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【2942】 | RE:「春のワルツ」が恋しい♪ 750CC (2011年12月22日 21時13分) |
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こんばんは。 僕には、『維新』という言葉自体が、古めかしく聞こえるんですが・・・。せめて、『刷新』とかにすればよかったような・・・。 明治維新については、面白い見方がいろいろありますよ。 なぜ、徳川幕府が、そのまま明治政府になれなかったのか。 明治政府の官僚のほとんどが徳川幕府の役人だったそうです。そりゃそうですよね。今の日本だって、政権が変わったからって、官僚は変わりませんもの。 明治以降、特に言語が統一化されたため(共通語の強制)、地域の独自性が急速に失われていった。 地方の特産物のほとんどが、江戸時代以前から伝わるものであることを思えば、確かに、地方の個性は無くなりましたよね。 地域の独自性喪失に危機感を抱いて、各地の伝承を集めて回ったのが、民俗学の創始者柳田國男です。 日本が、欧米列強によって植民地化されなかったのは、明治の元勲が偉かったからではなくて、単に、地理的に、欧米から遠かったから。 欧米は、インドや中国を植民地化、半植民地化していきましたけど、現地住民の激しい抵抗にあってましたし、あんな遠い日本にまで軍隊を持ってくのは、あまりにも不経済だったということです。 徴兵制が、返って、日本の民主化を加速させた。 勘違いしていただきたくないのですが、僕は、軍国主義を肯定してるわけではありません。 軍隊に入ると、最初は、全員二等兵なので、出自にとらわれない仲間意識を持つようになったんだそうです。この仲間意識が、民主的な思想を受け入れる下地になったらしいです。 明治天皇の知名度を上げるために政府が四苦八苦した。 江戸時代の日本人は、天皇なんて知りませんでしたから。 明治維新が革命かどうかについては、いろいろ見解の分かれるところだと思いますが、 フランス革命を始めとする、欧米での市民革命が、明治維新に少なからず影響を与えたことは間違いないでしょう。 確か、大久保利通は、共和制を理想としていたらしいです。彼が、せめて、あと十年生きててくれたら、日本はずいぶん違う国になってたかもしれませんね。 もう一個、面白い話をば。 19世紀中ごろのあるイギリス人が、インド旅行から帰国した際、『インドのイギリス人は本国のイギリス人とは、別国の人間のようだった』と言ったそうです。 本国では、『ゆりかごから墓場まで』と言われるような民主的福祉国家へと進んでいるのに、インドでのイギリス人は、きわめて横柄だ、ということです。 民主主義と帝国主義を並行させていた当時のイギリス人気質をよく表していると思います。今の日本人と似てませんかね・・・。 ヤマトには潜確があるらしいです。 |
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【2943】 |
りーり♪ (2011年12月23日 00時39分) |
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これは 【2942】 に対する返信です。 | |||
750CCさん、こんばんわ♪ ヤマト、潜確があるのですか… 最近の機種では、潜伏があるのが段々普通になってきているのが残念です。 >僕には、『維新』という言葉自体が、古めかしく聞こえるんですが・・・ 年配の女性には、若い子のファッションや化粧が、古めかしい、懐かしいと感じることがあっても、若い子には新しい、新鮮だったりするのと、似たような感じなのかもしれませんね(^^) 刷新ではありふれていて、維新の方が斬新でインパクトがあって良いと私は思いますが、人それぞれ言葉から受ける印象は違ってきますね。 >なぜ、徳川幕府が、そのまま明治政府になれなかったのか。 色々な要因はありますが、明治維新は、下級武士の人達が中心になっていたからです。 それまでの身分制度では、夢も希望もない!という危機意識が強かったのでしょう。 >日本が、欧米列強によって植民地化されなかったのは、明治の元勲が偉かったからではなくて、単に、地理的に、欧米から遠かったから。 地理はさほど関係ありません、パワーオブバランスです。列強は虎視眈々と日本を狙っていましたが、それぞれの勢力が拮抗していたのが、日本に幸いしました。 以前に柳田國男の本を読んでいた時に、この人、民俗学も詳しいのかあ、航空評論家、ノンフイクション作家、童話などと、多才だなあと感心したことがあります(^^) 後になって、柳田邦夫と漢字も違うし、全く別人だったと気がつきましたけど(^^) |
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