ。

戦後、警察からひとくくりに
「暴力団」として呼ばれている大概の
「○○組(会)」「●●一家」などは
戦前からの博徒の組か、
テキヤ=香具師(やし)のいずれかに辿り着く。
【47】

おことわり  評価

野歩the犬 (2014年07月05日 11時59分)

■次回作を取材中につき、更新がてら落ちトピ
 から掘り出した「やくざ学」を加筆して、
 つながせていただきます。

のほ
【45】

★☆〜ブレイクタイム〜☆★  評価

野歩the犬 (2014年06月24日 12時22分)

あらためまして
ゆさみんさま、こんにちは。

>のほ節は相変わらずで、今回も楽しませていただきました。

ははは♪ 今や講談師、野歩沢虎造を名乗っております!

ありがたき、お言葉
しかと頂戴仕りました♪


>よってケータイ小説のような、改行の多いわかりやすい書き方が多くなる。

正直、一番苦労してるのは、そこですね。
私は原稿をワードに書いているんですが
これをコピペして貼り付けると、改行が当初とずれてくるんですね。
1レスは「全角1600文字のスペース」でしょ。

なかなか、当初のイメージ通りに収まらんのです。
そこで、添削して、表現を簡潔にしたり
言い回しをかえたりするんです。
とくにセリフ部分は改行スペースが多くなるんで
頭が痛いですねぇ

それとクレジットですね。
なかなかピタリとくるものがない。
その点、大西政寛伝はドラマが豊富でポンポン浮かんだ。
今回は「とってつけ」が多かったです。

>今回は、のほさんは重厚さを保ちながら、間にあまり私情を挟まず・・・

いろんな資料から切り貼りするんですが
はっきりいってヤクザ専門誌なんてのは、あまり読みません
どうしても、内部事情が中心で、しかもヒロイズム的な表現が多い。
参考程度ですね。「反社会的な集団」がええカッコしても
反発を招くだけですし。

>特に、暴力団をピラミッドやフランチャイズチェーンに例えた説明はホントにわかりやすい。

山口組のピラミッド構造はすぐに浮かんだんですが
フランチャイズの例えは
当時のとある新聞連載記事からの「パクリ」ですよ ^^);

ジャーナリストはこういう表現に関しては
やっぱ、プロですね。
「これは使える!」と思いました♪

>最後の締め方も印象に残るもので、あとがきとあわせて、暴力団抗争の虚しさと悲しさを感じてしまいました。

当初は鳴海清を主役にしたものにしようかと思ったんですが
首領(ドン)を撃った男・・・じゃ、
それこそヤクザ礼賛になっちゃうし
調べてみると、もう禁止ワードの連発でとても書けそうにないんです。
殺された経緯も、今や憶測だらけで捌きようがないし。

そこで笠原ばりに、全体を引いたパノラマ群像にしたんですが
まあ、時系列を確認してゆくのが難儀で・・・
裏をとるのは、新聞のマイクロコピーなもんで
図書館には相当、通いました。

>本当に、ご苦労様でした。

ありがとうございます。
現在、次回作を取材中です。
今後もよろしくお願いします

のほ
【44】

RE:血風クロニクル  評価

野歩the犬 (2014年06月22日 21時46分)

■ゆさみん さま

 ご訪問いただき、恐縮です。

 ゆさみんさまのお部屋は最近、熊楠さんと
 高尚なレスの応酬なので
 なかなか敷居が高くて・・・


 ちょっとバタついておりまして

 きちんとした御礼のレスは近日中に
 いたしますので
 ご勘弁を


のほ
【43】

素敵な作品をありがとうございます  評価

ゆさみん (2014年06月22日 17時28分)

こんにちは。

お久しぶりです、のほさん。映画部屋を細々と続けているゆさみんです。
完結おめでとうございます。

のほ節は相変わらずで、今回も楽しませていただきました。


しかし、前回の作品も思ったのですが、掲示板での書き方をよく考えているなあ、と感心してしまいます。

ネット上の小説というのは思いのほか難しいと思います。
とくに重厚な大河的な作品は、なかなか読者はついていくのが難しい。

よってケータイ小説のような、改行の多いわかりやすい書き方が多くなる。

でも、そうすると表面的で軽い作品となりやすい。

今回は、のほさんは重厚さを保ちながら、間にあまり私情を挟まず、事件の時間軸に沿った説明と会話など入れて、話の展開を早くし、しかもわかりやすい説明を間に入れて書き上げていますね。

特に、暴力団をピラミッドやフランチャイズチェーンに例えた説明はホントにわかりやすい。
うまいなあ。

最後の締め方も印象に残るもので、あとがきとあわせて、暴力団抗争の虚しさと悲しさを感じてしまいました。(ううむ、こうして書いたとたん薄っぺらな表現に思えてきます。言葉になかなか出来ないのがもどかしい)

本当に、ご苦労様でした。

とっても面白かったです♪
【42】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月22日 14時11分)

【あとがき】


昭和五十年七月から五十三年十一月にいたる
三年七ヶ月にわたった
山口組対松田組の「大阪戦争」。

血で血を洗ったこの戦争の結果は
日本のアウトロー社会の地殻変動を
起こしかねないほどの衝撃的な事件であった。

この大阪戦争を契機として
山口組は地滑り的に衰退に向かってゆく。

戦いの果てに山口組には何も利益もなく、
五十六年七月に首領(ドン)田岡一雄は病死、翌年二月、
あとを追うように若頭、山本健一も死亡する。

山口組を多節足動物に例えたが、
それは田岡一雄という、
類希なカリスマが君臨していたからこそ、
のたとえであり、
カリスマを失った山口組は平衡感覚を失い、
進むべき方向感覚さえ、喪失してしまう。

五十九年六月、竹中正久が四代目を相続するが、
若頭補佐、山本広は六千人の配下を引き連れ
「一和会」を旗揚げし、山口組は事実上分裂。

翌六十年一月、一和会ヒットマンによって
竹中四代目が射殺されると
警察庁をして「ヤクザ抗争史上、最大にして最悪」といわしめた「山一抗争」が勃発する。

この抗争は大阪戦争同様、四年越しの流血を繰り返し、
双方で死者二十五人、重軽傷者六十六人、
逮捕者はざっと四百人にものぼった。

結果、一和会は山口組の猛攻の前に潰え、
組織の解散と山本広の引退で終結を迎える。

山本広は故・田岡一雄三代目、竹中四代目の仏壇にぬかづいて謝罪。

このけじめの焼香によって「骨肉の争い」に
完全なピリオドが打たれたのだった。

つまるところ大阪戦争当時、
すでに山口組という巨大なピラミッドは
いつのまにか中身が空洞化していたのである。

ヤクザの戦争は済んでしまえば
いつの世も、いかに戦争が空しいものかというものか、を教えてくれる。

六甲山で骸(むくろ)となって発見された鳴海清、
土砂降りの中、泥酔して逮捕された羽根恒夫。

こんな男たちの物語はもう、
挽歌(バラード)の中でしか
聞けない時代になってしまったのである。
【41】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月22日 20時56分)

【エピローグ】

羽根恒夫が曽根崎署に護送された
翌日の十一月二十八日午後、
大阪高裁で山口組若頭、山本健一に対する
控訴審判決が開かれた。

山本健一は病気を理由に出頭しなかったが、
裁判長は
「一審判決に事実誤認はなく、
日本最大の暴力団での被告の地位、
組織内外への影響力、犯罪の様態からみて、
病状などを考慮しても
刑は重すぎるとはいえない」

として、懲役三年六ヶ月の一審判決を支持し
控訴を棄却した。

十二月十三日。

この日はヤクザ社会の「事始」といって
正月にあたる日である。

午前十一時、田岡御殿の二階大広間に直系の組長、
約八十人が紋付羽織、はかまの正装で集まった。

組長代表挨拶は通常、若頭の役目だが、
山本健一の姿はなく、
舎弟頭の三木好美が行った。

「昭和五十三年度の思わぬ大事故は
 親分が狙撃をうけるということでした。
 この事実はわれわれ全組員の責任であると
 痛感しております。
 幸いにして、親分の傷も軽く後遺症もなく、
 ご健康を取り戻されたように見受けられます。
 今後、二度とこのような事故のないことを、
 この場におきまして全組員がそろって、
 お誓い申し上げます」



山口組三代目は深くうなずき、挨拶に立ちあがった。

そのひと言も聞き漏らすまいと
席は水を打った静けさとなった。

「本年もみなさんのお元気そうな顔をみることができ、 たいへんうれしく思います。
 これからも当組に対する試練は
 ますます厳しいものになっていくと思いますが、
 とくに組員一同、団結をモットーとして、
 揺るぎない前進と発展を期待するものであります」


それが、田岡一雄の山口組三代目としての最後の
「事始」の挨拶となった。


「6万分の1の奇跡」で死線をくぐり抜けた田岡一雄は
三年後の昭和五十六年七月二十三日午後七時三十一分、
入院先の尼崎市、関西労災病院で急性心不全で死亡した。

享年 六十八歳。


鳴海清から狙撃された当時、
田岡一雄は家族にむかって
こう言っていたという。



「しかし、ワシを狙うなんて、偉いやっちゃなあ。
 しかしなあ、
 自分が助かる気で撃つから失敗するんや。
 自分が死ぬ気で、ワシを撃ってくるんやったら
 もっと近くに寄って、もっと狙うて撃つべきやった」




凶犬たちの挽歌(完)
【40】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月20日 17時19分)

【末 路】

拳銃不法所持で大阪府警から
指名手配されていた羽根恒夫は
午後零時半、兵庫県警から大阪府警、
曽根崎署に護送された。

よれよれの羽根恒夫は曽根崎署の
玄関前に群がった報道陣に気弱い
照れたような笑みをみせた。

医師の診断で羽根恒夫は
アルコール依存症にかかっていることがわかった。

その後の調べで、
羽根恒夫は首領(ドン)狙撃事件以後、
名古屋の弘田組を頼っていったことが判明した。

弘田組、弘田武志組長も
「ベラミ」で山口組三代目のお付きの一人だった。

弘田組では十人の組員を選抜して
「十仁会」という戦闘団を組織していた。

羽根恒夫はこの十仁会を指揮して、
鳴海清の捜索や松田組、
樫忠義組長襲撃を計画したが、
警察の厳重な警戒で果たせず、
九月十八日夜、大日本正義団組員を尾行し
大阪市阿倍野区のマンション前で狙撃した。

組員は一週間のケガだったが、
羽根恒夫は、殺った、
と思い込んみ勢い込んで報告したため、
のちに山口組中枢からバカにされる。

羽根恒夫がやけ酒に溺れて
アルコール依存症になったのは、
このあたりが原因だろうとされている。

かつて自らを「悪美(あくみ)」と名乗り、
他からもその名で呼ばれることを誇りにしていた
ワル気取りの男。

序列のやかましい山口組のなかで
異例のスピード出世をした男が、
雨の降る夜にとめどなく酒を浴び、
路上に倒れていたのだ。

ヤクザの哀れさがにじみでた末路であった。
【39】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月21日 08時44分)

【泥 酔】

松田組の敗北宣言が大阪府警捜査四課に
郵送された日から四日後
十一月二十六日は雨だった。

午後十一時ごろ、神戸市垂水区王塚台五丁目の路上で
泥酔した男がスナック前の路上に転がっていた。

通行人の連絡で派出所の警察官が現場に向かうと、
まだ若い男で長髪はバサバサ、不精ヒゲをはやし、
紺ジーンズのサファリルックの上下は泥だらけだった。

起こしてみてもグデングデンで
立っておれないほどで、
しゃべっていてもロレツが回らず
何を言っているのかわからない。

連絡で到着したパトカーが、
この男を玉津署に運び、泥酔者として保護した。

所持品を調べると現金二十二万円を持っていたので、
署員は驚きひょっとすると窃盗犯ではないか、
と事情を聞いたがひどい泥酔ぶりで話にもならない。

調べは翌朝ということで保護房に入れた。

午前零時ごろに男は

「わしは山口組の羽根や」とわめきだした。

翌二十七日午前六時、
玉津署は羽根をよく知っている
兵庫県警暴力対策二課の警部宅に電話した。

「早朝で申し訳ありませんが、羽根恒夫と名乗る男を泥酔保護しているので
 首実験、願いませんか」

電話を受けた警部も半信半疑ながら、
とりあえず玉津署に出向いた。

「これが羽根かなぁ」

警部はどう見てもこの男が羽根恒夫とは見えなかった。

松田組組長、樫忠義の邸宅に警戒の中、
拳銃弾を撃ちこみ、
その男気を買われて組員なしだが、
山口組の直系組長にひきあげられ
首領(ドン)の護衛兼、キャディラックの
運転手となった羽根恒夫は
もっとパリッとしたいい男だった。

「おまえ、羽根か」

警部は首を傾けて聞いた。

「そうや、羽根や」

頬はこけ、目は濁っている。

「羽根恒夫やったら、お前よりも。もっと男前や」

「あははははは」

男は力なく笑った。
まだ、酒が残っている。

「人間、落ち目になったら、あかんわ」

「お前、羽根やったら、住所、本籍地を言えるやろ」

警部が尋ねると男はスラスラと問われたことを答えた。
警部は顔色を変えた。

「おまえ、ホンマに羽根なんか?」

「なんべん言えばええねん。わしは羽根や」

警部がためつ、すがめつ、見ているうちに
ようやくこの男の輪郭のなかに
羽根恒夫を認めはじめたのだ。

さっそく、県警本部に連行して指紋を照合した。

間違いなく、この男は羽根組組長、
羽根恒夫、二十七歳だった。

兵庫県警暴対二課の取調室で
羽根恒夫は出された朝食に手も付けず
水ばかりをがぶ飲みしていた。

「いままで、どこにおったんか」

捜査員の質問に
「三重県におったよ」と答え

「刺青の仕上げに神戸に戻ったが、
 懲役をくえば五年は軽いので、
 つい、きのうは五年分ぐらいのんでしもうた。
 頭が痛い」

羽根恒夫の青い顔はなかなか、元に戻らなかった。
【38】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時38分)

【敗北宣言】

山口組の一方的な「抗争終結記者会見」に対し、
十一月二十二日、大阪府警捜査四課長宛に松田組が
「抗争終結誓約書」を郵送してきた。

差出人は二代目松田組組長、
松田組幹部一同となっており、
捜査四課が松田組に確認したところ
発送の事実を認めた。

誓約書の内容は以下である。


前略

先般山口組におきまして抗争事件について
終止符を打つ旨の発表が行われました。
当組におきましても、世間様をお騒がせいたし、
そのお怒りの程重々身に滲み、
深く反省いたしておるところでございます。
つきましてはこのまま当組が
なんらの意思表示もせず、
沈黙を守っておりますれば、
何かと誤解を招くおそれがある
との判断に到りました。

そこで当組内の意思統一を計った結果、
今後山口組同様、抗争状態を終結する事に決定、
この趣旨を翼下全組員に対し、徹底させました。
この証としまして、ここに
右抗争終結を固く誓約いたします。

直ちに御課(捜査四課)に直接出頭いたしまして、
この間の謝罪と誓約を申し上げるのが
本意でありますが、種々に事情があり、
誠に勝手ではありますが郵送させていただきます。

                    敬具

昭和五十三年十一月吉日


二代目松田組組長
松田組幹部一同



山口組の終結宣言が「勝利宣言」とすれば、
これはまさに松田組の「敗北宣言」だった。

両組は「和解=手打ち」という
ヤクザ社会の慣習を破って
それぞれに終結宣言をだして
四年越しの大阪戦争をやっと終わらせた。

大阪府警に入った情報では、
山口組が抗争終結宣言を出したあと、
松田組ではひんぱんに幹部会をひらき、
対応策を協議してきた。

樫忠義組長は一貫して抗争を
終結させる意向だったが、
一部幹部からは

「山口組にやられっぱなしで
 おめおめと引き下がるわけにはゆかない」

という強硬意見がでて、紛糾した。

もし、このままで抗争を終わらせるようなら
松田組から離脱するとほのめかした幹部もいたが
樫忠義組長は

「こういう状況になったのだから、
 離れたいものは離れてよい」

と発言し、この抗争終結宣言にこぎつけたといわれる。

大阪府警はこの松田組の文書を対山口組への
「敗北宣言」と認定した。
【37】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時36分)

【分 析/ 後】

実際、この戦争当初、山口組内部の
不統一は目を覆うばかりだった。

若頭、山本健一を頂点とする
執行部の派閥争いが絶えず、
松田組への反転攻勢も大日本正義団会長、
吉田芳弘の暗殺で相殺、という
暗黙の雰囲気で片付けようとしていた。

だが、突如首領(ドン)が狙撃されるにおよんで、
ポスト田岡をにらんだ権力闘争は
消し飛んでしまったのだ。

若頭、山本健一はこの機を逃さず
松田組に容赦なき戦いを挑む。

そして、この五十日の戦いを通じて
彼は山口組内に強固な指導力を確立しようとした。

ところが、山本健一にも泣き所があった。

それは恐喝や拳銃不法所持など五件の併合罪で
大阪高裁に控訴中の二審判決が
十一月二十八日に下されることになっていて、
控訴棄却で収監されることが予想されていたのである。

戦争の結末を和解に委ねていたら、
後始末をしないうちに刑務所入りとなり
若頭の職から去らねばならない。

そこでこの社会では例のない
「勝利宣言」をして抗争の終息を計った。

さらに第三の見方。

それは首都、東京から山口組を
睨んでいる警察庁の圧力である。

警察庁はこの年の年末をメドとして
「対山口組80日決戦」を全国の警察に指示していた。

このまま、松田組との戦闘状態を続けていれば、
警察はこれを好機と山口組内部に
容赦ない逮捕と捜査を強行するだろう。

山口組は警察が本腰を入れてやってくる前に
やむなく砦に戻らねばならない。

しかし、その前に無言で撤退するのも癪である。

かくて、山本健一は松田組に対し
「勝ち鬨」の声をあげて
自らの勝利を確認した、
ということになる。

そして最後の第四の見方。

それは山口組に対する世論の目だ。

その視線は警察よりももっと冷たく、
刺すように彼らの行動を監視していた。

暴力団とは法の裏側に生きる「公衆の敵」である。

山口組は調子に乗りすぎた。

銭湯で発砲し、繁華街で発砲し、
路上で発砲し、松田組組員を殺傷してきた。

このまま、末端の組織のコントロールがきかなくなり
一般市民を巻き添えに殺したときはどうなるか。

それは山口組といえども
最も怖ろしい危惧であった。

声明文の中に空疎な美辞麗句とはいえ、
彼らがいまだ口にしたことのない
「ご心痛、ご迷惑」とか「謝罪」とか、
ポーズであるにせよ
なぜ、かれらがポーズをとらざるを得なかったのかに、
山口組の本音が垣間見えるのである。
【36】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時34分)

【分 析/ 前】

なぜ、山口組がこんな会見を開いたのか。

兵庫県警をはじめ警察当局は分析した。

第一にこれは山口組の勝利宣言ではないか、
という見方だ。

山口組対松田組の大阪戦争は四年越しのことだが
昭和五十三年七月十一日夜、
京都のナイトクラブ「ベラミ」で
首領(ドン)が狙撃されて以来、
この五十日間に山口組襲撃班は
一方的に松田組を無差別攻撃し、
死者七、重傷一、軽傷一を与えた。

松田組はやられっぱなしだった。

首領(ドン)を狙い撃った犯人、
鳴海清もすでに死亡している。

記者会見で山本健一は鳴海清を殺害したのは
山口組ではない、と述べている。

鳴海清の殺害犯は不明であったが、
彼の死によって最大の報復対象は
すでにこの世に存在しない。

鳴海清に加えるに松田組側、六人の死者。

これは田岡一雄組長の負傷と
十分釣り合いがとれるダメージであった。

いわば、この世界の
「流血のバランスシート」の上では
山口組は赤字を解消してお釣りがでた。

上に上がっていた山口組の秤の皿は、
これらの死体を積んで完全に下にさがった

本来ならここで調停がでてきて、
和解となるところである。

松田組はすでにリングの
マットに沈んでいる。

仲裁人というレフェリーが
山口組の腕をあげるところである。

ところが、松田組をノックアウトした山口組は
まるで勢いが余ったように
自ら勝利の腕を高々と上げた。

それではなぜ、山口組が従来の
ヤクザ社会の慣習を破って
はやばやと勝利を宣言したか。

そこに第二の見方が出てくる。


三年越しの「大阪戦争」に対する
山口組の抗争終結宣言。

そこには山口組内部の
お家事情が絡んでいるとの見方だ。
【35】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時32分)

【一問一答】

小田秀臣のブリーフィングが終わると記者たちとの一問一答となった。

ここに、山口組の考え方が色濃く反映されているので抜粋する



【質問】
    
この終結宣言は下部組織にも徹底してあるか


◆山本健一  

下部組織も従わせる。
本日をもって全国に抗争を中止させるよう命令した

【質問】 
   
田岡組長はこれまでも「報復はするな」と言ってきたそうだが、なぜ、もっと早く終結できなかったのか

◆山本健一  

あなたたちのこととして、考えてみてほしい。
お父さんが襲われて、長男に報復するなといった。
長男はぐっと我慢してもほかの親族が、
どんなことをするか分からんでしょう 

◆小田秀臣  

ここは公式の場だ。
ここで「抗争を終結する」と公言したのだから、
当組の考えを信じていだくしかない。
ただ、山口組も組織だ。
どこかの国の警察でも(その警察官が)
女子大生を襲ったりするのだから
とにかく前向きの姿勢で取り組む。
違反者は処分する。
    
※この年一月、東京の警察官が職務中に女子大生を殺害した事件を逆手にとっての発言


◆山本健一   

何も山口組はいい子になろうとは思っていないが、
吐いたツバはのまない。(声明は)絶対に守る

【質問】
     
松田組系組員殺傷の責任は

◆山本健一
   
犯罪ということになるとこれは警察の仕事だ。
組としてどうこう処分することは考えていない。
警察にお任せする。

【質問】
     
松田組との和解は

◆山本健一  

抗争終結宣言を出したのだから、
そんなものは関係ない。
松田組の樫忠義組長が(山口組)本家に来る必要もなし、こっちも何の条件も出していない。

「抗争をしてはならない」

という田岡一雄組長の意思を明らかにするため、
山口組独自で抗争終結を決めたので、
松田組も相手がなければ抗争できんでしょう。
あんた、空気にむかってケンカできんでしょう。
これをもって抗争は全て終結です。

【質問】     

あなたたちはやめる気でも、松田組が抗争を続けたらどうするか

◆小田秀臣   

組員には松田組を無視せよと言ってある


【質問】     

和解の手打ちはないと言うが、
樫忠義組長が謝罪したいと言って来たらどうするか

◆山本健一   

相手を無視するわけやないが、
過ぎ去ったことだ。問題外のことや

【質問】     

どうして松田組と手打ちをしないのか


◆小田秀臣   


仲裁を立ててもすぐ、抗争が再開した例がある。
山口組はそんなことは超越している。

【質問】

    
鳴海清を殺したのは山口組か

◆山本健一   

パジャマ姿で死んでおったのだから、
よほど懇意な者がやったんだろう。
ぜったいに山口組ではない。

【質問】     

山口組は解散しないのか

◆山本健一   

われわれは各家庭の環境からのはみだし者だ。
そこを考えてもらいたい。組がなくなったら、
はみだし者はどうなる?
なくすとすれば国の政策を検討していただきたい。
組は必要だ。やましいことはいっさい、ないから、
組の解散はぜったいにない。


【質問】
     
なぜ、記者会見をしたのか

◆山本健一
 
  
山口組は抗争を「やめろ、やめろ」と
言っているのに、みなさんは「やれ、やれ」
と言っているのと違うか、と記事に書いている。
そうではないことをみなさんに
知ってもらいたかったからだ。

(会見終了後に)


◆小田秀臣

   
田岡組長は元気ですが、なんせ声が出ないんでね。
それできょうはみなさんに失礼したわけですわ
【34】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時29分)

【終結宣言】

昭和五十三年十一月一日、
神戸市灘区の山口組三代目、田岡一雄組長宅
通称「田岡御殿」で前代未聞の記者会見が行われた。

出席したのは若頭、山本健一、若頭補佐、山本広、
同じく小田秀臣の三人である。

八十人の新聞、放送の記者、カメラマンが
七十畳敷きの大広間に案内された。

床の間には三本の掛け軸、文楽人形、
象牙の置物金色の山菱の代紋や
田岡一雄の名を彫った巨石があった。

白いビニールに覆われたテーブルには会見者の名札と
水差しまで用意万端であった。

定刻の午後三時を三分ほど遅れて

「前、ごめん、ちょっとあけてや」

と若頭、山本健一が現れ、二人が続いた。

たちまちフラッシュが閃き、
一斉にテレビカメラのライトがついた。

「えー、本日は遠路ご多忙のところ、
 わさわざ多数ご参集いただき・・・」

と、山本健一が挨拶し、声明文を読み上げた。

以下、全文である。


《声明文》

昭和五十年七月、大阪豊中市に於いての
抗争事件惹起より、一連の不祥事が偶発いたし、
市民各位様に多大なご心痛、
ご迷惑を及ぼしましたること、当組の本意に非ず、
誠に不徳の致すところとは申しながらも、
尚、現状をこのまま、放置することによって、
将来、益々の抗争による益なき事態が
偶発する可能性を憂慮いたすと同時に、
ひいては社会の治安に係わる
重大な過失を犯す結果を生ぜしめ、
尚これ以上のご迷惑を世間様に及ぼし、
かつ、当組織綱領の教示をおのずから
冒涜するものである、と考慮いたし、
ここに当組独自の判断により
一連の抗争事件を終止徹底いたすべく、
本声明文の公表をもって、
抗争終結の宣言をいたすものであります。

尚、この間、市民各位様及び
治安維持に係わる関係当局各位様に対し、
深甚なる謝罪の意を表するものであります。

また、双方の多数の犠牲者に対し、
遺憾この上なく、慙愧に堪ええぬものであり、
衷心よりご冥福をお祈りいたしますと共に、
その遺族各位様に対し、
深くお詫び申し上げるものであります。

昭和五十三年十一月一日

                     以上

三代目山口組組長 田岡一雄
三代目山口組   組員一同

 ―−―ー―ー――――ー


任侠精神に陶酔したヤクザならではの
漢文調の文体に記者たちがメモをとるのに
難儀しているのを見ると
山本健一は

「えー、別に速記をとらなくても、
 後でコピーを差し上げます」

と、とってつけたような微笑外交でまるめこんだ。

このあと、若頭補佐の小田秀臣が
「抗争終結の経過報告」を読み上げた。

ブリーフィングというやつだが、
あまりに長文なので割愛する。

それにしても、この「声明文」とはなんだろうか。
当然、沸き起こってくる疑問である。

「多大なご心痛ご迷惑を及ぼし」

とか

「深甚なる謝罪の意」

とか、反省の色が美辞麗句として出てくるが、
肝心の抗争事件については

「一連の不祥事が偶発」とある。

偶発とは人の意思以外のところで
偶然に起きたことをさす。

抗争の意思があったから、
長期にわたる抗争に発展したのであり
山口組が抗争の責任を認めようとしない限り、
いくら謝罪の美辞麗句で
飾られてもしらじらしいばかりである。

この「声明文」を額面通りに受け取るなら
山口組の「抗争終結宣言」である。

ひと口にいえば

「もう、戦争はやめた、やめた」

であった。
【33】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時26分)

【迷 宮】

忠誠会というのは、昭和四十二年六月、
当時弱冠二十歳の大森忠昭が会長となって
結成された組織である。

本部事務所は神戸市生田区。

構成員は百人だが神戸・新開地や
播磨東部地方に縄張りをもち
賭博、闇金融、ノミ行為を資金源としていた。

昭和二十九年、新開地に勢力を持つ
谷崎組という組織があった。

やがて谷崎組は縄張り争いから山口組と衝突。

当時、山口組の尖兵だった山本健一は
谷崎組若頭の側頭部に拳銃弾を
撃ち込み重傷を負わせた。

この事件で谷崎組幹部だった大森忠義は
谷崎組を見限って新生会を旗揚げする。

新生会は少数精鋭主義を唱えて団結し、
当時向かうところ敵無し、
といわれた山口組に徹底抗戦した。

昭和三十三年には山口組系加茂田組、
小西組と戦って一歩も退かなかった。

山口組にとっては地元、神戸で
目の上のタンコブのような組織であった。

昭和四十二年五月、内部抗争で新生会は解散したが
大森忠義の長男、大森忠昭が
結成したのが忠誠会である。

だから忠誠会は山口組にとって
抗戦の歴史を持つ団体であり
反山口組同盟の関西二十日会の
リーダー格の団体であった。

「ベラミ事件」以後の鳴海清と
忠誠会の関係は以下のようになっている。

◆鳴海清は田岡一雄を狙撃、
 潜伏先として準備していた西成区のアパート
 「山水園」に逃げ込んだ。

後の捜索でこの部屋の洋服ダンスの引き出しから
38口径の空薬莢二個が発見されている。

◆大日本正義団会長、吉田芳幸は愛人を連れ、
 大阪市内のホテルを転々とし、
 首領(ドン)狙撃から三日後に
 新阪急ホテルで松田組の二次団体、
 瀬田組の瀬田栄機組長と会い、
 鳴海清を匿ってくれるよう頼んだ。

◆瀬田組長は翌日、電話で忠誠会理事長の
 野村智昌に頼み込み、七月十六日には、
 鳴海清は忠誠会幹事長、
 衣笠豊の案内で神戸市内のアパートに隠れ、
 二十日に吉田芳幸と愛人が落ち合った。

◆八月十日、加古川市内のマンションで
 衣笠豊が鳴海清に「俺の言う通りに手紙を書け」
 と命令。

田岡一雄、新大阪新聞社、大阪日日新聞社にあてた三通の手紙を書かせ、封筒の封印部分に
明瞭に鳴海清の指紋をつけさせた

◆八月十一日夜、手紙は西成区内のポストに投函された

◆八月十四日、手紙が大阪の夕刊紙に大きく掲載された

◆八月十七日、山口組報復の第一弾として、
 松田組幹部が大阪の銭湯で射殺された

◆九月十七日、六甲山中で鳴海清の死体が発見された

当初、警察、検察は犯人隠匿容疑で
逮捕した忠誠会組員の自供から

「衣笠豊が九月一日未明、鳴海清を殺害、
 六甲山中に遺棄した」

として三人を起訴したが、
衣笠豊は公判で一貫して犯行を否認。

鳴海清殺害を裏付ける凶器などの物証も発見されず
犯人不明のまま、公訴時効となっている。

そもそも、起訴状に殺害の動機として

「鳴海清が無断で西成区の自宅に帰るなどの
 身勝手な行動をもてあまし、
 また、衣笠豊が田岡一雄宛に挑戦状的な
 手紙を書かせたことが判明すれば、
 忠誠会の組織ぐるみの隠匿の事実が
 露見するのを怖れて殺害を共謀した」

とあるが、どう考えてもこれには
不自然な点が多すぎる。

鳴海清をもてあまして殺害するなら、
なにもリンチを加えるなどの余計な手数は必要ない。

また、衣笠豊が忠誠会の幹事長
というポストにあっては、
今さら「組織ぐるみの隠匿の発覚を怖れて」
などが理由になるはずもない。

その後鳴海清のリンチ現場を撮影したビデオが
山口組本家に送りつけられた、との噂も流れたが、
ホームビデオが開発、販売されたのは
1980年代に入ってからのことである。

鳴海清が殺害された昭和五十三年当時はテレビ局でさえ
ENGが導入されたばかりであり、デマの可能性が高い。

かくして首領(ドン)を撃った男の殺害犯は
永久に闇の中に逃げ切ったのである。
【32】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時21分)

【殺したのは誰だ】

こうした山口組の容赦なき報復戦の最中に
兵庫県警は鳴海清殺しの捜査を着々と進めていた。

鳴海清の遺体はミイラのようにガムテープで
ぐるぐる巻きにされていたが
、両手を後ろ手に縛っていたのは
一本の日本手拭いだった。

これが三木市内の小学校百周年記念に
五百本作られたうちの一本であることが分かった。

作ったのは三木市内に住む土地ブローカーの男で、
この男が反山口組同盟の関西二十日会に加盟する
忠誠会の親交があることをつきとめた兵庫県警は
収監した大日本正義団会長、
吉田芳幸の逃走経路の自供とつき合わせて
十月八日、忠誠会幹事長、
衣笠豊ら五人を鳴海清隠匿の疑いで逮捕した。

しかし、鳴海清を殺したのは誰か。

これは依然として解けぬ謎だった。

常識的な観点にたてば
首領(ドン)を狙撃した犯人である鳴海清は
山口組報復の第一目標であり、
山口組が処刑したとみるのが妥当な線である。

たが、これに異を唱えたのが県警の公安警備だった。

凄惨なリンチを加え、
死体を山中に無造作に捨てていたことから
過激派の「内ゲバ」を思わせる、という説である。

また、これが山口組の報復であるならば、
ついに実行したという誇示がなければならない。

そうした情報が兵庫県警のアンテナにいっさい、
響いてこなかったのである。


忠誠会組員五人の逮捕を発表した
兵庫県警捜査幹部は記者たちから

「いったい、この犯人隠匿が殺しと結びつくのか」

という質問をうけ

「いいですか。兵庫県警は鳴海清殺しの
 捜査をやっているんだ。
 犯人隠匿だけなら、ベラミ事件の
 捜査本部がある京都府警がやればいいんだ」

と言い切った。

この段階で兵庫県警は鳴海清殺しを
忠誠会の犯行一本に絞っていた。

また、この発言の裏には京都府警が
「一件落着」とばかりに
のんびりしていることへのあてつけと
大阪府警が兵庫県警へ連絡もなしに
田岡邸へ踏み込んで、細田利明を逮捕し、
羽根恒夫を指名手配した
「戦果」に対する鬱憤すら、感じさせた。

「べラミ」で護衛の男たちが
拳銃を隠し持っていたことぐらい、
京都府警が捜査すべきじゃないか。

それを悠長に構えているから
あの憎たらしいトンビの大阪府警に
油揚げをさらわれるんだ。

兵庫県警捜査幹部の発言は

「これは京都府警の仕事の横取りではない」

と言外に大阪府警へのあてつけも含んでいた。

吉田芳幸を収監した大阪府警に鳴海清殺害事件まで
手をつけられてはたまらない―――と
兵庫県警が「見切り発車した」との説も流れた。

山口組の報復の嵐の影で
警察の足並みは全くそろっていなかった。
【31】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時14分)

【連 鎖】

鳴海清の惨殺体発見と前後して
始まった山口組の報復は、
いっこうに収まる気配はなかった。

大日本正義団会長、吉田芳幸が
岡山で身柄を確保された二日後の十月五日、
午前零時五十分ごろ、大阪市平野区のスナックに
松田組系村田組若頭、木村誠司が
二十一歳の女を連れて現れた。

このスナックは木村誠司の実妹が
九月三十日に開店したばかりだった。

店内には客が三人おり、
木村誠司はドアから一番手前の止まり木に、
連れの女性はその横に座った。

十五分後に黒っぽいスポーツジャージ姿の
男が入ってくるなり、
拳銃を三発、発射した。

一弾は木村誠司の右ひざを貫通、
連れの女性も腹部を抱えて、
止まり木からくずれ落ちた。

木村誠司は一ヶ月の重傷、
巻き添えとなった女性は幸いにも
二週間のかすり傷だった。

店内にいた三人の客が巻き添えに
ならなかったのは奇跡的だった。

報復はさらに続く。

十月八日午後一時二十分、
尼崎市戸ノ内町の松田組の三次団体、
石井組事務所前で石井勝彦組長ら
組員五人が立ち話をしていた。

石井勝彦組長はこの日、
上部団体である瀬田組事務所にあいさつに行って
帰ってきたばかりだった。

「山口組は松田組系ということだけで、
 無差別攻撃をやってきよる。
 事務所の前からでも通りが見えるように、
 ここにミラーを付けたらどうか」

石井勝彦組長が前の塀の具合を見ていた。

突然、二人の男が走ってくるのが見えた。

一人は紺色の戦闘服、一人は長髪で
スポーツシャツにジャンパー、
二人とも拳銃を構えていた。

「来たぞ、逃げろ!」

まさに言った口のそばからの襲撃に
石井勝彦組長らは泡を食って事務所の中に逃げ込んだ。

一人が逃げ遅れた。

襲ってきた二人は二メートルの至近距離から
交互に一発ずつ発砲、一弾は右大腿部に、
一弾は左の背中を貫通し、
撃たれた組員は血に染まって倒れた。

倒れた二十歳の組員にまたがるようにして
仁王立ちとなった襲撃班の一人は
両手で拳銃を握りなおすと、
とどめの二発を発射した。

右あごと脇腹に撃ちこまれた組員は
三十分後に死亡した。

近くの主婦は拳銃の音に驚いて、
二階の窓からこのとどめを刺す光景を目撃していた。

また、事務所近くの空き地で
壁を相手にキャッチボールをしていた
小学四年生の男児も銃声を聞き、
塀によじのぼって同じ光景を見ていた。


「撃った男たちが逃げたあと、
 事務所の中から人が出てきて、
 撃たれた男の人を露地にひきずっていった」

日曜日、白昼の惨劇の模様を
少年は警察にこう話した。
【30】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時12分)

【急 転】

捜査というものはいったん、
流れをつかむと勢いがつく。

山口組本家への斬り込みに成功した
大阪府警に新たな情報が舞い込んだ。

「ベラミ事件」以来、鳴海清とともに姿を消し、
その安否がきづかわれていた大日本正義団会長、
吉田芳幸が岡山に潜伏している、というのである。

吉田芳幸は保釈中で裁判に出頭しないまま、
逃亡していたので収監状がでていた。

情報によれば吉田芳幸は
愛人とともに逃亡していたが、疲れて

「もう、警察に出頭したい」

と漏らしている、というのである。

ただちに捜査員が岡山へ飛んだ。

十月三日。

奇しくも吉田芳弘が射殺されて
ちょうど丸二年がたった日だった。

彼らは運よく、その日のうちに
岡山駅前のデパートで買い物をしていた愛人を発見。

彼女を尾行して岡山市本町の
マンションにたどりついた。

「警察のものだ。吉田か」

四人の捜査員が飛び込むと
吉田芳幸は足を投げ出してテレビを見ていた。

一瞬、ギクリとした表情をみせたが、警察と知って、
むしろ安堵の表情を浮かべた。

吉田芳幸、当時三十五歳。

大阪で山口組の報復の矢面にたち、
非業の死をとげた大日本正義団会長
吉田芳弘の実弟である。

首領(ドン)を撃った鳴海清が山口組幹部をもってして

「八つ裂きにしても飽き足らないが、
 ヤツに根性のあることだけは認めるよ」

と言わしめたのに対し、吉田芳幸については

「自分の兄の三回忌が近いというのに、
 女連れで逃げ回るとは、
 極道の風上にもおけん。言語道断な、やっちゃ」

と、この男の評判はヤクザ社会ですこぶる悪い。

しかし、この悪評も無理からぬところがあった。

吉田芳幸は兄、芳弘より三歳下の昭和十八年生まれ。

東大阪市の中学卒業後は生野区の
クリーニング店に就職、
その後は福島区の大阪中央卸売市場内の
青果店に勤めた。

兄・芳弘が極道一本道を進んだのに対し、
彼は額に汗する「堅気」であった。

昭和四十六年七月、兄、芳弘が
大日本正義団を結成したころ
芳幸は地元の東大阪市で「吉田工務店」を開業。
だが、オイルショックで四十八年にあえなく倒産する。

行き場を失った芳幸は三十一歳にして
兄、芳弘のところに転がり込む。

これが彼のその後の人生を狂わせる。

見よう見真似で「極道稼業」に入ってしまうのである。
この世界で西も東もわからないうちに、
兄の威光で芳幸に肩書きがついた。

「大日本正義団東大阪支部長」

兄から譲ってもらった配下は七人だった。

このころ、芳幸は背中に昇り龍の刺青を入れた。
もう、あともどりはできない。

そこに降ってわいたのが山口組との「大阪戦争」であり、兄の死だった。

極道歴、わずか四年でなんの勲章もないまま芳幸は
大日本正義団会長の座につく。

鳴海清が山口組の首領(ドン)田岡一雄を狙撃するや、
身の危険を感じた吉田芳幸は愛人とともに
大阪のホテルを転々とし、七月二十日ごろ、
鳴海清と合流。

以後三人は匿うことを引き受けた
忠誠会の案内によって神戸、加古川、
三木市内に潜伏させられる。

八月十日ごろ、鳴海清は

「田岡をもういっぺん狙う」

と隠れ家を飛び出す。

このあと、西成区に現れているのだ。

八月二十日ごろになって、
吉田芳幸と鳴海清の連絡は
ぷっつりと途絶えてしまう。

忠誠会の連中の様子がおかしい、
と感じた吉田芳幸は
いきあたりばったりに、岡山へ逃げ、
九月に入って岡山駅前のマンションを借り
愛人にキャバレー勤めをさせていた。

九月二十日、六甲山中で発見された
惨殺体は鳴海清と断定される。

この報道は吉田芳幸の心臓を凍りつかせた。

大日本正義団二代目会長という
「にわか肩書き」をつけさせられた男もまた、
哀れな末路をたどるしか、なかったのである。
【29】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時08分)

【ジョーカー】

九月初め、たび重なる山口組の報復に歯がみしていた、
大阪府警捜査四課にある情報がもたらされた。

それは「ベラミ事件」の夜、
首領(ドン)護衛の男たちが拳銃を
ホステスに隠してくれるようにと、
手渡していた、という内容だった。

「ホントか!」

首領(ドン)狙撃事件は京都府警の管轄だが
、鳴海清の死体が発見されてからは
京都府警は「一件落着」とばかりにノンビリしている。

大阪府警捜査四課は情報を手に、京都へ飛んだ。
独自に「ベラミ事件」を再捜査しようというのである。

人目につかぬように二人の
ホステスが呼ばれて調べられた。

ホステスの供述を元に七月十一日夜、
「ベラミ」の店内で起きていたことが
明らかになってゆく。

午後八時過ぎ、鳴海清が「ベラミ」に入店した。

鳴海清が入店後十分ほどして
田岡一雄ら一行が「べラミ」に到着。

鳴海清は田岡一雄を確認すると、
いったん「べラミ」を出店
午後九時すぎ、再び「べラミ」に戻った。

(この間、狙撃に使った拳銃を用意したと思われる)

午後九時半すぎ、
リンボーダンスのショーが終わったころを見計らって
鳴海清が山口組三代目、田岡一雄を狙って撃った。

鳴海清は逃走した。

護衛役の細田組組長、細田利明は
血相を変えて、鳴海を追った。

続いて、異変を知った羽根組組長、
羽根恒夫も鳴海を追いかけたが、
いちはやく、鳴海に逃げ切られてしまう。

「ベラミ」のなかは騒然としていた。

ステージの上ではリンボーダンサーたちが
呆然として突っ立っている。

「あかりをつけろ!」

という怒号がとび、客の医師、二人が
流れ弾を浴びていることがわかり、
騒ぎはさらに大きくなった。

パトカーのサイレンの音に気づいた細田利明は、
羽根恒夫に言った。

「おまえ、それをどこかに隠せ」

羽根恒夫の手には細田利明から預かっていた
イタリア製25口径拳銃が握られていた。

ガレシーM9オートマチック、
銃把が白い護身用拳銃である。

羽根恒夫はとっさに三十三歳の
顔見知りのホステスを呼んだ

「なにか、紙袋でも持ってこい」

ホステスが紙袋を持ってくると、
その中に拳銃を入れて押し付けた。

「いいか。これをどこかに隠しておくんだ」

青い顔をしたホステスはうなずいて、
この紙袋を更衣室の自分のロッカーの中に隠した。

狙撃事件から二時間半が経過した午前零時ごろ、
ホステスたちは京都府警の捜査員から
「帰ってもいい」と言われた。

拳銃を預かったホステスは
羽根恒夫と特に親しい二十二歳のホステスを
こっそりと呼び、事の次第をうちあけた。

「私はあんなもの、
 預かる義理はあらへんえ。
 あんたが始末をつけよし」

二十二歳のホステスは拳銃入りの
紙袋を押し付けられた。

細田利明の持っていたこの一丁の厄介な拳銃は
細田利明→羽根恒夫→三十三歳ホステス→
二十二歳ホステス、へと転々とした。

いわば、トランプのババつかみのようなものとなった。

二十二歳のホステスは拳銃の入った紙袋を抱いて、
大勢の京都府警の捜査員たちをすり抜け、
警戒の警察官のわきを通って「べラミ」の外へ出た。

心臓が口から飛び出しそうに鼓動が鳴った。

彼女はその紙袋を自宅のアパートに持ち帰った。

八月に入って細田利明は

「俺の拳銃はどうした」

と羽根恒夫にたずね
拳銃を預かっているホステスの存在を知る。

八月七日、細田利明は彼女に連絡をとり正午ごろ、
国鉄山陽線西明石駅東側の路上で落ち合って、
拳銃を戻してもらった。

この全容をつかむと大阪府警捜査四課は小躍りした。

一気に山口組の中枢に斬り込める――

九月三十日、大阪府警は田岡一雄組長宅な
ど四ヶ所を銃刀法違反容疑で捜索
山口組若頭補佐、細田組組長、細田利明を逮捕、
羽根組組長、羽根恒夫を指名手配した。

問題の拳銃は細田組事務所の犬小屋下から発見された。
【28】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時04分)

【無差別攻撃】

鳴海清の死体発見までの間、
事態は平穏だったわけではない。

警察の厳重な抗争防止の警戒網をかいくぐって、
山口組は一方的に松田組を攻め立てていた。

八月十七日夜。

首領(ドン)狙撃以来、初めて火の手があがった。

午後八時三十分ごろ、
大阪市住吉区の公衆浴場「大黒温泉」で
近くに住む松田組系村田組若頭補佐、朝見義男が
入浴をすませて外へ出ようとしたところ
入り口のノレンの間から二人の男に狙撃された。

38口径弾は朝見義男の右胸に命中、
朝見義男は脱衣場を走りぬけて逃げようとしたが、
浴場に通じる廊下で力尽きて倒れた。

朝見義男が撃たれたのは同行していた
妻と子供らがいる女性脱衣場にむかって

「先に出るぞ」

と声をかけてゾウリを取り出したところだったが、
そこにはちょうど入浴に来ていた女子高生と母親がいた。

ノレンの外に居た二人組の男はこの母娘に

「危ないよって、今は入ったらあかん。
 ちよっと、どいときや」

と言って巻き添えを防ぎながらいきなり、
発砲したあと、近くに停めていた
濃紺のセリカで逃走した。

撃たれた朝見義男は右肺を貫通され、
翌十八日、死亡した。

それから半月後の九月二日午後十時ごろ、
和歌山市内の松田組系西田組、
西田善夫組長宅に白いセドリックが乗り付けられ、
車内から二丁の拳銃が轟然と火を噴いた。

門柱に椅子を出して張り番をしていた
組員二人は立ち上がって逃げようとしたが、
弾丸が次々と命中した。

セドリックはタイヤをきしらせて逃走した。

あっというまの出来事だった。

組員二人は背中や腰に計五発の銃弾を浴び、
即死に近かった。

九月十八日、その後、鳴海清と判明する腐乱死体が
六甲山中で発見された翌日の午後八時すぎ、
大阪市阿倍野区の「マンション・ヒグチ」前の路上で、このマンションに住む大日本正義団組員に
背後から一人の男が近づいてきて、
四メートルの至近距離から拳銃を発砲した。

現場は阿倍野区の繁華街のど真ん中で、
道路を隔てた前には寿司屋があり、
店の主人はスシを握りながら窓越しに
発砲の閃光を見、銃声を聞いた。

撃たれた男は脇腹から右胸に貫通銃創を負ったが、
皮一枚で内臓損傷をまぬがれた。

九月二十日、
兵庫県警は六甲山の腐乱死体を鳴海清と発表。

二十一日の朝刊各紙はいっせいに

「鳴海は殺されていた」

と大見出しで報じた。

例の<大阪壁新聞>の主役、
夕刊各紙は警察が断定していないうちから
連日、天地もひっくり返すほどの展開をしていたから

「六甲の死体、やはり鳴海」

と大見得をきっていた。

山口組の攻撃はとまらない。

三日後の九月二十四日、
舞台は再び白昼の和歌山へ飛ぶ。

午前十一時三十分、
松田組傘下の杉田組、杉田寛一組長が事務所前で
至近距離から拳銃弾二発を撃ちこまれ、翌日死亡。

山口組はわずか一月余りの間に松田組側に
死者四、負傷一の損害を与えた。
【27】

RE:血風クロニクル  評価

こぱんだ (2014年06月09日 18時32分)



     血の部屋
    _______
   |┃≡     |
   |┃≡     |
ガラッ|┃      |
   |┃≡●  ●  | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   |┃( ΘωΘ) |< こんにちは!! |
   | E二    )  | \_______/  
   |┃ | | |  |
   |┃(__)_)  |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


のほ代表ー!! 元気ですか^^ 

再開になってました><  ブレイクタイムに・・と思ってたのですが・・大丈夫でしょうか

もし。。アレでしたら言って下さいね><

また後で、やって来ますのでね





遅くなりましたが^^  お墓のあとが続いて・・良かったな。。。と思っております

息抜きにでも・・向こうにお茶飲みに来て下さいね^^



ではでは。。。執筆頑張って下さいです!!


       (⌒)
     のほ (~) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
    (・ω・)() < うむ! 悪くないな♪ |
   { ̄ ̄ ̄ ̄}  \__________/
   {~ ̄ __}
   {~ ̄ __}
   {____}
    ┗━━┛



失礼しまするる〜〜〜☆
 
 
 
【26】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時01分)

【天女の遺体】

「ベラミ事件」から二ヶ月がたった。

昭和五十三年九月十七日は日曜日だった。

彼岸の入りまで一週間となったのに、
日中の最高気温が二十五度以下に下がったのは、
わずかに三日間だけで、夏の名残は濃い。

だが、さすがに標高九百三十二メートルの
六甲山には秋風が吹き、ススキの穂が揺れていた。

午後一時半ごろ、地元のハイカー六人が
六甲山頂付近の瑞宝寺谷で沢歩きを楽しんでいた。

山頂付近ドライブウェイから二百メートル下、
梅雨時の鉄砲水を防ぐコンクリートの、
えん堤が築かれ、周囲は雑木林だった。

一行は沢の底の方で人形のようなものが
横たわっているのを見つけた。

異様な臭気がする・・・・

「死体だ!」

誰かが叫ぶと、一行は悲鳴をあげ、
逃げるように沢をよじ登り、
やっと山頂付近の公衆電話から110番した。

兵庫県警捜査一課と地元の有馬署の捜査員や
鑑識課員が案内をうけ、現場に到着したのは
午後七時、あたりはすでに暗くなっていた。

傾斜三十度の谷底で発見された死体はなかば、
白骨化し両手、両足首をガムテープで縛られ
顔も目と鼻、口をガムテープで
ぐるぐる巻きにされていた。

肉の残っているのは肩と尻で刺青らしいものが見える。

黄色い縦じまのパジャマと
茶色の腹巻をつけ、履物はない。

「刺青のある死体!」

田岡一雄狙撃犯、鳴海清は背中に
天女の刺青があると公開手配されている。

「死体は鳴海ではないか」
 
マスコミは色めきたった。


兵庫県警捜査本部が

「死体は指名手配中の大日本正義団組員、
 鳴海清である」

と発表したのは発見から三日後の九月二十日であった。

これは死体の腐乱状態がひどかったこともあるが

「鳴海であって欲しくない」

という警察の面子が
否定的な見解になっていたことが否めない。

死体は発見の翌日の十八日、
神戸大学医学部で解剖されたが
前歯下四本が脱落しており、
手の指の爪は右三本を残して全てはがされていた。
足の指の爪も右足はすべてはがされていた。

ここから鳴海清は壮絶なリンチを
うけたのではないか、との推測がたった。

解剖の結果、わかったのは以下である。

◆死後三〜四週間
◆身長百七十センチ前後
◆年齢三十歳以下
◆血液型B型
◆胃の内容物は米飯と菜っ葉類
◆左手小指は第二関節から脱落
◆肋骨と背骨の一部に傷がある
◆パジャマのルミノール反応では背中と脇腹付近の出血が特に強い

死体が鳴海清であるという決め手は
やはり刺青であった。

腐敗した皮膚表面の刺青は肉眼では識別困難だったが、
赤外線撮影し残った皮膚部分の構図を
識別することに成功した。

写真を見た刑事たちから「おっ」と声があがった。

豊満な美女が舞い、その周りには
花とも雲ともつかぬ模様が踊っていたからだ。

捜査本部は大阪、西成区に出向き、
鳴海の刺青を手がけた彫り師を見つけ出した。

彫り師は

「鳴海は色白できれいな肌をしとったから、
 こら、エエ肌に巡りあえた思うて、
 心魂傾けて彫った傑作の一つと自負できるもんや。
 昭和四十七年(鳴海、当時十九歳)から
 一年がかりで彫ったのでよく覚えている。
 これは鳴海清の刺青だ」

と証言した。

死体の腹巻の中には現金三十万円のほかに
お守り袋があり、中には三輪車に乗っている
男児とうまれたての女児の写真が入っていた。

「このお守りはあの人が肌身離さず持っていました」

と内妻はむせび泣いた。

さらにお守りの中には銀紙に包まれた灰が入っていた。

内妻は

「かねがね、このお守りの中には
 会長の分身が入っている」

と聞かされていた。

会長の分身、つまり射殺された
吉田芳弘の遺灰の一部と推定された。

これらを総合して捜査本部は
ついに警察の手で捕捉できなかった口惜しさを
ありありと浮かべながら
「死体は鳴海清」と発表したのだった。
【25】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月07日 12時57分)

【挑戦状】

八月十三日、大阪の夕刊紙「新大阪新聞」と「大阪日日新聞」の二社に手紙が郵送されてきた。

文面は以下である。



「田岡 まだ、お前は己れの非に気がつかないのか・・・・・
 もう少し頭のすづしい男だと思っていた。でもみそこなった様だ。
 日本一の親分とかいわれ、己れ自身その覚が多少なりとあれば、王者の
 かんろくというものを知るべきだ。長期にわたり世間様にめいわくをかけ、
 尊い人の命をぎせいにし、その上にほこり高き己れ自身がさらし、
 真の日本一か・・・・・
 日本一の親分なら恥を知る者だ。
 それを知らぬかぎりしょせん、くすぼりの成り上がりでしかない。
 このまま、己れの力を過信すれば、その過信がお前のすべてのものを
 ほろぼす事に成る。それは天罰だ。かならず思い知らされるときがくるぞ。

                   大日本正義団  鳴海清

以上文面を八月十二日付けにて田岡一雄身典(親展?)に送付した」

=原文のまま

新大阪新聞社は便箋二枚に書かれたこの手紙を大阪府警本部に提出し、
府警の鑑定の結果、鳴海清の指紋二つが検出された。
また、筆跡も過去の鳴海清の供述調書の署名と一致する。
手紙は本人が書いたことが、これでほぼ間違いなくなった。

この手紙は西成郵便局の消印で、八月十一日午後八時〜十時ごろだから
集配時間を考えると、この日の夕刻に西成区内のポストに投げ込まれたことになる。

鳴海清はわざわざ、この手紙を投函するために
西成区内に現れたということになる。

手紙の内容は繰り返し読んでも、よく意味がわからない。

文中にある「くすぼり」とは「くすぶっている」というチンピラの蔑称だが
とにかく、田岡一雄を名指した挑戦状、
もしくは脅迫状といった印象をうける。

この手紙を書いた鳴海清の意図はなにか。

大阪に住んだ経験のある人なら誰でも知っていることだが、
梅田の地下街の柱などに刷りたての幾種類かの夕刊紙が貼り付けられて
PRのため立ち読みをさせている。

目を剥かんばかりの大見出しで帰宅途中のサラリーマンや
雑多の人々が群がって、この壁新聞を読む。

鳴海は大阪の夕刊紙がちょっとしたガセ情報にも飛びついて、
センセーショナルな「見出し合戦」をやることを知っていた。

なにより彼が引き起こした首領(ドン)狙撃は、
連日トップ記事扱いになっていた。

「自分の主張を多くの人に見せ付けたい」

鳴海清は撃ちもらした田岡一雄組長に手紙を送りつけると同時に
夕刊紙の大手、二社にこの手紙のコピーを郵送したのだ。

彼の意図はまんまと当たった。

新大阪新聞は全段ぶち抜きで「鳴海、山口組に挑戦状」と報じた。

大阪日日新聞はというと、どうせイタズラだろうというデスクの
ボーンヘッドでこのネタをボツにしてしまった。

いずれにしろ鳴海が書いた手紙は、一社がすかさずとりあげたことで
効果はあった。

大胆不敵に大阪市内に出没した鳴海清。

法の権威にかけて彼を捕まえようとする警察と
自らの手で処刑せんとする山口組は歯噛みした。

しかし、鳴海の行方はよう、として知れない。
【24】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時56分)

【鳴海、現る】

「ベラミ事件」からちょうど一ヶ月がたった
八月十一日。
大阪は相変わらず、うだるような暑さが続いていた。

午後七時を少し回ったばかりとあって
西成区のスナック「はるみ」には
まだ誰も客はいなかった。

三十六歳のママ矢野喜代子は
カウンターの奥で所在なげに座っていた。

ドアの外は西成特有の猥雑な
夏の夜の騒音が満ちていた。

ギーッときしむ音をたてながら、ドアが開いた。

「いらっしゃい」

矢野喜代子の口から反射的に言葉がとんで出たが、
入ってきた客を見るなり、
彼女の表情は硬く凍りついた。

目を細くして、青白い顔をした男は
まぎれもなく鳴海清だった。

「鳴海さん!」

彼女はそのあと絶句した。

一ヶ月前、京都のクラブ「ベラミ」で
首領(ドン)を撃った男が
ふらりと店に現れたのだから、無理もない。

事件以後、マスコミはこぞってこの男を写真入りで、
でかでかと書きたて
全国に指名手配した警察と
「処刑」を目的にした山口組捜索班の
必死の追及が続いている最中である。


大日本正義団事務所のすぐ近く、
顔を知っている者がウジャウジャいるという、
この西成に鳴海清は大胆不敵にも姿を見せたのだった。

「あんた、いったい、どうしたの!」

矢野喜代子はようやく声が出た。

「うん」

鳴海は店の中をジロリと一瞥した。

「相変わらず、しけとるなあ」

「あんた、こんなところへ来て、危なくはないの!」

「へっ!」

鳴海は嘲るような口調で嘯いた。

「なにが危ないんや。
 俺はいつでも正々堂々としとるで」

鳴海は矢野喜代子の顔をしげしげと見つめた。

「鳴海さん、飲むの?」

狙撃事件を起こす以前、
鳴海は足しげく通う常連だった。

「いや、酒はいらん」

鳴海は手をふると

「実は頼みがあるんや」ときりだした。

「なに?」

「鶴見橋の近くに俺が借りてるアパートがある」

鳴海は口早に説明を始めた。

大阪市西成区鶴見橋二丁目、
地下鉄四つ橋線花園町駅近くのアパート「山水園」。

住宅密集地の木造アパート二階の一室を
鳴海は前年の六月から借りていた。

四畳半、三畳、台所で家賃は月、一万六千円。

「家賃を八月分は払うとらんよって、
 代わりにオバハン、払うてくれんか」

封筒に入れた現金を渡された
矢野喜代子が承諾すると
鳴海清は

「ほな、またな」

とチラリと笑みを浮かべ
別段警戒するまでもなく、
そのまま、外へ出ていってしまった。

のちの警察の調べで鳴海は
匿われていた忠誠会組員の車で
西成に現れていたことがわかった。

その日、鳴海はさらに驚くべきことを
起こしていたことが判明する
【23】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時54分)

【復讐の絵図】

七月十六日。

京都府警捜査本部はひき続き、
首領(ドン)狙撃の舞台となった
「ベラミ」の関係者から事件前後の
聞き込みを進めていたが、
田岡一雄に異常な関心を寄せていた
ホステスの存在を聞きだした。

二十九歳のホステスで
前年の十月に「ベラミ」に採用され、
以前は大阪で勤めていた。
鳴海清が「ベラミ」に姿を見せはじめた
時期と一致する。

このホステスは田岡一雄組長が現れると、
興奮した口調で

「どの人が田岡さん?」

と、伸び上がって見つめ、教えてもらうと

「あのステッキを持っている人が田岡さんね」

と、ほかのホステスにも
念を押していたというのである。

そして、この女の身元を丹念に洗っていくと、
彼女が大日本正義団・吉田芳幸会長の
愛人であることが判明した。

彼女は「ベラミ」から南へ
七百メートルのマンションに住んでいたが
二十二歳の同じ「ベラミ」のホステスを
同居させていた。

念のため、この女も調べるとやはり、
大日本正義団幹部の女とわかった。

つまり、大日本正義団は田岡一雄がひいきにしている「ベラミ」にひそかに二人の女を送り込み、
行動をじっくり観察させ、
逐一報告させていたことになる。

この女たちの情報によって
田岡一雄組長の行動パターンが把握されると、
逐次、女たちは姿を消し、
そののち本格的に鳴海清が
常連客として「ベラミ」
に通うようになる。

「ベラミ」の経理を洗いあげてゆくと、
鳴海清はその年の四月二十二日から
七月十日までの間に三十九回も客として訪れ、
ホステスのチップを含めて
百四万七千円を使っている。

ほぼ、一日おきに三万円近くを落していく上客。

しかも、ホステスの一部では
彼がヤクザであることは感づかれている。

逆な見方をすれば、
これが山口組の情報網にひっかからなかったのが
不思議なぐらいである。

そこには

「まさか、首領(ドン)を直に狙うヤツなどいない」

という山口組側の慢心と油断があったに違いない。

いずれにしろ、この密偵としてのホステスの存在や
鳴海清の「ベラミ」での散財ぶりから、
田岡一雄狙撃は大日本正義団の
組織ぐるみの犯行と断定されることになる。

前会長、吉田芳弘の遺骨をしゃぶった男たち、
執念の復讐劇の「絵図」が次第にあぶりだされていた。
【22】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月07日 12時48分)

【先制摘発】

山口組三代目・田岡一雄が神戸の自宅に戻ったタイミングを逃さず
翌、七月十五日朝、
警察庁は一都二府、二十二県の警察に
暴力団の一斉摘発を指示した。

兵庫県警は田岡一雄組長宅、
若頭・山本健一の山健組事務所など五十四ヶ所、
京都府警は大阪府警の協力を得て、
松田組組長、樫忠義の自宅、
大日本正義団の事務所、
鳴海清の自宅など七ヶ所を捜索した。

「田岡御殿」と呼ばれる灘区篠原本町の
田岡一雄組長宅には
組員三十人が泊まりこんでおり
「銃刀法違反容疑」での捜索令状を手にした捜査員が
邸内をくまなく捜索したが凶器の押収はなかった。

田岡一雄は二階北側の十二畳の部屋に
ふとんを敷いて寝ていた。

収穫のない捜索にあって、
山健組傘下の健竜会事務所の壁に
「団結、報復、沈黙」との会則が貼られているのが不気味であった。

京都府警が捜索した大阪市西成区天下茶屋の
大日本正義団事務所はシャッターが下ろされ
中には電話番の組員三人がいるだけで、
ここからも何もでてこなかった。

山口組の標的目標とされている吉田芳幸会長以下幹部、
十数人は風を食らって逃亡し、所在はつかめない。

鳴海清の自宅からは本人の数次旅券が発見され
海外逃亡説は一応、消えた。

その夜、大阪府警マル暴に情報あり。

「山口組は幹部会で直系の百団体から
それぞれ十人編成の戦闘団を組織するように命じ、
すでに三班が行動を開始した」 ――――

大阪府警はライフル銃隊に、警戒待機を命じ
山口組戦闘団を確認次第、凶器準備集合罪で急襲する方針を決定した。

兵庫県警は警備先の警察官には
防弾チョッキを着用させ
拳銃使用許可を通達した。

松田組は報復に燃える山口組に包囲されている、
といえたが組事務所前には
装甲車、ガス銃、盾をもった
機動隊が厳重な警備体制を敷いている。


炎天下に、風のない暑い夜に、
捜査陣と山口組探索班による
「鳴海探し」のデッドヒートが続いていた。
【21】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時52分)

【臨戦態勢】
 

 首領(ドン) 狙撃犯が割れたことによって
戦争の扉はまさに開かれんとしていた。

山口組三代目・田岡一雄組長が入院している
関西労災病院、山口組襲撃班に狙われる
おそれのある松田組組長、樫忠義の自宅や事務所、
大日本正義団事務所、菅谷組関係先などに
兵庫県警、大阪府警の機動隊、装甲車、パトカーが
二十四時間の警戒態勢で臨んだ。

十四日になって、兵庫県警は
田岡一雄組長が入院している関西労災病院には
一般の入院患者、通院患者がいて、人の出入りが多く
チェックが困難なうえ、
もし、再度の襲撃事件が発生すれば
一般市民に巻き添え被害が発生しかねない、
との見方から田岡一雄組長に退院を勧告した。

事実、関西労災病院には

「おまえらは暴力団の親玉をかくまう気か」

「いつまでも山口組の病院をやるんなら
 ダイナマイトをぶちこんだる」

という、いやがらせや抗議の電話が殺到していた。

病院側では協議して、田岡一雄の
負傷後の経過が安定しているとみて
文子夫人ら付き添いの幹部と相談

「一般の人に迷惑をかけたくない」

と田岡一雄は即座に同意した。

午後七時
兵庫県警は関西労災病院周辺の警備を強化、
正面周辺道路に盾を持った機動隊百人を配備した。

午後九時十五分
一般の見舞い客が帰ったあと、
田岡一雄組長は五階の特別病室から
ストレッチャーに乗って玄関口へ降りてきた。

薄い水色のガウンを着てタオルケットに包まれ
額にはタオルが当ててあった。

両脇を屈強な組員に支えられて
六十五歳の田岡一雄組長は玄関前の
黒いキャディラックに乗り込んだ。

主治医の中山英男外科部長、
文子夫人、大平組組長、松浦一男が従った。

このキャディラックの前後を山口組の大型外車二台、
さらにその前後をパトカー二台がはさみ、
関西労災病院を出発した。

午後十時五分
キャディラックは神戸市灘区の田岡一雄邸に到着した。
ここでも防弾チョッキ、盾、ガス銃を
持った機動隊三十人が警戒し
組員五十人が玄関前に出迎えた。

病院の玄関同様、テレビライトが照らし出し、
カメラのストロボが光った。

「おんどりゃ、どかんかい!」

「親分のからだに悪い、ひかりを消さんか!」

組員たちは押しかけた報道陣に罵声を浴びせた。

病院では見送りに出た金子仁一郎院長を
記者たちがとりまいていた。

「ケガの状態はよくなっていますね。
 高血圧は持病なので血圧は不安定です。
 普通では、退院は無理なのですが、
 こんな状況ですからね。
 今後は主治医が自宅で田岡さんを診察します」

この夜、兵庫県警と大阪府警は
集まった情報を精査した。
これを総合すると以下のようになる。

■山口組は狙撃犯の鳴海清を
 警察に先がけて捕らえ「処刑」する方針

■鳴海清以外の山口組の報復目標は以下の三人

 松田組組長         樫忠義(四十歳)
  松田組系村田組組長  村田岩三(五十一歳)
  大日本正義団会長  吉田芳幸(三十五歳)=射殺された吉田芳弘の実弟

兵庫県警は抗争事件発生時には
拳銃使用を認める決定を下した。

「マークすべきは細田組組長・細田利明、
 それに直参の若衆」
 羽根組組長、羽根恒夫!」

二人とも「ベラミ」で田岡一雄のお供をしていながら、首領(ドンを)狙われた責任者であった。
【20】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時49分)

【首領(ドン)を撃った男】

鳴海清。

昭和二十七年八月十五日、
東大阪市足代の青果商の二男、五女
七人兄妹の末っ子として生まれた。

東大阪市から西成の愛隣地区に移って
萩之茶屋小学校、今宮中学へと進む。

「クラス一の弱虫だった」と
小学校時代の同級生の談話を
大阪読売新聞は報じている。

中学卒業と同時に東大阪市内の
印刷工場に就職したが、二年で辞めている。

このころから、急速に不良じみてきて、
西成でぶらぶらし始めた。

「体つきはよくいえばスラリとしているが、
 まあ、きゃしゃ、やね。
 それでも女を連れると肩を揺すって、
 でかい顔して歩いとったよ」

十七歳になる一ヶ月前に自動車窃盗で
西成署に補導され、保護観察処分。

その三ヵ月後に、西成区の喫茶店で客と口論し殴打、
打ちどころが悪かったのか相手を死亡させた。

この事件で一年半、浪速少年院に送られる。

「内向的ながら、逆上すると
 みさかいのつかない攻撃的な行動にでる」

と、当時の性格診断書にある。

甘いマスクで女にもてる優越感と
内面のひ弱な劣等感が複合した
コンプレックスを抱えていた、とみる向きもある。

大日本正義団が結成されたのは昭和四十六年だから
鳴海清、十九歳のときである。

鳴海は少年院を出ると大日本正義団の使い走りや、
その斡旋でスナックのバーテンをするようになる。

二十二歳で一つ年下の女性と結婚、
同時に吉田芳弘会長から正式に盃をうけ
大日本正義団組員となった。

吉田芳弘会長が射殺される一ヶ月前の
昭和五十一年九月五日
鳴海は自転車で西成区内を通行中、タクシーと接触、
逆上してタクシー運転手を殴ったうえ、
かけつけた西成署員にも乱暴して逮捕された。

十二月、大阪地裁で暴行傷害、公務執行妨害の罪で
懲役一年六月、執行猶予三年の判決を受ける。

このとき、取調べにあたった西成署の
暴力係捜査員が供述調書をとる際

「おまえ、なんでまた、ヤクザなんかになったんや」

と、大日本正義団に入った動機を聞くと、
鳴海は胸を反らしていった。

「そりゃ、パリッとした背広着て、
肩で風切って歩けるさかいや」
【19】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時47分)

【狙撃手、割れる】

田岡一雄狙撃の現場「ベラミ」では
京都府警捜査四課の捜査員が
目撃者の話から犯人像を組み立てていた。

犯人は身長170センチ、中肉、面長で白シャツ、
紺のヤッケに白いスラックス。

前年の十月から「ベラミ」に姿を見せ、
その年四月の終わりごろから
足しげく通っていた男だった。

好奇心を顔いっぱい露わにしたホステスたちは
知っていることなら何でも洗いざらいに喋った。

キムラと名乗り、男前だった。

「どんな、お仕事?と聞くと
 『うるさい!身元調べみたいなことを聞くな』
 と、言わはったんえ。
 顔に似合わずこわい感じで、
 とっつきが悪う、おわした」

「髪は?」

「五分刈りどす。左手の小指があらしまへんどした」

「ヤクザだね」

「あの人なら肩から背中に天女の刺青があったわ」

つい、口を滑らせたホステスがいた。

「情婦です」と白状したようなもんである。

捜査員が執拗に尋問すると、
この女はベソをかきながら、
幾度かキムラに誘われて寝たことを白状した。

犯人割り出しの決め手となったのは
グラスに残っていた指紋と
「ベラミ」近くの路上に落ちていた
ヤッケのポケットにあった
壊れたサングラスの指紋からであった。

京都府警から送られてきた指紋は
大阪府警の指紋カードと照合された。

七月十三日、照会指紋が照合した。

指紋番号57877(左)  98898(右)

それは大日本正義団組員、鳴海清の指紋だった。

カードには「性格は粗暴で短気」とあった。

マスコミにかぎつけられる前に
鳴海清をつかまえたい、
と大阪府警捜査四課の刑事たちは
大阪市西成区萩之茶屋の鳴海の自宅をはじめ、
めぼしい立ち回り先に踏み込んだが、
その姿は発見できなかった。

この異変を記者たちが感づかないわけがなかった。

七月十四日

京都府警の捜査本部は
山口組三代目・田岡一雄狙撃犯人は
鳴海清と断定し、発表した。
【18】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時46分)

【6万分の1の奇跡】

午後十一時
兵庫県警機動隊六百人が
神戸市生田区の山口組本部事務所、
灘区篠原本町の田岡一雄宅など
十三ヶ所の非常配備についた。

山口組若頭・山本健一は肝硬変で入院中の
豊中市内の病院からパジャマ姿のまま、
あたふたと関西労災病院にやってきた。

このころから、組員多数がつめかけ、
病院前は報道陣とでごったがえした。

兵庫県警、大阪府警、京都府警のパトカー、
計二十台の赤色回転灯で
病院の白壁が夜目にも赤く彩られた。

田岡一雄組長は搬送されるや、待ち受けていた
中山英男外科部長の執刀で四十分にわたる
手術と手当てをうけた。

弾丸は田岡一雄の首の後部右下から
左上にかけての貫通銃創であったと、
中山外科部長は発表した。

弾丸の射入孔は一・五センチ、
射出孔は一・三センチである。

全治二、三週間である、という発表だった。

「頸を撃ち抜かれて、そんなに軽いのですか?」

当然のように記者団から疑問の声があがった。

「ええ、幸い頸部の筋肉部分だったからです。
 もう、1センチでも弾道が
 内側にずれていたら大動脈や神経系統を
 やられて即死だったと思われます」

この説明に記者団から「うおっ」と
感嘆ともため息ともつかぬ声があがった。

後にこの銃弾コースは撃たれた銃弾の
口径、距離、角度からして
法医学上「6万分の1の奇跡」
であったことが判明する。

「強運も強運。こんな運の強い男は見たことがない」

と、兵庫県警の捜査幹部は漏らしたが、
これは偽りのない感想であろう。

翌日の社会面に「不死身の三代目」の
見出しをとった新聞もあった。

手術を終えた田岡一雄は駆けつけた組幹部たちに

「こんなに見舞いにきてくれたら、
 わしのほうが気をつかう」

と軽口を叩くぐらいに元気で、文子夫人、
長男の満氏に付き添われ五〇六号室に入った。

いっぽう「ベラミ」で流れ弾に当たった
二人の医師は救急車で自分たちの
「安井病院」に搬送され、手術をうけた。

安井浩副院長の右肩からは比較的楽に
弾丸が摘出され、三週間の軽傷であった。

津島信則神経科医長は出血がひどく
五時間に及ぶ大手術のすえ、弾丸は摘出され、
二ヶ月の重傷ですんだことに関係者は安堵した。

手術の終わりと同時に夜は明けた。
【17】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時44分)

【激 震】

騒然とする店内の人垣をかき分け、
細田利夫と羽根恒夫は首領(ドン)のところに舞い戻ってきた。

「大丈夫ですかっ!」

「うん、心配はいらん」

なんという気丈さか、と細田利明は感じいった。

救急車は到着した。

しかし、細田はとっさに京都の病院へ行くよりは
田岡一雄が心筋梗塞で治療を受けている関西労災病院に
入ってもらったほうが身辺警護上、安全だと判断した。

三代目専用のキャディラックは
「ベラミ」の前に駐車してあった。

「尼崎の労災病院に行きます」

「そうしよう」

田岡一雄は負傷した頸をハンカチで押さえたまま、
羽根恒夫に支えられていたが自力で歩いて、
キャディラックの後部座席に乗り込んだ。

午後九時三十分
黒のキャディラックは猛然とスタートし、
夜の京都の町を名神高速道路
京都南インターチェンジに向かった。

午後九時四十分
新聞記者たちが「ベラミ」につめかけてきた。

「撃たれたお医者さんの安井病院といえば
 トラさん(蜷川虎三・前京都府知事)の
 主治医の病院じゃないか」

そのうち「べラミ」のホステスの中に、
山口組三代目の顔をよく知っている女がいて、
田岡一雄組長が負傷した事実を伝えた。

「なにっ!首領(ドン)が撃たれた!」

記者たちは店内の電話にとびついた。

午後十時十分

兵庫県警暴力対策一課(情報) 同二課(山口組専従)
の電話がいっせいに鳴り始めた。

「田岡一雄組長が撃たれたってほんとうですか?」

「えっ、どこで」

「京都のクラブ・ベラミで、ですよ」

「いつ?」

「つい、さっき」

「ちょっと待ってくれよ」

暴力対策二課はたちまち大騒ぎとなった。

「ほんとうか?」

「早く京都府警に問い合わせろ!」

兵庫県警は京都府警を呼び出した。
だが、要領を得ない。

「ベラミ」で発砲事件があったことは事実らしい。


「田岡一雄が撃たれたとなると、
 尼崎の労災病院にはいる可能性が高いな」

「時間的に考えて、田岡のクルマがまだ
 名神高速道路を走っているかもしれん
 パトカーを尼崎インターにはりつけて、 
 キャディラックがこないか監視させろ。
 別に関西労災病院にもパトカーをやれ」

指令がだされた。

記者たちが暴対一、二課に殺到してきた。

「いったい、どうなってるんですか!」

「ちよっと待ってくれ!こっちも確認の最中だから」

捜査員らはいらいらした。

午後十時三十分、尼崎インターに
張り付いていた兵庫県警のパトカーが
黒いキャディラックを発見した。

「どうしたんか」

「親分が撃たれた。早く病院にいかな、ならんのや」

「よし」

いかなる事情があるにせよ、
ことは人命にかかわっている。

兵庫県警パトカーは赤色回転灯を点滅させ、
サイレンを鳴らしてキャディラックを
関西労災病院へと誘導した。

午後十時四十分、キャディラックは
病院の救急搬送口へ滑り込んだ。

「田岡一雄が撃たれたのは事実らしいな」

パトカーからの無線を傍受していた
暴対一、二課の連中は事件の大きさに緊張した。

捜査員の一斉非常呼集がかけられた。

午後十時四十六分
京都府警本部から正式に兵庫県警本部に

「広域暴力団山口組三代目、田岡一雄組長撃たれる」

の報が伝えられた。

兵庫県警本部は直ちに県下各署に
「A1号配備」を命じた。

暴力団抗争にともなう「最大警備体制」である。
【16】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時41分)

【京都 ナイトクラブ・ベラミ】

昭和五十三年七月十一日

あの吉田芳弘射殺から一年十か月が経っていた。

京都は前線の通過で夕刻から激しい雨であった。

不気味な稲妻とともに雷鳴が轟き、
京都タワーや二条城が
青白い閃光を浴びて夜空に浮かび上がった。

京阪三条駅前のナイトクラブ「べラミ」は
夏枯れと悪天候で客入りは四分どころ、であった。

午後九時二十五分雨があがったころ、
この夜のショーであった「ルークール」による
リンボーダンスが終わり、拍手が起こった。

ステージの下手寄り、二列目のテーブルに
山口組三代目・田岡一雄組長がいた。

この日、太秦の京都撮影所に招かれた田岡一雄は
側近を引き連れ、「ベラミ」を訪れていた。

彼は心臓疾患を抱えていたから
アルコールは口にせず、オレンジジュースで
リンボーダンスのショーを楽しんでいた。

奥のテーブルにいた若い男がこのとき、
いきなり立ちあがった。

男は一歩踏み出すようにすると
コルト38口径の拳銃を抜き
両手で構えると腰を落とし、
田岡一雄めがけて、二発の銃弾を発射した。

「うっ」

思わず、田岡一雄は頸を押さえた。

田岡一雄の右奥に座っていた京都市左京区
「安井病院」の安井浩副院長は右肩に銃弾が当たり、
もう一発は同席していた津島信則神経科医長の
右背中から腹部に達する銃創を与えた。

二人の医師が倒れたのを見て、
一人のホステスは驚きのあまり失神した。

安井浩副院長らは新任の医師歓迎会の二次会として
「ベラミ」に居合わせていたのである。

撃った男は拳銃を握ったまま

「どけ、どけ!」

とわめいて入り口から逃げた。

このとき護衛の一人、羽根恒夫は
そろそろ引き揚げる時間だと、
フロントで清算を頼み、
田岡一雄組長宅への連絡のため、
受話器を握っている最中だった。

羽根恒夫は異変に気づいて
首領(ドン)のテーブルに駈け戻った。

首領(ドン)を撃った男とすれ違いになったの
はまさに皮肉なことであった。

田岡一雄のお供をしていたのは若頭補佐・細田利明、
仲田組組長仲田喜志登弘田組組長弘田武志、
それに羽根恒夫の四人だった。

三代目、首領(ドン)が撃たれた!

「追え、追えっ!」

血相を変えた細田利明と羽根恒夫は男を追ったが、
狙撃犯の姿は闇の中へ消えていた。

頸を撃たれながら田岡一雄はしっかりしていた。

自らハンカチで出血を抑えて、
青くなって飛んで来た「ベラミ」のママ、山本千代子に

「わしは大丈夫や。隣の撃たれた人をはよう、
 病院に運んであげにゃ」

と、落ち着いて指示した。

「べラミ」の中は騒然としている。

「救急車を呼べ!」

「早くあかりをつけろ!」

客たちの怒鳴る声が交錯した。

フロントの男が舌をもつれさせながら
110番の受令者にむかって叫んだ

「こちらは三条の『ベラミ』ですが、
 いま、人が撃たれました!
 救急車をお願いします!」

「ベラミ」と道を隔てた真向かいに
松原署三条大橋東派出所がある。
客待ちをしていたタクシーの運転手が
事件に気づいて派出所に駆け込んできた。

「あの店の中で」

息せき切って立番中の森田寛巡査に叫んだ。

「発砲騒ぎがあったらしいおすえ!」

「えっ!」

森田巡査は本署に急報すると
警棒を握り締めて「ベラミ」へ走った。

救急車とパトカーのサイレンが 
早くも周辺にこだましていた。
【15】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時38分)

【流血のバランスシート】

昭和五十年九月
「ジュテーム事件」から一月余りがたったころ、
山口組三代目・田岡一雄は
佐々木組、佐々木道雄組長をつかまえて

「ゴルフばっかり、やっとってええんか」

という含蓄の深い言葉をかけた、
という情報が兵庫県警に入った。


兵庫県警は大日本正義団、
吉田芳弘会長射殺事件をうけ、
この首領(ドン)の言葉や幹部連中の叱責を
殺人教唆にならないか、と検討したが
実質を確定できないことや、
仮に確定できても

「ゴルフばっかり、やっとってええんか」

というひと言だけではどうにもならない、
とサジを投げた。

それどころではなく、
佐々木組による吉田芳弘会長射殺がはっきりし、
関係者を逮捕しても警察の手は
ついに佐々木組長に及ぶことはなかった。

逮捕された者たちはこの社会の掟通り、
組長の指示によるものではないと頑として
否認したのである。

いずれにしろ「ジュテーム事件」から
一年二ヶ月後に報復は決行された。

山口組内部の反応はさまざまだったが

「これで五分五分だ」

というのが大方の見方だった。

つまり、これまでの山口組側の損害
死者四、重傷一と大日本正義団、吉田芳弘会長の死は
その重みにおいて匹敵するという意味であった。

「背中からではなく、せめて正面から撃てなかったか」

という声もあったが
これは、傍観者の言葉であり、
この事自体が山口組にとって
「他人事」という空気のあった証拠でもあった。

松田組はこの報復に当然のことながら激昂した。

事件三日後の十月六日、吉田芳弘会長の遺体は
平野区の火葬場で荼毘に付された。

大阪府警の情報では大日本正義団組員は
会長の遺骨をしゃぶって報復を誓ったという。

翌七日、再三の大阪府警の中止勧告を無視して
松田組は吉田芳弘の組葬を西成区の
「太子ホテル」で強行した。

広島、九州などから反山口組の組員七百人が集まった。

大阪府警は新大阪駅や大阪国際空港で検問を実施、
さらに会場前では機動隊が出動して、
参列者のボディチェックを行った。

「何するんか、なんも持っちょらん!」

「なんや、はよ、通さんかい!」

バスから降りようとする黒い一団に
西成署の指揮官がハンドスピーカーで

「一人もおろすな!とじこめろ!」

と命令、警官隊がバスの出口に殺到すると
ついに乱闘が始まった。

抗争事件の真っ只中での組葬は
単に殺された者を弔うだけでなく
報復への「鬨(とき)の声」に似ている。

また、参列の友誼団体からは多額の香典が集まる。
いわば、戦争のための軍資金集めでもある。

警察が躍起になって組葬を中止させようとするのは、
そのためでもある。

山口組側からみれば、大日本正義団
吉田芳弘会長を射殺したことによって
ようやく相討ちとなった。

流血のバランスはとれたのである。

当然、仲裁人が出てきて、
山口組と松田組に和解が打診された。

松田組の答えは「ノー」であった。

いぜんとして山口組が松田組、
樫忠義組長の謝罪を要求したからだといわれている。


和解は成立せず、山口組と松田組は睨みあったまま、
しばらくの時をおくるのである。
【14】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時31分)

【大日本正義団】

こうした時に大阪キタに進出して
金ヅルをつかもうとした
佐々木組系徳元組が松田組系の溝口組と衝突を起こし、
山菱の代紋をひけらかした徳元組に対して
溝口組は萎縮するどころか、猛烈な反撃にでた。

溝口組が徳元組に対して完膚なきまでの攻撃を
引き起こした裏には

「山口組なにするものぞ」

といった軽侮の念すら、感じられた。

それだけ、山口組の内部不統一は
この社会で知れ渡っていた。

だからこそ、松田組は大反撃に出たのである。

松田組は賭博一本でメシを食ってきた
博徒組織としては「名門」であり
先代の松田重義は各地の親分衆と
盃を交わしたこの稼業の重鎮でもあった。

松田重義は山口組のような膨張主義はとらずに
松田組モンロー主義を守ってきた男だったが、
昭和四十二年に引退、跡目を樫忠義が継いだ。

しかし、ここにきて、二代目・松田組も
ピラミッド体制をとりはじめ
傘下に村田組、溝口組、石田組、
瀬田組など七組があり
村田組傘下に大日本正義団などの
三次団体があって、これらを加えると
松田組は傘下二十団体、三百人となる。

大阪府警捜査四課は

「これではマンモスと狼の戦いだ」

と評した。

では、なぜ松田組はマンモスに戦いを挑んだのか。

繰り返すようだが、ヤクザは暴力を売り物としている。
相手の暴力の前で手も足もでないとなれば、
売り物なしのお手上げとなり
組織の存亡にかかわってしまう。

だから、どんな強力な相手であれ、
目には目を、歯には歯を、
で対抗しなければならない。

しかも相手の山口組は近頃、少しおかしい。
内輪もめばかりしている。

「山菱なんか、見かけ倒しだ!」というのが
当時のヤクザ社会でもちきりの話だった。

これが松田組の戦意をかきたてたのだろう

とりわけ、松田組には大日本正義団
という戦力があった。

大日本正義団は昭和四十四年、
吉田芳弘によって結成された。

吉田芳弘は元々松田組内、村田組の若頭であった。

一時、松田組の後継候補にも
挙がったことがある実力者だったが
松田組二代目を樫忠義が就任すると、
自ら大日本正義団を結成した。

吉田芳弘は賭博一本の松田組の方針には不満で、
自分が組を持つと西成を徘徊している
チンピラを片っ端から誘い込み
覚せい剤、売春、競輪、競馬のノミ行為、
債権取立てなどあらゆる黒い勢力に手を広げた。

西成は暴力団事務所がひしめく無法地帯である。

その中で黒いダボシャツ、坊主頭の
大日本正義団組員は刺青をはだけて闊歩した。

暴力団とて、スーツを着て礼儀正しい言葉遣いで
市民生活に溶け込み資金源も企業舎弟や
倒産整理などに知能化しつつある時に
大日本正義団は愚連隊への逆戻りの感があった。

もともと、喧嘩が三度のメシより好きという
チンピラたちを集めた急拵えの組織だったから、
このルーズさは仕方なかった。

しかし、彼らはほかの組織との
ドッグファイトでは負けたことがない
乱暴者ぞろいだったから、
西成の暴力団も大日本正義団には一目おいて
松田組内部における吉田芳弘の地位は
三次団体の組長にもかかわらず
傘下各組の組長を凌駕せんばかりとなった。

「ジュテーム事件」後、松田組の当面の相手は
徳元組の上部団体、佐々木組だった。

いわば、松田組の大局観は局地戦であり、
その先頭に立っていたのが
大日本正義団だったのだ。
【13】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時27分)

【潮流と苦悩】

山口組系ということであれば一万一千人は
たしかに山口組系組員であるが
純然たる山口組組員を名乗れるのは
田岡一雄一人にすぎない。

いってみれば山口組とは田岡一雄経営する
フランチャイズチェーンであり
その組織は多角的安全保障のネットワークであった。

反山口組の組織にとって、山口組の脅威とは
チェーンの一店と戦争となれば
連鎖反応的に山口組の全加盟店を敵に回すという
「大量動員」に対する恐怖であった。

昭和三十年代、山口組三代目・田岡一雄は
神戸港船内荷役を牛耳る全国港湾荷役振興会と
神戸芸能社という二本の巨大な資金源を獲得していた。

田岡一雄は傘下各組が各地に遠征する費用として
この莫大な資金を惜しみなく投じた。

この資金力こそが、
山口組の全国制覇への原動力だった。

だが、警察庁の第一次頂上作戦で
兵庫県警はこの二つの資金源に迫り
これを山口組から断ち切ることに成功した。

さらにこの時期、三代目・田岡一雄は心筋梗塞で
長期入院を余儀なくされていた。

「もう、一息で山口組を潰せる」

警察庁、兵庫県警は固唾をのんで
彼らの動向をうかがった。

しかし、山口組は潰れなかった。

その理由は先に述べたように
山口組という組織の特異性にあった。

それが偽装にせよ、首都暴力団は
警察の猛攻の前に次々と解散を声明し、
神戸でも山口組と並ぶ古豪・本多会は解体した。

しかし、山口組だけは絶対に解散を宣言しなかった。

病床にあろうとも山口組とは
田岡一雄、たった一人のものだからである。

兵庫県警、大阪府警をはじめ全国の警察が
山口組系各組を追い詰めて解散させた例は
いくらでもある。

だが、結果として山口組解体には
少しもつながらなかった。

山口組とは多節足動物であった。

五百本の足があれば、傘下の五十や六十の
団体が解散したところで
山口組は平気で歩いていけるのである。

田岡一雄が「解散」を宣言しないかぎり、
たとえ行動不能に陥ろうとも「山口組」の名は残る。

こうして山口組は生き残った。

だが、さすがに山口組の体質は変わっていた。

往時の資金力は失せ、財政を支えるためには、
傘下の組織から償還のない負債が
割り当てられるようになった。

つまり「上納金」である。

高度経済成長期には山口組傘下団体も
そのおこぼれにあずかって収入増を続けていたため、
しのいでいられたが、山健組・山本健一組長が
若頭に就任した直後に日本は
オイルショック不況に陥った。

これはヤクザ社会においても大きな打撃であった。

組の財政を預かる山本健一が
山口組フランチャイズを維持するために金集めに
口やかましくなったことは、
これはもう、当然というしかなかった。

しかも彼の若頭就任が五対四という
際どい支持であったとすれば
山口組の運営がギスギスとしたものになったことは
十分に想像がつく。

このころから山口組傘下団体がほうぼうで
他の組織との摩擦が多くなり
時には同士討ちまで引き起こしたのは、
山本健一若頭の強引な政策の結果というより、
各組とも不況のあおりで収入が激減し、
他の縄張りに侵入せざるを
得なくなっていたからだった。
【12】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 17時01分)

【山口組の構造】

大日本正義団吉田芳弘会長射殺は
暴力団の本質をあますところなく
世間に暴露した事件となった。

ここまでの「大阪抗争」をおさらいしてみると
次のようになる。

まず、徳元組組員に賭場を荒らされた
溝口組が豊中の喫茶店「ジュテーム」で
徳元組組員三人を射殺したことから戦争は始まった。

賭場を荒らされるということは、
縄張りを侵されることであり
ヤクザ社会の典型的な抗争パターンである。

小さな組同士の紛争ならいざ知らず、
この徳元組にも溝口組にも上部団体があった。

徳元組の上部は佐々木組であり、
さらにその上には山口組である。

いっぽう溝口組は松田組傘下である。

この下部組織同士の紛争で仲直りは成立しなかった。

それどころか、交渉が決裂すると
山口組側は溝口組の上部団体、
松田組組長・樫忠義の自宅を銃撃した。

松田組側は即座に反撃し、
神戸の山口組本部事務所に銃口をむけた。

つまり、子供の喧嘩を親が買ったことになった。

もっとも、これは理由のないことではない。

山口組というのは当時傘下五百団体、
構成員一万一千人であった。

これを単純計算してみると
山口組を構成する一団体当たりの
組員は二十二人となる。

なかには七、八十人を擁する組もあれば、
逆に七、八人という組だってあるのだ。

これらの組が親、子、孫といった上下関係、
いわばピラミッドの従属関係を
結んでいるのが山口組の実態であった。

このピラミッドの頂点に立つのが
首領(ドン)の田岡一雄であり、
その下に若頭、九人の若頭補佐がいて
最高幹部会を開き、組の運営や統制を行う。

さらに幹部ではないが、田岡一雄の
直系の若衆にあたる組長が
全国に約七十人いる。

これらの若衆(子分)たちは
若頭の山本健一が
山健組組長であるように、
それぞれが自前の組の組長である。

奇妙なことだが、
こういう観点に立てば、
山口組とはたった一人になってしまう。

つまりは首領(ドン)田岡一雄組長だけなのだ。
【11】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年04月12日 09時42分)

【密 告】

大阪府警捜査四課はただちに捜査を開始した。

瞬時の出来事とはいえ、
白昼、繁華街が舞台であり、目撃者は多かった。
クルマで移動していた吉田芳弘会長を
待ち伏せしていたのだから、
襲撃した男たちもクルマを使っていたに違いなかった。

現場周辺の不審車の徹底した聞き込みによって、
犯行の二十分前、現場付近に
「福島ナンバー」のクルマが停まり、
後部座席から二人の男が降りていたことが判明した。

さすがにナンバープレートまでは判明しなかったが、
捜査本部は「これはレンタカーに違いない」とにらんだ。

捜査員たちは大阪のレンタカー会社を
シラミつぶしに洗った。

その結果、大阪市東区東和町の
日産観光大阪支社に「福島55れ・413」という
ナンバーのチェリー・セダンの
レンタカーがあることが判った。

さらにこのチェリーを借りた男は
山口組系佐々木組の組員だとわかった。

まさにドンピシャであった。

この組員は犯行前日の十月二日に借り、
四日には別人が返している。
しかも、この男は九月二十八日にも
同じように借りていた。

捜査四課は執拗にこの男を内偵した。

これだけでは逮捕できないからである。

執拗な内偵捜査の結果、
男が八月末に改造拳銃をちらつかせたことが分かり
十一月十四日、拳銃不法所持の容疑で逮捕した。

いわゆる別件逮捕である。

これとは別に密告情報もあった。

事件の二週間後の十月十六日昼すぎ、
捜査本部の電話が鳴った。

「おい、日本橋で吉田を撃ったやつを教えたろか」

というダミ声の男だった。

「あれはな、佐々木組の中の
 入江組と片岡組の二人組や。
 一人は大阪の極道やが、もう一人は
 奄美大島の出身のやっちゃ」

さらに二日後には同じ声で

「警察はぼやぼやしとるな。
 もうちょい、くわしいはなし、したろか。
 一人の男の名前は北中ちゅうんじゃ」

と、名指しまでしてきた。

佐々木組系入江組にはたしかに
北中政美という男がいた。

捜査四課はこの男が三年前に堺市で知人を殴り、
三日間のケガをさせた事実をつかみ、逮捕状をとった。
これも別件容疑である。

十一月十八日、北中正美は
潜伏先の高松市内で逮捕された。

現在では事件の全容は以下のように判明している。

「ジュテーム事件」以来、一周忌が過ぎても
佐々木組になんの動きもないので
九月五日の山口組定例幹部会で佐々木組長は、
若頭・山本健一らから
「それで、極道といえるか」と罵られた。

このあたりから、松田組系大日本正義団の
吉田芳弘会長に的を絞った報復計画が練られた、
というのだ。

四人の男が襲撃班に選ばれ、
一人が指揮兼見届け役、一人が襲撃車の運転、
二人がヒットマンとなり、
スミス&ウェッソン38口径拳銃二丁が渡された。

六甲山中で試射訓練が行われ、
メンバーは九月中旬から
吉田芳弘会長の行動を監視し、
十月三日、ついに射殺に成功した。

ヤクザ社会は「鉄の団結」などというが、
実態はまさに絵空事である。

襲撃班は犯行を密告され、
最期は潜伏先までも事情通によって
警察にさされたのであった。
【10】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時21分)

【報 復】

山口組の「不戦宣言」から丸一年。

昭和五十一年十月三日、日曜日の大阪は秋晴れだった。

松田組系大日本正義団会長の吉田芳弘は
韓国人女性ら三人を市内見物のために案内していた。

護衛の運転する黒塗りのクラウンで
吉田芳弘は午前十時に西成区の愛人宅を出て、
三人と落ち合い、十一時に
ミナミのふぐ料理店で昼食をとった。

午後零時五十分、
吉田は浪速区日本橋の
「やまと無線」前でクラウンを停めさせ、
お土産として電気シェーバー三個と
ホットカーラー一個、計二万七千円の買い物をした。

買い物を済ませた吉田がクラウンに
連れの客たちを乗せようとドアの横に立ち、
手をあげたとき、二人の男が近づいた。

午後一時十五分ごろであった。

実は吉田芳弘ら五人が「やまと無線」に入ったころ、
この二人の男は左隣の電器店の入り口に立っていた。

「何かお探しですか?」

女性店員が出てきて、彼らに声をかけたが、
男たちは振り向きもしなかった。

店員二人は顔を見合わせて奥に引っ込んだが、
男たちはそこから立ち去らなかった。

あきらかに彼らは吉田芳弘を待ち伏せしていたのだ。

一人は茶色のジャンパー、
一人はハイネックのセーターに紺色のジャケット

二人は無言で吉田芳弘会長の背後、
三メートルにしのび寄ると、
同時に拳銃を引き抜き、計五発を連続発射した。

拳銃弾五発は吉田芳弘の背中、腰に全弾が命中、
うち二弾は胸部を貫通した。

吉田芳弘は歩道の縁石をまたぐように
あおむけに倒れた。

日曜日、買い物客でにぎわう商店街のど真ん中で
起こった射殺劇に人々は悲鳴をあげて逃げまどった。

確実に吉田芳弘が倒れたのを見たとたん、
二人の狙撃手は商店街の中を走って逃げ出した。

吉田会長の護衛役だった西辻秀和は、
ブローニング22口径拳銃をとりだし追跡した。

男たちは商店街から左へ折れた。

俊足の西辻は距離、数メートルまで近づき、
走りながら拳銃一発を撃ったが命中せず、
流れ弾は駐車中のクルマに穴を開けた。

人々を押しのけるように彼らは走っていたから、
巻き添えの犠牲者がでなかったのは奇跡に近い。

二人の男はさらに二十メートル先の
「佐久間病院」前で左右にわかれた。

西辻秀和は左に逃げた男を追い、
続けざまに発砲したが当たらず、
それらの流れ弾は三十メートル先の
ビル三階の窓ガラスを破った。

護衛の西辻秀和はついに吉田芳弘会長を
狙撃した男たちを見失ってしまった。

吉田芳弘はパトカーで西区の救急病院に運ばれたが、
十五分後に出血多量で死んだ。

ほぼ、即死に近い状態だった。
【9】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時55分)

【迷 走】

九月五日、大阪で開かれた
西日本管区警察局長会議に出席した
浅沼清太郎警察庁長官は
第三次暴力団頂上作戦を号令した。

「白昼、暴力団組員が市街地で
 発砲するなどは法秩序への挑戦である。
 三十年代後半、四十年代半ばに続いて
 今回を第三次とする頂上作戦を全国的に実施、
 幹部級の検挙、資金源の取り締まりに全力を挙げる」

会見が開かれるや、山口組三代目、
田岡一雄の反応は素早かった。

兵庫県警情報によるとこの日の午後
、山口組本部事務所で若頭・山本健一以下
直系組長七十人が参集して、幹部会が開かれた。

席上、山本健一は

「今後、山口組側からいっさいの
 抗争をしかけてはならない。
 また、一連の松田組との抗争の報復を
 してはならない」

と通達した。

田岡一雄は出席しなかったので、山本健一は
「これは田岡組長の意思である」と、
改めて首領(ドン)の決定であることを断り
この「不戦宣言」を代理伝達した格好となった。

山口組は傘下約五百団体、一万一千人
松田組は二十団体、三百人。

まるでマンモスと狼が闘っているにもかかわらず、
実際の戦闘は対等どころか損害では
死者四と山口組側の方が大きい。

往年の山口組の破壊力はどこへいってしまったのか。

さらに、ここにきての一方的な
「不戦宣言」はなにを意味するのか。

兵庫、大阪の両警察はこの情報を慎重に分析した。

すると山口組内部で一つの見方が生まれていることが分かった。

それは警察の徹底した封鎖によって
一日に百万以上の水揚げがあった
松田組の十数か所の賭場は開けなくなっており、
彼らの資金はいまや枯渇している、というのだ。

なるほど、これでは無駄な流血をせずとも
放っておけば、松田組は自ら潰れる、
という結論である。

九月五日の山口組の「不戦宣言」はこうした
状況を踏まえてのうえのことだ、
というのが警察の観測だった。

だが、十月に入ると兵庫県警は意外な情報を入手した。

「松田組を放っておくとはなにごとか。
 山口組は四人の犠牲まで出したんだ
 なんとしても、報復しなければ、
 山菱の威光にかかわる」

タカ派の発言が強くなり、
幹部百人から一人百万、合計一億円の軍資金を
集め、同時に三十組から召集した
戦闘団が準備された、というのである。

そうなると先の「不戦宣言」という情報はウソなのか。

いったい、山口組は戦争をする気があるのか、
ないのか。曖昧となってきた。

実はこのとき、山口内部で
ある「粛清人事」が行われていたのである。

若頭補佐であった穏健派の菅谷政雄が
松田組といつまでも争う愚を説き、
自ら和解工作に奔走したが、実を結ばなかった。

主流の強硬派、若頭・山本健一はこれを

「組の決定なしで独断専行した」

との理由づけで、
菅谷政雄を若頭補佐から若衆に降格した。

首領(ドン)田岡一雄は長期入院中であり、
ポスト田岡の思惑を巡り、
内部の権力構造は極めて流動的であった。

つまり、よそと戦争するまえに
内なる戦いが優先されていた、というのが
「不戦宣言」の一面でもあったのだ。
【8】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時16分)

【暴 発】

和解はまさに実現しようとしていた九月二日、
午後四時四十五分ごろ
グレーのコロナマークIIが
大阪市住吉区我孫子の
松田組組長・樫忠義の自宅前に近づいた。

樫忠義組長宅には大阪府警のパトカーが駐車し、
玄関前には五人の警察官がいて、
このマークIIの運転手を
職務質問しようとしたところ、
後部右側の窓が開き、中の男が
組長宅めがけて拳銃二発を発射。
一発が組長宅のトイレの窓ガラスに当たった。

急発進したマークIIをパトカーが追跡したが
ふりきられてしまう。

大阪府警は緊急配備し、
午後六時五十分ごろ堺市の検問所で
乗客二人のタクシーを止めて職務質問した。

うち、一人が38口径拳銃を
持っていたので緊急逮捕した。
もう一人は検問直前に拳銃を
窓から道路に投げ捨てており、この拳銃も押収された。

これまでの抗争で山口組は死者三、負傷一、
おまけに山口組本部事務所も銃撃されている。

いくら樫忠義組長が謝罪するにせよ、
戦闘のバランスはとれていない。

警察が警戒中とはいえ、
拳銃の二、三発も撃ち込まなければ
どうにも格好がつかない、
というのが「ヤクザの平衡感覚」であった。

撃ったのは山口組系中西組組員、羽根恒夫であった。

この一件で山口組最高幹部会は
「度胸と根性のある男」と羽根の論功を讃え、
いきなり直系若衆にひきあげ、子分一人もいない
異例の羽根組組長を名乗らせているから、
ヤクザ社会とは子供じみた側面を秘めている。

樫忠義組長も、そうした意味合いは承知していた。

自宅が銃撃されたとはいえ、
ヤクザの儀式みたいなもので実害はない。

彼は全松田組傘下の組織に「終戦」の通達を出した。

だが、この通達は届くのにヒマがかかりすぎた。

翌三日、早朝五時半ごろ羽根恒夫が
所属していた大阪市南区の中西組事務所に
白のマークIIとオレンジのセリカ二台が近づき、
車から降りた二人の男が組事務所前にいた
中西組組員に拳銃を発砲した。

二十三歳の中西組組員は脇腹から胸にかけ、
二発の銃弾を浴び、一時間後に死亡した。

襲撃したのはまたしても
松田組傘下の大日本正義団だった。

この知らせが届くと神戸の山口組本部事務所や
田岡一雄組長宅には車百台、五百人が集結し、
周辺は異様な雰囲気となった。

「和解が決まったのに殺すとはなにごとか」

山口組はいっぺんに態度を硬化させた。

和解話は吹っ飛んだ。
【7】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 15時14分)

【仲裁工作】

「ジュテーム事件」後、
約一ヶ月不気味な沈黙が続いた。

三人を殺された徳元組の上部団体、
山口組系佐々木組と
溝口組の上部団体・松田組との間で
この決着をどうつけるか、
水面下で話し合いが続けられていた。

大阪府警に入った情報では松田組側は謝罪し、
死者一人につき弔慰金一千万円を提案したが、
佐々木組側は

「いまどき、交通事故の強制保険でも一千万円だ。
 話にならん。一億円よこせ」

と主張して物別れになった、という。

八月二十三日午後十一時四十分、
大阪市東住吉区の松田組系村田組事務所に
拳銃二発が撃ち込まれた。

村田組組長は「ジュテーム事件」での
交渉の松田組側の主席代表だったから、
この発砲事件は和平交渉を山口組側が蹴る、
という意思表示だった。

この発砲に松田組側は激怒した。

一時間後、松田組の戦闘部隊・大日本正義団組員が
神戸、山口組本部事務所に車で乗りつけ、
警戒中のパトカー越しに拳銃五発を乱射した。

これによって、松田組側は今回の戦いは
末端の組同士の争いではないことを
山口組に通告したことになった。

こうなると次は山口組側である。

一週間後の三十日午前八時四十五分ごろ、
大阪市淀川区の松田組系瀬田組組長宅を
三人のヒットマンが襲い、
玄関を護衛していた若い組員が腹部を撃たれて
二週間の傷を負った。

やられたら、やりかえす。

抗争のエスカレートに警察が
介入してくるのは目に見えている。

関西ヤクザの親睦団体である「関西懇親会」が
本格的に第三者仲裁に乗り出した。

和解の条件は整いつつあった。

松田組の樫忠義組長は
お互いの非をあげつらうことはやめて、指を詰めて
山口組に謝罪するという条件を思い切って
呑む決意を固めた。

山口組も「関西懇親会」の仲裁を了承した。
【6】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時53分)

【内 紛】

神戸に本拠を置く三代目・山口組が
膨張政策をとりはじめたのは
昭和三十年代初めだった。

ことに昭和三十五年夏、
大阪最大の愚連隊組織
「明友会」を殲滅させ、
富裕な領土を奪って以降、
三代目・田岡一雄の
全国制覇の野望は燃え上がった。

若頭・地道行雄の指揮のもと、
山陰、四国、九州、南紀、
北陸、伊勢、中京と
疾風怒涛の進攻で地方を征圧していった。

田岡一雄の戦争指導は

「農村をもって都市を包囲する」

という毛沢東の戦略に似ていた。

地方に進攻し、制圧することによって
首都・東京に圧力をかけようというのである。

しかし、この進撃もさすがに世論の猛烈な反発に遭い、
警察もこれを放置しておくはずがなかった。

昭和三十九年から警察庁指導の下に
全国の警察は暴力団に対する大攻勢にでる。

従来の末端の枝葉を払うだけでなく、
組織の組長たちを狙い打ちするところから、
この暴力団壊滅作戦は「頂上作戦」とも呼ばれた。

警察は山口組の豊富な資金源であった
神戸港船内荷役を牛耳る「全港振」と
芸能プロダクション「神戸芸能社」に対し、
あらゆる法律を駆使して潰した。

そのさなか、の昭和四十年十月、
三代目・田岡一雄は
心筋梗塞に襲われ、倒れた。


さすがの山口組も気息えんえんとなり、
組内は混乱し、解散や脱退を
余儀なくされた地方組織が相次いだ。

さらに昭和四十三年、
若頭に起用された梶原清晴がわずか三年後、
鹿児島で磯釣り中に事故水死してしまう。

昭和四十七年、山口組最高幹部会は
後継の若頭選出にあたって
若頭補佐九人を対象に異例の選挙を行った。

五対四という僅差で新たな若頭の座についたのは
山本健一だった。

山本健一は「ヤマケン」の名で
知られる組内きっての武闘派であった。

組の重鎮、菅谷政雄が推した、
山本広が敗れたことで
組内のパワーバランスは微妙なものとなった。

いわば主流派と反主流派の対立が
表面化することになった。
以後、地方の山口組系団体同士が
小競り合いを起こし始めた。

「ジュテーム事件」前の六月には、
山口組直系菅谷組内、石田組と
山口組直系加茂田組内中山連合の間に
発砲事件があり、その二週間後にも
菅谷組内藤島組と加茂田組内新竜会が
発砲事件を起こしている。

山口組系同士でもイザコザが絶えず、
争っているのだから
この超大国が一致団結して
やってくるわけがない、
と松田組はタカをくくっていたのである。
【5】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2015年03月20日 16時50分)

【山菱の衝撃】


「ジュテーム」事件は残酷な手口と
殺傷数の多さで世間を驚かせた。
しかし、その衝撃は実は
ヤクザ社会や警察の方が大きかった。

それは「山菱」が狙われた、という事実だった。

菱形の代紋で「山菱」と呼ばれる
三代目・山口組は当時、田岡一雄組長の統率下、
全国に四百九十七団体、一万一千人を擁する
全国最大、最強の組織であった。

いかに末端の組とはいえ、共通した
代紋バッジで統一され山口組の
安全保障の傘の下にいるのである。

こうした「山口組の威光」をせせら笑うような
大胆不敵な殺戮が静かな住宅地の一角で
起こったのだから、法の裏側の社会では、
まさに驚天動地の出来事であった。

なぜ、山口組系組員らが
松田組襲撃班に襲われ、殲滅的な打撃を受けたのか。

負傷した徳元組組員らから事情を聴いた
大阪府警捜査四課は八月二十六日、
溝口、徳元の両組事務所のほか、
大阪市北区南扇町の地下スナック「ナポレオン」と
北区曽根崎上一丁目のスナック「ヒット」を捜索した。

すると驚くべきことに都心の
オフィス街ビルの中に賭場を発見した。

「ナポレオン」は大阪キタの中心地から
東へ歩いて十分、九階建てのビルにあり、
化粧品販売や出版関係の会社が
テナントとして入居している。

松田組系溝口組はこの地下を
昭和四十八年三月に契約し、
スナック「ナポレオン」としてオープンした。
当初はワンフロアであったが、次々と改造した。

大阪府警捜査四課が調べたところ、
店内は約二十席ほどの広さで正面左側に
スチール製のドアがあり、
その奥は蛍光灯があかあかとつく
三十畳敷きの細長い賭場になっていた。

「ヒット」も奥に畳敷きの広い賭場があり、
当時はまだ珍しい監視モニターまで設置されていた。

賭場のもつれは「ナポレオン」で起こった。

「ジュテーム事件」の二週間ほど前から、
徳元組組員がこの賭場に再三出入りし、
勝つと金を掴んで帰るが、負けると
その借金まで返さない。
催促すると拳銃をちらつかせるという
「賭場荒らし」を繰り返していた。

徳元組の本拠は神戸だが、大阪、ことに
人口が増えている郊外の豊中に目をつけ、
新規の縄張りを求めて溝口組の眼の前で
ノミ行為に手を出したりしていた。

この揺さぶりに溝口組は危機感を持った。

賭場で徳元組組員が人もなげに
拳銃をちらつかせたり、
百円玉一個を放り投げて
「これでバクチをさせろ」と挑発するのは、
溝口組を潰す野望の表れだ、と溝口組はみた。

七月二十四日夜、
このくすぶり続けた対立感情は頂点に達した。

その夜「ナポレオン」の賭場に現れた
徳元組組員は溝口組組員から
「この賭場荒らしめ!」 「帰れ!」
と罵られ、追い返された。

そして、このイザコザに決着をつける、
ということで翌二十五日深夜、
溝口組若頭・溝口政弘は徳元組組員がたむろする
「ジュテーム」に呼び出されたのである。

溝口組は危機と焦燥を感じた。

溝口政弘は監禁され、一命が危うくなるかもしれない。
断固、徳元組を討つべきだ。
溝口組理事長・溝口弘美は決断し、
上部団体、松田組の指示を仰ぎ
松田組は五人のヒットマンを飛ばした。

これが「ジュテーム事件」の真相であった。

ヤクザは暴力が売り物である。
力比べで一歩後退すれば敵はつけあがってきて、
しまいには領土全てを奪われてしまう。

それにこの稼業ではちゃんと仲裁人という機能がある。
売られた喧嘩は買ったのだ、
という実績があとあとまでモノをいって
組織の存立を守ることも不可能ではない。

松田組としてもヤクザの超大国・山口組の報復を考えなかったわけではない。
しかし、このころの山口組では内部で権力闘争が絶えず
統制力が弱まっている、という見方が、
ヤクザ社会に広まっていた。

「山菱、怖るるに足らず!」

松田〜溝口組連合の決断は山口組本家を揺るがせた
【4】

凶犬たちの挽歌  評価

野歩the犬 (2014年06月07日 11時39分)

【電撃作戦】

昭和五十年七月二十五日。

熱帯夜続きの大阪はこの日も
午後十一時を回ってなお、蒸し暑い夜だった。

豊中市の閑静な住宅街。
白い清楚な鉄筋四階建てのマンション一階に
喫茶店「ジュテーム」があった。

店内には六人の男たちが、ねばっていた。

経営者の三十二歳の女性はバーテンダーをとっくに帰してしまい、
一人残されていることを後悔していた。

彼らは入ってきたときから一目でわかるヤクザたちであったからだ。

六人は山口組の三次団体「徳元組」組員だった。
本拠は神戸市兵庫区内にあり、ノミ行為や債権取立てをシノギとしている。

午後十一時五十五分、三人の男が入ってきて六人と合流した。
新たな三人は徳元組組員一人と溝口組組員二人である。

溝口組というのは、松田組の傘下にあり、西成区やキタに賭場を開いていた。

この年三月、病気がちだった溝口雅雄組長が
組事務所をキタから自宅のある豊中市内に移したばかりだった。

つまりこの夜「ジュテーム」の店内は
溝口組組員二人を七人の徳元組組員が
ぐるりと取り囲んだ構図となった。

彼らはしばらく声を殺して押し問答を続けた。

経営者の女性がコーヒーを入れながら漏れ聞いた話ではどうやら賭博のいざこざがある様子だった。

日付が変わった午前零時すぎ
「ジュテーム」の電話が鳴った。

彼女はその電話を溝口組の溝口正弘にとりついだ。

二言、三言、のやりとりがあり
「よし、わかった」と彼は大声で返事した。

二十六日午前零時半ごろ、
かれらが話し合いを始めて三十五分後に急停車する車の音がして、
いきなり五人の男たちが「ジュテーム」の店内になだれこんだ。

これが溝口組の上部団体、松田組襲撃班だった。

先頭の三人がいきなり拳銃をぬき、構えたのを見て、
経営者の女性はとっさに厨房に逃げ込んだ。

襲撃班は徳元組の一人を狙い、
それをかばおうとして立ち上がった仲間たちへ
残忍な一斉射撃を開始した。

銃声とともに怒号と悲鳴があがった。

「た、助けてくれ!」

床に血だらけになって転がる男めがけて
さらに拳銃弾は撃ち込まれた。

徳元組組員のうち三人は
襲撃班に体当たりする勢いで入り口から表へ飛び出した。

「一人も逃がすな!」

襲撃班は拳銃を手に店外の周辺を走り回った。

深夜の住宅地で通行人がなく、
誤射事件がなかったのは幸いだった。

十分後、襲撃班は車に乗って逃げ「ジュテーム」での惨劇は終わった。

急報を受けたパトカーに続いて
大阪府警捜査四課(マル暴)や
所轄の豊中署の捜査員のほかに
防弾チョッキを着た機動隊も出動。
新御堂筋や中央環状線を重点検問し、
現場付近の捜索には警察犬も駆り出された。

「ジュテーム」の店内は血の海で椅子やテーブルは
ひっくり返り、三人の男がうつ伏せになって絶命していた。

殺された三人のうち一人は腹部に四発を撃ち込まれ、三発が貫通。
一人は背後から撃たれた一発が心臓を貫く必殺弾となっていた。
もう一人は胸と背中に一発ずつでいずれも貫通していた。

負傷の一人は流れ弾を首に二発、あびていたが
傷は浅く、二週間の軽傷であった。

死者の体内に残った弾丸や室内の弾痕を調べると
38口径九発、32口径三発、22口径二発、不発弾一発が発見され
三種類の拳銃から少なくとも十四発が発射されたことが分かった。

「ジュテーム事件」の二十二日後の八月十七日、
豊中署の捜査本部は張り込み中の溝口組組員の愛人宅に現れた溝口組幹部ら三人を逮捕。

続いて襲撃の実行犯四人が豊中署に出頭して、
この事件は一応解決となった。

五人の襲撃班が使用した拳銃は
スミス&ウエッソン社製38口径拳銃ら三挺は真正で
残る二挺はモデルガンの改造銃と判明した。
【3】

【おことわり】  評価

野歩the犬 (2014年06月20日 16時24分)

前トピの「凶犬たちの挽歌」が連載中断しましたので、
初回から再掲載してまいります。ご了承ください。
【2】

★☆〜復活御礼〜☆★  評価

野歩the犬 (2015年05月15日 12時15分)

「仁義の墓場」時代からご訪問、また応援していただいた
方々のお名前です

★順次、追加する予定ですので、レス付けはご遠慮ください
万一、漏れありましたら、お知らせください

TAKERUさま
reochanさま   
こぱんだ さま
虎55号 さま
拳治郎 さま
五右衛門座衛門 さま
ゆさみん さま
みなみん さま
てぃ〜だ♪さま
rosa♪  さま
虹ん子  さま
赤SC待ち さま
すーすーす さま 
さんさんはなはな さま
パチンシュタイン さま
パクチー(☆∀☆)  さま
ツカンポ  さま
珍台マニア さま
きょんきょん   さま
SRO魂    さま
【1】

目  次  評価

野歩the犬 (2015年05月03日 12時37分)

【ト ピ】       【タイトル】       【時代背景】

■仁義の墓場    大西政寛伝(全47回)   大正12年〜昭和25年
(2014年
5月15日落ち)

                    夜桜銀次伝(全13回)   昭和36年〜37年


■血風クロニクル  凶犬たちの挽歌(全38回)
         〜山口組VS松田組大阪戦争〜  昭和50年〜53年


          喧嘩屋 一代 (全7回)   大正12年〜昭和9年
            〜小千鳥伝〜

          狂犬  伝説 (全3回)      昭和21年〜昭和31年
           〜石川力夫伝〜

          ステゴロ無頼(全20回)    昭和20年〜38年
            〜花形 敬伝〜

           憂陽の刃(全19回)     昭和45年
            〜三島事件〜

           ジギリ狼(全29回)     昭和21年〜昭和23年
            〜山上光冶伝〜


                      ソドムの市(全63回) 
       〜三菱銀行猟銃強盗人質監禁事件〜      昭和54年

             逃葬者(全40回)
        〜保険金替え玉殺人事件〜       昭和56年
34  33  32  31  30  29  28  27  26  25  24  23  22  21  20  19  18  17  16  15  14  13  12  11  10  9  8  7  6  5  4  3  2  1 
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