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【205】 | RE:嵌張大好き(カンチャンだいす... 環八 (2014年04月25日 09時56分) |
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【p−3】 しかし、自分を拒否されたと思った母親は、無理にまで会おうとはしなかった。後から考えれば、最後に、母親は子供の顔を一目見にやってきたのだ。それから間もなく、母親は6通の遺書をしたため、みずから、命を絶った。 母親の死を伝えられた時も、弟が泣く横で、ジェーンはどうしても泣けなかったという。 それからずっとジェーンは、母親のことを考えることを避けていた。彼女の心や体に様々な異変が起き、ぽっかり空いた空虚感や正体不明の罪悪感に苦しめられるようになっても、それが母親との関係に由来しているとは、考えようとしなかった。 ジェーンに現れた最初の異変は、過食だった。加えて、時々襲ってくる深いうつの発作が、彼女を苦しめるようになった。 女優としての仕事で成功し、素晴らしいパートナーと出会い、完璧な幸福を手に入れることで、そうした問題を解消しようとした。だが、その試みは、うまくいかなかった。 頂点を極め、人もうらやむような暮らしを手に入れても、心の底にある虚しさや偽りの感覚は、むしろ強まるばかりだった。反戦運動や社会的活動によっても、それは拭えなった。 それどころか、子供を育てようとした時、ジェーンは、自分の子供を愛せない自分に出くわすことになったのだ。 12歳の時に母親を自殺で失い、自身も摂食障害やうつで苦しんだジェーン・フォンダが、自分の核心的な問題が母親にあると気づいて、そのことに正面からまっすぐ向き合い始めたのは、もう40代になってからのことだった。 それまで、思い出すことさえ避けていた母親とのことをセラピストに語り、また母親が残したさまざまな人生の痕跡を調べ直し、事実と向き合ったのだ。 彼女は弁護士を雇い、母親が自殺を遂げた病院での診療記録までも手に入れて、何が起きたのかを、つぶさに知ろうとした。そうした調査から、彼女が知らなかった母親の姿が浮かび上がってくることとなった。 ジェーンの母、フランシスは、カナダの農場で生まれ育ったが、8歳の時、ピアノ調律師から性的ないたずらを受けるという悲劇に見舞われた。そうしたトラウマを抱えた女性には、少なからず、性的な魅力こそが自分の価値だという思い込みが生じることがある。フランシスに起きたのも、そうした事態だったのだ。 フランシスは性的魅力に満ちた女性に育ち、しかも、それを最大限に活用して、世渡りをしていく。秘書となって銀行に就職した彼女は、自分よりも30歳も年上の大富豪のハートを射止め、玉の輿に乗ったのだ。 一児をなしたが、大富豪が数年で死去して、若くして未亡人となると、今度は、人気俳優のヘンリー・フォンダと結ばれた。そして、生まれたのがジェーンだった。 だが、その結婚生活はみじめなものになっていく。そんな時、フランシスは一人の男性と出会う。若い駆け出しのミュージシャンだった。留守がちの夫に放っておかれ、乾ききっていた心と体は激しく燃え上がった。 友人の家で逢瀬を重ねるようになる。ある時期から母親が留守がちになっていたのは、そうした事情があったのだ。しかし、結局その恋に母親は破れた。捨てられたのだ。 |
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【206】 |
環八 (2014年04月25日 10時51分) |
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これは 【205】 に対する返信です。 | |||
【p−2】 それから数日後、母親は、体の傷跡をジェーンに見せて、同情を乞うように嘆いたという。母親は変形した乳房まで見せた。それは豊胸手術の失敗によるものだった。 まだ小学校にもあがっていなかったジェーンは、母親を気の毒に思う一方で、『こんな人がママだなんてイヤだ』と思ったという。『元気できれいなママならいいのに。そうすれば、パパだって家にいてくれるはずだ。みんなママのせいなんだ』と。 両親の離婚という傷ついた思いは、母親の傷跡を憎む気持ちに転嫁された。完璧な外見を持つ女性でなければ、というこだわりが、ジェーンの中で生まれたのは、この瞬間だったという。 母親の精神は、このときすでに病み始めていた。めそめそ泣いているかと思うと、ナイトガウン姿で近所を徘徊したりした。次第に躁うつ病の症状がはっきりとし、不安定な言動や行状がみられるようになった。 そんな母親に対して、ジェーンは、まるでモノに対するように、見て見ぬふりをした。そうするしか、傷つかないでいられる方法はなかったのだ。 母親は療養所に入院してからも、病状はなかなか安定しなかった。ジェーンが12歳になったある日、看護婦に付き添われた母親が一時帰宅を許されて、家に姿を現したことがあった。だが、その時、ジェーンは母親に会うことを拒んだ。喜び勇んで会いに行こうとする弟を、行かせまいとさえした。弟は、姉の手を振り切って、駆け下りていったが。 なぜ、彼女は母親に会うことを拒んだのか。この反応は、弟を産むために母親が二か月も家を留守にした時、4歳のジェーンが見せた反応とダブる。 実は、このタイプの反応は、抵抗/両価型と呼ばれる不安定な愛着の子供に見られる典型的なものなのだ。母親を求めているがゆえに、自分を見捨てた母親に対する怒りが抑えられず、母親を自分から拒否してしまうのだ。 母親が自分のそばにいてくれなかったことに、会わないことで怒りを表しているのだ。その悲しい怒りが、どれほど母親に伝わっただろうか。 不完全な母親を拒否することで、自分をどうにか守ろうとする気持ちも働いていただろう。だが、かたくなに母親を拒みながらも、心の底では、母親が自分からそばにやってきて、彼女を抱きしめ、ごめんなさいと謝ってほしかったに違いない。そうすれば、彼女は母親を受け入れ、許すことさえできただろう。 |
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