返信元の記事 | |||
【2941】 | RE:「春のワルツ」が恋しい♪ りーり♪ (2011年12月22日 18時50分) |
||
750CCさん、こんばんわ♪ 「大阪維新の会」の名前で、明治維新を連想されるとは、750CCさんは、失礼ですがご年配の方なのでしょうか? 「大阪維新の会」と聞いて私は今の今まで、「明治維新」を連想したことはありませんでした。 「革命」「革新」というと、王政→民主或いは共産主義のように、全く体制が変わるイメージに対して、「維新」は、改めて新しくするという意味なので、体制は変わらずに政治を改めて新しくしていくというイメージで受け入れやすいと思います。 「明治維新」はどちらかというと「維新」ではなく「革命」の分類に入るかと思われます。 天皇制はそのままですが、政治の実権が「幕府」から天皇を中心とする合議制になったのですから、革命という方があたってるかもしれません。 海外の言葉に訳される時は、「明治革命」と訳されていると聞いたことがあります。 大阪だけでなく、他の地方にも○○維新の会というグループがあるそうですね。 大阪は、ひところは夕張のようになる!と言われた程、財政赤字の悪化が続き破たん寸前でした。とりあえずは財政状況が好転して欲しいというのが一府民の願いです。 ヤマト…サンキョー♪春のワルツとダースベイダーは面白かったです♪ 私も打ってみたら嵌るかも?潜伏があるんですか? 最近は時間的に余裕がないので、潜伏がある機種は避けたいです。 |
■ 3,063件の投稿があります。 |
【2942】 |
750CC (2011年12月22日 21時13分) |
||
これは 【2941】 に対する返信です。 | |||
こんばんは。 僕には、『維新』という言葉自体が、古めかしく聞こえるんですが・・・。せめて、『刷新』とかにすればよかったような・・・。 明治維新については、面白い見方がいろいろありますよ。 なぜ、徳川幕府が、そのまま明治政府になれなかったのか。 明治政府の官僚のほとんどが徳川幕府の役人だったそうです。そりゃそうですよね。今の日本だって、政権が変わったからって、官僚は変わりませんもの。 明治以降、特に言語が統一化されたため(共通語の強制)、地域の独自性が急速に失われていった。 地方の特産物のほとんどが、江戸時代以前から伝わるものであることを思えば、確かに、地方の個性は無くなりましたよね。 地域の独自性喪失に危機感を抱いて、各地の伝承を集めて回ったのが、民俗学の創始者柳田國男です。 日本が、欧米列強によって植民地化されなかったのは、明治の元勲が偉かったからではなくて、単に、地理的に、欧米から遠かったから。 欧米は、インドや中国を植民地化、半植民地化していきましたけど、現地住民の激しい抵抗にあってましたし、あんな遠い日本にまで軍隊を持ってくのは、あまりにも不経済だったということです。 徴兵制が、返って、日本の民主化を加速させた。 勘違いしていただきたくないのですが、僕は、軍国主義を肯定してるわけではありません。 軍隊に入ると、最初は、全員二等兵なので、出自にとらわれない仲間意識を持つようになったんだそうです。この仲間意識が、民主的な思想を受け入れる下地になったらしいです。 明治天皇の知名度を上げるために政府が四苦八苦した。 江戸時代の日本人は、天皇なんて知りませんでしたから。 明治維新が革命かどうかについては、いろいろ見解の分かれるところだと思いますが、 フランス革命を始めとする、欧米での市民革命が、明治維新に少なからず影響を与えたことは間違いないでしょう。 確か、大久保利通は、共和制を理想としていたらしいです。彼が、せめて、あと十年生きててくれたら、日本はずいぶん違う国になってたかもしれませんね。 もう一個、面白い話をば。 19世紀中ごろのあるイギリス人が、インド旅行から帰国した際、『インドのイギリス人は本国のイギリス人とは、別国の人間のようだった』と言ったそうです。 本国では、『ゆりかごから墓場まで』と言われるような民主的福祉国家へと進んでいるのに、インドでのイギリス人は、きわめて横柄だ、ということです。 民主主義と帝国主義を並行させていた当時のイギリス人気質をよく表していると思います。今の日本人と似てませんかね・・・。 ヤマトには潜確があるらしいです。 |
|||
この投稿に対する 返信を見る (1件) |
© P-WORLD